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弥陀は「極楽への往復切符」も授けてくだされる! [親鸞聖人]

 

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の「とどろき」より載せています)

約800年前、親鸞聖人がお生まれになり、
教導されなければ、
私たちは知ることも、達成することも
できなかったであろうことがあります。
その聖人のご生誕を寿ぎ(ことほぎ)
無上の妙法聞かせていただく勝縁が、
「親鸞聖人・降誕会(ごうたんえ)」です。

(平成21年5月号のとどろきから載せています)

今日、世界の光と仰がれる親鸞聖人は、
90年の生涯、どんなことを教えていかれたのでしょうか。

今回は、「恩徳讃」といわれる有名なお言葉に込められた
親鸞聖人の御心を、聞かせていただきましょう。

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「如来」とは、本師本仏の阿弥陀如来のこと。
「本師本仏」とは、大宇宙に無数にまします
仏方の先生ということです。
「如来大悲の恩徳」とは、
阿弥陀如来の大慈悲心によって救われたご恩
ということで、
「そのご恩には、身を粉にしても」とは、
身命を賭してもお返しできない、
と言われているのです。


私たちの生活で、そこまでの恩返しがあるでしょうか。
どの医者にも見放された病気を治してもらったとしても、
その報恩に命まで捨てようとは思いませんし、
全財産投げ出そうとも思えません。

ところが親鸞聖人は、阿弥陀如来から受けた洪恩(こうおん)は、
死んでも報い切れない、
その阿弥陀如来の大悲を伝えてくだされた
方々(師主知識)のご恩も、
骨を砕いても済みません、と言われています。

恩徳讃は、親鸞聖人が救われて
阿弥陀如来と先生方のご恩を
讃嘆(さんだん)された詩なのです。

絶対の幸福に
     救われたからこそ

阿弥陀如来に救われたことを、親鸞聖人は、

愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦
雑行を棄てて、本願に帰す
 (教行信証)

親鸞は、29歳、雑行をすてて阿弥陀仏に救われた
と記されています。
『正信偈』冒頭にも、

帰命無量寿仏如来
南無不可思議光

“阿弥陀如来に親鸞、救われたぞ。
阿弥陀如来に親鸞、助けられたぞ”
と叫ばれていることは、
繰り返し詳述してきたとおりです。

「救われた」といっても、いろいろあります。
凍死しそうな時に、温かいものをもらって命拾いした。
遭難を救助されて急死に一生を得た。
これらみんな「救われた」といいますが、
親鸞聖人が
「救われた」と言われているのは、
阿弥陀仏の本願に救われた」ことです。

阿弥陀仏の本願とは、阿弥陀仏のお誓い、
お約束のことで、

「  どんな人をも
我をたのまん衆生は
  必ず助ける
       絶対の幸福に

というお約束です。
その本願に救われた、とは、
本願のとおりに「絶対の幸福に救われた」ことです。

「阿弥陀仏の本願まことだった、まことだった」
とハッキリ知らされたことを、
「本願に帰す」と言われているのです。
しかも、この弥陀のご恩はあまりにも大きくて、
身を粉にしても報い切れない、
とおっしゃっているのです。

そして、弥陀がいかに尊いご本願を建立されていても、
伝えてくださる方がなければ親鸞、
知ることはできなかたであろう。
弥陀の本願を届けてくだされた、インド・中国・日本の
師主知識(善知識)方の厚恩にも親鸞、
骨を砕いてもお返しできない、
と感泣されているのが「恩徳讃」なのです。

●「浄土へ往っても
         日帰りだ」

「身を粉に、骨砕いても」とは
オーバーに聞こえるかもしれませんが、
親鸞聖人はお亡くなりになる時、
こう言われています。

我が歳きわまりて、
安養浄土に還帰すというとも、
和歌の浦曲(うらわ)の片男波(かたおなみ)の、
寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人(みたり)と思うべし、
その一人(いちにん)は親鸞なり

            (御臨末の御書)

「我が歳きわまりて」とは、
「親鸞いよいよこの世の命尽きた」ということですが、
これは聖人だけにあるのではない。

私たちすべての確実な未来です。
早ければ今晩。
では、死んだらどうなるか、ハッキリしているでしょうか。

今年の2月、滝田洋二郎監督の映画『おくりびと』
がアカデミー賞を受賞し、
「外国語映画部門」では日本人初の快挙と報じられました。
死者に化粧を施し、
衣装を着せて棺に納める「納棺師」の男性が、
人間の生と死を見つめ直し成長していく物語。
「死」という普遍的なテーマを正面から描き、
「人間の尊厳」を訴えたことが、文化の違いを超えて
世界中の心をとらえた、と評価されています。
考えてみれば私たちは、遅かれ早かれ、
百パーセント死んでいかねばなりません。
「死の旅路」への、いわば「おくられびと」になる時が来るのです。

死ねば遺体は大事に納棺され、通夜、
葬儀が執り行われるでしょう。
最後は火葬され、一つまみの白骨となりますが、
それは肉体のこと。
では魂の行く先は?ハッキリしているでしょうか。

そもそも物質的なもの以外に、
消えずに残る何かが、有るのか、無いのか。
「死後の有無」すらも分かっていないのが、
実際のところでしょう。

私たちの肉体を、単純に「物質」として計算すると、
一人分の原価はわずか5000円だそうです。
内訳は、脂肪が石鹸7個分、炭素が鉛筆の芯9000本分、
鉄分が2寸釘1本分、リンがマッチの頭2200個分、
以上合計5000円、というわけです。

そう知ると、「遺体を大事に扱うことに、
そんなに意味があるのだろうか」と疑問に思ったり、
「人間の尊厳」が、
5000円ぽっきりの「肉体」にあるはずがないと、
なんとなく感じる人もあるでしょう。

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では、肉体が死んで灰になると、
「私」は一体どうなるのだろうか。

ガンと10年闘って世を去った岸本英夫氏(東大宗教学教授)が、
死と真正面から向き合った記録は壮絶です。

生命を断ち切られるということは、
もっとくわしく考えると、どういうことであるか。
それが、人間の肉体的生命の終わりであることは、
たしかである。
呼吸はとまり、心臓は停止する。(中略)
しかし、生命体としての人間を構成しているものは、
単に、生理的な肉体だけではない。
すくなくとも、生きている間は、人間は、
精神的な個と考えるのが常識である。
生きている現在においては、自分というものの意識がある。
「この自分」は、死後どうなるかという点に集中してくる。
これが人間にとっての大問題となる。

          (『死を見つめる心』)

死後が「有る」ように思うし「無い」ようにも思う。
分からない。
すべての人は、未知なる後生に向かって生きているのです。

われわれは断崖(危険)が見えないように、
何か目隠しをして平気でそのなかへ飛びこむ

パスカルは危ぶみます。
思えば私たちは、真っ暗がりの中を、
突っ走っているようなもの。
「死んだらどうなるか」未知の世界に入ってゆく底知れぬ不安を、
何かでごまかさなくては生きてはゆけない。

文明文化の進歩といっても、
後生暗い心が晴れない限り、
このごまかし方の変化に過ぎないといえましょう。

しかし、このごまかしは続かないし、
なんら問題の解決にはなりません。
何を手に入れても束の間で、
心からの安心も満足もない、
火宅のような人生にならざるをえないのです。

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ところが親鸞聖人は、そうではなかった。
「安養の浄土に還帰す」

親鸞死ねば、阿弥陀仏の極楽浄土に往く”
とハッキリ言われています。

これを「往生一定」といい、
“阿弥陀仏の極楽浄土へ往くことが、ハッキリした”ことです。

往生一定になった時、
未来永遠変わらない大満足の身になりますから、
これを「絶対の幸福」ともいわれます。

しかもその弥陀の救いは、一念という何兆分の一秒よりも
短い時に完成します
から、蓮如上人は、

たのむ一念のとき、
往生一定・御たすけ治定
」(領解文)

と教えられています。

29歳の御時、「往生一定」の身になられた聖人は、
それから61年間、身を粉に骨を砕いて、
不思議な弥陀の本願の開顕一つに
驀進(ばくしん)されたのですが、まだ足らぬ、
相済まぬ、九牛の一毛も報い切れないと、
90歳でお亡くなりになる時には、
「極楽でのんびりなんかしてない。
寄せては返す海のように、親鸞、すぐに戻ってくるからなあ」
とおっしゃっています。

みんな、何のために生まれてきたのか、
生きているのか、分かりませんから、
科学は進歩し医学は発達して、
これだけ世の中便利になっても、
少しも自殺者は減りません。
苦しみ悩みは絶えないのです。

だから聖人は、
“人間に生まれたのはこれ一つのためであったと出世の本懐、
果たすまで、親鸞は寄せかけ寄せかけ戻ってくる。
だから、一人で喜んでいる時は二人、
二人の時は三人と思いなさい。
喜んでいる時だけでない。
苦しい時も、悲しい時も、悩める時も、
常に親鸞がそばにいるからね”
と呼びかけていられるのが、
このご臨末のお言葉なのです。

すべては
   弥陀より賜るもの

では、どうしてそんなことができるのでしょうか。
聖人は、

「小慈小悲もなき身にて
有情利益はおもうまじ」
      (悲嘆述懐和讃)

慈悲のカケラもない親鸞、
他人を幸せにしたいという心など、
これっぽっちもない”
といわれています。
その聖人が、どうして“死んでからもすぐに戻ってくる”
と、「恩徳讃」の活躍をなされたのか、
と不審に思われる人もあるでしょう。

それについて『正信偈』には、

往還廻向由他力(往還廻向は他力による)
と教えられています。

「往還廻向(おうげんえこう)」とは、
往相廻向(おうそうえこう)と還相廻向(げんそうえこう)
の二つの廻向をいわれます。
「廻向」とは、差し向ける、与えること、
「他力」とは阿弥陀仏のお力のことですから、
往相廻向と還相廻向、二つの働きはひとえに
阿弥陀仏のお力によるのだ

と言われているお言葉です。
「往相」とは、「往生浄土の相状」のことです。
この世で阿弥陀仏の本願に救われて、
往生一定の身になった人は、
一日生きれば一日、一年たてば一年、
極楽へ極楽へと近づいていることになる。

この「極楽浄土へ往く相」を「往相」といいます。
この働きは阿弥陀仏が与えてくださるものですから、
これを「往相廻向」といわれます。

次に、「還相」とは「還相穢国の相状」のことで、
「還来」は戻ってくること。
「穢国」とは、この娑婆世界のことです。
娑婆というのはインドの言葉ですが、
中国では堪忍土といって、
言いたいことでも言ってはならない、
言いたくないことでも言わねばならない、
やりたいことでも我慢しなければならない時もあれば、
やりたくないことでも、やらねばならない時もある。
そのように、堪え忍ばなければ生きていけない世界なので、
この世のことを堪忍土、娑婆といわれる。
穢れた世界ですから「穢国」ともいわれます。

それで、阿弥陀仏に救い摂られ死んで極楽へ往った人が、
衆生済度のために娑婆世界に戻ってくる相を、
「還来穢国の相状」=「還相」といわれるのです。

(※衆生済度とは、苦しんでいる人々を助け、救うこと)

「寄せかけ還ってくる」の聖人ご臨末のお言葉は、
その告白であり、この働きも阿弥陀仏から賜るものですから、
「還相廻向」といわれ、「往相廻向」と合わせて
「往還二廻向(おうげんにえこう)といわれています。
分かりやすくいえば、
極楽への往復切符を頂くようなもので、
往くも還るも弥陀のお力による、ということです。

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『正信偈』には続いてこう書かれています。

正定之因唯信心(正定の因は唯信心なり)」

その往還廻向の働きの元は、
「唯信心一つなのだ」と言われているお言葉です。

この一念の信心一つで救われると教えられたのが
親鸞聖人ですから、
親鸞聖人の教えを、「唯信独達の法門」ともいわれます。
「ただ信心一つで、人生の目的が達成できる」
ということです。
これを無我に相承(そうじょう)された蓮如上人は、
有名な「聖人一流の章」に、

聖人一流の御勧化の趣は、
信心をもって本とせられ候
」 (御文章)

と断言され、また、

祖師聖人御相伝一流の肝要は、
ただこの信心一に限れり。
これを知らざるをもって他門とし、
これを知れるをもって真宗のしるしとす

          (御文章)

当流親鸞聖人の勧めまします所の一義の意というは、
先ず他力の信心をもって肝要とせられたり

             (御文章)

開山聖人の御一流には、それ、
信心ということをもって先とせられたり

             (御文章)

当流には信心の方をもって先とせられたる、
その故をよく知らずは徒事なり

              (御文章)

とも教示されています。

いずれも、
親鸞聖人90年の生涯、教えていかれたことは、
ただ信心一つであったのだ

(信心=阿弥陀仏からいただいた「南無阿弥陀仏」のこと)
ということです。そして、ご遺言には、

あわれあわれ、存命の中に皆々信心決定あれかしと
朝夕思いはんべり、
まことに宿善まかせとはいいながら、
述懐のこころ暫くも止むことなし

             (御文章)

と、私たちの「信心決定」一つを念じ、
真剣な聞法を教え勧めていかれたのです。

●「身を粉に骨を砕きても」の御心

29歳の御時、阿弥陀如来の本願に救い摂られた聖人は、
90歳でお亡くなりになるまで61年間、
文字どおり「身を粉に骨砕きても」の「恩徳讃」のご活躍をなされ、
なおもご臨末に、

“寄せかけ寄せかけ戻ってくる。
苦しい時も、悲しい時も、悩める時も、
常に親鸞がそばにいるからね”
と私たちに呼びかけていられる御心。
それは、「みなみな信心決定あれかし」
「どうかすべての人よ、片時も急いで、
阿弥陀如来の本願に救われてもらいたい」
これ以外に何もなかったことが、
お分かりになるでしょう。


 


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