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聖道仏教ではなぜ助からないのか? [聖道仏教と浄土仏教]

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親鸞聖人の主著「教行信証」

聖人の代表的著作
     三重廃立の教え

親鸞聖人の代表的著作と言えば『教行信証』である。
聖人の教えは、すべて、このお聖教の中に記されており、
故に、浄土真宗の根本聖典となっている。
『教行信証』を知らずして、
親鸞聖人のみ教えを知ることはできない。

では、何が説かれているのか。
ズバリ、「三重廃立」である。
「廃立」とは、捨てものと、ひろいもの、の意である。
全人類が、真実の幸福を獲得するためには、
三つのものを捨て、
三つのものを信じなければならない。

三重廃立とは、こうだ。
内外廃立・・仏教以外の全宗教を捨てて、仏教を信じよ。
聖浄廃立・・聖道仏教を捨てて、浄土仏教を信じよ。
真仮廃立・・浄土他流を捨てて真宗を信じよ。

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聖道仏教を捨てよ

今回は、「聖浄廃立」について、明らかにしよう。
「聖」とは聖道門自力の仏教のことであり、
宗派で言えば、天台宗、真言宗、禅宗などが代表と言える。
「浄」とは、浄土門他力の仏教であり、
浄土真宗、浄土宗などである。
「廃立」は前述の如く、
捨てるべきものと、信ずべきものであり、
親鸞聖人は、徹底的に、
聖道仏教を捨てよ、浄土仏教を信じよ、
と叫んでゆかれた。

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聖道権化の方便に
衆生久しくとどまりて
諸有(しょう)に流転の身とぞなる
悲願の一乗(いちじょう)帰命せよ

         (親鸞聖人)

聖道仏教という方便の教えを、
多くの人が真実の仏教と勘違いして、
長らくそこにとどまっているから、
たちまち短い一生が終わって、
迷いの世界に流転輪廻してしまう。
人々よ早く、聖道仏教を捨て、
全人類の救われる唯一絶対の教えである、
阿弥陀仏の本願に帰命せよ

『正信偈』の中にも、説かれている。
「道綽決聖道難証(どうしゃくけっしょうどうなんしょう)
唯明浄土可通入(ゆいみょうじょうどかつうにゅう)」

道綽は、聖道の証し難きことを決し、
唯、浄土の通入すべきことを明かす」と読む。

中国の高僧、道綽禅師は、聖道仏教では、
人々が救われないことをハッキリと教えられ、
唯一、浄土門他力の仏教こそ、万人の救われる道たることを
明確に説き切られた。

親鸞聖人は、その功績を讃えられ、
『正信偈』に記述しておられるのだ。

天台宗、真言宗といえども釈迦の説かれたみ教えなのに
何故に親鸞聖人は排斥されるのだろうか。

その前に、釈尊の教えは一つの筈なのに、
多くの宗派が存在するのは、何故なのか。
説明しなければならない。

仏教の目的は成仏
    手段の相違が宗派を生む

仏教とは、仏の教えであり仏になる教えである。
「仏」とは何か。
これは仏教でいう「さとり」の一名称なのだ。
仏教では、「さとり」という言葉をよく使うが、
さとりには、五十二の位がある。
それぞれに名前がつけられている。

例えば千三百年ほど前の中国で、天台宗を開いた天台は、
生涯独身を貫いて、仏道修業に打ち込んだ人物である。
天台の臨終に弟子が尋ねた。
「師は、いずれの位をさとられましたか」
その時、天台は正直に告白した。
「下から九段目の五品弟子位(ごぼんでしい)までしか
到達できなかった。
もし、私が、大衆の教化に時間を費やすことがなければ、
下から十段目の六根清浄位は獲ていただろう」

一宗一派を開いた程の人物にしてわずか九段。
如何に、さとりの階段を上るのが困難かが分かる。
仏の覚り、とは、この五十二位中の最上の位を言う。
五十二段目である。
これ以上の覚りはないから無上覚とも言い、
妙覚ともいう。
涅槃、大覚、無上正真道(むじょうしょうしんどう)などみな、
仏のさとりの異名である。
これに達した方のみを仏というのである。

釈尊の場合、生老病死の人生の無常を感じられて、
29歳で出家され、35歳までの6年間の難行苦行の末、
遂に35歳12月8日に、仏の覚りを極められたのである。
成仏得道、とこれを言う。
仏道修業は成仏得道、仏のさとりに達する事が目的である。
そこに、一切の苦悩から解放された世界があるのだ。

釈尊は、仏のさとりに至る修行を種々に説かれた。
目的は同一でも、手段が異なることはある。

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分け登る
ふもとの道は 異なれど
同じ高嶺(たかね)の
月を見るかな

この古歌の意味は
「登山する人は、いろいろな方角から登るが、
同じ頂上で、同じ月を見るのだ」
というものである。
富士山で言うならば、東から登れば御殿場口、
西から行けば浅間口、
北側からならば自動車道路スバルラインで5号目までは快適だが、
そこから頂上までは、やはり歩かねばならぬ。

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同様、仏の覚りを開いて眺める真如の月は同一でも、
修業方法は宗派によって異なる。

座禅の行を主とする禅宗、
彼らは、「只管打坐」ただすわれ、と言う。
天台宗は『法華経』に説かれる行を実践し、
真言宗は、『大日経』に従うのだ。
『華厳経』を所依(しょえ)とする華厳宗もあれば、
『涅槃経』に基づく涅槃宗などもある。
『浄土三部経』をよりどころとするのは
浄土真宗、浄土宗などである。

いずれも、目的は、成仏得道であるから、
それが見失われたら、もはや仏教ではない。

千日回峯行(せんにちかいほうぎょう)にみる
      自力難行道

数多ある宗派を、親鸞聖人は、
どのように、二種類に分類されたのか。

仏のさとりに向かうのに、
あくまでも、自力の難行で行こうとするものを、
自力聖道仏教
と言われ、
自力では到底仏果に達することはできない。
阿弥陀仏の本願に救われて、五十一段高飛びをし、
あと一段で仏という等正覚、正定聚(しょうじょうじゅ)の位に
入ろうとする教えを他力浄土仏教
と言われるのだ。

「他力」とは、阿弥陀仏のお力のみを言う。
他人の力、自然の力などの意味ではない。
親鸞聖人は、9歳から29歳まで、
自力聖道仏教たる天台宗で修業され、
29歳の御時、法然上人との運命的な邂逅(かいこう)により、
阿弥陀仏の本願力不思議に摂取されたのである。

自力と他力、聖道門と浄土門、双方を体験された聖人が、
聖道仏教を捨てよ、と教えられている。

そう教えられたのには種々の理由がある。
まず第一に「自力難行道」と言われる如く、
修業そのものが常人には到底為し難い(なしがたい)ほど
難しい点にある。

2、3例あげてみよう。
滋賀県比叡山の天台宗は、
『法華経』の教えの通りに修業しようという宗派であるが、
有名な、千日回峯行という荒行がある。
千日回峯行を成就した、というだけで、
新聞やテレビに紹介されるほどの凄まじい行なのだ。
修業の期間は8年間。
1年目から6年目までは、毎年百日ずつである。
百日間毎日、午前2時に起き、比叡山に設定された7里半、
30キロの行者道を歩くのだ。
この間、塔堂伽藍、山王七社、霊石、霊水など、
350ヶ所で所定の修業をする。
雨風雪でも中断はできない。
中断したならば、持参の短刀で自害するのが、
江戸末期まで、山の掟となっていた。
病気、事故でも、同様である。
伝教(でんぎょう)が山を開いてより、
幕末までわずか300人しかいないといわれるから、
随分、途中で切腹して果てた修行僧がいたに違いない。

6年間で600日頑張ると、
7年目は、一年間に200日と日数が倍加する。
その間、700日目に入った時には、
天台宗で「生き葬式」といわれる「堂入り」という修業がある。
堂に入って断食、断水、不眠、不臥(ふが)のまま、
9日間も、真言を唱え、経典を読み続けるのだ。

断食・・・食物を一切とらない。
断水・・・水を断つ。普通、3、4日も水を断つと
     生命が危険といわれる。
     それを9日間である。
不眠・・・「真言」を10万回唱えたり、
      経典を読んだりする。ねない。
      一日一回だけ、堂から出ることは許されるが、
      それは「水取り」といって、小便に行く時だけなのだ。
不臥・・・横たわってもいけない。

この堂入りを成し遂げた人の体験談。
「堂に入ってボンヤリしているのではなく、
たえず、経文を読み、誦文(じゅもん)を唱えているので、
口の中に水気がなくなりやがて、
口の中に粘膜を張ったようになり、
睡魔との闘いで、頭がガンガンしてくる。
それをすぎると、ある感覚が異常に研ぎ澄まされ、
線香の灰の落ちる音さえ『ドサッ』と聞こえる。
灰の落ちていく有様が、スローモーションのように見えてくる。
最後はほとんど意識を失った状態になる」

この9日間の堂入りが、
如何に至難なことか、比較してみよう。
親鸞聖人は19歳の時、
大阪磯長(しなが)の聖徳太子廟(びょう)を訪ねられた。
その時、自らの後生の一大事の解決を祈願して堂に籠もられた。
その折りも不眠、不休、断食、断水であったが、
3日間こもられた時、遂に意識不明で昏倒してしまわれた。

その夢の中に聖徳太子が現れて
「汝が命根(みょうこん)、応に(まさに)十余歳なるべし」
という一文を含む、夢告(むこく)をなされたのである。
磯長の夢告といわれ、
親鸞聖人の求道に大変な衝撃を与えている。
19歳といえば、体力的には、最高潮の時であろう。
その時期の親鸞聖人でさえ、3日間で意識不明になられたのだ。
9日間の堂入りが如何に至難の行であるか知られる。
親鸞聖人はそれ以後に、大曼の難行という、
千日回峯行のような行を果たしておられるから、
別の機会では、9日間の堂入りのような行も、
達成されたのであろう。

堂入りで終了ではない。
801日目から1000日にむかう最後の一年間は大回りといい、
修業コースが大幅に延びる。
21里、84キロメートルの道のりを日々修業するのだ。
オリンピックのマラソンの距離が、42.195キロであるから、
その倍の長さである。
オリンピックの金メダルの選手が走っても、
4時間以上かかるのだ。
そのようなコースは比叡山では設定できないので、
山を降りて、一乗寺、平安神宮、祇園と市街地を走る。
1日17~8時間かかるのだ。
それを年間200日、1日も休まず続けねばならない。
30年ほど前、それを達成したS氏は、
苦しかった体験を述べている。
「修業の途中、イノシシに追っかけられて、
左足を痛めた。
足が倍くらいにはれて、
このままでは行が中断されると思って
短刀で切開してうみを出し、
血まみれで歩き通した。
その足で泥水の中も歩いたのに破傷風にもならず、
やり遂げることができた」
これだけ修業しても、仏果にはほど遠い、
初歩の段階でしかないのだ。
こんな修業を誰ができるというのか。
まさに難行道といわれる所以である。

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四十段までが退転位
   少しの油断も許されぬ

自力聖道の修業が難しいのは、さとりの五十二位中、
四十位までが退転位である点にもある。

退転位とは、退き、転がるの意で、
四十段までは、さとりを開くと言っても、
少しでも油断すると、たちまち崩れてしまうのだ。

法然上人と同時代、華厳宗に明恵という学僧がいた。
ある日、弟子が明恵の好物の雑炊を造って部屋に運んだ。
「おお、雑炊か」と、早速、
箸を手に一口食べた明恵の顔が曇った。
すると、何を思ったのか、明恵、茶碗を持ったまま立ち上がり、
障子に近寄って、桟にたまっていた埃を指ですくい、
雑炊にかけ始めた。
折悪くし、2、3日前から、弟子たちが掃除を怠っていたのである。
無言のうちにも、
その事を厳しく指摘されていると思った弟子は恐縮して、
いかにもまずそうに埃のかぶった雑炊を
黙々と食べ続けている明恵を見つめていた。

やがて食事を終えた明恵、
「先ほど、ワシは奇妙なことをしたであろう」
「まことに申し訳ございません。
お部屋のそうじをいたしておりませんでした」
「いやいや、そなた達のそうじのことをとやかく思ってのことでない」
「では、一体なぜ、あのようなことを」
「恥ずかしい事だが、お前の造ってくれた雑炊が、
あまりにも美味しかったので、一口食べたときに、
自分の心の中に美味しい食べ物に対する執着の心がムクムクと、
蛇の鎌首を持ち上ぐるように起こってきたのだ。
おいしい雑炊を作ってくれたお前の親切心だけを
味わえばよいのに、
余りに味が美味しかったので、味覚のとりこになろうとした。
ワシの心は実にあさましい限りだ。
だから、あわてて埃を入れて折角ながら、
おいしい味を消していただいたのだ。
これでやっと口先の誘惑からまぬがれることができた」
おいしい食べ物に心を奪われれば、心にスキが生じ、
さとりが、退転してしまうのだ。

それほどに油断なく自らを律していた明恵にして、なお、
さとりが退転してしまったことを記述している。
ある時、師匠から拝領(はいりょう)した念珠を手に
境内を散歩していた。
その時、ふとした油断から数珠を落としてしまった。
念珠は、仏を礼拝する時の大切な仏具である。
もとより大切に扱うべきであり、地面に落とすなど、
もっての外である。
特に聖道仏教は、こうした作法がやかましい。
「しまった」と思った明恵、咄嗟に、
もう一方の手で落ちてゆく念珠を受け止めたのである。
その時、「ああ、よかった」
と思った一瞬の心のゆるみから、
さとりが崩れてしまったというのである。

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四十一段目の不退転位に至るまでは、
そのように一瞬の油断も許されないから、
そんな所を難行苦行で極めていこうとする自力聖道仏教は、
我々凡夫の救われる教えではない。

千日回峯行にしろ、明恵の覚悟にしろ、
常人の想像を絶するような、
意志堅固な求道心の持ち主でなければ進めない。

自力聖道の菩提心
心も言葉も及ばれず
常没流転の凡愚は
いかでか発起せしむべき

      (親鸞聖人)
我々凡夫が、どうしてそのような、
自力聖道の菩提心を起こすことができようか。

親鸞聖人のご和讃が深くうなずかれるではないか。


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