親鸞聖人は、人間は死んだらどうなると教えているのか!? [Q&Aシリーズ]
(問)親鸞聖人は
人間死んだら、どうなると
教えられているか
私は人間の生命活動は、全て物質現象だと思っています。
心も脳が生み出したものであり、
物質以外に「精神」や「魂」があるとは信じられません。
だから死後はないと思いますが、
親鸞聖人はどう教えられているのでしょうか。
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(答)
あなたのような考えは、古代からあったもので、
決して珍しいものではありません。
人間の脳は、一千億以上のニューロン(神経細胞)が、
網の目状に結合して複雑なネットワークを形成しています。
唯物論者は心といっても、
この複雑なニューロンの働きにすぎないと主張します。
それに対して、ニューロンの研究で1963年に
ノーベル生理学・医学賞を受賞したエックルスは、
「精神世界のすべてをニューロン活動のパタンにより
究極的に説明できる」と唱える唯物論は、
「迷信の部類」に入ると詳細に批判しています(『脳の進化』)。
そして私たちの心は、肉体が滅びた後も残る
非物質的な不滅の存在だと主張しています。
また、世界的に著名な脳外科医ペンフィールドは、
患者の露出された脳に直接、電気刺激を与えて
何を感じたかを聞くという、特異な実験を繰り返し
二十世紀の脳研究に画期的な成果を残しました。
●覆された唯物論
彼ほど生きた脳に触った人はいないといわれたペンフィールドは、
生涯、「心」は全てニューロンの働きで説明できるという
「唯物論」の立場で研究を続けてきました。
しかし最後に彼は、脳と心は別だと考えるほうが、
合理的だという結論に達しています。
「脳の神経作用によって心を説明するのは、
絶対に不可能だと私には思える。(中略)
私は、長い研究生活を通じて、
なんとかして心を脳で説明しようと試みてきた。
そして今、これまでに得られた証拠を最終的に検討しているうちに、
人間は2つの基本要素から成るという説の方が
合理的だと考えられることを発見して、
驚異の念に打たれているのである」(『脳と心の正体』)
ペンフィールドは、私たちの心は、
ちょうど古くなった車を乗り換えるように、
数え切れないほどの「脳」を乗り換えてきたのだろうと、
こう想像しています。
「心は脳にある特定の仕組みの働きと結びついている。
そして、数え切れないほどの世代にわたって、
心はどの人間でもこのように脳と結びついてきたのであり、
心の性格はある世代から次の世代へと
連綿と受け継がれていくことを示す有力な証拠がある」
●私の奥にひそむ私
脳の研究に生涯を懸けた第一級の科学者が、
脳だけで心は説明できないと言っています。
世間では、人間の行動を大脳の働きのみに帰結して、
物事を割り切って考える人がありますが、
そんな人は五体が健全で、各器官の働きが正常で単調なために、
その裏側にある自意識を超えた働きを、
のぞきみるチャンスがないからです。
器官の働きを支える背景にまで、
思いが回らないのです。
今日の心理学でいう深層心理より、
もっと深い奥に潜む「本当の私」が分からないからです。
もし人間が、自意識の統制できる範囲のなかでのみ
生きていると思っていられるとしたら、
それは余りにも無知といわなければなりません。
もっと深く生命の実相を学び凝視してください。
●私の未来を教える仏法
私たちの肉体は80年か100年の「借り物」ですが、
「真の私」は肉体が滅びた後も、
永遠に続くと仏法では教えられています。
“人間死んだら、どうなるか”
親鸞聖人の答えは、弥陀の救いに値わねば永く苦患に沈みますが、
平生、弥陀に救われれば、必ず、
無量光明土に生まれると常に明快に教えられています。
(無量光明土とは、弥陀の浄土)