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不平等な運命を、仏教ではどう教えられているのですか? [因果の道理]

(質問)不平等な運命を、仏教では
              どう教えられているのですか?

「人はみな平等だ」といわれますが、
とてもそうは思えません。
裕福な家に生まれ、
容姿端麗でスポーツも勉強もできる優秀な人と、
貧しい家庭に育ち才能もない自分とは、
明らかに差別があります。
努力してもどうにもならぬことがあるように思いますが、
これも運命とアキラメるしかないのでしょうか。
こういうことについて親鸞聖人は、
どう教えられているのでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(答え)
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」
人間は平等であることを福沢諭吉は喝破しました。
白人も黒人も有色人も、
富豪も大臣もホームレスも、
一皮はいだら同じ人間であることに、
なんら違いはありません。

けれども現実は、人間ほど、
不平等、差別の激しいものはありません。
生まれながらの賢愚美醜、強弱貧富などの差別や、
各人の身に起きる様々な事象など、
千差万別、億差兆別、実に複雑怪奇であることは
認めざるをえない事実です。

金持ちの家に生まれる者もあれば、
手から口へのその日暮らしの家に生まれる者もあります。
頭の良い人、悪い人、健康な者、病弱な者、
同じ学校を出ても大學の教授になる人、
会社の部長、家業を経営する人、職業を転々と変わる者、
事業に失敗して自殺する者、妻を亡くする人、
交通戦争の犠牲になる人など雑多です。

このようにすれば、間違いなく、
こうなるだろうと思ってやったことが、
とんでもない結果になって、
この後どうすればよいか、
途方に暮れることもしばしばあるでしょう。
いくら真面目に仕事をしているからといっても、
必ず成功するというものでもないし、
悪人だからといって、必ず不成功に終わるとも言い切れません。
善人の失敗者も多いですが、
悪人の成功者も少なくありません。

●正直者はばかを見る?

中国の顔回(がんかい)は、
孔子の門弟で最高の人格者でしたが、
極貧の生活で、しかも夭折(ようせつ)しました。
盗跖(とうせき)という大泥棒は、
悪事の限りを尽くしましたが、
生涯、富貴栄華を極めて死にました。

この2人の人生を対照して孔子は、
「ああ、天われを亡ぼせり、天われを亡ぼせり」
と嘆息しています。

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このようなことは、
私たちの身辺にもいくらでもあって、
「正直者はばかをみる、やりたい放題やりちらせ」
と、自暴自棄になる人やら、
「これはどうにもならない運命なのか」
と、アキラメ主義になる人もいます。
また、自分が不幸になると「あいつが悪い」から、
「社会が悪い」からと、
それらを怨む人も多いのです。

むろん、本人の注意や努力、環境や社会機構なども、
大いに私たちの運命に関係を持っています。
世の中の仕組みを変えることによって、
少なくすることもできるし、
無くすることのできる悲運もあるでしょう。

しかし、持って生まれた知能指数や性格など、
どうすることもできないものも多々あります。
なぜ、障害を持って生まれなければならなかったのか。
なぜ日本に生まれたのか。
なぜ昭和に生まれたのか。
なぜ、この親の子供として生まれなければならなかったのか、
なぜ、こんな子供を産まなければならなかったのかと、
悲運の原因を模索していますが、
結局は「分からない」とアキラメてしまいます。

三世を知るか否か

ここに仏教は、過去、現在、未来の三世の実在を説き、
それを貫く因縁果の大道理を示します。

私たちの現実は、限りなき時間と限りなき空間の上に成り立ち、
因縁果の道理に従って、過去、現在、未来と続くのですが、
現世だけしか知らない人間の目の届く範囲は
ごく限られています。
だから、現世だけの結果を見ただけでは、
原因のつかみようがないのです。

ただ、間違いないことは、
蒔かぬタネは絶対に生えぬということです。
結果があれば、必ず、
そうなる因と縁とがあってのことなのです。

頼山陽(らいさんよう)は、
釈迦と孔子と相撲をとって負かされている画を描いて、
仏教者の雲華院大含(うんげいんだいがん)に
「この絵に、賛をしてくれ」
と依頼した。
すると大含は、しばらく考えて、
孔子、三世を知らず、
釈迦顛倒(てんどう)して、これを笑う

と揮毫(きごう)したといいます。

人生を、今生だけにとらえて、
道徳倫理生活のみを強調する人も、
親鸞聖人の教えよりすれば、
無知蒙昧(むちもうまい)といわざるをえないでしょう。

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ひろたん

本日も学びました。
by ひろたん (2014-04-30 06:11) 

minsuke

ひろたんさん、コメントありがとうございます。
我々は死ぬとどうなるか分かりません。
それが分からずに飛び込んで行くことほどの
一大事はありません。
お釈迦さまは、教えています。
後生がハッキリしないから、
苦しみはそこから来ているのだと。
我々の魂はうすうす感じているのです。
後生(死後)が苦しみの世界であることを。
未来が暗いと今も暗くなります。
たとえば幼稚園児がいて、一週間後に遠足でもあれば、
今からうきうきしてきます。
5日後に生死を分ける大手術を受けねばならない人がいたとします。
その人に「今日ぐらい、楽しくやろうや」と言っても無理でしょう。
未来が明るいか、暗いかで今が変わるんです。
我々は毎日いろいろなことで苦しんでいます。
お金がないから、彼女がいないから、子供がいないから、
地位が、名誉が、家が、財産がないから、とそこに原因があると思いますよね。
または、逆にすべてに恵まれていたとしても、
今度は、お金や財産の管理で苦しむ、
子供がいれば、子供のために苦しみます。
お釈迦さまは、有っても無くても苦しむことには変わりはないと、
有無同然と言われました。
結局苦しみの本当の原因は、後生(死後)が暗いことに起因するんです。
仏教を聞く目的は、その後生暗い心を、
生きている今、阿弥陀如来のお力でぶち破ってもらうためなのです。
弥陀の本願とは、
「我を信じよ。苦しみの根元・後生暗い心をぶち破り、
必ず絶対の幸福にしてみせる」
と誓われた大宇宙最高の仏・阿弥陀如来の熱いお約束です。
それに対して、疑心がツユチリほどもなくなれば、
ただ今救い摂られるのです。
救い摂られれば、心は浄土に遊ぶように、
いつも幸福いっぱいに生かされます。
死ねば極楽往生間違いない身にさせてもらえるのです。
お釈迦さまはものすごいことを教えているのですよ。
続けて読んでくださいね。
by minsuke (2014-04-30 12:02) 

ひろたん

未来が暗いと今も暗くなります。
これは学びました。
暗くならないように日々の生活に励みなさいと
言うことですね。
気持ちの持ち方ですか。
難しい言葉では表現できません。
ありがとうございました。
悩みは山ほどありますよね。

by ひろたん (2014-04-30 19:57) 

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