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後生の一大事を解決するには何が一番大事か! [信心決定]

『御文章』の、「一心一向に弥陀たのめ」
      とはどんなことか

後生の一大事を解決し、
絶対の幸福を求めている私たちにとっては、
最も大切なこと
ですから、
親鸞聖人は、往生の肝腑自宗の骨目といわれ、
蓮如上人は分かりやすい比喩まで挙げて
ご教示になっています。

『御文章』二帖目九通に、

忠臣は二君につかえず、
貞女は二夫をならべず

という外典の言葉を引かれて、

「一心一向というは、阿弥陀仏に於て、
二仏をならべざる意なり」
と明示なされています。

「忠臣は二君につかえず、貞女は二夫をならべず」
という言葉は中国の『史記』という本に出ています。
仏教の経典以外の書ですから、
蓮如上人は外典と言われております。

●自殺した王蠋

その『史記』には次のような有名な話があります。
昔、中国の斉(せい)という国の王様が、
おごりに長じて酒色にふけって
大事な政治を怠っているのを嘆いて、
忠義な王蠋という大臣が
たびたび王に諫言(かんげん)しましたが、
いつも馬耳東風で一切聴きいれてくれなかった。
そこで王蠋は、身の不徳を嘆いて
役職を辞退して画邑という所へ隠居してしまいました。
王蠋のいなくなった斉の国は
崩壊を待つばかりの状態であったので、
隣国の燕王(えんおう)が今がチャンスと
楽毅(がっき)という人を総大将にして、
斉の国に攻め込んできました。
斉はひとたまりもなく崩壊しました。
その時、燕の大将。楽毅はかねてから
王蠋の賢徳手腕を高く評価していたので、
燕の高官に迎えたいと幾度も礼を厚くして勧めましたが、
王蠋は頑として応じようともしませんでした。
それでも楽毅が勧誘をあきらめなかったので、
最後にその使者に向かって、
「忠臣は二君につかえず、貞女は二夫をならべず」
と喝破して庭先の松に縄を掛け、
自ら首をくくって死んだとあります。

蓮如上人はこのことを思い出されて、
わずか娑婆一世の主従でさえ、
忠臣は二君に仕えずと言って死んで、
心の潔白を表しているではないか。

ましていわんや、未来永劫の一大事の解決を求めている者が、
二仏を並べていてどうして一大事を解決できようか。
私たちの一大事の後生を救い切れるお方は、
本師本仏の阿弥陀仏しかないのだから
弥陀一仏に一心一向になれよと、
お諭しになっているのです。

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間男見つけたり

讃岐の庄松同行がある時、法友の家を訪れると、
どうしたことか奥の間の床に神棚を祭り、
シメ縄を飾ってあるのを見て、
「間男見つけたり、間男見つけたり」
と大声で叫んで
弥陀一仏に一心一向になるように背いているのを戒めたのも、
「貞女は二夫をならべず」の言葉から出た言い草でありましょう。

もちろんこのことは、さかのぼれば釈尊出世の本懐である、
一向専念無量寿仏」のみ教えであります。
親鸞聖人はこれを、

一向専念の義は、往生の肝腑、自宗の骨目なり
                (御伝鈔)
と言われています。

今の行者、錯って(あやまって)観音勢至につかうることなかれ、
ただちに本仏をあおぐべし

               (御伝鈔)
と教え、

聖道・外道におもむきて余行を修し余仏を念ず、
吉日・良辰をえらび、占相・祭祀をこのむものなり、
これは外道なり、これはひとえに自力をたのむものなり

             (一念多念証文)
とまで断定なされています。

このように、私たちの後生の一大事の解決には
諸神諸仏の力も及ばないし、
余行余善も間に合いませんから、
それらを一切投げ捨てて、ひたすらに弥陀一仏に一向専念せよ

と最も厳しく教えられたのが親鸞聖人でありましたから、
世間の者たちは、親鸞聖人の教えを
一向宗とまでいうようになったと
蓮如上人はおっしゃっておられます。

無上仏の声なき声

これらのことによってもいかに親鸞聖人や蓮如上人が、
強く厳しく弥陀一仏に一心一向になれよと
教えられたかがお分かりになると思います。

ところがうぬぼれ強くて真実の自己を知らない私たちは、
これらの必死の善知識の仰せにも従えず、
諸神や諸仏に心をかけたり、
諸善万行を力にして流転を続けております。
それがやがて調熟の光明に照育されて、
罪を罪とも分からず、悪を悪とも感ぜず、
地獄行きを地獄行きとも知りえない、
三世の諸仏に見捨てられても
何とも思わぬ地獄一定の悪性の底を知らされ、
棒にも、はしにもかからぬ魂一つが
業に引かれて無間のドン底へ投げ込まれた時、
久遠劫から追いかけてきたのは、
その持ちも提げもならぬ、
諸仏菩薩に捨てられた心と一体になるためぞ!
の声なき声に貫かれ、
阿弥陀さま!こんなこととは知りませなんだ、
五劫思惟の本願はこの私一人のためでございました、
南無阿弥陀仏、阿弥陀仏、弥陀一仏に打ち任せた時を
一心一向に弥陀たのむというのです。
どうかここまで、聞き抜かせていただきましょう。


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