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釈迦はいかにして仏になられたか [釈迦]

動画を観られるとよく分かると思います。
(真実の仏法を説いてくださっています)
また、真実の仏法は慈悲でいっぱいなので癒されますし、
生活の指針にもなるので役立ちます。
そういう意味でも見られるといいですよ。
ブッダが家族を捨てた驚きの理由とは


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(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)


仏教とは仏の教えである。
仏教を理解するには、
最初に「仏」とは何かを知らねばならない。

世間の常識では「仏」と言えば
「死んだ人」のことのように思われている。
テレビの捕物帳、刑事物では、必ず殺人事件が発生し、
主人公が来て、「この仏の身元は分かったか」などと言う。
犯人が捕まらなければ、「これでは仏が浮かばれない」
逮捕されれば「これで仏も浮かばれる」という具合である。
「死んだら仏になる」というのは、大変な誤解である。
単純に考えても仏が死人ならば、
仏教は「死人の教え」となってしまう。
死者が仏教を説けるはずもなく、
何かがおかしいと気づいて当然だ。
死人が仏ではないのである。

無上の覚(さとり)・仏

では仏教でいう「仏」とはどのような方か。
「仏」とは、さとりの名称である。
仏教では「さとり」にも低位のものから最高位まで、
五十二の位があると説かれている。
これを「さとりの五十二位」という。

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それぞれの位に独特の名称がついており、
例えば、天台宗の開祖・天台は、
下から九段目の「五品弟子位」までさとっている。
中国の南嶽慧思(なんがくえし)は、
その上の「六根清浄位」に至っており、
『正信偈』に登場するインドの龍樹菩薩は、
最初、難行の末に四十一段目の「初歓喜地」まで到達している。
五十二段のいずれにも、このような名称があり、
この中の最高位を「仏のさとり」と言うのである。
究極のさとりであり、
全仏教徒は、最終的にここを目指すのだ。


故に仏のさとりには次のような数多くの異称がある。
仏覚・・・仏の覚(さとり)
妙覚・・・絶妙な覚
無上覚・・無上の覚、これ以上は無い。
大覚・・・大いなる覚
正覚・・・正しい覚
この仏の覚(さとり)まで到達された方のみを
仏教では「仏」と言うのである。



釈尊のご生誕

では人類史上にそのような方がおられるのか。
今日まで、この世で仏の覚に至った方は、
釈尊ただお一人である。

末法の時代ともなれば、少しばかりの修行で慢心し、
「我は仏の覚をえた」と大言して大衆を惑わす者が多く現れる、
と経典に説かれており、
好実例として「我は最終解脱者なり」と吹聴した
麻原彰晃などがいる。
これらは論外だが、
なにしろ「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし
と言われるように、釈尊のみである。

そこでまず、釈尊がいかにして仏のさとりに到達されたのか、
知る必要がある。
釈尊は、約二千六百年前、
インドに誕生された。
父を浄飯王、母はマーヤ夫人
といい、
住む城をカピラ城、その国名をカピラエ国と言った。
ヒマラヤ山麓に位置したカピラエ国は、ちょうど、
千葉県程度の広さの国であり、
決して大国ではなかった。
部族名を釈迦族と言い、
釈尊はそこに君臨する国王夫妻の王子として
生を受けられた。

久しく子供に恵まれなかった夫妻であるが、
白象が体内に入る夢とともに懐妊した。

出産が近づき、居住するカピラ城から、行列を連ねて、
夫人の実家であるくり城に向かわれる途中、
ルンビニー園という花園で休息し、そこに咲く、
純白で香りの良い無憂樹が、余りに綺麗であったので、
一枝、手折ろうとされたとき、急に産気を感じ、
王子を出産されたのである。

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ときに四月八日、百花繚乱の花園にちなんで、
釈尊の誕生を祝う行事を
「花まつり」と称するようになった。
そのままカピラ城に戻られたマーヤ夫人は、
難産だったため、
産後七日目にして逝去しておられる。

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文武に秀でた太子

待望の太子に恵まれた浄飯王は、
悉達多太子と命名した。
その喜びから、占い師のアシダ仙人を招いて
太子の将来を占わせた時、太子を一目見た仙人は、
思わずホロホロと落涙した。
王は「不吉な涙を見せるとはけしからん」
と激怒したが、仙人は言う。
この太子さまは、ただ人ではありません。
王位を継承されれば、
世界を治める転輪王(てんりんのう)となられましょう。
出家されれば、必ず、無上の覚を開かれるでしょう。
どうもそちらになられるように感じますが、
すでに余命のない私は、この方が、無上の覚を開かれ、
尊い教えを説かれるのを聞かずに
死んでゆかねばならないのです。
それが残念なのです。


やがて浄飯王は、太子を優れた後継者とすべく、
太子七歳の折、当時有名な学者バッダラニーと、
武芸の達人、センダイダイバーを文武の師として城に招き、
英才教育を開始した。

ところが、悉達多太子の聡明さは、
一を聞いて十を知り、十を聞いて百を知る。
武芸両面にも抜群の能力を示して、
たちまち、両師を越えてしまった。
ほどなく、両師が、辞職を願い出ていることからも、
いかに利発であったかがうかがえる。

弱肉強食の世界

悉達多太子十二歳の時、一つの事件が起こった。
春を迎えたある日、
城外で豊作の祈る耕転祭(田起こしの儀式)が行われた。
浄飯王が鍬を打ち込んだ後、掘り起こされた土の中から、
小さな虫が顔を出した。
すると、それを見つけた小鳥が飛んできて、
虫をくわえて飛びたった。
するとさらに、一羽の鷲が急降下して、
その小鳥を爪の間にしっかりとらえて、
いずこともなく飛び去ったのである。

一瞬の出来事に太子は呆然とする思いであった。
「地獄・・・」とつぶやいたかと思うと、
近くの大樹の下に座し、瞑想されるのであった。
「弱肉強食は自然の法則、生きるためには、
やむを得ないことなのか・・・」
すでにバッダラニーの指導により、
バラモンの根本経典である『ベーダ』を、
暗誦するほどに学んでおられた悉達多太子は、
これを契機として思索に耽ることが多くなっていった。

太子のご結婚

成長されるに従ってその傾向は強くなり、
浄飯王としては、アシダ仙人の予言が思い出されてならない。
結婚させれば、太子の憂いも晴れるだろう、
との思惑より、浄飯王は、当時、才色兼備と評判の高かった
麗人・ヤショダラ姫を太子の妃としてカピラ城に迎えようとした。
ヤショダラ姫を巡っては、
従兄弟の提婆達多(ダイバダッタ)との間に
恋い争いがあったと伝えられている。

浄飯王が、ヤショダラ姫の父親、
くり城の善覚王に婚儀を申し入れたとき、
善覚王は、
「当城の掟として娘を嫁に遣わすには、
相手が武芸の達人に限る、となっている。
もし娘をお望みならば、技能のほどを示してもらいたい」
と答えた。
提婆達多(ダイバダッタ)もヤショダラ姫への思いを
寄せていたので、
両者が武芸で競うことになったが、
所詮、提婆達多は悉達多太子の相手ではなかったという。

ヤショダラ姫との結婚により、
一時は、煩悶を忘れて、
快活に振る舞うようになった太子だが、
長続きはしなかった。
約一年後、ヤショダラ姫が男子を出産した。
使者からそれを聞かされた太子は、
「ああ、ラーゴーラが生まれたか」
と一言だけ言われた。

「ラーゴーラ」とは「支障」を意味する。
子は三界の首かせ、
自分が真理を求めるのを束縛する者が現れた、
との意味である。
太子の心が分からぬ使者は、生まれた子に
“ラゴラ”と名付けよとの思し召しと解釈して帰ったので、
王子は「ラゴラ」と名付けられてしまった。

四門出遊
    逃れられぬ老・病・死

太子の人生への疑問をさらに深めたのは、
有名な四門出遊の出来事である。

ある時、東の城門を出られた太子は、腰曲がり、
杖にたよって歩く老人の姿を見て、
人間、誰しもが、あのような老苦
あわねばならぬのだと痛感なされた。

また南の門を出て路傍に苦しむ病人をご覧になり、
病苦からも逃れ難い人間の姿を凝視なされた。

西門から出遊いた折には、葬式の行列に遇い、
万人にとって死苦の避けられないことを実感し、
愕然となされたのだ。
最後に北門を出られたとき、
法服修行の出家を見て、
自分の歩むべき道が、どこにあるのか、
さとられたのであった。

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煩悶を重ねる太子を心配した浄飯王は、
四季の御殿を建立し、
五百人の美女を侍らせ、
昼夜、歌に踊り、豪勢な食事と、
贅の限りを尽くして太子を慰めようとした。

しかし、世の無常の真実を知らされた太子にとって、
五百人の美女すら、
心からの喜びを与えるものではなかった。

二十九歳、出家

ある真夜中、ふと太子が目を覚まされると、
四辺に美女たちが、昼間の容姿は見る影もないありさまで
眠りこけていた。
いびき、歯ぎしり、よだれをたらしながら寝ている者、
昼に演じる天女の美しさはどこへやら、
生々しく無惨な醜態に、
太子は迷いの夢さめた思いであった。


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「自分はだまされていた。
これこそ彼女たちの真の姿だ。
これ以上、無駄に月日を送ることはできない」
知らずに眠りに伏すヤショダラ姫に心の中で別れを告げ、
白馬に乗って、王城を抜け出されたのである。
太子、二十九歳、二月八日のことであった。

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途中、自ら髪を剃り、太子の衣冠を脱ぎ捨て、
一僧侶となって、尼連禅河の東岸や、
苦行林などの修行の地で、無師独悟を決意し、ひたすら、
さとりを求めて精進されることになった。

太子の姿のないことを知った城内は大騒ぎとなり、
浄飯王は家来の橋陳如(きょうちんにょ)に、
太子を捜し出し、城に連れ戻すように命じた。
橋陳如は必死の探索の末、
カピラ城から実に四百キロ以上も
離れた苦行林に太子の姿を発見した。

「太子さま、捜しましたぞ。
どうか私と共に城にお戻りください。
国王も、お妃様も家来も国民も、みな案じております」
「いや、私は決して城にはもどらない。ここで修行を続ける」
「太子さま、なぜそのような苦しい修行を
なされなければならないのですか。
世に出家し、宗教に救いを求めるのは、
老人、病人、貧しい人と決まっています。
若くて健康で、衣食住何不自由のない、
太子さまが、なぜ・・・」

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橋陳如よ、そなたにはわからないのか。
この激しい無常が。
この世の一切は常が無いのだ。
若きを愛すれど、すぐに老いてしまう。
地位権力とて、いつまでも保ち続けることはできない。
城中での栄耀栄華も、
死に臨めば、何の喜びにもならないのだ。
いつくずれるか分からぬはかない幸福に
酔っているのは愚かなことだ。
私は何物にも揺らぐことのない
絶対の境地を求めねばならないのだ


悉達多太子の決心は盤石であった。
橋陳如を退け、六年間にわたる難行が始まった。
当時の苦行とは、いかなるものか。
食を断つ。極寒に身をさらす。熱火に身をあぶる。
いばらの上に身を横たえる。
木の枝を大地に敷き、その上で座禅する、などである。
悉達多太子は断食によって身体が極端に衰弱していった。

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後年、釈尊は当時を述懐し、
中部経典に次のように述べておられる。
私の体は少食のため、極めてやせ衰えた。
我が肢節は、カーラ草のようになった。
臀部はラクダの足のようになり、背骨は紡錘の連鎖のように
凹凸のあるものとなった。
わが肋骨は腐食し、破れてしまった。

わが瞳の光は深くくぼんで見えた。
わが腹皮は背骨に密着してしまった。
わが身毛は、腐食したその根とともに体から脱落した」
骨と皮にやせ衰えるまで、修行なされたのである。


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大悟徹底される

およそ過去の、激苦激烈な苦行を修した者で、
われは最高の苦行者であり、
われ以上の苦行者はなかった。
およそ未来においても、現在においても、
われ以上の苦行を修するものはないであろう。
かかる苦行を行っても特殊な最高の聖智見(せいちけん)に
到達することができなかった。
おそらく苦行は菩提に至る道ではなく、
最高の道はほかにあるであろうと思った

          (バーリ聖典・中部)

六年間の修行により、
苦行によって最終的な悟りは得られないと
知らされた悉達多太子は、
意を決して苦行主義を捨てられ、
単身、苦行林を脱出された。

そして苦行によって衰弱した心身の力を回復しなければ
正しい智恵が生じないと考え、
尼連禅河(にれぜんがわ)に入って水浴し、
垢を除き、身を清められた。
ところが、疲れきった太子は、沐浴のあと、
岸にはい上がる力もないほどであった。

折から通り合わせた乳買いの娘、
善生女(ぜんしょうにょ)に、
太子は一杯の乳糜(ちち)の布施を請われたが、
苦行にやつれ果てたとはいいながら、
たぐいまれな尊い太子の姿に、
善生女は喜んで乳糜を施したのである。

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それによって太子は何とか体力を回復し、
尼連禅河のほとり、
仏陀伽耶(ぶっだがや)の菩提樹の下に
金剛宝座を造り、これに結跏趺座(けっかふざ)して
「我、正覚を成ぜんずば、ついにこの座を起たず」と、
異常な覚悟とともに、
最後の修行に臨まれたのである。

以来、七日間、
悉達多太子の孤独な精神の闘いが続行された。
この間、心中に幾多の魔が起こり、
美女愛欲の誘惑、権力や財物に関する煩悩が生じ、
仏典はこれらを外的に描き、悪魔波旬(あくまはじゅん)が
襲来したと記している。

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静かなる山の如く、深遠なること海の如き、
太子の忍耐と剛毅は、ことごとくこれを征服。
遂に三十五歳の十二月八日未明、
一見明星して大悟徹底し、
三世十方の実相を諦観(たいかん)せられ、
三界の大導師たる仏陀となられたのである。

まさに成仏得道、無上覚を究め、
悉達多太子はこの一刹那、
仏陀釈迦牟尼世尊となられたのであった。

釈迦牟尼世尊とは「釈迦族の聖者」との意味であるから、
釈迦とは本来は、
浄飯王が統率していた部族の名称である。
仏となられた釈迦は、数週間、
自らが悟られた境地の余りの素晴らしさを楽しまれたが、
やがて、全人類救済の大道である
仏教の布教伝道を開始され、
八十歳二月十五日に入滅されるまで、
説き続けられた。
その教法が、世界最高の宗教、
仏教なのである。

タグ:釈迦 仏教
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