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真実の仏教を明らかにされたのは、善導大師ただお独りだった! [善導大師]

(善導大師)
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今回は、親鸞聖人が七高僧として尊敬されているうちの、
五番目に挙げられている、善導大師に関してご紹介したいと思います。

七高僧とは、
①龍樹菩薩(インド)
②天親菩薩(インド)
③曇鸞大使(中国)
④道綽禅師(中国)
善導大師(中国)
⑥源信僧都(日本)
⑦法然上人(日本)

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善導大師は、大変まじめで、
三十年間一度も布団を敷いて休まれることもなく
仏教の勉学に励まれたといわれます。
また、修行の妨げにならぬようにと、
道で女性とすれ違うときは笠で顔を隠された、
ともいわれます。

このような善導大師親鸞聖人は、
極楽浄土からヌーッと現れたような方だと、
大心海化現の善導」と尊敬されています。

(大心海化現とは阿弥陀仏の浄土から現れた方)
親鸞聖人のような方が崇敬される、
偉大な宗師になられるまでの半生を、
見てみましょう。

●極悪人が救われる道は、ないのか

善導大師は、中国が隋といわれていた年、
613年山東省に生まれられました。
当時、隋の政治は腐敗し、内乱が相次いでいました。
そのような社会不安と戦乱を見ながら、
大師は成長されたのです。
六一八年、隋が滅び、唐が建国、
ようやく長い戦火は治まったものの、
国中は荒れ果て、戦災で家を焼かれた群衆が、
路上をさまよい歩いていました。
こうした世の乱れは、幼い大師に安楽な世界を欣求(ごんぐ)させ、
また母親と寺院で見た極楽浄土の絵は、
その心を堅固なものにしたのでしょう。

 

 


やがて三論宗の学匠・明勝法師について出家、
『法華経』や『維摩経(ゆいまきょう)』の研鑽を重ね、
峻烈な修行に打ち込まれました。
ところが、厳格な戒律のもと、
『法華経』の教えに従って自力修行に励めば励むほど、
大師は深刻な悩みに突き当たられるようになったのです。

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欲や怒りの煩悩が、抑えようとすればするほど、
怒濤さか巻き、渦を巻く。
外見は身を慎んで修行しても、励んだ善には毒が混じる。
物を施せば、「与えた」の意識が離れきらず、
見返りを求める心が止まない。
修行に専念するほど、
「私ほど厳しい行のできるものはあるまい」と、
自惚れ心が噴き上がる。
「なんとしたことか。
私のなす善はすべて猛毒に汚されているではないか。
頭髪についた火を払うような真剣さで、
昼夜十二時、心身を励まして善を励んでいるが、
すべて雑毒の善であった。
心にまことの伴わぬ、虚仮不実の行でしかなかった。
このような善で、生死の一大事、解決できるはずがない。
上根の聖者を対象にした『法華経』の教えでは、
到底、私のような者は救われない・・・」
絶望の深淵に立たされた大師は、
仏の教法は深広にして涯底(がいてい)無し、
といわれる。
ならば、私のような悪性さらに止め難い罪悪深重の凡夫でも、
救われる教えが、どこかに説かれてあるに違いない

すがる思いで経蔵にこもり、
一切経を、一巻、また一巻と、
ひも解いていかれました。
悪人の助かる道が、どこかにあるはずだ。
凡夫往生の道は、ないものか。
必死の探求が続けられたのです。


●阿弥陀如来の本当の御意

やがて大師の心をとらえたのが、『観無量寿経』でした。
観無量寿経』には、「王舎城の悲劇」が説かれている。
生んで育てた我が子によって牢屋に幽閉され、
地獄に苦悶する王妃・韋提希夫人が、
釈尊の教導に従って、
「弥陀の誓願不思議」に救い摂られたことが、
明らかにされていたのです。

心想散り乱れたドロ凡夫の韋提希が、
阿弥陀如来のお姿を拝見したと同時に、
大安心、大満足の絶対の幸福に救い摂られた、
とあるではないか。
弥陀の本願こそ、私の助かる法にちがいない

小躍りして喜ばれた善導大師は、
早速、釈尊が『観無量寿経』に説かれている
「定善」に打ち込まれました。
定善とは、妄念をしずめて、
弥陀とその浄土を念ずる座禅や観法であり
これに十三通りあるから「定善十三観」といわれます。


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まず第一は日想観
心を静め、太陽が西に没する情景を心に思いながら、
阿弥陀仏とその浄土を念じる。
次は水想観
清らかで波一つ無い水面を心に浮かべながら
阿弥陀仏とその浄土を念じる。
ところが、このように十三通り説かれている善に向かって、
どれだけ励んでも、
弥陀の絶対の救済にあずかることはできませんでした。

ああ、自分はとても、仏の深意が体得できない。
これはしかるべき名僧、知識を求めねばならぬ。

意を決せられた大師は一転、求法の旅に立たれます。
各地の名僧を訪ね歩くうちに、
山西省太原(さんせいしょうたいげん)の近く、
石壁の玄中寺(げんちゅうじ)に浄土門屈指の高僧、
道綽禅師
のましますことを聞かれたのです。
「その方にお会いしたならば」と、
厳冬の寒風を冒して(おかして)数千里、一路、
玄中寺に向かい、
ついに大師二十九歳の時、すでに八十の老境にあった、
道綽禅師の門を訪ねられました。

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大師の来訪を心から喜ばれた道綽禅師は、
「微塵の善もできぬ極悪人を、絶対の幸福に、必ず助ける」
と誓われている、阿弥陀如来の真意を説き切られます。


その禅師の指南により、永年の疑問が一度に氷解、
「阿弥陀如来の本当の御意(みこころ)」
を受得(じゅとく)されたのです。
(弥陀に救われたということです)

その後も大師は、玄中寺で道綽禅師から、
浄土門の真髄を学び続けられました。
そうして四年の後、禅師が八十四歳で浄土往生されると、
長安に旅だっておられます。
善導三十三歳のころでした。

都に着かれた善導大師は、
南方の悟真寺(ごしんじ)を住居とされ、
布教を開始されました。
そのご活躍により、中国には、
弥陀の本願を喜ぶ声が満ちあふれた、といわれます。

(善導大師によって、大勢の人が阿弥陀仏に救われたということ)

こうして正法宣布に生涯をかけ、
仏教史に燦然(さんぜん)と輝く
金字塔を打ち立てられた大師は、
六十九歳で、浄土往生の本懐(ほんがい)
を遂げられたのです。


●善導大師、ただお独りであった

善導大師が活躍された唐という時代は、
中国の歴史上、最も仏教が栄えた時代で、
たくさんの寺が建てられ、
何十万という僧侶がいて、
多くの人が仏法に帰依し、
時の天子も仏教を保護しておりました。


その何十万の僧の中で、善導大師ただお独りだけが、
「仏の正意」に明らかであったと、
親鸞聖人は言われているのです。 
「仏の正意」とは、「仏さまの本当の御意(みこころ)」
ということです。

この地球上で、仏のさとりを開かれたのは、
お釈迦さまただお一人です。
一口にさとりといいましても、
低いさとりから高いさとりまで、
五十二の位があり、これをさとりの五十二位といわれます。
その最高のさとりの位を仏覚とか無上覚といわれます。
この最高無上の覚(さとり)を開かれた方のみを、
仏とか仏様というのです。
この仏のさとりまで到達された方は、
地球上ではお釈迦さま以外にありませんから、
「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」
といわれています。

そのお釈迦さまが、
八十歳でお亡くなりになるまで説いていかれた教えが仏教です。
その教えのすべては、七千余冊の一切経となって書き残されています。
その一切経で、釈迦の説かれたことはただ一つ、
「阿弥陀仏の本願」でありました。


「阿弥陀仏の本願」とは、
大宇宙の無数にまします仏方の本師本仏である阿弥陀仏が、
本当に願っていられる御意、ということです。

善導大師は、その阿弥陀仏の御意を、
「『どんな極悪人でも、我を信じよ、
必ず平生に救い切る』と、約束しておられるのだ」
と、弥陀の本願を鮮明に教えていかれました。


何千何万の僧侶があっても、
「仏の正意」をこのように明らかにされたのは、
善導大師しかなかったので親鸞聖人は、
その偉大な善導大師を
「善導独明仏正意」と正信偈に書かれているのです。



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