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真に救われる仏法を伝えるのが僧の任務! [七高僧]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)


(正信偈より)

印度西天之論家 印度西天の論家

中夏日域之高僧 中夏・日域の高僧

顕大聖興世正意 大聖興世の正意を顕し

明如来本誓応機 如来の本誓、機に応ずることを明かす

 

仏教を説かれた釈尊は、約2600年前、

インドで活躍なされたお方。

親鸞聖人は、約800年前の日本のお方です。

時代も国も違います。

どのようにして聖人は、釈尊の教えを聞かれたのでしょうか。

〝インド・中国・日本に現れ、親鸞まで、

仏教を間違いなく伝えてくだされた方々の

おかげであったなぁ。

親鸞、決して忘れることができない〟

と、それらの方々の恩徳をしのび、

褒めたたえておられるのが「印度西天の論家、

中夏・日域の高僧」のお言葉です。

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論家とは、「論」を書き残された菩薩のことで、

印度西天(インド)の論家とは、龍樹菩薩天親菩薩です。

中夏(中国)の高僧は、曇鸞大師道綽禅師善導大師

日域(日本)の高僧として、源信僧都法然上人

挙げておられます。

 

●経・論・釈

 

経・論・釈という言葉が仏教でよく使われます。

「経」とは、仏のさとりを開かれた釈尊の説法を

記したものです。それでお経には「仏説○○経」とあります。

「論」とは、菩薩の書かれたもの。

菩薩とは、仏覚は開いていませんが仏に近い方です。

龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』『智度論』や、

天親菩薩の『浄土論』などが有名です。

「釈」は、高僧の書かれたものをいいます。

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論・釈いずれも、経を解釈したもの。

「仏意測り難し」と言われる深遠な仏説を、

菩薩や高僧方が、「この経文はこういう意味なのだよ」と

教えられたのが論・釈です。

「仏教はこうだ」と教える人があっても、経・論・釈に

根拠がなければ、「その人の思想」であって、

仏教とはいえません。

 

●更に親鸞、珍らしき法をも弘めず

 

親鸞聖人は常に、

 

更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法を

われも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり

 

と言われた方でした。

親鸞の伝えていることは、決して珍らしい教えではない。

釈迦如来の仏教を深く信じ、皆さんにも

お伝えしているだけなのだ

また、

 

親鸞、更に私(わたくし)なし

 

ともおっしゃっています。

このことは親鸞聖人の主著『教行信証』を見れば一目瞭然です。

『教行信証』は、聖人ご自身の作文は非常に少なく、

ほとんどが経・論・釈の引用です。

「経に言(のたま)わく、・・・・」

「論に曰く、・・・」

「釈に云く、・・・」

と字を使い分けられ、いずれも、親鸞は常に経・論・釈に

基づいて仏教をお伝えしている、独自の考えなど一切ないのだ、

と言われています。

 

●仏の正意を明らかにする善知識

 

では、論や釈を書かれた7人の方々は、

何を明らかにしていかれたのでしょうか。

親鸞聖人は、

「大聖興世の正意を顕(あらわ)し」

といわれ、釈尊の出世本懐(この世に生まれ出た目的)を

明らかにされたお方である、とおっしゃっています。

「大聖」とは、大聖釈迦牟尼世尊、釈尊のこと。

「興世」とは、この世に生まれ出られたこと。

「正意」とは、正しい御心、言葉を換えれば本懐、

目的をいうからです。

何を教えるために、お釈迦さまは仏教を説かれたのか。

仏の正意を明らかにされる方が、善知識であり、

真の僧です。

 

聖徳太子は『十七条憲法』に、

 

篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり

 

〝世の中には三つの宝がある。「仏」という宝、

仏の説かれた「法」が宝、その仏法を伝える「僧」が宝である。

三宝を心から敬いなさい〟と言われています。

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宝と言われる僧とは、仏法を明らかにする人です。

これ以外に僧侶の使命はありません。

昔も今も、すべての人は〝なぜ苦しくても

生きねばならないのか〟と生きる目的に渇いています。

〝生きてきてよかった〟と心から言える

本当の幸福を求めています。

この苦悩の群生海に甘露の法雨を注ぐ

(真に救われる仏法を伝える)のが、

僧の任務です。

田畑を耕したり勤めに出ることもなく、

ひたすら仏教をお伝えするのはそのためでしょう。

姿形や肩書きは問題ではない。

法を伝えているかどうかが大切なのです。

 

思えば、親鸞聖人は生涯、大衆の中に飛び込まれ、

仏法を伝える一つに命を燃やしていかれました。

日野左衛門の門前で、石をまくらに雪をしとねのご苦労は、

何とか仏法を聞いてもらいたいの大悲行でした。

剣をかざして殺しに来た、山伏・弁円の前に、

数珠一連で出て行かれたのも、仏縁あれかしの

決死的布教でした。

一字一涙の思いで書き残された『教行信証』はじめ

多くの著作も、末代の私たちに、何とか仏法を届けたいの

慈愛の結晶です。

龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信・法然、これらの方は皆、

生涯かけて、釈尊の本意を明らかにされました。

だからこそ、親鸞聖人は「七高僧」と尊敬され、

忘れることのできぬ善知識だと紹介されているのです。

 

●阿弥陀如来の本願一つ

 

では、七高僧は、釈尊出世の本懐は何であると

明らかにされたのでしょうか。

それは「如来の本誓」であるとおっしゃっています。

この如来とは、阿弥陀如来のこと。

大聖釈尊によって紹介された、

大宇宙にまします諸仏の王であり、

師匠の仏、本師本仏と仰がれています。

本誓とは、本願のことですから、

如来の本誓とは、「阿弥陀如来の本願」のことです。

インド・中国・日本の、雷名とどろく善知識方は、

口をそろえて、釈迦一代の教えの真意は、

「阿弥陀如来の本願一つ」と鮮明にしていかれました。

そのおかげで親鸞、釈尊の正意を知ることができた。

弥陀の本願に遇わせていただけた、と聖人は、

七高僧のご教導をお喜びになっているのです。

 

●機に応ずる弥陀の誓願

 

では、

「如来の本誓、機に応ずることを明す」

〝阿弥陀如来の本願が、機に応ずることを

明らかにされた〟とは、どんなことでしょうか。

 

仏教では人間の心を「機」といわれます。

私たちの心は、新しい服を身に着けるとウキウキし、

タンスの角で足の指をぶつけた途端にドンと落ち込みます。

褒められると浮かび、そしられれば沈み、

朝から晩まで縁によって変わり通しなのが

私たちの心ではないでしょうか。

すべての機械は外からはたらきかけられて動き出すように、

私たちの心も外からの作用によってどうにでも動き出すから

機といわれるのです。

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「機に応ずる」とは、どんな人にも対応する、

つまり、すべての人を救うということです。

「人生いろいろ、男もいろいろ、女だっていろいろ・・・」

(島倉千代子)と歌われるように、

世の中にはいろいろな人がありましょう。

しかし、丸い器に入れれば丸く、四角の器に入れれば四角、

水が器に応じるように、弥陀の本願は、

どんな人にでも応じ、どんな人をも助ける大誓願なのです。

 

●熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)、

   16歳の平敦盛を討つ

 

誓願に救い摂られた一例を挙げましょう。

 

七高僧の7番目、法然上人には、親鸞聖人をはじめ

380余人のお弟子がありました。

その中に、蓮生房という人があります。

元の名は熊谷次郎直実といい、武蔵国(埼玉県)大里郡熊谷の

豪族で平家を攻めた源氏の一方の大将でした。

義経の率いる源氏の精鋭は、「鵯越の坂落とし」で

一挙に一谷勢をけ散らし、総崩れとなった平家は海上の

軍船へと敗走しました。

そのしんがりに、にしきの着物に鎧兜も

あでやかな一人の武将が、静かに馬で沖に向かっていた。

敵将と見た先陣の熊谷は、馬上から大声で呼びとめる。

「あいや、敵に後ろ姿を見せるとは卑怯千万。

われこそは板東一の剛の者、熊谷次郎直実なり」

ハタと海中に立ち止まった相手は馬首一転、勝負を挑んだ。

もとより強力無双の熊谷に勝てるはずがない。

たちまち組み伏せ、かぶとをはぎ取って驚いた。

すでに覚悟の薄化粧をした、花も恥じろう美少年ではないか。

にっこり見返したひとみに、さすが千軍万馬の熊谷も

一瞬たじろぐ。

彼にも同じ年頃の16歳の子、小次郎がいた。

「だれかは知らねど名門のお方と見た。

せめてお名前だけでも聞かされい」

しかし相手は、

「早く討って手柄とせよ」

と言うばかり。源平両軍注視の手前、今はこれまでと

心を鬼に、首をはねた。

後で、平清盛の弟・経盛の末子(ばっし)、敦盛16歳と

知り愕然とする。

寿永3年2月7日。44歳の時でした。

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●鬼が、蓮台に生まれる身に

 

加えて頼朝などに対する不信から、一徹な彼は世の無常と

罪悪の恐ろしさに驚いて、八つ裂きにされても

助かりようのない「地獄一定」の自己に震えながら、

ひたすら京都の法然上人のもとへはせ参じたのです。

「多くの人を殺した私に、救われる道がありましょうか」

「阿弥陀仏の本願は、そんな極悪人のためにこそ

建てられたのです。一心に弥陀の本願を聞信すれば、

必ず無碍の世界に出られます。善人でさえ救われるのです。

悪人が救われないはずがありません。」

筋骨たくましい熊谷が、赤子のように法然上人のひざに、

よよと泣きくずれた。

「手足を切り捨てても、私ごとき者の助かることは

なかろうかと覚悟して参ったのに。

こんな者を救ってくださる阿弥陀仏のご本願があったとは・・・。

あまりのうれしさに・・・」

鬼を自覚すれば号泣せずにおれませんでした。

たちどころに信心決定した彼は、蓮生房と生まれ変わったのです。

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蓮生房だけではありません。

どんな人をも救い摂る弥陀の誓願は、

現に生きて働いています。

だから、必ず無碍の一道に雄飛させていただける時があるのです。

そこまで弥陀の誓願を聞き抜かせていただきましょう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下の動画を観られると仏教がよく分かりますよ。



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