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人間はみな極悪人である。 [罪悪深重]

お釈迦様1

心常念悪 
口常言悪
身常行悪 
曽無一善
    (大無量寿経)

お釈迦様の言われたことですが、

意味は、心で、口で、体で悪ばかり行い、

過去にも、これからも一善もやれないのが人間だという意味です。


一生造悪値弘誓

これは親鸞聖人の正信偈に書かれているお言葉ですが、

一生造悪とは「生まれてから死ぬまで悪ばかり造り続ける者が我々だ。」

と言うことです。


善導大師はまた次のように言っています。

一人一日のうちに
八億四千の憶いあり
念々になすところ
これみな三塗の業なり
      
人間の心はころころ変わり、

それは、一日で八億四千回にもなる。

その憶い全ては地獄行きの種ばかりだ。

とも教えられています。


では実際にどんな悪をやっているのか、

お釈迦様に聞いてみましょう。


お釈迦様は我々の犯すいろいろな罪悪をまとめて、

十悪」と教えられています。

(心でやる悪)

貪欲(とんよく)

瞋恚(しんい)

愚痴(ぐち)


(口でやる悪)

綺語(きご)

両舌(りょうぜつ)

悪口(あくこう)

妄語(もうご)


(体でやる悪)


殺生(せっしょう)

偸盗(ちゅうとう)

邪淫(じゃいん)


初めの貪欲、瞋恚、愚痴は心で犯す罪です。

「殺るよりも 劣らぬものは 思う罪」

と言われ、口や体で犯す罪よりも

心で犯す罪の方が最も恐ろしいと言われています。


貪欲(欲の心)

最初の貪欲とは、底の知れない欲の心をいいます。

金が欲しい、ものが欲しい、褒められたい、認められたい、

もっともっとという限りない欲のために

我々はどれだけ恐ろしいことを思い続けているでしょうか。

あいつがいなければ、こいつがいなければ、あの人が失敗したら、

この人が死ねば、どれだけの人を蹴落とし、殺しているでしょうか。

親であれ、兄弟であれ、恩人であれ、

自分の欲のためにはどんな恐ろしいことでも考えます。

遺産相続で兄弟や親戚同士が、骨肉相食む争いは、

この欲の心が引き起こす惨劇です。


瞋恚(怒り)

その欲が妨げられると出てくるのが「瞋恚」、怒りの心です。

あいつのせいで儲け損なった、こいつのせいで恥かかせられたと、

怒りの心が燃え上がります。

一瞬の怒りのために、抜いてはならぬ殿中で吉良に切りかかり、

身は切腹、お家は断絶、赤穂五万三千石を棒に振ったのは

彼一人だけのことでしょうか。

ラーメン屋台で深夜の口論の末包丁で刺殺、

抗議行動だと灯油をかぶって焼身自殺、

寝たきりの妻の介護に疲れ果てて、発作的に絞殺などなど、

縁さえくればどんなことでもする、己の姿を映す鏡に事欠きません。


愚痴(ねたみ、そねみの心)

愚痴とはねたみ、そねみ、うらみの心をいいます。

欲を起こしても、怒ってみても、かなわぬ相手だとなると、

ねたみ、そねみ、うらみの心がわき上がってきます。

相手の才能や美貌、金や財産、名誉や地位をねたみ、そねみ、

相手の不幸を喜ぶ悪魔の心が出てきます。

災難に遭って苦しんでいる人に、「お気の毒に」と言いながら、

心ではニヤリとする、恐ろしい心です。

出世したとか、結婚したとか、新築など、

他人の幸せはみんなしゃくのタネ。

失敗したとか、離婚したとか、災難など、

他人の不幸を聞くと心の中はニヤリとする。

思っていることを洗いざらい、

さらけ出してしっまったらみんな逃げ出すに違いありません。


●オイ、喰われるなよ

敗戦が迫る南太平洋戦線では、「オイ、喰われるなよ」が

戦友を見送る言葉だったといいます。

餓死寸前に追い込まれた日本軍は、同僚相食む鬼畜と変わった。

初めは、病死体や戦死体の大腿部の肉をはぎ取る程度でしたが、

ついには生きている戦友を食べるようになったといわれます。

若くて脂肪太りの者が特に狙われました。

丸太に縛り付け、15、6人が車座になって、

焼けたところから食べたといわれます。

聞けば背筋の凍る思いがしますが、同じ立場にいたらどうでしょう。

果たして彼らを責めうるでしょうか。

自己に厳しく問いたださずにはおれません。

親鸞聖人のお言葉ですが、

さるべき業縁の催せば、如何なる振る舞いもすべし。
     (歎異抄)

あのようなことだけは絶対にしないと、言い切れない親鸞である。

聖人の告白通り、我々はいかなる振る舞いも

縁さえ来ればやる可能性があるのです。

巨悪をひそませた潜在的な残虐者が私たちなのです。


●これらの心が口にあらわれれば、

綺語、両舌、悪口、妄語としかなりません。

綺語

綺語とは心にもないお世辞を言うことです。

心と反対のことをいつも上手にしゃべってはいないでしょうか。

隣に大きな家が建つと、

心の中では「隣にこんなでかいものを建てよって。おれの家が小さく見えるではないか。

大体、どっからそんなお金が出てくるんじゃ」

と苦々しく思いながらも、

口では、「なんと立派な豪邸ですね。」などと賛辞を送る。

友達の赤ん坊を見て、

「まあ可愛い。ぱっちり目々があなたにそっくりね・・・」

ところが家に帰って主人に、

「あなた、あの子の顔見た?あれじゃ、お嫁に行けないわ。

どっちに似たか、かわいそうだわぁ。」


両舌

両舌とは、二枚舌とも言われ、仲のよい2人を裂いて、

仲悪くするようなことを言うことです。

一方には、「ねえねえ、あの人はね、

あなたと話している時は調子のいいこと言ってるけど、

裏ではこんなこと言ってるのよ。」

もう一方にも同じことを言う。

初めは2人とも「そんなことあるはずがない。」

と思いますが、次に会ったときにお互い気まずい雰囲気。

疑心暗鬼になり、「本当に悪口言ってるんだ」と思って仲違いする。

はたからそれを見てしめしめと喜ぶのが両舌です。


悪口(わるぐち)

悪口とは中傷のことです。

近所の奥さんが3人集まって、

そこにいない人の話をするときに褒める話と、悪口と、

どちらが多いでしょう。

「ああら奥さん、知ってらっしゃる? あそこのお宅の○○ちゃん、・・・なんですって。

驚いたわ。

それにひきかえ家の子ったら、どうしようもないの。

・・・なんですよ、困ったものね。」

自分のことはどんなに卑下しても自慢話であり、

他人のことはどんなに褒めているようでも悪口になる。

みんな悪口が好きで、口内のどこからか、

潤滑油が出ているのではないかと思うほど舌が踊って、

夜どうしでも飽きません。


妄語(ウソ)

妄語とは事実無根のウソをつくことです。

「私はウソは申しません」と言うのが、最大のウソ。

自分がウソをついている自覚すらありません。

これらの言葉で深く傷ついた経験のない人はいないでしょう。

言葉で相手のこころを傷つけることを「語殺」といいます。

言葉で殺す。

言った方は自覚がなくても、

言われた方は死ぬまで忘れられないものです。

不用意に言った言葉が、どれだけ人を苦しめ傷つけ、

殺してきたか分かりません。


丹波国(京都府)に、百二十歳を越える老婆がいた。

ある人が、老婆を訪ねて訊いた。

「長い一生はどんなにか、珍しいことや、面白いことがあったでしょう。

その思い出を一つ聞かせてくださらんか。」

老婆は首を横に振り振り答えた。

「それは種々あったが、年寄ると頭がぼけて、みんな忘れてしもうた。」

百二十歳にもなれば無理からぬこと、とは思いながらも、

「それでも何か一つぐらい、思い出がおありにならんか。」

再度尋ねた。


「そんなに言われれば話そうか。

二十四度殺された、辛い思い出だけあるわいな」

しわくちゃの顔をしかめて、老婆はつぶやくように言う。

現に生きている人が、二十四度殺されたとは、一体、どんなことか、

と尋ねると、ポツリポツリと老婆は語り始めた。

「この年になるまで私は、たくさんの子供を生み、

多くの孫ができ、曾孫もできた。

ところが老少不定の習いで、子供が先立ち、孫が死に、

曾孫が死んで、内より二十四人の葬式を出した。

そんたびに、悔やみに来る人たちは、私の前では言わんが、

隣の部屋で、「この婆さんと代わっておればよかったのに。」

と言っているのが聞こえてくる。

人様はまだ遠慮して陰で言っとるが、孫や曾孫は面前で言いよる。

その度に私は殺されたのじゃ。」

しみじみと老婆は物語るのであった。



次回は、十悪のうち、身体でやる悪をお話したいと思います。


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人間のやる悪(お釈迦様の教え)をまとめました。

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