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自利利他で行こう!しあわせの種まき [因果の道理]

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自利利他で行こう
     しあわせの種まき

プロローグ★しあわせのスイッチ

夜八時を少し回ったこと、
お店には、女性たちのにぎやかな笑い声が響いていた。
“疲れたおとなの充電基地”をうたい文句に、
家庭料理と飾らない居心地のよさが評判の、
和風ダイニング『ダンナ屋』。

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照明を落とした店内をぐるりと見渡したマリ子は、
奥のテーブルで手を振るケンジを見つけた。
「ごめんなさい。遅くなって」
「いや、ボクも今来たばかり」
ほとんど空のグラスを見ればウソと分かったが、
ケンジの言い方がおかしくて、自然と口元が緩んだ。
ケンジは学生時代の先輩であり、
よき相談相手でもある。

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「今日もまた何かあったのかい?」
「分かりますかぁ」
マリ子は向かいに腰掛け、近づいてきた店員に、
冷たいゴーヤ茶を注文した。
「いっつもトラブルが起きるんです。
すごくイヤな人がいて・・・」
「そうか、大変なんだね」
「ケンジさんの周りは、そういうことないんですか。
いい人ばかりで、うらやましいな」
そうでもないよ。ま、ボクはなるべく
幸せのスイッチを入れるようにしてるだけ

「何ですか、それ」
ケンジはすぐには答えず、問いかけた。
例えば一日の中で、他人のことを考えている時間の割合、
考えたことある?」
「ないですけど、半分ぐらいかな」
「じゃ、その中で相手に何かしてあげようと思ってる時間と、
腹を立ててる時間は?」
「うーん。九割方、怒ってるかも」
「つまり、相手に何かしてあげようと思っている時間は一割未満?」
「まあ、そうなります

ケンジはぐっとマリ子のほうに顔を近づけて、ささやいた。

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毎日ちょっとでも多く、人に何か与えられないか考える。
それが幸せのスイッチ

えー、よく分からないけど、と言って、
マリ子は首をかしげた。
ゴーヤ茶が運ばれてきた。
店員は、手際よく次の注文をとって立ち去る。
とりあえず二人はグラスを重ねた。
で、さっきの続きだけど。
お釈迦さまがね、“幸せになりたければ、
相手に与えることを考えなさい。
もらうこと、取ることばかり考えていたら不幸になりますよ”
と仰っているんだよ

「えっ、お釈迦さま?」
ここからの時間は君にプレゼント、と言いながら、
ケンジは手帳とペンを取り出して、
さらさら書き始めた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  しあわせの
     原因と結果の関係

どうすれば幸せになれるのか。
私たちが一番知りたい、
運命の原因と結果の関係を教えられたのが、

善因善果
悪因悪果 
自因自果

という、お釈迦さまのお言葉です。
「善因善果」とは、善い種をまけば善い結果が現れる。
「悪因悪果」とは、悪い種をまけば悪い結果が引き起こる。
「自因自果」とは、善いのも悪いのも、
自分の現れる結果のすべては、
自分のまいたものばかり、ということです。

ここで「因(タネ)」とは、私たちの行いのこと。
「果」とは幸福や不幸の運命です。
幸福という運命は、善い行いが生み出したものであり、
不幸や災難は、悪い行いが引き起こしたものである。

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神というものがいて運命を造ったのでもなければ、
先祖のたたりで不幸になるのでもない。
自分の運命のすべては、
自分の行為が生み出したものなのだ

と、お釈迦さまは教えられているのです。
まかぬ種は生えませんが、まいた種は必ず生える。
善因は善果、悪因は悪果。
一度まいた種(行い)が消えることは絶対ありません。
私の人生をつくっているのは、
私の行為であり、因が変われば果も変わる。
運命は自分で変えられる、ということです。

幸せの種まき
    六度万行と布施

では、どんな種をまけばよいのでしょう。
お釈迦さまは、たくさんの善(諸善万行)を
教え勧められています。

しかし、あれも善、これも善と並べられても、
私たちはどれから手をつけてよいか迷いますね。
ちょうど、服を一着だけ買いに行ったのに、
何百着も並んでいると目移りして選べません。
そんな時、店員さんが気を利かせて、
数着候補を並べてくれると選びやすいでしょう。

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私たちが実行しやすいように、
お釈迦さまが、いろいろな善を六つにまとめられたのが、
六度万行(六波羅密ともいう)です。

その六つを挙げ、現代語で表現すると次のようになります。

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この六つに、数え切れぬほどの善がおさまっています。
しかも、どれか一つ実行すれば、
六つ全部したのと同じになるのが、六度万行の特長です。

中でも私たちがいちばんしやすいのが布施ですから、
お釈迦さまは、六度万行の最初に挙げられています。

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布施とは「施す、与える」こと。
広い意味で「親切」です。

布施を大きく分けると、財施と法施の二つになります。
財施とは、財を施す。
つまり、お金や物を人にあげることです。

恵む人は恵まれる。
生かす人は生かされる。
「幸せになりたければ、布施しなさい。
もらうこと、取ることばかり考えていたら、
善果はきませんよ」
とお釈迦さまは仰います。

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「与えたら自分の分が減るではないか」と思うでしょうが、
違うんです。
あげた人も、もらった人も、ともに幸せになれる。
やってみれば分かりますよ。

もちろん、これだけ与えればこれだけ返ってくるだろう、
と計算してやるのは、
商売であって布施ではありません。

お釈迦さまは、布施の心掛けとして、
「三輪空(さんりんくう)」を教えられています。

「私が(施者)」
「だれだれに(受者)」
「何々を(施物)」
この三つを忘れるように努めよ、ということです。

相手の幸せだけを考えて種をまくのです。
心が大切なんですよ。

お金や財を持たない人でも、
気持ちさえあれば七つの布施ができますよ、
とお釈迦さまは「無財の七施」を教えられています。

無財の七施

眼施(げんせ)
優しい温かい眼差しで周囲の人々を
明るくすること。「目は心の鏡」。
和やかな光をたたえた目は、どんなに人を慰め、
励ますことでしょう。

和顔悦色施(わげんえっしょくせ)
優しい笑顔で人に接すること。
笑顔は周囲を和ませ、
トゲトゲしい対人関係もスムーズにしますね。

言辞施(ごんじせ)
優しい言葉をかけること。
例えば事故や災害に遭った人に、
心から「命が無事で幸いでしたね」
と気遣う人もあれば、
「修理費いくら?うわーバカみたい」
と傷に塩を塗る人もある。
あなたはどんな言葉をかけていますか。

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身施(しんせ)
肉体を使って人のため、
社会のために働くこと。
いわゆるボランティアです。
知人が車に大きめのゴミ箱を置いていた。
道路にゴミが落ちていたら拾うためという。
普通なら「だれか片付けるだろう」と思うところ。
「みんなのために、自分に何かできることはないか」
という心が行動に表れます。

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心施(しんせ)
心から感謝の言葉を述べること。
「ありがとう」
「すみません」
たった5字の音声が、職場や家庭を明るくする。
反対に、その一言がなくて
信頼を失ったことはありませんか。

床座施(しょうざせ)
場所や席を譲り合う親切。
乗り物の座席の取り合いや、
権力の座の奪い合いを見ると、
いかに床座施が必要か知らされます。
「他人に譲る気持ちを持つようにしよう」
といわれますね。

房舎施(ぼうしゃせ)
求める人、訪ねて来る人があれば
一宿一飯の施しを与え、
その労をねぎらうことです。

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このように心がけさえあれば、
どんな人でも、いつでもできる善が布施なのです。

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ただし、誰にでも与えればよいのではありません。
えば放蕩息子に金銭を与えればますます堕落しますし、
泥棒の手助けをしてよいはずがありません。

お釈迦さまは、布施の相手を「三福田」
と説かれています。

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最も敬うべき、ご恩を受けているお方は、
私たちを未来永遠に幸せにしてくださる阿弥陀如来です。

そして親鸞聖人や蓮如上人など、
その阿弥陀如来の御心を伝えてくださった方々。

また、生み育ててくださったご両親や学校の先生、
他にも陰に陽にお世話になっている方もあるでしょう。

悲田(ひでん)は、病やケガ、災害や貧困などで
苦しんでいる人のことです。

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農家の人が田んぼに種をまくのを見て、
あいつは馬鹿だなあ、
あんなところに種を捨てて、と思う人はないでしょう。
やがて芽が出て成長し実を結んだ秋の収穫は、
すべて農家のものになるからです。

ちょうどそのように、布施をすれば、
その福徳は布施をした人のものになり、
やがて大きな幸せの実を結ぶから、

布施の相手を田んぼに例えられているのです。

欲深い私たちは、金でも物でも、
与えるとつい損をしたように思いますが、
逆だと教えられます。

布施の功徳は、幸せとなって必ず布施した本人に
現れるのですね。

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法施とは法を施す。
つまり、人に仏法を伝えることです。
財は一代の宝、法は末代の宝」といわれ、
金や財は生きている間の喜びですが、
仏法には未来永遠の幸せが説かれていますから、
それを伝えることは財施に勝るしあわせの種まきだと、
お釈迦さまは教えられています。


思う存分話ができなくても、
仏法が説かれる場所へ人を誘ってあげれば、
それも法施です。

「こんな尊い教え、自分だけ聞いているのはもったいない。
みんなに聞いてもらいたい」
と、わが家を開放して法話を開いたり、
聞法道場をつくる。
これは、財施と同時に法施もすることになり、
その功徳は計り知れません。
昔から、自分の家で法座を勤めると、
その家の屋根に留まった鳥から、
床下の虫まで尊い仏縁を結ぶといわれています。

財施も法施も、ともにしあわせの種まき。
まいた種はほかのだれでもない、
全部あなたのものになるのですから。

●エピローグ★自利利他で行こう

「何だか幸せになれそうな気がしてきた」
そう言ってマリ子は笑った。
店に入ってきた時の疲れ顔は、
もうどこかへ消えてしまったようだ。
ケンジはほほえみながら、最後にこう付け加えた。
仏教では、自分さえよければ他人はどうでもいい、
という考え方を最も嫌われるんだ。
我利我利亡者といってね。
我利我利とは、自分さえ助かればいい。
他人はどうでもいい、という心。
そんな人が愛され、慕われ、
恵まれるはずがないでしょ?

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仏教は自利利他。
他人を幸せにする(利他)ままが、
自分の幸せ(自利)となる。
他人も生かし、自分も生きる。

これが自利利他の道なんだよ
「自利利他、か。ステキな言葉ね」
マリ子は弾んだ声で答えた。
ちょうど熱々の料理が運ばれてきた。
「お待たせしました。
揚げ出し豆腐のほっこり煮と
『ダンナ屋』特製桜ご飯のセットでございます」
「うわっ、おいしそっ!」
おいしいですよー、と言いながら、
店員は二人の前にお膳を据えた。
「じゃ、改めて」
ケンジがグラスを手に取る。
マリ子もならった。
「自利利他で行こう!」
「乾杯!」
カラン、と、グラスの中で氷が揺れた。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
体験手記

無常を教えてくれた
    父のメッセージ
「いつまでも幸せが続くと思っていたのに、
無常の嵐が、何の前触れもなく吹いたのです」
清水さんが仏法を聞くきっかけとなったのは、
幼いころの悲しい出来事でした。
   石川県  清水 浩一さん(22・仮名)

「それ、人間の浮生(ふしょう)なる相(すがた)を
つらつら観ずるに、凡そはかなきものは、
この世の始中終、幻の如くなる一期なり」
蓮如上人の書かれた「白骨の御文章」の冒頭です。
18歳の時、私は初めてこのお言葉を聞き、
心を打たれました。
そして、胸にしまっていたあの出来事を、
思い出さずにはいられなかったのです。

6歳の夏、その日は。父と私、3歳の弟とで
海水浴を楽しんでいました。
とても高い飛び込み台から、父は繰り返し頭から飛び込んでいました。
何度目だったでしょう。
飛び込んだ父が、海面からなかなか上がってきません。
最初は、私や弟を驚かそうとしているのだと思いましたが、
いつまでたっても上がってこないのです。
にわかに周囲が騒然とし、大人たちが海に潜って、
父を捜し始めました。
言いようのない不安。
私はどうしていいか分からず、
ただ待つしかありませんでした。
やがて、2、3人に抱きかかえられ、
海から上げられました。
人々が取り囲み、心臓マッサージがなされている。
救急車のサイレンが鳴り響きました。
「さてしもあるべき事ならばとて、
野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、
ただ白骨のみぞ残れり」  (白骨の章)
190センチもあった父は、ひとつまみの白骨に変わり果てたのです。
「大好きなお父さんは、もういない。
二度と会えない。一体、何が起きたのか」
幼かった私には、とても理解できないことでした。
一つだけ分かったのは、母の狂わんばかりの悲しみ。
泣き叫ぶその姿は、今も忘れることができません。

●衝撃的な出遇い

事故から12年後、大学生になった私は、
高校の友人に誘われて、初めて仏法を知りました。
そこで聞いたのが「白骨の御文章」です。
衝撃的な蓮如上人のお言葉は、
私の胸に深く刻まれました。
営々と築き上げたどんな成果も、
人生の幕切れで、ぐしゃりと握りつぶされる。
残るはひとつまみの白骨のみ。
31歳の父が、姿にかけて教えてくれたのは、
この仏説まことだったのです。
「一度きりの人生、後悔だけはしたくない」
そう強く願って生きてきた私が、
“人生で果たすべき唯一の目的”
を教える仏法に出遇えたのです。
仏縁に恵まれ、今の私があるのも、
母のおかげです。
父亡きあと、いちばん悲しみ、苦労してきた大切な母にこそ、
この素晴らしい聖人の教えを伝えたい。
離れて暮らす母に何度も手紙を書き、
『とどろき』を送りました。
けれども、なかなか伝わりません。
“人一倍苦労し、ずっと応援し続けてくれたのに、
なぜ伝えることができないんだ。どうしたらいいのか”
もどかしさを抱えながら、
気がつけば3年が過ぎていました。

●「聖人の教えは、最高よ」

ところが昨年の秋、
「あなたから、話を聞くようにするよ」。
母の突然の言葉に耳を疑いました。
「職場の先輩から言われたの。
『親鸞聖人の教えは最高よ。息子さんがどんな話を聞いているか、
あなたも聞いてみなさい』って」
母は職場で、ある女性の先輩をとても尊敬し、
悩み事を何でも相談しています。
その先輩の机に、ある日、『とどろき』が置かれていたそうです。
実は20年来の読者で、
しかも、よく仏法を聞きに行っていることが分かりました。
信頼する方の言葉が縁となり、
11月、母と祖母が初めて聞法会場に足を運びました。
その日は『歎異抄』第7章についてでした。
「難しいお話だったね」
と言いながらも母は、
「浄土真宗では、どなたに手を合わせるの?」
と尋ねてきました。
「阿弥陀仏だよ」
と答え、阿弥陀仏とお釈迦さまの関係は
先生と弟子であることなどを話しました。
家族で肩を並べて聴聞し、法を語り合う、
夢のような幸せな時間でした。
“お母さん、22年間、苦労して育ててくれてありがとう。
お母さんの子供に生まれて、本当によかった”
仏法に出遇い、心からそう言えます。
身をもって無常の真実を伝えてくれた
父のメッセージを心に刻み、
家族で光に向かって進ませていただきます。


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コメント 2

cocoa051

良い行いに努めてみます。
by cocoa051 (2014-03-29 01:58) 

minsuke

cocoa051さん、コメントありがとうございます。
是非、私の記事に書いてあるように実行してみてください。
お釈迦さまの言われているとおりに自分が幸せになれますよ。
仏教は、弥陀の本願に救われるために説かれたものなので、
分かってきたら、真実の仏教求めてくださいね。
聴聞一つで、弥陀は救い摂ると誓われていますので、
聴聞会場に足を運んでくださいね。
by minsuke (2014-03-29 08:21) 

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