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仏教の教えは自利利他である!

南無阿弥陀仏の
  大慈悲心をいただいて
自利利他の
  無上道を進む

仏教は「自利利他」の教えです。
「自利」とは、自分が幸せになること、
「利他」は、人を幸せにすることです。
私一人が得して周囲は損する、
あるいは他人だけが幸せになって自分は不幸では、
自利利他ではありません。
自分の幸せが、そのまま他人の幸せとなり、
他を幸福にするがまま、自分が幸福になる、
それが「自利利他」です。
自分も周りの人も皆、幸せになれるなんて、
何と素晴らしいことでしょう。
では、私たちの実態はどうでしょうか。

●欲に手足のついた私

江戸時代の浮世草子の作家・井原西鶴は、
「人間は、欲に手足のついたる物ぞかし」
と言っています。
お金や物、名誉・地位、人気が欲しい。
恋人が欲しい、才能も欲しい、おいしいものが食べたい、
もっと楽ができたらいいのに。
私たちの日常は、そればかり考えているのではないでしょうか。
そんな私たち人間が集まってできたのが
この世の中ですから、互いの欲がぶつかり合い、
この金はオレのもの、この人は私のもの、
奪わないでと、いがみ合い、波乱の日々になるのです。
欲の本性を仏教では「我利我利」といい、
自分の利益や得になること、楽になることばかり追い求めます。
それでは敵を多く作ったり、堕落するばかりで、
自分も他人も幸せになれません。
我利我利亡者では幸せになれない。
誰もがそう気づいているようですが、
自分が利益を得たいという心は、どうにも止まらない。
一体、幸せはどこにあるのでしょうか。

●地獄と極楽

仏教にこんな話があります。
もの好きな男が、地獄とはどんなところか見物したい、
と出掛けた。
たまたま地獄は昼時で、食卓の両側に骨と皮にやせ衰えた罪人が
ずらりと並んでいる。
どうせ粗末な食べ物しかないのだろう、
とテーブルを見ると、山海の珍味の山である。
「おかしいな」とよく見ると、
皆1メートル以上もある長い箸を持っている。
これでは、いくらおいしいご馳走が目の前にあっても、
自分の口へは入れられない。
地獄とは何とひどいところだと思った男は、
次に極楽へ行ってみた。
ちょうど夕食時で、テーブルの両側には、
極楽の往生人たちが笑顔で座っている。
ごちそうは山海の珍味。
さすがに皆、ふくよかだなぁと思いながら、
ふと箸に目をやると、何とその箸も地獄と同じように、
1メートル以上もあるではないか。
じゃあ、地獄と極楽は一体、どこが違うのかと見てみると、
皆、箸で挟んだごちそうを自分が食べず、
お互いに向かいの人の口に運んでいた。
「なるほど、極楽の人は心がけが違うなぁ」
と、横手を打ったという。

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●愛は地球を救う?

お互い相手を優先して考えれば、
双方とも幸せになれるのですが、
これが、口で言うほど簡単ではありません。
「愛は地球を救う」というフレーズをよく耳にします。
見返りを求めない無償の愛こそが、
すべての人を幸せにするという人もあるでしょう。
「愛」をテーマにした小説や歌は、
確かに多くの人を感動させますが、
私たちは本当に無償の愛を貫けるのでしょうか。
本当に愛していれば、自分はどうなろうと、
相手の幸せだけを考えるはずですが、
現実には、好きな男性(女性)が他の女性(男性)と
談笑していると面白くない。
自分は捨てられても、あの人が幸せなら、
とは毛頭思えません。
他の人に奪われるくらいなら、いっそ殺してしまいたい。
そんな本音を、作家・有島武郎は「惜しみなく愛は奪う」
と言いました。
無条件で子供に愛情を注げるのは、
言葉を覚える前まで、と言った人もあります。
子供が思ったことを口にするようになると、
ちょっとした一言に親は腹を立て、
複雑な思いになります。
東京へ就職した娘が、成人式に帰省した。
友人と食事、二次会へ行き、夜10時過ぎに帰宅すると父親が、
「こんな遅くまで、どこ行っていた!」
とどなった。娘は、
「私、もう20歳よ。彼氏とデートで“お泊まり”もするし、
友達と食事して夜10時なんて早いほうでしょ」
と猛反論。母親も、
「もう子供じゃないんだから」
と冷ややかで、父は絶句したという話が、
ラジオから流れてきました。
愛するほどに、相手の自由を奪い、
自分の思うようにしたい欲求が強くなるのではないでしょうか。
“地球を救う”はずの愛が、皮肉なことに、
自分も周囲も苦しめている例があふれています。
また、愛は人を盲目にし、かわいさのあまり、
欲しがるものを何でも与えてしまいがち。
そこに落とし穴があり、
「溺愛し 子供をダメに 育ておる」
と言われます。
入院している子供に、医師が許可しないおやつを食べさせて、
病気を悪化させ、より苦しめた親があった、
とテレビで警告していました。
求めるまま、何でも与えてもらえる温室育ちの子では、
人生の苦しみに耐えきれず、折れやすくなってしまいます。
理想の愛と、現実とは随分違うようです。

●「与えるだけ」の大慈悲

欲しい欲しいと求め、手に入れても、
真の喜び満足は得られない。
愛する人に尽くし与えてささげても、
相手を束縛して、ともに苦しみに堕ちていく。
しかし、そんな、この世も未来も真っ暗がりの、
我利我利の本性の私に「仏の慈悲」はかかってくださるのです。
お釈迦さまが、
「私の師であり、大宇宙で最も尊い仏だ」
と仰る阿弥陀仏という仏さまは、
「苦しみ悩むすべての人を、必ず絶対の幸福に救う」
と約束なされました。
そのお約束を阿弥陀仏の本願といいます。
衆生苦悩 我苦悩
衆生安楽 我安楽
  (人々の苦悩は、私の苦しみである。
   人々の幸せは私の喜びだ)
これが阿弥陀仏の大慈悲心です。
阿弥陀仏は、なぜ「すべての人を絶対の幸福に救う」
という本願を建てられたのか、
その御心を親鸞聖人はご和讃に、
こう教えられています。

如来の作願をたずねれば
苦悩の有情をすてずして
廻向を首としたまいて
大悲心をば成就せり
     (正像末和讃

まず最初の2行で、
「なぜ、どんな人も絶対の幸福に助けるという本願を、
阿弥陀仏は建てられたのか」
それは、苦しみ悩む私たちを見捨てることができなかったからだ」
と仰っています。
「どんな人も」ですから、この約束の相手に入らない人は
1人もありません。
老いも若きも、善人も悪人も、男女、貧富、学歴、
経験の違いなど、一切差別のないお約束です。
「絶対の幸福」とは、
「人間に生まれてよかった」
と心から喜べる、永遠に変わらぬ幸せのことです。
10年や100年で薄れたり、崩れたりする、
ちっぽけなものではありません。
3行目の
「廻向を首としたまいて」
の「廻向」とは、与えるということ。
与えるだけを目的として、と言われているのです。

イギリスの医師・エドワード・ジェンナーは、
多くの人が犠牲になった天然痘から人々を救いたいと、
大きな悲願を起こしました。
ジェンナーは、まず天然痘に感染して一旦癒えた人は
二度とかからない事実を確認。
名医ハンターに励まされ周到な考察と実験を重ね、
わが子に予防法を試みました。
また牛痘に感染した乳しぼりの女性の手からうみを採取し、
8歳の児童の腕に植えもしました。
ところが“牛痘を植えると角が生える”などの
反対運動や非難中傷が巻き起こります。
それでも、彼はくじけず研究を続けました。
その結果、1979年、世界保健機構(WHO)は、
天然痘の根絶宣言に至ったのです。
ジェンナーの「天然痘で苦しむ人を無くしたい」という悲願が
「種痘法」を生みだし、19世紀だけでも数千万の人々が
このいまわしい病苦から救われました。
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いくら病気を治す原理が存在しても、
それを発見し、のっとって薬を作る医師が
いなければ患者は救われません。
宇宙の真理を体得した阿弥陀仏は、
すべての人の苦悩を抜き取り、
絶対の幸福に救いたいという大慈悲心から、
南無阿弥陀仏という薬を完成されました。
この南無阿弥陀仏は、すべての人の苦悩を除き、
永遠の幸福にする素晴らしい妙薬です。
阿弥陀仏が、「万人を救いたい」という本願を建て、
南無阿弥陀仏の大功徳を完成されたのは、
ひとえに、苦しむ人々を見捨てることができなかったからです。
ゆえに阿弥陀仏の願いはただ一つ、
この名号・南無阿弥陀仏を、すべてに人に与える以外にありません。
「南無阿弥陀仏」を完成されたことを、
「大悲心をば成就せり」
と言われているのです。
しかし、医者が、患者の苦しみを救いたいと
薬を与えようとしているのに、患者が疑いいっぱいで、
“ホントに効くんですか?”
と、のもうとしなければ医師の苦労は踏みにじられます。
阿弥陀仏の本願を聞いても
「そんな幸せあるはずないよ」
「絶対の幸福なんて本当になれるの?」
と疑い謗るばかりで、逃げ回っているのが、
私たちの実態です。
ところが阿弥陀仏は、そんな者とご承知のうえで、
“どんなに困難でも、あなたを決して見捨てない”
と誓われ、南無阿弥陀仏の妙薬を与えて助けようと、
力を尽くされているのです。
この南無阿弥陀仏は、「聞く一つ」で受け取れるように
創られています。
仏法を聞く目的は、この南無阿弥陀仏の妙薬を受け取って、
絶対の幸福(往生一定)になるためなのです。
●自利利他の無上道
親鸞聖人は29歳の時、この南無阿弥陀仏の大慈悲心を頂かれ、
阿弥陀仏のお約束どおり絶対の幸福に救い摂られました。
そして、「ああ、この幸せになるために生まれてきたのか」
と大歓喜されたのです。
その時の表明が次のお言葉です。

誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法
                 (教行信証)
(絶対の幸福に救う弥陀の本願、まことだった、
まことだった)


ところが、この弥陀の本願のまことを知らない人が
あまりにも多いのです。
それは、今も昔も変わりません。
親鸞聖人は90歳でお亡くなりになるまで、
常に誤解され、中傷、非難攻撃の的となられながらも、
阿弥陀仏の本願が真実であることを伝え抜かれました。
それは全て、弥陀の大慈悲心(南無阿弥陀仏)に
動かされてのことだったのです。
南無阿弥陀仏の大功徳を頂き、仏凡一体となった幸せは、
とても自分だけのものにしておけない、
必ず人にも伝えずにおれなくなります。
それが本当の自利利他の大活動です。
利他のために身命を惜しまれなかった親鸞聖人のみ教え、
阿弥陀仏の本願を聞きひらき、私たちも、
自利利他の無上道を進ませていただきましょう。

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弥陀に救われると何が変わるのか!(道綽禅師) [道綽禅師]

(真実の仏教を説かれている先生の書かれた「とどろき」より、正信偈の解説を載せています。)


三不三信誨懇懃(さんぷさんしんけおんごん)


親鸞聖人が大変尊敬しておられる、中国の高僧・道綽禅師

教えられたことを書かれている一行です。

「三不・三信の誨(おしえ)、懇懃(おんごん)にして」

と読みます。

「三不・三信の誨」とは、「三不信」と「三信」の「教え」のこと。

「懇懃にして」とは、その教えを詳しく、

丁寧に教えられた、ということです。

道綽禅師が、三不信と三信の教えを、

懇ろに教えてくだされたおかげで親鸞、弥陀に救われたのだ。

ご恩を喜ばずにおれない

と、褒めたたえておられるお言葉です。


では、「三不信」「三信」とは、どういうことか。

一言で言いますと、

「三不信」とは「弥陀に救われない前の心」、

「三信」は「弥陀に救われた後の心」のこと。

すなわち、

弥陀に救われない前と、救われた後とでは、

どう変わるのか」を明らかにされた教えが、

「三不・三信の誨(おしえ)」です。

そこで、「弥陀に救われる」とはどんなことか。

繰り返し述べてきましたが、

これ以外に仏法はない、という大事なところなので、

重ねて確認しましょう。


●弥陀に救われた、とは


「弥陀に救われた」とは、

弥陀の誓願によって、絶対の幸福に救い摂られたこと

をいわれます。

「弥陀の誓願」とは、本師本仏の阿弥陀仏が、

「すべての人を 必ず助ける 絶対の幸福に」

と誓われている、お約束のことです。

「絶対の幸福」とは、いつ死んでも必ず弥陀の浄土へ往ける、

「往生一定」の身になったこと。

絶対に壊れない大安心、色あせることのない大満足だから、

『歎異抄』には「摂取不捨の利益」と言われています。

「摂取不捨」とは文字どおり“摂め取って捨てぬ”ことであり、

「利益」は“幸福”をいいます。

“ガチッと摂め取られて、捨てられない幸福”を

「摂取不捨の利益」と言われるのです。

私たちは、健康や家族、地位や名誉から

捨てられるのではなかろうかと、

戦々恐々してはいないでしょうか。

「定年を迎えた途端に、

妻から離婚状を突きつけられるんじゃないか」

「家族を犠牲にしてまで働いてきたのに、

会社に捨てられるのではなかろうか」

「大地震が世界各地で起きているが、

今度は自分のところじゃなかろうか」

「歌手の本田美奈子さんが白血病で亡くなった。

38歳だそうだ。最近オレも心臓の辺りが痛むが、

突然倒れたりはしないだろうか」

「小学一年の女の子が殺された。かわいそうになあ。

全く物騒な世の中だ。いつ何どき、

うちの子が事故や犯罪に巻き込まれるか分かったものじゃないな」

などなど、幸福に見捨てられるのではなかろうかと、

薄氷を踏むようにいつも不安におびえている。

捕らえたと思った楽しみも一夜の夢、

握ったと信じた幸福も一朝の幻、

線香花火のように儚いものだと知っているからです。

たとえしばらくあったとしても、やがて、

すべてから見放される時が来ます。


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蓮如上人の遺訓を聞いてみましょう。


まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、

わが身には一つも、相添うことあるべからず。

されば、死出の山路の末・三途の大河をば、

ただ一人こそ行きなんずれ。

              (御文章


今まで頼りにし、力にしてきた妻子や金や物も、

いよいよ死んでゆく時は、何一つ頼りになるものはない。

すべてから見放されて、一人でこの世を去らねばならない。

丸裸で一体、どこへゆくのだろうか

宝くじで四百億円当てた老夫婦が話題を呼びましたが、

後生へは1円玉一つ持って行けません。

天下を取り、栄耀栄華を極めたあの豊臣秀吉も、

死んでいく時には、「難波のことは夢のまた夢」。

夢の中で夢を見ているような、

儚いものでしかなかったと、

寂しくこの世を去っています。

咲き誇った花も散る時が来る。

死の巌頭に立てば、必死にかき集めた財宝も、

名誉も地位も、すべてわが身から離れ、

一人で地上を去らねばなりません。

念々刻々、こんな大悲劇に向かって生きている私たちを、

「必ず“絶対の幸福”に救ってみせる」

と、命を懸けて誓われているお約束が「弥陀の誓願」であり、

その誓いどおりに「絶対の幸福になった」ことを、

「弥陀に救われた」と言うのです。

親鸞聖人は『教行信証』冒頭に、

弥陀に救い摂られた自らの体験を、

こう告白されています。


まことなるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法


まことだった!本当だった。弥陀の誓いにウソはなかった


「摂取不捨の真言」も「超世希有の正法」も、

ともに「弥陀の誓願」のことであり、

「まことなるかなや」とは、

その弥陀の誓願に、露チリほどの疑心もなくなった聖人の、

真情あふれる歓喜の叫びです。

“必ず浄土に往ける”大満足の身になった「往生一定」の

表白です。

この弥陀の救いに遇い、生命の大歓喜を得れば、

どんな地震が起きても崩れない、

津波で流されることもない、火事で焼けることも、

盗まれることもないピンピン輝く無上の幸福に生かされ、

「人身受け難し、今已に受く」(釈尊)

“人間に生まれてよかった。これ一つのための人生だった”

と、人生の目的がハッキリするのです。


このように、

「弥陀の誓願力によって、未来永遠の幸福に救い摂られたこと」

を、仏教で「信心決定(しんじんけつじょう)」といわれ、

「弥陀に救われない前」を「信前」、

「弥陀に救われた後」を「信後」といわれます。

また、信前を「自力」、信後を「他力」の世界ともいわれます。

信前は、飛んでも跳ねても何を思っていても「自力」です。

信後は、死ぬまで他力

未来永遠に「他力」です。

自力は絶対に出てきません。

この鮮やかな、信前信後の変わり目、

自力他力の水際を、道綽禅師が明らかにされた教え、

これが「三不信と三信の誨(おしえ)」なのです。
(自力とは仏教から出た言葉で、無明の闇、死んだらどうなるか分からない心のことです。決して自分の力とか努力を言うのではありません。また他力とは、阿弥陀仏の本願力のことです。)


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●弥陀に救われない前・・・三不信


「三不信」とは、「信前(自力)」の心の相を、

三方面からいわれたもの。

「不」とは、欠点・欠陥ということですから、

「自力には三つの欠点がある」ことを、

「三不信」と言われています。それは、

不淳(淳からず)

不一(一ならず)

不相続(相続せず)

の三つであると、親鸞聖人は「ご和讃」に、

次のように教えておられます。


○一つは、信心淳からず 若存若亡するゆえに

○二つは、信心一ならず 決定なきゆえなれば

○三つは、信心相続せず 余念間故とのべたまう


◆不淳(あつからず)

「淳からず」とは、厚くない、薄いということです。

薄いとは、浅いのです。

「浅い」から「若存若亡」するのだと言われています。

若存若亡」とは、「ある時は助かるように思い、

ある時は助からないように思う」ことです。

ある時は弥陀に救われたように思って、

明るい気持ちになりますが、

イヤーな心が出てくると、

「こんなことでは、まだ助かっていないのではなかろうか」

と落ち込む。

仏法をスーッと理解でき、真剣に聞けたと思う時は、

「このままいけばもう少しで信心決定できるのではないか」

と思い、反対に、聞いていてもボーッとしたり、

他の事ばかりが思えてくると、

「これでは死ぬまで求めても助からんのではなかろうか」

「信心決定なんて自分にできるんだろうか」

とフラフラする。

このように、浮かんだり沈んだり、沈んだり浮かんだり。

喜んだり悲しんだり、このままなら極楽へ往けると思ったり、

地獄へ堕ちるのではないかと思ったり。

悲観したり楽観したり。

こんなことが一日の間に何度でも繰り返される。

常に動揺して、心が安らかではない。

不安なのです。安心できないのです。

このような「自力」の欠陥を、

「不淳(あつからず)」と言われているのです。


◆不一(一ならず)


「一ならず」とは、一つでない、ということ。

それは「決定(けつじょう)」がないからだ、

と言われています。

「決定(けつじょう)」とは「ハッキリした」「完成した」

ということですから、

「決定がない」とは「完成した」といいうことがない。

自力の信心決定には、「これで求まった」ということがない。

死ぬまで「卒業」がないから、

「人間に生まれたのは、これ一つであった」という

大満足のないことを、

「不一(一ならず)」と言われているのです。


◆不相続(相続せず)


「相続せず」とは、続かないこと。

信前は、「なんと有り難い」「あら尊い」

という思いが続かない。

「ああ、もったいない」「幸せだなあ」

という喜びが途切れてしまう。

それはいろいろな思い(余念)が間に入るからだ、

と言われているのが「余念間故(よねんけんご)」です。

「寺は照る照る 道々曇る 家に帰れば雨風じゃ」

の歌のごとく、法話を聞いている時は、

「ああ、有り難や」と喜んでいたのに、

帰りの道々、「さっき、何を聞いていたのかなあ」

と曇ってくる。

家に帰ると嫁が、言いつけておいた仕事をしていない。

「何じゃ、嫁は!」と怒りの炎が燃え上がり、

暴風雨のように心が荒れ狂うと、

「こんなことではなあ」と不安が出てきて、

喜びが続かない。

このように自力の信心決定には、

「淳からず(あつからず)」「一ならず(いつならず)」

「相続せず」と、三つの欠点があることを、

「三不信」と教えられているのです。


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●弥陀に救われた後・・・三信


これらの心が、弥陀に救われた後は、

煩悩の動いているままがことごとく光明に照らされて、

いつでもどこでも地獄は一定。

見抜かれておりながら噴き出る悪性に随犯随懺

(ずいはんずいさん)、随懺随犯(ずいさんずいはん)、

機に向けば常に懺悔、法に向けば常に歓喜せずにおれない。
(機とは自分自身のこと。法とは仏法のことです。)

堕ちるところは無間のどん底、登るところは五二段の仏覚、

私を離れて弥陀はなし、弥陀を離れて私なし、

堕ちて満足、助かって不思議、懺悔して卑屈にならず、

歓喜して高慢とならず、恵まれすぎていることに

感泣せずにおれなくなるのです。

この「弥陀に救われた後の心」を言われたのが

「三信」です。

「三不信」とはまるっきり反対、


○淳心

○一心

○相続心


の三つです。

「淳心」とは、弥陀に救い摂られて「若存若亡」の無くなった、

大安心のこと。

「一心」とは、「心が一つになった」こと。

信心決定して、「人間に生まれたのは、これ一つであった」

とハッキリしたのが「一心」。

「相続心」とは、永遠に変わらず続くこと。

どんな非難を受けようとも崩れない。

死を前にしても「浄土往生」の確信は微動だにもしない。

他力の信心は何ものも碍りとならない、

金剛不壊であることを「相続心」といわれているのです。


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●信前・信後の変わり目は、一瞬


このように「三不信」と「三信」とは、

弥陀に救われない前と、後との違い、

信前と信後の変わり目を、明らかにされた教えです。

親鸞聖人が「正信偈」に、

「三不三信誨懇懃」と言われているのは、

道綽禅師は、三不信と三信を詳しく丁寧に教えられ、

自力の信心と他力の信心の違いを、

ハッキリと教えてくだされたのだ

ということです。

ただここで誤解のないようにお話しておきましょう。

弥陀に救われた時に、「不淳」「不一」「不相続」

の三つの欠点が、この順番でだんだんと無くなっていく、

のではありません。

また、弥陀に救われた後、まず「淳心」になり、

続いて「一心」になり、最後に「相続心」になる、

のでもありません。

弥陀に救い摂られた瞬間に、

「三不信」は三つとも同時にきれいに無くなり、

同時に「三信」になるのです。

それは、「三不信」も体は一つ、

「三信」も体は一つだからです。

「体は一つである」ということは、

例えればこう言えるでしょう。

一人の人物を、横からと前からと、後ろからと、

三方向から撮影したようなもの。

写真は三枚になりますが、被写体は一人です。

三枚の異なる写真があるからといって、

三人の別の人物がいるわけではありません。

同様に、「三不信」は「自力の信心」を三方面から見られたもので、

体は一つ。

「三信」は「他力の信心」を三方面から教えられたもので、

体は一つなのです。

それぞれ、三つの違った心があるのではありません。

親鸞聖人はこれを、

「三つに分けては教えられているけれども、

三つあるとは思いなさるなよ、一つなのだよ」

とおっしゃっています。

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●「この世で救われた」ということが、あるのか


親鸞聖人が弥陀に救い摂られたのは、

二十九歳の御時でした。

以来、九十歳でお亡くなりになるまで生涯、

この弥陀の誓願、どうすれば伝えることができるかと、

弥陀の誓願まことだった!本当だった。

皆さん聞いてもらいたい、この親鸞が生き証人だ。

一日も早く、弥陀の誓願まことを知ってもらいたい」と、

寝ても覚めても叫ばずにおれなかったのです。

ところが、叫べば叫ぶほど、

「この世で救われたということなど、あるものか」

「信仰に、卒業や完成などない」

「死ぬまで求道が仏法だ」

と激しい非難攻撃の嵐が巻き起こりました。

その誤りを打ち破られ、

「あの道綽禅師も、救われない前はこうだ、

救われたら心がこう変わると、信前・信後の変わり目を

明らかに教えておられるじゃないか」

と反撃されているお言葉が、

「三不三信誨懇懃」

の一行なのです。

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後生の一大事を解決するには何が一番大事か! [信心決定]

『御文章』の、「一心一向に弥陀たのめ」
      とはどんなことか

後生の一大事を解決し、
絶対の幸福を求めている私たちにとっては、
最も大切なこと
ですから、
親鸞聖人は、往生の肝腑自宗の骨目といわれ、
蓮如上人は分かりやすい比喩まで挙げて
ご教示になっています。

『御文章』二帖目九通に、

忠臣は二君につかえず、
貞女は二夫をならべず

という外典の言葉を引かれて、

「一心一向というは、阿弥陀仏に於て、
二仏をならべざる意なり」
と明示なされています。

「忠臣は二君につかえず、貞女は二夫をならべず」
という言葉は中国の『史記』という本に出ています。
仏教の経典以外の書ですから、
蓮如上人は外典と言われております。

●自殺した王蠋

その『史記』には次のような有名な話があります。
昔、中国の斉(せい)という国の王様が、
おごりに長じて酒色にふけって
大事な政治を怠っているのを嘆いて、
忠義な王蠋という大臣が
たびたび王に諫言(かんげん)しましたが、
いつも馬耳東風で一切聴きいれてくれなかった。
そこで王蠋は、身の不徳を嘆いて
役職を辞退して画邑という所へ隠居してしまいました。
王蠋のいなくなった斉の国は
崩壊を待つばかりの状態であったので、
隣国の燕王(えんおう)が今がチャンスと
楽毅(がっき)という人を総大将にして、
斉の国に攻め込んできました。
斉はひとたまりもなく崩壊しました。
その時、燕の大将。楽毅はかねてから
王蠋の賢徳手腕を高く評価していたので、
燕の高官に迎えたいと幾度も礼を厚くして勧めましたが、
王蠋は頑として応じようともしませんでした。
それでも楽毅が勧誘をあきらめなかったので、
最後にその使者に向かって、
「忠臣は二君につかえず、貞女は二夫をならべず」
と喝破して庭先の松に縄を掛け、
自ら首をくくって死んだとあります。

蓮如上人はこのことを思い出されて、
わずか娑婆一世の主従でさえ、
忠臣は二君に仕えずと言って死んで、
心の潔白を表しているではないか。

ましていわんや、未来永劫の一大事の解決を求めている者が、
二仏を並べていてどうして一大事を解決できようか。
私たちの一大事の後生を救い切れるお方は、
本師本仏の阿弥陀仏しかないのだから
弥陀一仏に一心一向になれよと、
お諭しになっているのです。

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間男見つけたり

讃岐の庄松同行がある時、法友の家を訪れると、
どうしたことか奥の間の床に神棚を祭り、
シメ縄を飾ってあるのを見て、
「間男見つけたり、間男見つけたり」
と大声で叫んで
弥陀一仏に一心一向になるように背いているのを戒めたのも、
「貞女は二夫をならべず」の言葉から出た言い草でありましょう。

もちろんこのことは、さかのぼれば釈尊出世の本懐である、
一向専念無量寿仏」のみ教えであります。
親鸞聖人はこれを、

一向専念の義は、往生の肝腑、自宗の骨目なり
                (御伝鈔)
と言われています。

今の行者、錯って(あやまって)観音勢至につかうることなかれ、
ただちに本仏をあおぐべし

               (御伝鈔)
と教え、

聖道・外道におもむきて余行を修し余仏を念ず、
吉日・良辰をえらび、占相・祭祀をこのむものなり、
これは外道なり、これはひとえに自力をたのむものなり

             (一念多念証文)
とまで断定なされています。

このように、私たちの後生の一大事の解決には
諸神諸仏の力も及ばないし、
余行余善も間に合いませんから、
それらを一切投げ捨てて、ひたすらに弥陀一仏に一向専念せよ

と最も厳しく教えられたのが親鸞聖人でありましたから、
世間の者たちは、親鸞聖人の教えを
一向宗とまでいうようになったと
蓮如上人はおっしゃっておられます。

無上仏の声なき声

これらのことによってもいかに親鸞聖人や蓮如上人が、
強く厳しく弥陀一仏に一心一向になれよと
教えられたかがお分かりになると思います。

ところがうぬぼれ強くて真実の自己を知らない私たちは、
これらの必死の善知識の仰せにも従えず、
諸神や諸仏に心をかけたり、
諸善万行を力にして流転を続けております。
それがやがて調熟の光明に照育されて、
罪を罪とも分からず、悪を悪とも感ぜず、
地獄行きを地獄行きとも知りえない、
三世の諸仏に見捨てられても
何とも思わぬ地獄一定の悪性の底を知らされ、
棒にも、はしにもかからぬ魂一つが
業に引かれて無間のドン底へ投げ込まれた時、
久遠劫から追いかけてきたのは、
その持ちも提げもならぬ、
諸仏菩薩に捨てられた心と一体になるためぞ!
の声なき声に貫かれ、
阿弥陀さま!こんなこととは知りませなんだ、
五劫思惟の本願はこの私一人のためでございました、
南無阿弥陀仏、阿弥陀仏、弥陀一仏に打ち任せた時を
一心一向に弥陀たのむというのです。
どうかここまで、聞き抜かせていただきましょう。


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念仏称えれば、極楽に往生できるのですか? [Q&Aシリーズ]

(真実の仏教を説かれている先生の書物「とどろき」から載せています。 )

(質問)
「一回でも念仏称えたら極楽へ往ける」
というのが親鸞聖人の教えですよね?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(答え)
親鸞聖人といえば、「なむあみだぶつ」を
思い浮かべる人も多いでしょう。
最も身近でしかも誤解されているのが、
この「なむあみだぶつ」かもしれません。
世間では、
「念仏さえ称えていれば、
だれでも極楽へ往けると教えられたのが親鸞聖人」
と思われていますが、
それは大変な間違いです。

親鸞聖人の教えを正確に伝えられた蓮如上人は、
ただ声に出して南無阿弥陀仏とばかり称うれば、
極楽に往生すべきように思いはんべり。
それは覚束なきことなり
」  (御文章

と、何度もその誤りを正しておられます。
では、「なむあみだぶつ」とは何でしょうか。
この機会によく知っていただきたいと思います。
「南無阿弥陀仏」のことを、六字の御名号といいます。
名号とは、分かりやすく例えるならば、
阿弥陀仏という名医が、
私たちの重い心の病を見るに見かねて、
何とか助けてやりたいと作ってくだされたお薬です。

何のために生まれ、生きるのか。
死ねばどうなるのか、分からない。
未来への不安を抱えて生きているのが、
すべての人ではないでしょうか。

名号には、その暗い心をぶち破り、
大安心の明るい心にしてくださる
絶大なお力があるのです。

親鸞聖人は「功徳の大宝海」と言われ、
蓮如上人は、
『南無阿弥陀仏』と申す文字(もんじ)は、
その数わずかに六字なれば、
さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、

この六字の名号の中には、
無上甚深の功徳利益の広大なること、
更にその極まりなきものなり

            (御文章
南無阿弥陀仏という文字は、
たったの漢字六字だから、
そんなすごい働きがあると思えないだろう。
だがこの六字の名号には、想像を超えた、

私たちを絶対の幸福にする、
広大無辺なお力があるのだよ”
と、教えられています。

そんなものすごい働きがあると思えないのは、
猫に小判、豚に真珠で
私たちに値を知る知恵がないからです。

釈迦45年の一切経は、
いわば阿弥陀仏が精魂込めて完成された
「南無阿弥陀仏」という薬の効能書きです。

しかもお釈迦さま
私は生涯、名号の大功徳一つ説き続けたが、
説き尽くせなかった
とおっしゃって、お亡くなりになっています。
この六字の妙薬は、阿弥陀仏が、
私たちにのませて助けるために
作られたものですから、
私たちが受け取らなければ、
そのご苦労は水泡に帰してしまいます。

仏法を真剣に聞き抜いて、
この南無阿弥陀仏を頂いた時、
私たちの一切の苦しみは解決し、
“よくぞ人間に生まれたものぞ”と、
生命の歓喜を得るのだと
親鸞聖人は教えられました。
この南無阿弥陀仏の大功徳を
丸もらいしたことを、
「信心決定」とか「信心獲得」
といわれるのです。

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●念仏は何のため?

では、念仏とは何でしょうか?
南無阿弥陀仏の特効薬を頂いて(信心獲得)、
苦しみに沈んでいた人生が
明るく楽しい人生に大転換しますと、
その喜びのあまり阿弥陀仏に
お礼を言わずにいられなくなります。
そのお礼の言葉が、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と
口に称える念仏なのです。
50年か100年の肉体の命を
延ばしてもらってさえ、
どんなに感謝せずにおれないか分かりません。
ましていわんや、無量寿の命を頂いて、
永遠の幸福に救われた幸せは
とても言葉になりません。

お礼の言葉は、日本人なら「ありがとう」ですが、
アメリカやイギリスの人なら「サンキュー」、
フランス人なら「メルシー」、
中国人なら「謝謝(シェシェ)と相手によって変わります。
阿弥陀仏に対しては、
「南無阿弥陀仏」と称えることがお礼なのです。

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人間死んだら無になるのか? [Q&Aシリーズ]

 (真実の仏教を説かれている先生の書物「とどろき」から載せています。 )

(質問)
「死んだらおしまい」とも言うように、
私は死んだら無になると思っています。
「死んだらどうなるか分からない心」は、
人生の中でほとんど重要性を持たない心だと
思いますが、いかがですか。
           (茨城県・60代男性)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(答え)
日々生きることに精一杯で、死んだらどうなるか、
考えたこともないという人がほとんどでしょう。
また死ねば無になるだけ、
死んだ後のことなど考えてもしかたない、
と思う人もあるでしょう。

ところが親鸞聖人は「死ねばどうなるか」の答えを、
わずか9歳で仏門に入られたことが、
アニメ『世界の光・親鸞聖人』第1巻に描かれています。
4歳で父君を、8歳で母君を亡くされた
松若丸(親鸞聖人)は、野辺送りのあと、
伯父の藤原範綱卿(ふじわらのりつなきょう)と
夕焼け空を見ておられました。

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範綱 「とうとう一人になられたなあ」

松若丸は黙ってうなずき、
飛んでいく雁の群れを見ながら、
問いかけられます。

松若丸 「どこへ行くんでしょう」

範綱 「雁も、うちに帰るんだろう」

松若丸 「いいえ伯父さま。
    人は死ねばどこへ行くのでしょうか」


範綱 「ん?うーん、どこか遠い所、だろうなぁ」

松若丸 「どんな所でしょうか。遠い所、とは」

範綱 「どんな所かと言われてもなあ」

松若丸 「死ねばどうなるんだろう」

答えに窮した範綱卿は
「ともかく松若丸は藤原家の跡取りとして、
しっかりとやっていかなければ」
と話題をそらすのでした。

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養和元年(聖人9歳)。
範綱卿に手を引かれ、
青蓮院の石段を上っていかれる
松若丸の姿がありました。

範綱 「どうしても出家したいのか」

問う範綱に、松若丸はこう答えられます。

松若丸 はい。次は私が死んでいかなければならない
      と思うと、不安なんです。
      
何としても、ここ一つ、明らかになりたいのです。
      どうか、お許しください

かくて聖人は、即日出家なされたのでした。

果たして死の問題は、
私たちの人生にほとんど影響のない
小さなことなのでしょうか。
こんな話があります。

・・・・・・・・・・・・・・・・
抹香くさいことが、大嫌いな男がいた。
「坊主の顔を見るのがイヤだ。
オレが死んだら葬式など、
ムダなことは一切やるな。
遺体はどこかで焼いて、
空からパーッとばらまくか、
それも面倒なら、川かなんかへ流してくれ」
これがいつもの公言だった。

ところが、この世は老少不定。
不幸にも、その男より先に、
かわいがっていた一人息子が急死したのだ。

悲しみにうちひしがれたその男は、
遺体をきれいに拭いて着飾らせ、
大嫌いだった寺へ行き、
「住職さん。最愛の息子の供養に、
ひとつ盛大な葬式をしてやってください」
と頭を下げた。
葬式も済ませ、遺骨は寺の墓地に納めた。
その日は雪だった。
墓にやってきた男は、墓石に積もった雪を、
手できれいに払いのけ、
持参したミカンやお菓子を供えて手を合わせ、
「息子よ、さぞかし寒かろう。さあ、おあがり」
と、生きている者に話しかけるように言って、
いつまでも墓前を去ろうとしなかったという。

この人は、にわかに死後の世界を
認めるようになったわけではないでしょう。
ただ、そうせずにおれなかった。
悲しみに狂わんばかりの自分を、
盛大な葬式や墓参で、
支えずにおれなかったのです。
ここに私たちは、いかんともしがたい
感情の動物性を見るのです。

「死んだ後が有るか無いかは知識の問題、
死んだ後助かりたいかどうかは人間の問題である」

といわれます。

ふだんは「死んだら死んだ時さ」と言っている人も、
ある日、健康診断で黒い影が
見つかったらどうでしょう。

「念のため精密検査を」
と大病院を指定され、
「ご家族はおられますか」と聞かれたら。
もしかしたら死に直結する病ではなかろうか・・・。
医師の一挙手一投足に一喜一憂し、
今まで楽しんでいたゴルフや晩酌も、
一瞬で色あせ、
光を失ってしまうのではないでしょうか。

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ガンと10年闘って世を去った、
岸本英夫氏(東大・宗教学教授)は
こう言っています。

「人間が、ふつうに、幸福と考えているものは、
傷つきやすい、みかけの幸福であるかどうかは、
それを、死に直面した場合にたたせてみると、
はっきりいたします。(中略)
今まで、輝かしくみえたものが、
急に光を失って、
色あせたものになってしまいます。
お金では、命は、買えない。
社会的地位は、死後の問題に、
答えてはくれないのであります

              (『死を見つめる心』)
そして、大問題になるのは「死後どうなるか」だけだと、
次のように述べています。

「生命を断ち切られるということは、
もっとくわしく考えると、どういうことであるか。
それが、人間の肉体的生命の終わりであることは、
たしかである。
呼吸はとまり、心臓は停止する。(中略)
しかし、生命体としての人間を構成しているものは、
単に、生理的な肉体だけではない。
すくなくとも、生きている間は、
人間は、精神的な個と考えるのが常識である。
生きている現在においては、
自分というものの意識がある。
『この自分』というものがあるのである。
そこで問題は、『この自分』は、
死後どうなるかという点に集中してくる。
これが人間にとっての大問題となる」
(同)

これはただ、末期のガン患者に
限ったことではありません。
どんな生き方をしようと、
誰にでも死は確実に訪れます。
それは万人が直面しなければならない問題であり、
何人(なんびと)もこの問題から
逃げ切ることはできません。
病気が怖い、老いが怖い、
災害や原発が恐ろしいと騒ぐのも、
根底には死があるからでしょう。
死という核心に触れることを避け、
それらに衣を着せて
対面しようとしているにすぎません。
意識しようとしまいと、
人生の全体はこの死の不安に
覆われているのです。

そのままで本当に、
真の生の充実を味わうことができるでしょうか。


仏教に「生死一如」という言葉があります。
一如とは、紙の表と裏のように
切っても切り離せないこと。
生きている我々の100パーセントの行く先が
死ですから、
その未来が暗くして、今
を心から楽しめる道理がありません。

飛行機でいえば、機内で映画や音楽、
食事など空の旅を楽しめるのは、
「5時間後にはホノルル空港だ」
「あと8時間でロサンゼルスに到着する」
と、行く先がはっきりしているからこそです。
もし機長から、
こんなアナウンスが流れたらどうでしょう。
「皆さん、当機はただ今、
順調に航行しておりますが、
降りるところがありません。
燃料はあと5時間ほどでございます。
その間どうぞ、空の旅をゆっくりとお楽しみください」
皆、不安で狼狽し、

何はさておき無事降りる場所はないかと、
必死に求めるのではないでしょうか。


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死後がハッキリしないのは、
行く先分からぬ飛行機の乗客と同じ。
これほどの大事は人生にありませんから、
仏教では、「生死の一大事」とも「後生の一大事」とも
いわれるのです。

この確実な未来を「往生一定」と
明らかにするのが仏法の目的です。
弥陀に救われ、いつ死んでも
無量光明土間違いなしとハッキリすれば、
この世から光明の広海に浮かぶ
素晴らしい人生となりますから、
そこまで聞いてください。
(無量光明土とは、阿弥陀仏の極楽浄土のこと)


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崩れない幸せはあるのか? [なぜ生きる]

 (真実の仏教を説かれている先生の書かれた「とどろき」より載せています)

だれもが、
 大切なものを失いたくない、
 苦労して手に入れたものを手離したくない
                 と願っています。
しかし、愛する人と別れ、
 突然の病に倒れ、災害で家や財産を失い、
  涙の谷に沈んでいる人は数知れません。
私たちが望む、
  絶対に裏切られない幸せは、
         どこにあるのでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

●築き上げてきたものが
       一瞬で崩れてしまう

今年の夏の集中豪雨は、
各地で多数の死傷者や家屋損壊の被害を出しました。
突然の土石流に襲われ、腰まで泥につかりながら、
身一つで避難所へたどり着いた人々。
雨がやみ、様子を見に帰れば、泥に埋もれたわが家の惨状。
思い出の品もすべて失い、悲嘆の中で、
今後の生活に不安を漏らす人もありました。
必死に築き上げてきた幸せが、いとも簡単に崩れてしまう。
これは、だれにでも、いつでも起こりうる現実ではないでしょうか。
一体、何を手に入れれば、
私たちは真に安心、満足できるのでしょう。

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●幸せのまっただ中で「怖い」のはなぜ?

恋人や夫婦など、必要とし必要とされる人との
出会いや生活は、人生に輝きを与えてくれます。
何気ない会話やささやかな食事も、
一緒にいるだけでハッピーな気分になります。
ともに喜び、悲しんでくれる人の存在に、
目の前の苦難を乗り越える勇気を得ます。
しかし、その幸福も、無事には終わらないようです。
退職したら、今まで苦労をかけてきた妻と
ゆっくり旅行でもして、
楽しい余生を過ごそうと思い描いていたのに、
突然、三行り半を突きつけられる。
「熟年離婚」がドラマの題名にまでなり、
離婚相談を受け付ける機関が増えています。
夫や妻から捨てられる悲劇を防ごうと、
テレビや雑誌などで、
熟年離婚の危機を乗り越える特集が組まれています。

お互いの気持ちが続き、
一緒に生活できれば幸せでしょうが、
必ず最後、死によって引き離される時が来ます。
愛情が深ければ深いほど、
死別の苦しみもまた、大きくなります。

気象キャスターの倉嶋厚さんは、
愛妻・泰子さんを亡くした喪失感からうつ病になり、
自宅マンションの屋上から飛び降りようとした経験を、
自著『やまない雨はない』につづっています。
40年以上連れ添った夫人との死別を受け入れられず、
「早く妻の元へ行きたい。
死ねばすべての苦しみから解放される」
と思ったともいいます。
倉嶋さんは、泰子さんの生前、
いつかは訪れる死別に備えようと、
家事の特訓を受けたり、2人で話し合い、
延命治療についての書類を書いたりもしました。
しかし実際は、
「ひとりになる心の準備は
ひとつもできていなかった」
と告白しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

配偶者との死別は、誰もがいつかは体験することで、
第三者から見れば、「あの人もね・・・」と思うだけです。
しかし、それに直面した人の苦しみは計り知れず、
その内容もさまざまです。
どんなに深く理解したとしても、
当事者の心の痛みを
そのまま感じることは誰にもできませんし、
私の痛みは私が引き受けるしかありません。
悲しみというものはいつだって個別的です。
       (倉嶋厚『やまない雨はない』)

・・・・・・・・・・・・・・・・・

深く信じていればいるほど、つらく悲しい別離。
今の幸せが燃えれば燃えるほど、
裏切られた時の痛嘆は深さを増すからです。
大切な人と寄り添う幸せのまっただ中にも、
心の奥の不安が離れません。
結婚式のあと、夫の胸の中で、
「私、怖いほど幸せ」とつぶやく新妻は、
やがて崩れることを予感するからでしょう。

懸命に築いてきた名誉や地位を失う苦しみも大きいのです。
会社のために働けば、きっと報われる、
と信じて、
サービス残業や休日出勤までしてきた人たちが、
リストラや倒産で、ため息の毎日。
同僚としのぎを削って手に入れた役職も、
問題が起きれば、一夜にして交代。
何とか無事に定年を迎えても、
仕事一筋だった人ほど、何をしたらいいか分からず、
途方に暮れる。
暇を持て余し、前の職場に顔を出してみると、
自分がいなくても会社は変わりなく回っている。
「言いようのないむなしさに襲われたよ」
と吐露した人もありました。

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●すべて忘れても  
     生きる意味とは

年を取れば、思うように体が動かなくなり、
病気も増えていく。
健康から裏切られていくのです。

不自由なのは肉体だけではありません。
自分の脳や記憶にも、捨てられていきます。
認知症は、高齢者に多い、記憶を失う病気ですが、
最近は、65歳未満で発症する若年性認知症も
深刻な問題となっています。
働き盛りのサラリーマンが仕事を辞めねばならなくなり、
夫を介護しながら働く妻、
また、仕事をしながら妻の世話をする男性もあります。
周囲の理解が得られず孤立したり、
受け入れてくれる施設も少なく、
高齢者の介護以上に苦労は大きいようです。

若年性認知症をテーマにした小説
『明日の記憶』(萩原浩著)が映画化され、
話題になりました。
映画を見た多くの人が、
他人事ではないと感じたようです。

50歳になったばかりの佐伯は、
広告代理店の部長を務め、
一人娘の結婚式を控えるサラリーマン。
物忘れがひどくなり、
めまいや不眠に悩まされて受診した病院で、
若年性アルツハイマーと診断される。
取引先との約束を忘れたり、
よく知っていたはずの道に迷い、
待ち合わせに一人で行けなくなったり、
次第に仕事に支障を来すようになる。
部長の職を失い、ついには退社。
料理の味がしなくなり、
本や新聞の文字はアリの行列のように見える。
結婚した娘の顔が思い出せず、果ては、
献身的に自分を支えてくれる最愛の妻のことさえ、
分からなくなってしまう。

アルツハイマーになると、
記憶を損なうだけでなく、
妄想や幻覚、暴力的な衝動などの
二次的な異常も現れてくるといわれます。
記憶を失い、人格が崩壊してからの
自分は生きているといえるのか、
と佐伯は自問します。
一生かけて築いてきたものが、失われていく。
周りのすべてに捨てられるようなもの。
それでも生きねばならない、
人生の意味とは何なのか。

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●悲劇の滝壺に向かって
      生きている

たとえ災害に遭わず、病にかからなくても、
すべてに人は必ず最後、
死んでいかなければなりません。

死ぬときは、今まで得てきた一切を失い、
最も大事にしてきたこの肉体さえ
焼いていかねばなりません。

まことに死せんときは、
予てたのみおきつる妻子も財宝も、
我が身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、
唯一人こそ行きなんずれ

          (御文章一帖目十一通)

蓮如上人のお言葉です。
「まことに死せんときは」とは、
“いよいよ死んでいく時は、”ということです。
「生ある者は必ず死に帰す」といわれるように、
死は私たちの100パーセント確実な未来です。

しかし、いよいよ死なねばならぬとなったら、
どうでしょう。
「予てたのみおきつる妻子も財宝も」とは、
“今まで頼りにし、あて力にしてきたすべてのもの”
ということです。
私たちは何かを頼りにし、あて力にしなければ、
生きてはいけません。

夫は妻を、妻は夫をあて力にし、
親は子供を、子供は親を頼りに生きています。

「これだけ通帳に預金があるから大丈夫」
「土地があるから安心だ」と、
金や財産を支えに生きています。
会社で昇進した、教授になった、
ノーベル賞を取った、
などなど、
私たちがあて力にして生きているものすべてを、
「予てたのみおきつる妻子も財宝も」
と言われているのです。
「わが身には一つも相添うことあるべからず」とは、
病気の時は、妻や子供が介抱してくれると、
あて力にもなりましょうが、死ぬとなったら、
どんなに愛する家族もついてはきてくれません。
山積みの札束も、土地も株も証券も、
死んでいくときは、紙切れ一枚持っては行けず、
全部、この世に置いていかねばなりません。
肩書きもバッジも、
明かりになるものではありません。

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日本の歴史上、彼ほど成功した者はない、
といわれる豊臣秀吉も、臨終には、

「露と落ち 露と消えにし わが身かな
   難波のことも 夢のまた夢」

と告白して死んでいます。
草履取りから身を起こして太閤まで昇りつめた。
大阪城の天守閣から天下に号令をかけた。
庭には名木、奇石を並べ、
御殿には七宝をちりばめた聚楽第で、
数知れぬ美女たちと戯れた。
諸大名や側室、女房衆1300人を集めた盛大な醍醐の花見・・・、
「ああ、すべては、
ただ一朝(いっちょう)の夢でしかなかった」と、
寂しく息を引き取っています。

「されば死出の山路のすえ・三途の大河をば、
唯一人こそ行きなんずれ」

“人間、最後は丸裸。
たった一人で暗黒の後生へと
旅立っていかなければならない”
と蓮如上人は、おっしゃっているのです。

咲き誇った花も散る時が来る。
必死にかき集めた財産も、
名誉も地位も、愛する人も、
死ぬときには、すべてわが身から離れていく。
独りぼっちで地上を去らなければなりません。

これほどの不幸があるでしょうか。
すべての人は、こんな悲劇の滝壺に向かって
生きているのです。

これでは、私たちは何のために生まれてきたのか、
何のために生きているのか、
どんなに苦しくとも、
なぜ頑張って生きねばならないのか、
分かりません。

苦しみに耐えきれず、自殺していく人は、
日本だけでも年間3万人を越えています。
私たちは決して、
苦しむために生まれてきたのではありません。
生きているのでもありません。
本当の人生の目的を知り、達成し、
「人間に生まれてきてよかった。
この身になるための人生だったのか」
と生命の大歓喜を味わうために生きているのです。

●摂め取られて
     捨てられない幸せ

絶対に捨てられない幸福なんて、
本当にあるの?」
とだれしも、疑問に思うでしょう。

あるのです。
その「絶対の幸福」の厳存(げんぞん)を
明示されているのが、
世界の光・親鸞聖人なのです。

有名な『歎異抄』に、「摂取不捨の利益
とあるのが、それです。
「摂取不捨」とは文字通り、“摂め取って捨てぬ”こと。
例えば、こういうことです。

ある親子が寝ていると、川が氾濫して、
濁流が家の中まで押し寄せてきた。
電気は消え、親子ともども水に押し流されようとした。
その時、暗闇で父親が、
「しっかり、ワシの帯に捕まっていろよ。
岸まで泳ぐからな」
と子供を帯に捕まらせ、必死に泳いで、岸にたどり着いた。
ところが、帯に捕まっていたはずのわが子がいない。
途中で力尽き手を離して、濁流に流されてしまったのだ。
これでは、摂取不捨にはなりません。

そうではなく、父親が片方の手で子供をしっかり抱き抱え、
もう一方の手だけで岸まで泳ぎ切る。
これなら、子供が離れようとしても離さず、
子供に力がなくとも、すべて親の力で岸に着くことができます。
これが「摂取不捨」です。

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「利益」は、“幸福”をいいます。
“ガチッと摂め取られて、捨てられない幸福”を
「摂取不捨の利益」といわれているのです。
人生の目的は、
この摂取不捨の幸福を獲ることだと
親鸞聖人は断言されています。

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●どうすれば人生の目的を
       達成できるか

では、どうすれば、
その幸福を獲ることができるのでしょう。

それについて、
お釈迦さまは、
「一向専念 無量寿仏」(大無量寿経)
と教えられています。

「無量寿仏」とは、阿弥陀仏のこと。
大宇宙に数え切れないほどおられる
仏方の先生(本師本仏)です。
すべての人を絶対の幸福に
救う力のある仏は、
大宇宙広しといえども、
阿弥陀仏以外におられません。

大宇宙の諸仏方にも、その下の菩薩や諸神にも、
私たちを救う力はない、
とお釈迦さまは明言されています。

大宇宙のすべての仏や菩薩、神から見捨てられた私たちを
決して見捨てず、必ず未来永遠の幸福に
救ってくださるお方が、
本師本仏の阿弥陀仏なのだ
と、
蓮如上人は次のように仰っています。

「それ、十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人も、
空しく皆十方・三世の諸仏の悲願に洩れて、
捨て果てられたる我ら如きの凡夫なり。
然れば、ここに弥陀如来と申すは、
三世十方の諸仏の本師・本仏なれば、
久遠実成の古仏として、
今の如きの諸仏に捨てられたる
末代不善の凡夫・五障三従の女人をば弥陀に限りて、
『われひとり助けん』という超世の大願を発して、
われら一切衆生を平等に救わんと誓いたまいて、
無上の誓願を発して、
すでに阿弥陀仏と成りましましけり」
           (御文章二帖目八通)

阿弥陀仏が本願に、
「一心にわれを信じよ。
いかなる罪深い人でも平生に救い切る」
と約束されていますから、
弟子のお釈迦さまは、
「弥陀一仏に向かいなさい。
阿弥陀仏だけを信じなさい」
と一生涯、教え勧められています。
この「一向専念無量寿仏」が、
釈迦一代の教え・仏教の結論なのです。

弥陀のお力によって、
絶対に捨てられない身にガチッと摂め取られ、
「人身受け難し、今すでに受く」(釈尊)

“よくぞ人間に生まれたものぞ”と、
ピンピン輝く
摂取不捨の幸福こそ、
万人の求めてやまない
人生究極の目的なのです。

この不滅の真理を知るならば、
どんな苦しみも意味を持つ。
光に向かって進んでこそ、
真に素晴らしい人生となるのです。
一日も早く、一向専念無量寿仏の身となって、
永遠の幸福を味わってください。


・・・・・・・・・・・・・・・・・
(体験手記)

裏切ることのない幸福を求めて 
          鳥取県  山内和子さん(仮名)
「ご主人が海に落ちた模様です」
大恋愛の末の結婚で、
幸せの絶頂にあった昭和46年2月のこと、
漁に出かけた夫の帰りを待つ私に、
電話がありました。
必死の捜索にも遺体が上がらず、
26歳で私は夫を亡くしたのです。
その年の冬、漁船の網にかかった主人の遺体は、
冷凍状態できれいなままでした。
あふれる涙をこらえ切れず、
どれだけ泣いたか分かりません。
親戚の集まりでは、みんな夫婦そろっている中で、
いちばん若い私だけが独り。
その寂しさ、悲しみは言い表しようがありませんでした。
数年後、2人連れの夫と再婚。
無口でまじめな主人と、なさぬ仲の子供との間で、
気が休まらぬ日々でした。
子供たちも自立し、これからと思っていた平成10年6月、
元気に出かけた夫が、
その夕方、仕事場で10トンダンプに腰から下をひかれたのです。
「行ってくるぞ」
私の聞いた、夫の最後の声でした。
「朝に紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」の、
『白骨の御文章』そのままです。
アニメ『世界の光・親鸞聖人』によって、
本当の親鸞聖人の教えを知らされた今、
決して裏切ることのない幸福に救い摂られるまで、
弥陀の本願を聞き求めていきたいと思います。


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人はなぜ生きるか。 [親鸞聖人]

(真実の仏教を説かれている先生の書物「とどろき」より載せています。)

人はなぜ生きるか。
いかなる文学者・哲学者も解答しえない、
この難問に、真正面から明確な解答を示された方が、
世界の光・親鸞聖人である。
八百年の古、鎌倉の世に活躍された親鸞聖人は、
九十年の生涯を賭けて、仏教により、
人生の意義・目的を明らかにされた。
今日、浄土真宗と言われる親鸞聖人のみ教えは
平生業成(へいぜいごうじょう)」である。


平生業成とは、平生に人生の大事業が完成する、
の意である。
では、大事業とは何か。
一般には松下幸之助が、松下電器を創立発展させたこと、
本田宗一郎が、オートバイのホンダを、
世界的な企業に躍進させたことが、大事業といわれる。

親鸞聖人が、
人生の大事業といわれたのは、
そのようなものではない。
全人類にとって最も大切な、
人生の目的である。


●どこへ向かうか

人は何のために生まれたのか。
生きているのか。
生きることは苦しいが、
それでもなぜ生きてゆかなければならないのか。

これを人生の目的という。
人生において何より優先して知らねばならないことだ。

例えば生きることを「歩くこと、走ること」としてみよう。
人生は旅だから「生きて行く」と言う。
歩くにしろ、走るにしろ、
その人が最初に知らねばならないのは、
目的地である。
どこに向かって歩くのか、走るのか。
それを知らずにスタートしても、
疲れるだけである。

人生の大事業とは、この人生の目的のことである。
それが平生に完成する、
親鸞聖人は教えられた。

数ある文学者・哲学者も、
人生の目的については「わからない」とか
「無意味である」とかつぶやいて、無力そのものだ。
中には自殺してしまった芥川龍之介や、
太宰治の例もある。

しかし、彼らは仏教を枠外において論じているのだ。

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幸福の追求が
      人生の目的ではない


人生の目的は、幸福である。
これに異論を唱える人はなかろう。

人類七十億、日々何をしているかと言えば、
幸福の追求ではないか。
学ぶのも働くのも、恋愛も結婚も、家を建てるのも、
みな、幸福の追求である。
それこそ人生の目的だと思っている。

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しかし、幸福の追求は、人生の目的ではない。
人生の目的は、幸福の追求ではなく、
幸福の完成である。

親鸞聖人の「平生業成」とは、
「平生に幸福が完成する」との大宣言であり、
その幸福の完成を、
親鸞聖人は、「無碍の一道」と言われた。


念仏者は無碍の一道なり
       (親鸞聖人)

「無碍」とは、一切の障り、病気、事故、災難なども、
その幸福をさまだげ、崩せないこと。
死という大敵すら、
この喜びを壊すことができないから
「無碍の一道」という。


親鸞聖人は、九歳にして出家され、約二十年間、
厳しい仏道修行に身を投じられたが、
二十九歳の時に、法然上人にめぐり会い、
阿弥陀仏の本願を聞信し、
無碍の一道に救い摂られた。

幸福の完成を体験なされた。

幸福の完成に至る道は、
人類史上最大の聖者・大聖釈迦牟尼世尊によって
明らかに示されていた。

●仏教の旗印
    諸行無常の真実

仏教とは、二千六百年前、
インドに出現された釈尊によって
説かれた教えである。
仏教は、他の宗教との違いを
厳然と表す旗印を持っている。

戦国時代、武将はそれぞれの旗印により、
敵味方を峻別した。
武田信玄なら「風林火山」、真田幸村なら、「六文銭」、
豊臣秀吉なら「千成瓢箪」などが有名である。

仏教の旗印を「三法印(さんぽういん)」という。
一、諸行無常印
二、諸法無我印
三、涅槃寂静印

この三つである。

「諸行無常」については『平家物語』の冒頭に
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」
とあることから余りに有名だ。
「諸行無常」とは、
この世の存在するすべてのものは、
必ず崩れる、壊れる、亡びる、の意である。


諸行無常の真理の前には、
この世のどんな幸福も、たちまち色あせる。
金、財産、名声、健康、妻、子供、家、
これら一切もまた無常であり、続かない。
まさしく、不完全な幸福であり、
臨終になれば、総崩れになってしまう。


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聖徳太子はこれを、
「世間虚仮」(世間は虚仮なり)
と喝破なされ、親鸞聖人もまた、
火宅無常の世界はよろずのことみなもって、
そらごと・たわごと・まことあることなし

             (嘆異抄)
と仰せられている。

●苦悩からの解放

では人間は、完全な、真実の幸福は、得られないのか。
そうではない。


「涅槃寂静」が、これまた仏教の旗印である。
「涅槃」は、インドでは「ニルバーナ」と
釈尊が言われたお言葉だ。
「ニルバーナ」は「吹き消す」の意味であり、
その意味から「滅度」と漢訳されている。
滅度とは、苦悩が滅してしまった世界である。
「解脱」とも言われる。
苦悩から、解放され、脱出してしまった境地である。
「涅槃寂静印」とは、一切の苦悩から離れた、
そして再び滅びることのない真実の幸福が
厳存(げんぞん)するとの釈尊の大宣言である。

仏教以外、この世界を教える者はない。
これを仏覚、仏の覚(さとり)というが、
釈尊自ら、三十五歳十二月八日に仏覚を成就完成なされて、
その世界のあまりのすばらしさ、広大無辺で、
不可思議であることに驚いておられる。


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一時は、涅槃の世界の想像を絶する素晴らしさに、
「このような不可称、不可説、不可思議の世界のあることを、
欲、怒り、愚痴の煩悩に引きずり回されている世俗の人々に説いても、
到底、理解し得ないだろう。
それどころか、いたずらに謗らせ、恐ろしい謗法罪を造らせるだけではないか」
と、布教の至難さを感じて、自殺を図られたと仏伝は記している。

しかし思いなおされ、釈尊は、我々が、幸福の完成・涅槃に至る道を
二通りご教示なされている。

●自力と他力

自力難行道
釈尊のように、あくまで自力で善根を励み、難行に耐えて、仏覚を目指す道である。
禅宗、天台宗、真言宗などが代表である。
しかし仏の悟りに至る五十二段の階定は、自力難行道で上ることは不可能である。
天台宗の開祖の天台ですら、臨終に「我、五品弟子位のみ」と、
下から九段目までしか行けなかったことを告白している。

他力易行道
阿弥陀仏の本願力を信ずる一念に、五十一段高飛びして、
あと一段で仏覚という、等正覚、涅槃分に入る道である。
こちらは、老少善悪の人を選ばず、
誰でも「信ずる一念」で救われる。
親鸞聖人が明らかになされている道である。
等正覚とは、五十一段目の位。
あと一段で仏覚であり、ほぼ等しいから等正覚という。
涅槃分とは、仏覚が涅槃なのだが、あと一段だから、
その涅槃にほぼ等しいとの意味で「涅槃分」と言われるのだ。

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●法然上人の幸福の完成

親鸞聖人が二十九歳にしてこの等正覚、涅槃分を体験されたことは、
前述の通りであるが、その師、法然上人の場合はどうか。

法然上人はまた、幼少にして父君と死別され、
自力難行道である天台宗の僧侶となられた。
以来、二十余年、ひたすら、仏覚を求められたが、
やがて、天台宗を捨て、新たな道を求められた。
泣き泣き、釈尊の残された一切の経典、七千余巻を、ひもとかれること五度、
遂に中国の高僧、善導大師の書物を通じての指南により、
他力易行道、阿弥陀仏の本願に救い摂られ、無碍の一道、絶対の幸福たる、
五十一段の位に入られたのだ。
時に承安五年、法然上人、四十三歳の春であった。
これを信心決定ともいう。
阿弥陀仏の本願力によって平生に幸福を完成された法然上人は、浄土の一門こそ、
万人が幸福に至る道と、明らかに示された。


●死を眼前にしても
平生業成とは、絶対の幸福を体験することだ、と聞いて、
不審に思う人も多いだろう。
本当にそのような、死を眼前にしても壊れない幸福などあるのだろうか、
との疑問である。

富山県のある妙好人の例で示そう。
その方は、太平洋戦争の混乱期、真剣に仏法を求め、
弥陀の本願を心から喜ぶ身となっておられた。
ところが高血圧の持病があり、昭和四十三年春、
急に心筋梗塞で倒れられた。
医師の診断では、血圧ゼロ、脈拍は一分間に四、五回、
九分九厘、快復の見込みはなかった。
しかし担当した名医の判断により、
万が一の僥倖(ぎょうこう)を念じての執刀開始、
深夜に終了しても容体はほとんど変わらず、
依然、意識不明のまま翌朝となった。
その時、急に、その妙好人の口から
「力なくしてまいれば、めでたし、めでたし」
という声、更に念仏が続いた。
五日後、意識の戻ったその方は、そのことを問われた時、
「何にも覚えておりませんが、ただ、
阿弥陀仏にもたれた心安さがずっと続いておりました」
と、しみじみ述懐されたという。

生きるか死ぬか、の瀬戸際になお、
「力なくしてまいれば、めでたし、めでたし」
と心から言えるのだ。

●『歎異抄』には

親鸞聖人の最晩年のお言葉として『歎異抄』に
次のような言葉が伝えられている。

名残惜しく思えども、娑婆の縁つきて力なくして終る時に、
かの土へはまいるべきなり

            (第九章)

大意「今まで流転を重ねてきたこの娑婆世界は、
まことに名残惜しいものがあるが、
娑婆に生きる縁が尽き、生きる力を失った時は、
その時こそ弥陀の浄土にまいらせていただくのだ

死後への不安はまったくなく、生きてよし、死んでよし、
の無碍の一道・絶対の幸福の世界である。


●東条英機の意外な最期

太平洋戦争開戦時、軍国日本の首相であった東条英機は、
敗戦後、東京裁判により、死刑の宣告を受けた。
死刑囚として巣鴨の刑務所にいた時、
教かい師より、親鸞聖人のみ教えを聞法し、
弥陀の本願に救われたと伝えられている。
その東条英機が、いよいよ死刑になったのが、
昭和二十三年十二月二十三日午前零時一分であった。
死刑直前に彼は筆を執っている。
東条英機の辞世の歌は、以下のものである。
日も月も 蛍の光 さながらに 行く手に弥陀の光輝く
「娑婆の皆さん、さようなら。
この東条は、いよいよこの娑婆世界を離れて、
弥陀の浄土に往かせていただきます。
私のような極悪人が、なぜこのような幸福な身に救われたのか、
喜ばずにはおれません

まさに、「力なくして終る時に、かの土へはまいるべきなり」
との聖人のお言葉を彷彿とさせるものがある。


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●心は浄土に
     遊ぶなり

平生に人生の目的・絶対の幸福を弥陀の本願によって完成させられた人は、
この世から大安心、大満足で「心は浄土に遊ぶなり」(親鸞聖人)であり、
必ず、無上涅槃を証することができるのだ。

親鸞聖人のお言葉で確認しよう。
成等覚証大涅槃」(正信偈)
“本願に救われた人は、この世で等覚(さとりの五十一位)と成り、
浄土に往生してから、大涅槃を証する”
不断煩悩得涅槃」(正信偈)
“救われた人は、欲、怒りなどの煩悩あるままで、この世の涅槃分をうる”
念仏往生の願により
等正覚にいたる人
すなわち弥勒に同じくして
大般涅槃をさとるべし

        (正像末和讃)
“弥陀の本願によって、等正覚にこの世で至った人は、
かの弥勒菩薩と同じ位にいるのですから、やがて、
大般涅槃をさとるのです”

では、どうしたら、幸福に完成たる平生業成を体験できるのか。
それは、阿弥陀仏の本願を聞く一つなのである。

たとい大千世界に
みてらん火をも過ぎゆきて
仏の御名をきくひとは
永く不退にかなうなり

      (親鸞聖人)
ただ仏法は聴聞にきわまる
       (蓮如上人)
弥陀の本願に疑いが晴れるところまで、
ひたすら、聞き抜かねばならない。


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苦しみの本当の原因は何か!? [苦しみの根源]

 

(真実の仏教を説かれている先生の書かれた「とどろき」より載せています。) 

我々はみな、幸福を求めて生きています。
しかし、「人生は苦なり
とお釈迦さまが言われたように、
みな苦しんでします。
本当の原因は何か、
それを知らないから
いつまでも苦しみ続けるのだと
お釈迦さまは教えています。

今回は、苦しみの本当の原因について、
仏教にどう説かれているのか、
皆さんにお話したいと思います。



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二千六百年前、仏教を説かれたお釈迦さまは、
人生の実相を、「有無同然」と喝破されました。
「有っても無くても同じ」ということです。
「ん?有るのと無いのとでは、反対じゃないか。
それが同じとは、お釈迦さまもおかしなことを言われる」
と思うでしょうが、
これは、「苦しみから離れられない」のは同じ、
ということです。


お金や財産、地位や名誉、権力、
恋人、妻子など、
無い人は無いことで苦しみ、
有る人は有ることが
不安や心配の種になる。
何を手に入れても、
本当の安心も満足も得られないのだ、
と言われているのです。


科学が進歩し、生活が便利になり、
物質が豊かになった今の日本でも、
自殺者が毎年三万人います。
「人間に生まれてきてよかった」と、
生命の大歓喜を叫び上げている人が
どこにいるでしょうか。


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(世界の光・親鸞聖人アニメより)

人生を苦に染める元凶は、いったい何か。
親鸞聖人は、
「決するに疑情を以て所止(しょし)と為す」

「疑情ひとつ」だと道破されています。
「決するに」「所止と為す」の断言には迷いがありません。

世界中の誰もが知りたい苦悩の根元を、
聖人はたった一言で説ききられているのです。

「疑情」とは、「無明の闇」ともいわれ、
「後生暗い心」のことです。

「後生」とは死んだ後のこと。
百パーセント確実な未来です。
早ければ今晩かもしれません。
いや、心臓発作や脳梗塞で、
今一息切れたら後生なのです。

「暗い」とは「分からない」「ハッキリしない」ことですから、
「後生暗い心」とは
「死後どうなるか分からない心」をいいます。

では、どうして「後生暗い心」が苦悩の根元なのか、
疑問に思う人が多いでしょう。


未来が暗いと現在が暗くなる

未来暗いと、どうなるか。
例えれば、こうもいえましょう。
三日後の大事な試験が、
学生の今の心を暗くします。
五日後に大手術を控えた患者に、
「今日だけでも、楽しくやろうじゃないか」
と言ってもムリでしょう。

未来が暗いと現在が暗くなる。

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墜落を知った飛行機の乗客を考えれば、
よく分かるでしょう。
どんな食事もおいしくないし、
コメディ映画もおもしろくなくなります。
快適な旅どころではありません。
不安におびえ、狼狽し、
泣き叫ぶ者も出てくるでしょう。
乗客の苦悩の元はこの場合、
やがて起きる墜落なのですが、
墜死だけが恐怖なのではありません。
悲劇に近づくフライトそのものが、
地獄なのです。



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未来が暗いと、現在が暗くなる。
現在が暗いのは、未来が暗いからです。

死後の不安と現在の不安は、
切り離せないものであることが分かります。
後生暗いままで明るい現在を築こうとしても、
できる道理がないのです。


五十歳近くになったトルストイが、
気づいたのもこのことでした。
今日や明日にも死がやってくるかもしれないのに、
どうして安楽に生きられるのか。
それに驚いた彼は、
仕事も手につかなくなっています。


「こんなことがよくも当初において
理解できずにいられたものだ、
とただそれに呆れるばかりだった。
こんなことはいずれもとうの昔から
誰にでも分かりきった話ではないか。
きょうあすにも病気か死が
愛する人たちや私の上に訪れれば
(すでにいままでもあったことだが)
死臭とウジ虫のほか何一つ残らなくなってしまうのだ。
私の仕事などは、たとえどんなものであろうと
すべては早晩忘れ去られてしまうだろうし、
私もいなくなってしまうのだ。
とすれば、なにをあくせくすることがあろう?
よくも人間はこれが眼に入らず生きられるものだ。
これこそまさに驚くべきことではないか!
生に酔いしれている間だけは生きても行けよう、
が、さめてみれば、これらの一切が、ごまかしであり、
それも愚かしいごまかしであることに
気づかないわけにはいかないはずだ!」


愛する家族もいつか、この暗い死にぶつかるのだ。
そう思うと、生きがいであった家族も芸術の蜜も、
もう甘くはありませんでした。
作家活動は順調でしたが、
確実な未来を凝視した彼の世界は、
無数の破片にひびわれ一切が光を失いました。


「われわれは断崖(危険)が見えないように、
何か目隠しして平気でその中へ飛び込む」
パスカルは危ぶみます。



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思えば私たちは、真っ暗がりの中を、
突っ走っているようなもの。
「死んだらどうなるか」
未知の世界に入っていく底知れぬ不安を、
何かでごまかさなくては生きてはいけないのです。

文明文化の進歩といっても、後生暗い心が晴れない限り、
このごまかし方の変化にすぎないでしょう。
しかしごまかしは続かないし、
何ら問題の解決にはなりません。
何を手に入れても束の間で、心からの安心も満足もない、
火宅のような人生にならざるをえないのです。


眼前に、人生の目的が、突きつけられる。

人は、生まれたときが
母艦を飛び立った飛行機とすれば、
悪戦苦闘の生きざまは、
乱気流や暴風雨との闘いであり、
敵機との交戦です。
激闘のすえ帰還すると、
母艦の影も形も見あたらない。
見渡す限りの大海原。
燃料系はゼロ、としたらどうでしょう。
長い死闘は何だったのか。
バカだった、バカだった・・・。

大命、将に終わらんとして
悔懼(けく)こもごも至る

                (大無量寿経)

臨終に、後悔と恐れが、
代わる代わるおこってくる

と説かれるのは、
海面に激突する心境に違いありません。
飛行機に墜落以上の大事はないように、
人生に死ぬ以上の大事はありません。
生死の一大事をも、
後生の一大事ともいわれるゆえんです。


ムダな日々を過ごしてきた。
求めるものが間違っていた。
才能、財産、権力があれば
他人はうらやむが、
我が身には喜びも満足もない。
なぜ心の底から満足できる
幸せを求めなかったのか。

後悔のため息ばかりであると
セネカ(二千年前のローマの思想家)は言っています。
「こんなはずじゃなかった」と、
真っ暗な後生(無明の闇)に驚く、
後悔に違いないでしょう。

終幕の人生にならないと
誰も気づかない落とし穴
ですから、
チェーホフ(ロシアの小説家)は、
代表作『六号病室』で
「人生はいまいましい罠」
と表現したのかもしれません。

世人薄俗にして、
共に不急の事を諍う(あらそう)

               (大無量寿経
世の中の人は、
目先のことばかりに心を奪われて、
無明の闇を破る人生の大事を知らない

釈尊の警鐘乱打です。

親鸞聖人が、無明の闇を苦悩の根元と断言し、
これを破って無尽の法悦を得ることこそが、
人生の目的であると明示された純正さが、
いよいよ鮮明に知られるでしょう。

この生死の一大事を知れば、
人生の目的の有無などの議論は、
吹き飛んでしまうに違いありません。
眼前に、人生の目的が、突きつけられるからです。


●生死の一大事の解決

還来生死輪転家 決以疑情為所止」(親鸞聖人・正信偈)
と、苦悩の根元を無明の闇ひとつと
聖人は断言され、
その無明の闇が破られたことを「信心」といい、
その信心ひとつで「生死の一大事」は解決できる
のだと
明言されています。

我々は死ぬことを忘れてしまっています。
大震災で亡くなられた方は、その日の朝、顔を洗うときに、
今日自分は死ぬんだと思った人は誰もいないのです。
死は突然にやってきます。
そのときにようやく自分の心が真っ暗がりで、
死後、苦悩の世界に突っ込むことが分かって泣いても
遅いのです。

早く皆さんが、真実の仏法を求められる日が来ることを
念じるばかりです。


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法然上人、仏教とは弥陀の本願であることを明らかにする! [聖道仏教と浄土仏教]

 (真実の仏教を説かれている先生の書物「とどろき」から載せています。

本師源空明仏教(本師源空は仏教を明らかにして、)
憐愍善悪凡夫人(善悪の凡夫人を憐愍し、)
真宗教証興片州(真宗の教証を片州に興し)
選択本願弘悪世(選択本願を悪世に弘めたまう)
                               (正信偈)

「源空」とは、法然上人のことですが、
親鸞聖人にとっては、
先生ですから「本師」といわれているのです。
当時、法然上人は、「智慧第一の法然房」とか
「勢至菩薩の化身」といわれ、
日本一の仏教の大学者でした。
それは京都の大原で、
各宗派のトップの学者たち380余人を相手に、
たったお一人で7000余巻の一切経を
縦横無尽に引用して、
完膚なきまでに論破なされた有名な大原問答や、
法然上人のお書きなされた『選択本願念仏集』は、
当時の仏教界に水爆級の衝撃を
与えたことによっても明らかなことでした。

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●大原問答・・・・日本中の学者と大法論

親鸞聖人の師・法然上人は、
わが国始まって以来の大法論をなされています。

場所は京都大原の勝林院。
世に名高い「大原問答」です。
どのような法論であったのか。
法然上人の伝記には、
聖道門と浄土門、いすれが真実か。
日本国中の学者が集まり、火花を散らしての問答

とあります。
釈迦一代の仏教を、大きく分けると、
聖道門の仏教と、浄土門の仏教の2つになります。
聖道仏教は自力の修行で仏になろうとする教えで、
天台宗、真言宗、禅宗などを指します。
これに対し、阿弥陀如来の本願以外に
我々の救われる道はない、
と教えるのが浄土仏教です。

聖道門側は、比叡山、高野山、京都、奈良の
名立たる僧侶2000余人
勝林院を埋め尽くしたといいます。

対する浄土門側は、法然上人ただお一人
身の回りのお世話をする弟子が、
わずかに同行しただけでした。

「もし、お師匠さまが一言でも詰まられたら・・・」
と、ガタガタ震える弟子たちに、
上人はニッコリほほえまれ、

「この法然は幸せ者じゃ。
今日一日の問答で、
天下の学者たちを弟子にできるとは。
弥陀の本願を明らかにする、
またとない好機だ」
とおっしゃったといいます。
43歳の時に、
他力金剛の信心を獲得された法然上人は、
(阿弥陀仏に救われていたということ)
大自信にあふれていられました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まず、聖道門側から切りだす。
浄土門が、聖道門より優れているとは、
どういうことか

釈尊(釈迦)の教えに優劣はないが、
法は何のために説かれたものか。
衆生の迷いを転じて、仏覚に至らすためである。
衆生を救う点において、浄土門のほうが優れておる


2000余の学僧がどよめく。
「これは聞き捨てならぬことを」

法然上人は、静かに答えられた。
聖道門は、人を選ぶではないか。
経典を学ぶ知恵のない者、
修行に耐える精神力のない者は求められない。
欲や怒りのおさまらぬ者は、救われないということだ


「いかにも・・・」

さらに、厳しい戒律がある。
完全に実行できる人はどれだけあるのか。
大衆のほとんどは救われないではないか


「・・・・・」

しかし、浄土の法門は違う。
欲のやまぬ者も来い、愚者でも智者でも、
善人悪人、男も女も、全く差別がない。
平等に救われるのだ。
なぜならば、阿弥陀如来が、すべての人を、
必ず救い摂ると、本願を建てておられるからじゃ。
しかも、末法の今日、
聖道の諸教で救われる者は一人もないのだ


「何を、たわけたことを」

末法の今日、自力の修行では
一人もさとりを得る者はないと、
釈尊は説かれている。
これに対し、『大無量寿経』に説かれている
弥陀の本願は、
いつの時代になっても、始終変わらず、
一切の人々を救うと説かれている。
されば、すべての人の救われる道はただ一つ、
浄土の一門のみであることが明らかではないか


「・・・・しかし、阿弥陀如来以外の仏や菩薩に向くなとは、
言い過ぎではないか」


釈尊は、『大無量寿経』に、
一向専念無量寿仏と説かれている。
これは、あらゆる諸仏、菩薩、諸神を捨てて、
一向に専ら、阿弥陀仏を念ぜよ、ということである


「ううむ・・・」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

問答は一昼夜に及びましたが、
法然上人は、いかなる難問にも、
よどみなく答えられ、
すべての学者を論破されたのです。

聖道門の学者たちは、
心から法然上人の高徳に伏し、
「知恵第一の法然房」「勢至菩薩の化身」
とたたえたといいます。
阿弥陀如来の本願の素晴らしさを
知らされた2000余の大衆は、
異口同音に念仏を称え、三日三夜、
その声が山野にこだましたといわれます。

法然上人、54歳の出来事でした。

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●仏教界を震撼させた『選択本願念仏集』

天台や真言など、自力聖道仏教一色の時代、
弥陀の救いを説く浄土仏教を、
堂々開闡(かいせん)されたのが
法然上人でした

上人の『選択本願念仏集』は、仏教史上、
不滅の金字塔です。

その内容は「捨閉閣抛(しゃへいかくほう)」といわれ、
弥陀の本願以外はすべて「捨てよ、閉じよ、
閣け(さしおけ)、抛て(なげうて)」と、
聖道諸宗の教えを、徹底排斥されています。

理路整然、聖道門を打ち破る気魂(きこん)あふれた
選択集』は、
聖道諸師らを心底震え上がらせ、
仏教界に一大波紋を投げかけたのです。

このようなことから親鸞聖人は、
「私の先生の法然上人は、
仏教に精通されている方だった」
と称讃されている
のが、
「本師源空は仏教に明らかにして」です。

●苦しみ悩む人の世に

次に、
「善悪の凡夫人を憐愍して」
とは、善い人も悪い人も、貴い人も賤しい人も、
「すべての人を、哀れに思われて」
ということです。
それまでの仏教は、
「お山の仏教」ともいわれていたように、
家を捨て妻も子供も捨てて、
山に入って修行しなければ助からないという、
一般の人とは無縁の教えが
仏教のように思われていました。

ところが、その「山上の仏教」を山から下ろして、
一般大衆が、ありのままの姿で救われるのが
真実の仏教であることを、
明らかにされたのが法然上人だったのです。

法然上人は自らも比叡山を下りて、
吉水に草庵を結ばれ、
貴族も農民も男も女も差別なく、
すべての人が俗な生活のままで救われる教えこそ、
真の仏教であることを明らかにされました。

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それで親鸞聖人は、法然上人を、
「善悪の凡夫人を憐愍して」
と、その功績をたたえておられるのです。
次に、
「真宗の教証を片州に興し」
とは、「阿弥陀仏の本願」は、
真実の仏教であるから「真宗」と断定なされ、
その弥陀の本願の「教え」と「救い」を
「真宗の教証」といい、
「片州」とは日本のことですから、
「真実の宗教である阿弥陀仏の本願を、
日本に広められた」
ということです。
次の、
「選択本願を悪世に弘めたまう」
といわれている「選択本願」も、
その「阿弥陀仏の本願」のことであり、
苦しみ悩んでいる人の世は、みな「悪世」ですから、
「法然上人は、苦しみ悩みの悪世の日本に、
弥陀の本願を徹底して開顕してくだされたなればこそ、
この親鸞、今こんな幸せな身に
救い摂られることができたのだ」
と、法然上人のご恩に感泣なされている
『正信偈』のお言葉なのです。

 


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曇鸞大師、仙経を焼き捨てて未来永遠の大生命を獲る! [曇鸞大師]

 

(真実の仏教を説かれている先生の書物「とどろき」から載せています。

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約2600年前に、インドで釈尊が
「阿弥陀仏の本願」を説かれてから、
親鸞聖人に正確に伝えられるまで、
インド・中国・日本の七人の高僧のご活躍がありました。
その七高僧のうち、インドの龍樹・天親の二菩薩に続いて、
三人目に数えられるのが、
約1500年前の中国に登場された曇鸞大師です。
親鸞聖人からは、700年前の方ということになります。

聖人のお名前は、「親」と「鸞」は、
天親、曇鸞のお二人から、
それぞれ一字ずつ頂かれたもの。

また『正信偈』の中で「本師」の敬称を用いておられるのは、
曇鸞大師と、直接の師・法然上人だけであることからも、
いかに親鸞聖人が、曇鸞大師に
尊敬の念を抱いておられたか、うかがえます。

当時の中国においても、
その高潔な人徳と仏教の深い学識は、
民衆だけでなく、梁の天子(天皇)も崇敬すること
一方(ひとかた)ならず、
常に曇鸞大師の住んでおられた方角に向かって、
「鸞菩薩」と礼拝するほどでした。
これを親鸞聖人は、
「本師曇鸞梁天子(本師曇鸞は、梁の天子)
常向鸞処菩薩礼(常に鸞の処に向いて「菩薩」と礼したまえり)」
とおっしゃっています。

聖人ご自身は、時の権力者によって、
35歳の御時、越後へ流罪になられました。
そして恩師・法然上人をも流刑に遭わせた彼らに対し、
こう怒りを爆発させています。

主上・臣下、法に背き義に違し、
忿(いかり)を成し、怨(あだ)を結ぶ。
           (教行信証)

「天皇から家臣にいたるまで、
仏法に反逆し正義を踏みにじり、
怒りにまかせて大罪を犯す。
ああ、なんたる暴挙ぞ」

曇鸞大師も、法然上人も、
弥陀の本願一つを説かれたことは同じだが、
中国の天子は曇鸞大師を尊敬し、
日本では法然上人を流刑にした。
なぜ、こうも違うのか。
「日本の権力者たちよ、梁の天子を見習ってはどうだ」
そんな痛烈なお気持ちが、
この2行から伝わってくるようです。

このような梁の天子が礼拝し、
親鸞聖人が尊崇されるような方に、
曇鸞大師がなられたのは、
紆余曲折があってのことでした。
それを聖人は次にこう言われています。

三蔵流支授浄教(三蔵流支、浄教を授けしかば)
焚焼仙教帰楽邦(仙教を焚焼して楽邦に帰したまいき)」


これはどんなことか。
曇鸞大師の半生を見てみましょう。

●曇鸞大師の半生
 
出生地は、中国仏教の聖地として名高い、
五台山(ごだいさん)は、各地から仏教徒の巡拝する、
仏教の中心地でした。
幼い頃から、この仏教の霊地を彼方に
仰ぎながら成長した曇鸞大師は、
まだ15歳にもならぬうちに、この霊山に登り、
その神秘的な感興に、
生涯を仏法に捧げる決意をしたといわれています。
そして、四論宗(しろんしゅう)の学問を中心に、
広く内外の経典に取り組んでいきました。
曇鸞の学んだ四論宗とは、
龍樹菩薩の著された「中論」「十二門論」
「大智度論(だいちどろん)」
などを宗(むね)とする宗派です。
当時の仏教界の主流であったところから、曇鸞も、
この四論の学問に励みました。

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ところが、論の解釈をしている途中で病に倒れ、
中断せざるをえなくなったのです。
療養中に彼は、人間の寿命のはかなさを嘆きます。
一生とは何と短いことか。
まるまる生きて50年、たちまちに過ぎ去ってしまう。
それも天寿を全うできてのこと、
いつ病気やら不慮の事故で死なぬとも限らない。
そうなれば、膨大な経典を学び尽くせるはずがない。
仏法の極意を極めることなどとてもできぬ。
仏道修行するためには、まず長生きしなければならぬ。
それも単なる長生きではせいぜい100年。
7000余巻の経典の前ではあまりに短すぎる。

いっそ、仙人の間に伝えられると聞く、
長生不死の仙術を先に学ぶべきではないか

そう思い立った曇鸞は、そのころ、
仙人として名声の高かった陶隠居(とういんきょ)
をはるばる訪ねました。

人間は弱いもの。
深刻な苦しみに見舞われると、
溺れる者は藁をもつかむで、
何にでもすがってしまう。
占い・迷信・邪教のはびこる素地が、
ここにあるのでしょう。

曇鸞大師のような大変な学者でも、
病の苦しみから、
仙人の教えに迷われたのです。

それほど惑いやすいものが人間、
と知らされます。

陶隠居の元には、多くの弟子が修行をしていましたが、
曇鸞もそれらの人々に加わって長寿の法を学び続けました。
その熱心な修学は、やがて陶隠居の認めるところとなり、
ひそかに自らの後継者として期待するほどでした。
傑出した人材と感じ、
仙術の秘奥を記した仙経十巻を授けて、
曇鸞に教義の流布を命じたのです。
曇鸞は大いに喜び、陶隠居の元を辞し、
神仙(しんせん)の法を伝えんとの気概に燃えて、
仙経とともに帰路に就きます。
意気揚々、本国へ帰らんとしていたその途中、
当代随一の翻訳家・菩提流支三蔵(ぼだいるしさんぞう)と
出会った。
それが曇鸞の人生を変える、
大きな出来事だったのです。

●未来永遠の生命を与える、仏教の眼目

得意満々の曇鸞は、
陶隠居から授かった仙経十巻を取り出し、
「これこそ、中国に伝わる長生不死の仙術を
記したものである」
と、誇らしげに言う。
それを聞いた菩提流支、
「何と情けない」
軽蔑に満ちた表情で、
パッと大地につばを吐きつけた。
「なぜ、そのように言われるのか」
不審を問うと、菩提流支は、
「諸行無常のこの世界、
どこに長生不死の法などありましょうや。
多少の長寿を誇れたとしても、
やがては死ぬ時が来る。
死ねば必ず無間地獄に堕在し、
八万劫中大苦悩を受けなければならぬ。
この後生の一大事を忘れて
仙人の法に迷うなど、笑止の限りです」

曇鸞、憤然として、
「ならば仏教の中に、仙人の法に勝る長生不死の法が
あるとでも言うのですか」
と尋ねると、
「ありますとも」

菩提流支の差し出した経典こそ、
『観無量寿経』であったのです。
「これをごらんなさい。
無量寿を観る法とあるではないか。
ここにこそ、まさしく長生不死の神方が
説かれているのです」

金が欲しい、地位が欲しい、
名誉が欲しい、異性が欲しいと、
いろいろ欲しいものはありますが、最後、

人間の究極の願いは、
「永遠不滅の生命が欲しい」
これに尽きましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

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「まだやりたいことがあるので、今しばらく、
長命の祈祷をお願いしたい」
80歳の人が高徳のうわさを聞いて
良寛の所へやってきた。
「長命といっても一体、何歳くらいまでお望みかな。
それが分からぬと祈祷のしようがない」
「90では10年しかない、100までお願いしましょうか」
「あとたった20年。
101になれば死なねばならぬが、いいかな」
「もっと、お願いできましょうか」
「一体、何歳まで生きたいのか、言ってみなさい」
「それじゃ150歳までいかがでしょうか」
「150歳でよろしいか」
「あんまり厚かましくても・・・」
「そんな遠慮は無用じゃ」
それでは200歳、300歳、500歳と、
次第に寿命をせり上げてくるおかしさに耐えながら良寛、
「どうせお願いするならついでだ。本心を言ってみなされ」
と促すと、
それじゃ、いっそのこと、
死なぬ祈祷をお頼みします

とうとう本音を吐いたという。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その究極の願いを、
真に満足させる教えが仏法である
ことを、
菩提流支は喝破なされたのです。
「50年や100年の肉体の延命どころではない、
後生の一大事を解決して、
未来永遠の大生命を与えることが、
仏法の目的なのだ」

聞いて曇鸞、迷夢が覚めた。
菩提流支の手元にある『観無量寿経』を注視するや、
翻然(はんぜん)としてさとるところがあり、
苦心の末に手に入れた仙経を、菩提流支の面前で、
ことごとく焼き捨ててしまわれた。

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これを親鸞聖人は、
「三蔵流支、浄教を授けしかば、
仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき」
と『正信偈』に言われています。
区切りながら説明しましょう。
まず「三蔵」とは、「三つの蔵」に深く通じた翻訳者。
三つとは、「経」と「律」と「論」のことで、
これらは真実の納まっている蔵のようなものだから
「経蔵」「律蔵」「論蔵」といわれます。
「経蔵」は仏の説法、「律蔵」は仏弟子の戒律を記したもの、
「論蔵」は経典を解釈された本のこと。
この経・律・論の三つに通暁(つうぎょう)した翻訳家を
「三蔵」といわれ、
有名な人では、「西遊記」のモデルになった
玄奘(げんじょう)三蔵や、
芸術的な筆致で知られる
鳩摩羅什(くまらじゅう)などがいます。
「三蔵流支」とは、
そのような優れた翻訳者の一人・菩提流支のことです。
つぎに「浄教」とは、
弥陀の救いが説かれている『観無量寿経』。
「仙経」は、曇鸞大師が陶隠居から授かった仙人の教え。
「焚焼」とは焼き捨てること。
「楽邦に帰す」とは、弥陀の本願に帰依された、
ということです。

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二行の意味は、こうなります。
「菩提流支より『観無量寿経』を示された曇鸞大師は、
直ちに仙経を焼き捨てて、
弥陀の本願に帰依されたのである」
かくして曇鸞大師は、
浄土仏教の真精神を体得され、
弥陀の本願の宣布に、
生涯をかけられました。

間違いを間違いと知らされたら、
直ちに捨てる。
仏法者のあるべき姿勢を、
曇鸞大師は私たちに示しておられるといえましょう。

 



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