なぜ、大無量寿経だけが真実の経なのか。 [釈迦]
親鸞聖人は『教行信証』の中に、
「それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり」
と、明言なされております。
これは、釈尊の説かれた経典は八万四千とか、
七千余巻とかいわれるほどたくさんありますが、
釈尊の本心を説かれた、
いわゆる出世本懐中の本懐経は
『大無量寿経』ただ一つだ、とおっしゃったものです。
そして、この『大無量寿経』以外の教典は、皆、
方便の経だと断定なされています。
では聖人は何を根拠として
このような断定をなされたのかといいますと、
まず『大無量寿経』の巻頭に、
釈尊自らが明言なされているからです。
すなわち、
「如来、無蓋(むがい)の大悲を以て三界を矜哀す。
世に出興する所以は道教を光闡し、
群萌をすくい恵むに真実の利を以てせんと欲してなり」
と、宣言なされています。
これは、私がこの世に生まれ出た目的は、
一切の人々を絶対の幸福に導く、
この経を説くためであったのだ、ということです。
この巻頭のお言葉だけでも、
すでに真実の経であることは明らかですが、
なお、この経の終わりには次のようにおっしゃっておられます。
「当来の世に経道滅尽せんに、
我慈悲を以て哀愍し、
特にこの経を留めて止住すること百歳せん。
それ衆生有りてこの経に値う者は、
意(こころ)の所願に随いて、皆得度すべし」
と、出世の本懐経であることのとどめを刺しておられます。
これはやがて、『法華経』など一切の経典が滅尽する、
末法法滅の時機が到来するが、その時代になっても、
この『大無量寿経』だけは永遠に残り、ますます、
すべての人々を絶対の幸福に導くことであろう、
とおっしゃったものです。
●仏として
なすべきこと
このようなことが説かれてあるのは
一切経多しといえども、この『大無量寿経』のみです。
釈尊は『大集経』その他の経典に、
私の死後1500年たつと末法という時機が来るが、
この時代になると、
一人も私の教えで助かる者がいなくなるであろう、
と予言なされています。
「釈迦の教法ましませど、修すべき有情のなきゆえに、
さとりうるもの末法に、一人もあらじとときたまう」
(正像末和讃)
とおっしゃっています。
しかも、その末法一万年の後には法滅の時機といって、
一切の経典が滅する時機がやってくるであろう、
とも予言なされています。
ところが『大無量寿経』には、
かかる法滅の時代が来ても、
この経だけは永遠に残るであろうと明言なされたことは、
永遠不滅の真実経は『大無量寿経』のみであることを
釈尊自ら告白されたのと同じです。
だからこそ、この『大無量寿経』を説き終わられた時、
釈尊は、
「これで如来としてなすべきことは、皆これをなせり」
と慶喜なされたのは当然でありましょう。