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この命には意味がある [なぜ生きる]

(平成22年6月号のとどろきより載せています) 

 今、日本で介護を必要としている人は、
500万に上り、年々、増加の一途をたどっています。
避けられぬ老いや病、突然の事故などで、
だれもがいつ直面するか分からないのが「介護」です。

ちょうど一年前、本誌で特集したところ、
たくさんの反響を頂きました。
読者の中にも、
今まさに介護に携わっている方が少なくありません。

今回は、親鸞聖人の教えを心の明かりとし、
苦難を乗り越えている皆さんを紹介します。


・・・・・・・・・・・・
最近、全国紙の人生相談に、
60代の主婦が介護の悩みを率直につづっていました。

“10年前から夫は寝たきり。
初めは気丈に介護していたが、
先が見えず、気弱になって大声で泣きたくなる。
この先、どんな気持ちで介護し、
何を支えに生きればいいのか?”

同様の思いを抱く方も多いのではないでしょうか。
昨年6月号の特集では、仕事をしながら、
アルツハイマー病のご主人を介護する
岐阜県のカズコさん(仮名・63)
を紹介しました。
日常の悲喜こもごもをしたために、
「うちんひと(うちの人)」で始まる40もの句に、
“両親を看ていたころを思い出して涙した”
“今、私も同じ気持ちです”
と多くの共感が寄せられました。
作品の一部を紹介しましょう。

うちんひと じぶんだれだか わからない
うちんひと こどもみたいに だだこねる
うちんひと みはなされたわ むかんしん
うちんひと よそみばかりで わたしみて
うちんひと たまにはにっこり にくめない
うちんひと わたしがいれば いいわよね

懸命に世話をしているのに、当の夫は自分に「無関心」。
病のためとは知りつつも、やるせない思いになります。
それでも「私がいればいいわよね」と
気丈に介護されていました。
カズコさんがこの句を投稿して間もなく、
ご主人は入院。
昨年8月に届いたお便りには、

「もっと優しく、いろいろしてあげればよかったと、
一人になって悔やんでいます。
一人になってうれしかったのは最初の一ヶ月くらいでした。
今は毎日が寂しいです」。

肉体的にも精神的にも負担の大きい介護生活ですが、
介護する人もされる人も、
互いに支え合うかけがえのない存在なのです。

そのご主人が昨秋亡くなられ、
悲しみの中、カズコさんは続けて本誌で
仏縁を深めていかれました。

「なぜ生きるか。弥陀の救いにあわせていただくために、
私たちは生まれてきたと分かり、本当にうれしいです。
今までいろいろなことがあったけれど、
『とどろき』に巡り会い、いちばん大事なことが分かって、
ああ、やっと本当の幸せになれた、
そんな気持ちになれてよかったなーと思います」

本誌を知人に贈ったり、アニメ『世界の光・親鸞聖人』シリーズを
毎日のように見たりと、光に向かうカズコさんです。

●「心の休まる時がない」・・・在宅介護の現実

親鸞聖人の教えを心の支えとし、
介護に向き合う読者が石川県におられます。
川田郁恵さんは、20年来の本誌読者。
寝たきりの息子・浩さん(28)の介助に、
日々追われています。
3年前、交通事故で脳に大きな損傷を負った浩さんは、
手足も顔の筋肉も動かせず、
人の世話がなければ生きられません。
朝6時、郁恵さんの一日は、おむつ替えから始まります。
声を失った息子さんに語りかけながら、
体をふき、姿勢を変え、栄養食を胃に流し込む。
午前中の3時間、ヘルパーが来ているうちに、
買い物や家事を済ませます。
週4日は、訪問看護師や作業療法士が来て、
浩さんのリハビリを行います。
「手足を曲げたり伸ばしたり、
リハビリは相当痛いみたいです。
息子はいつもつらそうな息遣いになります」
夕食を取り、夜の10時半にオムツを替えると、
浩さんはやがて眠りに就きます。
しかし夜中も、呼吸器をつけたのどに痰がたまれば、
郁恵さんが機械を使って吸引しなければなりません。
24時間、郁恵さんの心が休まる時間はないのです。

●その日、母子の人生は一変した

事故に遭うまでの浩さんは、
司法書士を目指して勉学に励む真面目な青年でした。
趣味は音楽。
大学時代は軽音楽部でパーカッション(打楽器)を担当し、
仲間にも恵まれ、充実した日々を送っていました。
「盆や正月に帰省してきたと思ったら、
一日でとんぼ返り。
私が聞法を勧めても、『僕には音楽があるからいい』
と反発するんです」
転機が訪れたのは卒業後、実家に戻ってからでした。
家に置いてあった本誌を読み、
“音楽には完成がない。完成のある道を求めたい”
と自ら聞法に足を運んだのです。
それからは、離れた場所へも、自転車で通うようになりました。

平成18年11月。
その日、浩さんはひどく慌てて自転車を走らせていました。
やがて道の向かいに目的地が見えてくる。
車道を横断しようとしたその時、
スピードを出したトラックがすぐそこまで迫ってきた。

事故の知らせを聞いた時、何であの子が?
って思いました。
仏教では「まかぬタネは生えない」と教えられます。
どんな結果にも、必ず原因がある。
それは自分のまいたタネだと。
お釈迦さまがウソを仰るはずはないけれど、
“おっとりした性格で皆から好かれている息子。
何も悪いことなんかしていないのに、
なぜこんな目に・・・・”。
息子の運命を受け入れられませんでした。
いや、正直に言えば、今もそうです。

幾度の難手術に耐え、
一命を取り留めた浩さんでしたが、
脳に大きな損傷を負い、歩くことも話すことも、
音楽を奏でることも二度とできなくなってしまいました。
「でも幸いなことに、仏法を聞く耳は、残してもらったんです」
しかし病院では、他の患者に気兼ねして、
朝晩の勤行も仏法の話も落ち着いてできない。
聞法もできなければ、
ただ空しいだけの時が過ぎるばかり。
「こんなの耐えられない」
事故から1年4ヶ月、郁恵さんはついに決断しました。
在宅介護の道を選んだのです。

自宅なら勤行も仏法の話も心置きなくできます。
私は以前に介護の仕事をして、
ヘルパーの資格を持っているんです。
世話なら私にできる、って家族に啖呵を切りました。
ところがいざ引き取ってみると、
一日のやるべきことをこなすのに精一杯で、
仏法の話をする余裕はない。
ちょっと時間ができると、
自分の体を休めるのが優先になるんです。
“わが子にもう時間がないというのに、
自分がいちばんかわいくて、
息子のことは二の次、三の次。
世話ができるとうぬぼれていた・・・・”
そんな心が見えてきました。

間もなく浩さんのために、
自宅で仏教勉強会を開くことにしました。
日中は『朗読版とどろき』を流しています。
「仏法を聞いた後は、とても穏やかな表情をしています。
目がキラキラ輝いていて、法悦にひたっているみたいなんです」
在宅介護を始めて約2年。
浩さんの顔色も徐々によくなり、
「病院から来たばかりの時は、瞳が小さかった。
今は目から生きようとする意志を感じる。
病人の目じゃないですね」
と看護師やヘルパーが口をそろえて驚いているといいます。
中には、本誌を読み聞かせているうちに、
自分が読みふけってしまう看護師がいるそうです。

体は動かないけれど、
浩は看護師やヘルパーさんに仏縁を与えているんですね。
私も、息子から教えられることばかりです。
今まで、仕事で聞法の時間に間に合わないと
参詣をあきためていました。
しかし、どんなに聞法したくても、
自分では行けない息子の姿に、
健康など種々の縁がそろわなければ、
一度の聴聞のご縁には遇えないのだと分かったんです。
時間の長短じゃない。
気持ちが問題なんだ、と残り10分でも駆けつけるようになりました。
人間はもろいものです。
元気だといっても、いつどうなるか分からない。
今しか仏法は聞けませんね。

●最後の一息まであきらめない

今年3月、郁恵さんがとても驚いた出来事がありました。
事故以来初めて、浩さんが「号泣」したのです。
顔の筋肉を動かせない浩さんは、目を潤ませる程度。
ところがこの日、郁恵さんがベッドの傍らで
本誌を読み聞かせていると、
突然、浩さんの目から大粒の涙があふれてきたのです。
ふいてもふいても止めどなく流れ、
服やシーツを濡らしていきました。
郁恵さんが読んでいたのは、
18年8月号の巻頭特集。
富山の病院で起きた「呼吸器取り外し問題」をテーマに、
命の意味を問う内容でした。

18年の夏といえば、事故の前、
いちばん熱心に聞法に励んでいたころです。
当時もこの号を読んだと思います。
「延命に意味はあるのか」
いざ自分が寝たきりになって、
この問いが、初めてわが身の問題となったのかもしれません。
その特集の終わりのほうに、
「弥陀の救いはハッキリする。臨終息の切れ際でも」
と書かれてある。
命が他人の手にゆだねられている浩にとって、
これが唯一の希望です。

大宇宙の仏方の先生である阿弥陀仏は、
「すべての人を、必ず摂取不捨の幸せにしてみせる」
と誓われています。

「摂取不捨」とは、ガチッと摂め取って決して捨てない、
浄土往生間違いない幸せの身にすること。
それはあっという間もない「一念」で完成します。

この身になるために私たちは生まれてきた、
と教えられているのが仏教であり、親鸞聖人なのです。


覚如上人(聖人の曾孫)は、

「如来の大悲、短命の根機を本としたまえり。
もし多念をもって本願とせば、
いのち一刹那につづまる無常迅速の機、
いかでか本願に乗ずべきや。
されば真宗の肝要、一念往生をもって淵源とす」。
              (口伝鈔)

弥陀の大きな慈悲は臨終の迫っている人でも救い摂れるように、
最悪の人を主眼とされている。
救いは一念で完成する、
だから最後の一息まで絶対にあきらめてはならないよ、
と仰っています。

●人生には目的がある

介護の苦労も、明るい笑顔で語る郁恵さん。
最後に語気を強めてこう言われました。

息子が事故に遭った時、私は絶望しました。
親身に世話をするほど、
最愛のわが子なのに本心は分かってやれない、
心に寄り添うことができない寂しさ、
無力を痛感しました。
私も息子も孤独なんですね。
けれども、阿弥陀仏は絶望しておられません。
私たちの心を分かってくださり、
命がけで必ず助けると誓われています。
すべてに見捨てられても、阿弥陀さまだけは、
この子を最後まで見捨てられない。
そのことがありがたくて・・・。
“なのに、親の私が何を嘆いているんだ、
常に立ち上がっている親でなければ、
こんな体になった息子が浮かばれない”
とまた前向きな気持ちになれるのです。
人生には目的がある、この命には意味がある。
弥陀のご本願あればこそ、
浩も私も生きておれるんです。


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ぽちの輔

お久しぶりです。
ご訪問ありがとうございました^^
by ぽちの輔 (2015-04-09 05:57) 

minsuke

ぽちの輔さん、書き込みありがとうございました。
またお願いします。
by minsuke (2015-04-09 21:06) 

Mie

こんにちは
初めてこちらに参りました。
真摯な気持ちで読ませていただきました。
ありがとうございました。
by Mie (2015-04-11 17:16) 

minsuke

Mieさん、コメントありがとうございます。
弥陀の本願は作り話ではなく真実なんです。
疑う心が晴れればその場での救われるのです。
Mieさんがまたこのブログを読んでいただけることを念じています。
by minsuke (2015-04-11 17:29) 

kiichi

偶然 このブログに出会いました。
大変わかりやすくまた真実のお話が書かれているので感激いたしました。是非とも富山の先生の書物を拝読したいのでご紹介頂ければ幸いです。私も35年前に御縁にあいまして御信心を頂かさせてもらいました。
まだまだ信心は浅い愚か者ですが何卒宜しくお願い致します。

メール: k0091mfsp@yahoo.co.jp
by kiichi (2015-07-29 12:28) 

minsuke

kiichiさま、コメントありがとうございます。
返信が遅くなりすみません。
富山の先生の書物ですが、
右のサイドバーにご紹介させてもらっています。
とどろきの購読のお知らせや、
なぜ生きる、親鸞聖人の花びらなどです。
参考にしてくださいね。
by minsuke (2015-07-31 06:02) 

minsuke

Mieさま、コメントありがとうございます。
返信遅くなりました。
また読んでくださいね。

by minsuke (2015-07-31 06:03) 

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