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阿弥陀仏の本願以外に、仏教はない [聖道仏教と浄土仏教]

   


顕示難行陸路苦(難行の陸路の苦しきことを顕示し)
信楽易行水道楽(易行の水道の楽しきことを信楽せしめたまう)


これは龍樹菩薩の教えられたことを、
親鸞聖人が明らかにされているお言葉です。

大意はこうです。
“「難行」の教えでは誰も助からない。
すべての人の救われる道は、
阿弥陀仏の本願しかないのだから、
早く弥陀の本願を聞きひらき、
無上の幸福に救われてもらいたい。
龍樹菩薩は我々に、かく勧められているのである”

今回は、この2行について学びましょう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●難行道と易行道


まず「難行」「易行」と言われているのは、
「難行道」の仏教と「易行道」の仏教のことです。


「難行道」の仏教とは、“捨家棄欲”といって、
妻子家族を捨てて深山幽谷に入り、
欲や怒りの煩悩と闘う難行苦行によって、
仏のさとりを得ようとする教えです。

現在も日本にある宗派でいえば、
天台宗、真言宗、禅宗、華厳宗などで、
聖道諸宗ともいわれています。

例えば比叡山の天台宗は、
『法華経』の教えに従って戒律を守り、
さとりを開こうとする宗派で、
今日でも「千日回峯行」といわれる荒行があります。
真夜中の零時前に起床して、
山上山下の行者道を30キロ歩くのです。
この間、堂塔伽藍や山王七社、霊石、霊水など
約300カ所で所定の修行。
無論、雨風雪、病気になってもやめることはできない。
もし途中で挫折した時は、
持参の短刀で自害するのが山の掟になっています。
初めの3年間は毎年100日、次の2年間は毎年200日、
その翌年は100日、最後は200日間、
休まず修行しなければならず、とりわけ大変なのが、
最後の年に100日続ける「大回り」です。
山を下りて京都の修学院から一乗寺、
平安神宮、祇園と1日84キロを、
17、8時間で回る生死関頭の苦行です。
最澄が叡山を開いてより今日まで、
やり遂げた人は数える程で、文字通り命がけの修行です。
それでも、仏のさとりにはほど遠い、
初歩の段階といわれます。


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このように「行ずることが難しい教え」
ゆえに「難行道」と言われているのですが、
これは龍樹菩薩が身をもって知らされたことでした。


●龍樹菩薩でさえ


今日まで、52段のさとりの最高位である仏覚に到達された方は、
2600年前、インドで活躍されたお釈迦さまお一人です。
その釈迦に次いで高いさとりを開かれた方が、龍樹菩薩です。
面壁9年で手足腐るほど修行に打ち込んだ、
あの達磨大師でも30段そこそこであったと言います。

中国天台を開いた智者(天台大師)も臨終に、
「ただ五品弟子位(10段に満たない位)あるのみ」
と告白しています。

これらと比較しても、
自力難行によって41段のさとりを開かれた龍樹菩薩が、
いかに人並み外れて優れた方か、知られましょう。

今日も仏教の諸宗派から尊敬され、
「小釈迦」とか「八宗の祖師」と仰がれているのも分かりますね。
ところが、です。その龍樹でさえも、
「『難行』の教えは険しく苦しい道だから、
とても仏覚まで到達することはできない。
意志薄弱、ねい弱怯劣の私ごとき者の進める道ではなかった

と知らされ、真に魂の救われる道を探し求め、
ついに「阿弥陀仏の本願」によって
絶対の幸福に救い摂られたのです。


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「本願」とは「誓願」とも言われ、お約束のこと。
大宇宙にまします無数の仏方の師(本師本仏)である阿弥陀仏は、
「どんな罪悪深重の者も
平生の一念に必ず絶対の幸福に救い摂り、
死ぬと同時に浄土で仏のさとりを開かせる」

と、とてつもない約束をなされています。

欲や怒り、妬みそねみ一杯の私たちが、
この世も未来も無上の幸せに救われるのは、
ひとえにこの本願力不思議、弥陀の独り働きによってですから、
弥陀の救いを「易行道」と龍樹菩薩は言われているのです。


●陸路と水道


この「難行道」と「易行道」との違いを、
分かりやすく「難行の陸路」「易行の水道」と仰っています。
目的地に行こうとする時に、
テクテク歩いていく「陸路」の道は、
山あり谷ありで、石につまずいてケガをしたり、
雨に打たれて難儀したりと、つらい苦しい道となります。

それに対して、船に乗って船頭まかせ、
重荷を下ろし、風に吹かれて
海や河川の水面を滑るように進む「水道」は、
大変楽しい道でしょう。

同様、難行苦行の教えでは一人も助からないのだよ、
すべての人を安楽無上の幸せに生かして下さるのは、
阿弥陀仏の本願しかないのだから、
弥陀一仏に向け、弥陀のみを信じなさい。
このように龍樹菩薩が、非難迫害の嵐の中、
熱烈に布教して下された
おかげで親鸞、
弥陀の本願を知らされ、救われることができたのだ、
なんと有り難いことなのかと、
厚きご恩に合掌感泣されているお言葉が、
「難行の陸路の苦しきことを顕示し、
易行の水道の楽しきことを信楽せしめたまう」
の2行です。
これはそのまま、仏教を説かれたお釈迦さまの真意でした。


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●仏教は、弥陀の本願一つ


釈迦が、80年の生涯、説いていかれた教えを今日、
仏教といわれます。
その教えのすべてが書き残されているのが、
七千余巻の一切経。
仏教とはどんな教えかを知るには、
その一切経を読まねばなりませんが、
漢字ばかりで、しかも一字一句に深遠な意味がありますから、
誰でも彼でも読めるものではありませんし、
正しく理解できるものでもありません。
今日、世界の光と仰がれている親鸞聖人は、
その一切経を何度も読破されて、
『正信偈』にこう断言されています。


如来所以興出世
唯説弥陀本願海


この意味は一言で、
釈迦が仏教を説かれたのは、
阿弥陀仏の本願一つを明らかにするためであったのだ」
と仰有ったお言葉です。
簡潔に言えば、
「仏教=阿弥陀仏の本願」
ということ。
「阿弥陀仏の本願以外に、仏教はない」
と断定されている、親鸞聖人のお言葉なのです。
そして、
決してこれは、親鸞の独断ではない。
インド・中国・日本の七高僧方が、明言されていることなのだ

と、同じく『正信偈』に、


印度西天之論家
中夏日域之高僧
顕大聖興世正意
明如来本誓応機


インド・中国・日本に現れられた七高僧方は皆、
“仏教を説かれた釈迦の本意は、
どんな人も救う弥陀の誓願一つであった”
と明らかにされている

と仰っていることも、繰り返しお話をしてきました。


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続いて、その七高僧の筆頭である「龍樹菩薩」が、
弥陀の本願を明らかにされ、
勧めておられることを聖人は、
「顕示難行陸路苦
信楽易行水道楽」
と仰有って、
釈迦の真意は、捨家棄欲の難行道ではないのだよ。
出家も在家も等しく救う弥陀の本願一つが仏教なのだ。
みな人よ、早く弥陀の本願を聞信し、
浄土で仏になれる身になってもらいたい」

と教示されているのです。


これでお分かりのように、弟子である釈迦が、
本師本仏の阿弥陀仏の御心を、生涯、
明らかにされているのが仏教なのです。
分かりやすく言えば、こういうことです。
阿弥陀仏がお釈迦さまに、
「釈迦よ、私の心を、地球の人たちに伝えてきなさい」
と命じられた、その通りに釈迦がこの世に現れられて、
弥陀の御心ひとつを説かれた。

されば「仏教=阿弥陀仏の本願」であり、
「弥陀の本願以外に、釈迦の教え・仏教はない」ことも、
当然と知られるでしょう。


 


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道綽禅師、浄土仏教こそ真実の教えと鮮明にされる! [聖道仏教と浄土仏教]

親鸞聖人が、七高僧の4番目に挙げておられる、
道綽禅師(どうしゃくぜんじ)について言われたお言葉に、

道綽決聖道難証(道綽は、聖道の証し難きことを決し、)
唯明浄土可通入(唯、浄土の通入すべきことを明す。)

と、正信偈にあります。
つまり、
道綽禅師が仏教を2つに分けられ、
『聖道仏教では助からないから捨てよ、
浄土仏教を信じなさい』

と、ハッキリ教えてくだされたばこそ、
親鸞、弥陀の救いに遇えたのだと、
道綽禅師の厚きご恩を喜ばれている
お言葉です。

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●仏教に、2つある

では、道綽禅師が仏教を2つに分けられた、
とはどういうことでしょうか。
仏教とは、仏の説かれた教え、ということですが、
ここで「仏」といわれているのは、
約2600年前、インドで活躍された
お釈迦さまのことです。
お釈迦さまが、35歳の時、
最高無上の「仏」のさとりを開かれてから、
80歳でお亡くなりになるまでの45年間、
説いていかれた教えを、
今日、仏教といわれます。
仏のさとりまで到達された方は、
この地球上ではお釈迦さまお一人ですから、
これを「釈迦の前に仏なし、
釈迦の後に仏なし」と言われます。
「自称、仏」という人は時々ありますが、
自他ともに認める仏は、お釈迦さまだけです。
ですから「仏教」といえば、
この地球上では
「釈迦の教え」だけをいわれるのです。

ほかの何人(なんびと)の説いたものも、
仏教とはいわれません。


世の中には、お釈迦さま以外の名前を出して
「○○の仏教」などと言う人がありますが、
それは○○教と呼ばるべきものであって、
「仏教」ではありません。
繰り返しますが、
仏教とは、
「仏のさとりを開かれた、お釈迦さまの教え」
のみをいうのです。

道綽禅師が、その仏教を大きく2つに分けられた、
ということは、
「一人のお釈迦さまが、2つの仏教を説かれた」という、
突拍子もないことを言われているのですが、
実はこのように仏教を2つに分けられたのは、
道綽禅師が最初ではありません。
道綽禅師の500年前、
インドの龍樹菩薩が、
「難行道」と「易行道」に分けておられます。

また、道綽禅師の少し前の時代、
同じ中国の曇鸞大師は、
「自力の仏教」「他力の仏教」とおっしゃっています。
それを道綽禅師は、
「聖道仏教」「浄土仏教」と言われたのです。

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●2つの仏教

「聖道仏教」とは、出家して山に入り、
厳しい修行に打ち込んで、
さとりを得ようとする仏教をいいます。
欲や怒り、ウラミ・ネタミの煩悩と闘い、
後生の一大事を助かろうとする教えです。

例えば聖道仏教の一つ、比叡山の天台宗は、
『法華経』の教えに従って戒律を守り、
さとりを開こうとする宗派で、
今日でも「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)
といわれる荒行があります。
伝教(でんぎょう)が開いてより千数百年、
完遂した者はわずか、
途中で挫折すれば持参の短刀で
自害せねばならなぬ掟もある、
まさに命懸けの修行です。

それは、「行ずることが難しい教え」
ゆえに龍樹菩薩は「難行道」と言われ、
「自らの力」を励んで助かろうとする教えだから
曇鸞大師は「自力の仏教」と言われました。

現在ある聖道仏教の宗派は、
天台宗、真言宗、華厳宗、法相宗(ほっそうしゅう)などで、
これらすべてを聖道諸宗といわれます。

「浄土仏教」とは、
無上仏である阿弥陀仏のお力によって
救われる仏教です。
「すべての人を、
欲や怒りの煩悩のあるがままで、
この世は絶対の幸福に救い摂り、
死ねば必ず、
浄土往生の本懐を果たさせてみせる」
と誓われているのが「弥陀の誓願」であり、
この弥陀の救いを
明らかにされた教えが「浄土仏教」です。

弥陀に救われたお礼の念仏は、
弥陀によって称えさせられる易しい行だから
龍樹菩薩は、「易行道」と言われ、
まったく弥陀のお力(他力)によって
救われる教えだから
曇鸞大師は、「他力の仏教」と言われました。

このような龍樹、曇鸞のご指南にしたがって道綽は、
仏教を「聖道仏教」と「浄土仏教」に大きく分けられ、
「聖道仏教では一人も助からぬ。浄土仏教を信じよ」
と徹底して叫んでいかれたのです。

これを道綽禅師の「聖浄廃立」といわれます。
「廃立」の「廃」とは、廃物の「廃」で「捨てもの」ということ、
「立」は「立てるべきもの、信ずべきもの」ということ。
「捨てるべきもの」と「信ずべきもの」をハッキリさせ、
「捨てるべきものを捨てよ、信ずべきものを信じよ」と
教えることを、「廃立」といいます。
「聖道仏教では助からなかった」
と身をもって知らされ、

弥陀の本願によって救い摂られた
道綽禅師が、

釈迦の経典、先師の論釈にしたがって、
「弥陀一仏を信じよ」と徹底された教えが、
「聖浄廃立」であったのです。

では、その弥陀の救いにあわれるまでの、
道綽禅師の半生をうかがってみましょう。

●道綽禅師

道綽禅師は、1400年前の中国の方で、
当初は、聖道仏教の一宗派である
涅槃宗」に打ち込んでおられました。
涅槃宗とは、釈迦が最晩年に説かれた
『涅槃経』を信奉する宗派で、
当時の中国仏教界を風靡していました。
厳しい禅定や懺悔の行の実践を重ね、
「道綽禅師」の名は次第に四方に高まり、
衆人の尊敬を集めます。

しかし、当の道綽は、
深刻な壁に直面していました。
後生の一大事の解決を求めて、
座禅等の自力修行に励めば励むほど、
一向に定まらない
自己の本心が知られてくる。

身体は座禅していても、心は猿のごとく、
馬のごとく娑婆中を飛び回って、
動きずくめに動く。
悪を造る心は一瞬たりともやまない。

「私が悪を造る状態を例えるならば、
その激しさは暴風、
どしゃぶりの雨のようなものだ」

求めれば求めるほど、知られてくるのは、
救われる縁のない自己の姿。
「本当に座禅などの自力修行で、
この暗い魂の解決、できるのだろうか」

そんな時、たまたま曇鸞大師の旧跡・玄忠寺に
詣でた道綽禅師は、
曇鸞の行跡を記した境内の碑文を一読するや、
心に百雷(ひゃくらい)のごとき衝撃を覚える。
「曇鸞大師ほどの偉大な高僧でさえ、
四論宗の自力修行を捨てて
阿弥陀仏の本願他力をたのみ、
仙経を焼き捨てて
浄土教に帰依しておられるではないか。
まして私のような至らぬ者が、
自力修行によってさとりを得ようなどとは、
全く不可能であった」

ついに涅槃宗を捨て、浄土仏教に帰依されたのです。
48歳の時でした。
玄忠寺に滞在し、曇鸞大師の大著『浄土論註』に取り組まれ、
やがて弥陀の本願に救い摂られたのです

そのあとは、御恩報謝の念仏を
日々七万遍ずつ称えられ、
弥陀の本願を宣布していかれました。

『観
無量寿経』を解釈して有名な『安楽集』を著し、
聖道自力の仏教では
誰も助からないこと、
浄土仏教によってのみ
すべての人が救われることを、
明らかにされたのです。

しかもこれは、決して道綽禅師の独断ではなく、
次のように
釈迦自身が『大集経』という経典に
説かれている
ことなのだと、
おっしゃっています。


「我が末法の時の中の億億の衆生、
行を起し道を修せんに、
未だ一人も得る者有らず
と。
当今は末法にしてこれ五濁悪世なり、
唯浄土の一門有りて通入すべき路なり。

●仏教を説かれた目的は

ここで、こんな疑問が起きる人も
あるかも知れません。
「聖道仏教では助からないのに、
なぜ釈迦は説かれたのだろうか」
「仏の説かれた教えを、
捨てよとは、もったいないのではないか」

もっともな不審ですが、例えでお答えしましょう。

ビルや学校、住宅など「建物」を建てる時には、
「足場」が必要です。
「足場」を設けずに、
「建物」を建てることはできません。
しかしその「足場」も、
建設を終えれば全部取り払われます。
工事が終わり、目的の「建物」が完成したのに、
まだ「足場」が建物を囲んでいる、
ということはないでしょう。
いつまでも残しておくと、
見栄えが悪く、不便で、
子供が遊んでケガをする危険もあるからです。

浄土仏教は、目的である「建物」にあたります。
お釈迦さまが仏教を説かれた目的は、
この浄土仏教、すなわち「弥陀の本願」一つを
説かれるためでした。

そのことは、親鸞聖人の『正信偈』のお言葉、

「如来所以興出世(釈迦如来が仏教を説かれたのは)
唯説弥陀本願海(弥陀の本願、ひとつであったのだ)」

で明らかです。
ところが、
世界最大級の建物を建てるには、
それなりの足場が要るように、
大宇宙最高の妙法である
「弥陀の本願」を明らかにする時には、
どうしても、それ相当の準備が必要だった。

その足場に当たるのが、聖道仏教なのです。
経典の数でいえば、7000冊余りの一切経のうち、
浄土三部経の三巻以外は、
すべて聖道仏教の経典です。
具体的には『法華経』『般若経』『涅槃経』『華厳経』
『金光明経(きんこうみょうきょう)』
『解深密教(げじんみっきょう)』などです。

すなわち、
浄土仏教という建物を建て、
弥陀の本願を鮮明にするために、
それら7000余巻の
膨大な聖道仏教の教えを足場となされた

ということです。

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しかし、建物が完成すれば足場は要らぬように、
すでに「弥陀の本願」が明らかになった今、
聖道仏教は必要ありません。

それどころか、
迷ってケガする人もあるので、
直ちに捨てなければなりません。

ですから、「助からない教え」を、
「それでは助からないから、捨てよ」
と教えるのは、
もったいないどころか、
釈迦の真意にかなったことになるのです。

もちろん、そのように「聖浄廃立」を叫んだならば、
いまだ釈迦の本意を知りえず、
聖道仏教に迷っている人たちからは、
激しい非難攻撃の嵐が吹き荒れることも、当然でしょう。

「弥陀一仏に向け」
と徹していかれた聖人の、
波瀾万丈のご一生を見れば明白です。

しかし、極悪の親鸞を救いたもうた、
広大無辺な弥陀のご恩を思えば、
どうして後ずさりできようか。
道綽禅師が、身命を賭して
「聖浄廃立」してくだされたばこそ、
弥陀の絶対の救いに親鸞、
いま遇うことができたのだ。
ご恩を深く仰がずにおれない
と、
そのご苦労を絶賛なされているお言葉が、

道綽決聖道難証(道綽は、聖道の証し難きを決し)
唯明浄土可通入(唯、浄土の通入すべきことを明かす)」

の二行なのです。

 

 


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法然上人、仏教とは弥陀の本願であることを明らかにする! [聖道仏教と浄土仏教]

 (真実の仏教を説かれている先生の書物「とどろき」から載せています。

本師源空明仏教(本師源空は仏教を明らかにして、)
憐愍善悪凡夫人(善悪の凡夫人を憐愍し、)
真宗教証興片州(真宗の教証を片州に興し)
選択本願弘悪世(選択本願を悪世に弘めたまう)
                               (正信偈)

「源空」とは、法然上人のことですが、
親鸞聖人にとっては、
先生ですから「本師」といわれているのです。
当時、法然上人は、「智慧第一の法然房」とか
「勢至菩薩の化身」といわれ、
日本一の仏教の大学者でした。
それは京都の大原で、
各宗派のトップの学者たち380余人を相手に、
たったお一人で7000余巻の一切経を
縦横無尽に引用して、
完膚なきまでに論破なされた有名な大原問答や、
法然上人のお書きなされた『選択本願念仏集』は、
当時の仏教界に水爆級の衝撃を
与えたことによっても明らかなことでした。

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●大原問答・・・・日本中の学者と大法論

親鸞聖人の師・法然上人は、
わが国始まって以来の大法論をなされています。

場所は京都大原の勝林院。
世に名高い「大原問答」です。
どのような法論であったのか。
法然上人の伝記には、
聖道門と浄土門、いすれが真実か。
日本国中の学者が集まり、火花を散らしての問答

とあります。
釈迦一代の仏教を、大きく分けると、
聖道門の仏教と、浄土門の仏教の2つになります。
聖道仏教は自力の修行で仏になろうとする教えで、
天台宗、真言宗、禅宗などを指します。
これに対し、阿弥陀如来の本願以外に
我々の救われる道はない、
と教えるのが浄土仏教です。

聖道門側は、比叡山、高野山、京都、奈良の
名立たる僧侶2000余人
勝林院を埋め尽くしたといいます。

対する浄土門側は、法然上人ただお一人
身の回りのお世話をする弟子が、
わずかに同行しただけでした。

「もし、お師匠さまが一言でも詰まられたら・・・」
と、ガタガタ震える弟子たちに、
上人はニッコリほほえまれ、

「この法然は幸せ者じゃ。
今日一日の問答で、
天下の学者たちを弟子にできるとは。
弥陀の本願を明らかにする、
またとない好機だ」
とおっしゃったといいます。
43歳の時に、
他力金剛の信心を獲得された法然上人は、
(阿弥陀仏に救われていたということ)
大自信にあふれていられました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まず、聖道門側から切りだす。
浄土門が、聖道門より優れているとは、
どういうことか

釈尊(釈迦)の教えに優劣はないが、
法は何のために説かれたものか。
衆生の迷いを転じて、仏覚に至らすためである。
衆生を救う点において、浄土門のほうが優れておる


2000余の学僧がどよめく。
「これは聞き捨てならぬことを」

法然上人は、静かに答えられた。
聖道門は、人を選ぶではないか。
経典を学ぶ知恵のない者、
修行に耐える精神力のない者は求められない。
欲や怒りのおさまらぬ者は、救われないということだ


「いかにも・・・」

さらに、厳しい戒律がある。
完全に実行できる人はどれだけあるのか。
大衆のほとんどは救われないではないか


「・・・・・」

しかし、浄土の法門は違う。
欲のやまぬ者も来い、愚者でも智者でも、
善人悪人、男も女も、全く差別がない。
平等に救われるのだ。
なぜならば、阿弥陀如来が、すべての人を、
必ず救い摂ると、本願を建てておられるからじゃ。
しかも、末法の今日、
聖道の諸教で救われる者は一人もないのだ


「何を、たわけたことを」

末法の今日、自力の修行では
一人もさとりを得る者はないと、
釈尊は説かれている。
これに対し、『大無量寿経』に説かれている
弥陀の本願は、
いつの時代になっても、始終変わらず、
一切の人々を救うと説かれている。
されば、すべての人の救われる道はただ一つ、
浄土の一門のみであることが明らかではないか


「・・・・しかし、阿弥陀如来以外の仏や菩薩に向くなとは、
言い過ぎではないか」


釈尊は、『大無量寿経』に、
一向専念無量寿仏と説かれている。
これは、あらゆる諸仏、菩薩、諸神を捨てて、
一向に専ら、阿弥陀仏を念ぜよ、ということである


「ううむ・・・」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

問答は一昼夜に及びましたが、
法然上人は、いかなる難問にも、
よどみなく答えられ、
すべての学者を論破されたのです。

聖道門の学者たちは、
心から法然上人の高徳に伏し、
「知恵第一の法然房」「勢至菩薩の化身」
とたたえたといいます。
阿弥陀如来の本願の素晴らしさを
知らされた2000余の大衆は、
異口同音に念仏を称え、三日三夜、
その声が山野にこだましたといわれます。

法然上人、54歳の出来事でした。

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●仏教界を震撼させた『選択本願念仏集』

天台や真言など、自力聖道仏教一色の時代、
弥陀の救いを説く浄土仏教を、
堂々開闡(かいせん)されたのが
法然上人でした

上人の『選択本願念仏集』は、仏教史上、
不滅の金字塔です。

その内容は「捨閉閣抛(しゃへいかくほう)」といわれ、
弥陀の本願以外はすべて「捨てよ、閉じよ、
閣け(さしおけ)、抛て(なげうて)」と、
聖道諸宗の教えを、徹底排斥されています。

理路整然、聖道門を打ち破る気魂(きこん)あふれた
選択集』は、
聖道諸師らを心底震え上がらせ、
仏教界に一大波紋を投げかけたのです。

このようなことから親鸞聖人は、
「私の先生の法然上人は、
仏教に精通されている方だった」
と称讃されている
のが、
「本師源空は仏教に明らかにして」です。

●苦しみ悩む人の世に

次に、
「善悪の凡夫人を憐愍して」
とは、善い人も悪い人も、貴い人も賤しい人も、
「すべての人を、哀れに思われて」
ということです。
それまでの仏教は、
「お山の仏教」ともいわれていたように、
家を捨て妻も子供も捨てて、
山に入って修行しなければ助からないという、
一般の人とは無縁の教えが
仏教のように思われていました。

ところが、その「山上の仏教」を山から下ろして、
一般大衆が、ありのままの姿で救われるのが
真実の仏教であることを、
明らかにされたのが法然上人だったのです。

法然上人は自らも比叡山を下りて、
吉水に草庵を結ばれ、
貴族も農民も男も女も差別なく、
すべての人が俗な生活のままで救われる教えこそ、
真の仏教であることを明らかにされました。

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それで親鸞聖人は、法然上人を、
「善悪の凡夫人を憐愍して」
と、その功績をたたえておられるのです。
次に、
「真宗の教証を片州に興し」
とは、「阿弥陀仏の本願」は、
真実の仏教であるから「真宗」と断定なされ、
その弥陀の本願の「教え」と「救い」を
「真宗の教証」といい、
「片州」とは日本のことですから、
「真実の宗教である阿弥陀仏の本願を、
日本に広められた」
ということです。
次の、
「選択本願を悪世に弘めたまう」
といわれている「選択本願」も、
その「阿弥陀仏の本願」のことであり、
苦しみ悩んでいる人の世は、みな「悪世」ですから、
「法然上人は、苦しみ悩みの悪世の日本に、
弥陀の本願を徹底して開顕してくだされたなればこそ、
この親鸞、今こんな幸せな身に
救い摂られることができたのだ」
と、法然上人のご恩に感泣なされている
『正信偈』のお言葉なのです。

 


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どの宗派がお釈迦さまの真意を伝えているのか!? [聖道仏教と浄土仏教]

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“仏教っていろいろな宗派があるけど、
どれでも同じなの?”

“うちは代々真宗だけど、
他の宗派と何が違うのかしら?”

そんな素朴な疑問を、抱えていませんか。
親鸞聖人に、お聞きしてみましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「本物の味を知る」

味覚の秋は、旬の魚や果物など豊富な時期ですが、
昔から、こんなことわざもあります。
「秋なすは嫁に食わすな」
これには3通りの説があり、

①秋なすは、とても美味しいから、
憎らしい嫁に食べさせるのはもったいない。
②秋なすは、身体を冷やすから、
大事な嫁に食べさせるのはよくない。
③秋なすは、種が少ないので、
子ができなくなるから嫁に食べさせてはならない。

嫁にとっては、「どれでもよい」と言えない、
この解釈。
どうも一番の説が有力のようです。
独り占めはいけませんが、ことわざになるほど、
ほかの季節のナスとは
一味も二味も違うということでしょう。

秋の味覚と言えば、松茸も欠かせません。
ある試食会に参加した奥さんから、
こんな話を聞きました。
最近は、安価な輸入品が目立つ松茸市場。
国産品は値段が高くて手が出ないが、
それほど味に違いはあるのだろうか。
皆で中国産、カナダ産、北朝鮮産、韓国産と、
食べ比べていった。
「あら、外国産も結構おいしいじゃない」
「これならほとんど国産と変わらないわ」
主婦たちの評価は上々だった。
やがて最後に出された、
国産松茸をパクリと口にした瞬間、
皆の動きが、ピタッと止まった。
「何、これ!?」「全然、違う!」
鮮度が命の松茸は、
どうしても輸入するまでに香りも味も落ちるもの。
国産品との差は明らかだったそうです。
本物に会う前は、「どれも似たようなもの」
と思っていても、本物に出会って、
本物が本物と分かってくる。
ハッキリ知らされる。
そんなことがよくあります。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●どう違う?「2つの仏教」

仏教とは、仏の説かれた教えということです。
この仏とは、約2600年前、
インドで活躍なされたお釈迦さまのこと。
35歳の12月8日に、
仏という大宇宙最高のさとりを
開かれたお釈迦さまが、
80歳でお亡くなりになるまで、
45年間、説いていかれた教えを今日、
仏教といわれます。

ところが、仏教といっても
いろいろな宗派がありますから、
「一体何が違うのだろう」
と疑問に思われる方も多いでしょう。

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しかし、いくつもの宗派がありましても、
大別すれば聖道仏教と、
浄土仏教の2つに分けれます。

聖道仏教とは、天台宗、真言宗、禅宗、
華厳宗、法相宗、律宗などを指します。
それに対して浄土仏教とは、
浄土宗や、浄土真宗をいいます。

「同じ仏教だから、どちらでもいい」でしょうか。
いいえ、決してそうではありません。
2つの仏教を、比べてみましょう。

●聖道仏教
      煩悩のさびを落とし、心のダイアモンドを磨け

まずは、聖道仏教です。
仏教の目的は、仏のさとりを得ることですが、
聖道仏教に共通する特徴の一つは、
「私たちの本性は、清らかな仏性である。
それが煩悩のさびによって曇っているから、
修行によってそのさびを落とし、
仏性を磨き出すことに全力を挙げよ」

というものです。
例えるなら、私たちは心の中にダイアモンドのような
素晴らしいものを持っている。
それが煩悩というゴミやホコリがついて見えなくなっており、
それが輝いていないのだ。
その煩悩の汚れやサビを、
修行により磨いていけば、
ピカピカに輝きわたる時が来る、
という考えです。
磨く方法こそ異なれ、
いずれの宗派も根底はこれしかありません。

(質問)煩悩とは、どんなものですか。

煩悩とは、「煩い(わずらい)、悩む」と書くように、
私たちを日夜、煩わせ悩ませる心で、
全部で百八あると教えられます。
大晦日に百八回突く除夜の鐘も、ここからきています。
来年こそは、欲や怒りの煩悩に煩わされないように、
との願いが込められているのでしょう。

百八の煩悩の中でも、
特に恐ろしいものが三つあり、
「三毒の煩悩」といわれます。

三毒とは、貪欲(欲の心)、瞋恚(怒りの心)、
愚痴(ウラミ、ネタミの心)の三つです。


○貪欲

貪欲とは、あれが欲しい、これが欲しいという欲の心です。
64億の人間の中で、欲のない人はありません。
代表的なものを五欲といい、
食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲の五つです。

食欲は、食べたい飲みたいという心です。
生きるためには仕方がないと、
死にたくないウシやブタ、ニワトリや魚など、
生き物の命をどれだけ日々奪っているでしょう。
一円でも多くのお金が欲しい、
物が欲しいという財欲のために、
遺産相続で肉親と骨肉相はむ争いを始めます。
男は女を、女は男を、
常に異性の関心を得ようと身を焦がし、
寸時も安からでないのが色欲です。
三角関係のトラブルは、古今を通して、
絶えたことがありません。
有名になりたい、褒められたい、
認められたいと焦っているのが名誉欲。
出世したい、一番になりたいと、
競争社会では地位や名誉を得るために、
人々は他人を欺き、蹴落としても平気です。
睡眠欲は、朝晩はもちろん、
暇があったら一分一秒でも長く寝ていたい、
楽がしたいと思う心です。
底なしの欲望は、
どこまでいっても満たされることはなく、
その欲のために、どれだけ恐ろしいことを
思い続けているかしれません。

○瞋恚

瞋恚とは、欲の心が妨げられると出てくる、
怒りの心です。

怒りという字は、心の上に奴と書きます。
あいつが邪魔するからだ。
こいつさえいなければと、
心の中で殺しているのが怒りであり、
激しいことは炎のようです。
人前で侮辱されたらどうでしょう。
「あいつのせいで、恥かかされた」
と一生忘れません。
逆上して、衝動のままに
親でも子供でも恩人でも切り刻み、
八つ裂きにします。
毎日のワイドショーでは、
そんな事例に事欠きません。

愚痴

愚痴とは、恨んだり、ねたんだりする心です。
他人の幸せは苦々しく、
他人の不幸がおもしろい心です。
にわか雨に遭って狼狽している人を見て、
喜ぶ心はないでしょうか。
犬にほえられ、困惑している人を見て、
笑ってはいないでしょうか。
艶々(えんえん)たる美人が泥道で足を滑らせ、
衣装を汚し、醜態を演じているのを見て
楽しんでいないでしょうか。
「お気の毒に」と口では言いながら、
ひそかにほくそ笑む心があることに
慄然とします。
醜い心がとぐろを巻いています。
このような心で悪を造り、
苦しんでいるのが私たちです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(質問)いかに煩悩に煩わされ、
悪を造っているか分かりました。
では、これらの煩悩はなくなるのですか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

親鸞聖人にお尋ねしましょう。
親鸞聖人は9歳で、当時、
日本の仏教の中心地であった
比叡山・天台宗の僧侶となられました。
聖道仏教の一つ、天台宗は『法華経』の教えに従い、
戒律を守り、煩悩と闘ってさとりを得ようとする教えです。
聖人は、その『法華経』の修行に打ち込まれました。
修業は峻烈(しゅんれつ)を極め、
言語を絶するものでした。
比叡山には今日でも、
千日回峰行なる荒行があります。
開山以来千数百年、
この修業を完遂した者はわずかという、
命がけの修業です。
叡山の麒麟児(きりんじ)といわれた聖人は、
その千日回峰行をしのぐ大曼(だいまん)の難行まで
成し遂げられましたが、
煩悩は減りもしなければ、
なくなりもしなかったとおっしゃっています。

●聖人が驚かれた
        「心の真実」

仏教では、私たちの行為を、
心と口と体の三方面から見られます。

思うこと、言うこと、やることです。
中でも、最も重視するのが心の行為です。
なぜなら、体や口の行いは、
心の指示によるからです。

いわば心が火の元であり、
体や口の行為は火の粉に例えられましょう。

「戦争は心の中ではじまるのだから、
平和の砦は心の中につくらねばならぬ」
とはユネスコ憲章の宣言です。
残虐非道の戦争も、根元は心と見ての訴えでしょう。
消火も火元に主力が置かれるように、
仏教は常に、心の動きに視点が置かれます。

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親鸞聖人が驚かれたのは、
この心の真実でした。

修行中のある日、聖人は比叡山のふもと、
赤山明神の前で、美しい女性に出会われます。
以来、滝に打たれても、読経していても、
その女性のことが忘れられなくなってしまわれた。
抑えようとすればするほど、
ますます愛欲の炎は噴き上がる。

「この親鸞ほどあさましい者はない。
上辺こそ立派にふるまっているが、
心では女性のことばかり
思い続けているではないか!」
頭の毛についた火をもみ消すほどの
真剣さでされても、心の悪だけは
どうすることもできなかったのです。

歎徳文』という古書に、
生々しい苦闘が記されています。

「定水を凝らすと雖も識浪頻に(しきろうしきりに)動き、
心月を観ずと雖も妄雲猶覆う」(歎徳文)

静寂な夜の山上で、
修業に励まれる聖人が、
ふと見下ろす琵琶湖の湖水は、
月光に映えて鏡のようだ。

「あの湖水のように、なぜ、心が静まらぬのか。
思ってはならぬことが思えてくる。
考えてはならぬことが浮かんでくる。
恐ろしい心が噴き上がる。
どうしてこんなに、欲や怒りが逆巻くのか。
この心、何とかせねば・・・」

平静な湖水に比べて
渦巻く煩悩に泣かれる聖人が、
涙に曇る眼を天上に移すと、
月はこうこうとさえている。

「あの月を見るように、
なぜ、さとりの月が見れぬのか。
みだらな雲がわき上がり、
心の天を覆い隠す。
こんな暗い心のままで、
死んでいかねばならぬのか」

吸う息吐く息に、
永遠の苦患(くげん)に沈む自己を知られて、
いても立ってもおれぬ不安に襲われる。
こんな一大事を持ちながら、
どうして無駄な時を流せよう。
早く俗念を投げ捨てて、
この大事を解決せねば。

一刻の猶予もなかった聖人は、
20年間の天台・法華の教えに絶望なされ、
ついに、下山を決意されたのです。

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●諸仏に捨てられた
       「煩悩具足の凡夫」

だれよりも真剣に心を磨こうと
努められて知らされた人間の実態を、
親鸞聖人は、
煩悩熾盛(ぼんのうしじょう)の衆生」(歎異抄
と言われています。
「熾盛(しじょう)」とは、燃え盛るということ。
欲や怒りの煩悩が、燃え盛っているのが人間(衆生)である、
ということです。
これをまた、「煩悩具足の凡夫」とも言われます。
「煩悩具足の凡夫」とは、
煩悩に目鼻をつけたような人間、
ということです。

ちょうど、雪だるまは雪でできていますから、
雪を取ったら何も残らないように、
人間から煩悩を取ったら何も残らない。
私たちは百八の煩悩を持っているどころか、
煩悩の塊であるということです。

かかる煩悩具足の我々は、
「仏法修行の器にあらず」と、
諸仏からも見捨てられた極悪人であると
釈尊は説かれています。

今は蓮如上人にお聞きしましょう。

「十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人も、
空しく皆十方・三世の諸仏の悲願に洩れて、
捨て果てられたる我等如きの凡夫なり」
             (御文章)

「十悪・五逆の罪人」「五障・三従の女人」とは、
煩悩で悪を造り、苦しんでいる私たちのこと。

「空しく皆十方・三世の諸仏の悲願に洩れて」とは、
大宇宙にまします仏方が、
何とか救ってやりたいの慈悲心を
起こしてくだされたのですが、
残念なことに、私たちの罪業があまりにも重く、
とても救済することは不可能だったのです。

だから、「捨て果てられたる」とあるように、
私たちを捨てて逃げられた、
つまり我々は諸仏に
見放されてしまったのです。
いかに私たちの罪悪が
深重であるかが知らされましょう。

・・・・・・・・・・
浄土仏教
  極悪を、捨てず裁かず
       摂め取る(おさめとる)
・・・・・・・・・・

諸仏からも見放された、煩悩具足の私たち、
しかし、他人に嫌われるような子供は、
なおかわいい親心のように、
大宇宙の諸仏に見捨てられた極悪人なら、
なおさら捨ててはおけぬと、
大悲やるせなく、
何とか救わねばならないと
立ち上がって下されたのが、
阿弥陀仏といわれる仏です。

ゆえに私たちは、
阿弥陀仏のお力によってのみ
救われることができる、
と説くのが浄土仏教です。

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(質問)阿弥陀仏とは、どんな仏さまですか。

「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」
といわれるように、
地球上で、仏のさとりを開かれた方は、
お釈迦さまただお一人です。
そのお釈迦さまが、
「私の尊い先生を紹介しに来たのだよ」と、
私たちに教えてくだされたのが、
阿弥陀仏といわれる仏さまです。

蓮如上人は、
「ここに弥陀如来と申すは、
三世十方の諸仏の本師本仏なれば」(御文章)
と、明らかにされています。
三世十方の諸仏とは、大宇宙のすべての仏。
本師本仏とは先生ということですから、
この意味は、
「阿弥陀仏は、大宇宙のあらゆる仏の先生である」
ということです。
もちろん、釈迦も十方諸仏の一仏ですから、
阿弥陀仏の弟子・生徒ということになります。


●諸仏の遠く及ばぬ
      「十二光」

阿弥陀仏が、本師本仏とあがめられるのは、
阿弥陀仏の、私たちを救うお力が
ズバ抜けているからです。

仏法では、仏の念力、仏力を「光明」といいますが、
『大無量寿経』には次のように喝破されています。

「無量寿仏(阿弥陀仏)の威神光明は
最尊第一にして諸仏の光明の
及ぶこと能わざる所なり」

“阿弥陀仏のお力は、
諸仏をはるかに超えてずばぬけている”

この弥陀のお力を、十二とおりに分けて教えられたのが、
「十二光」といわれているものです。
順に解説しましょう。

①無量光

阿弥陀仏の寿命には限りがないので、
無量光といわれます。
過去、現在、未来にわたり、
常にはたらいてくださっているのが無量光です。

②無辺光
十方世界(大宇宙)で、阿弥陀仏のお力の届かない所は
ありませんから、無辺光といわれます。
どこで何をしていても、絶対の幸福の身に救わんと、
はたらいてくださっているのです。

③無碍光
太陽の光もエックス線も、障害物があれば通りませんが、
阿弥陀仏の光明は、何ものも遮ることはできません。
罪悪深重の我々が救われるのは、いかなる煩悩、罪業にも
妨げられない無碍光なるがゆえです。

④無対光
阿弥陀仏のお力は、他の何ものとも比べることはできません。
「諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり」とあるように、
大宇宙の諸仏方からも見捨てられた私たちを助けられるのは、
阿弥陀仏だけです。

⑤光炎王光
阿弥陀仏のお力は最尊第一、
諸仏の中の王なり、といわれます。
その絶大なお力によって、
人間界に生を受けることができたのです。

⑥清浄光
貪欲を照らすはたらきです。
救われても欲の心は変わりません。
それが清浄光に照らされて、
懺悔となり歓喜になるのです。

⑦歓喜光
瞋恚を照らすはたらきです。
怒りは、すべてを焼き尽くす恐ろしい心です。
それが、歓喜光に照らされて、
懺悔となり歓喜になるのです。

⑧智慧光
智慧がないために、
因果の道理が分からないバカな心が愚痴です。
自らの不幸を他人のせいにして恨み、
他人の幸福をねたみ、そねむ。
そんな者を照らして、
「バカだなあ」と知らせてくれるのです。

⑨不断光
途切れることのない阿弥陀仏のお力をいいます。
「憶念の心つねにして、仏恩報ずるおもいあり」
と親鸞聖人はおっしゃっています。
不断光に照らされるから、
阿弥陀仏のご恩を忘れがちな身を、
思い出しがちにさせていただけるのです。

⑩難思光
十二光のはたらきは、心も言葉も絶えたものです。

⑪無称光
とても言葉に表せないお力です。

⑫超日月光
太陽や月の光をも超えた光である、ということです。

このように、阿弥陀仏のお力には限りがなく、
どんな極悪人をも救い切ることができるので、
親鸞聖人は、
「願力無窮(がんりきむぐう)にましませば
罪業深重もおもからず
仏智無辺にましませば
散乱放逸もすてられず」(正像末和讃)
とおっしゃり、
「十方の諸仏に見捨てられた
極悪最下の親鸞が救われたのは、
ひとえに阿弥陀仏の十二光のお力であった」
と、
阿弥陀仏の偉大なお力を、
『正信偈』にも讃歎なされているのです。

●仏教の結論
      「一向専念無量寿仏」

果たして釈尊は、最後に、
「一向専念無量寿仏」(大無量寿経)
と説かれています。

無量寿仏とは、阿弥陀仏の別名ですから、
「すべての人々よ、一向に専ら阿弥陀仏を念ぜよ」
ということです。
あらゆる諸仏、菩薩、諸神を捨てて
一心一向に専ら
阿弥陀仏一仏を信ずる以外に、
一切の人々の助かる道はない。

29歳の春、弥陀の本願に救い摂られた聖人は、
浄土仏教こそ、
「煩悩具足のわれらが救われる
本当の仏教だった」

ハッキリと知らされ、90年のご生涯、
一向専念無量寿仏」一つを
叫び続けていかれたのです。


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聖道仏教は消え、浄土仏教のみ残る。 [聖道仏教と浄土仏教]

聖道仏教は、時代の流れによって廃れ、やがて無くなります。
聖道仏教とは、華厳、天台、法華、真言、禅宗など修行をして
自力で助かろうとする教えです。
お釈迦さまご自身が、説かれていることですが、
「正法、像法、末法と、時代が下るとともに仏教が衰え、
やがて滅する時期が到来するであろう。」
と、さらに次のようにおっしゃっています。

釈迦の死後、最初の五百年間「正法」は、教えがあり、
その教えの通り真面目に修行する者があり、
それによってある程度まで証る(さとる)者もある。
教・行・証、いずれも残るであろう。

教・・・教え
行・・・修行する者
証・・・さとる者(さとる者といっても、低いさとりに過ぎない)

ところが、次の一千年間「像法」には、教と行のみあって、
証る者は無くなるであろう。

さらに時代が下って「末法」になると、教えは残っていても、
行・証かなわぬ時期となる。

そして末法一万年の後、釈迦の教法はことごとく滅尽し、
ついには「教・行・証」いずれも絶えて無くなる「法滅」
の時期に入るであろう。







時代
正法
像法×
末法××
法滅×××


それに対して、浄土仏教、すなわち『大無量寿経』に説かれている
「阿弥陀仏の本願」は、正法、像法、末法、法滅の時代になっても、
始終変わらず一切の人々を救うと説かれています。


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聖道仏教ではなぜ助からないのか? [聖道仏教と浄土仏教]

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親鸞聖人の主著「教行信証」

聖人の代表的著作
     三重廃立の教え

親鸞聖人の代表的著作と言えば『教行信証』である。
聖人の教えは、すべて、このお聖教の中に記されており、
故に、浄土真宗の根本聖典となっている。
『教行信証』を知らずして、
親鸞聖人のみ教えを知ることはできない。

では、何が説かれているのか。
ズバリ、「三重廃立」である。
「廃立」とは、捨てものと、ひろいもの、の意である。
全人類が、真実の幸福を獲得するためには、
三つのものを捨て、
三つのものを信じなければならない。

三重廃立とは、こうだ。
内外廃立・・仏教以外の全宗教を捨てて、仏教を信じよ。
聖浄廃立・・聖道仏教を捨てて、浄土仏教を信じよ。
真仮廃立・・浄土他流を捨てて真宗を信じよ。

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聖道仏教を捨てよ

今回は、「聖浄廃立」について、明らかにしよう。
「聖」とは聖道門自力の仏教のことであり、
宗派で言えば、天台宗、真言宗、禅宗などが代表と言える。
「浄」とは、浄土門他力の仏教であり、
浄土真宗、浄土宗などである。
「廃立」は前述の如く、
捨てるべきものと、信ずべきものであり、
親鸞聖人は、徹底的に、
聖道仏教を捨てよ、浄土仏教を信じよ、
と叫んでゆかれた。

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聖道権化の方便に
衆生久しくとどまりて
諸有(しょう)に流転の身とぞなる
悲願の一乗(いちじょう)帰命せよ

         (親鸞聖人)

聖道仏教という方便の教えを、
多くの人が真実の仏教と勘違いして、
長らくそこにとどまっているから、
たちまち短い一生が終わって、
迷いの世界に流転輪廻してしまう。
人々よ早く、聖道仏教を捨て、
全人類の救われる唯一絶対の教えである、
阿弥陀仏の本願に帰命せよ

『正信偈』の中にも、説かれている。
「道綽決聖道難証(どうしゃくけっしょうどうなんしょう)
唯明浄土可通入(ゆいみょうじょうどかつうにゅう)」

道綽は、聖道の証し難きことを決し、
唯、浄土の通入すべきことを明かす」と読む。

中国の高僧、道綽禅師は、聖道仏教では、
人々が救われないことをハッキリと教えられ、
唯一、浄土門他力の仏教こそ、万人の救われる道たることを
明確に説き切られた。

親鸞聖人は、その功績を讃えられ、
『正信偈』に記述しておられるのだ。

天台宗、真言宗といえども釈迦の説かれたみ教えなのに
何故に親鸞聖人は排斥されるのだろうか。

その前に、釈尊の教えは一つの筈なのに、
多くの宗派が存在するのは、何故なのか。
説明しなければならない。

仏教の目的は成仏
    手段の相違が宗派を生む

仏教とは、仏の教えであり仏になる教えである。
「仏」とは何か。
これは仏教でいう「さとり」の一名称なのだ。
仏教では、「さとり」という言葉をよく使うが、
さとりには、五十二の位がある。
それぞれに名前がつけられている。

例えば千三百年ほど前の中国で、天台宗を開いた天台は、
生涯独身を貫いて、仏道修業に打ち込んだ人物である。
天台の臨終に弟子が尋ねた。
「師は、いずれの位をさとられましたか」
その時、天台は正直に告白した。
「下から九段目の五品弟子位(ごぼんでしい)までしか
到達できなかった。
もし、私が、大衆の教化に時間を費やすことがなければ、
下から十段目の六根清浄位は獲ていただろう」

一宗一派を開いた程の人物にしてわずか九段。
如何に、さとりの階段を上るのが困難かが分かる。
仏の覚り、とは、この五十二位中の最上の位を言う。
五十二段目である。
これ以上の覚りはないから無上覚とも言い、
妙覚ともいう。
涅槃、大覚、無上正真道(むじょうしょうしんどう)などみな、
仏のさとりの異名である。
これに達した方のみを仏というのである。

釈尊の場合、生老病死の人生の無常を感じられて、
29歳で出家され、35歳までの6年間の難行苦行の末、
遂に35歳12月8日に、仏の覚りを極められたのである。
成仏得道、とこれを言う。
仏道修業は成仏得道、仏のさとりに達する事が目的である。
そこに、一切の苦悩から解放された世界があるのだ。

釈尊は、仏のさとりに至る修行を種々に説かれた。
目的は同一でも、手段が異なることはある。

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分け登る
ふもとの道は 異なれど
同じ高嶺(たかね)の
月を見るかな

この古歌の意味は
「登山する人は、いろいろな方角から登るが、
同じ頂上で、同じ月を見るのだ」
というものである。
富士山で言うならば、東から登れば御殿場口、
西から行けば浅間口、
北側からならば自動車道路スバルラインで5号目までは快適だが、
そこから頂上までは、やはり歩かねばならぬ。

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同様、仏の覚りを開いて眺める真如の月は同一でも、
修業方法は宗派によって異なる。

座禅の行を主とする禅宗、
彼らは、「只管打坐」ただすわれ、と言う。
天台宗は『法華経』に説かれる行を実践し、
真言宗は、『大日経』に従うのだ。
『華厳経』を所依(しょえ)とする華厳宗もあれば、
『涅槃経』に基づく涅槃宗などもある。
『浄土三部経』をよりどころとするのは
浄土真宗、浄土宗などである。

いずれも、目的は、成仏得道であるから、
それが見失われたら、もはや仏教ではない。

千日回峯行(せんにちかいほうぎょう)にみる
      自力難行道

数多ある宗派を、親鸞聖人は、
どのように、二種類に分類されたのか。

仏のさとりに向かうのに、
あくまでも、自力の難行で行こうとするものを、
自力聖道仏教
と言われ、
自力では到底仏果に達することはできない。
阿弥陀仏の本願に救われて、五十一段高飛びをし、
あと一段で仏という等正覚、正定聚(しょうじょうじゅ)の位に
入ろうとする教えを他力浄土仏教
と言われるのだ。

「他力」とは、阿弥陀仏のお力のみを言う。
他人の力、自然の力などの意味ではない。
親鸞聖人は、9歳から29歳まで、
自力聖道仏教たる天台宗で修業され、
29歳の御時、法然上人との運命的な邂逅(かいこう)により、
阿弥陀仏の本願力不思議に摂取されたのである。

自力と他力、聖道門と浄土門、双方を体験された聖人が、
聖道仏教を捨てよ、と教えられている。

そう教えられたのには種々の理由がある。
まず第一に「自力難行道」と言われる如く、
修業そのものが常人には到底為し難い(なしがたい)ほど
難しい点にある。

2、3例あげてみよう。
滋賀県比叡山の天台宗は、
『法華経』の教えの通りに修業しようという宗派であるが、
有名な、千日回峯行という荒行がある。
千日回峯行を成就した、というだけで、
新聞やテレビに紹介されるほどの凄まじい行なのだ。
修業の期間は8年間。
1年目から6年目までは、毎年百日ずつである。
百日間毎日、午前2時に起き、比叡山に設定された7里半、
30キロの行者道を歩くのだ。
この間、塔堂伽藍、山王七社、霊石、霊水など、
350ヶ所で所定の修業をする。
雨風雪でも中断はできない。
中断したならば、持参の短刀で自害するのが、
江戸末期まで、山の掟となっていた。
病気、事故でも、同様である。
伝教(でんぎょう)が山を開いてより、
幕末までわずか300人しかいないといわれるから、
随分、途中で切腹して果てた修行僧がいたに違いない。

6年間で600日頑張ると、
7年目は、一年間に200日と日数が倍加する。
その間、700日目に入った時には、
天台宗で「生き葬式」といわれる「堂入り」という修業がある。
堂に入って断食、断水、不眠、不臥(ふが)のまま、
9日間も、真言を唱え、経典を読み続けるのだ。

断食・・・食物を一切とらない。
断水・・・水を断つ。普通、3、4日も水を断つと
     生命が危険といわれる。
     それを9日間である。
不眠・・・「真言」を10万回唱えたり、
      経典を読んだりする。ねない。
      一日一回だけ、堂から出ることは許されるが、
      それは「水取り」といって、小便に行く時だけなのだ。
不臥・・・横たわってもいけない。

この堂入りを成し遂げた人の体験談。
「堂に入ってボンヤリしているのではなく、
たえず、経文を読み、誦文(じゅもん)を唱えているので、
口の中に水気がなくなりやがて、
口の中に粘膜を張ったようになり、
睡魔との闘いで、頭がガンガンしてくる。
それをすぎると、ある感覚が異常に研ぎ澄まされ、
線香の灰の落ちる音さえ『ドサッ』と聞こえる。
灰の落ちていく有様が、スローモーションのように見えてくる。
最後はほとんど意識を失った状態になる」

この9日間の堂入りが、
如何に至難なことか、比較してみよう。
親鸞聖人は19歳の時、
大阪磯長(しなが)の聖徳太子廟(びょう)を訪ねられた。
その時、自らの後生の一大事の解決を祈願して堂に籠もられた。
その折りも不眠、不休、断食、断水であったが、
3日間こもられた時、遂に意識不明で昏倒してしまわれた。

その夢の中に聖徳太子が現れて
「汝が命根(みょうこん)、応に(まさに)十余歳なるべし」
という一文を含む、夢告(むこく)をなされたのである。
磯長の夢告といわれ、
親鸞聖人の求道に大変な衝撃を与えている。
19歳といえば、体力的には、最高潮の時であろう。
その時期の親鸞聖人でさえ、3日間で意識不明になられたのだ。
9日間の堂入りが如何に至難の行であるか知られる。
親鸞聖人はそれ以後に、大曼の難行という、
千日回峯行のような行を果たしておられるから、
別の機会では、9日間の堂入りのような行も、
達成されたのであろう。

堂入りで終了ではない。
801日目から1000日にむかう最後の一年間は大回りといい、
修業コースが大幅に延びる。
21里、84キロメートルの道のりを日々修業するのだ。
オリンピックのマラソンの距離が、42.195キロであるから、
その倍の長さである。
オリンピックの金メダルの選手が走っても、
4時間以上かかるのだ。
そのようなコースは比叡山では設定できないので、
山を降りて、一乗寺、平安神宮、祇園と市街地を走る。
1日17~8時間かかるのだ。
それを年間200日、1日も休まず続けねばならない。
30年ほど前、それを達成したS氏は、
苦しかった体験を述べている。
「修業の途中、イノシシに追っかけられて、
左足を痛めた。
足が倍くらいにはれて、
このままでは行が中断されると思って
短刀で切開してうみを出し、
血まみれで歩き通した。
その足で泥水の中も歩いたのに破傷風にもならず、
やり遂げることができた」
これだけ修業しても、仏果にはほど遠い、
初歩の段階でしかないのだ。
こんな修業を誰ができるというのか。
まさに難行道といわれる所以である。

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四十段までが退転位
   少しの油断も許されぬ

自力聖道の修業が難しいのは、さとりの五十二位中、
四十位までが退転位である点にもある。

退転位とは、退き、転がるの意で、
四十段までは、さとりを開くと言っても、
少しでも油断すると、たちまち崩れてしまうのだ。

法然上人と同時代、華厳宗に明恵という学僧がいた。
ある日、弟子が明恵の好物の雑炊を造って部屋に運んだ。
「おお、雑炊か」と、早速、
箸を手に一口食べた明恵の顔が曇った。
すると、何を思ったのか、明恵、茶碗を持ったまま立ち上がり、
障子に近寄って、桟にたまっていた埃を指ですくい、
雑炊にかけ始めた。
折悪くし、2、3日前から、弟子たちが掃除を怠っていたのである。
無言のうちにも、
その事を厳しく指摘されていると思った弟子は恐縮して、
いかにもまずそうに埃のかぶった雑炊を
黙々と食べ続けている明恵を見つめていた。

やがて食事を終えた明恵、
「先ほど、ワシは奇妙なことをしたであろう」
「まことに申し訳ございません。
お部屋のそうじをいたしておりませんでした」
「いやいや、そなた達のそうじのことをとやかく思ってのことでない」
「では、一体なぜ、あのようなことを」
「恥ずかしい事だが、お前の造ってくれた雑炊が、
あまりにも美味しかったので、一口食べたときに、
自分の心の中に美味しい食べ物に対する執着の心がムクムクと、
蛇の鎌首を持ち上ぐるように起こってきたのだ。
おいしい雑炊を作ってくれたお前の親切心だけを
味わえばよいのに、
余りに味が美味しかったので、味覚のとりこになろうとした。
ワシの心は実にあさましい限りだ。
だから、あわてて埃を入れて折角ながら、
おいしい味を消していただいたのだ。
これでやっと口先の誘惑からまぬがれることができた」
おいしい食べ物に心を奪われれば、心にスキが生じ、
さとりが、退転してしまうのだ。

それほどに油断なく自らを律していた明恵にして、なお、
さとりが退転してしまったことを記述している。
ある時、師匠から拝領(はいりょう)した念珠を手に
境内を散歩していた。
その時、ふとした油断から数珠を落としてしまった。
念珠は、仏を礼拝する時の大切な仏具である。
もとより大切に扱うべきであり、地面に落とすなど、
もっての外である。
特に聖道仏教は、こうした作法がやかましい。
「しまった」と思った明恵、咄嗟に、
もう一方の手で落ちてゆく念珠を受け止めたのである。
その時、「ああ、よかった」
と思った一瞬の心のゆるみから、
さとりが崩れてしまったというのである。

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四十一段目の不退転位に至るまでは、
そのように一瞬の油断も許されないから、
そんな所を難行苦行で極めていこうとする自力聖道仏教は、
我々凡夫の救われる教えではない。

千日回峯行にしろ、明恵の覚悟にしろ、
常人の想像を絶するような、
意志堅固な求道心の持ち主でなければ進めない。

自力聖道の菩提心
心も言葉も及ばれず
常没流転の凡愚は
いかでか発起せしむべき

      (親鸞聖人)
我々凡夫が、どうしてそのような、
自力聖道の菩提心を起こすことができようか。

親鸞聖人のご和讃が深くうなずかれるではないか。


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仏教とは「阿弥陀仏の本願」のことである。 [聖道仏教と浄土仏教]

すべての人を
    等しく救う弥陀の本願

顕示難行陸路苦
(難行の陸路の苦しきことを顕示し、)
信楽易行水道楽
(易行の水道の楽しきことを信楽せしめたまう)


これは龍樹菩薩の教えられたことを、
親鸞聖人が明らかにされているお言葉です。
大意はこうです。

“「難行」の教えでは誰も助からない。
すべての人の救われる道は、
阿弥陀仏の本願しかないのだから、
早く弥陀の本願を聞きひらき、
無上の幸福に救われてもらいたい。

龍樹菩薩は我々に、かく勧められているのである”
今回は、この二行について学びましょう。

●難行道と易行道

まず「難行」「易行」と言われているのは、
「難行道」の仏教と「易行道」の仏教のことです。

「難行道」の仏教とは、
“捨家棄欲(しゃけきよく)”といって、
妻子家族を捨てて深山幽谷に入り、
欲や怒りの煩悩と闘う難行苦行によって、
仏のさとりを得ようとする教えです。

現在も日本にある宗派でいえば、
天台宗、真言宗、禅宗、華厳宗などで、
聖道諸宗ともいわれています。


例えば比叡山の天台宗は、
『法華経』の教えに従って戒律を守り、
さとりを開こうとする宗派で、
今日でも「千日回峯行」といわれる荒行があります。
真夜中の零時前に起床して、
山上山下の行者道を三十キロ歩くのです。
この間、堂塔伽藍や山王七社、霊石、霊水など
約三百カ所で所定の修行。
無論、雨風雪、病気になっても
やめることはできない。
もし途中で挫折した時は、
持参の短刀で自害するのが
山の掟になっています。
初めの三年間は毎年百日、
次の二年間は毎年二百日、
その翌年は百日、最後は二百日間、
休まず修行しなければならず、
とりわけ大変なのが、
最後の年に百日続ける「大回り」です。
山を下りて京都の修学院から一乗寺、
平安神宮、祇園と一日八十四キロを十七、八時間で
回る生死関頭の苦行です。
最澄が叡山を開いてより今日まで、
やり遂げた人は数える程で、
文字通り命がけの修行です。
それでも、仏のさとりには程遠い、
初歩の段階といわれます。

このように「行ずることが難しい教え」
ゆえに「難行道」と言われているのですが、

これは龍樹菩薩が身をもって知らされたことでした。

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●龍樹菩薩でさえ

今日まで、五十一段のさとりの最高位である
仏覚に到達された方は、
二千六百年前、インドで活躍された
お釈迦さまお一人です。

その釈迦に次いで高いさとりを開かれた方が、
龍樹菩薩です。
仏門に入られて当初は、難行の道を進まれ、
四十一段まで覚られました。

面壁九年で手足腐るほど修行に打ち込んだ、
あの達磨大師でも
三十段そこそこであったと言われます。
中国天台を開いた智者(天台大師)も臨終に、
「ただ五品弟子位(十段に満たない位)あるのみ」
と告白しています。

これらと比較しても、
自力修行によって四十一段のさとりを
開かれた龍樹菩薩が、
いかに人並み外れて優れた方が、
知られましょう。
今日も仏教の諸宗派から尊敬され、
「小釈迦」とか「八宗の祖師」と
仰がれているのも分かりますね。

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ところが、です。
その龍樹でさえも、
「『難行』の教えは険しく苦しい道だから、
とても仏覚まで到達することはできない。
意志薄弱、儜弱怯劣(ねいじゃくこれつ)の
私ごとき者の進める道ではなかった」

と知らされ、
真に魂の救われる道を探し求め、
ついに「阿弥陀仏の本願」によって
絶対の幸福に救い摂られたのです。

(※儜弱怯劣とは、悪い、弱い、卑怯な、
愚劣なものという意)

「本願」とは「誓願」とも言われ、
お約束のこと。
大宇宙にまします無数の仏方の師(本師本仏)である
阿弥陀仏は、
「どんな罪悪深重の者も、
平生の一念に必ず絶対の幸福に救い摂り、
死ぬと同時に浄土で仏のさとりを開かせる」
と、とてつもない約束をなされています。

欲や怒り、妬みそねみ一杯の私たちが、
この世も未来も無上の幸せに救われるのは、
ひとえにこの本願力不思議、
弥陀の独り働きによってですから、
弥陀の救いを「易行道」と
龍樹菩薩は言われているのです。

●陸路と水道

この「難行道」と「易行道」との違いを、
分かりやすく「難行の陸路」
「易行の水道」と仰っています。
目的地に行こうとする時に、
テクテク歩いていく「陸路」の道は、
山あり谷ありで、石につまずいてケガをしたり、
雨に打たれて難儀したりと、
つらい苦しい道になります。

それに対して、船に乗って船頭まかせ、
重荷を下ろし、風に吹かれて海
や河川の水面を滑るように進む「水道」は、
大変楽しい道でしょう。
同様、難行苦行の教えでは
一人も助からないのだよ、
すべての人を安楽浄土の幸せに
生かして下さるのは、
阿弥陀仏の本願しかないのだから、
弥陀一仏に向け、弥陀のみを信じなさい。

このように龍樹菩薩は、非難迫害の嵐の中、
熱烈に布教して下されたおかげで親鸞、
弥陀の本願を知らされ、救われることができたのだ、
なんと有り難いことなのかと、

厚きご恩に合掌感泣されているお言葉が、
「難行の陸路の苦しきことを顕示し、
易行の水道の楽しきことを
信楽せしめたまう」
の二行です。
これはそのまま、仏教を説かれた
お釈迦さまの真意でした。

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●仏教は弥陀の本願一つ

釈迦が、八十年の生涯、
説いていかれた教えを今日、
仏教といわれます。
その教えのすべてが書き残されているのが、
七千余巻の一切経。
仏教とはどんな教えかを知るには、
その一切経を読まねばなりませんが、
漢字ばかりで、しかも一字一句に
深遠な意味がありますから、
誰でも彼でも読めるものではありませんし、
正しく理解できるものでもありません。
今日、世界の光と仰がれている親鸞聖人は、
その一切経を何度も読破されて、
『正信偈』にこう断言されています。

如来所以興出世
唯説弥陀本願海

この意味は、
「釈迦が仏教を説かれたのは、
阿弥陀仏の本願ひとつを
明らかにするためであったのだ」

と仰ったお言葉です。
簡潔に言えば、
「仏教=阿弥陀仏の本願」
ということ。
「阿弥陀仏の本願以外に、仏教はない」
と断定されている、
親鸞聖人のお言葉なのです。

そして、
「決してこれは、親鸞の独断ではない。
インド・中国・日本の七高僧方が、
明言されていることなのだ」

と、同じく『正信偈』に、

印度西天之論家
中夏日域之高僧
顕大聖興世正意
明如来本誓応機

インド・中国・日本に現れられた
七人の高僧方は皆、
“仏教を説かれた釈迦の本意は、
どんな人も救う弥陀の誓願一つであった”
と明らかにされている」

と仰っていることも、
繰り返しお話してきました。

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続いて、その七高僧の筆頭である「龍樹菩薩」が、
弥陀の本願を明らかにされ、
勧めておられることを聖人は、
「顕示難行陸路苦
信楽易行水道楽」
と仰って、
釈迦の真意は、捨家棄欲(しゃけきよく)の
難行道ではないのだよ。
出家も在家も等しく救う
弥陀の本願ひとつが仏教なのだ。

みな人よ、早く弥陀の本願を聞信し、
浄土で仏になれる身になってもらいたい

と教示されているのです。

これでお分かりのように、
弟子である釈迦が、
本師本仏の阿弥陀仏の御心を、
生涯、明らかにされた教えが仏教なのです。

分かりやすく言えば、こういうことです。
阿弥陀仏がお釈迦さまに、
「釈迦よ、私の心を、
地球の人たちに伝えてきなさい」
と命じられた、
その通りに釈迦が地球に現れられて、
弥陀の御心ひとつを説かれた。

されば「仏教=阿弥陀仏の本願」であり、
「弥陀の本願(御心)以外に、
釈迦の教え・仏教はない」
ことも、当然と知られるでしょう。


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どの宗派が後生の一大事解決できる教えなのか? [聖道仏教と浄土仏教]


いろいろな宗派があるのはなぜ?

お釈迦様の教えは一つのはずなのに、
なぜ仏教はいろいろな宗派に
分かれているのだろうか?
と思われる方は多いと思います。

それは、膨大な一切経の中で、
どれが釈尊の本懐経なのか
意見が分かれるためです。

華厳経が釈迦の本心であるとする華厳経、
大日経こそが釈迦の正意だとする真言宗、
解深密教だと言うのが、法相宗、
法華経だと言うのが、天台宗や日蓮宗です。
また、禅宗のように涅槃経を用いながら、
特によりどころの教典を立てないものもあります。

親鸞聖人は、
「それ真実の教を顕さば、
すなわち『大無量寿経』これなり」と言われ、
『大無量寿経』こそが、
釈迦の出世本懐経だと断定されています。


果たして真実の経は何か、
後生の一大事の解決を求める我々にとっては、
捨てておけぬ問題です。

それで過去から幾たびも法論がなされてきました。
法論とは、仏法上の争いのことで、
教典のご文を根拠にして、
どちらが正しいか論争することです。

大無量寿経か法華経か

中でも古来、最も問題になってきたのが、
『大無量寿経』と『法華経』です。

この二つはともに深法といわれる大事なお経です。

一切経の中でも、
深法とあるのはこの二つだけでしょう。
しかし、どの時代でも『法華経』に
軍配が上がったためしはなく、

常に『大無量寿経』が勝利を収めています。

法華経はすでに高い悟りを
         得ている者だけが救われる教え

仏教は対機説法(機=人間に対して法を説く)
といわれるように、
経典にはそれぞれ、説かれた相手があります。
法華経には、
「この法華経は深智のために説く、
浅識はこれを聞いて迷惑して悟らず、
一切の声聞及辟支仏(びゃくしぶつ)は、
この経の中においては、力及ばざるなり」

               (譬喩品)
とあります。
声聞及び辟支仏といった、
私たち凡夫とは比較にならないほど
優れた人たちにさえ、
助からぬと説かれているのです。


また『法華経』を行ずる人が、
必ず守らなければならない
三つの規則「室、衣、座の三軌」があります。

○室・・・一切の人に大慈悲を持って接すること。
○衣(え)・・いかに苦しいことでも笑って忍ぶこと。
○座・・・一切のものに対する執着を絶つこと。

いかに実践が難しいかわかると思います。

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●千日回峰行

比叡山は『法華経』の教えに従い、
修行しようとする天台宗の山です。
今は観光地になっていますが、
それでも千日回峰行なる荒行が残っています。

起床は真夜中の二時。
頭には蓮華笠をかぶり、
白い麻の装束に草鞋履き、
山の上から下までの行者道を約三十キロ、
飛ぶようなスピードで移動します。
この間、約三百カ所で所定の修行をし、
五時間ほどで戻ってくるのです。
むろん、悪天候でも、病気やケガをしても
休むことはできません。
もし途中で挫折したら持参の短刀で自害するのが
山のおきてになっていました。
江戸時代には多くの修行者が自害しています。
途中の七百日の中には、
九日間の断食、断水、不眠、不臥という
過酷な行もあります。
さらに八百一日目から百日間は
「大回り」をやります。
山を下りて、京都の修学院から
一乗寺、平安神宮、祇園と
一日八十四キロを十七、八時間で
回る生死関頭の苦行です。
千日間で踏破する距離は、およそ世界一周。
開山以来約千二百年間、
この難行を完遂した者は三百人に満たず、
戦後わずか八人。
文字どうりの命がけの修行です。
しかもなお、仏覚にはほど遠い初歩なのです。

すべての人に説かれた『大無量寿経』

『法華経』には、この経は「最第一」であるなど、
極めて大切な教えであることが説かれています。
しかし、どんな高尚な教えがあっても、
私たちが真に救われるものでなければ、
絵に描いた餅になってしまいます。

それに対して『大無量寿経』に説かれている
阿弥陀如来の本願の相手は
「十方衆生」です。
十方衆生とは、
大宇宙の全ての生きとし生けるもののこと。
相手構わず、どんな人も救い摂る法なのです。
親鸞聖人も、九歳で出家されてより二十年間、
比叡山で仏道修行に打ち込まれましたが、
天台法華の教えに絶望され、
「救われる教えにあらず」と下山され、
弥陀の本願に救い摂られています。
聖人でさえ、かくのごとしです。

では、なぜ誰も実行できないような教えを
釈尊は説かれたのでしょうか。
自分でやろうと思えば何でもできると
自惚れている心が自力の本性であり、
迷いの親玉です。
自力無功を知らせ、
真実の救いに導くために
方便の教えが必要だったのです。


「法華経を信じえない者の為には、
如来の余の深法を教えよ」

         (法華経嘱累品)
このお言葉からも、『法華経』は、
『大無量寿経』真実へ送り込むための
方便経であることがはっきりします。


(法然上人)

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法然上人の大法論「大原問答」

全ての人が救われる法、
弥陀の本願を明らかにするため、
七高僧のご苦労は
並大抵ではありませんでした。

(七高僧とは弥陀の本願を
正しく伝えられた方々で、
親鸞聖人が大変尊敬されて、
正信偈にお書きになられている方々です。
龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大使、道綽禅師、
善導大師、源信僧都、法然上人
です。)

七高僧のご苦労の一例を挙げます。
親鸞聖人の師・法然上人は、
我が国始まって以来の大法論をなされています。
場所は京都大原の勝林院。
世に名高い「大原問答」です。

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聖道門と浄土門、いずれが真実か。
日本国中の学者が集まり、
火花を散らしての問答がありました。


釈迦一代の仏教を大きく分けると、
聖道門と浄土門の二つになります。
聖道仏教は自力の修行で仏になろうとする教えで、
天台宗、真言宗、禅宗などを指します。
これに対し、
阿弥陀如来の本願以外に
我々の助かる道はないと教えるのが、
浄土仏教です。


聖道門側は、比叡山、高野山、京都、奈良の
名立たる僧侶三百八十余人が論陣を張り、
それらの弟子僧二千余人が
勝林院を埋め尽くしたといいます。


対する浄土門側は、法然上人ただお一人。
身の回りをする弟子が、
わずかに同行するだけでした。
「もしお師匠さまが一言でも詰まられたら・・・」
とガタガタ震える弟子たちに、
上人はにっこりほほえまれ、
この法然は幸せ者じゃ。
今日一日の問答で、
天下の学者たちを弟子にできるとは。
弥陀の本願を明らかにする、
またとない好機だ。

とおっしゃったといいます。

四十三歳の時に、
阿弥陀仏に救われた法然上人は、
大自信にあふれておられました。

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救われる唯一の道は、弥陀の本願

まず、聖道門から切りだす。
「浄土門が、聖道門より優れているとは、
どういうことか」

釈尊の教えに優劣はないが、
法は何のために説かれたものか。
衆生の迷いを転じて、
仏覚にいたらすためである。
衆生を救う点において、
浄土門のほうが優れておる。

二千余の学僧がどよめく。
「これは聞き捨てならぬことを」

法然上人は静かに答えられた。
「聖道門は、人を選ぶではないか。
経典を学ぶ知恵のない者、
修行に耐える精神力のない者は
求められない。
欲や怒りがおさまらない者は
救われないということだ。」

「いかにも・・・」

「さらに、厳しい戒律がある。
完全に実行できる人はどれだけあるのか。
大衆のほとんどは、救われないではないか。」

「・・・・・」

しかし、浄土の法門は違う。
欲のやまぬ者も来い、

愚者でも智者でも、善人悪人、男も女も、
全く差別がない。
平等に救われるのだ。

なぜならば、阿弥陀如来が、
全ての人を、必ず救い摂ると、
本願を建てられておられるからじゃ。

しかも、末法の今日、
聖道門の教えで救われる者は
一人もいないのだ。

「何を、たわけたことを」

末法の今日、自力の修行では
一人も悟ることはできないと
釈尊は説かれている。
これに対し、『大無量寿経』に説かれている
弥陀の本願は、いつの時代になっても、
しじゅう変わらず、
一切の人々を救うと説かれている。
されば、全ての人の救われる道はただ一つ、
浄土の一門のみであることは
明らかではないか。」

「・・・しかし、阿弥陀如来以外の仏や菩薩に向くなとは、
言い過ぎではないか」

釈尊は『大無量寿経』に、
一向専念無量寿仏と説かれている。
これは、あらゆる諸仏、菩薩、諸神を捨てて、
一向に専ら、阿弥陀仏を念ぜよ、
ということである。

「ううむ・・・」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

問答は一昼夜に及びましたが、
法然上人は、いかなる難問にも、
よどみなく答えられ、
全ての学者を論破されたのです。
聖道門の学者たちは、
心から法然上人の高徳に伏し、
「智恵第一の法然坊」「勢至菩薩の化身」
たたえられたといいます。
阿弥陀如来の本願の素晴らしさを知らされた
二千人の大衆は、
異口同音に念仏を称え、三日三夜、
その声が山野にこだましたといわれます。

法然上人、五十四歳のときでした。

法然上人のみならず、善知識は皆、
全人類の救われるただ一本の道、
弥陀の本願徹底に生涯をささげられたのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



何か感じるものがありましたら、
応援お願いします。(^^)

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