自殺する者はなぜ愚かなのか。 [後生の一大事]
仏教では自殺者は大バカ者と言われます。
ある日、釈尊(釈迦)が、托鉢の道中、
大きな橋の上であたりをはばかりながら一人の娘が、
袂へ石を入れているのを見られた。
自殺の準備である。
近寄られた釈尊は、やさしく事情を尋ねられた。
「お恥ずかしいことでございますが、
ある男と親しくなり、妊娠してしまいましたが、
その後、捨てられました。
世間の眼は冷たく、お腹の子供の将来を考えますと、
死んだほうがどんなによかろうと思います。
このまま、見逃してくださいませ。」
泣き崩れる娘を釈尊は、哀れに思いながらも、厳然と仰せられた。
「お前は何というバカ者なのか。
お前には譬えをもって教えよう。」
「ある所に、毎日荷物を満載した車を引かねばならない牛がいた。
牛は、なぜこんなに苦しまなければならないのか、
オレを苦しめるのは何かと考えた。
そのとき、この車さえなければ苦しまなくてもよいと思い当たったのだ。
ある日、猛然と走って、大きな石に車を打ち当てて、壊してしまった。
ところが牛の使用人は、やがて鋼鉄製の車を造ってきたのだ。
今までの車の何百倍、何千倍も重い。
牛は軽い車を壊したことを深く後悔したが、
後のまつりであった。
お前は、肉体さえ壊せば楽になれると思っているが、
死ねば地獄へ飛び込むだけだ。
お前には分からぬだろうが、
地獄の苦は、この世の苦しみぐらいではないのだ。」
釈尊は諄々と、地獄の苦しみを教えられました。
娘は初めて知る真実の仏法に驚き、
仏門に入って救われたといいます。
私たちの後生にも、
「必堕無間」の一大事が待っています。
「必ず無間地獄という苦しみの世界に堕つる」
と仰った、経典の言葉です。
これを後生の一大事といいます。
なぜ私たちは地獄へ堕ちなければならないのか。
それは暗い心で、悪のタネまきしかしていないからです。
仏教の根幹は因果の道理。
道理とは、三世を貫き(いつでもなりたつ)、
十方を普く(どこでも成り立つ)真理をいいます。
何万年後も、また宇宙のどこ行こうとも因果の道理は正しいのです。
因果とは原因と結果のことで、原因なしに現れる結果はありえない。
結果に対しては、必ず原因を追究するのが仏教である。
原因と結果の関係は、
●善因善果
●悪因悪果
●自因自果
と釈尊は仰います。
善い行いをすれば必ず、善い結果が返ってくるが、
悪い行いには必ず悪い結果が引き起こる。
自分のやった行為は、善きも悪きも、自分に結果をもたらすから、
自業自得と言われるのです。
一息切れた後、堕ちねばならぬ地獄という悪果は、
間違いなく、我が身がまいたタネの結果です。
どんな悪のタネまきをしているか、
以下を参照してください。
「人間のやる悪」
そして後生の一大事を解決することが、
人間に生まれてきた目的です。
いかに苦しくても、自殺してはならない理由も、ここにあります。
年間、三万人前後の方々が自殺されます。
その数は2011年3月11日に起こった東北の大震災で
亡くなられた人々よりも一万人も多いのです。
尊い命を捨ててしまうのは、
「なぜ生きるか」の人生の目的を知らないからです。
「天上天下、唯我独尊」
「天の上にも、天の下にもこの宇宙で、
唯私たちに、たった一つの尊い目的がある。」
と釈尊は道破されました。
私たちも同じように、生きる目的を持っています。
後生の一大事を解決して、絶対の幸福に生かされることです。
宇宙の真理である因果の道理に従って、
悪しかできぬ自己を徹見せねばなりません。
後生の一大事の解決という大目的に向かってこそ、
一瞬の人生が、まことに意義のあるものになるのです。
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