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お釈迦さまは龍樹菩薩の出現を予言されていた! [龍樹菩薩]

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“親鸞、阿弥陀仏に救われることができたのは、
ひとえに釈迦の教導のおかげであった、
その仏教を、正しく伝えて下されたインド・中国・日本の、
七人の高僧方のおかげであった”
と、深きご恩を讃えています。
その七高僧の最初の龍樹菩薩について
今回はご紹介したいと思います。

釈迦如来楞伽山(しゃかにょらいりょうがせん)
為衆告命南天竺(いしゅうごうにょうなんてんじく)
龍樹大士出於世(りゅうじゅだいじしゅっとせ)
悉能摧破有無見(しつのうざいはうむけん)
宣説大乗無上法(せんぜつだいじょうむじょうほう)

(釈迦如来楞伽山(りょうがせん)にして
衆の為に告命(ごうみょう)したまわく、
「南天竺に、龍樹大士、世に出でて、
悉く(ことごとく)能く(よく)有無の見を摧破(さいは)し、
大乗無上の法を宣説す」)

まず、
「釈迦如来、楞伽山にして」とは、
「釈迦如来が、楞伽山でご説法なされていた時に」
ということです。
釈迦如来とは、今から約2600年前インドに現れられて、
仏教を説かれたお釈迦さまのことです。
ほかにも、釈迦牟尼仏とか、釈尊とも、
また世間ではよくブッダとも言われている方です。
その釈迦如来が、
「衆の為に告命したまわく」とは、
「その時の参詣者に告げられた、話をされた」
ということです。

どんなことを釈迦は仰ったのかというと、
『楞伽経(りょうがきょう)』にこう説かれています。
私・釈迦が、この世を去って700年後、
南インドに龍樹という勝れた人が現れるであろう。
そして『有無の見』を悉く(ことごとく)打ち破り、
『大乗無上の法』を広めるであろう

果たして、その予言通りに龍樹菩薩が現れて、
大活躍なされたことを親鸞聖人は『正信偈』に、
「南天竺に、龍樹大士、世に出でて
悉く能く有無の見を摧破(さいは)し、
大乗無上の法を宣説す」
と讃えられておられるのです。

「悉く能く有無の見を摧破された」
と言われている「有無の見」とは、
「有の見」と「無の見」のこと(いずれも間違った思想のことです。)
その2つの謬見(びゅうけん)を龍樹菩薩は、
「悉く能く摧破された」
と言われているのは、
“徹底的に排斥された”“すべて、完膚なきまでに打ち破られた”
ということです。
(謬見とは、あやまった考えのこと)
「大乗無上の法を宣説す」とは、
“すべての人が救われる、真実の仏法を明らかにされた”
ということですから、聖人はここで、
「釈迦が予言された通り、インドに龍樹菩薩が現れて、
大活躍してくだされたのだ。
間違った教えを黙って見過ごすような方ではなかった。
大衆の中に飛び込み、邪義を破り、
真実の仏法を命がけで明らかにされた、

そのおかげで親鸞、弥陀の本願に救い摂られることができたのだ。
龍樹菩薩の厚きご恩を忘れることはできない。
骨を砕いても報いずにはおれない」
と感泣されているのです。
龍樹菩薩がこのように、
聖人からも尊敬されるような偉大な方になられるのは、
紆余曲折を経てのことでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・

南インド、コーサラ国のバラモンの家に生を受けた龍樹は、
聡明な頭脳をもって、
幼少にしてバラモンのベーダ経典を悉く(ことごとく)
そらんじてしまったといわれる。
青年になると、清新な知識を求めてインド中を巡り、
天文学、薬学、錬金術、易学など手当たり次第に習得し、
学び尽くしていった。
龍樹に出会う者、ただただ学問の深さに驚き、
舌を巻くばかり。
20歳の頃にはもはや、国内に並ぶ者なき天才として、
名声はとどろいていた。
「オレはもう、天下の学問を成し終わった。
すでに学ぶべきものは何もない」
若年にして功を成すは身を誤らせる元なのであろう、
傲慢が彼を支配したのである。

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類は友を呼ぶと言われるように、
龍樹の3人の親友も、人並みの学問ではなかった。
そんな友人らと交友を重ねていたある時、
「お互いにもう学問は学び尽くしてしまった。
楽しみが無くなってしまったな」
一人が言うと、
「確かに学問に楽しみはもうないが、
快楽とはそればかりではあるまい。
我々はまだ、肉体の歓びを十分に味わっていないではないか」
人生最高の歓楽は情欲にあり、と聞いて若い血潮は騒いだ。
4人は、色欲の満足を求めて巷の女性を誘惑し、
欲望の餌食としていったのである。
市井(しせい)に美女を求め、女漁りを続けていた4人は、
やがて並の女性では飽きたらず相談の末、
城の後宮に忍び込み、国王の寵愛する女たちを、
情痴の餌としようと画策する。
後宮こそ、国中から選りすぐられた麗人の宝庫。
ある晩、夜陰に乗じて龍樹らは巧みに王宮に潜入し、
女性たちの部屋を目指す。
国王の愛人たちは、この意外な闖入者(ちんにゅうしゃ)に
最初は驚きの色を示したが、
別に危害を加えられるのでもなく、
彼らの目的が自分たちの肉体であると知ると、
もはや騒ぎ立てるような愚かな真似はしなかった。
数十人で、たった一人の国王の寵を
競っていた彼女たちにとって、
中年を過ぎた肥満体とは対照的な、
龍樹たちの若く逞しい魅力的な肉体は、
かえって歓迎すべきものであった。
こうして4人は、夜な夜な思いのままに、
美女たちと戯れあったのである。

だが、このようなことがいつまでも発覚せぬはずがない。
後宮の微妙な変化を感じとった王は、
家臣に調べさせた。
事実を知って激怒した王はその夜、
宮廷の庭陰に屈強な衛兵を配備して、
侵入者を待った。
そうとも知らず龍樹らはいつものように、
宮中が寝静まった頃、愛欲の蜜を求めて忍び込んできたが、
庭半ばに進んだ時、「賊どもを切り捨てよ」の王の号令一下、
飛び出してきた群臣の刃に包囲されてしまう。
抵抗むなしく、3人の親友はたちまち斬り伏せられ、
混乱の中、龍樹だけがなんとか難を逃れたのであった。
城外に脱出した龍樹であったが、
眼前で斬殺された友の死に、悔悟の念と、
激しい無常を痛感したのである。

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ああ、バカだった。オレは間違っていた。
情欲こそ災いの元であった。
それにしても、何とはかない人間の命か。
彼らの魂はどこへ行ったのだ。
オレが死んでたら、一体どうなっていたのだろうか

以来、龍樹の煩悶は深さを増し、矢も盾もたまらず、
魂の解決を仏道に求めたのであった。

出家受戒した寺院にて、早速、小乗仏教に取り組み、
わずか90日で読み尽くしてしまった。
だが、魂の救いは得られない。
今度はインド北方、ヒマラヤ山の麓、
仏跡の散在する地域に秘伝されるという
大乗経典を求めて旅立ったのである。

道中、各地に名立たる学者を訪問するが、
いずれも龍樹の博識にかえって驚嘆するばかりで、
師と仰ぐに値する人物に巡り会うことはなかった。
やがてヒマラヤ山中の古びた寺を訪ねたとき、
大乗経典を伝持する老比丘に出会うことができた。
念願の大乗経典に接した龍樹の歓びは大きく、経典に基づき、
能う(あとう)限りの仏道修行に精進していった。
精勤(しょうごん)十数年、
修行の峻厳さは古の釈迦もかくやと思われんばかりである。
結果、仏覚に至るまでのさとりの52位中、
41位の初地という位まで到達したのである。
自力修行によって41位を悟ったのは、釈迦を例外にすれば、
龍樹と、後の天親菩薩の兄・無著(むじゃく)の
2人だけといわれている。
しかし、さずがの龍樹も、初地に至るのが精一杯であった。

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これから、五十段位の十地(じゅうじ)を超え、
仏覚を極める難行苦行の道は、
釈迦のごとき丈夫志幹の方ならともかく、
儜弱怯劣(ねいじゃくこれつ)な人間の歩める道ではない。
ああ、どこかに、私のような劣機(れっき)でも
救われる法はないのだろうか

(丈夫志幹とは、意志の強い人
儜弱怯劣とは、悪い、弱い、卑怯な、愚劣なもの)

厚い修行の壁に悩む龍樹に、光明は意外な方面から射し込んできた。
ヒマラヤの奥深い地域に龍族という部族があり、
その長老・大竜が、龍樹を訪ねてきたのである。
「菩薩よ。我々の村に遠く伝わる経典がある。
しかし、いまだその真意を会得する賢人がおらず、
今日まで経蔵に眠っている。
あなたこそ、その経典を伝授するにふさわしい方だ。
どうか一度、確かめていただけないだろうか」

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大竜の言葉に新たな希望を見いだし、
龍樹がその村を訪れると、
経蔵には数多(あまた)の大乗経典が、ぎっしり詰まっていた。
龍樹はむさぼるように、それらの経典を読破していく。
必死にひもといていくうちに、ついに『大無量寿経』を発見。
どんな極悪人をも救い摂る「阿弥陀仏の本願」を知られる。
やがて龍樹は、弥陀の本願に疑い晴れた一念に、
必定の位に救い摂られたのである。

「必定」とは、あと一段で仏、という五十一位のことで、
「正定聚」とも「等覚」とも、「歓喜地」とも言われる。
不変無上の幸福であるから、今日の言葉で「絶対の幸福」といえよう。
魂の解決を果たし、生命の歓喜を獲られた龍樹の目に映ったのは、
種々の外道が競い起こり、
混乱の極に達している宗教・思想界の実態であった。
迷える人心に飛び込んで、
悉く(ことごとく)それら一切の邪義を打ち破り、
暗黒の魂を唯一救いたもう「弥陀の本願真実」を、
命を懸けて宣布せられたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そのことはすでに釈迦如来が、楞伽山にて説かれた『楞伽経』に、
未来世に当に我が法を持つ(たもつ)者あるべし。
南天竺国の中、大名徳の比丘あらん。
その名を龍樹となす。
能く有無の宗を破し、世間の中にして我が無上大乗の法をあらわさん

と予言された通りの大活躍であったのだと、
親鸞聖人は『正信偈』に、
釈迦如来楞伽山にして、
衆の為に告命したまわく、
南天竺に、龍樹大士、世に出でて、
悉く能く有無の見を摧破し、
大乗無上の法を宣説す
と仰っているのです。
では、龍樹菩薩が悉く摧破された、
「有の見」「無の見」とはどんなことか。
以下の記事を読んでいただければと思います。
人間死んだらどうなるか(諸法無我)


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