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全ての仏さまが総がかりで阿弥陀仏の救いがあることを知らせている!! [経典]

 もし我々が池で溺れている犬を見たらどう思いますか?


何とかして救ってあげたいと思いますよね。


まして慈悲の塊である仏さま、


死ねば地獄しか行き場のない我々を見過ごすことはできない、


何とかして助けてあげたい、


阿弥陀仏の救いがあることを知らせねばと


浄土から、無数にある人間の存在する惑星に、


お釈迦さまと同じように説法されに来られるのです。


どんなすごい救いがあっても、それを教える者がいなければ


誰も助かりませんよね。


浄土から人間界にお出ましになるのも当然なことだと分かると思います。


そんな諸仏方が、


われらが師の仏、阿弥陀仏のご本願は真実に間違いない。


我々が保証するから早く信じなさいよ」


と保証人になって、


「阿弥陀仏の本願」が真実であることを叫ばれておられます。


それが説かれているのが『仏説阿弥陀経』です。


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(ここからは真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』から載せています)


お盆の法要や葬儀でなじみ深い『仏説阿弥陀経』は、
釈迦一代の結びの経といわれ、
大宇宙の仏の本師本仏である阿弥陀仏のことばかりが
説かれています。

今回は『仏説阿弥陀経』について学びましょう。


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●お釈迦さまが自ら語りだされたお経


約2600年前、インドに現れられたお釈迦さま(釈尊)が、
35歳で仏という無上のさとりを開かれてから、
80歳で涅槃に入られる(亡くなる)までの45年間、
説かれた教えを仏教といいます。
その教えは、7000余巻という膨大な数のお経に書き残されています。
これを「一切経」といいます。
お経の名前には必ず「仏説」とありますように、
仏である釈尊の説かれたものだけをお経といいます。
『仏説阿弥陀経』もその一つ。
この『阿弥陀経』の大きな特徴は「無問自答」といわれることです。
お釈迦さまのご説法は、
お弟子などの質問に答えられる形で始まりますが、
この『阿弥陀経』だけは例外で、
問わず語りに釈迦自ら語り始められたのです。

本師本仏の阿弥陀仏の本願を説くことこそが、
弟子であるお釈迦さまの出世本懐(この世に生まれた目的)であったのですから、
その目的を果たす喜びのあまり、
釈迦は自ら説かずにいられなかったのでしょう。

その『阿弥陀経』の冒頭には、こう説かれています。


一時、仏、舎衛国の衹樹給孤独園に在して、
大比丘衆千二百五十人と倶なりき

(ある時、釈尊は、千二百五十人の優れたお弟子とともに、
舎衛国の衹樹給孤独園におられました。


「舎衛国の衹樹給孤独園」とは、
中インドのコーサラ国の首都・舎衛城にあった大寺院のことで、
一般に「衹園精舎」と呼ばれています。
ここで『阿弥陀経』をはじめ、多くの経典が説かれていました。


爾時(そのとき)、仏、長老舎利弗に告げたまわく、
是より西方、十万億の仏土を過ぎて世界有り、
名けて極楽と曰う。
其の土(くに)に仏有(ましま)す。
阿弥陀と号す、今現に在して説法したまう

その時、釈尊は弟子の舎利弗にこう告げられました。
これより西方、十万億の仏土を過ぎて極楽という世界がある。
その世界には阿弥陀仏といわれる偉大な仏さまがましまして、
今現に説法をしていらっしゃるのだ、と


お釈迦さまは、宇宙には、この地球のようなものが数限りなくあり、
それぞれに仏さまがまします、と教えられています。

仏教では宇宙について
「地球のような世界が千個集まって小千世界、
小千世界が千個集まって中千世界、
中千世界千個で三千大千世界を形成している。
それらがまた無数に集まったのを、十方微塵世界という」
と説かれています。
これは、今日の天文学でいう宇宙観と大変似ており、
それが二千六百年もの古に釈迦によってすでに教えられていたことに
驚かずにおれません。

この宇宙観に基づいて、
「十万億の仏土を過ぎて、極楽という世界がある。
そこにまします仏を、阿弥陀仏といわれる」
と釈迦は説かれているのです。


●阿弥陀仏と釈迦仏の関係


阿弥陀仏とは、どんな仏さまなのでしょう。


彼(か)の仏の光明は無量にして
十方の国を照らすに障礙する所無し、
是(こ)の故に号して阿弥陀と為す

彼の仏の寿命及び其の人民も
無量無辺阿僧衹劫なり、故に阿弥陀と名く


『阿弥陀経』には、このように阿弥陀仏は
「光明無量、寿命無量」の仏さまであると説かれています。
「光明」とは、阿弥陀仏の智慧、お力のこと。
「無量」とは無限、計り知れないことですから、
空間的無辺を表します。
阿弥陀仏の光明は大宇宙どこでも届かぬ所がない。
何ものも妨げにならない
のだ、ということです。
「寿命」とは慈悲のこと。
阿弥陀仏の命は限りがないとは、時間的無限であり、
私たちを未来永遠に救ってくださる、
限りないお慈悲の仏さまである
ということです。

仏と聞けば、
「釈迦も、阿弥陀仏も同じ仏だろう」
と思っている人が少なくありません。

しかし、それは大変な間違いです。
釈迦と阿弥陀仏は違う仏さまであり、
その違いを知らないと、仏教は全く分かりませんから、
よく知っていただきたいと思います。

お釈迦さまは、地球上でただお一人、
仏という無上のさとりを開かれた方ですから、
「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」
といわれますが、そのお釈迦さまが、
「私の尊い先生を紹介しに来たのだよ」
と教えてくだされたのが、阿弥陀仏といわれる仏さまなのです。

お二方の関係について、お釈迦さまが詳しく教えられていることを、
蓮如上人も『御文章』にこう端的に仰っています。


ここに弥陀如来と申すは、
三世十方の諸仏の本師・本仏なり
         (二帖目八通)


お釈迦さまは、地球上では唯一の仏であり、
最も尊い方ですが、大宇宙には地球のようなものが無数にあり、
それらの世界には無量の仏がまします。

その仏方を総称して「十方の諸仏」といいます。
『阿弥陀経』では、大宇宙を東西南北上下の六方と表し、
それぞれの方角に、阿しゅくび仏、須弥相仏、大須弥仏、須弥光仏、
妙音仏など、たくさんの仏さまがましますと、
名前を挙げて説かれています。
阿弥陀仏がそれらの仏方の本師本仏であるとは、
十方諸仏の師であり先生である
、ということです。
諸仏は阿弥陀仏の弟子なのです。
地球で唯一の仏・釈尊も諸仏の一人ですから、
弥陀のお弟子です。


●釈迦出世の大目的


弟子の使命とは、何でしょう?
師の御心を正確に、一人でも多く伝える以外にありません。
ゆえに弟子の釈迦が説かれた仏教は、
師である阿弥陀仏の御心一つを教えられているのです。

そのことを親鸞聖人は『正信偈』に、こう明言されています。


如来所以興出世
 唯説弥陀本願海

(如来、世に興出したもう所以は、
唯、弥陀の本願海を説かんがためなり)


「如来」とは釈迦如来。
「釈迦が世に興出したもう所以は」とは、
「釈迦が、この地球上に現れて、仏教を説かれた目的は」
ということです。
「唯説」とは、ただ一つのことを説かれるためであった、
ということ。
七千余巻のお経、45年間の教法と聞きますと、
「お釈迦さまはいろいろなことを、
教えていかれたのだろう」
と思いますが、そうではない。

たった一つのことなのだと、親鸞聖人は断言されています。
一切経を99パーセント読んでも、こんな断言はできません。
残りの1パーセントに何が書かれているか分からないからです。
一切経を何度も読破されての、親鸞聖人の確言なのです。
私たちは釈尊が教えられた、そのたった一つのことを聞けば、
仏教全てを聞いたことになり、仏教の全てを知ったことになる。

ゆえに釈尊のただ一つ説かれたことほどの大事はなく、
それこそが「弥陀の本願」であると、親鸞聖人は仰っています。


●阿弥陀仏の本願


弥陀の本願とは、阿弥陀仏の本当に願っていられる御心のことで、
それはあまりにも広大で深いので、
海に例えられ「本願海」と言われています。
釈尊45年間の教えは、この弥陀の本願以外になかったのです。
しかも弥陀の本願一つ説かれているのは、
地球のお釈迦さまだけではありません。

大宇宙のあらゆる仏方も同様で、
それぞれの国土で、本師本仏の弥陀の本願一つを説くことを
出世本懐(世に現れた目的)とされているのです。

だから『阿弥陀経』には、
「われらが師の仏、
阿弥陀仏のご本願は真実に間違いない。
我々が保証するから早く信じなさいよ」
という諸仏の言葉が説かれています。


舎利弗、我今阿弥陀仏の不可思議功徳を讃歎するが如く、
東方にも亦、阿しゅくび仏、須弥相仏、大須弥仏、須弥光仏、
妙音仏、是の如き等の恒河沙数の諸仏有して、
各其の国に於て、広長の舌相を出してあまねく三千大千世界に覆いて、
誠実の言を説きたまう、汝等衆生、当に是の
『称讃不可思議功徳一切諸仏所護念経』を信ずべしと


舎利弗よ、この釈迦が今、弥陀の本願によってつくられた
南無阿弥陀仏の功徳の不可思議なることを説いているように、
東の方にもまた、あしゅくび仏・須弥相仏・大須弥仏・須弥光仏
・妙音仏、このようなガンジス河の砂の数ほどの無数の仏方が、
おのおのその国において、大雄弁をもって、
三千大千世界の至るところで、
“全ての人々よ、まさにこの不可思議な弥陀の本願を信ずる以外に
救われる道はないのだ”
と真実の説法をしておられるのだ


これは東方のみならず、南方、北方、上方、下方の六方にまします仏方が皆、
弥陀の本願まことを保証しておられることが続いて説かれています。
これが有名な「六方諸仏の証誠」です。

先述しましたが、東西南北の四方に上方・下方を加えて
説かれる釈尊の宇宙観は、今日、明らかになっている宇宙の構造を、
まるでご存知だったかのようです。
仏さまの深い智慧の一端が知られるでしょう。
また、その大宇宙にたくさんの仏がましますことも、
「仏々想念」とか「唯仏与仏の知見」といわれる仏智の働きによって
仏さま同士が互いに通じておられるから、分かられたことです。


●すべての仏さまが
    たたえるのはなぜか?


その大宇宙のすべての仏方が、
「偉大な仏だ、尊い仏だ、われらの師匠である」
と褒めたたえ、手を合わせて拝まれるのが阿弥陀仏です。

十方の諸仏方が一仏残らず褒めたたえておられるとは、
いかにすごいことでしょうか。
人間ならば、どんな立派な方でも、万人に褒められることはないでしょう。
「過去にも、今にも、未来にも
 皆にて謗る人もなく
 皆にて褒むる人もなし」
       (法句経)
ところが仏の世界にはあるのです。
阿弥陀仏こそは、大宇宙のすべての仏方が異口同音に
褒めたたえられる最も偉大な仏さまなのです。
それは、他の仏にない、ズバ抜けて優れたお力を
持っておられるからです。


舎利弗、彼の仏の光明は無量にして
十方の国を照らすに障碍する所無し、
是の故に号して阿弥陀と為す

舎利弗よ、彼の仏の光明<智慧・お力>は無限であり、
大宇宙の全ての世界を照らして、妨げるものは何一つない。
無限のお力を持たれた阿弥陀仏なのである


「光明」とは、仏の智慧を表す、とはすでに述べました。
阿弥陀仏が、諸仏に優れているのは、
実にこの無量の光明であると、親鸞聖人は讃嘆なされています。


仏光照曜最第一
光炎王仏となづけたり
三塗の黒闇ひらくなり
大応供を帰命せよ

     (浄土和讃)
*大応供(だいおうぐ)・・・「応供」とは供養を受けるにふさわしい方、仏のこと。大応供とは最もすぐれた仏のことで阿弥陀仏のこと


阿弥陀仏の光明は最第一にして、
諸仏の光明は遠く及ばない。
阿弥陀仏を光炎王仏とお呼びするのだ。
その光明は三塗の黒闇<無明の闇>を破るお力があるから、
大応供の阿弥陀仏を帰命しなさい


最第一のお力を持たれた本師本仏の阿弥陀仏。
その光明は「三塗の黒闇(無明の闇)」をひらく(破る)ことができる
ズバ抜けたお力、智慧です。
そこで諸仏方は光炎王仏とか大応供ともお呼びし、
異口同音に褒めたたえずにおれないのです。

大宇宙広しといえども、我々の三塗の黒闇(無明の闇)を破るお力は、
阿弥陀仏の光明以外
ありませんから、
一切の諸仏が称賛するのです。

では、三塗の黒闇(無明の闇)とは何なのでしょうか。
これは、「死んだらどうなるか分からない心」
「本当に浄土往生できるのだろうか、という不安な心」をいいます。
死に直面すると、黒いというか、暗いというか、
真っ暗がりの闇の心になりますので、
親鸞聖人は「黒闇」と仰っているのです。

先のお盆の項でも書きましたが、
死は万人の確実な未来ですが、死ねばどうなるか分からぬまま、
私たちは日々を生きています。
飛行機でいえば、どこへ向かって飛んでいるのか、
降りる場所もハッキリせぬまま、飛んでいるのです。
その不安をごまかそうと機内でどれだけ楽しもうとしても、
心底からの安心も満足も味わえない。
この暗い心を無明の闇といい、
全ての人の苦悩の根元であると教えられます。
そこで、阿弥陀仏は、この無明の闇をぶち破ってみせる、
と誓われ、兆載永劫という気の遠くなる長期間、
大変なご苦労をなされてつくられた「南無阿弥陀仏」の六字の御名号を、
平生の一念に私たちに与えて、救ってくださるのです。

『阿弥陀経』に六方(十方)諸仏の「称讃不可思議功徳」とあるのは、
阿弥陀仏のつくられた、その「南無阿弥陀仏」の不可思議な功徳を、
すべての仏方が褒めたたえている、ということなのです。
その諸仏称讃の名号(南無阿弥陀仏)を、
私たちが受け取った一念に救われることを、


IMG_20150531_0003.jpg-1.jpg


と説かれています。
この弥陀の本願のとおりに南無阿弥陀仏を信受し、
救われたならば、無明の闇が破られ、後生明るい心になります。

いつ死んでも弥陀の浄土、限りなく明るい無量光明土に
生まれることがハッキリいたしますから、
これを「往生一定」というのです。

「往生」とは、この世終わると同時に、
弥陀の浄土に往って、弥陀同体の仏に生まれることです。
それがはっきり定まったのが「一定」。
最高に素晴らしいところに往けることが、
ただ今、決定いたします。
生きてよし、死んでよし、いつでもどこでも大安心大満足の絶対の幸福で、
この世を生き抜くことができるのです。


全ての人よ、一日も片時も急いで、
弥陀の本願を信じ、この無上の幸福に救われてもらいたい」
大宇宙の諸仏方が保証人になって、
阿弥陀仏の本願が真実であることを証明されているのが
『仏説阿弥陀経』なのです。


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