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天親菩薩、大乗仏教に乗りかえて弥陀に救われる! [天親菩薩]

(天親菩薩)
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「釈迦の説かれた一切経にいかにすごい阿弥陀仏の誓願が説かれていても、
正しく伝えてくださる方がなかったならば親鸞、
阿弥陀仏に救い摂られることはなかったであろう。」
親鸞聖人はインド、中国、日本の七人の高僧のお名前を挙げて、
その広大なご恩に感謝しておれらます。
そのお一人が、インドの天親菩薩です。

七高僧とは、
①龍樹菩薩(インド)
天親菩薩(インド)
③曇鸞大使(中国)
④道綽禅師(中国)
⑤善導大師(中国)
⑥源信僧都(日本)
⑦法然上人(日本)


聖人がいかに天親菩薩を慕われていたかは、
天親菩薩の「親」の字を頂いて、親鸞と名乗られたことでも、
よく分かります。

ちなみに親鸞聖人は、ご幼名を松若丸といわれ、
九歳で出家されてより範宴(はんねん)といわれました。
二十九歳で法然上人のお弟子になられてからは綽空(しゃくくう)、
善信と名を変えられ、三十五歳の越後流刑後、
最後に名乗られたのが親鸞というお名前です。

この親鸞、天親菩薩のご教導なかりせば、
弥陀の本願に救われることはなかったであろう。
天親菩薩のご恩を忘れることはできない。
皆さんも天親菩薩の教えを聞いてもらいたい
と正信偈に書き記されているのです。




●天親菩薩とはどんな方か

親鸞聖人がそれほどまでに崇敬される天親菩薩ですが、
最初から真実の仏教に帰依されていたのではありません。
そこには紆余曲折がありました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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天親菩薩は、釈尊入滅後より約九百年後、
インドの北西、カシミール地方に生まれられた。
二十歳のころ仏門に入ったが、生来賢明にして
才知豊かな天親は、たちまち広く異才を知られる存在になっていった。
だが一つ重大な問題があった。
天親は小乗仏教に迷っていたのである。

そんな天親を心配したのが、兄・無著(むじゃく)であった。
無著菩薩は、初め小乗仏教を求められたが、
やがて大乗仏教に転向し、大乗仏教の宣布に力尽くしていた。
二人は激しく対立し、議論を繰り返した。

天親よ、おまえの学んでいる小乗仏教は、
聞き誤った助からぬ教えなのだ。
釈尊の真意を知りたいと思うなら、
一日も早く大乗仏教を聞いてくれ

「兄さん、兄さんこそどうして大乗仏教など信じられるのですか。
大乗仏教が本当に釈尊の説かれたものか疑問です。
そんなもので釈尊の真意が分かりましょうか」

ついに兄の制止も聞かず、天親は家を飛び出してしまった。

●大乗仏教と小乗仏教

ここで大乗仏教小乗仏教について解説しておきましょう。
大乗仏教とは、釈尊の御心を正しく伝えた仏教であり、
それに対して小乗仏教は、聞き誤って伝えられた仏教です。


いろいろな誤りがありますが、最大の誤りは、
真実の仏教は自利利他の教えであるのに対して、
小乗仏教は我利我利であるところです。

自利利他とは、砕いて言うと、
自分が儲かるそのままが他人が儲かる。
自分が儲けるために人に損をさせてはならない。
人に得をさせるままが自分の得になるということです。

それはよいに決まっているけれど、
そんなことが本当にありえるのか、という声が聞こえてきそうです。
儲けるとは、人が大事にしているお金を合法的に
取ってくることだともいえましょう。
一方が儲ければ、もう一方はその分、損をする。
分かりやすく例えれば、リンゴを五つ持っているとします。
隣に二つ上げると、隣人は喜びましょうが、
こちらはその分減ります。
ところがお釈迦さまは、隣に二つ上げると、
こちらのリンゴが七つになるとおっしゃるのです。

人に施しなさい、施した人が得をしますよ。
まず人のことを考え、大事にしなさい、
そうすれば自分が大事にされ愛されますよ、
二つであって一つですよ、と釈尊は教えられました。
これが本当の仏教
なのですが、
「そんなバカな、人に与えたら私が損するではないか」
と、なかなか信じられず、誤ってしまったのが小乗仏教です。


我利我利とは、自分が儲かればいい、
他人はどうでもいいと自分中心にすべてを考えるのです。
“まず自分が仏法聞いて、まず私が喜んで、私さえ救われればそれでいい。
人のことまで心配しておれるか。
親切心を起こして嫌われるよりも黙っていよう。
一人で聞いておれば気が楽だ。”
このような考え方が、聞き損ないの小乗仏教の心です。


●舌を切っておわびします。

天親は小乗仏教を真実と思い、
兄、無著の信奉する大乗仏教をそしり散らしていた。
謗法の大罪を知り尽くしていた無著は、弟の天親を心からふびんに思い、
「天親よ、オレは治る見込みのない病気にかかった。
最後に一目おまえに会いたい」
切々たる便りを送った。
驚いた天親が、早速行ってみると講堂で兄は、
一生懸命に大衆を前に説法しているではないか。
だまされた、と知った天親は激怒して無著に詰め寄る。
「兄さんの信じる仏教は、他人をだましてもよいのですか」
静かに無著は、その時、
「天親よく来てくれた。
実はオレの病気は肉体の病気ではなく、
心の病気なのだ。
おまえは大乗仏教の尊さを知らず、
謗法の限りを尽くしてる。
その重罪によっておまえは必ず地獄へ堕つるのだ。
それを思うとオレは、いても立ってもおれぬのじゃ」

時節到来というべきか、諄々(じゅんじゅん)と兄から、
謗法の大罪を知らされた。
「死んでお詫び申します」
と泣いて懺悔する弟に、毅然と無著はこう言い放つ。
「それが小乗仏教の精神というものだ」
「それでは兄さん、大乗仏教の精神とはいかなるものですか。
教えてくだされ」
大地に両手を突いて号泣する弟に、
無著はこう優しく諭している。
「天親よく聞いた。
おまえはこれから悪口言うたその舌で、
真実の仏教を宣説(せんぜつ)するのだ。
悪を転じて善を成すのが生きた仏教であり、
大乗仏教の精神である」


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ついに天親菩薩大乗仏教の信奉者となり、
阿弥陀如来の本願力に救い摂られ、
その一生を正法宣布にささげられた。

名声はインド中にとどろき、
浄土論』はじめ仏教史上に輝く著者の数々により、
「千部の論主(ろんじゅ)」と尊称されるようになったのである。

●浄土論

「天親菩薩は論を造りて説かく」
と言われている、論とは『浄土論』のことです。
天親菩薩に限らず、菩薩の書かれたものを皆、
「論」といわれますから、論にはいろいろあるのですが、
浄土仏教で「論」といえば、
天親菩薩の『浄土論』を指すほど有名で大切なお聖教です。

では『浄土論』とは、どんな本なのでしょうか。
釈尊の説かれた一切教七千余巻の中で、
特に重要なお経が三つあり、
浄土三部教といわれます。
『大無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』、
いずれも阿弥陀如来のことを集中的に説かれたお経です。

『浄土論』は、この三部経に共通した意(こころ)を
明らかにされた論なので、「三経通申の論」といわれています。

その『浄土論』の書き出しはこうです。
「世尊我一心、帰命尽十方無礙光如来(きみょうじんじゅっぽうむげこうにょらい)、願生安楽国」

これは、
「世尊、我、一心に、尽十方無礙光如来に帰命したてまつりて、
安楽国に生ぜんと願ず」
と読みます。

世尊とは、世の中で一番尊い方という意味で、
お釈迦さまのことです

我とは、天親菩薩ご自身のこと。
尽十方無礙光如来とは、大宇宙何ものにも遮られることのない力を
持たれた仏さま、すなわち、阿弥陀如来のことです。

安楽国とは、弥陀の極楽浄土。

ですから、
お釈迦さま、あなたの教えの通り、
この天親は阿弥陀如来に一心に帰命いたしました。
そして弥陀の浄土に生まれさせていただきます
と言われているのです。

これを親鸞聖人は『正信偈』に、
「帰命無礙光如来」(無礙光如来に帰命したてまつる)
と七文字に要約されておっしゃっているのです。

●一心とは・・・「忠君は二君につかえず」

では、「一心に帰命する」とはどんなことでしょうか。
蓮如上人にお聞きしましょう。

一心一向というは、阿弥陀仏に於いて、
二仏をならべざる意(こころ)なり
              (御文章二帖目)

一心とは、阿弥陀仏だけを信じ、
ほかの仏や菩薩を並べて拝んだり信じたりしないことだ、
と言われています。
これは最も大切なことですから蓮如上人は、
「忠君は二君につかえず、貞女は二夫をならべず」と、
分かりやすい比喩まで挙げて、ご教示になっています。
この言葉は中国の歴史書『史記』に出ています。
仏教の経典以外の書ですから、蓮如上人は外典と言われています。
その『史記』には次のような有名な話があります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昔、中国の斉(せい)という国の王様が、おごりに長じて酒食にふけり、
大事な政治を怠っているのを嘆いて、
忠義な王蠋(おうしょく)という大臣がたびたび王に
諫言(かんげん)したが、
いつも馬耳東風で一切聴き入れてくれなかった。
そこで王蠋は、身の不徳を嘆いて役職を辞退して
画邑(かくゆう)という所へ隠居してしまった。

王蠋のいなくなった斉の国は崩壊を待つばかりであったので、
隣国の燕王(えんおう)が今がチャンスと楽毅(がっき)という人を
総大将として、斉の国に攻め込んできた。
斉はひとたまりもなく壊滅した。

その時、燕の大将・楽毅は、
かねてから王蠋の賢徳手腕を高く評価していたので、
燕の高官に迎えたいと幾度も礼を厚くして勧めたが、
王蠋は頑として応じようとはしなかった。
それでも楽毅が勧誘をあきらめなかったので、
最後にその使者に向かって、
「忠君は二君につかえず、貞女は二夫をならべず」
と喝破して、庭先の松に縄をかけ、
自らくびれて死んだとあります。


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蓮如上人はこのことを思い出されて、
わずか娑婆一世の主従でさえ、
忠臣は二君に仕えずと言って死んで心の潔白を表しているではないか。
ましていわんや、未来永劫(みらいようごう)の一大事の解決を
求めている者が、二仏をならべていてどうして一大事を解決できようか。

私たちの一大事の後生を救い切れるお方は、
本師本仏の阿弥陀如来しかないのだから、
弥陀一仏に一心一向になれよ
と、お諭(さと)しになっているのです。

●天親菩薩の告白

さかのぼればこれは、釈尊のご教示です。
釈迦一代の教え、仏教の結論は、
一向専念無量寿仏」(大無量寿経)
であります。
阿弥陀如来にしか後生の一大事を救う力はないぞ、
だから弥陀一仏を信じ、弥陀に助けてもらいなさい

とおっしゃったお言葉です。

“そのお釈迦さまの教えの通り、
天親は、阿弥陀如来一仏を信じ救われました”
と、天親菩薩は弥陀の救いを自ら体験し、
告白されているのです。

その天親菩薩のみ跡を慕って親鸞聖人も、
「無礙光如来に帰命したてまつる」、
これ以外に後生の一大事の助かる道はないのですよ、
と生涯、ただ弥陀の本願一つを叫び続けていかれたのです。



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