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一切経を読み破るとはどういうことか!? [蓮如上人]

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(蓮如上人・親鸞聖人の教えを一器の水を一器に移すかのごとく正確に、日本中に広められた高僧)


浄土真宗でもっとも大切なことは、
信の一念である。
「信の一念」とは、平生に阿弥陀仏の本願に救い摂られて、
現在ただ今が、光明の広海、絶対の幸福になった瞬間の体験をいう。
「一念」とは、「時剋の極促」きわめて短い時間である。

蓮如上人は『御文章』の五帖目二通に、
あながちにもろもろの聖教を読み、
物を知りたりというとも、一念の信心のいわれを知らざる人は
徒事(いたずらごと)なりと知るべし

と仰せられ、万巻の仏教書を読破した大学者といえども、
阿弥陀仏に救われた信の一念の体験がなければ、
いたずら事
だと、言い切っておられる。

それをまた、
それ八万の法蔵を知るというとも、
後世を知らざる人を愚者とす。
たとい一文不知の尼入道なりというとも、
後世を知るを智者とす
と、五帖目二通で仰せられ、
釈尊の遺された経典のすべてを読破しても、
信の一念の体験がなければ愚者であり、
無学文盲の人といえども、弥陀の本願に救われて
「いつ死んでも浄土往生間違いなし」
と後生未来のはっきりしている人こそが、
真の智者である
と仰った。

信の一念を体験した真の智者には、
体験のない学者は到底、太刀打ちできない。

幕末のころ、四国讃岐の国(今の香川県)に、
庄松同行という妙好人がいた。
(妙好人とは、阿弥陀仏に救われた人)
無学ながら、一念の信心のいわれを体得し、
驚くような言動を残している。
世間で大学者といわれていた人物でも、
庄松にはかなわなかった。
庄松が四国の塩谷別院の風呂炊きをしていた時、
京都から有名な大学者の和上が、
別院に説教に来る事になった。
「生き仏」とまで尊崇されていた和上の巡教とあって、
四国中から同行が押しかけた。

当日、別院の本堂は立錐(りっすい)の余地のない超満員。
庄松は最前列の中央に席取りをして、
和上の説法を聞いた。
季節は夏、今日とは異なり、クーラーもない本堂で、
和上は汗みどろの説教である。
終了後、和上、別院の僧より、風呂の案内をされ、
湯殿に向かった。
何しろ汗びっしょりなので、サッパリしたい。
湯殿についた和上、ザボンと湯船につかってから、
その風呂場に手ぬぐいが一本も置いていないことに
気がついた。
体を拭くものがなければ出られない。
困惑した和上、外で物音がするので、
「誰かおらんか」と尋ねれば「ヘーイ」と妙な返事をする者がいる。
「すまんが、手ぬぐい一本持ってきてくれんか」
「ヘーイ」やはり奇妙な返事。

●「仏法を売り物にして・・・」
          ブツブツ呟く庄松

やがて男が湯殿に入ってきた。
庄松である。
勿論、和上はそれが有名な庄松同行とは知らない。
どこか頭のおかしな三助(風呂炊き)くらいに思っている。

庄松が右手でつまんで差し出した手ぬぐいを見て、
和上はびっくり仰天。
どこかのドブで拾い上げてきたような、きたない物だった。
まさにフンドシを醤油で煮しめたような、と言っても過言ではない。

どこへ行っても「生き仏」と崇(あが)められる和上である。
そんな汚いもの、見たこともない。
触るのもいやだと思った。
見れば三助、どこか一本抜けたような顔をしている。
この男に背中をながさせてやろうか、
さすれば、終了後、少しはきれいになっているだろう、
バカとハサミは使いようだとでも思ったのであろう。


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「すまんが、来たついでじゃ、背中流してくれんか」
「ヘーイ」
庄松、早速、和上の背中を例の汚れた手ぬぐいで洗い流し始めた。
ところが、背中流しながら、ブツブツ、何かを言い始めた。
和上、気になって後ろの男が何を言っているのか、
聞き取ろうとするが、小声で四国なまりだけにハッキリしない。

耳をそばだてて、注意深く聞いていると、
どうも、「こん畜生、こん餓鬼、よう肥えてくさる。
仏法を売り物にして歩いて、カゴに乗って歩いて
よう肥えてくさるなあ。
こんな奴が地獄に堕ちたら、鬼が喜ぼうのう。
こん畜生、こん餓鬼
」と繰り返しているように聞こえるのだ。

和上にとってみれば、誰のことを言っているのかと思う。
ワシの事か、他人の事か。
これまで、どこに布教に行っても「和上さま」「生き仏さま」
と敬われるばかりで「こん畜生、こん餓鬼」などと、
勿論言われたことはない。
この男、誰か他人の事を言っているのだろう。
と思うが、「仏法を売り物にして歩いて、よう肥えてくさる」
と言われれば、自分は二十二貫、確かに太っているし、
仏法を説いて、布施を受けているのだから、
「売り物にして」と言えないこともない。
「カゴに乗って歩いて、ごちそう食って歩いて」
と言われれば、和上と敬われ、確かにカゴに乗り、
毎日、ごちそう攻めではある。
やはり自分の事かいな。

しかし、「こんな奴が地獄に堕ちたら鬼が喜ぼうのう」との言葉は、
自分には当てはまらないではないか。
一切経を丸暗記している程の俺が地獄に堕ちるはずがない、
もしそうなら、誰が浄土に行けるのだ。
そう考えると、やはり、後ろの男は、誰か他人のことを言っているのだろうと思うが、
何しろハッキリ聞こえないので、何とも断定できない。
やがて洗い終わって庄松が去っていった。

●庄松、大喝一声
      まず自分が信心決定


(※信心決定とは、平生に阿弥陀仏に救われること)

再び湯船につかりながらも、変な奴が別院におるなあ、
一体誰のことを言っていたのだろう、
どう言っていたのだろう、などと思えば、気持ちのよいものではない。

早々に風呂を出て、長い廊下を控えの部屋に向かった。
すると途中で、背中を流してくれた男とバッタリ、出くわした。
すれ違おうとした時、
「オイ、ちょっと待て」
「へい」
「先ほど、ワシの背中を洗ってくれたのはお前ではなかったか」
「へい、オラやった」
「お前、あの時、背中流しながら、何やらブツブツ言っていたが、
あれは何を言っていたのか。
もう一度、ハッキリ聞かせてくれんか」
「ああ、あの時か、あの時言っていたことは、
こん畜生、こん餓鬼、仏法売り物にして歩いてごちそう食って歩いて
カゴに乗って歩いて、よう肥えてくさる。
こんな奴は、地獄に堕ちたら、鬼がさぞかし喜ぶやろうなあ、
こん畜生、こん餓鬼、と言っていたのじゃ」と、大声で言った。

今度はハッキリそれを聞いた和上、顔色が変わった。
これはまともに自分のことなのだ。
「おのれ、お前は誰に向かって・・・」と和上の怒りが爆発する直前、
機先を制して庄松が放った大喝一声、
今日の説教、あれは何じゃ。
要が抜けとるぞ、ワシの胸に少しもこたえなかったぞ。
他人に信心決定せよ、と言うなら、
まず自分が信心決定してかかれ、
自分が信心決定しておらず、
一念の信心のいわれも知らず、他人に信心決定せよと言っても、
こたえんぞ


●「和上急病、説教中止」
       自信を粉砕された和上

腹底を見抜かれ、図星をされてしまった和上、
顔面蒼白になり、腰が抜けて、
廊下にヘナヘナとへたり込んでしまった。
「そなたは一体誰じゃ」
「オラか、庄松と言うモンじゃ」
「そなたが、庄松同行か。
四国讃岐の別院に庄松同行とかいう、信仰の徹底した者がいるとは、
本山でも聞いておったが、そなたのことであったか」
和上、自分が信心決定してから、他人に信心決定せよ、
というのなら話は分かるが、今日の説法は学問だけであって、
自分の信心決定した体験の喜びがなかったではないか。
大事な一念の信心の要が抜けておるぞ、
まず自分が、信心決定し、日本晴れの大満足の心になって、
それからじゃ、説教は

「ようこそ、言ってくれた」
と一言、言ったきり、和上立ち上がろうともしない。
庄松の一言で、学問で築き上げた自信を木っ端みじんに粉砕され、
説法できなくなってしまった。

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別院での説法は三日間の予定だったが、初日にこうなってしまったので、
翌朝、別院の門の扉は閉じられ、
「和上急病、説教中止」の張り紙が出たのである。

事情を知らない同行衆は、
「昨日、あれ程、お元気だったのに、どこか悪くなったのか」
遠路、泊まりがけで来ていた人々もいたので、
不満が渦巻いたが、別院側としてはまさか、
和上の信仰が崩れて説法できなくなった、とも説明し難い。

●聞法を重ねた和上
      「私の善知識は庄松同行」

蓮如上人は『御文章』にすべての人間が「無明業障の恐ろしき病」に
かかっていると仰せられている。
肉体の病気ではなく、「心の病」である。


無常を凝視し、死んだらどこへ行くのか、と魂に自問してみるとき、
底知れぬ不安を感ずる。
後生と向かえば、暗い心がある。
これが無明であり、「恐ろしき病」といわれる。
「心の病気」である。

「まだまだ死なん」と死を遠い先の問題と思っている人には、
自覚症状がない。
ガンも初期には自覚症状がなく、病気が進行して、
本人に症状が現れたら、ほとんど手遅れの状態であるから、
恐ろしいのだ。

庄松に指摘された和上、
自分は仏教の学問は重ねてきたが、
まさに八万の法蔵を知るといえども、後世を知らざる者を愚者とす、
という愚者であった。
一念の信心のいわれを知らぬまま、死ねば必ず、地獄行きの大馬鹿者であった


猛反省し、心機一転、説法を止めて、ひたすら、聞法精進の身となった。
信心決定を求めての聞法を重ねた。

これはなかなか出来ないことである。
ややもすると、寺に生まれ育った人たちは、
もはや生まれながら阿弥陀仏に救われてしまっている、とでも思いがちである。
在家の人々が、雨風雪はもののかずかは、と真剣に聞法しても、
寺の家族に、その真剣さがない所が多い。
この和上は、その点、立派である。


やがて信仰が徹底し、再び説法に立つようになった時、いつも、
私の善知識は、讃岐の庄松同行だ。
もし、庄松同行に遇わなければ、私は、仏教の学問を信心と勘違いし、
今生は空しく地獄に突っ走っていただろう。
庄松同行には感謝が絶えない

と語っていたと伝えられる。


(※善知識とは、正しい仏教を伝えてくれる先生のこと)


まさに「後世を知らざる者は愚者」
「一念の信心のいわれを知らざる者はいたずら事」との自覚が大切である。


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●白隠もかなわなかった 
      七三郎の妙答

信仰の徹底した妙好人と、大学者に関する、もう一つの話、
三河の七三郎と、禅僧・白隠について語ろう。
江戸中期、三河国(愛知県)に七三郎という妙好人がいた。

ある日、七三郎が念仏しながら、野良仕事をしていると、
禅宗で中興の祖といわれる白隠が通りかかった。
「ははあ、あれが有名な三河の七三郎だな。
少しからかってやろうか」
と、七三郎に問答をふっかけた。

「そなたは七三郎ではないか」
「はい、そうでございます」
「先ほどから見ていると、しきりに念仏を称えているが、
何のまじないかな」

浄土真宗では、占い、まじない等の迷心を一切否定している事を
百も承知の上の、白隠の質の悪い質問だ。

いやいや白隠さま、これはまじないではありませんよ。
阿弥陀仏に救われた私が仏恩報謝に称えている他力の念仏ですよ、
と七三郎が言うかと思った。
それなら当たり前の回答である。
ところが、
「はい、白隠さま、これは、大変なまじないでございます」
と予想外の返事。
真宗がまじないを肯定していいのか、と思いつつも、
「一体、どんなまじないか」
「これはですね、鬼が転じて仏になるまじないです」

天下の学僧白隠が、無学な七三郎に手玉に取られてしまった。


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○阿弥陀仏はどこに

負けてなるものか、と白隠反撃を試みた。
『阿弥陀経』には阿弥陀仏は、西方十万億の仏土を過ぎた所に在す、
と説かれ、『観無量寿経』には「阿弥陀仏、ここを去ること遠からず」
とある。
一方では遠く、一方では近くと説かれているので、
古来問題になっている。
この点を示して七三郎から一本取ろうと白隠は考えた。

「七三郎、お前たちの信じている阿弥陀仏は、どこにおられるのじゃ」
と質すと、
「はい、西方十億万の仏土を過ぎた極楽世界におられます」

ハハア、『阿弥陀経』で答えたな、
ならば、『観無量寿経』を持ち出して、問いつめてやろうと考えた。
「ほほう、そんなに遠くにおられるならば、
肝心な時に間に合わないではないか。
ところで、七三郎・・・」

と言いかけた時、さえぎるように、
「しかし白隠さま、今は阿弥陀仏は極楽世界におられません。
ご巡教中です」

巡教とはこれまた意外な事を言い出した。
「それは面白い。どこにご巡教中なのじゃ」
「日本でございますよ」
「日本のどこかな」
「この三河です」
「何と、三河のどこに阿弥陀仏が来ておられるのじゃ」
と、白隠が詰め寄ると、七三郎ここぞとばかり、
大喝一声、
「ここじゃ」
と拳で胸を叩いたのである。

阿弥陀仏に救われた人は、
三代目覚如上人が、
「本願や行者、行者や本願」
と言われたように、仏心凡心一体の身となる。
これを仏凡一体という。

一切経を頭で読んだ白隠も八万の法蔵を体で読み破った
妙好人七三郎には手も足も出なかったのである。


●真の大仏教学者

親鸞聖人は『正信偈』に、
聞信如来弘誓願(もんしんにょらいぐぜいがん)
仏言広大勝解者(ぶつごんこうだいしょうげしゃ)」
と言われている。
「如来の弘誓願を聞信すれば、仏は『広大勝解者』と言う(のたまう)」
と読む。
「広大勝解者」とは大変な仏教学者、の意である。
「あながちにもろもろの聖教を読み、
物を知りたりというとも、一念の信心のいわれを
知らざる人は徒事(いたずらごと)なりと知るべし」

「一念の信心」の体験のある人こそ、真の大仏教学者なのである。


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