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了顕、命と引き換えにしてでもご聖教を護る! [蓮如上人]

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如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし
      (親鸞聖人)

浄土真宗で有名なこの恩徳讃は、
親鸞聖人が29歳の御時、法然上人に導かれて
阿弥陀仏に救われたみ心を詠われたものである。

「親鸞を真実の幸福に救い摂ってくだされた阿弥陀如来の大恩、
そこまで導いてくだされた師主知識(仏教の師)のご恩は、
身を粉にしても、骨を砕いても報ずべし、謝すべし」
と仰っている。

身を粉にすれば、骨を砕けば死んでしまうが、
露の命を投げ出しても報いねばならない、広大無辺なご恩を、
阿弥陀仏に、善知識に感じておられるのだ。
これは一人、親鸞聖人のみのことではない。
阿弥陀仏の本願に救われた人(信心決定した人)に、
等しく生ずる心である。

釈迦弥陀の慈悲よりぞ
願作仏心はえしめたる
信心の智恵に入りてこそ
仏恩報ずる身とはなれ
      (親鸞聖人)

一命を投げ出しても、との激しい報恩の心は、他にない。
我々も人生の途上、種々の人々からご恩を受ける。
難病を救ってくれた医師、
命がけで愛育してくれた両親、
苦境に救いの手をさしのべてくれた友人、
このような人に感謝の心が湧くが、
死んでもご恩返し、とまでは思わない。
百億円もらっても、死んでもご恩に報いようとは思えない。
しかし、阿弥陀仏に救われたら、
この命投げ出しても、との恩徳讃の心になるのだ。

●生命を賭して報ゆ
    本光房了顕の殉教

恩徳讃が単なる形容詞ではない実例をあげてみよう。
800年前の浄土真宗の歴史は、
恩徳讃を地でいった先哲が多いが、
中でも強烈な感動を受けるのは、
本光房了顕の報恩殉教であろう。

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真宗8代目善知識・蓮如上人が、越前国(福井県)吉崎に、
御坊を建立して北陸一帯を布教しておられたときのことである。
蓮如上人61歳の文明6年3月28日。
吉崎御坊が門前の本覚寺より発した火のために類焼してしまった。
このとき、火の回りが早くて蓮如上人の居間に安置されていた
真宗の根本聖典『教行信証』六巻の中、
証の巻一巻だけは取り出すことができなかった。
上人はじめ一同は、宗祖聖人のご真筆を焼失しては一大事と案じたが、
時すでに遅く、手の施しようがない程に火が回っていて、
どうしようもなく、人々はただウロウロするばかりであった。


●燃えさかる火中へ

この時だ。
門弟の一人が脱兎(だっと)の如く、
燃え狂う火中に飛び込んでいった。
本光房了顕である。

もしここで『証の巻』が失われてしまったら、
末代の衆生の救いの道が閉ざされてしまう。
本光房は事の余りの重大さに驚き、
身の危険を思う暇もなく飛び込んでいったのだ。

渦巻く黒煙に方向を誤り、
焼け落ちる瓦に打たれて、なかなか進むことができなかった。
やっとのことで上人の居間にたどり着き、
机上にまだ無事に横たわっている一巻をしっかりつかんで、
さて出ようとしたときはすでに八方、
火の海、到底、脱出不可能になってしまった。
今はこれまで、と覚悟した本光房了顕、

「自分はどうなってもかまわないが、
この親鸞聖人のお命、
末代衆生の唯一の灯炬(とうこ)たるお聖教だけは、
何としても護り通さねばならぬ。
万一のことがあっては、如来聖人さまに対して、
また善知識蓮如上人さまに申し訳がたたぬ。

しかし、この炎の中で、どうしたら、ご真筆を護り切れるか」

●『証の巻』を内蔵深くへ

思案の末に、
「この方法しかない。我が血潮でお聖教が汚れるが、
それはやむを得まい」

と決心したのは、自らの腹を十文字に切って、
内蔵の水分をもって『証の巻』を火炎から護ろうという非常手段であった。

正座した本光房の脳裏に、蓮如上人との出遇い、
聞法の日々がよみがえった。
蓮如上人に最後の別れを告げる了顕であった。

「お師匠さま、本光房了顕、
阿弥陀仏の本願に救われた幸福者でございます。
もし、お師匠さまにお遇いできなければ、
この世も未来も、地獄でございました。
やがて死にゆく露の命、法(のり)のために捨つるは本望でございます。
必ず『証の巻』護り切り、お手許にお届けさせてみせます。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」

静かに念仏を称え了顕は持参の短刀で腹を十文字にかき切って、
その中に『証の巻』をねじ込む。
さらにそれを護るように二つ折りになって倒れたのである。
「上人さまー。上人さまー」
了顕の声は容赦なくふり注ぐ火柱の中に小さく消えていった。

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●血染めの聖教

吉崎御坊はそのまま全焼し、
蓮如上人は『証の巻』と本光房了顕を失った二重の悲しみに
深く沈んでおられた。
一夜明け、ようやく猛火もおさまった焼け跡を片づけていた人々が、
上人の居間近くに、黒こげの死体を発見した。
本光房である。
無惨な遺骸をよくよく調べてみれば、
腹部あたりから血に染まった『証の巻』が発見されたのである。
『証の巻』は本光房の命と引き換えに護られたのだ。

蓮如上人は遺骸をなでながら、
「了顕よ、けなげであった。
如来の大悲を身を粉にして報じた汝の行為は、
親鸞聖人の教えのままの菩薩行であったぞ。
汝の精神は、汝が身をもって護ったこのお聖教と共に
永遠に未来の衆生を救い、
人々の幸せの灯炬となるであろう」

と、生ける人に対するごとく感嘆せられ、厚く葬られた。
本光房の墓は今も吉崎の地にある。
この『証の巻』は「腹ごもりの聖教」
または「血染めの聖教」と言われている。

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●未来永劫の一大事
     苦から苦への綱渡り

どうして阿弥陀仏に救われた人には身を粉にしても、
恩徳讃の心が湧き上がるのか。
それは、阿弥陀仏に、我々の未来永劫の後生の一大事を
救われるからである。

では、後生の一大事とは何か。
生ある者は必ず、死に帰する。
死ねばどうなるのか。
生きるためには仕方がないと、
罪悪を造り通しで生きている全人類は、
因果必然の結果として、死後、必ず無間地獄に堕ちて、
八万劫中大苦悩を受けねばならない。
これを後生の一大事という。

釈尊は経典に「必堕無間」と説かれ、

親鸞聖人は、

念仏誹謗の有情は
阿鼻地獄に堕在して
八万劫中大苦悩
ひまなく受くとぞ説きたまう
         (正像末和讃)
と仰せられている。

後生未来が暗いから、臨終になると真っ暗な心になってしまうのだ。
『大無量寿経』に釈尊は、我々の流転の実相を
「従苦入苦 従冥入冥」と説示なされている。
「苦より苦に入る」とは、
この人生も苦悩の連続、死後も更に大苦悩の地獄に堕つる意である。
「冥(やみ)より冥に入る」とは、
臨終になれば後生が不安になり、暗くなり、闇に閉ざされてしまう。
そして、暗黒の後生へ入ってゆかねばならない我々の相(すがた)である。

●諸仏にも捨てられた

そのような我々衆生をご覧になって十方世界の諸仏、
諸菩薩、諸神が、大慈悲をもって助けようとしてくだされた。
しかし、我々の罪が余りにも重く、
諸仏、菩薩もサジを投げてしまわれたのである。

蓮如上人はこれを経典にもとづき、
次のようご教示なされている。
「それ十悪五逆(じゅうあくごぎゃく)の罪人も
五障三従(ごしょうさんしょう)の女人も、
空しく皆、十方三世の諸仏の悲願にもれて捨て果てられたる
我等ごときの凡夫なり」
             (御文章二帖八通)
十悪五逆の罪人、五障三従の女人とは、
罪悪深重な我々のことである。
諸仏がアキれて逃げた我々の実相とは、
無常を無常とも思わず、悪を悪とも思わない。
地獄と聞いても皿一枚割ったほども驚かず、
極楽と聞いても千円札一枚もらったほどにも喜ばない。
後生の一大事を一大事とも思わない。
借金苦で寝られないことがあっても
後生の一大事が心配で寝られないということはない。
そのような煮ても焼いても食えないような
シビれ切った心を持っているのだ。

●阿弥陀如来一仏に

すでに三世の諸仏に愛想をつかされ、
逃げられてしまった我々だが、
そのような極悪人を、なお可愛いと、
救済に立ち上がってくだされた方が、
阿弥陀如来なのである。

蓮如上人にお聞きしてみよう。
「しかればここに弥陀如来と申すは
三世十方の諸仏の本師本仏なれば、
久遠実成の古仏として
今の如きの諸仏に捨てられたる末代不善の凡夫、
五障三従の女人をば、
弥陀に限りて『われひとり助けん』という超世の大願を発して、
われら一切衆生を『平等に救わん』と誓いたまいて、
無上の誓願を発して、すでに阿弥陀仏となりましましけり。
この如来をたのみたてまつらずば、
末代の凡夫、極楽に往生する道、
二つも三つも有るべからざるものなり」
             (御文章二帖八通)
阿弥陀仏は諸仏菩薩の師匠であり、王である。
ゆえに、弟子の諸仏の手に負えない極悪人を、
阿弥陀仏ただ一仏が
「どんな人をも必ず、絶対の幸福に助ける」
と誓って下された。

●極悪人を助ける思惟
    気の遠くなる長年月に及ぶ

いかにして救うか。
阿弥陀仏が思惟(しゆい)に思惟を重ねられた期間は、
実に五劫に及ぶ。
一劫が4億3千200万年だから五劫とは、
気の遠くなるような長年月である。
そうして建てられた誓願が、阿弥陀仏の本願である。
これは真実である。

阿弥陀仏に救われた時には、
この五劫思惟のご恩徳を知らされる。

親鸞聖人は、
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、
ひとえに親鸞一人がためなりけり。
されば若干(そくばく)の業をもちける身にてありけるを、
たすけんと思召したちける本願のかたじけなさよ」
             (歎異抄)
と、感泣しておられる。

「阿弥陀仏の五劫思惟なされた本願は、
まったく親鸞一人を救わんがためだった。
限りない悪業をかかえている親鸞を助けようと
誓って下された弥陀のご恩の深重なることを知らされ、
泣かずにはおれない」

阿弥陀仏は「すべての人々を救う」と誓っておられるのに、
聖人は「親鸞一人がためなり」と味わわれた。
「祭りには 皆とは言えど 気は娘」という句がある。
祭りで娘の嫁いだ先へ招待に行くとき、
「皆さんでどうぞ、おいで下さい」と言うが、
内心は娘一人で来てもらいたいのだ。
そうした親の本心を知らず、娘だけでなく、
姑や小姑までがゾロゾロついて行ったら、
たちまち御膳の数が狂って、相手方に迷惑をかけてしまう。
親の本心はあくまで、娘一人が可愛いのである。
「すべての人を助ける」と言われる阿弥陀仏の本心を知らされた人は
「私一人が正客であった、かたじけない」
と叫ばずにはおれないのだ。

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●兆載永劫のご修行

しかも、阿弥陀仏のご苦労は五劫思惟にとどまらない。
続いて兆載永劫のご修行をして下されている。
五劫思惟の願と兆載永劫のご修行の関係をたとえれば、
願は船の設計図、兆載永劫のご修行とは、
設計図にもとづいての造船作業である。

これらの大変なご苦労も、
私一人を救わんがためのものであったと、
後生の一大事、阿弥陀仏に救われて、
いつ死んでも浄土往生まちがいなしの身になったとき、
初めて知らされる。

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親鸞聖人の生涯の師、法然上人は、
『大無量寿経』を念誦(ねんしょう)されるとき、いつも、
この五劫思惟、兆載永劫の御文に感泣なされていたという。
あるとき、弟子がそれをいぶかしく思って尋ねてみると、
「この愚痴の法然房、十悪の法然房を助けんがために、
五劫の間、思惟して下されたと思えば、
お慈悲の程が身に沁みて、涙がこぼれる」
と仰せられたと記録に残されている。

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蓮如上人のお弟子として有名な赤尾の道宗にもこんな話がある。
道宗の体には、いつもところどころに傷や青いあざがあった。
それは、毎晩、寝床に48本の割木を並べていたからであった。
自分のようなしぶとい人間は、
布団の上に安楽に寝ておったのでは、
五劫思惟、兆載永劫と、
大変なご苦労をして自分を救い賜うた阿弥陀如来のご恩を
ご恩と思わず過ごしてしまう。
せめて眠りにくくして阿弥陀仏のご恩を
偲ばせていただこうと思っている

との道宗の自戒であった。

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●真剣な聞法を

八万劫中大苦悩の無間地獄に堕つる後生の一大事を助けていただき、
永遠の生命を頂いていつ死んでも、浄土往生。
そして弥陀同体の仏の覚を開かせていただくのだ。
露の命を法のために幾度捨てようとも
報い切れない広大無辺な阿弥陀仏のご恩を知らされ、
九牛(きゅうぎゅう)の一毛なりとも
報いようと全力をあげずにおれないのだ。
真剣な聞法に身を沈め、一日も早く、法然上人や親鸞聖人、
本光房了顕や赤尾の道宗のように
恩徳讃を心から歌える信心決定(しんじんけつじょう)の身と
ならねばならない。


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