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「死んだら何もかもおしまい」じゃないよ [因果の道理]

「死んだら
何もかもおしまい」
    じゃないよ ーカルマ(業)の法則

「まいたタネは必ず生える」といわれますが、
今、私のまいているタネ(業・カルマ)が生きている間に
結果を現さなかったら、タネは消えてしまうのでしょうか。
その疑問にお答えします。

●「逃げ得」ということもある?

中国の顔回という人は孔子の門弟で最高の人格者でしたが、
極貧の生活で、しかも夭折した。
一方、盗跖(とうせき)という大泥棒は悪事の限りを尽くしましたが、
生涯、富貴栄華を極めて死んだ。
2人の人生を対照して孔子は「ああ、天われを亡ぼせり、
天われを亡ぼせり」(一体どうなってるんだ!)
と嘆いています。
実際、幾ら真面目に仕事をしているからといっても
必ず成功するものでもないし、
悪人だからといって、必ず不成功に終わるとも言い切れません。
善人の失敗者も多いですが、悪人の成功者も少なくありません。
罪を犯しても一生逃げ通せば「逃げ得」もあるのか、
仏教ではどう教えるのでしょう。

●三世を知れば、ナゾが解ける

お釈迦さまはこのような疑問に対して、
過去、現在、未来の「三世」の実在を説き、
それを貫く因果の法則を示されています。
私たちの生命は、とうとうと流れる大河のようなものだと
仏教では説かれています。
永遠の生命の流れから見れば、80年~100年の人生は、
大河にポッとできた泡がしばらく流れて
パッと消えていくのに例えられるでしょう。
その果てしない生命の流れの中で、
人間に生まれる前を「過去世」(前世)といい、
生まれてから死ぬまでを「現在世」(現世)、
死んだあとを「未来世」(来世・後生)といわれます。
この三世にわたって説かれているのが、
仏教の「因果の道理」です。

●未来の結果を知りたければ・・・

「過去世や未来世なんて、本当にあるの?」
と思われる方もあるでしょう。
しかし私たちが生まれたということは、紛れもない結果です。
しかも地球上、70億の人はあっても、生まれた時も所も、
容姿も才能も同じ人は一人もいません。
その運命の違いは何によって決まったのでしょうか。
これについてもお釈迦さまは、こう説かれています。
「汝ら、過去の因を知らんと欲すれば現在の果を見よ。
未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ」
(過去、どんなタネまきをしてきたかを知りたければ、
現在の結果をみなさい。
未来、どんな結果が現れるか知りたければ、
現在のタネまきを見なさい。分かるであろう)

●肉体が滅んでも続くものがある

このお釈迦さまの教えによれば、
一人一人の生まれた結果が異なるのは、
70億人それぞれに、生まれる前の人それぞれ
異なる原因があったからです。
私たちの過去世のタネまきが現在の私たちの結果を生み出したのです。
当然、過去世があるように、未来世もあります。
私たちのまいたタネ(業・カルマ)は、
永遠の生命の大河を流れ、肉体が生まれ変わっても、
業は相続されていくのです。
その不滅の業力(業因)が、死んだあとも残り、
縁に触れて結果を引き起こすのですから、
この世で悪事を造って、たとえ現世で悪果が現れなかったとしても、
その報いは死後に必ず受けなければならないのです。


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