人生の目的と親鸞聖人
私は時々、自分はなぜこんなに苦しみながら
生きてゆかねばならないのか、
何のために働いているのだろうかと考えます。
人生の目的は何だと親鸞聖人は教えられているのでしょうか。
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(答)
自分は何のために生きているのか。
こんなに苦しみに耐えながら、
なぜ働かねばならないのか。
真面目に生きている人ならば、
必ずあなたのような疑問が起きてくるはずです。
もし何のために働いているのかと質問すれば、
ほとんどの人は食わんがためだと答えるでしょう。
では、何のために食うのかと反問すれば、
食わにゃ死んでしまうじゃないかと答えましょう。
それでは、食ってさえいれば、
いつまでも生きていられるのかと聞けば、
誰しも返答に窮してしまうでしょう。
人間は、生きるために食べ、食べるために
忙しそうに働いているのですが、
一日、生きたということは、
一日、死に近づいたということです。
これが否定できない厳粛な真実です。
●ごまかしの人生
にもかかわらず、ほとんどの人は、
この確実な死を無視して生きることばかり考えて、
取らぬ狸の皮算用をしています。
「この会社に何年勤めて係長になり、
何年勤めて課長になり、うまくいけば
部長になれるかもしれぬ。
なったとしても65歳で定年か。
退職金はだいたい、これぐらいだから小商売でも始めて、
年とってから、また一年生になるか。
あァーいやんなっちゃうなァ」
と、ちょっぴり人生に絶望しかけます。
ここで、
「どうせ何十年か経ったら、死んでしまうのだ。
生きているうちに、したい放題やったほうがましだ」
と考えて、酒やマージャンで、せめて桃色ぐらいの
人生にしようといたします。
しかし、それはあくまでも一時のごまかしであって、
心からの安心も満足もなく、
人生の解決にはなりませんから、
こんな人は最後まで苦しみ続けなければなりません。
●仏縁深き幸せな人生
この時に仏縁深き人は、
「これは、ウカウカしてはおれないぞ。
このままでは、死ぬために生きていることになるではないか。
人生の目的を突き止めるまでは、
死んでも死にきれない」
と、真剣に仏法を聞くようになるのです。
人生究極の目的は、仏法にしか説き明かされていないからです。
仏教を説かれた釈尊の求道の動機も、
この人生の目的の探求一つでありました。
そして苦しい修行を6年もなされて、
「すべての人を、必ず絶対の幸福に救いとる」
という、無上の大誓願を建てられている、
本師本仏の阿弥陀仏を発見されました。
事実、どんな人も、この弥陀の本願に信順すれば、
必ず、絶対の幸福になれることを突き止め、
弥陀の本願こそが、すべての人の究極の目的であると、
生涯、弥陀の救い一つを説き続けてゆかれたのが、
釈尊であり親鸞聖人でありました。
あなたも親鸞聖人から真実の仏法を聞き求め、
素晴らしい人生を味わって頂きたいと念じ上げます。
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