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我々の魂の孤独を受け止めて救えるのは弥陀のみ! [孤独]

孤独に泣くあなたへ


「その心の重荷、すべてまかせよ」のお約束


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大勢に囲まれてにぎやかに過ごす人、

誰からも相手にされず孤立する人、

世の中にはいろいろな人がありますが、

誰もが心の底は孤独に震えているのだ、

とお釈迦さまは仰います。

そんなすべての人に

“明るく楽しい心で人生が送れる世界があるのだよ”

と説かれています。

どういうことか、お聞きしましょう。

 

●「私を認めて」

   こんな願いを

    誰もが抱いている

 

ーーー実家から箱いっぱいの新鮮な野菜が送られてきた。

中には私と夫、子供たちの好物の菓子も。

家族1人1人への、母の心遣いがとてもうれしかったーーー

ある日常をつづった文章です。

陰ながらいつも気にかけ、支えてくれる存在が、

いかに生きる力になることか。

寒風の吹く中、温かい居場所を得て、

ホッと一息ついたような気持ちになります。

誕生日の早朝に、離れて暮らす娘から、

「お父さん、誕生日おめでとう!

いつもありがとう」

というメールを受け取った父親は、

その日、幸せな気持ちで過ごすでしょう。

出産直後に母親から、

「孫はとてもかわいい

でもあなたのほうがもっとかわいい

よく頑張りましたね 偉かったよ」

とメッセージが届いた娘には、

元気や勇気が湧いてきます。

誰もが、友、家族、恋人、伴侶・・・

身近な相手と絆を強め、互いの琴線に触れたいと願っている。

そして一瞬でも心がつながったと感じると、

心が潤い、温かくなるのです。


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自分を認め、受け入れ、味方でいてくれる人を「知己」

といいますが、そんな相手や心安らぐ場所が、

よりよく生きるには大切です。

数々の特許を得た発明王・エジソンもそうでした。

幼い頃から知識欲旺盛だった彼は、

教師を質問攻めにしたのが問題行動と見なされ、

学校を辞めさせられてしまう。

ところが母親は、そんな彼を見捨てることなく育み、

適性を見極めて科学者への道を開きます。

その母への感謝をエジソンは後年、こう述懐しています。

「私を作り上げてくれたのは母だった。

母は私を理解し、性質が向いている方へ進ませてくれた。

もし母が私を認めず、信じてくれなかったら、

とても発明家にはなれなかっただろう」

生涯の味方であった母親なくしては、

世界の発明王の誕生はなかったのです。

 

子供も大人も、そんな存在がそばにいるだけで、

生きる意欲が湧き、活力がみなぎってきます。

反対にそういう支えがなくなると、

心がささくれ立ち、疎外感や絶望感を抱くようになるでしょう。

かつては青少年の非行の背景にあった問題が

昨今特に、中高年にも見られるようになりました。

孤立して自暴自棄となり、犯罪に走る事例が多くなっているのです。

 

 

●高齢者の犯罪が増えている。

その原因は?

 

10月下旬の日曜昼、栃木県宇都宮市で連続爆発事件が起き、

住宅や車が炎上しました。

間もなく市内の公園で、元自衛官の72歳男性が

自ら爆死しているのが発見され、

遺書から彼の犯行とされました。

男は数年前に自身の家庭内暴力で家族と別れて孤立し、

自身のブログに、妻子や、社会への不満を吐露していたといいます。

 

平成26年の『犯罪白書』(法務省)によれば、

一般刑法犯として検挙された65才以上の人数は、

他の年齢層を抑えてトップ。

20年前の約4倍に急増しています。

内容も窃盗(万引き)、暴行、詐欺、ストーカーなど

多岐にわたり、特に、老齢になって初めて犯罪に手を染める

初犯の人が目立ちます。

それまで真面目に生きてきたであろう人が、

なぜ人生の終わりに犯罪者となるのでしょう。

高齢者犯罪の実態を『老人たちの裏社会』という本の中で、

多くの万引き事件を担当してきた弁護士が述べています。

 

「彼らに共通している思いは、自身に対する絶望感と、

社会ルールを守ることへの無意味さです。

『全てを失うのになぜ?』と言えるのは恵まれた人の見解で、

生き続けるほど大切なものが増える人もいる一方で、

守るべきものを失うばかりの人も少なくないのです。

家族も離れていき、病気や死別などで友人もいなくなり、

財産も乏しくなる・・・

老いる意味が絶望の連続となっている人にとってはすでに、

自分の命さえも大事ではなくなる。

こうした人たちにおいては、

加齢が犯罪を抑止する壁にはならないのです」

                (老人たちの裏社会)

 

 ●挫折をはね返せなくなった時、人は何を思う?

 

若い頃の頑張りが報われると信じてきたが、

家族や伴侶、友との死別、経済的困窮、

病気などで一つ、また一つと「喪失」していくばかりになった。

人に挫折は付きものですが、はね返す気力や体力があれば、

幾らでもやり直しはきくでしょう。

だが、衰えた心身に度重なる「喪失」はあまりにキツく、

想定外の大きな変化に対応できぬまま、

彼れは失う痛みを誰とも分かち合えなかったのでしょう。

傷ついた自分を誰も気にかけず、大切に思ってくれない。

そんな現実に絶望した時、

自分さえ大事に思えなくなっていくのです。

『老人たちの裏社会』では86歳の万引き犯の女性の、

こんな一言を紹介しています。

「『万引きしそうになったら、大事な人を思い出して』

と言われたけど、大事な人なんていないんだからしょうがない」


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精神的に孤立している高齢犯罪者の心情を、

ストーカーの加害者、被害者と多く向き合い、

支援してきたNPO法人の理事長は、

“高齢のストーカー加害者は、たとえ家族がいても、

精神的に孤独である”と分析しています。

既婚者でも、すでに子供は独立し、

皆それぞれが勝手に過ごしている。

表面的には労(ねぎら)ってもらえているようでも、

心の中では馬鹿にされ、軽視し、

邪険にされている事実に気づいているのです。

日々の生活の中で、注目も関心も持たれない自分。

ましてや褒められたり敬われることもない。

これまでは仕事で紛れていたけれども、

誰にも大事にされていない自分をいよいよ自覚して、

その寂しさや心の空洞を埋めるべく、

偶像化した相手に一気にしがみついてしまう。

根底にあるのは『俺の寂しさ、哀しさを何とかしろ!』

といった意識です。

加害者は皆、孤独です」(老人たちの裏社会)

 

 

ここでは、加害者の意識を言っていますが、

これは、犯罪に至らない多くの孤立している高齢者にも

相通ずる部分があるでしょう。

そのような高齢者の孤立防止には、

子供が同居して親の面倒を見たり、

相談機関を設けたり、老人施設に人員を配する手厚いケアで、

一定の効果は期待できます。

声の掛け合いやスキンシップで防げる孤立は確かにあるからです。

 

 ●「独り生まれ独り死ぬ」

  人はそれぞれ

  別の世界に生きている

 

 しかし、私たちには、どのように配慮してもなくならない寂しさ、

「孤独」というものがあります。

その孤独とは、隣に連れ合いがいても感じるもの。

永遠の愛を誓った夫婦でも、

ケンカもしないほど気が合い共感できるパートナーでも、

心の深い部分まで分かり合うことはできない。

魂の孤独のことです。

ここから先はどうにも相いれぬ、

というものが必ずある。

“どんな人でも心の奥底に秘密の蔵を持っている”

と仏教では説かれています。

そんな人間の実相をお釈迦さまは、

 

 「独生独死 独去独来」 (大無量寿経)

 

 と仰っています。

私たちは、この世に独りで生まれ、

独りで死んでいく。

独り来て、独り去っていく。

最初から最後まで、独りぼっちの旅をしているのだと

説かれています。

それは一緒に生まれてくる双子や三つ子も例外ではありません。

どれだけ顔が似ていても、心は各人、

別の世界に生きているのです。

だから“肉体の連れはあっても、魂の連れがない

といわれるのです。


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 “私はいつも、素のままの自分を出して何でも言っている”

という人がありますが、そんな人も脚色したり、

隠したりしている。

“ここから先は・・・”と線引きして、

言えるところまで言っているだけではないでしょうか。

もし心の中を何もかもぶちまけたら、

「おまえ・・・・そんなこと思っていたの?」

「あきれた・・・」

皆、絶句して逃げ出すでしょう。

そんな誰にも言えない苦悩を抱えて、皆、

苦しんでいます。

その私の心を全て打ち明けて、

完全に誰かに理解してもらえたら、

どれほど心が安らぐことでしょうか。

自分の弱さ、醜悪さも引っくるめて、

全て受け入れてくださる方があれば、

私は真に救われるでしょう。

 

 ●弱さや醜悪さもすべて

    受け入れてくださる方があった!

 

仏教を説かれたお釈迦さまは、

遠い過去から抱えてきたその心の重荷を、

丸ごと全て受け入れてくだされる方が

あるのだよと仰います。

大宇宙には、無上のさとりを体得された仏さまが

数多くおられるが、それらの仏方が

“われらが師匠”と仰ぐ偉大な仏さまがまします。

それが本師本仏の阿弥陀仏(弥陀)であると

お釈迦さまは説かれています。

阿弥陀仏はただお一人、

私の心の重荷を全て受け入れて、

「どんな人も 我にまかせよ

 そのまま絶対の幸福に救う」

と約束(本願)なされています。

この弥陀の本願に救い摂られた親鸞聖人は、

罪悪深重の自身の実相を知られ、

阿弥陀仏だけが、この親鸞の深い悪業を

全て分かってくださり、

大慈悲心であわれみ慈しみ、摂取してくだされたのだ」

と、こう仰せになっています。

 

 

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、

ひとえに親鸞一人が為なりけり、

されば若干(そくばく)の業を

もちける身にてありけるを、

助けんと思召(おぼしめ)したちける

本願のかたじけなさよ」 (歎異抄

 

 

弥陀の五劫という永い間、

熟慮に熟慮を重ねてお誓いなされた本願を、

よくよく思い知らされれば、

まったく親鸞一人を助けんがためだった。

こんな量り知れぬ悪業を持った親鸞を、

助けんと奮い立ってくだされた本願の、

なんと有り難くかたじけないことなのか。

 

 

果てしない過去から孤独な魂に震え、

“こんな罪の重い私は助からないのか”

と泣いておられた聖人が、弥陀の本願に救い摂られ、

“私一人のための弥陀のお約束であった”

と慶喜せずにはおれなかったのです。

 

 

この、どんな人も見捨てられぬ弥陀の願力は、

救われた人ばかりにかかっているのではありません。

男女、賢愚、貧富の格差は関係なく、

人種も民族も超えて、すべての人が弥陀の

大慈悲によって生かされ、育まれているのです。

「決してあなたは独りぼっちではない。

うれしい時も、悲しい時も、ともにある弥陀だぞ」

常に寄り添いたまい、光に向かって進めよと、

導いてくだされているのだよ、

と親鸞聖人は仰せです。

 

 

そして、この弥陀の不可思議の願力に摂取されれば、

どんな人も、この世で「絶対の幸福になれる」

と親鸞聖人は仰せです。

絶対の幸福とは、時間がたつと色あせ

喜びが消えてしまうような幸福ではなく、

どんなことがあっても変わらぬ幸せのことです。

そして来世は必ず阿弥陀仏の極楽浄土へ

生まれさせていただく身になれるのです。

 

 

 

仏教に広大会(こうだいえ)という言葉がありますが、

広くて大勢の人が集まっている、

にぎやかな世界のことです。

常に釈尊や七高僧、親鸞聖人や蓮如上人、

往生された方々が温かく語りかけられる、

魂の孤独とは無縁の世界です。

いかに苦しくても、私たちが耐えて生き抜くのは、

弥陀に全てを打ち任せ、

“広大会”の世界に出させていただくため。

寂しい一人旅の人生も、必ず極楽浄土に

生まれる身にさせていただくためなのです。

弥陀の本願を聞く一つで必ず救われます。

まことの光に向かって、真剣な仏法聴聞に励み、

生命の歓喜を獲得いたしましょう。

 

 

極悪を

  捨てず 裁かず

     摂め取る(おさめとる)

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