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未来永遠の家族になる方法はあるのか!? [死後に再会するためには]

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親兄弟や愛児、恋人との
悲しい別れを経験した人は、
故人の在りし日を、
しみじみと思い出すことがあるでしょう。

今ごろあの人は、どこでどうして・・・
もう一度会いたい

つのる思いは簡単には消せません。
私たちを突如、涙の谷に突き落とす残酷な死。
しかしそれは、私自身にも必ず訪れます。
愛する人の死を無駄にしないためにも、
我が身の一大事を見つめ、
弥陀の浄土で再会できる身に
ならせていただきましょう。


お別れね。また私を見つけてね。

小説『世界の中心で、愛をさけぶ』(片山恭一著)が、
三百万部を超える記録的なベストセラーになりました。
主人公の朔(さく)とアキは、
将来を誓い合う高校生同士。
「いつか一緒にオーストラリアに行こう」
と夢を馳せる二人が、
アキを襲った白血病によって、
悲しい別れを余儀なくされる物語です。
「愛し合った二人が再び会える世界ってあるのかな?」
別れを悟った二人の関心は、
死後再会できるかという一点に
向かっていきました。

しかし、結論の出ぬまま、
アキに最期が訪れます。
「お別れね、また私を見つけてね」
朔に告げたアキの言葉に、
多くの人が涙しました。



不慮の事故や事件で、突如、
家族を失った心の傷も深刻です。
長崎の小6同級生殺害事件は
日本中に衝撃を与えました。
愛娘を失った父親の、
さっちゃん。今どこにいるんだ」の手記には、
だれもが胸を痛めずにはおれませんでした。

大切な人の死を悼む気持ちは皆同じです。
でも、死別はいつも私が残るとは限りません。
親しい人の死に接した時、
人はやがてわが身に訪れる死を予感し、
底知れぬ不安と恐怖を感じます。
「もう再び会えないのだなあ、
話もできないのだ。」
と、故人のために流す涙は、実は、
「自分もいつか必ず、
再び帰ってはこられない遠い世界に、
たった一人、旅立たねばならないのだなあ」
と、自分のために流す涙でもあるのです。

家族や友人の無常を、
我が身に迫る一大事を
見つめる勝縁とすることこそ、
肝心ではないでしょうか。


こうまでしてくださらないと 
             分からぬ私でありました

お釈迦さまの時代に
こんな話が残されています。


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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
キサーゴータミーといわれる麗しい女性が、
結婚して玉のような男子を生んだ。
命より大切にして育てていたその子が、
突然の病で急死した。
彼女は狂わんばかりに
愛児の亡骸を抱きしめ、
この子を生き返らせる人はいないかと
村中を尋ね回った。
会う人見る人、その哀れさに涙を流したが、
死者を生き返らせる人などあろうはずがない。
だが今の彼女に、
何を言っても無駄だと思う人たちは、
「舎衛城(しゃえじょう)にまします釈尊に
聞かれるがよい」
と教える。

早速、キサーゴータミーは釈尊を訪ね、
泣く泣く事情を訴え、
子どもの生き返る法を求めた。
哀れむべきこの母親に釈尊は、
優しくこう言われている。
「あなたの気持ちはよく分かる。
いとしい子を生き返らせたいのなら、
私の言うとおりにしなさい。
これから町に行って、
今まで死人の出たことのない家から、
ケシの実をひとつかみ、
もらってくるのです。
すぐにも子どもを生き返らせてあげよう。」
それを聞くなりキサーゴータミーは、
町に向かって一心に走った。

どの家を訪ねても、
「昨年、父が死んだ」
「夫が今年亡くなった」
「先日、子どもに死別した」
という家ばかり。
ケシの実は、どの家でも持ってはいたが、
死人を出さない家はどこにもなかった。
しかし彼女は、なおも死人の出ない家を
求めて駆けずり回る。
やがて日も暮れ夕闇が町を包むころ、
もはや歩く力も尽き果てた彼女は、
トボトボと釈尊の元へ戻っていた。

「ゴータミーよ、ケシの実は得られたのか」
「世尊、死人のない家はどこにもありませんでした。
私の子どもも死んだことがようやく知らされました。」
「そうだよキサーゴータミー。
人は皆死ぬのだ。
明らかなことだが、
分からない愚かな者なのだよ。

本当に馬鹿でした。
こうまでしてくださらないと、
分からない私でございました。

こんな愚かな私でも、
救われる道を聞かせてください。」
愛児の無常に、自らの一大事を自覚した彼女は、
深く懺悔し、直ちに仏法に帰依したという。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宇宙に飛び出しても逃げられない「死」

生あるものは必ず死す。
有史以前から幾憶兆の人類で、
死ななかった人は一人もいない。
蓮如上人は、『御文章』に、
上は大聖世尊(釈迦のこと)より始めて、
下は悪逆の提婆(だいば)に至るまで、
逃れがたきは無常なり。

と仰っています。
最も偉大なお釈迦さまも、
その釈尊の名声をねたみ、
命を付け狙った提婆も、
死を免れることはできない。
たとえ、宇宙に飛び出しても
逃れることはできないのです。

死は突如やってくる暴力

死は百パーセント確実な未来と納得しても、
とかく遠い先のことと思いがちです。
死なんてまだまだ先の話。
今から考えたってしょうがないよ。」
と言う人がありましょうが、
果たして、
正しい人生観といえるでしょうか。


タレントのビートたけしさんは、
かつてのバイク事故で生死をさまよった時、
「今までどうしてこんな生き方をしたんだろう」
と猛省し、「人生観の訂正」をせざるをえなかったことを
告白しています。
死というものは突如来る暴力なんだね。
準備なんかしなくたっていいと言ってても、
結局死というものには
無理矢理対応させられるわけだよ。

あまりに一方的に向こうが勝手に来るわけだから。
死というもののすごさというのは、
自分が人生を振り返って、
何をしたとか何をしていないとかいうのは
全然関係ない。
そんなことはビタ一文かすんないんだよ

                 (『たけしの死ぬための生き方』)

精神科医であった頼藤和寛氏も、
五十二歳でガンの宣告を受けたとき、
著書にこう綴っています。
これまで平気で歩いてきた道が
実は地雷源だったと教えられ、
これから先はもっと危ないと
注意されるようなものである。
それでも時間の本性上、
退くことはおろか立ち止まることもできない。
無理矢理歩かされる。
次の一歩が命取りなのか、
あるいはずいぶん先の方まで
地雷源に触れないままに進めるのか。
いずれにせよ、
生きて地雷源から抜け出せることはできない。

        (『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記』)


次の一歩で爆発するかもしれない道を、
誰もが歩いているのだと訴えています。
死はまだまだ先の話ではない。
今の問題だと知らされるではないですか。

にもかかわらず、
自分が死ぬとは思えないのは、
太陽と死は直視できないといわれるように、

己の死は、直視するには
あまりに過酷だからでしょう。

しかし、いくら目を背けていても
解決にはなりません。


「今死ぬと 思うにすぎし 宝なし
       心にしみて 常に忘れるな」

死を見つめることは
いたずらに沈むことではなく、
生の瞬間を日輪よりも明るくする
第一歩なのです。


生死の一大事を
     ただいま解決する真実の仏法


いよいよ死なねばならぬとなったらどうでしょう。
蓮如上人のお言葉です。

「まことに死せんときは、
予てたのみおきつる妻子も財宝も、
我が身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、
唯一人こそ行きなんずれ


今まで頼りにし、
力にしてきた妻子や金や物も、
いよいよ死んでいく時は、
何一つ頼りになるものはない。
すべてから見放されて、
一人でこの世を去らねばならない。
丸裸で一体、どこへ行くのだろうか。




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仏典にはこんな話が伝えられています。

昔、ある金持ちの男が
三人の妻を持って楽しんでいた。
第一夫人を最も可愛がって、
寒いと言ってはいたわり、
暑いと言っては心配し、
贅沢の限りを尽くさせ、
一度も機嫌を損なうことはなかった。

第二夫人は、
それほどではなかったが種々苦労して、
他人と争ってまで手に入れたので、
いつも自分のそばに置いて楽しんでいた。

第三夫人は、何か寂しい時や、悲しい時や、
困った時だけ会って楽しむ程度であった。

ところがやがて、
その男が不治の病床に伏すようになった。
刻々と迫り来る死の影に恐れおののいた彼は、
第一夫人を呼んで心中の寂しさを訴え、
ぜひ死出の旅路の同道を頼んだ。

ところが、
「ほかのこととは違って、
死の道連れだけは、
お受けすることはできません」
とすげない返事に、
男は絶望のふちに突き落とされた。

しかし、寂しさに耐えられぬ男は、
恥を忍んで第二夫人に頼んでみようと思った。
「あなたがあれほど、かわいがっていた第一夫人でさえ、
嫌とおっしゃったじゃありませんか。
私も、まっぴらごめんでございます。
あなたが私を求められたのは、
あなたの勝手です。
私から頼んだのではありません」
案の定、第二夫人の返事も冷たいものであった。

男は、恐る恐る第三夫人にすがってみた。
「日ごろのご恩は、決して忘れませんから、
村はずれまで同道させていただきましょう。
しかし、そのあとはどうか、堪忍してください。」
と突き放されてしまった。

男というのは私たち人間のことです。
第一夫人は肉体、
第二夫人は金銀財宝、
第三夫人は父母妻子兄弟友人などを
例えられています。

いよいよ死んでいくときに、
私たちは今まで命にかえて、
愛し求めてきた財産や家族、
この肉体からさえも見放され、
何一つあて力になるものがなかったことに、
嘆き悲しむのです。

そして、一歩後生へと足を踏み出した時、
魂は真っ暗な未来に泣き、たった一人、
未知の世界へと入っていかねばなりません。


お釈迦さまの、この一大事の解決一つを
教えられているのが、真実の仏教です。


●往くは、光明輝く弥陀の浄土

釈尊は、一切経の結論として、
『大無量寿経』に、

一向専念無量寿仏」とおおせになり、 
(※無量寿仏=阿弥陀仏)
後生の一大事の解決は、
大宇宙最高の仏である
阿弥陀仏の本願によるしかない。
だから、阿弥陀仏一仏に向き、
阿弥陀仏だけを信じよ

と明言されています。
 

 
蓮如上人も、だから『御文章』に、
これによりて、ただ深く願うべきは後生なり、
信心決定して参るべきは
安養の浄土なりと思うべきなり

とおっしゃり、
阿弥陀仏を信ずるよりほかに、
後生の一大事を解決する道は
決してないぞ
、と明かされています。

弥陀は、その誓願に、
「死後のハッキリしない暗い心を一念で破り、
‘極楽浄土へ必ず往ける’大安心、
大満足の身にしてみせる」
と誓われています。

この阿弥陀仏の本願を信じ切れた時、
この世は生きてよし、
死んでよしの無上の幸福に生かされ、
死後は必ず弥陀の浄土へ往生しますから、
後生の一大事は完全に解決いたします。


しかも極楽の蓮台(れんだい)に
仏として生まれれば、
懐かしい人たちとも再会できるのです。

『阿弥陀経』には、
「倶会一処(くえいっしょ)」と
説かれています。
弥陀の浄土は、ともに一処に会うことのできる
世界だからです。


ただ、ここで、
真実の信心をえたる人のみ
本願の実報土(極楽浄土)によく入ると知るべし

               (尊号真像銘文)
と、親鸞聖人が明言されているように、
浄土へ往けるのは、真実の信心、
すなわち阿弥陀仏から賜る他力の信心を
得ている人のみである
ことを
よく心得ていなければならない
でしょう。

蓮如上人も、
一念の信心定まらん輩(ともがら)は、
十人は十人ながら百人は百人ながら、
みな浄土に往生すべき事更に疑いなし

とおっしゃり、
死後、浄土に往生できるのは、
一念の信心(他力の信心)を獲得した人だけだぞ

と目釘を刺しておられます。

●信心の異なる者は、再会できない。

親鸞聖人三十四歳の御時、
そのことを明らかになされたことがありました。
法然上人のお弟子であった聖人は、
ある時、聖信房、勢観房、念仏房らの
そうそうたる高弟の居並ぶ前で、

「法然上人の信心も、この親鸞の信心も、
少しも異なったところはございません。
全く一味平等でございます。」
と喝破なされた。

「そなた何様のつもりだ」
「お師匠さまを冒涜するにもほどがある」
聖人のあまりに大胆不敵な発言に、
憤慨した三人は激しく難詰(なんきつ)する。
智恵第一、勢至菩薩の化身と尊崇されていた
法然上人の信心と同じになれるなど、
夢にも考えられぬことであったからでしょう。

朝夕、ともに法然上人の説法を聞いていても、
上人の告白される血を吐く懺悔もなければ、
飛び立つような大慶喜心もない。
これはなぜだろうと思ってはみますが、
お師匠さまと同じ信心になれるはずがないと
思い込んでいますから、
親鸞聖人のお言葉は大変な驚きであったのです。

その時聖人は、穏やかに、
「皆さん、お聞き違いくださいますな。
この親鸞は智恵や学問や徳がお師匠さまと同じだと
申しているのではありません。
ただ、阿弥陀仏より賜った他力金剛の信心一つは、
微塵も異ならぬと申したのでございます。」
と断固として言い切られました。

この激しい信心の諍論に対して法然上人のご裁断は、
実に快刀乱麻を断つ、明快そのものでした。

皆さん、よく聞きなさい。
信心が異なるというのは、
自力の信心であるからだ」
「自力の信心は、智恵や学問や経験や才能で
作り上げたもの。
その智恵や学問や経験や才能は、
一人一人異なるから、
自力の信心は、一人一人違ってくるのだよ

「他力の信心は、
阿弥陀仏からともに賜る信心だから、
だれが受け取っても皆、
同じ信心になるのである」
「それゆえに、阿弥陀如来から賜った私の信心も、
親鸞の信心も、少しの違いもない。
全く同じになるのだよ。」


「いいですか。この法然と異なる信心の者は、
私の往く極楽浄土には往けませんよ。
心しておきなさい。」

と、キッパリと相手の顔色をうかがわずにおっしゃいました。

同一の信心でなければ、
同一の世界には生まれられません。
自力の信心は一人一人異なり、
後生も一人一人の世界に堕ちていきますから、
再会はかないません。

この世だけの友だけでは情けない。
未来永遠の友でありたい、
との法然上人の慈愛あふれるお言葉なのです。



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泣くな、友よ
    浄土でまた遇おうぞ

かつて、
「一向専念無量寿仏」をあまりに強調されたため、
法然、親鸞両聖人が、神信心の権力者の怒りを買い、
流刑に遭われたことがありました。
法然上人は南国・土佐へ。親鸞聖人は越後へ。

旅立ちの前夜、
「お師匠さま・・・。
短い間ではございましたが、親鸞、多生の間にも、
遇えぬ尊いご縁を頂きました」
と嘆き悲しむ聖人に、

法然上人は優しく語りかけられます。
「親鸞よ。そなたは越後か・・・・。
いずこに行こうと、ご縁のある方に、
弥陀の本願をお伝えしようぞ。
くれぐれも達者でな」

「はい、お師匠さま。
お師匠さまは南国・土佐へ・・・。
遠く離れて西・東。
生きて再びお会いすることができましょうか。」

恩師との別れを惜しむ親鸞聖人は、
一首の歌をしたためられます。
「会者定離 ありてはかねて 聞きしかど
    昨日今日とは 思わざりけり」

法然上人は、次の返歌を贈られました。
別れ路の さのみ嘆くな 法の友
   また遇う国の ありと思えば

たとえ今生で再会できなくても
しばしの別れ、嘆くな親鸞よ、
再び会える世界(弥陀の浄土)が
あるのだからとの仰せです。


●半座あけて待っているよ

ご臨末の近づかれた親鸞聖人も、
浄土往生の確信から、
「この身は今は歳きわまりて候えば、
定めて先立ちて往生し候わんずれば、
浄土にて必ず必ず待ちまいらせ候べし」
              (末灯鈔)

「親鸞、いよいよ今生の終わりに近づいた。
必ず浄土に往って待っていようぞ。
間違いなく来なさいよ。」
と明言されています。


‘必ず浄土で待っているぞ’と、
力強くも温かく、末代の私たちに
語りかけてくださっているのです。



真宗の盛んな村に、仏法熱心な夫婦があった。
平生から弥陀の本願を喜ぶ身になっていた夫は、
(阿弥陀仏に救われていたということ)
いよいよ臨終が近づいた時に、
ともに苦楽を乗り越えてきた愛する妻に、
こう告げた。
おまえと一緒になれて、
本当によかった。
極楽の蓮台で、
半座空けて待っているからな

妻の目に、熱いものがこみ上げたという。

縁あって同じ家に生まれ合わせた家族と、
この世限りの縁では寂しい。

親子、夫婦そろって
弥陀の本願を聞かせていただき、
(弥陀の本願を聞くとは、弥陀に救われるの意味です。
聞即信と言われるように、弥陀の「助けるぞ!」の呼び声を
腹底にある我々の本体、阿頼耶識が聞く一つで助かるからです。)
ともに弥陀の浄土で再会する
未来永遠の家族とならせていただきたいものです。



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