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釈迦は何に苦しまれたのか [釈迦]

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●悉達多太子は何に苦しまれたか
(※悉達多太子とは、お釈迦さまが仏になる前のお名前)

世界の屋根、ヒマラヤ山脈のふもと(今日のネパール)に、
かつての釈迦族の国があった。
首府はカピラ城といい、城主・浄飯王(じょうぼんのう)の
統治によって栄えていた。
後にお釈迦さまとなる悉達多太子(しったるたたいし)は、
浄飯王と妃・マーヤ夫人の間に生を受けられる。

満開の花咲き誇る四月八日、初産のため故郷へ戻る途中のマーヤー夫人は、
ルンビニーの花園で太子を出産された。
今日、お釈迦さまのご生誕を「花祭り」といってお祝いするのは、
このことに由来する。



太子は、幼い頃から大変聡明で、七歳の時、文武の師に、
国一番といわれるバッダラニーとセンダイダイバーを迎えられる。
師が一を言えば十を理解し、友人たちと技芸を競えば、
筆写、計算、弓道、剣道、馬術、相撲など、
いずれも連戦連勝して、周囲を驚嘆させた。
あまりの優秀さに二人の師は「もうお教えすることはありません」
と父王に辞職を願い出たといわれる。
以後、太子は独学で歩まれることになる。

生まれながらにして最高の地位、名誉、財産、才能を持ち、
思うままの生活を約束されていたが、
内省的な性格だった太子は、年を追うごとに悩みを深め、
物思いにふけるようになっていかれた。


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ある時、虫をついばむ鳥が、さらに強い鳥に襲われるのを見て、
自然界の弱肉強食の現実を知る。
「これは動物の世界だけのことだろうか」
太子の身の回りにも、同様の批判を向ける。
当時のインドには厳しい身分制度があり、
身分が違えば婚姻はおろか、口をきくことすらできなかった。
奴隷は市民に使われ、その市民に武士は権力を振りかざす。
武士の中でも王族が最も強いが、常に大国の脅威にさらされている。
弱者は虐げられ、強者だけが生き残るのは、人間界も全く変わらないではないか。
「では強いものは本当に幸せなのか」
金や権力がなければ苦しむが、有れば奪われはしないかとまた苦しむ。
有っても無くても、苦しんでいることには変わりはない。
世の矛盾を感じ、変わらぬ幸せがどこかにないものか、
幾日も考え込まれる日が続いた。


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気晴らしに、カピラ城の外に出た。
東門から出ると、顔にしわが寄り、歯は抜け落ち、腰の曲がった老人が、
杖を突いてよろよろと歩く姿を見て、大変な衝撃を受ける。
「今はまだ若く、体力もあるが、私もやがて必ず衰え、
老苦にあわねばならぬ時が来るのか」

南の城門を出ると、伝染病で身体はやせ細り、
道ばたでうめき苦しむ病人に出会う。
「健康な私も、いつ病に襲われるか分からない」

西の門を出たとき、葬式の列に出くわす。
「ああ、生あるものは必ず死に帰す。
私もいつか死んで、あのように野辺送りされる日がくるのだ。
明日かも知れぬ、いや、今晩かも。
王族や金持ちも庶民も皆同じだ」

人間である以上避けられぬ「老・病・死」の現実を眼前に突きつけられて、
悉達多太子は深い苦悶に陥った。
人々は、日々老いや病の不安と必死に闘っているが、
どれだけ抵抗しようと、やがて必ず死んでいく。
そうまでして生きていかねばならぬのは、一体何のためだろうか・・・



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最後、北門を出た時に出会われたのが、法服姿の修行者であった。
太子はこのとき以来、出家して老・病・死に直面しても変わらぬ幸福を求めたいと、
強く願われるようになった。
これが有名な太子の四門出遊である。

ある日、意を決し、父王の前に手を突いて出家を申し出る。
王は驚き、
「おまえはわしの跡を継いで、この国を治めねばならんのだぞ。
何が不足でそんなことを言い出すのだ。
望みは何でもかなえてやる。
だから、城を出て行くなどとは言わないでくれ」

「父上、それでは申しましょう。私の願いは三つです。
一つは、決して老いない身になること。
一つは、決して病にかからぬ身になること。
そして、決して死なない身になること。

この三つの願いをかなえてくださるならば、出家を思いとどまりましょう」
「バカな!何と無茶なことを言うんだ。そんなことできるものか」
父王はあきれて、その場を立ち去った。

●「年を取りたくない」    
       遠ざけたい現実

ここで提起されている悉達多太子の三つの願いは、
そのまま私たちの願いであるとも言えないでしょうか。
「面影の 変わらで年の 積もれかし
たとい命に 限りがありとも」
(この美しさのままで年を取りたい。たとえ命に限りがあっても)
と詠んだのは平安時代の美貌の歌人・小野小町と言われています。
老醜をさらしたくない、とため息をつくのは彼女だけではないはずです。

近頃よく聞く「アンチエイジング」
抗老化・抗加齢のことで、文字通り老いにあらがい、
体の内外から若返りを図ることです。
書店にはダイエット法や美肌を保つマッサージ法を紹介する本が並び、
書籍の売り上げのランキング上位に名を連ねています。
せっせとエステに通い、スポーツジムやエアロビクスで体力作りと、
お金や時間をかけて必死に「老い」を遠ざけようとするのは、
私たちにとってそれほどイヤなものだからでしょう。

年を取ると、一挙一動がもの憂くなり、ほかの人の介護を受けるようになります。
少子高齢化で、介護する側も高齢者の「老老介護」が問題化しています。

自分のことさえ大変なのに、相手の体を布団から起こしたり、
風呂に入れたり、毎日の食事の世話など、
付きっきりで介護する負担は相当なものでしょう。
中には、精神的に追いつめられて、心中や殺人に発展するケースもあります。
ある年の四月、大阪府で、八十三歳の男性が自宅で首をつっているのを、
訪ねてきた娘が発見。
認知症の妻が近くに倒れており、遺書も見つかりました。
夫も持病を抱えていたといいます。
迫り来る「老い」は他人事ではないでしょう。

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●健康志向のウラには

`まだ若いから、老後なんて先のこと’
と言っている人も、年齢に関係ないのが病苦。
病はスキあらば私たちの体をむしばむからです。

世を挙げての健康ブームも、
ウラを返せば、病が不安だからでしょう。
有機栽培の野菜が飛ぶように売れ、
体に悪い添加物など取らないように、
と食品の表示を確認する目も真剣そのものです。
ある食品がテレビ番組で体にいいと紹介されると、
たちまち人々がスーパーに殺到し、売り切れ続出になることもしばしば。

しかしどんなに気をつけていても、「人間は病の器」
医学が長足の進歩を遂げている今日も病はなくなりません。
忙しいときは、病気にでもなってしばらく入院したいと
思っている人もあるでしょうが、
いざ病気にかかるとこれほどつらいことはないものです。

病気になったら、昨日までの健康は喜べません。
肉体は衰え、立ち居振る舞いもままならず、
痛苦にさいなまれる。
飲食や便通も人の助けが必要になることもあります。
そうならないように、病気が発症しないうちから注意を促す予防医学も、
今日注目されています。

●「死」・・・
      すぐそこにある問題

ではなぜ人は「老い」や「病」に目を背けたがるのか。
それは「死」と直結するからでしょう。
どんなに目を背けても、
一日生きたということは確実に一日死に近づいたということ。
これは何人(なにびと)も否定できない厳粛な事実です。

確実な未来をまじめに考えず、向き合うことを先送りし、
目先のことばかり考えていて、賢明といえるでしょうか。


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生と死は関係ないことと思いがちですが、
そうではないとお釈迦さまは教えられました。
仏教に「生死一如」という言葉があります。
生と死は「一つの如し」
どんなに薄い紙でも必ず表と裏があるように、
生きることと死ぬことは表裏一体、隣り合わせであるということです。
生と死は、台所とトイレの関係に例えられます。
台所は、食事するところ、皆が好む。
一方、トイレは臭くて暗くて、誰もが嫌う所。
しかし、「トイレは嫌だから、うちには要らない」
という家があるでしょうか。


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トイレがなければ、食べるときから不安です。
例えば、バスで長距離移動するとき、
まず心配するのはトイレです。
しばらく行けないとなれば、飲食を控えざるをえません。

毎日台所で心おきなく安心して食事ができるのは、
いつでも安心して使えるトイレがあるからでしょう。
キライ、イヤだからと「死」から目を背けるのは、
トイレを準備せずに台所のことばかり考えているのと同じです。

お金が儲かれば、財産が殖えれば、社会的地位や名誉を手に入れれば、
家族や恋人に恵まれれば、立派なマイホームを建てれば・・・
とどうすれば明るく楽しく生きていけるかばかり考えています。
それらはしかし、生を前提に求めているもので、
ひとたび死が来れば根底から崩れ去ってしまう。
その恐ろしい死は、いつも生の向こう側に透けて見えている。
たとえ死を見ないようにしても、不安は解消しません。
ごまかしに過ぎないからです。

死をまじめに見つめ、不安の根本を解決してこそ、
一息一息が真に輝く人生になるでしょう。
悉達多太子が真の幸せを求めた原点も、
まさにここにあったのです。

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真夜中の出家
  「ああ、だまされていた・・・」



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父王は、太子が怏々(おうおう)として楽しまない様子を見て、
時節に適した四季の御殿を建てて、
五百人の美女をかしずかせ、昼夜歌舞を奏して太子を慰めようとした。
「私の考え過ぎなのか?
この美しい女たちといれば、悩みも晴れるのかもしれない・・・」

戯れの数年が過ぎた。
ある真夜中、ふと目を覚まされた太子は、周りを見渡して
驚愕する。
五百人の女たちが、昼間の美しい容姿は見る影もなく形を乱し、
眠りこけているのである。
「ああ、だまされていた。
この女たちの醜い姿こそ、本当の人間の姿なのだ」
もはや居ても立ってもいられない。
今こそ出家の好機なりと決断された。

最愛の妻・ヤショダラの静かな寝息を聞き、幼い息子の寝顔に語りかけるように、
「今抱き締めれば目を覚まし、出家を止めるに違いない。
私の心はまた揺れる。すまぬ、ヤショダラ、わが息子よ。
このまま出ていくことを許しておくれ。
必ず、必ずおまえたちが本当の幸せになる道を伝えに、
戻ってこよう。」

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部屋を後にされるや、シャノクという使者を召し出し、
白馬ケンジュクに乗って、夜半に城を抜け出られた。
太子二十九歳、二月八日のことであった。

●なぜ仏教を聞かねばならないのか

「通さぬは 通すがための 道普請(みちぶしん)」
道路工事があると、通行止めや片側通行で不便になる。
でもそれは、決して困らせようとしているのではなく、
道路を整備して多くの人をより安全・快適に通すための一時の不自由なのです。
城を出れば、一時は家族を悲しませることになるでしょう。
だが自分一人だけではなく、愛する家族や国の民、
さらには何千年後の人をも永遠に幸せに導くためなのだと、
太子は出家を断行なされたのです。

かくて勤苦(ごんく)六年、三十五歳十二月八日、
ついに最高無上の仏のさとりを開かれ、仏陀釈迦牟尼世尊となられました。

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以後、八十歳でお亡くなりになられるまでの四十五年間、
万人が真実の幸福に救われるただ一本の道を説き続けていかれたのです。
その教えこそが仏教です。


その仏教の真髄を、後世の私たちに正しく伝えられた方が、
八百年前、この日本にお生まれになった親鸞聖人でありました。

聖人のお書きになられた『正信偈』には、次のように教えられています。
如来所以興出世 唯説弥陀本願海
釈迦如来がこの世にお生まれになり、
仏教を説かれた目的は、
本師本仏の阿弥陀如来の本願一つを開示せんがためであったのです。

私たちがこの世に生まれ、生きる目的もまた、
ただこの弥陀のご本願一つを聞き開き、
「老・病・死」にも決して崩れぬ幸せの身になるため。
これが仏教を聞くたった一つの目的なのだ
よと、
親鸞聖人は朝夕の勤行(おつとめ)で明らかにされてくださっているのです。



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