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我々はどれほど動物を苦しめているか。 [罪悪深重]

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我々には後生の一大事があります。
一息切れたら、八万劫中大苦悩を受ける
お釈迦さまは説かれています。
大無量寿経で「必堕無間」と言われた言葉がそれです。

無間とは無間地獄のことで、
途切れることのない想像を絶する苦しみが
次から次へとやってきて、大苦悩を受けるということです。
一劫は四億三千二百万年だから、その八万倍の期間、
苦しみを受け続けると教えられました。

何故そうなるのか、どうすれば救われるのかを
教えるために地球にお出ましになられた仏様がお釈迦さまです。

(釈迦は過去に8千回、唯一救われる道である、
阿弥陀仏の本願を説くために、人間界に現れたと言われています。
大宇宙にはガンジス川の砂の数ほど諸仏がおられますが、
同じように別の惑星の人間界に姿を現して、弥陀の本願を伝えているのです。)



心常念悪
口常言悪
身常行悪
曽無一善
    (大無量寿経)

心で、口で、体で悪を造り続け、かつて一善もなし。
と言われたお言葉です。

お釈迦様は、身常行悪
殺生
②偸盗
③邪淫
に分けて教えられています。

今回は①の殺生に関して書き、
「米デンバーの惨劇」というレポートを紹介したいと思います。

殺生は人を殺すのはもちろん、人間以外の動物を殺した場合も、
殺生罪になると仏教は教えています。
動物だから殺してもよいとは、人間の勝手な論理であって、
仏様の目から見れば、一切の生命は同根なのです。

私たちが死にたくないのと同様に、魚や鳥、虫にいたるまで、
死を恐れることに変わりはありません。
釣られた魚は、海へ戻ろうと跳び跳ね、蚤でも捕まえようとすれば、
ビョンビョン跳んで逃げようとする。
食肉処理場につれてゆかれる牛は、大粒の涙を流すと言います。

●三通りの殺生罪

たとえ自分で殺さずとも肉を食べれば、
同じ殺生罪と教えられているのが仏法です。

殺生にも三通りあることを知らねばなりません。
自殺
他殺
随喜同業

仏教での自殺とは、ビルから飛び下りたり、首を吊るのではなく、
自分の手で生き物を殺すことをいいます。
他殺は、人に命じて殺させることです。
③の随喜同業とは、他人が殺生しているのを眺めて楽しみ、
殺された生命を食べて喜ぶことで、自殺、他殺と同じ罪を
犯したことになります。

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譬えで説明します。
料亭に行くと、生け簀には、鯛やひらめが泳いでいる。
それを指さして、「あれにして」といった客は、
「殺せ」と命じた他殺の犯人となります。
網で掬い、バタバタと逃げようとする魚を抑え
出刃包丁で頭を落とし、内蔵を取り出して三枚に下ろしていく板前は、
自ら手をくだした自殺の犯人です。
「おいしい」と言って食べた人はどうか。
随喜同業の殺生罪だから、皆、同罪の殺生を犯していることになります。






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●米デンバーの惨劇

私たちが食べている肉を作るために、
どれだけ残虐なことが行われているだろうか。
以下はある人のレポートです。

「かつて、私はアメリカ・ロッキー山脈の東、
コロラド州デンバーの食肉処理場を見学したことがある。
デンバーでは、一日4000頭の牛が殺され、
その会社では1日1200頭が解体されるという。
8時間労働すれば、1時間に150頭、24秒に1頭のペースである。

郊外の3棟の倉庫風の建物が、その会社であった。
事務所で白い作業服を着せられ、
保健所の職員のような扮装で加工場に一歩踏み入れたとき、
まず襲ってきたのは、何とも生臭い猛烈な臭気。
殺したての牛をバラバラにする現場では、
牛の肉から発散する臭いが充満していた。

天井にレールが走り、幾十体もの首の切り落とされた牛が
逆さ吊りになって、送り込まれてくる。
牛は別の所で殺されているらしい。
逆さ吊りの牛は、まず腹部の皮にタテにナイフが走り、
斬られた両側の皮を機械でつまみ、ボタンを押すと、
牛皮が一気にはがされ、ピンクの肉塊がむき出しになる。
次に内蔵が開かれ、臓器の全てが取り出され、種類別に附分けされていく。
肝臓、腸、胃袋など。
タラの白子のようなものが脳であった。
内蔵が空になったら水洗いされ、
次にチェーンソーで背骨をタテに切り下げていく。
たちまち牛は左右真っ二つになり、片足で吊り下げられ、
食肉店の奥にぶらさがっているような肉塊と変わり果てる。
それが天井に行列をなして、となりの冷蔵庫に収められていく。

天井の隅を見て驚いた。
皮をはがされた牛の頭部が横一列に並び、
徐々にこちらの方に移動してくる。
やはりピンクの塊の中央に黒い両眼、下部に20センチも垂れ下がった舌。
牛のさらし首、獄門台の不気味さである。
それらの牛の全部が自分をにらんでいるように思え、足がすくんだ。
天井には首と肉塊、床には所狭しと附分けされた臓物。

酸鼻を極めた加工場を離れ、処理現場に向かった。
牛を囲っている柵から建物に向かって牛の通路が伸びている。
幅は2メートルほど。
両側は高く厚いコンクリート壁である。
柵の中ではカウボーイが、牛を次々と通路へ追い込んでいる。
通路は途中でくの字に曲がって、建物につながっている。
柵内の牛は、通路の先に何が待っているか見通すことはできない。
牛にとってその通路とは、ヒトラーのアウシュビッツに等しい、
死の行列なのだ。
牛が建物の入り口のカーテンをくぐった所が処理場である。
通路は行き止まり、牛を見下ろす位置に処理係が待っている。
係りは天井から下がっている箱型の機械を手で引き下げて、
牛の頭に乗せ、ボタンを押す。
瞬間、『プッシュッ』という圧縮空気の音と共に、
箱の底から直径1センチほどの先の尖った鉄の棒が飛び出し、
牛の頭蓋骨を貫く。
『ドウッ』と卒倒した牛を見れば、頭部の穴から、
一筋の血がかすかに流れている。
牛が倒れると同時に係りの反対側の壁が回転し、
牛は向こう側にころがり落ちる。
たいていの牛は一撃で倒されたが、中には、狭い通路で必死に暴れ、
殺されまいとする牛もあった。
後ずさりしようにも後続の牛に邪魔され結局、逃げる逃げられず、
係りが5、6回もボタンを押し続けるうちにしとめられてしまうのである。
1頭を殺す所要時間はわずか20秒か、30秒。
係りは無表情に作業を続けていた。

まさに牛にとってここは地獄の八丁目なのである。
殺された牛は、両足をチェーンに巻かれ、逆さ吊りにされる。
天井のレールを少し移動した所に待ち受けるのは、
首を切断する回転ノコギリである。
首が切り落とされると同時に大量の血が吹き出し、
下の容器にたまる。
その血は乾燥させ、肥料にするという。
まさに血の一滴まで吸い尽くして貪っているのが我々人間の所業なのである。


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●エビ虐待、禁固刑!!
    「現代版 あわれみの令」の矛盾

牛のレポートを読むと、
「いや、そんなことはない。私たちは生き物を大事にしている」
と反論する人もいるに違いありません。
近年、欧米諸国では動物愛護がやかましく叫ばれています。

オーストラリア最大の都市、
シドニーをかかえるニューサウスウェールズ州で、
「動物虐待防止法」が改正され、
エビやカニなど甲殻類を苦しませながら料理をしたり、
飼い犬に恐怖を与えると最高2年間の禁固刑か、
最高1万1千オーストラリアドル(約96万円)の罰金、
あるいは両方の刑を受けることになりました。
同州農業者は、「甲殻類に苦痛を与えないため」と題した図入りパンフレットを作製して
料理方法を事細かに指導しています。

それによると、まず20分以上、氷を入れて零度以下に冷やした塩水につけて
仮死させる。
次いで中枢神経を破壊してから料理する。
神経が走っているロブスターは、まず縦に刃を入れるのが正しい方法で
横にぶつ切りにしてはならない。
生きたまま熱湯に入れたり、ピクピクする生きのいい肉を
食べるなんてとんでもない。
また、レストランの生け簀が過密状態なのも、病気やストレスを与えるから禁止、
と細かい所まで厳しい。

だが、このような動物愛護を訴え、苦痛に与えないようにと
口では言ってはいても、最後はそれらを食べていることには変わりはありません。
「生き物を殺すな」と言っている急先鋒たちが、
パーティの会場でビフテキに舌鼓を打ち、「シーフードは身体によい」と
おいしそうに魚や貝、エビ、カニなどを食べているのだから、矛盾も甚だしい。

このように言うと、
「私は菜食主義者、肉も魚も食べないから殺生とは関係ない。」
と反駁する人も出てくるかもしれません。

それでは肉を食べなければ殺生を犯さなくてすむのでしょうか。
動物を殺さずに済んでも、植物を育てるには、
大量の虫が駆除されていることを知らねばなりません。
また、道を歩いていて一匹の虫も踏み殺さぬ人はないでしょう。

私たちが健康で長生きできるのは、医学の進歩によるが、
そこにもおびただだしい数の実験動物が犠牲になっています。
生きながら劇薬を投与されるもの、解剖で切り刻まれてゆくもの。
人類の健康の裏には、彼らの声なき悲鳴がこだましているのです。

人間の仮面を被っていても、命を踏みにじり、死骸を貪り生きている、
恐ろしい実相が知らされるではないですか。

食欲を満たすために、これまで奪ってきた生命の数は、
何万、何十万をはるかに越えます。
その罪悪の結果がもし、現在の我が身に現れたらどうなるでしょうか。
一つの生命を奪えば、同様に一度殺される報いを受けるとすれば、
何万回、何十万回、五体を微塵に砕かれ殺されても文句は言えない我が身です。

まいた種は必ず生える。
呪いの業火は足下に迫り、我々が一息切れた後生を
今か今かと待ち受けているのです。




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