SSブログ

親鸞聖人の恩徳讃 [親鸞聖人]

 恩徳讃のこころ
       寄せては返す
          波のような
           無限の報謝

親鸞聖人は約800年前、
京都に誕生され、90歳でお亡くなりに
なりました。
その波乱万丈のご一生は、
「たくましき親鸞」と多くの人を魅了しています。
目覚しいご活躍の源泉は、何であったのか。
聖人の『恩徳讃』のこころを、聞かせていただきましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なぜ こんな気持ちに 
       なられたのか

浄土真宗の人ならば、親鸞聖人の「恩徳讃」を
知らない人はいないでしょう。

如来大悲の恩徳は
身を粉にして報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし

「如来」と言われているのは「阿弥陀如来」のこと、
「師主知識」とは、その弥陀の御心を、
正しく教え伝えてくだされた方々のこと
ですから、
意味はこうなります。

阿弥陀如来から受けたご恩には、
身を粉にしても報いずにおれない。
その阿弥陀如来の御心を伝えてくだされた、
お釈迦さまはじめ歴代の高僧方のご恩にも、
骨を砕いてもお返しせずにおれない

身を粉に骨を砕いたら、死んでしまいます。
「命捨てても、ご恩返しせずにおれないのだ」
と言われているのです。

聖人がこんなお気持ちになられたのは、
阿弥陀如来からどんなご恩を受けられたからでしょうか。

EPSON028.jpg-1.jpg

●“命捨てても報いずにおれぬ”
        阿弥陀如来のご恩とは

駅のホームから過って転落した人が、
電車が来る直前に救出されたならば、
危険を冒して助けてくれた人の恩は、
生涯忘れないでしょう。
溺死寸前に救出され、九死に一生を得たならば、
「命の恩人」にどんなお礼でもしたいと思います。
どの病院に行っても原因不明の腹痛で、
のたうち回っていたところ、
ある医者の注射1本で治った。
「あのままなら死んだかもしれん」
と命拾いした人は、
名医と仰いで恩返しせずにいられないはずです。
このように、受けた恩に感謝し、
なんとかお返ししたいと思うことは、
色々あります。

しかし、それでも「身を粉にしても」「骨を砕きても」
とまではなりません。
たとえ命を救われても、
その恩返しのために「命」を捨てては、
元も子もないからです。

ところが親鸞聖人は、
「阿弥陀如来」と、「師主知識」のご恩には、
命捨てても報いずにおれない、
といわれています。

こんな知恩報恩の熱火の法悦は、
どうしていただかれたのか。

それが分からなければ、聖人の「恩徳讃」の御心は、
全く分かりません。
そこで、「阿弥陀如来」とはどんな方か、
「師主知識」の元祖である「お釈迦さま」とは、
どういう関係か、まず知っていただきましょう。

EPSON016.jpg-1.jpg

阿弥陀如来と釈迦如来

お釈迦さまは、今から約2600年前、
インドで活躍なされた方です。
35歳で仏という最高のさとりを開かれてから、
80歳でお亡くなりになられるまでの45年間、
釈迦が説かれた教えを、今日、仏教をいわれます。

地球上でただお一人、仏のさとりを開かれた方ですから、
「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」
といわれます。

そのお釈迦さまが、
「私の尊い先生を紹介しに来たのだよ」と、
私たちに教えてくだされたのが、
阿弥陀如来といわれる仏さまです。

阿弥陀如来と釈迦如来との関係について、
蓮如上人は、『御文章』に次のようにおっしゃっています。

ここに弥陀如来と申すは、
三世十方の諸仏の本師本仏なり

お釈迦さまは、地球上でただ一人の、
仏のさとりを開かれた方でありますが、
大宇宙には地球のようなものが数え切れないほどあり、
そこにはまた、無量の仏がましますと説かれています。

それらの仏を「三世十方の諸仏」と言われているのです。
「本師本仏」とは先生、師匠ということですから、
阿弥陀如来は、その大宇宙の仏方の先生だということです。
大宇宙の仏方は皆、
阿弥陀如来のお弟子ということであります。

地球のお釈迦さまも、十方諸仏の一人ですから、
阿弥陀如来と釈迦如来の関係は、
師匠と弟子、阿弥陀如来を先生とするなら、
お釈迦さまは生徒、ということになります。

弟子の使命は、先生の御心を正確に、
一人でも多くの人にお伝えすること以外にありませんから、
お釈迦さまは45年間、自分の師である阿弥陀如来の本願以外、
教えていかれなかった
のだと、
親鸞聖人は『正信偈』に、
こう断言されています。

如来、世に興出したまう所以は、
唯、弥陀の本願海を説かんがためなり

弟子であるお釈迦さまが、
先生である阿弥陀如来の本当に願っていられる御心一つ、
生涯教えていかれたのが、仏教です。

そのただ一つお釈迦さまが説かれた「弥陀の本願」を、
インド・中国・日本の歴代の高僧方が
正しく伝えてくだされたなればこそ親鸞、
弥陀に救い摂られることができたのだ、
「弥陀と師教の大恩は、身を粉に、骨砕きても足りませぬ。
微塵の報謝もならぬ懈怠なわが身に、
寝ても覚めても泣かされる」
と感泣なされているのが「恩徳讃」なのです。

EPSON016.jpg-2.jpg

弥陀の本願は
    「生きている今、救う」お約束

弥陀の本願によって救い摂られた親鸞聖人は、
その弥陀の本願を「平生業成」と明らかにされました。
「平生」とは、死んだ後ではない、
生きている現在ということです。
仏教と聞くと「死んだら極楽」「死んだら仏」と、
死後の救いを教えたものとほとんどの人が思っていますが、
それは間違いだ、仏教は生きている現在が勝負だ

と言われているのが「平生」ということです。
次に「業」とは、事業の「業」の字を書いて
仏教では「ごう」と読みます。
親鸞聖人は「人生の大事業」のことを「業」と言われています。

大事業と聞いて、多くの日本人が思い浮かべるのは、
あの豊臣秀吉でしょう。
天下を取り、大阪城や聚楽第(じゅらくだい)を造り、
栄耀栄華を極めた太閤秀吉は、
人生の大成功者と羨望されています。
ところが辞世に、
「露と落ち、露と消えにし 我が身かな
   難波のことも 夢のまた夢」
と残して、寂しく世を去りました。

権勢を誇り、わが世の春を謳歌しても、
栄枯盛衰、盛者必滅(じょうしゃひつめつ)は世の習い。
人は最後、死んでいかねばならない。
百パーセント逃れることはできません。
死ぬ時に、「夢のまた夢」としか感じられないものが、
果たして「人生の大事業」といえるでしょうか。

死ぬまで働いても、
地球の半分が自分のものになるわけでなし。
秀吉ほどのこともできません。
しかも、今死ぬとなったら、
1000円札一枚も持ってはいけない。
必死にかき集めた財産も、地位も名誉も、
「夢のまた夢」と、はかなく消えてしまうのです。
そんなもののために、私たちは生まれてきたのか。
苦しくても生きるのは、そのためでしょうか。

EPSON017.jpg-1.jpg

治る見込みもないまま、
体中に何本もチューブをつけられ、
かろうじて生命を維持している終末患者がいます。

つらい治療に耐えてでも生きる意味が分からねば、
「死ぬのを待つだけじゃないか」と、
本人も周囲も悲歎せずにおれません。

しかし考えてみれば、私たちの人生も、
ただ毎日毎日「喰て寝て起きてクソたれて」と
同じことの繰り返しならば、
それとどこが変わるでしょう。

死を待つだけの人生と言われて、
だれが反論できるでしょうか。

たとえ病気が治って20年、30年長生きしても、
死はあっという間です。
「死んでいく時には、かねてから頼りにし、
力にしている妻子や財宝も、
何一つ頼りにならぬ。
みんなはぎ取られて、一人でこの世を去らねばならない
」と、
蓮如上人は、こう教戒されています。

まことに死せんときは、
予てたのみおきつる妻子も財宝も、
わが身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ・三途の大河をば、
唯一人こそ行きなんずれ

その臨終の嵐にも、
絶対に崩れない喜び・満足を得ることこそが、
人生の大事業なのだと明らかにされた方が、
親鸞聖人なのです。

それは「いつ死んでも必ず弥陀の浄土へ往ける、
大安心・大満足の身になること」であり、

『歎異抄』には「無碍の一道」と言われています。
一切がさわりとならない、絶対の世界」、
今日の言葉では「絶対の幸福」ということです。

この絶対の幸福になるために生まれてきたのだ、
生きているのだ、どんなに苦しくても自殺してはいけないのは、
その大事業を果たすためなのだよと、
親鸞聖人は「業」の一字で教えられているのです。

次に「業成」の「成」とは、
「完成」の意味です。
人生の大事業が完成することを「業成」と言われ、
それは死んでからではないから「平生業成」
と言われるのです。

どうして平生に、人生の大事業が完成できるのか。
それは阿弥陀如来が、そう誓われているからなのだと、
弥陀の御心を明らかにされた方が親鸞聖人ですから、
親鸞聖人の教えを「平生業成の教え」といわれるのです

●「ああ・・・」
     救われた聖人の驚きと喜び

親鸞聖人が平生業成の身になられたのは、
29歳の時であったと、主著『教行信証』に、
聖人ご自身がおっしゃっています。
では、人生の大事業完成には、
どれくらい時間がかかるのか、
親鸞聖人は「一念」と言われています。

一念とは、これ信楽開発の時剋の極促を顕す

「『一念』とは、人生の大事業が完成する、
何億分の一秒よりも速い時をいう
」 
“人間の生まれたのは、これ一つであった”
と、人生の目的が成就したのを
「信楽開発(しんぎょうかいほつ)」と言い、
その分秒にかからぬ速さを「時剋の極促」
と言われています。

その何十億分の一秒よりも短い「一念」で、
人生の大事業が完成した時の驚きと喜びを、
生々しく感動的に、こう叫び上げられています。

噫(ああ)、弘誓の強縁は多生にも値い(もうあい)がたく、
真実の浄信は億劫にも獲がたし

ああ・・・なんたる不思議か、
親鸞は今、多生億劫の永い間、
求め続けてきた歓喜の生命を得ることができた

「噫(ああ)」とは、阿弥陀如来の御心どおり、
「平生業成」に身になった時の驚きと喜びの、
言葉にならぬ言葉なのです。
何十年来の、まさかと思う人と会った時に、
「ああ!あんたじゃないの」と言うでしょう。
「あなた、久しぶりね、ああ!」とは言いません。
「ああ!」の感嘆が先です。
人生の大事業を完成された聖人は、
あまりの驚きに、まず「噫」と叫ばずにおれなかった。

何にそんなに驚かれたのか。次に、
「多生億劫にもあえぬ阿弥陀如来の本願に、
今あうことができた、何の間違いか親鸞、
この身に救い摂られたことを喜ばずにはおれない」
と告白され、
「まことなるかなや、摂取不捨の真言、
超世希有の正法」
「まことだった!本当だった。
弥陀の誓いにウソはなかった」
と叫ばれているのが、その驚きの理由です。
「弥陀の本願まことだった」とは、
どういうことか。
「こういう、とてつもないことが、
ハッキリ知らされたのだ」
と聖人は、次のように表明されています。

●「弥勒より幸せな親鸞だ」

真に知んぬ。弥勒大士は、等覚の金剛心を
きわむるがゆえに、龍華三会の暁、
まさに無上覚位をきわむべし。
念仏の衆生は、横超の金剛心をきわむるがゆえに、
臨終一念の夕(ゆうべ)、大般涅槃を超証す
」(教行信証)

EPSON018.jpg-1.jpg

本当にそうだったなぁ!
あの弥勒菩薩と、今、同格になれたのだ。
全く弥陀の誓願不思議によってのほかはない。
しかもだ。弥勒は五十六億七千万年後でなければ、
仏のさとりが得られぬというのに、
親鸞は、今生終わると同時に浄土へ往って、
仏のさとりが得られるのだ。
こんな不思議な幸せが、どこにあろうか

弥勒大士とは、仏のさとりに最も近い、
等覚というさとりを得ている菩薩のこと。
その弥勒とこの世で同等になるのですから、
驚嘆するのも当然でしょう。しかも、
「今は弥勒と肩を並べる身であるが、
死ねば、先に仏のさとりが得られるのだ」
弥勒菩薩よりも幸せ者になった、
この世と後世の、二度の弥陀の救いに疑い晴れたという、
聖人の大慶喜なのです。
選挙で当選した時の、あの喜びようはどうでしょう。
4年に一度とはいえ、
オリンピック・メダリストの感激ぶりはどうでしょうか。
たかが選挙、オリンピックといえば驚くかもしれませんが、
人生の大事業完成とは比ぶべくもありません。

弥勒信仰の人は、今でも決して少なくありませんが、
聖人のこんな言葉を聞けば、
馬鹿か狂人の寝言としか思えぬでしょう。
事実、江戸時代、有名な比叡山の学僧が
『教行信証』を狂人の書だと、
唾棄(だき)して庭に投げたといわれます。
では、どうしてこんな幸せを獲られたのか。
阿弥陀如来が本願に、そのような身に救い摂る、
と誓われているからなんだ。

その本願とおりになったから、
「弥陀の本願まことだった!」
と叫ばれ、馬鹿じゃと非難されようが、
「親鸞、弥勒よりも幸せな身に救われた」
と宣言せずにいられなかったのです。

だから親鸞、この身に救いたもうた阿弥陀如来の大恩と、
伝えてくだされた方々の厚恩には、
身を粉にしても、骨を砕いても報いずにおれない。
じっとしていられないのだ」
と、「恩徳讃」があふれ出るのです。

一人じゃないぞ二人だぞ
    二人じゃないぞ三人だ
      「その一人は親鸞なり」

人生の大事業に完成がある、仏教に卒業がある
と聞くと、
「この世で完成したということなどあるか、卒業があるか」
と反発する人がいます。
「どんな道も、死ぬまで求め続けることが素晴らしいんだ。
完成したら何もすることがなくなって、つまらんでしょ」
と言うのです。
一見もっともな意見に聞こえますが、
考えてみてください。
学校の卒業式で、
「皆さんこれで卒業ですから、
後は何もしなくていいですよ。遊んでなさい」
という教師があるでしょうか。
「卒業後が、学校で学んだことを生かして、
世のため、人のため、全力を尽くしなさい」
と言うはずです。

親鸞聖人は、29歳で人生の大事業を
完成されてからの生きざまが、すごいのです。
平生業成の身になられてから、
90歳でお亡くなりになられるまでの61年間は、
まさに「恩徳讃」を地でいく目覚ましい大活動でした。

関東でご布教を開始された聖人の、
興隆をねたみ、山伏の弁円が稲田の草庵に
刀を振りかざして押しかけてきた時も、
「私が弁円の立場にいたら、同じく殺しに行くにちがいない。
殺すも殺されるも、恨むも恨まれるも、
ともに仏法を弘める因縁になるのだ」
と剣の下をくぐられ、
「御同朋、御同行」と弁円を済度(さいど)されたのは、
「身を粉にしても」の「恩徳讃」がなければ、
できることではないでしょう。

EPSON019.jpg-1.jpg


また豪雪の中、一夜の宿を邪険(じゃけん)に断る
日野左衛門の門前で、
石を枕に雪を褥(しとね)に休まれたのも、
日野左衛門になんとか弥陀の本願伝えたい、
「寒くとも たもとに入れよ 西の風
弥陀の国より 吹くと思えば」
“阿弥陀如来からお受けした、大きなご恩を思えば、
親鸞。ものの数ではない”
と、まさに「骨を砕いても」の報恩の実践でした。

EPSON020.jpg-1.jpg


「救われたつもり」の真宗の道俗の中には、
「こんな尊い世界、言うて分かることじゃない。
衆生済度は死んでから」
と、少しも伝えようとしない人がありますが、
そんな消極的、退嬰的(たいえいてき)化石と、
聖人の燃える「恩徳讃」とは、
無縁であることがお分かりになるでしょう。

かくして波乱万丈の90年の生涯を生き抜かれた聖人は、
これで終わりではないぞと、
お亡くなりになる時には、こうも言われています。

我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、
和歌の浦曲(うらわ)の片男浪(かたおなみ)の、
寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり
」(御臨末の御書)

親鸞、死ねば、阿弥陀如来の極楽浄土へ往くぞ」
と初めにハッキリおっしゃっています。

「死んだらどこへ行くのか分からん」とは言われていません。
平生業成の身になっておられた聖人は、
「死ぬと同時に浄土へ往ける」と、
ハッキリしておられたのです。

「親鸞、死ねば一度は極楽へ往くけれども、
八功徳水の温泉につかって、
百味の飲食(おんじき)たらふく食うて、
応法の妙服着て、ヘソ出して寝ていよう、
なんかとは思ってないぞ。
弁円に殺されかけてひどかった、
日野左衛門の門前で、雪の中寒かった、
せめて極楽ではゆっくり休もう、
などというつもりは微塵もない。
海の波が寄せかけ寄せかけ来るように、
すぐにこの娑婆へ戻ってくるぞ。
まだ弥陀の本願を知らない人ばかりだ。
阿弥陀如来のお名前さえも知らん人もいる。
知っていても、
『死んだら極楽、死んだらお助け』
と聞き誤っている者ばかり。
阿弥陀如来の御心を知らず、
苦しみ悩んでいる人に伝えに来るぞ。
じっとしてなどおれるか。
沖に引いた波がすぐに陸に押し寄せてくるように、
すべての人が救われるまで、親鸞は無限に活動せずにはおれないのだ。
一人で仏法喜んでいる人があれば、
二人で喜んでいると思ってくれ。
二人で喜んでいれば、それは三人だ。
親鸞も手を取り合って喜んでいる。
そんな人だけじゃない。
どう聞けば、どう求めればと泣き泣き求めている人にこそ、
親鸞は寄り添うて、ともに泣いているぞ」
「恩徳讃」は、死んで終わりではない、
平生業成の身になってから、無限に続くのです。

その親鸞聖人の、熱き「恩徳讃」のご活躍によって、
私たちは今、尊い仏縁に恵まれ、
無上の尊法に遇わせていただくことができた。

聖人ご生誕なかりせば、弥陀の本願を聞くことも、
平生業成の身に救われることもなかったと、
心から「恩徳讃」を歌える身になることこそが、
親鸞聖人降誕会(ごうたんえ)
を勤修(ごんしゅ)する目的であります。

よくよく知っていただきたいと思います。


nice!(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:資格・学び

nice! 0

トラックバック 0