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ご遺言にあふれる恩徳讃の心 [親鸞聖人]

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし

       (親鸞聖人・恩徳讃)
阿弥陀如来の洪恩は、
身を粉にしても報い切れない。
その弥陀の大悲を伝えてくだされた方々のご恩も、
骨を砕いても済みませぬ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
親鸞聖人の「恩徳讃」は、熱火の法悦にあふれ、
強い決意に満ちています。

終生変わらず、この恩徳讃そのままのご活躍をなされた方が
親鸞聖人でありました。
「身を粉にしても、骨を砕きても」
と、大変なご苦労の中、伝えてくだされた真実によって、
私たちは本当の幸せを知り、永久に崩れぬ幸せになれるのです。

今回も、この「恩徳讃」の御心をお伝えいたしましょう。

●報恩一つに生き抜かれた波乱万丈のご生涯

「阿弥陀如来の大恩と、
その救いをお伝えくだされた師主知識の深恩は、
身を粉に骨砕きても相済まぬ。
受けし恩徳限りなく、返す報謝はやむことなし」
親鸞聖人の真情を知れば、
阿弥陀仏の救いがいかに不可称不可説不可思議で、
どれほど広大無辺かが知られます。

もし弥陀の救いが死後ならば、
この「恩徳讃」はありえません。

世に粉砕砕身の形容詞はありますが、
不治の難病を治してもらってでさえ、
「ご恩返し、この身、砕け散っても」とは思えぬもの。

ところが、聖人90年の「恩徳讃」は、
全く形容詞ではありませんでした。

親鸞聖人の生きられた平安末期から鎌倉初期は、
源平の合戦や干ばつの大飢饉で天下は麻のごとく乱れ、
養和の都の死者は43000人を超えたと『方丈記』は記しています。
かかる不穏な社会情勢の中、仏意を鮮明にせんと聖人は、
大変なご苦労をなされました。
31歳、すべての人が煩悩あるままで救われる
弥陀の本願を身をもって明らかにされるため、
僧侶に固く禁じられていた肉食妻帯を断行。

堕落坊主、破戒坊主、悪魔、狂人との世間中の非難も
甘んじて受けられています。
34歳、法然上人の元で、法友たちと激しい論争を三度もなさったのも、
弥陀の本願の聞き誤りを正されるためでした。

35歳の越後流刑は、阿弥陀仏以外に私たちを救ってくださる方はないと
死刑覚悟で徹底的に叫ばれたからです。

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流罪のご苦労は5年に及び、その後、関東に赴かれた。
仏法嫌いの日野左衛門の門前で、極寒の中、
石を枕に雪を褥に休まれ仏法に導かれたのも、
剣をかざし、聖人を殺しに来た山伏・弁円に、
「御同朋、御同行(友よ、兄弟よ)」
とかしずかれ、親しく弥陀の本願を説かれたのも、
弥陀の大恩に報いるため以外にはなかったのです。
そして、生まれ故郷の京都へ帰られた後、
84歳の老聖人に、さらなる人生の怒涛が待っていた。
関東に残してきた長男の善鸞が、
事もあろうに仏法をねじ曲げていると知られたのです。
何度もいさめの手紙を出されましたが、
善鸞は一向に改めようとはしませんでした。
わが子のために多くの人を迷わすことはできぬと、
断腸の思いで義絶。
親子の縁を切ってまで聖人は、
弥陀の本願を護り抜いてくださったのです。

●「御恩報謝やむことなし」とのご遺言

親鸞聖人をかくも雄々しく前進させたのは、
利害得失でもなければ名聞利養でもありませんでした。
「深い阿弥陀仏のご恩を思えば、
世間の悪口や非難などで逡巡(しゅんじゅん)してはおれない」

(逡巡・・尻込みすること)

誠に仏恩の深重なるを念じて人倫のろう言を恥じず
                (親鸞聖人)

ひとえに如来大悲の恩徳に感泣し、
じっとしていられぬ衆生済度の報恩行だったのです。
それでもない「ご恩返しは相済まぬ」のお気持ちを遺言なされ、
『御臨末の御書』として今日に残されています。
そのお言葉を心静かに聞かせていただきましょう。

我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、
和歌の浦曲の片男浪の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり

            (御臨末の御書)

これが、弘長2年11月28日、
京都で90年の生涯を閉じられた聖人のご遺言です。
「我が歳きわまりて」とは、
「私の寿命もいよいよ尽きることとなった」ということ。
言うまでもなく、聖人だけが「歳きわまる」のではありません。
生ある者は、必ず死す。
地震や津波に遭わずとも「我が歳きわまる」時が、
100パーセント訪れます。
しかしそれは「今日とも知らず、明日とも知らず」
と蓮如上人が『白骨の御文章(御文)』に言われるとおりで、
すべての人にとって「死ぬ」ことほど確実なものはなく、
「いつ死ぬか」ほど不確実なものはないのです。
ところがどうでしょう。
何百年に一度の事故や災害には、
「万が一」と保険に入って備えるのに、
例外なく訪れる「万が万」の自分の死には
全くの無防備ではないでしょうか。

そして、今日もあくせく、目先の幸せに走り回っています。

しかし、死の巌頭に立たされた時、
それまで明かりとしてきたものは、皆、光を失って、
色あせたものになってしまいます。

「今までの人生、何だったのか」
と愕然とし、それまで軽く考えていた、
「死んだらどうなる」
の問題が、グウッと重い問題となるのです。

ある哲学者はこう書いています。
「死が全く人間の予測や思考の枠を超えた存在であり、
死後の世界が不安と謎に満ちたブラックホールなのである。
死んだらどこへ行くのか、死んだら自分はどうなるのか、
という問いは、現世の人間関係とか財産の喪失とは
まったく次元の異なる恐怖をよび起こす」

受験生は、合格発表を聞くまで落ち着きません。
行く先がハッキリしていないからでしょう。
被災地の方は「この先どうなるか、先が見えない」
と口々に訴えられます。
誰しも未来がハッキリしなければ不安なのです。
しかし、最も不安で分からないのは、
「死んだらどうなるか」という後生です。

チラリとでも死が脳裏をかすめると、
生の土台が根本から揺らぎ、全く心の安定をなくしてしまいます。
これ以上の大問題はありませんから、
これを仏教で「生死の一大事」とも「後生の一大事」ともいわれるのです。

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●後生明るくなった一大宣言

次に、親鸞聖人が『御臨末の御書』に
「安養の浄土に還帰す」と言われていますのは、
「安養」とは、安養仏のことで、阿弥陀仏の別名です。
阿弥陀仏のましますところを安養界ともいわれます。
「安養界」は『正信偈』にも
「至安養界証妙果(安養界に至りて妙果を証す)」
と出てくる言葉で、安楽浄土の世界、極楽浄土のこと。
「妙果」とは、仏のさとりのことです。
ですから、「我が歳きわまりて、安養の浄土に還帰す」とは、
「命尽きたら、この親鸞、阿弥陀仏の極楽浄土へ往くぞ」
の一大宣言です。
このように、いつ死んでも極楽往生間違いない身になったことを
「往生一定」といいます。
「往」は弥陀の浄土へ往くこと。
「生」は仏に生まれる。
「往生」とは、弥陀の浄土へ往って阿弥陀仏と同じ仏に生まれることです。
「一定」は「一つに定まる」ことですから「ハッキリする」。
いつ死んでも浄土往生間違いなし、とハッキリしたことを
「往生一定」といわれるのです。
暗い後生が明るい後生に転じ、
未来永遠変わらぬ大満足に生かされますから
「絶対の幸福」ともいわれます。
聖人は29歳の御時、阿弥陀仏の本願力によって、
一念で「いつ死んでも浄土往生間違いなし」
と後生明るい心に救い摂られました。
だからこそご臨末に、ためらいなく「安養浄土に還帰す(弥陀の浄土へ帰る)」
「往生一定」と明言なされているのです。
今死ぬとなった時、果たして私たちは同じ断言ができるでしょうか。
もし、後生暗いままなら、極楽浄土へ往けませんから、
親鸞聖人のみ教えを口伝えに聞かれた曽孫(ひまご)の覚如上人は、
こう教えられています。
「浄土へ往けるかどうか(往生の得否)は、平生の一念で決まる。
今、往生一定の身になっていなければ(不定の念に住せば)、
浄土往生できない(かなうべからず)」

然れば平生の一念によりて往生の得否は定まれるものなり。
平生のとき不定の念に住せばかなうべからず  (執持鈔)

「現在、往生がハッキリしていない不定の心では、
極楽往生はできませんよ。
早く、往生一定の身になってもらいたい。
阿弥陀仏のお力で、どんな人でも必ずその身になれるのだから」
との御心です。
このように、阿弥陀仏の本願力によって、
一念で「往生一定」に救われ、
絶対の幸福に生かされることこそ、私たちの生きる目的であり、
人生の決勝点であると親鸞聖人は教えられているのです。

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●無限の報謝

では親鸞さま、極楽へ往かれたらどうされるのですか?
とお聞きすると、
「一度は浄土へ往くが、寄せては返す波のように、
すぐ戻ってくるぞ」

和歌の浦曲(うらわ)の片男浪(かたおなみ)の、
寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ

と仰っています。
「和歌の浦曲の片男浪」とは、
万葉の昔から美しい海の代名詞になっている
和歌浦片男波海岸(和歌山県)のこと。
あれだけのご布教をされた親鸞聖人が、
「今生だけではとてもご恩返しは相済まない。
いまだ苦しんでいる人を見捨てて、極楽で一人楽しんでなどおれぬ。
苦しみ悩める人が一人もいなくなるまで、親鸞は無限に戻ってくる。
衆生済度は今からだ」
と仰るのです。
これは、阿弥陀仏より賜る「還相廻向」の働きによる、
と親鸞聖人は教えられています。

他力の信をえん人は
仏恩報ぜんためとて
如来二種の廻向を
十方にひとしくひろむべし (正像末和讃)

阿弥陀仏より他力の信心を賜って救い摂られた人は、
弥陀の大恩に報いるために、弥陀から二つの贈りもののあることを、
漏らさず伝え切らねばならない。

弥陀の二つの贈りものとは
「往相廻向(弥陀の浄土へ往く働き)」
「還相廻向(浄土から娑婆に還来して、すべての人を救わねば止まぬ働き)」
の二つである。

この「還相廻向」の働きを聖人は、
「寄せかけ寄せかけ、無限に、この娑婆へ帰ってくる」
と表されているのです。

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●いつも側に親鸞がいるからね

一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり    (親鸞聖人)

私たちが生死の一大事に驚き、聞法に燃え、
往生一定に生かされるのも、
救い摂られたその時から報恩の活動に突き動かされるのも、
全ては阿弥陀如来の広大なお働きによると
明らかにしてくだされた方が親鸞聖人です。
私たちは今、深い因縁で人間に生まれ、
等しく弥陀に照育され、無上道を歩んでいます。
うれしい時も、悲しい時も、決して一人ではありません。
「はらからよ、ともに無上道を進もうぞ」と、
いつも聖人が寄り添い、手を引いておられるのです。

永久の闇より救われし
身の幸何にくらぶべき   (真宗宗歌)

「無量の過去から苦しみ続け、泣き続けた永久の闇から、今、救われた」
とハッキリする時が、必ずあります。
一人居て喜ばは二人と思えと言われても、
“それは往生一定になった人のこと”
と、一人寂しく泣くことはありません。
「一人居て苦しまば二人と思うべし、
二人居て悩まば三人と思うべし、その一人は親鸞なり」
衆生苦悩我苦悩(人々の苦しみは我が苦しみ)。
悩める人にこそ心をかけてくだされるのです。
苦しんでいる人を放置されるはずがないではありませんか。
喜びも悲しみも、聖人はともにあるのです。
光に向かう人生に、恐れるものは何もない。
無量光明土に向かって、日々、力強く前進させていただきましょう。
最後に「恩徳讃」の御心あふれるご遺言を、
もう一度、聞かせていただきます。

我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、
和歌の浦曲の片男浪の、
寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり     (御臨末の御書)

「間もなく私の、今生は終わるであろう。
一度は弥陀の浄土へ還るけれども、
寄せては返す波のように、すぐに戻ってくるからな。
一人いる時は二人、二人の時は三人と思ってくだされ。
うれしい時も悲しい時も、決してあなたは、
一人ではないのだよ。
いつも側に親鸞がいるからね」


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