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阿弥陀仏に救われるのは、生きている今! [親鸞聖人]

お釈迦さまの仏教を説かれた目的はただ一つ。
それは、
我々の後生の一大事(死後、大苦悩の世界へ堕つること)の解決でした。
その解決の方法は、阿弥陀仏に救われる以外ないと教えられたのです。(一向専念無量寿仏)
救われるのは、生きている今か、死んでからなのか、
親鸞聖人はより鮮明に我々に教えられています。
 

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(アニメ『世界の光・親鸞聖人』今回の記事の内容そのままなので、
見ていただければ分かりますよ)

(ここからは真実の仏教を我々に叫んでくださっている先生の書物「とどろき」から載せています。 )  

慈悲の権化(ごんけ)のような親鸞聖人に、
激しい大諍論が3回もあったということは、
信じられないことかもしれませんが、
事実なのです。

これを聖人の三大諍論といわれています。

第一の諍論は、体失不体失(たいしつふたいしつ)の諍論と
いわれているものです。

●救いは死後か現在か

聖人がまだ法然上人のお弟子であった時のことです。
法然門下三百八十余人の中でも、
上足(じょうそく)と目されていた
小坂の善慧房証空(ぜんえぼうしょうくう)が
「念仏のお徳によって、
死んだ後には極楽往生させていただけるのが、
阿弥陀仏のご本願のありがたさであります」
と、大衆を前に、得意満面で説法していました。

みんな感心して聴いていましたが、
親鸞聖人は思わず立ち上がり、
「しばらく待ってください」
と、善慧房の説法に待ったをかけられました。

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一同、何事だろうと聖人を凝視したのも
無理はありません。
「親鸞殿、私の説法に何か異議でもござるのか」
ムッとした善慧房は詰問いたしました。

ただいま、あなたは弥陀の本願は
死後(体失)でなければ
助けて(往生)くださらぬとおっしゃいましたが、
この親鸞はただ今救われた(往生)ことを
喜ばずにおれません。
弥陀の本願は生きているただ今、
助けてくださる不体失往生でございます。
一匹の馬が狂うと千匹の馬が狂います。
あなたのような方が本願を誤られては、
大衆ともに無間の火城(かじょう)へ
転落しなければなりません

聖人はきっぱりとおっしゃいました。
あまりにも鮮明な阿弥陀仏の救いを
体験なされていた聖人にとっては、
弥陀五兆の願行を水泡にし、
釈迦の一切教をホゴにする、
このような悪魔の説法は
到底聞き流すわけにはいかなかったのです。


「何を親鸞殿はおっしゃる。
聖道仏教は此土入証(しどにゅうしょう)だが、
わが浄土仏教は彼土得証(ひどとくしょう)、
死んだ後で極楽参りさせていただくからこそ、
往生浄土というのではありませんか。
どうして私たち凡夫が、
この世で助かることができましょうぞ」
当然ながら善慧房の反撃がなされました。

「そのことは親鸞もよく承知していますが、
あなたのおっしゃるのは結果でありましょう。
だれでもが浄土往生できるのではありますまい。
現在信心決定(しんじんけつじょう)して、
魂の解決、心の往生のできた人のみ
のことではありませんか。
ただ今救われないものが、
どうして死後助かるでしょうか。
前の小川さえ渡り切らない者が、
どうして後の大河が渡れましょうか

憤激した善慧房は、
「それでは、あなたがそれほどまでに
自信を持っておっしゃるのならば、
この世で助けるという本願の
ご文を挙げてもらいたい。
それができなければ、あなたの独断と言われても
仕方がありますまい。

さぁ、その根拠を示してください

と迫りました。


時に聖人、いよいよ弥陀の本願の真意を
開顕する勝縁きたりと微笑なされて、
「善慧房殿、それは、
若不生者 不取正覚
(にゃくふしょうじゃ ふしゅしょうがく)のご文で
明らかでございます」

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何を申される。親鸞殿、
あなたは何か勘違いなされてはおられぬか。
あなたの示されたご文は、
若し生まれずば正覚を取らじ、
と弥陀が誓われたお言葉ではありませんか。

一度死なねば生まれることはできませんから、
私の正しいことを証明するご文にこそなれ、
あなたの説のあかしにはなりません

勝ち誇ったように叫ぶ善慧房。

しかしその時、すかさず聖人のお言葉が四方を圧しました。
善慧房殿、あなたの誤りは実にそこにあるのです。
若不生者の生まれさせると誓われたのは、
この肉体のことではないのです。
魂のことなのです。
心のことなのです。
暗い心を明るい心に、
不安な心を大安心に、
苦悩渦巻く心を歓喜の泉に
生まれさせるとのお誓いなのです。
人間の医者でさえ、
あなたの腹痛はこの世では
止められないから辛抱しなさい。
死んだら何とかしてあげよう、
という医者はありません。

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今、濁流におぼれて苦しんでいる者に、
今は救うてやれないが
土左衛門になったら助けてやるから、
それまで待っていろ、
という人がありましょうか。
ましていわんや、大慈大悲の阿弥陀仏が、
この世の苦悩はどうにもできぬ、
苦しくても我慢しなさい。
死んだら助けてあげるから、
と誓われる道理がないじゃありませんか


鋭い聖人の追及に善慧房すでに顔色なく、
一言の返答もできませんでした。
明らかな仏智を体得し、
絶対の幸福を獲得した者は、
あいまいな妥協はできず、
真実を発揮するために大胆不敵な信念を、
傍若無人に叫ばずにおれないのです。


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