親鸞、更に私なし [親鸞聖人]
(真実の仏教を説かれている先生の書かれた「とどろき」より載せています)
「親鸞、更に私なし」
親鸞聖人と七高僧
親鸞聖人の教えとか、浄土真宗と聞きますと、
何か独自の教えを説かれた方のように
思うかもしれませんが、
そうではありません。
親鸞聖人の教えといっても、
お釈迦さまの説かれた仏教以外にはなかったのです。
聖人は常に、
「更に親鸞珍らしき法をも弘めず、
如来の教法をわれも信じ、
人にも教え聞かしむるばかりなり」
“親鸞の伝えていることは、
決して珍しい教えではない。
釈迦如来の教法を、
親鸞も間違いないと知らされたから、
皆さんにお伝えしているだけなのだよ”
と言われ、「親鸞、更に私なし」
ともおっしゃっています。
では、釈迦の教えとは何でしょうか。
親鸞聖人は『正信偈』に、
「如来、世に興出したまう所以は、
唯、弥陀の本願海を説かんがためなり」
“釈迦如来が、仏教を説かれた目的は、唯、
弥陀の本願一つを説くためであった”
と断言されています。
弥陀の本願とは、
「我を信じよ、すべての人を必ず絶対の幸福に救い摂る」
と誓われた大宇宙最高の仏さま・阿弥陀仏のお約束です。
この弥陀の救い一つを、お釈迦さまは、
生涯説いていかれたのです。
●貯水池と水道管
しかし、お釈迦さまは、約2600年前のインドの方。
親鸞聖人は、約800年前の日本の方。
時代も国も違う聖人が、どうして仏教を聞けたのでしょう。
「それは、インド・中国・日本に現れ、親鸞まで、
本当の仏教を間違いなく伝えてくだされた方々の
おかげであった」
と、聖人は『正信偈』に7人のお名前を挙げ、
それらの方の恩徳をしのび、褒めたたえています。
インドでは、龍樹菩薩、天親菩薩。
中国では、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師。
日本では、源信僧都、法然上人。
これらの方々を「七高僧」といいます。
山の上にある貯水池の水が、
家の蛇口をひねってすぐに飲めるのは、
水道管のおかげ。
弥陀の本願を貯水池に例えれば、
水道管に当たるのが、お釈迦さまから始まって、
龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信・法然上人の七高僧方です。
これら善知識(正しい仏教の師)のご教導あればこそ親鸞、
弥陀の本願に救われることができたのだと喜ばれ、
その弥陀の本願を、私たちに正しく伝えてくださったのです。
いかに聖人が仏教を正確に伝えられたか。
それは主著『教行信証』を見れば一目瞭然でしょう。
『教行信証』には聖人ご自身の作文は非常に少なく、
ほとんどがお経や七高僧の書かれた論・釈の引用です。
「経に言(のたま)わく」「論に曰(いわ)く」
「釈に曰く」とおっしゃって、
「親鸞は常に経・論・釈に基づいてお伝えしている。
独自の考えなど一切ない」
といわれています。
まさに「親鸞、更に私なし」
のお言葉です。
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他の仏教はどうなのか、疑問に思っている方もいると思います。
以下を見ていただければと思います。
お釈迦さまの本当のみ教えは、いかに骨抜きにされたか!
(空海、最澄、密教、加持祈祷、修験道、神仏習合などに関してです。)
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