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人はなぜ生きるか。 [親鸞聖人]

(真実の仏教を説かれている先生の書物「とどろき」より載せています。)

人はなぜ生きるか。
いかなる文学者・哲学者も解答しえない、
この難問に、真正面から明確な解答を示された方が、
世界の光・親鸞聖人である。
八百年の古、鎌倉の世に活躍された親鸞聖人は、
九十年の生涯を賭けて、仏教により、
人生の意義・目的を明らかにされた。
今日、浄土真宗と言われる親鸞聖人のみ教えは
平生業成(へいぜいごうじょう)」である。


平生業成とは、平生に人生の大事業が完成する、
の意である。
では、大事業とは何か。
一般には松下幸之助が、松下電器を創立発展させたこと、
本田宗一郎が、オートバイのホンダを、
世界的な企業に躍進させたことが、大事業といわれる。

親鸞聖人が、
人生の大事業といわれたのは、
そのようなものではない。
全人類にとって最も大切な、
人生の目的である。


●どこへ向かうか

人は何のために生まれたのか。
生きているのか。
生きることは苦しいが、
それでもなぜ生きてゆかなければならないのか。

これを人生の目的という。
人生において何より優先して知らねばならないことだ。

例えば生きることを「歩くこと、走ること」としてみよう。
人生は旅だから「生きて行く」と言う。
歩くにしろ、走るにしろ、
その人が最初に知らねばならないのは、
目的地である。
どこに向かって歩くのか、走るのか。
それを知らずにスタートしても、
疲れるだけである。

人生の大事業とは、この人生の目的のことである。
それが平生に完成する、
親鸞聖人は教えられた。

数ある文学者・哲学者も、
人生の目的については「わからない」とか
「無意味である」とかつぶやいて、無力そのものだ。
中には自殺してしまった芥川龍之介や、
太宰治の例もある。

しかし、彼らは仏教を枠外において論じているのだ。

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幸福の追求が
      人生の目的ではない


人生の目的は、幸福である。
これに異論を唱える人はなかろう。

人類七十億、日々何をしているかと言えば、
幸福の追求ではないか。
学ぶのも働くのも、恋愛も結婚も、家を建てるのも、
みな、幸福の追求である。
それこそ人生の目的だと思っている。

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しかし、幸福の追求は、人生の目的ではない。
人生の目的は、幸福の追求ではなく、
幸福の完成である。

親鸞聖人の「平生業成」とは、
「平生に幸福が完成する」との大宣言であり、
その幸福の完成を、
親鸞聖人は、「無碍の一道」と言われた。


念仏者は無碍の一道なり
       (親鸞聖人)

「無碍」とは、一切の障り、病気、事故、災難なども、
その幸福をさまだげ、崩せないこと。
死という大敵すら、
この喜びを壊すことができないから
「無碍の一道」という。


親鸞聖人は、九歳にして出家され、約二十年間、
厳しい仏道修行に身を投じられたが、
二十九歳の時に、法然上人にめぐり会い、
阿弥陀仏の本願を聞信し、
無碍の一道に救い摂られた。

幸福の完成を体験なされた。

幸福の完成に至る道は、
人類史上最大の聖者・大聖釈迦牟尼世尊によって
明らかに示されていた。

●仏教の旗印
    諸行無常の真実

仏教とは、二千六百年前、
インドに出現された釈尊によって
説かれた教えである。
仏教は、他の宗教との違いを
厳然と表す旗印を持っている。

戦国時代、武将はそれぞれの旗印により、
敵味方を峻別した。
武田信玄なら「風林火山」、真田幸村なら、「六文銭」、
豊臣秀吉なら「千成瓢箪」などが有名である。

仏教の旗印を「三法印(さんぽういん)」という。
一、諸行無常印
二、諸法無我印
三、涅槃寂静印

この三つである。

「諸行無常」については『平家物語』の冒頭に
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」
とあることから余りに有名だ。
「諸行無常」とは、
この世の存在するすべてのものは、
必ず崩れる、壊れる、亡びる、の意である。


諸行無常の真理の前には、
この世のどんな幸福も、たちまち色あせる。
金、財産、名声、健康、妻、子供、家、
これら一切もまた無常であり、続かない。
まさしく、不完全な幸福であり、
臨終になれば、総崩れになってしまう。


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聖徳太子はこれを、
「世間虚仮」(世間は虚仮なり)
と喝破なされ、親鸞聖人もまた、
火宅無常の世界はよろずのことみなもって、
そらごと・たわごと・まことあることなし

             (嘆異抄)
と仰せられている。

●苦悩からの解放

では人間は、完全な、真実の幸福は、得られないのか。
そうではない。


「涅槃寂静」が、これまた仏教の旗印である。
「涅槃」は、インドでは「ニルバーナ」と
釈尊が言われたお言葉だ。
「ニルバーナ」は「吹き消す」の意味であり、
その意味から「滅度」と漢訳されている。
滅度とは、苦悩が滅してしまった世界である。
「解脱」とも言われる。
苦悩から、解放され、脱出してしまった境地である。
「涅槃寂静印」とは、一切の苦悩から離れた、
そして再び滅びることのない真実の幸福が
厳存(げんぞん)するとの釈尊の大宣言である。

仏教以外、この世界を教える者はない。
これを仏覚、仏の覚(さとり)というが、
釈尊自ら、三十五歳十二月八日に仏覚を成就完成なされて、
その世界のあまりのすばらしさ、広大無辺で、
不可思議であることに驚いておられる。


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一時は、涅槃の世界の想像を絶する素晴らしさに、
「このような不可称、不可説、不可思議の世界のあることを、
欲、怒り、愚痴の煩悩に引きずり回されている世俗の人々に説いても、
到底、理解し得ないだろう。
それどころか、いたずらに謗らせ、恐ろしい謗法罪を造らせるだけではないか」
と、布教の至難さを感じて、自殺を図られたと仏伝は記している。

しかし思いなおされ、釈尊は、我々が、幸福の完成・涅槃に至る道を
二通りご教示なされている。

●自力と他力

自力難行道
釈尊のように、あくまで自力で善根を励み、難行に耐えて、仏覚を目指す道である。
禅宗、天台宗、真言宗などが代表である。
しかし仏の悟りに至る五十二段の階定は、自力難行道で上ることは不可能である。
天台宗の開祖の天台ですら、臨終に「我、五品弟子位のみ」と、
下から九段目までしか行けなかったことを告白している。

他力易行道
阿弥陀仏の本願力を信ずる一念に、五十一段高飛びして、
あと一段で仏覚という、等正覚、涅槃分に入る道である。
こちらは、老少善悪の人を選ばず、
誰でも「信ずる一念」で救われる。
親鸞聖人が明らかになされている道である。
等正覚とは、五十一段目の位。
あと一段で仏覚であり、ほぼ等しいから等正覚という。
涅槃分とは、仏覚が涅槃なのだが、あと一段だから、
その涅槃にほぼ等しいとの意味で「涅槃分」と言われるのだ。

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●法然上人の幸福の完成

親鸞聖人が二十九歳にしてこの等正覚、涅槃分を体験されたことは、
前述の通りであるが、その師、法然上人の場合はどうか。

法然上人はまた、幼少にして父君と死別され、
自力難行道である天台宗の僧侶となられた。
以来、二十余年、ひたすら、仏覚を求められたが、
やがて、天台宗を捨て、新たな道を求められた。
泣き泣き、釈尊の残された一切の経典、七千余巻を、ひもとかれること五度、
遂に中国の高僧、善導大師の書物を通じての指南により、
他力易行道、阿弥陀仏の本願に救い摂られ、無碍の一道、絶対の幸福たる、
五十一段の位に入られたのだ。
時に承安五年、法然上人、四十三歳の春であった。
これを信心決定ともいう。
阿弥陀仏の本願力によって平生に幸福を完成された法然上人は、浄土の一門こそ、
万人が幸福に至る道と、明らかに示された。


●死を眼前にしても
平生業成とは、絶対の幸福を体験することだ、と聞いて、
不審に思う人も多いだろう。
本当にそのような、死を眼前にしても壊れない幸福などあるのだろうか、
との疑問である。

富山県のある妙好人の例で示そう。
その方は、太平洋戦争の混乱期、真剣に仏法を求め、
弥陀の本願を心から喜ぶ身となっておられた。
ところが高血圧の持病があり、昭和四十三年春、
急に心筋梗塞で倒れられた。
医師の診断では、血圧ゼロ、脈拍は一分間に四、五回、
九分九厘、快復の見込みはなかった。
しかし担当した名医の判断により、
万が一の僥倖(ぎょうこう)を念じての執刀開始、
深夜に終了しても容体はほとんど変わらず、
依然、意識不明のまま翌朝となった。
その時、急に、その妙好人の口から
「力なくしてまいれば、めでたし、めでたし」
という声、更に念仏が続いた。
五日後、意識の戻ったその方は、そのことを問われた時、
「何にも覚えておりませんが、ただ、
阿弥陀仏にもたれた心安さがずっと続いておりました」
と、しみじみ述懐されたという。

生きるか死ぬか、の瀬戸際になお、
「力なくしてまいれば、めでたし、めでたし」
と心から言えるのだ。

●『歎異抄』には

親鸞聖人の最晩年のお言葉として『歎異抄』に
次のような言葉が伝えられている。

名残惜しく思えども、娑婆の縁つきて力なくして終る時に、
かの土へはまいるべきなり

            (第九章)

大意「今まで流転を重ねてきたこの娑婆世界は、
まことに名残惜しいものがあるが、
娑婆に生きる縁が尽き、生きる力を失った時は、
その時こそ弥陀の浄土にまいらせていただくのだ

死後への不安はまったくなく、生きてよし、死んでよし、
の無碍の一道・絶対の幸福の世界である。


●東条英機の意外な最期

太平洋戦争開戦時、軍国日本の首相であった東条英機は、
敗戦後、東京裁判により、死刑の宣告を受けた。
死刑囚として巣鴨の刑務所にいた時、
教かい師より、親鸞聖人のみ教えを聞法し、
弥陀の本願に救われたと伝えられている。
その東条英機が、いよいよ死刑になったのが、
昭和二十三年十二月二十三日午前零時一分であった。
死刑直前に彼は筆を執っている。
東条英機の辞世の歌は、以下のものである。
日も月も 蛍の光 さながらに 行く手に弥陀の光輝く
「娑婆の皆さん、さようなら。
この東条は、いよいよこの娑婆世界を離れて、
弥陀の浄土に往かせていただきます。
私のような極悪人が、なぜこのような幸福な身に救われたのか、
喜ばずにはおれません

まさに、「力なくして終る時に、かの土へはまいるべきなり」
との聖人のお言葉を彷彿とさせるものがある。


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●心は浄土に
     遊ぶなり

平生に人生の目的・絶対の幸福を弥陀の本願によって完成させられた人は、
この世から大安心、大満足で「心は浄土に遊ぶなり」(親鸞聖人)であり、
必ず、無上涅槃を証することができるのだ。

親鸞聖人のお言葉で確認しよう。
成等覚証大涅槃」(正信偈)
“本願に救われた人は、この世で等覚(さとりの五十一位)と成り、
浄土に往生してから、大涅槃を証する”
不断煩悩得涅槃」(正信偈)
“救われた人は、欲、怒りなどの煩悩あるままで、この世の涅槃分をうる”
念仏往生の願により
等正覚にいたる人
すなわち弥勒に同じくして
大般涅槃をさとるべし

        (正像末和讃)
“弥陀の本願によって、等正覚にこの世で至った人は、
かの弥勒菩薩と同じ位にいるのですから、やがて、
大般涅槃をさとるのです”

では、どうしたら、幸福に完成たる平生業成を体験できるのか。
それは、阿弥陀仏の本願を聞く一つなのである。

たとい大千世界に
みてらん火をも過ぎゆきて
仏の御名をきくひとは
永く不退にかなうなり

      (親鸞聖人)
ただ仏法は聴聞にきわまる
       (蓮如上人)
弥陀の本願に疑いが晴れるところまで、
ひたすら、聞き抜かねばならない。


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お釈迦さまや観音菩薩と、あなたも「親友」になれるのです! [親鸞聖人]

阿弥陀仏に救われると、
お釈迦さまや観音菩薩、他の諸仏方、菩薩方と
弥陀の浄土にて実際に会うことができるし、
今生で救われた時点で、親友にならせていただけることが
書かれています。
 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

(真実の仏教を説いておられる先生の書物「とどろき」から載せています。 ) 

仏言広大勝解者(仏は広大勝解の者と言い)
是人名分陀利華(是の人を分陀利華と名く)
                           (正信偈)

「仏は広大勝解(こうだいしょうげ)
の者(ひと)と言い(のたまい)」
の、広大勝解の者とは仏教の大学者のこと。
阿弥陀仏に救い摂られた人を、
釈尊(釈迦)はじめ大宇宙の諸仏方が口をそろえて、
「一切経を体で読破した大学者だ」
と称讃されるということです。

それだけではありません。次に、
「是の人を分陀利華(ふんだりけ)と名く(なづく)」
ともおっしゃっています。
分陀利華とは、白蓮華のことです。
泥沼に咲きながら、純白で、
シミ一つないきれいな蓮の華のことです。
シミ一つないとは、心の中に、
何の不安もない大安心を表します。
広大勝解者と褒められて大満足、分陀利華で
不安一つない大安心ですから、
阿弥陀如来に救われれば、
大安心・大満足の身になれるのです。

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●五種の嘉誉(かよ)

仏さまの誉め言葉を善導大師は、
詳しく「五種の嘉誉」として
次のように教えられています。

○好人(こうにん)・・・好きな人
○妙好人(みょうこうにん)・・妙なる好ましい人
○上上人(じょうじょうにん)・・上の上の人
○希有人(けうにん)・・めったにない人
○最勝人(さいしょうにん)・・最も勝れた人

信仰が徹底し喜ぶ人を妙好人といわれるのは、
ここから来ています。
こんな、はしにも棒にもかからぬ極悪人を上上人とは。
地獄より行き場のない者を大好きとは。
めったに咲かぬ白蓮華のような勝れた人だとは。
少しも褒められる値うちのない者が、
仏方からたたえられ、何と幸せなることかな。

これ皆、救いたもうた無上仏(阿弥陀如来)の
お徳による以外にありません。

●お釈迦さまが「親友」と

また釈尊(釈迦)は、
「我が善き親友なり」(大無量寿経)
と言われ、
“苦悩に満ちた世の中で、
難信の法をよくぞ聞き抜いた。
そなたこそ私の親友だ”
と手を差し伸べてくださっています。

幼なじみ、同級生、仕事の仲間、趣味の友など、
友達はさまざまですが、
親友は「喜びを倍にし、悲しみを半分にする」
といわれる、人生の貴重な財産でしょう。
つまらぬ人から親友になろうと言われても
うれしくありませんが、
世界最高の偉人、釈尊に、「私の親しい友よ」
と呼びかけていただけるとは
何という幸せでしょうか。
さらに、
「観世音菩薩・大勢至菩薩、
その勝友と為(な)りたまう」
            (観無量寿経)
とも説かれています。

観音菩薩・勢至菩薩といえば、
今日でも多くの信奉者がありますが、
この二菩薩は阿弥陀如来の脇士(わきじ)です。
脇士とは、仏に付き従い、
仏の智慧と慈悲を表す菩薩のこと。

古い寺院などで、仏さまの両脇に
菩薩が従っている三尊像を
見ることがあるでしょう。
釈迦三尊なら、釈迦如来(お釈迦さま)に
文殊・普賢の二菩薩です。

弥陀三尊像ならば、阿弥陀如来を中央に、
脇士は観音菩薩と勢至菩薩となっています。

有名人の友達を自慢する人もありますが、
こんな素晴らしい方々を友にしている人が、
皆さんの周りにあるでしょうか。
阿弥陀如来に救い摂られた人は、
観音・勢至の友達だよ、
と、釈尊はおっしゃるのです。

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●当てにならぬ人間の称讃

朝から晩まで私たちは、
“認められたい、褒められたい”
気持ちいっぱいでキュウキュウとしています。

髪型から、顔、服装、アクセサリー、靴に至るまで
寸分のスキもなくおしゃれをするのは、
羨望や称讃を求めるからでしょう。
だれか見てくれないかと
他人の視線を気にしてばかりいます。

逆に、
“オレは身だしなみなど構わない、中身で勝負さ”
と言わんばかりに、髪はボサボサ、破れた服、
ズタズタの靴を履いて見せる人もありますが、
やはり注目を浴びたい気持ちは同じでしょう。

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冗談を言って人を笑わせるのも、
勉強やスポーツに努力するのも、
多くは認めてもらいたい気持ちからではないでしょうか。
ところが、涙ぐましい苦労をして得た称讃も、
手放しで喜んではおれません。

人間の心ほど当てにならぬものはないからです。
禅僧・一休は、当てにならぬ人間の評価を、
「今日ほめて 明日悪くいう 人の口
      泣くも笑うも うその世の中」
とスッパ抜いています。

人間は皆、その人の都合で褒めます。
都合のよい時は善人、
都合が悪くなればたちまち悪人でしょう。


 
・・・・・・・・・・・・・・・・・
約200年前のヨーロッパ。
イタリア、オーストリアと戦い、
連勝のナポレオンが凱旋した時のこと。
イルミネーションや旗行列、松明(たいまつ)や鐘、
祝砲など、国民の慶賀(けいが)は、
その極に達する。
部下の一人が、恭しく(うやうやしく)祝辞を述べました。
「閣下、このような盛大な歓迎を受けられ、
さぞ、ご満悦でありましょう」
意外にもその時、ナポレオンは、冷然と、
こう言っています。
「馬鹿を申すな。
表面だけの騒ぎを喜んでいたら大間違いだ。
彼らは、少しでも情勢が変われば、
またおれを“断頭台に送れ”と言って、
やはり、このように騒ぐだろう。
雷同(らいどう)の大衆の歓迎など、
当てになるものか

人の心の移ろいやすさが、
骨身にしみていたのでしょう。

とある大学での一幕。
抜き打ち試験の発表に、学生たちの顔が一斉に曇る。
“嫌な教授だ”
ところが問題が配られると、案外易しい。
“思ったよりも、いい先生かも”
評価は急上昇。
ところが、やがて返却された採点の厳しさに、
“何という意地の悪い人だ”
と今度は急降下。
成績表を手にして、予想外のよい評価に驚く。
“いい先生だなぁ”
とコロリと変わったといいます。
同じ一人の人でも、
都合が変われば「昨日の友は今日の敵」で、
コロコロ評価は変わります。

「ブタは褒められてもブタ、
ライオンはそしられてもライオン」

これも人間の称讃や
非難の無責任さを笑った言葉でしょう。
当てにならぬ人間に褒められてさえ、
うれしくて有頂天になるのですから、
間違いのない仏さまに褒められる幸福は、
比ぶべくもありません。

●親鸞聖人のたくましさ

思えば親鸞聖人ほど、波乱万丈の激しい生涯を
生き抜かれた方はないでしょう。
聖人は常に、非難中傷の的でした。
31歳の時、僧侶には固く禁じられていた結婚をなされ、
世間中から、
「破戒坊主じゃ」
「狂人じゃ」
「仏教を破壊する悪魔だ」
と八方総攻撃を受けられたことは有名です。
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しかし、すべての人がありのままの姿で
救われるのが真実の仏教であることを、
身をもって明らかにするために、
厳然として肉食妻帯を断行されました。

35歳では、新潟へ流刑になっておられます。
釈尊出世の本懐である「一向専念無量寿仏」
“阿弥陀如来一仏に向かい、阿弥陀如来だけを信じよ。
これよりほかに助かる道はないのだ”
を強調されたことが、
神信心の権力者の逆鱗に触れたからです。

最初は死刑だったのですが、
関白九条兼実公(くじょうかねざねこう)の計らいで、
越後流刑になったのです。
「偏執者(偏ったことを言うやつ)だ」
「他人の信仰をあれこれ言うな」
と疑謗の砂塵が巻き上がる中、

一向専念の義は、往生肝腑、自宗の骨目なり

“私たちが救われるかどうかは、
阿弥陀如来に一心一向になるか否かで決まるのだ。

これ一つが肝要なのだ”
と徹底して叫び抜かれたのです。

●諸仏に褒められる万劫(まんごう)の名誉

こんな親鸞聖人を知ると、
“名誉欲がなかったのだろう”
とか、
“何を言われても無頓着で平気な人だったのか”
とまで思う人があるかもしれません。
否。
聖人は、「名利の大山に迷惑している親鸞だ」
と告白されています。
“褒められたい、悪口言われたくないいっぱいの親鸞。
名誉欲が大きな山ほどあって迷惑している”
とおっしゃるのです。
ならば、どうして、あんな非難中傷の嵐の中を、
毅然として布教に突き進まれたのでしょうか。

大宇宙にまします無数の仏方から褒められる、
諸仏称讃の幸福を知れば、
その理由の一端が知らされるではありませんか。

真実の仏法は、迷いのまっただ中にある大衆に
都合のよいことは説きません。
だからこそ、真実に潔癖な親鸞聖人は生涯、
世間中からそしられたのですが、
無量の諸仏方から褒められる身に
なっておられた聖人にとって、
それらの非難は物の数ではなかったのです。

ウソ偽りのない仏に褒められるこそ万劫の名誉。
私たちも、十方諸仏に
称讃される身にならせていただきましょう。

 


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親鸞聖人の教えって? [親鸞聖人]

 (真実の仏法を説いておられる先生の書かれた「とどろき」より載せています) 

独自の教えを説かれたのではない

「浄土真宗」とか、「親鸞聖人の教え」と聞くと、
何か独自の教えを考え出されたように思うかもしれませんが、
そうではありません。

更に親鸞珍らしき法をも弘めず、
如来の教法をわれも信じ
人にも教え聞かしむるばかりなり

「更に珍らしき法を弘めず」とは、
「親鸞の伝えていることは、
決して珍しい教えではありません」
ということ。
珍しい教えとは、今までで誰も説かなかった
新しい教えのことです。
聖人は、そんな珍しい教えを伝えたことは
一度もなかったのです。

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親鸞聖人の教え=仏教

では、どんな教えを伝えられたのでしょうか。
如来の教法をわれも信じ
人にも教え聞かしむるばかりなり

と言われています。
如来の教法とは、釈迦如来(お釈迦さま)の教え、
仏教のことです。

約2600年前、インドで活躍なされたお釈迦さまは、
35歳で大宇宙最高の「仏」というさとりを開かれ、
80歳でお亡くなりになるまでの45年間、
教えを説いていかれました。
それが仏教です。
その仏教を
「間違いないと、親鸞知らされたから、
皆さんにもお伝えしているだけなんだよ」

とおっしゃるのです。

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仏教には何が教えられているか

お釈迦さまは何を教えられたのでしょうか。
釈迦45年の説法は、
すべて「お経」となって残されています。
その数は7000余巻。
総称して「一切経」といわれます。
この7000余巻の一切経を全部読んで、
しかも正しく理解しなければ、
仏教に何が説かれているのか分かりません。
だれでもできることではありませんね。
親鸞聖人は、その一切経を何回も読み破られて、
「お釈迦さまの説かれたことはたった一つだ」
と、『正信偈』の中に驚くべき断言をされています。

親鸞聖人の、そのお言葉をお聞きしてみましょう。

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仏教=弥陀の本願

如来所以興出世
唯説弥陀本願海
」(正信偈
「如来、世に興出したまう所以は」とは、
釈迦如来がこの世にお生まれになって、
仏教を説かれた目的(所以)は、ということ。
それはたった一つのことを
説かれるためであったとの断言が、
次の「唯説」。
その唯一つのことこそ「弥陀の本願」です。
その広さ、深さはこの世で例えるなら「海」しかないので、
本願海とおっしゃっています。
お釈迦さまが説かれたことは、弥陀の本願唯一つ。
だから親鸞聖人も、その弥陀の本願一つを生涯、
教えていかれたのです。

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 阿弥陀仏とはどんな仏さま?


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あなたの信心は崩れないものに樹(た)っていますか!? [親鸞聖人]

「物に本末あり、事に始終あり」といわれるように、
本が分からなければ、
そのあとは全く分からなくなってしまうからでしょう。
親鸞聖人の教えの本(もと)は、『正信偈』の最初の二行にあります。
この二行が分からなければ、聖人の教えは毛頭分かりません。
そこで、冒頭の二行について詳説いたしましょう。

●『正信偈』=「正しい信心のうた」

『正信偈』は親鸞聖人の書き残されたものです。
約800年前、京都にお生まれになられ、
90歳でお亡くなりになった聖人は今日、
世界の光と大変多くの人から尊敬されています。

『知ってるつもり!?』というテレビ番組では、
戦後出版された本の中で、
一番多く語られた「歴史上の人物ベストワン」
と紹介されました。

その親鸞聖人の『正信偈』は、浄土真宗の家では朝晩、
勤行(おつとめ)で拝読されていますので、
最初の「帰命無量寿如来 南無不可思議光」
は、子供でも口ずさむほど、特に有名です。

ドラマや映画の葬儀の場面でよく読まれているのも、
それほど親しまれているからでしょう。

漢字ばかりなのでお経だと思っている人がありますが、
『正信偈』はお経ではない。

お経はお釈迦さまのお言葉を書き残したもの、
『正信偈』は親鸞聖人の書かれたものですから、
お経とは違うことも知っていただきたいと思います。

この『正信偈』には、親鸞聖人90年の教えすべてが
収まっています。

「偈」というのは「うた」ということですから、
正信偈』は「正しい信心のうた」ということです。

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●生きる=信じる

「信心」と書くと、自分とは関係のないことだと
思われる人もありましょうが、

私たちは何かを信じなければ
一日なりとも生きてはいけません。

例えば、明日も生きておれると「命」を信じて生きています。
「いつまでも達者でおれる」と健康を信じています。
夫は妻を、妻は夫を信じ、子供は親を、
親は子供を信じ生きています。
また「これだけお金があるから大丈夫」「財産があるから安心だ」
と、金や財産を信じて生きています。

オレは社長だ」「ノーベル賞を取った」
と、地位や名誉を力にしている人もあるでしょう。
「宗教はアヘンだ」と排斥する共産主義は、
共産主義を信じている人たちです。

「科学は人類を幸福にする万能だから、
信心なんて必要ない」と言っているのは、
科学信心の人です。

神や仏を信じるだけが信心ではありません。
何かを信じておれば、それはその人の信心です。
何を命として信じるかは一人一人違いましょうが、
すべての人は何かの信心を持って生きているのです。
生きるということは、イコール信じることだといえましょう。

苦しむ原因

ところが私たちは、信じていたものに裏切られた時に
苦しみ悩みます。
  
病気になると、健康に裏切られたことで苦しみます。
子供に虐待されて泣くのは、
命と信じて育てた子供に裏切られたからです。

しかも深く信じていればいるほど、
それらに裏切られた時の悲しみや怒りは大きくなります。

私たちは決して苦しんだり悲しんだりするために
生まれてきたのではありません。 
生きているのでもありません。
幸福を求めて生きているのです。


では、裏切らないものを信じて、
私たちは生きているでしょうか。  

たとえ70年、80年信じられるものがあったとしても、
最後、死なねばなりません。

いよいよ死んでいかねばならない時には、
信じていた家族や、お金や財産、名誉にも裏切られ、
この肉体さえも焼いていかなければなりません。

蓮如上人のご金言

蓮如上人は有名な『御文章』に、こうおっしゃっています。

まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、
わが身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、
唯一人こそ行きなんずれ

かねてから頼りにし、力にしている妻子も財宝も、
死んでいく時には、何一つ頼りにならぬ。
みんなはぎ取られて、一人でこの世を去らねばならない

病気の時は妻や子供が介抱してくれると、
あて力にもなりましょうが、死ぬ時は、
どんな愛する家族もついては来てくれないのです。

どれだけお金があっても、財産を持っていても、
死んでいく時は紙切れ一枚持ってはいけない。
全部この世に置いていかねばなりません。
地位も名誉も何一つ明かりになるものはありません。

「人間は最後、丸裸になって、たった一人で暗黒の後生へと
旅立っていかなければならない」

と言われているのです。

   ■    ■    ■    ■

昔、ある金持ちの男が3人の妻を持って楽しんでいた。
第一夫人を最も可愛がって、寒いと言っては労わり(いたわり)
暑いと言っては心配し、
ゼイタクの限りを尽くさせ一度も機嫌を損なうことはなかった。
第二夫人は、それほどではなかったが、
種々苦労して、他人と争ってまで手に入れたので、
いつも自分のそばに置いて楽しんでいた。
第三夫人は、何か寂しい時や、悲しい時、
困った時だけ会って楽しむ程度であった。
ところがやがて、その男が不治の病床に伏すようになった。

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刻々と迫りくる死の影に恐れおののいた彼は、
第一夫人を呼んで心中の寂しさを訴え、
ぜひ死出の旅路の同道を頼んだ。
ところが、「ほかのことと違って、
死の道連れだけはお受けすることはできません
」と、
すげない返事に男は絶望のふちに突き落とされた。

しかし、寂しさに耐えられぬ男は、
恥を忍んで第二夫人に頼んでみようと思った。
貴方があれほど、かわいがっていた第一夫人さんでさえ、
イヤとおっしゃったじゃありませんか。
私もまっぴらごめんでございます。
貴方が私を求められたのは、貴方の勝手です。
私から頼んだのではありません
」。
案の定、第二夫人の返事も冷たいものであった。

男は、恐る恐る第三夫人にすがってみた。
日ごろのご恩は、決して忘れてはいませんから、
村外れまで同道させていただきましょう。
しかし、そのあとはどうか、堪忍してください

と突き放されてしまった。

男は独りこの世を去った。

■    ■     ■     ■

これは、お釈迦さまの『雑阿含経』に
説かれている有名な例えです。

男というのは我々人間。
「不治の病に伏した」とは、
もとより人間はオギャッと生まれた時から、 
百パーセント死ぬに定まっていることです。

「散る桜 残る桜 散る桜」
といわれるように、ガンや交通事故、火災、
震災の犠牲者だけが亡くなっているのではない。
すべての人が、一息一息、死の滝壺に向かって
確実に進んでいる厳粛な事実を
「不治の病にかかっている」と言われているのです。

最愛の「第一夫人」とは、肉体のことです。
暑ければクーラー、寒ければヒーターで
体調を壊さぬよう気を遣います。
還元水がよいらしい、空気清浄器が室内の除菌もしよう。
サプリメントだ、野菜ジュースだと
健康食品は巷にあふれています。
ちょっとでも熱が出ると、医者だ薬だと慌て、
小さなトゲ一本指に刺さっても、ほっておきません。
体型をいつまでも美しく保ちたいと
死ぬ思いまでしてダイエット。
シャンプーはどれにしよう、洗顔料はこのメーカーに決めた。
大金を投じ、危険を冒して整形手術。
爪にまで絵をかいたり宝石つけたりネールファッションや、
ヘソにもピアスなどなど。
毎日、風呂できれいに磨き、
大事にすることこの上ない肉体を、
欲しいものは何でも与えていた
第一夫人に例えられているのです。

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ところがその肉体も、死ねば焼いて灰になる。
残るのはひとつまみの白骨だけ。
生まれてから片時も離れたことのない肉体も、
死に道連れだけはしてくれない。
魂は独り後生へと旅立っていかねばなりません。

小指一本切り落とされてさえつらいのに、
肉体のすべてを失う痛苦は、いかばかりでしょうか。

「第二夫人」は金銀財宝です。
人と争い、時にはライバルをダマし蹴落とし、
引きずり降ろして奪い取ってきた金も財産も、
後生には一円玉一つ持ってはいけない。
肉体でさえ先のごとくですから、なおさらです。
第一夫人さんでさえ、イヤと言ったじゃありませんか・・・」
の冷酷な宣言は、
万人の直面する悲劇をあらわにされたものです。

「第三夫人」は、父母・妻子・兄弟・朋友など
のことをいわれています。

通夜に駆けつけ、葬儀に参列し、
火葬場まではついてきてくれるでしょう。  
しかし、そこまでです。
命に代えて、大事に愛し求めてきた一切のものから見放され、
何一つあて力になるものがなかったことに驚き悲しむ、
人間の哀れな実態を、この「三人の妻」は
例えて余すところがありません。 

秀吉の最期

太閤秀吉の波乱の生涯と、寂寥たる最期は、
仏説まことの実証でしょう。

尾張(愛知)の貧農の子に生まれた豊臣秀吉は、
15歳で家を離れ、後に織田信長に仕える。
草履取りから足軽、侍大将と順調に出世し、
20数年で長浜と姫路に城を構えるという異例の昇進。
信長に反旗を翻した明智光秀を破り、
49歳で念願の「関白」、
怒濤の天下統一を成し遂げたのは54歳のことです。
派手好みの生活は、時の人の目を奪った。
日に三万人を動員して建設した、
壮大な「大阪城」の総面積は百万坪を超え、
建築総額は今日の3兆円に上る。
天守閣のかわらや壁に惜しげもなく金箔を施し、
城内の「黄金の茶室」は、天井、壁、柱、敷居まで、
すべて金。
かま、茶杓、茶碗なども黄金で造らせた。
京都の華麗な別荘「聚楽第」は、
銘木、名石を広く集めて造らせ、
堀と石垣を巡らせた堂々たる邸宅は
「黄金の屋敷」といわしめた。

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多くの美女をはべらせ、各地の金山、銀山は思いのまま。
一族、公家、大名を集めては金配り。
立身出世の夢果たし、贅沢三昧、
思う存分ふるまった彼が、
しかし62歳で病没した時の時世に、
世人は耳を疑います。

露とおち 露と消えにし わが身かな
 難波のことも夢のまた夢」
愛欲も映画も、ああ、夢の中の夢だった。
死を前にして一切が光を失った。
バカだった。こんなはずではなかった。


咲き誇った花も散る時が来るように、
死ぬ時には、必死にかき集めた財産も、名誉も地位も、
すべて身から離れて、独りで地上を去らなければなりません。
これほどの不幸があるでしょうか。

やがて必ず裏切るものを信じて生きているから、
苦しみ悩みが絶えないのだ、本当の幸福になりたければ、
絶対に裏切ることのない正しい信心を持ちなさいよと、
親鸞聖人は教えられているのです。

一切の滅びる中に滅びざる、真の幸せ

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正信偈の「正」という字は、「一に止まる」と書きます。
正しいものは一つしかない。
二つも三つもあるものではありません。
その唯一つの正しい信心を明らかになされたのが
『正信偈』であり、
聖人自身の、
正信心を獲得なされた驚き・満足・大歓喜を
生々しく告白されているお言葉が、
初めの2行なのです。

帰命無量寿仏如来(無量寿如来に帰命し)
南無不可思議光(不可思議光に南無したてまつる)

親鸞は、阿弥陀如来に救われたぞ!!
阿弥陀如来に親鸞、助けられたぞ!!」

何があっても微動だにせぬ金剛の信心を体得され、
生きてよし、死んでよし、焼けもせず、流されも、
盗まれもしない絶対の幸福に救い摂られた喜びを、
叫び上げておられるのです。

親鸞聖人のすべての根本がここにあります。
90年の生涯、波乱万丈のたくましい生きざまの源泉が、
『正信偈』冒頭の二行にあるのです。


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親鸞聖人ってどんな方!? [親鸞聖人]

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出家の動機「死ねばどうなるの?」

親鸞聖人は、約800年前、京都にお生まれになりました。
父君は藤原有範、母君は吉光御前といわれます。
ところが4歳の時にお父さま、
8歳の時には、お母さまを亡くされました。
「次は自分の番だ。死んだらどこへ行くのだろう」
真剣に悩まれた聖人は、真っ暗なわが身の後生に驚かれ、
何とかこの心一つ明るくなりたいと、
9歳で出家なされたのです。

有名な
「明日ありと 思う心の 仇桜
     夜半に嵐の 吹かぬものかは」
の歌は、その時に詠まれたといわれます。

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煩悩と格闘された親鸞聖人

出家された親鸞聖人は、当時の仏教の中心地、
比叡山・天台宗の僧侶となられました。
天台宗はお釈迦さまの説かれた『法華経』の教えに従い、
戒律を守り、欲や怒りの煩悩と闘って、
さとりを得ようとする教えです。
その修行は峻烈を極め、まさに命懸けの難行でした。
しかし、静めようとすればするほど心は散り乱れ、
次々と煩悩の群雲(むらくも)がわき起こる。
「煩悩に汚れ、悪に染まった親鸞、
この山に助かる道があるのだろうか・・・」
血のにじむ20年の修行でも、
後生暗い魂の解決ができず、
精も根も尽き果てた聖人は、泣く泣く下山されました。

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恩師・法然上人との出会い

天台・法華の教えに絶望し、山を捨てられた聖人は、
どこかにこの暗い心の解決を教えてくださるお方はないかと、
旧友の手引きで、
「弥陀の本願」を説く恩師・法然上人に巡り会われます。
弥陀の本願とは、
「我を信じよ。苦しみの根元・後生暗い心をぶち破り、
必ず絶対の幸福にしてみせる」
と誓われた大宇宙最高の仏・阿弥陀如来の熱いお約束です。

法然上人から、その弥陀の本願を聞かれた親鸞聖人は、
雨の日も風の日も、聞法に専心されました。

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信心決定(明らかな弥陀の救い)

そして、29歳の春、弥陀の本願によって後生明るい心に
救い摂られたのです。

「誠なるかなや、摂取不捨の真言」
(弥陀の本願まことだった、本当だった!)
とは、明らかな弥陀の救いにあわれた聖人の
歓喜の告白でしょう。
このように、弥陀に救い摂られたことを、
信心決定(しんじんけつじょう)といいます。
信心決定された親鸞聖人は、
「こんな極悪の親鸞を助けてくだされた阿弥陀如来の大恩は、
身を粉にしても、骨を砕いても足りない」と、

90歳でお亡くなりになるまで、
ひたすら弥陀の本願一つ、叫び続けていかれたのです。

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我々を救い摂る阿弥陀仏の本願とは! [親鸞聖人]



三年前、空前の“親鸞聖人ブーム”でした。
全国の書店に、聖人の半生を描いた小説が並び、
「七百五十回忌法要」の広告が
新聞各紙に掲載されました。

想像してみましょう、
「私が死んで七百五十年後に、
その記念法要が大々的に行われるだろうか」
「オレの半生が、数百年後に小説になるだろうか」
答えは「イエスだ」と自信をもって断言できる人は、
そんなにないのでは?
まして「世界の光」と仰がれるようになる可能性は、
限りなくゼロに・・・。

そう考えてみると、いかに親鸞聖人が偉大な方か、
少しでも感じられるのではないでしょうか。


ある人気テレビ番組では、
戦後出版された本の中で一番多く語られた、
「歴史上の人物ベストワン」とも紹介されました。
強い関心を持たれ、
波瀾万丈の生き方は“たくましき親鸞”
と称賛される聖人ですが、
では、九十年の生涯、
どんなことを教え勧めていかれたのか。
その「教え」を正しく知ることこそ、
私たちにとって最も大切であり、
聖人の強い願いであることを忘れてはなりません。

親鸞聖人の教えが、
余すところなく書き表されているのが、
主著『教行信証』六巻です。
教・行・信・証・真仏土・化身土巻からなる
浄土真宗の根本聖典であり、

「御本典」ともいわれます。
五十二歳の時、関東・稲田の草庵にて
完成されましたが、
京都に戻られてからも終生、手元に置かれ、
修正加筆されています。

“どうか皆さん、この親鸞と同じように、
阿弥陀仏に救われてもらいたい。
本当の幸せになってほしい。
なんとしても伝えたい。
それにはどう書けばよいのか、
どう表現すれば分かってもらえるのだろうか・・・”
やむにやまれぬ御心から、
閉眼されるまで推敲に推敲を重ねてくだされた
とは、
なんと勿体ないことでしょう。
その『教行信証』六巻をギューッと圧縮されたものが、
私たちが朝な夕な拝読している『正信偈』です。

ゆえに『正信偈』には、
親鸞聖人の九十年の御教えが、
すべて収まっているのです。


今回は、正信偈のお言葉である、
獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣
この二行に関して解説します。

「信心獲得してもらいたい」
      聖人の教えはこれひとつ

初めに「獲信(信を獲る)」と言われているのは、
「信心獲得」のことです。
『正信偈』冒頭の二行、

「帰命無量寿如来(親鸞、無量寿如来に帰命いたしました)
南無不可思議光(親鸞、不可思議光に南無いたしました)」

これは、
「親鸞、阿弥陀仏に救われたぞ!
親鸞、阿弥陀仏に助けられたぞ!」
という、「弥陀に救われた」聖人の歓喜の告白です。
この「阿弥陀仏に救われたこと」を、
仏教の別の言葉で
「信心獲得」とか「信心決定」、
あるいは、「信を獲る(うる)」とも言われ、
『正信偈』のここでは、
二字で「獲信」と言われているのです。

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では、「信心獲得」「信心決定」「獲信」とは、
私たちがどうなったことでしょうか。
蓮如上人にお聞きしましょう。

信心獲得すというは、第十八の願を心得るなり。
この願を心得るというは、
南無阿弥陀仏のすがたを心得るなり

              (御文章)

これは「信心獲得の章」といわれる
『御文章』の冒頭です。
初めにズバリ、
「信心獲得すというは、第十八の願を心得るなり」
“信心獲得するとは、
第十八の願を心得ることなのだよ”
と言われています。

「第十八の願」とは、本師本仏の阿弥陀仏が、
四十八の約束をされている中の
十八番目のお約束のこと。
「十八願」ともいわれます。
阿弥陀仏が本心を誓われている願であり、
王本願ともいわれる、弥陀の命です。
ゆえに「阿弥陀仏の本願」といえば、
この「十八願」のことなのです。

一言で、こう約束されています。
「すべての人は、
助かる縁手がかりのない極悪人である。
『南無阿弥陀仏』を与えて、
必ず絶対の幸福に助けてみせる」

この十八の願を、「心得る」とは、
「『ご本願の通りでございました』と疑い晴れたこと」です。

では、それはどういうことか、蓮如上人は続けて、
この願を心得るというは、
南無阿弥陀仏のすがたを心得るなり

と懇ろに解説されています。

●ナムアミダブツって、なに?

世間では、「南無阿弥陀仏」といえば、
“魔除けのマジナイか”くらいに思われていますが、
本当の意味を蓮如上人にお聞きしましょう。

「南無阿弥陀仏」と申す文字(もんじ)は、
その数わずかに六字なれば、
さのみ功能(くのう)のあるべきとも覚えざるに、
この六字の名号の中には、
無上甚深の功徳利益の広大なること、
更にその極まりなきものなり 
 
                    (御文章)

“『南無阿弥陀仏』といえば、わずか六字だから、
そんなに凄い働きがあるとは誰も思えないだろう。
だが、この六字の名号の中には、
私たちを最高無上の幸せにする
大変な働きがあるのである。
その広くて大きなことは、
天の際限のないようなものである”

「(南無阿弥陀仏には)さのみ功能のあるべきとも覚えざるに」
とは、
“助かる縁手がかりのない極悪人を、
絶対の幸福に救う働きがあるとは、
誰も思えないだろう”
ということです。

“猫に小判、豚に真珠”といわれるように、
ネコに小判を与えてもニャンとも喜ばないし、
ブタの鼻先に真珠をぶら下げても、ブーとも言わない。
見向きもせずエサに顔を突っ込むだけでしょう。
それは、小判や真珠に値が無いからではない、
それらの値を知る智恵が、ネコやブタには無いからです。
同様に、“『南無阿弥陀仏』に、
それほど凄い働きがあるとは思えない”
のは、六字の名号に「値がないから」ではない、
「値を知る智恵が、我々にない」からなのです。


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『南無阿弥陀仏』のもの凄い働きを知られた蓮如上人は、
「無上甚深の功徳利益の広大なること、極まりがない」
と言われています。
これは無論、蓮如上人の「こう思う」という私見や、
根拠のない独断ではなく、
釈迦・親鸞聖人のご教導の通り知らされての明言です。


お釈迦さまは『大無量寿経』に、

十方恒沙の諸仏如来、
皆共に無量寿仏の威神功徳の
不可思議なるを讃歎したまう


“大宇宙にまします
ガンジス河の砂の数ほどの仏方が、
異口同音に、阿弥陀仏の作られた
名号(南無阿弥陀仏)の不可思議な大功徳を
褒め讃えておられる”
と説かれています。

阿弥陀仏は、なぜ、
このような大功徳のある名号を作られたのでしょうか。
一体、誰のために、どのような苦労をなされて、
「南無阿弥陀仏」を完成されたのか。

その「名号のいわれ」を親鸞聖人は、
こう述べられています。

一切の群生海、無始より已来(このかた)、
乃至今日・今時に到るまで、
穢悪汚染(えあくおぜん)にして清浄の心無く、
虚仮諂偽(こけてんぎ)にして真実の心無し。
ここを以て、如来、
一切苦悩の衆生海を悲愍(ひみん)して、
不可思議兆載永劫に於て(おいて)、
菩薩の行を行じたまいし時、
三業の所修、一念・一刹那も清浄ならざる無く、
真心ならざる無し。
如来、清浄の真心を以て、
円融・無碍・不可思議・不可称・不可思議の
至徳を成就したまえり  
               (教行信証)

“すべての人間は、
はるかな遠い昔から今日まで、
邪悪に汚染されて
清浄の心はなく、そらごと、たわごとのみで、
まことの心は、まったくない。
かかる苦しみ悩む一切の人々を
阿弥陀仏は憐れみ悲しみ、
何とか助けようと兆載永劫のあいだ、
心も口も体も常に浄らかに(きよらかに)保ち、
その清浄なまことの心で、
全身全霊、ご修行なされて、
完全無欠の不可称・不可説・不可思議の
無上の功徳(南無阿弥陀仏)を
完成されたのである”

三世十方の諸仏の悲願に漏れて、
捨て果てられた私たちを、
本師本仏の阿弥陀仏だけが、
「我ひとり助けん」と立ち上がられ、
五劫の思惟と兆載永劫のご修行という
大変なご苦労をなされて
成就されたのが『南無阿弥陀仏』である
から、
この六字の名号の中には
「無上甚深の功徳利益
(どんな極悪人をも、
絶対の幸福に救い摂る働き)」
があるのだよ
と、
釈迦親鸞聖人蓮如上人も、
一貫して教えておられることがおわかりでしょう。

「『南無阿弥陀仏』のすがたを心得る」
と蓮如上人が言われているのは、
「その『南無阿弥陀仏』を弥陀から賜って、
“助かる縁なき極悪の私を、
救いたもう無上甚深の大功徳であった”
とハッキリ知らされたこと
であり、
これを「信心獲得した」というのだと、
蓮如上人は、

「信心獲得すというは、
第十八の願を心得るなり。
この願を心得るというは、
南無阿弥陀仏のすがたを心得るなり」
               (御文章)

と言われているのです。


『正信偈』の初めに聖人が、
「帰命無量寿如来
南無不可思議光」
“阿弥陀仏に親鸞、救われたぞ!
阿弥陀仏に親鸞、助けられたぞ!”
と表明されているのは、
この『南無阿弥陀仏』の大功徳を弥陀から賜って、
絶対の幸福に救い摂られたことであり、
「獲信見敬(信を獲て見て敬い)」
と仰っているのも、全く同じ意味です。

次に「大慶喜する」と言われているのは、
「この信心をうるを『慶喜』という」(唯信鈔文意)
と聖人の教示されているとおり、
「慶喜」は「信心」を表す異名ですから、
「獲信見敬大慶喜(信を獲て見て敬い大慶喜すれば)」
の一行で、
「信心獲得したならば」
「阿弥陀仏に救われたならば」
と言われているのです。

迷いの世界と縁が切れる

弥陀に救い摂られたならば、どうなるのか。
次に
「即横超截五悪趣
(即ち横に五悪趣を超截(ちょうぜつ)す)」
と、これまたとてつもないことを
言い切っておられます。
「即ち」とは、同時に。
「横に」とは、阿弥陀仏のお力によって。
「五悪趣」とは、五つの苦しみの世界ということで、
「地獄界、餓鬼界、畜生界、人間界、天上界」の
五つの迷いの世界をいわれます。


私たちの魂は一人一人、
これら迷いの世界を生まれ変わり死に変わり、
果てしなく経巡って(へめぐって)きた
ことを
親鸞聖人は、
「多生」「億劫」「昿劫」「微塵劫」と説かれ、
『歎異抄』には、「久遠劫より流転せる苦悩の旧里」と
言われています。

阿弥陀仏に救い摂られたならば、
この流転の絆が断ち切られて、
二度と迷わぬ身になることを、
「五悪趣を超截する」
と言われているのです。
死ねば必ず弥陀の浄土へ
往ける身にならせていただくからです。


ゆえに、
「獲信見敬大慶喜
(信を獲て見て敬い大慶喜すれば)
即横超截五悪趣
(即ち横に五悪趣を超截す)」
と、親鸞聖人が正信偈の中で仰っている二行は、
弥陀から『南無阿弥陀仏』を賜って
信心獲得(獲信)すると同時に、
昿劫流転(こうごうるてん)の迷いを
一念で断ち切られ、
『往生一定』の絶対の幸福に
救い摂られるのだ。
我々はそのために
人間に生まれてきたのであり、
仏教を聞く目的は、
この外に何もないのだよ

と、一日も早い「信心獲得」を
勧めておられるお言葉です。
片時も急いで、
弥陀の本願を聞き開かせていただきましょう。

 


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「しあわせ」の道しるべ [親鸞聖人]


 (真実の仏教を説かれている先生の書かれた「とどろき」より載せています。)
 
ふつうに生きる私たちのたった一つの願い。
それは「しあわせになりたい」ということです。
でも、毎日そのために頑張っているのに、
なぜか努力は空回り、と感ずることはないでしょうか。
一体、何を求めたら、「本当のしあわせ」になれるのでしょう。
その答えを教えられた方が親鸞聖人です。
ユウ子さんの事例を通して学んでみましょう。
「しあわせ」の
       道しるべ

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
会社と家の往復。代わり映えのしない毎日。
何かが足りない・・・・

「やだ、私泣いてる・・・」
ガラスに映った自分の姿に、ユウ子は慌てて顔をぬぐった。
都内の大手出版社に勤めるユウ子は、40代前半。
ファッション誌の編集を手がけ、数々の流行を生み出してきた。
自立した女性として生きてきた自負もある。
だがこの数年、目に見えて体力が落ち、
若い時のような無理は利かなくなってきた。
仕事への興味も薄れ、先のことを考えると不安になる。
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“私は幸せに向かって生きているのかなぁ”
会社と家の往復。代わり映えのしない毎日。
何が足りないわけではないが、心が満たされない。
そんな心を持て余し、最近はベッドの中だけでなく、
通勤電車でも、ふと涙があふれてくる。
〈生きる意味って、何ですか?〉
ユウ子は、よく見るインターネットの掲示板に問いかけてみた。
すぐにたくさんのコメントがつく。
多くの人が「私も同じ気持ち」と共感してくれた。
こんな回答もあった。
〈生きることに意味なんてない。
生きるために生きるのだと思う〉
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「うーん」
仕事が楽しかった二十代なら、これで満足したに違いない。
だが、今のユウ子を励ます力はなかった。
「なぜジョギングするの?」と尋ねて、
「ジョギングするためにジョギングする」
と答えられてもよく分からない。
「なぜ生きるか」の問いに、
「生きるために生きる」というのは、
「泳ぐために泳ぐ」というのと同じである。
流れに漂う浮草は、あてどもなく行きつ戻りつ、
やがて自ら腐っていく。
“これじゃあ、死ぬために生きているっていうことになるじゃない”
気を取り直し、ユウ子は次の回答に目をやった。
〈死んだら天国。
それまでこの世で自分の魂を磨くのが人生じゃないかな〉
最近はやりの「スピリチュアル何とか」だろうか。
なるほど、この世は修行の場といわれれば
「苦しみにも意味があった」と
少しは慰められるかもしれない。
でも、とユウ子は思う。
死んで本当に天国に行けるのだろうか。
結局死んでみなければ分からないのではなかろうか。
とすれば、生きているうちはどんなに頑張っても、
やっぱり不安を抱えていることになる。
これまでの人生を振り返って、
不真面目に生きてきたつもりもないが、
魂を磨いたかと言われれば、とてもそんな自信はない。
むしろ自分の死について考えると、
ユウ子は暗い気持ちになるばかりだった。
小学生のころは、死ぬのが怖くて眠れなかった。
死んで天国に行けるとは、無邪気に思えそうもない。

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ひととおり読み終え、ユウ子は大きくため息をついた。
「やっぱり答えなんて分かんないか」

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数日後の昼休み。
「ユウ子さん、そんなこと考えてたんだ」
「らしくないでしょ」
休憩室で打ち明けるユウ子に、
同僚は思いがけない言葉を口にした。
「僕、仏教を学んでいるんですよ」
「えっ?」
彼は穏やかな口調で言った。
仏教には、人生の目的が教えられています。
ちょうど、近くで勉強会があるんですけど、
よかったら参加してみませんか
それは「聞法のつどい」という名の、
仏教入門講座だと彼は説明した。
「仏教・・・・」。
遠い記憶を呼び覚まされるような懐かしい響き。
“お釈迦さまの教えよね。聞いてみようかな”と、
素直に思った。

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週末、会場近くのコーヒー・ショップで
2人は待ち合わせることにした。
イチョウ並木が、もうすっかり街を秋色に染めていた。
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●生きる目的

人は何のために生まれ、生きているのでしょう。
なぜ、苦しくても自殺してはならないのか。
すべての人にとって、これほど知りたいことはないでしょう。
生きるということは、歩くことや走ること、泳ぐことや、
飛行機でいえば飛ぶことと同じです。
毎日が飛ぶように過ぎていきます。
この間年が明けたと思ったら、もう11月。
私たちは、昨日から今日、今日から明日へと、
ものすごいスピードで進んでいます。
では一体、どこへ向かってでしょうか。
一休は、
「門松は 冥土の旅の 一里塚
 めでたくもあり めでたくもなし」
と歌っています。
冥土とは死後の世界のこと。
一日生きたということは、
一日死に近づいたということですから、
人生は、死へと向かっての行進であり、
「冥土への旅」といえるでしょう。
年が明けると皆「おめでとう」「おめでとう」と言いますが、
一年たったということは、
それだけ大きく死に近づいたということです。
元旦は冥土の旅の一里塚に違いありません。
私たちは、去年から今年、今年から来年へと、
どんどん歩き、走り、泳ぎ、
飛んでいるのです。
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だれでも、歩く時も、走る時も、
一番大事なのは「目的地」です。
目的なしに歩いたら、歩き倒れあるのみだからです。
ゴールなしに走り続けるランナーは、走り倒れあるのみです。
行く先を知らず飛んでいる飛行機は、墜落あるのみです。
「あそこがゴールだ」と、ハッキリしていてこそ、
頑張って走ることができます。
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「あの島まで泳ごう」と、目的地に泳ぎ着いてはじめて、
「ここまで泳いできてよかった」と、
一生懸命泳いできた満足があるのです。
では、私たちの生きる目的は何でしょうか。
目的を知らずに生きるのは、死ぬために生きるようなもの。
死を待つだけの生ならば、苦しむための一生に終わるでしょう。
私たちは決して苦しむために生まれてきたのではありません。
生きているのでもありません。
人生の目的を知り、達成し、「人間に生まれてよかった!」と、
心からの満足を得るために生きているのではありませんか。
その最も大切な「生きる目的」を
ハッキリと明示してくださったのが、
約800年前、日本にお生まれになった親鸞聖人です。
主著『教行信証』の冒頭に記された、
聖人の言葉をお聞きしてみましょう。

難思の弘誓は難度の海を度する大船、
無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり
“人生の目的は、難度海を度する大船に乗ることである”

●難度海とは

ここで聖人が「難度海」といわれているのは、
私たちの人生のことです。
「難度」とは、渡ることが難しい、苦しいということです。
だから、「苦海」ともいわれます。
「生死の苦海ほとりなし」(親鸞聖人)
生きることは本当に大変ですね。
もし皆さんが、見渡す限り水平線しか見えない
海の真ん中にいたら、
どうでしょうか。
例えば、海水浴に来て一人波間に浮かんでいるうちに
沖へ流された。
水面からの視点では、
時にわずかな距離でも陸地を見失うこともある。
慌てて戻ろうとしても、どちらへ向かえばいいか、分からない。
じっとしていれば沈んでしまいますから、
泳がなければなりません。
では、どこへ向かって泳ぐか。
方角がきちんと定まらなければ、
泳げば泳ぐだけ岸から遠ざかることになりかねません。
体力には限りがある。
やみくもに泳げば、それだけ早く泳ぎ疲れて
土左衛門になると思うと、
とても力強く泳げません。
私たちは、生まれた時にそんな海に
放り込まれたのだとはいえないでしょうか。
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今にもおぼれかける我々に、
懸命に泳ぎ方のコーチをしているのが、
政治、経済、科学、医学、倫理、道徳、
スポーツなどといえましょう。
しかし、肝心の「泳ぐ方角」は、だれも教えてくれません。
ただ、
「人生は 食て寝て起きて 糞たれて
子は親となる 子は親となる」
一休さんの言うとおりです。
ビジネスマンなら朝起きて、
満員電車に揺られながらの通勤は、
まさに“痛勤”。
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クタクタに疲れて帰ると、すぐ朝が来る。
毎日は決まった行動の繰り返しで過ぎていきます。
「生きてきて本当によかった」という満足がなく、
来る日も来る日も、「食べて寝て起きて」の反復ならば、
水平線しか見えない海の中を泳いでいるのと同じ。
泳ぐ手に力が入るはずがありません。
しかもこの海には、苦しみの波が、次から次へとやって来ます。
病苦、肉親との別れ、不慮の事故、家庭や職場での人間関係、
借金の重荷、老後の不安。
一つの波を乗り越えて、やれやれと思う間もなく、
別の波がやってくる。
高波にのまれて、おぼれかかっている人、
溺死する人もあります。
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一年前、「美しい国」を目指して華々しく発足した安倍政権も、
年金記録漏れ問題、閣僚の相次ぐ失言や不祥事、
参院選での与党大敗の大波にのまれ、あえなく転覆しました。
(平成19年のとどろきより載せています)
また今年は、訪問介護大手コムスンの不正をきっかけに
介護問題について
改めて考えさせられた人も多いでしょう。
昨年も、こんなやりきれないニュースがありました。

事件は2月1日早朝。
永年、献身的に認知症の母を介護してきた京都市の男性が、
追い詰められた末に母親を殺害し、自殺を図ったのです。
初公判での陳述によれば、男性の父親は10年ほど前に死亡。
その後、母に認知症の症状が出始め、
男性は一人で介護していました。
しかし母の症状は次第に悪化し、
男性は仕事を辞めざるをえなくなります。
ところが、失業給付金などを理由に生活保護は認められず、
平成17年12月には、頼みの失業保険給付もストップしました。
次の仕事も見つからぬまま、カードローンは限度額いっぱい、
デイケア費や家賃も払えない状況に追い込まれた男性は、
1月31日、ついに心中を決意。
最後に車いすの母と京都市内を観光し、
桂川河川敷の遊歩道で、
「もう生きられへん。ここで終わりやで」
と言うと、
母親は、「そうか、あかんか。一緒やで」と答えたといいます。
「すまんな」
それが最後の言葉となりました。
(検察側は)「『母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい』
という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、
刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、
法定は静まり返った」と新聞は、
裁判の様子を伝えています。

作家の林芙美子さんは、
「花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき」
と言い残し、
夏目漱石は、
「人間は生きて苦しむための動物かも知れない」と、
妻への手紙に書いています。
これらの嘆きの声を聞くまでもなく、
「人生は苦なり」
の2600年前のお釈迦さまの金言に、皆、
うなずいているのではないでしょうか。
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一見、楽しげに見える人もありますが、
「ただ見れば 何の苦もなき水鳥の
足にひまなき わが思いかな」(水戸光圀)
の歌のとおり、人もうらやむ才能や地位、
名声を得ていても、本人しか分からぬ悩みを
皆抱えているようです。
社長であれ、著名人であれ、えっ、あの人が、
と思うような人が自ら命を絶ち、
驚かされることしばしばです。
生きることが大変なので、
私たちは何かにすがらずにいられません。
そこで近くに浮遊する丸太や板切れにすがろうとします。
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●丸太や板切れ

丸太や板切れとは、お金や財産、地位や名誉、
健康、恋人、結婚、
子供、マイホームなどを例えたものです。
これらを手に入れて少しでも楽になりたいと皆、
懸命に追い求めています。
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ところが、つかんでやれやれと安堵したのもつかの間、
くるりと丸太がひっくり返り、潮水のんでまた苦しめられる。
これらの幸せは、しばらくの間しか続かないのです。
「いい時」は続かない。
これまでを振り返ってみて、どうでしょうか。
離婚して泣いているのは、
結婚という丸太に裏切られたからです。
わが子に疎まれ悲しむのは、
子供という丸太の裏切りでしょう。
株の投資に失敗し、
お金に裏切られて苦しんでいる人もあります。
「こんな小さな丸太じゃだめだ。もっと大きなものを」
と思って、再び死に物狂いで泳ぎ、
もう少し大きめの丸太をつかんでも、
所詮は浮いたものですから、
やはり、くるりと回転して裏切られます。
一流企業に就職し、バリバリ働いていても、
突然の解雇、左遷の憂き目に遭うこともあるでしょう。

永年、大手スーパー・ダイエーの最前線で活躍してきた
松下登さんの
体験手記を7月号に紹介したところ、
多くの反響がありました。

「24時間、年中無休の精神で飛び回り、
結果、11年に及ぶ単身赴任で家族との生活も犠牲にしました。
もちろん人生を振り返る余裕などありません。
ただ年月が飛ぶように過ぎていったのです。
そんな3年前のある日、
それまでずっと感じていた仕事への充実感が
一気に吹き飛ぶ出来事が起きたのです。
リストラでした。
突然、『役職者に対し、新たに一律の定年を設ける』
という社内通達が突きつけられました。
役職にある者は、退職金を得て会社を去るか、
一従業員として会社に残るか、の選択に迫られたのです。
事実上の解雇通告です。
“会社のために身体を壊すほど頑張った。
家庭も犠牲にしたし、休日も返上して働いてきた。
オレはもっと力を発揮できるはずなのに、何で・・・?”
必死に貢献してきたという自負と、
その会社に裏切られた苦しみやむなしさを感じながら、
退職を選びました。
“冷たいなぁ”目の前の現実を受け止められない日が続き、
自分のことを分かってもらいたい気持ちで苦しみました」

難度海の例えが身にしみたと、
松下さんは語っておられます。

もし人生に目的がなければ、
人は苦しむために生きているようなものでしょう。
仕事や家庭に裏切られ、健康すらも失い、
最後はすべてに裏切られ、
健康すらも失い、最後はすべてに見放され、たった一人、
暗い海底に沈んでいかねばなりません。
「苦より苦に入り、冥(やみ)より冥に入る」(釈尊)
それは求める丸太が悪いからでも、
求め方が足りないからでもない。
変わらない本当の幸せを知らないからです。
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●大きな船

何かにすがっては裏切られ、苦しんでいる私たちに、
親鸞聖人は「絶対に壊れない大きな船があるんだよ」
と教えられています。

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「難思の弘誓は、難度海を度する大船」
苦しみの波の果てしない海を、明るく楽しく渡す大船がある。
この大船に乗ることこそ人生の目的である”
「難思の弘誓」とは何でしょう。
「難思」とは想像もできない、
「弘誓」とは素晴らしい誓いということで、
これは阿弥陀仏の本願のことです。
この本願の船に乗ったならば、
裏切りのない「絶対の幸福」になれるのです。
親鸞聖人は、その世界を、「無碍の一道」と
『歎異抄』に言われています。
そしてこの船は、弥陀の浄土へ往く大船ですから、
乗船すれば、いつ死んでも浄土往生間違いない身に
ハッキリ定まります。
まっ暗がりの人生が、光明輝く浄土への楽しい航海に、
ものの見事に大転換、
「人間に生まれてよかった!
この身になるために人生だったのか」
と、人生の目的がここで鮮やかに知らされるのです。
親鸞聖人は、29歳の時、この大船に乗ったぞ!と告白され、
800年後の私たちに声を限りと叫んでおられるのです。
「おーい、人生を明るく楽しく渡す大きな船があるぞー!
早く、乗ってくれよ」と。

●人生の目的

それは、
“決して裏切らない幸福”
講演を聞きながら、
ユウ子は自分のたどってきた道のりを思い出していた。
厳しかった父。いじめに遭った中学時代。
7年間つきあった彼との別れ。
初めて女性管理職に抜擢された喜び。
振り返れば、夢のようだ。
丸太や板切れにすがっては裏切られ、
私はどこへ向かっているのだろう。
この先、どんなものを手にしようが、きっと同じに違いない。
「人生に目的がある。難度海を度する大船がある。
絶対変わらない幸福がある」
親鸞聖人の断言が、うれしかった。

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終了後、同僚が言った。
「生きるって、確かに大変ですよね。
でも、生きる目的を知った人の苦労は、
必ず報われる苦労です。
だからお釈迦さまは、
『生きる目的を知らずに100年生きるより、
人生の目的に向かって一日生きるほうが、
はるかに優れている』
と言われているんですよ」
うなずきながら、ユウ子は答えた。
「何か少し、分かりかけてきた気がするわ。
それで一つ聞きたいんだけど、
この船にはどうすれば乗れるの?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(体験手記)
ため息の人生に
   サヨナラ
泳ぐ方向が分かった

愛知県 岩水 清子さん(仮名)
  「人生は苦しみの海」という例え話に引かれ
仏法を聞くようになりました。

人間関係や仕事のちょっとしたトラブルで、
つらいと思うことがよくありました。
カッコいい生き方しているねと言われたいのに、
現実はささいなことで苦しんでいる。
ため息ばかりの毎日が嫌でした。
現状を打破したくて、最初は占いや風水にはまりました。
“黄色いものを西に置けばお金が入る”
などと言われるとおりにしても、
これといった変化はありません。
運を当てにするのではなく、もっと自分の能力を高め、
心を変えれば生きやすくなるのでは、と思うようになりました。
心理学や自己啓発について
インターネットで調べるようになったのです。
“プラス思考ですべてがうまくいく”
“イメージトレーニングで思い描いたとおりの人生を”。
ホームページには、魅力的な文字が並びます。
これはと思うものは何でも試してみました。
ところが、前向きに考えて一時は心が軽くなったように思っても、
後から嫌なことが次々と起き、ため息の生活に逆戻り。
イメージトレーニングも、
具体的な将来の夢がなければ思い描くことができません。
何かが違う、もっといいものがあるはず、
と納得の行くものを探し続けました。
ある日、いつものようにホームページを調べていると、
なぜ生きる」という言葉が目に留まりました。
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「なぜ生きる?そんなの考えたことないし」と思いつつ、
なぜかボタンをクリック。
すると画面いっぱいに文章が出てきて、面食らいました。
しかしその中に「幸福」の二文字を見つけたのです。
これを読まないと、この先ずっと幸せになれない気がして、
冒頭からじっくりと読み始めました。
そこに書かれていたのが、
親鸞聖人の教えられた「海のたとえ」だったのです。
次から次へと来る苦難の波に、何かにすがろうと、
海面に浮かぶ丸太や板切れを懸命に求める。
やっとつかんだと思ってもクルリと裏切られて
潮水のんでまた苦しむ。
丸太や板切れとは、お金や地位、
健康や恋人のことと書かれていました。
えっ、今まで苦労して手に入れようとしてきたものは、
みんな丸太や板切れなの?
釈然としない気持ちでしたが、文章の終わりにあった
「永遠に崩れることのない絶対の幸福の身になれる。
それが生きる目的です」
という言葉に引かれ、
ホームページの作者にメールを送ることにしました。
「本当の幸せになりたいですか?その答えは仏教にあります」
の返信に、とても驚いたのを覚えています。
その後2、3回メールのやり取りをして、
勧められた仏教講座に足を運んでみました。
意外にも同年代の女性が多く、
「皆人生を真面目に考えているんだ」と感心しました。
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親鸞聖人のお名前も知らなかった私が、
み教えを聞かせていただくようになり3年がたちます。
だれもが幸せになりたいのに、
その答えを聖人が明らかにされていると知らないから、
丸太や板切れがすべてとしか考えられません。
私も機会を見つけて、友人たちに仏教の話をしています。
 

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親鸞聖人と「なぜ生きる」 [親鸞聖人]

「これまでは仕事の目標達成が生活の全てでした。
退職して毎日が休日。
何をすればいいのか分かりません」
「子や孫も、いずれ私たちを必要としなくなる。
その時、私は何を支えに生きればいいのでしょう」
「心の安定を求めて、趣味や免許、資格を持っても
心が落ち着きませんでした」

さまざまな節目やきっかけから、
このような思いを持ち、
仏法を求め始められた方も多くあるでしょう。
何気ない、こんな思いはしかし、大変根が深く、
実は生きる本当の意味が分からないことに起因する、
と仏教では教えます。

なぜ生きるか・・・この人生の根本問題ひとつを、
世界の光といわれる親鸞聖人は、
生涯伝えられた方でした。
聖人が明らかにされた
「なぜ生きる」について学びましょう。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・

親鸞聖人の力強い断言

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「人は何のために生きるのでしょう」
「毎日、同じことの繰り返しに、
どんな意味があるの?」
「苦しくとも、なぜ自殺してはいけないのでしょうか」
これが「人生の目的」であり、
平たい言葉で「なぜ生きる」です。


親鸞聖人はその答えを、主著『教行信証』の冒頭に、
上の画像のように明言されています。

なんという力強い断言でしょう。
曇りのない簡明な文章に、
揺るぎない自信と迫力がみなぎっています。

「人生の目的は、ある。
あるから、早く達成せよ」

『教行信証』はじめ多くの著書に記されていることは、
この「人生の目的」一つを、
私たちに知らせんがためでした。

聖人の言動のすべては、
これ一つが目的であったのです。

31歳の肉食妻帯も、
40歳過ぎの関東のご布教中、
石を枕に雪を褥(しとね)に門前で休まれ、
日野左衛門を済度されたのも、
殺害せんと迫る弁円の剣の下に
数珠一連で出会われ
「御同朋・御同行」と諭されたのも、
84歳の御時、50の長男・善鸞を勘当されたのも、
私たちの生きる目的を明らかにし、
その達成を勧めてくださるご苦労でした。

「なぜ生きる」と
    「どう生きる」

政治や経済、科学や医学、倫理・道徳、法律、芸術、
スポーツ、これらはみな、
「よりよく生きる」ための営みです。
消費増税もエネルギー対策も介護制度も、
通信回線の高速化も、新薬や医療器具を開発するのも、
「どうすれば、より快適に、長く生きることができるか」
の研究であり、努力でしょう。

どんな人と結婚するか、それとも独身を貫くか、
転職か今の会社に残るか、マイホームか賃貸か、
健康食品は何がいい?美容・ダイエットはどれを選ぶ?
いずれも「生き方」、「どう生きるか」の問題です。
これら「生きる手段」がなければ、
生きてはゆけませんが、
そうやって一生懸命生きてゆくのは、
どこへ向かってか。

「人間に生まれたのは、この幸せになるためだった」
という喜びはいずこにあるのでしょうか。

この「なぜ生きるか」が曖昧なままでは、
「どう生きるか」の努力も根無し草で、
宙に舞ってしまいます。

ところがほとんどの人が、
この「なぜ生きる」と「どう生きる」を混同し、
「生きる手段」を「生きる目的」だと
誤認しているのです。

だからこそ親鸞聖人は、この2つの違いを峻別され、
真の人生の目的を明示することに、
90年の生涯を懸けられたのでした。

聖人が示された人生の目的は、
「難度海を度する大船に、乗ることだ」
これは、どんなことなのでしょうか。

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人生は苦なり
    四苦八苦の波、絶えることなし

「難度海」の「難度」とは、
“渡ることが難しい”の意で「苦しみ」のこと。
私たちの一生は、苦しみ悩みの波が次から次と
絶えずやってくる海のようになものだから聖人は、
人生を「難度海」とか「苦海」と仰っています。

約2600年前、お釈迦さまが35歳で
仏のさとりを開かれた第一声も、
「人生は苦なり」。

その苦悩の波を八つに分けて教えられているのが、
四苦八苦」です。
日常会話でもよく、「トラブルの対処に四苦八苦した」
などと言いますが、語原は仏教で、
人生の苦しみを四つに大別したものを「四苦」、
それに四つ加えて「四苦八苦」と教えられています。

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いずれの世、いずこの里でも
受けねばならなぬ人間の苦しみを、
八つにまとめられたものです。

お釈迦さま自身も、王様の子として生を受け、
文武の才能に恵まれながら、
それでも無くならぬ苦に驚かれたのでした。
まず「四苦」とは、「生苦」「老苦」「病苦」「死苦」
の四つです。

生苦

生きる苦しみです。
「人生は地獄よりも地獄的である」
と言ったのは芥川龍之介ですが、
すべての人が苦しんでいる。
生きるために衣食住をそろえるのも大変ですが、
たとえそれらが満たされても、
親子や夫婦、友達や会社の上司、
同僚らとの人間関係で苦しんでいる人が
多いのではないでしょうか。
あらぬ誤解をされ悶々としたり、
心ない一言に傷ついたり。
逆に「あんなこと言わなきゃよかった」
と不用意な発言を後悔することもしばしばです。
新聞の人生相談欄を読むと、
「世の中には、そういう苦しみもあるのか」
と驚くことがあります。
生きること自体の苦しみを「生苦」と言われるのです。

老苦

年を取ると、耳は遠く、目は薄くなる、
髪は抜けるし歯も抜ける、腰が曲がって、
物忘れはひどくなる。
さっき薬を飲んだのを忘れる。
「わしのメガネどこいった?」
と眼鏡をかけながら捜す・
リューマチやら神経痛やら関節炎やら、
ちょっとつまずいて骨折すると、なかなか治らない。
美貌の衰えが、特に女性にとって耐え難い。
世界の三大美女の一人・小野小町は、
「面影の変わらで年のつもれかし とたえ命に限りあるとも」
(容姿が変わらずに年を取りたいものだ。
たとえ命に限りがあっても)
と歌っています。
鏡を見て白髪が一本増えていると発見してさえ、
食欲がなくなる。
「アンチエイジング」とシワやほうれい線を
消す整形手術をしたり、脂肪吸引したり、
エクササイズでなんとか体型を保とうとしても、
限界がある。
「長生きすれば恥多し」で、
美しい人ほど老苦は深刻なもののようです。

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病苦

肉体は病の器。
いつ病気になるか分かりません。
しかも、どんな病でも、自分のかかっている病が
一番つらいと皆がそれぞれに思っています。

死苦

なんといっても嫌なものは「死」。
放射能汚染が怖い、地震や津波は嫌だ、
ガンになりたくない、というのも結局、
「死」が恐ろしいからです。

愛別離苦

愛する人や物と別れる苦しみ。
手に入れたものは、いつか手離さなくてはならない。
毎日きれいにお手入れしているこの肉体さえ、
やがて焼いて灰になる。
死んでゆく時には、金や財産、何も持ってゆけず、
独りぼっちで逝かねばならないのだ。

お釈迦さまはこれを
独生独死 独去独来
と仰っています。
誰も否定できる人はないでしょう。

怨憎会苦

怨み憎んでいる、嫌な人や物と会わねばならない。
あの人嫌やなあ、と思っている人とはよく会う。
今日はこっちの道を行こうっと思って行ったら、
また会った。
向こうも同じことを思っていた。

あの人の隣の席にはなりたくない、
端のほうに座って離れようと思っていたら、
相手も同じでまた隣になる。
難しいものです。

「あの人が吐いた息を、同じ部屋で吸うのも嫌」
という人があるほど、これもひどい苦しみです。
試験や災害、事故に遭うのも、
この怨憎会苦といえましょう。

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求不得苦

求めても得られない苦しみ。
世の中、自分の思いどおりになるものではありません。
「朝夕の
飯さえこわし やわらかし
思うままには ならぬ世の中」
「世の中は
一つかなえば また二つ
三つ四つ五つ 六つかしの世や」
と歌われているように、
何かが得られても、何かが足りない。
それぞれ置かれた立場で皆苦しんでいます。

五陰盛苦

五体満足、肉体あるが故に苦しむことで、
これまでの七つをまとめたものです。

これら四苦八苦は、
誰もが受けてゆかねばならぬ苦しみです。
仏教では古今東西の人類に
共通したことしか説かれていません。

これら苦しみ悩みの波が、
次々と襲ってきてアップアップしているから、
人生を「難度海」と親鸞聖人は教えられているのです。

難度海を、
  明るく楽しく渡す大船あり

でも私たちは、苦しむために生まれてきたのではない。
みんな幸せになるために生きているのです。

人生の目的は、真の幸福ただ一つ。
ならば、四苦八苦の波に
揉まれ溺れ苦しんでいる私たちが、
心から安心満足できる道が、
どこにあるのでしょうか。

その切実な問いに、親鸞聖人の答えが、
「難思の弘誓は、難度海を度する大船」
の金言です。

「難思の弘誓」とは、阿弥陀仏の本願のこと。
本師本仏の阿弥陀仏が、
「すべての人よ、平生に必ず、
苦しみ悩みの元凶である心の闇を破り、
無碍の一道(絶対の幸福)に救う」
と誓われているお約束です。

ゆえに弥陀の本願を聖人は、
「苦海の人生を、明るく楽しく渡す大きな船なのだ」
と教えられ、
「この大船に乗って、絶対の幸福になることこそが、
『なぜ生きる』の答えだ。

この目的果たすまでは、どんなに辛くとも生き抜けよ
冒頭にこう宣言され、
その大船である弥陀の本願とは何か、
どうすれば大船に乗せて頂けるのかを、

『教行信証』全六巻に明らかにされているのです。

●阿弥陀仏の本願ひとつ

その大船に乗られた(弥陀に救われた)自らの体験を、
聖人はこう述べられています。

大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば、
至徳の風静かに、衆禍の波転ず

         (教行信証)

“弥陀の造られた、大悲の願船に乗って見る人生は、
千波万波きらめく明るい広い海ではないか。
順風に帆をあげる航海のように、
なんと生きるとは素晴らしいことなのか”

これはまさしく聖人の、キラキラ輝く乗船記。
「大悲の願船に乗じて」とは、
「弥陀の誓いどおり、人生の目的成就した」
晴れやかな宣言です。
人生の目的は決して、曖昧なものでないことは明白です。
「光明の広海に浮かびぬれば」とは、
暗い人生が、明るく転じた慶喜です。
「闇」に泣いた人だけに「光」に遇った笑いがあり、
「沈んで」いた人にのみ「浮かんだ」大慶喜があるのです。

つらくとも、なぜ生きるのか。
最も大事なことが分からない。

ただ生きるために生きるだけなら、
料亭の生簀に泳ぐ魚とどこが変わるでしょう。

死を待つだけの生ならば、
沈んでいるといわれて当然でしょう。

生まれてきた意味が分からず、
もだえ苦しんでいた聖人が、
“ああ、生まれてきてよかった”
と、浮かび上がられた光明の広海とは、
いかなる人生であったのでしょうか。
「至徳の風静(しずか)に、衆禍の波転ず」
「至徳」とは無上の幸せ。
「衆禍」とは四苦八苦のこと。
大宇宙の宝「南無阿弥陀仏」と一体となった大満足を
「至徳の風静に」と言われ、
苦悩がそのまま喜びに転じ変わる不思議さを
「衆禍の波、転ず」と驚嘆されているのです。

そんな世界が本当にあるのか、達成できるのか、
と疑い訝る(いぶかる)私たちに聖人は、

ある。親鸞が生き証人だ。皆さんも早く、
弥陀の大船に乗ってもらいたい

と勧めておられるのです。
かくして聖人90年の教えは、
「人生の目的は弥陀の救いに値う(あう)ことだ」。
これ一つであったことが、お分かりになるでしょう。

●よく聞くこともかたし

ところが「親鸞聖人のファン」を自称する作家は、
“人生の目的は、ないと思う”と書き、
また、浄土真宗の看板を掲げ、
聖人の教えを伝えるべき立場の人も自著の中で、
“人間はなぜ生きているか、答えは見つからない”
と述べています。
親鸞聖人が、「人生の目的」を
一言で喝破されている御文が、
難思の弘誓は、難度海を度する大船」。
この『教行信証』劈頭(へきとう)であることを
知られないのでしょう。
聖人、90年のご苦労を水泡に帰してはなりません。
親鸞聖人の教えを、真剣に、一筋に聞き抜けば、
どんな人も必ず救われます。
弥陀の救いに漏れている人は一人もいないのです。
「苦しみ悩むあなた一人を、
必ず絶対の幸福に救う」
弥陀の誓願、まことだったと知らされる時が、
必ずありますから、弥陀の御心、聞き開きましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
体験手記
仏法で身も心もよみがえった
   病苦からの生還
京都・福知山の大山賢治さん(仮名・25歳)は、
数ヶ月前まで病苦にあえいでいました。
それが親鸞聖人の教えと出遇い、
人生が一変したといいます。

3人兄弟の2番目だった私は、
高校卒業と同時に郷里の福知山を離れ、
栃木県にある本田技研の研究所へ入りました。
自動車エンジンの設計という、“ものづくり”の仕事で、
希望に燃えて就職しました。
ところが、社会人としての生活は
理想と現実のギャップが大きく、
仕事は主にパソコン作業や精神労働、
人間関係でも強いストレスを感じ、
私生活では、お金や異性、ファッションなどに
のめりこんで苦しみました。

そんな中、頭痛、難聴、めまいや倦怠感が
続くようになりました。
いろいろの医者にかかっていましたが、
やがて、脳腫瘍で倒れて緊急手術を受けたのです。
一命を取り留めましたが、
あと少し処置が遅ければ手遅れだったと知ったときは
背筋が凍りました。
副作用の強い抗ガン剤や放射線の治療に耐え、
半年で腫瘍は完治しましたが、
病魔はそれだけでは終わりませんでした。

精神の病にかかり、
躁と鬱を繰り返すようになりました。
「なぜ自分だけがこんな目に・・・」
疑問を医師や母にぶつけますが、
誰も答えられません。
仕事も継続できなくなり、退職して実家に戻りました。
その頃は日常の小さなこと、
例えば今いた場所を立ち去る時、
何か忘れていないか、などが気にかかり、
何度も確認しないと気が済まない
強迫観念に苦しみました。
鬱の時は、
「こんな苦しいのに、なぜ生きねばならないのか」
「この先もこんなに苦しいなら、いっそのこと・・・」
そんな思いから離れられません。
絶望から、周囲に暴言を吐き、そんな自分を嫌悪する。
生きた心地のしない状態で、自ら命を絶ってしまいそうな
危機が何度もありました。
今思えば、よく生きていられたと思います。

そんな私を支えてくれたのは、
女手ひとつで3人兄弟を育ててくれた母でした。
私の病気に心を痛めているのが申し訳なく、
母のためにも何とかよくなりたいと、
いろいろな治療を試しました。
その一つ、鍼灸(しんきゅう)の接骨院で、
人生を変える出会いが待っていたのです。
その治療院では体のことだけでなく、
日々の思いも打ち明けて相談しており、
鍼(はり)治療も一定の成果を見せ始めていました。
ある日のこと、その鍼の先生が、
「なぜ生きる」と書かれた仏教勉強会の案内チラシを
手渡してくれました。
その日、たまたま接骨院のポストに投函されていて、
私に渡さねばと思ったそうです。

それは、苦しい精神状態の中、
いつも考えていた問いでした。
その答えが分かるなら、ぜひ知りたいと参加したのが、
親鸞聖人の教えとの出遇いだったのです。

●生きる目的が分かった!

初めは“すごい世界があるんだな。ぜひ自分も”
と思う反面、“本当に答えが分かるのか”
と半信半疑で、なかなか仏法が自分のことと
思えなかったのですが、
「必ず『なぜ生きる』の答えが分かる」
との講師の力強い言葉に一筋の明かりを見いだし、
続けて聞くようになりました。
やがて、苦しみの波の絶えない人生の波を、
阿弥陀仏の本願の船のみが、
乗せて必ず渡してくだされる。
人間に生まれてきたのは、
この阿弥陀仏の救いにあうためである、
と私の生きる目的がハッキリ分かりました。


弥陀の救いは二益(二度救われる)とお聞きします。
その真の弥陀の救いとは比較になりませんが、
あの苦しみの中で親鸞聖人の教えに遇えたことが、
私にとって大きな救いであり、
三益にも四益にも感じられます。
つらかった闘病生活も
私に仏法を聞かせる方便だったのだと、
今なら喜べます。

疎遠だった父とも、私が投函した「なぜ生きる」
のチラシを縁に再び交流できるようになり、
それも大変うれしいことでした。
先日、母の誕生日に手紙を書きました。
「生んでくれて本当にありがとう」
心底からそう書けたのは、
親鸞聖人の教えを知らされたからです。
母も、元気になった私を誰よりも喜んでくれています。
これから母や、私と同じように苦しんでいる多くの人たちに、
弥陀の本願を正しく伝えられるよう、
親鸞聖人の教えを真剣に聞き求めたいと思います。


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ご遺言にあふれる恩徳讃の心 [親鸞聖人]

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし

       (親鸞聖人・恩徳讃)
阿弥陀如来の洪恩は、
身を粉にしても報い切れない。
その弥陀の大悲を伝えてくだされた方々のご恩も、
骨を砕いても済みませぬ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
親鸞聖人の「恩徳讃」は、熱火の法悦にあふれ、
強い決意に満ちています。

終生変わらず、この恩徳讃そのままのご活躍をなされた方が
親鸞聖人でありました。
「身を粉にしても、骨を砕きても」
と、大変なご苦労の中、伝えてくだされた真実によって、
私たちは本当の幸せを知り、永久に崩れぬ幸せになれるのです。

今回も、この「恩徳讃」の御心をお伝えいたしましょう。

●報恩一つに生き抜かれた波乱万丈のご生涯

「阿弥陀如来の大恩と、
その救いをお伝えくだされた師主知識の深恩は、
身を粉に骨砕きても相済まぬ。
受けし恩徳限りなく、返す報謝はやむことなし」
親鸞聖人の真情を知れば、
阿弥陀仏の救いがいかに不可称不可説不可思議で、
どれほど広大無辺かが知られます。

もし弥陀の救いが死後ならば、
この「恩徳讃」はありえません。

世に粉砕砕身の形容詞はありますが、
不治の難病を治してもらってでさえ、
「ご恩返し、この身、砕け散っても」とは思えぬもの。

ところが、聖人90年の「恩徳讃」は、
全く形容詞ではありませんでした。

親鸞聖人の生きられた平安末期から鎌倉初期は、
源平の合戦や干ばつの大飢饉で天下は麻のごとく乱れ、
養和の都の死者は43000人を超えたと『方丈記』は記しています。
かかる不穏な社会情勢の中、仏意を鮮明にせんと聖人は、
大変なご苦労をなされました。
31歳、すべての人が煩悩あるままで救われる
弥陀の本願を身をもって明らかにされるため、
僧侶に固く禁じられていた肉食妻帯を断行。

堕落坊主、破戒坊主、悪魔、狂人との世間中の非難も
甘んじて受けられています。
34歳、法然上人の元で、法友たちと激しい論争を三度もなさったのも、
弥陀の本願の聞き誤りを正されるためでした。

35歳の越後流刑は、阿弥陀仏以外に私たちを救ってくださる方はないと
死刑覚悟で徹底的に叫ばれたからです。

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流罪のご苦労は5年に及び、その後、関東に赴かれた。
仏法嫌いの日野左衛門の門前で、極寒の中、
石を枕に雪を褥に休まれ仏法に導かれたのも、
剣をかざし、聖人を殺しに来た山伏・弁円に、
「御同朋、御同行(友よ、兄弟よ)」
とかしずかれ、親しく弥陀の本願を説かれたのも、
弥陀の大恩に報いるため以外にはなかったのです。
そして、生まれ故郷の京都へ帰られた後、
84歳の老聖人に、さらなる人生の怒涛が待っていた。
関東に残してきた長男の善鸞が、
事もあろうに仏法をねじ曲げていると知られたのです。
何度もいさめの手紙を出されましたが、
善鸞は一向に改めようとはしませんでした。
わが子のために多くの人を迷わすことはできぬと、
断腸の思いで義絶。
親子の縁を切ってまで聖人は、
弥陀の本願を護り抜いてくださったのです。

●「御恩報謝やむことなし」とのご遺言

親鸞聖人をかくも雄々しく前進させたのは、
利害得失でもなければ名聞利養でもありませんでした。
「深い阿弥陀仏のご恩を思えば、
世間の悪口や非難などで逡巡(しゅんじゅん)してはおれない」

(逡巡・・尻込みすること)

誠に仏恩の深重なるを念じて人倫のろう言を恥じず
                (親鸞聖人)

ひとえに如来大悲の恩徳に感泣し、
じっとしていられぬ衆生済度の報恩行だったのです。
それでもない「ご恩返しは相済まぬ」のお気持ちを遺言なされ、
『御臨末の御書』として今日に残されています。
そのお言葉を心静かに聞かせていただきましょう。

我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、
和歌の浦曲の片男浪の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり

            (御臨末の御書)

これが、弘長2年11月28日、
京都で90年の生涯を閉じられた聖人のご遺言です。
「我が歳きわまりて」とは、
「私の寿命もいよいよ尽きることとなった」ということ。
言うまでもなく、聖人だけが「歳きわまる」のではありません。
生ある者は、必ず死す。
地震や津波に遭わずとも「我が歳きわまる」時が、
100パーセント訪れます。
しかしそれは「今日とも知らず、明日とも知らず」
と蓮如上人が『白骨の御文章(御文)』に言われるとおりで、
すべての人にとって「死ぬ」ことほど確実なものはなく、
「いつ死ぬか」ほど不確実なものはないのです。
ところがどうでしょう。
何百年に一度の事故や災害には、
「万が一」と保険に入って備えるのに、
例外なく訪れる「万が万」の自分の死には
全くの無防備ではないでしょうか。

そして、今日もあくせく、目先の幸せに走り回っています。

しかし、死の巌頭に立たされた時、
それまで明かりとしてきたものは、皆、光を失って、
色あせたものになってしまいます。

「今までの人生、何だったのか」
と愕然とし、それまで軽く考えていた、
「死んだらどうなる」
の問題が、グウッと重い問題となるのです。

ある哲学者はこう書いています。
「死が全く人間の予測や思考の枠を超えた存在であり、
死後の世界が不安と謎に満ちたブラックホールなのである。
死んだらどこへ行くのか、死んだら自分はどうなるのか、
という問いは、現世の人間関係とか財産の喪失とは
まったく次元の異なる恐怖をよび起こす」

受験生は、合格発表を聞くまで落ち着きません。
行く先がハッキリしていないからでしょう。
被災地の方は「この先どうなるか、先が見えない」
と口々に訴えられます。
誰しも未来がハッキリしなければ不安なのです。
しかし、最も不安で分からないのは、
「死んだらどうなるか」という後生です。

チラリとでも死が脳裏をかすめると、
生の土台が根本から揺らぎ、全く心の安定をなくしてしまいます。
これ以上の大問題はありませんから、
これを仏教で「生死の一大事」とも「後生の一大事」ともいわれるのです。

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●後生明るくなった一大宣言

次に、親鸞聖人が『御臨末の御書』に
「安養の浄土に還帰す」と言われていますのは、
「安養」とは、安養仏のことで、阿弥陀仏の別名です。
阿弥陀仏のましますところを安養界ともいわれます。
「安養界」は『正信偈』にも
「至安養界証妙果(安養界に至りて妙果を証す)」
と出てくる言葉で、安楽浄土の世界、極楽浄土のこと。
「妙果」とは、仏のさとりのことです。
ですから、「我が歳きわまりて、安養の浄土に還帰す」とは、
「命尽きたら、この親鸞、阿弥陀仏の極楽浄土へ往くぞ」
の一大宣言です。
このように、いつ死んでも極楽往生間違いない身になったことを
「往生一定」といいます。
「往」は弥陀の浄土へ往くこと。
「生」は仏に生まれる。
「往生」とは、弥陀の浄土へ往って阿弥陀仏と同じ仏に生まれることです。
「一定」は「一つに定まる」ことですから「ハッキリする」。
いつ死んでも浄土往生間違いなし、とハッキリしたことを
「往生一定」といわれるのです。
暗い後生が明るい後生に転じ、
未来永遠変わらぬ大満足に生かされますから
「絶対の幸福」ともいわれます。
聖人は29歳の御時、阿弥陀仏の本願力によって、
一念で「いつ死んでも浄土往生間違いなし」
と後生明るい心に救い摂られました。
だからこそご臨末に、ためらいなく「安養浄土に還帰す(弥陀の浄土へ帰る)」
「往生一定」と明言なされているのです。
今死ぬとなった時、果たして私たちは同じ断言ができるでしょうか。
もし、後生暗いままなら、極楽浄土へ往けませんから、
親鸞聖人のみ教えを口伝えに聞かれた曽孫(ひまご)の覚如上人は、
こう教えられています。
「浄土へ往けるかどうか(往生の得否)は、平生の一念で決まる。
今、往生一定の身になっていなければ(不定の念に住せば)、
浄土往生できない(かなうべからず)」

然れば平生の一念によりて往生の得否は定まれるものなり。
平生のとき不定の念に住せばかなうべからず  (執持鈔)

「現在、往生がハッキリしていない不定の心では、
極楽往生はできませんよ。
早く、往生一定の身になってもらいたい。
阿弥陀仏のお力で、どんな人でも必ずその身になれるのだから」
との御心です。
このように、阿弥陀仏の本願力によって、
一念で「往生一定」に救われ、
絶対の幸福に生かされることこそ、私たちの生きる目的であり、
人生の決勝点であると親鸞聖人は教えられているのです。

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●無限の報謝

では親鸞さま、極楽へ往かれたらどうされるのですか?
とお聞きすると、
「一度は浄土へ往くが、寄せては返す波のように、
すぐ戻ってくるぞ」

和歌の浦曲(うらわ)の片男浪(かたおなみ)の、
寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ

と仰っています。
「和歌の浦曲の片男浪」とは、
万葉の昔から美しい海の代名詞になっている
和歌浦片男波海岸(和歌山県)のこと。
あれだけのご布教をされた親鸞聖人が、
「今生だけではとてもご恩返しは相済まない。
いまだ苦しんでいる人を見捨てて、極楽で一人楽しんでなどおれぬ。
苦しみ悩める人が一人もいなくなるまで、親鸞は無限に戻ってくる。
衆生済度は今からだ」
と仰るのです。
これは、阿弥陀仏より賜る「還相廻向」の働きによる、
と親鸞聖人は教えられています。

他力の信をえん人は
仏恩報ぜんためとて
如来二種の廻向を
十方にひとしくひろむべし (正像末和讃)

阿弥陀仏より他力の信心を賜って救い摂られた人は、
弥陀の大恩に報いるために、弥陀から二つの贈りもののあることを、
漏らさず伝え切らねばならない。

弥陀の二つの贈りものとは
「往相廻向(弥陀の浄土へ往く働き)」
「還相廻向(浄土から娑婆に還来して、すべての人を救わねば止まぬ働き)」
の二つである。

この「還相廻向」の働きを聖人は、
「寄せかけ寄せかけ、無限に、この娑婆へ帰ってくる」
と表されているのです。

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●いつも側に親鸞がいるからね

一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり    (親鸞聖人)

私たちが生死の一大事に驚き、聞法に燃え、
往生一定に生かされるのも、
救い摂られたその時から報恩の活動に突き動かされるのも、
全ては阿弥陀如来の広大なお働きによると
明らかにしてくだされた方が親鸞聖人です。
私たちは今、深い因縁で人間に生まれ、
等しく弥陀に照育され、無上道を歩んでいます。
うれしい時も、悲しい時も、決して一人ではありません。
「はらからよ、ともに無上道を進もうぞ」と、
いつも聖人が寄り添い、手を引いておられるのです。

永久の闇より救われし
身の幸何にくらぶべき   (真宗宗歌)

「無量の過去から苦しみ続け、泣き続けた永久の闇から、今、救われた」
とハッキリする時が、必ずあります。
一人居て喜ばは二人と思えと言われても、
“それは往生一定になった人のこと”
と、一人寂しく泣くことはありません。
「一人居て苦しまば二人と思うべし、
二人居て悩まば三人と思うべし、その一人は親鸞なり」
衆生苦悩我苦悩(人々の苦しみは我が苦しみ)。
悩める人にこそ心をかけてくだされるのです。
苦しんでいる人を放置されるはずがないではありませんか。
喜びも悲しみも、聖人はともにあるのです。
光に向かう人生に、恐れるものは何もない。
無量光明土に向かって、日々、力強く前進させていただきましょう。
最後に「恩徳讃」の御心あふれるご遺言を、
もう一度、聞かせていただきます。

我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、
和歌の浦曲の片男浪の、
寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり     (御臨末の御書)

「間もなく私の、今生は終わるであろう。
一度は弥陀の浄土へ還るけれども、
寄せては返す波のように、すぐに戻ってくるからな。
一人いる時は二人、二人の時は三人と思ってくだされ。
うれしい時も悲しい時も、決してあなたは、
一人ではないのだよ。
いつも側に親鸞がいるからね」


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弥陀は「極楽への往復切符」も授けてくだされる! [親鸞聖人]

 

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の「とどろき」より載せています)

約800年前、親鸞聖人がお生まれになり、
教導されなければ、
私たちは知ることも、達成することも
できなかったであろうことがあります。
その聖人のご生誕を寿ぎ(ことほぎ)
無上の妙法聞かせていただく勝縁が、
「親鸞聖人・降誕会(ごうたんえ)」です。

(平成21年5月号のとどろきから載せています)

今日、世界の光と仰がれる親鸞聖人は、
90年の生涯、どんなことを教えていかれたのでしょうか。

今回は、「恩徳讃」といわれる有名なお言葉に込められた
親鸞聖人の御心を、聞かせていただきましょう。

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「如来」とは、本師本仏の阿弥陀如来のこと。
「本師本仏」とは、大宇宙に無数にまします
仏方の先生ということです。
「如来大悲の恩徳」とは、
阿弥陀如来の大慈悲心によって救われたご恩
ということで、
「そのご恩には、身を粉にしても」とは、
身命を賭してもお返しできない、
と言われているのです。


私たちの生活で、そこまでの恩返しがあるでしょうか。
どの医者にも見放された病気を治してもらったとしても、
その報恩に命まで捨てようとは思いませんし、
全財産投げ出そうとも思えません。

ところが親鸞聖人は、阿弥陀如来から受けた洪恩(こうおん)は、
死んでも報い切れない、
その阿弥陀如来の大悲を伝えてくだされた
方々(師主知識)のご恩も、
骨を砕いても済みません、と言われています。

恩徳讃は、親鸞聖人が救われて
阿弥陀如来と先生方のご恩を
讃嘆(さんだん)された詩なのです。

絶対の幸福に
     救われたからこそ

阿弥陀如来に救われたことを、親鸞聖人は、

愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦
雑行を棄てて、本願に帰す
 (教行信証)

親鸞は、29歳、雑行をすてて阿弥陀仏に救われた
と記されています。
『正信偈』冒頭にも、

帰命無量寿仏如来
南無不可思議光

“阿弥陀如来に親鸞、救われたぞ。
阿弥陀如来に親鸞、助けられたぞ”
と叫ばれていることは、
繰り返し詳述してきたとおりです。

「救われた」といっても、いろいろあります。
凍死しそうな時に、温かいものをもらって命拾いした。
遭難を救助されて急死に一生を得た。
これらみんな「救われた」といいますが、
親鸞聖人が
「救われた」と言われているのは、
阿弥陀仏の本願に救われた」ことです。

阿弥陀仏の本願とは、阿弥陀仏のお誓い、
お約束のことで、

「  どんな人をも
我をたのまん衆生は
  必ず助ける
       絶対の幸福に

というお約束です。
その本願に救われた、とは、
本願のとおりに「絶対の幸福に救われた」ことです。

「阿弥陀仏の本願まことだった、まことだった」
とハッキリ知らされたことを、
「本願に帰す」と言われているのです。
しかも、この弥陀のご恩はあまりにも大きくて、
身を粉にしても報い切れない、
とおっしゃっているのです。

そして、弥陀がいかに尊いご本願を建立されていても、
伝えてくださる方がなければ親鸞、
知ることはできなかたであろう。
弥陀の本願を届けてくだされた、インド・中国・日本の
師主知識(善知識)方の厚恩にも親鸞、
骨を砕いてもお返しできない、
と感泣されているのが「恩徳讃」なのです。

●「浄土へ往っても
         日帰りだ」

「身を粉に、骨砕いても」とは
オーバーに聞こえるかもしれませんが、
親鸞聖人はお亡くなりになる時、
こう言われています。

我が歳きわまりて、
安養浄土に還帰すというとも、
和歌の浦曲(うらわ)の片男波(かたおなみ)の、
寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人(みたり)と思うべし、
その一人(いちにん)は親鸞なり

            (御臨末の御書)

「我が歳きわまりて」とは、
「親鸞いよいよこの世の命尽きた」ということですが、
これは聖人だけにあるのではない。

私たちすべての確実な未来です。
早ければ今晩。
では、死んだらどうなるか、ハッキリしているでしょうか。

今年の2月、滝田洋二郎監督の映画『おくりびと』
がアカデミー賞を受賞し、
「外国語映画部門」では日本人初の快挙と報じられました。
死者に化粧を施し、
衣装を着せて棺に納める「納棺師」の男性が、
人間の生と死を見つめ直し成長していく物語。
「死」という普遍的なテーマを正面から描き、
「人間の尊厳」を訴えたことが、文化の違いを超えて
世界中の心をとらえた、と評価されています。
考えてみれば私たちは、遅かれ早かれ、
百パーセント死んでいかねばなりません。
「死の旅路」への、いわば「おくられびと」になる時が来るのです。

死ねば遺体は大事に納棺され、通夜、
葬儀が執り行われるでしょう。
最後は火葬され、一つまみの白骨となりますが、
それは肉体のこと。
では魂の行く先は?ハッキリしているでしょうか。

そもそも物質的なもの以外に、
消えずに残る何かが、有るのか、無いのか。
「死後の有無」すらも分かっていないのが、
実際のところでしょう。

私たちの肉体を、単純に「物質」として計算すると、
一人分の原価はわずか5000円だそうです。
内訳は、脂肪が石鹸7個分、炭素が鉛筆の芯9000本分、
鉄分が2寸釘1本分、リンがマッチの頭2200個分、
以上合計5000円、というわけです。

そう知ると、「遺体を大事に扱うことに、
そんなに意味があるのだろうか」と疑問に思ったり、
「人間の尊厳」が、
5000円ぽっきりの「肉体」にあるはずがないと、
なんとなく感じる人もあるでしょう。

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では、肉体が死んで灰になると、
「私」は一体どうなるのだろうか。

ガンと10年闘って世を去った岸本英夫氏(東大宗教学教授)が、
死と真正面から向き合った記録は壮絶です。

生命を断ち切られるということは、
もっとくわしく考えると、どういうことであるか。
それが、人間の肉体的生命の終わりであることは、
たしかである。
呼吸はとまり、心臓は停止する。(中略)
しかし、生命体としての人間を構成しているものは、
単に、生理的な肉体だけではない。
すくなくとも、生きている間は、人間は、
精神的な個と考えるのが常識である。
生きている現在においては、自分というものの意識がある。
「この自分」は、死後どうなるかという点に集中してくる。
これが人間にとっての大問題となる。

          (『死を見つめる心』)

死後が「有る」ように思うし「無い」ようにも思う。
分からない。
すべての人は、未知なる後生に向かって生きているのです。

われわれは断崖(危険)が見えないように、
何か目隠しをして平気でそのなかへ飛びこむ

パスカルは危ぶみます。
思えば私たちは、真っ暗がりの中を、
突っ走っているようなもの。
「死んだらどうなるか」未知の世界に入ってゆく底知れぬ不安を、
何かでごまかさなくては生きてはゆけない。

文明文化の進歩といっても、
後生暗い心が晴れない限り、
このごまかし方の変化に過ぎないといえましょう。

しかし、このごまかしは続かないし、
なんら問題の解決にはなりません。
何を手に入れても束の間で、
心からの安心も満足もない、
火宅のような人生にならざるをえないのです。

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ところが親鸞聖人は、そうではなかった。
「安養の浄土に還帰す」

親鸞死ねば、阿弥陀仏の極楽浄土に往く”
とハッキリ言われています。

これを「往生一定」といい、
“阿弥陀仏の極楽浄土へ往くことが、ハッキリした”ことです。

往生一定になった時、
未来永遠変わらない大満足の身になりますから、
これを「絶対の幸福」ともいわれます。

しかもその弥陀の救いは、一念という何兆分の一秒よりも
短い時に完成します
から、蓮如上人は、

たのむ一念のとき、
往生一定・御たすけ治定
」(領解文)

と教えられています。

29歳の御時、「往生一定」の身になられた聖人は、
それから61年間、身を粉に骨を砕いて、
不思議な弥陀の本願の開顕一つに
驀進(ばくしん)されたのですが、まだ足らぬ、
相済まぬ、九牛の一毛も報い切れないと、
90歳でお亡くなりになる時には、
「極楽でのんびりなんかしてない。
寄せては返す海のように、親鸞、すぐに戻ってくるからなあ」
とおっしゃっています。

みんな、何のために生まれてきたのか、
生きているのか、分かりませんから、
科学は進歩し医学は発達して、
これだけ世の中便利になっても、
少しも自殺者は減りません。
苦しみ悩みは絶えないのです。

だから聖人は、
“人間に生まれたのはこれ一つのためであったと出世の本懐、
果たすまで、親鸞は寄せかけ寄せかけ戻ってくる。
だから、一人で喜んでいる時は二人、
二人の時は三人と思いなさい。
喜んでいる時だけでない。
苦しい時も、悲しい時も、悩める時も、
常に親鸞がそばにいるからね”
と呼びかけていられるのが、
このご臨末のお言葉なのです。

すべては
   弥陀より賜るもの

では、どうしてそんなことができるのでしょうか。
聖人は、

「小慈小悲もなき身にて
有情利益はおもうまじ」
      (悲嘆述懐和讃)

慈悲のカケラもない親鸞、
他人を幸せにしたいという心など、
これっぽっちもない”
といわれています。
その聖人が、どうして“死んでからもすぐに戻ってくる”
と、「恩徳讃」の活躍をなされたのか、
と不審に思われる人もあるでしょう。

それについて『正信偈』には、

往還廻向由他力(往還廻向は他力による)
と教えられています。

「往還廻向(おうげんえこう)」とは、
往相廻向(おうそうえこう)と還相廻向(げんそうえこう)
の二つの廻向をいわれます。
「廻向」とは、差し向ける、与えること、
「他力」とは阿弥陀仏のお力のことですから、
往相廻向と還相廻向、二つの働きはひとえに
阿弥陀仏のお力によるのだ

と言われているお言葉です。
「往相」とは、「往生浄土の相状」のことです。
この世で阿弥陀仏の本願に救われて、
往生一定の身になった人は、
一日生きれば一日、一年たてば一年、
極楽へ極楽へと近づいていることになる。

この「極楽浄土へ往く相」を「往相」といいます。
この働きは阿弥陀仏が与えてくださるものですから、
これを「往相廻向」といわれます。

次に、「還相」とは「還相穢国の相状」のことで、
「還来」は戻ってくること。
「穢国」とは、この娑婆世界のことです。
娑婆というのはインドの言葉ですが、
中国では堪忍土といって、
言いたいことでも言ってはならない、
言いたくないことでも言わねばならない、
やりたいことでも我慢しなければならない時もあれば、
やりたくないことでも、やらねばならない時もある。
そのように、堪え忍ばなければ生きていけない世界なので、
この世のことを堪忍土、娑婆といわれる。
穢れた世界ですから「穢国」ともいわれます。

それで、阿弥陀仏に救い摂られ死んで極楽へ往った人が、
衆生済度のために娑婆世界に戻ってくる相を、
「還来穢国の相状」=「還相」といわれるのです。

(※衆生済度とは、苦しんでいる人々を助け、救うこと)

「寄せかけ還ってくる」の聖人ご臨末のお言葉は、
その告白であり、この働きも阿弥陀仏から賜るものですから、
「還相廻向」といわれ、「往相廻向」と合わせて
「往還二廻向(おうげんにえこう)といわれています。
分かりやすくいえば、
極楽への往復切符を頂くようなもので、
往くも還るも弥陀のお力による、ということです。

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『正信偈』には続いてこう書かれています。

正定之因唯信心(正定の因は唯信心なり)」

その往還廻向の働きの元は、
「唯信心一つなのだ」と言われているお言葉です。

この一念の信心一つで救われると教えられたのが
親鸞聖人ですから、
親鸞聖人の教えを、「唯信独達の法門」ともいわれます。
「ただ信心一つで、人生の目的が達成できる」
ということです。
これを無我に相承(そうじょう)された蓮如上人は、
有名な「聖人一流の章」に、

聖人一流の御勧化の趣は、
信心をもって本とせられ候
」 (御文章)

と断言され、また、

祖師聖人御相伝一流の肝要は、
ただこの信心一に限れり。
これを知らざるをもって他門とし、
これを知れるをもって真宗のしるしとす

          (御文章)

当流親鸞聖人の勧めまします所の一義の意というは、
先ず他力の信心をもって肝要とせられたり

             (御文章)

開山聖人の御一流には、それ、
信心ということをもって先とせられたり

             (御文章)

当流には信心の方をもって先とせられたる、
その故をよく知らずは徒事なり

              (御文章)

とも教示されています。

いずれも、
親鸞聖人90年の生涯、教えていかれたことは、
ただ信心一つであったのだ

(信心=阿弥陀仏からいただいた「南無阿弥陀仏」のこと)
ということです。そして、ご遺言には、

あわれあわれ、存命の中に皆々信心決定あれかしと
朝夕思いはんべり、
まことに宿善まかせとはいいながら、
述懐のこころ暫くも止むことなし

             (御文章)

と、私たちの「信心決定」一つを念じ、
真剣な聞法を教え勧めていかれたのです。

●「身を粉に骨を砕きても」の御心

29歳の御時、阿弥陀如来の本願に救い摂られた聖人は、
90歳でお亡くなりになるまで61年間、
文字どおり「身を粉に骨砕きても」の「恩徳讃」のご活躍をなされ、
なおもご臨末に、

“寄せかけ寄せかけ戻ってくる。
苦しい時も、悲しい時も、悩める時も、
常に親鸞がそばにいるからね”
と私たちに呼びかけていられる御心。
それは、「みなみな信心決定あれかし」
「どうかすべての人よ、片時も急いで、
阿弥陀如来の本願に救われてもらいたい」
これ以外に何もなかったことが、
お分かりになるでしょう。


 


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