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親鸞聖人ってどんな方!? [親鸞聖人]

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出家の動機「死ねばどうなるの?」

親鸞聖人は、約800年前、京都にお生まれになりました。
父君は藤原有範、母君は吉光御前といわれます。
ところが4歳の時にお父さま、
8歳の時には、お母さまを亡くされました。
「次は自分の番だ。死んだらどこへ行くのだろう」
真剣に悩まれた聖人は、真っ暗なわが身の後生に驚かれ、
何とかこの心一つ明るくなりたいと、
9歳で出家なされたのです。

有名な
「明日ありと 思う心の 仇桜
     夜半に嵐の 吹かぬものかは」
の歌は、その時に詠まれたといわれます。

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煩悩と格闘された親鸞聖人

出家された親鸞聖人は、当時の仏教の中心地、
比叡山・天台宗の僧侶となられました。
天台宗はお釈迦さまの説かれた『法華経』の教えに従い、
戒律を守り、欲や怒りの煩悩と闘って、
さとりを得ようとする教えです。
その修行は峻烈を極め、まさに命懸けの難行でした。
しかし、静めようとすればするほど心は散り乱れ、
次々と煩悩の群雲(むらくも)がわき起こる。
「煩悩に汚れ、悪に染まった親鸞、
この山に助かる道があるのだろうか・・・」
血のにじむ20年の修行でも、
後生暗い魂の解決ができず、
精も根も尽き果てた聖人は、泣く泣く下山されました。

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恩師・法然上人との出会い

天台・法華の教えに絶望し、山を捨てられた聖人は、
どこかにこの暗い心の解決を教えてくださるお方はないかと、
旧友の手引きで、
「弥陀の本願」を説く恩師・法然上人に巡り会われます。
弥陀の本願とは、
「我を信じよ。苦しみの根元・後生暗い心をぶち破り、
必ず絶対の幸福にしてみせる」
と誓われた大宇宙最高の仏・阿弥陀如来の熱いお約束です。

法然上人から、その弥陀の本願を聞かれた親鸞聖人は、
雨の日も風の日も、聞法に専心されました。

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信心決定(明らかな弥陀の救い)

そして、29歳の春、弥陀の本願によって後生明るい心に
救い摂られたのです。

「誠なるかなや、摂取不捨の真言」
(弥陀の本願まことだった、本当だった!)
とは、明らかな弥陀の救いにあわれた聖人の
歓喜の告白でしょう。
このように、弥陀に救い摂られたことを、
信心決定(しんじんけつじょう)といいます。
信心決定された親鸞聖人は、
「こんな極悪の親鸞を助けてくだされた阿弥陀如来の大恩は、
身を粉にしても、骨を砕いても足りない」と、

90歳でお亡くなりになるまで、
ひたすら弥陀の本願一つ、叫び続けていかれたのです。

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