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不安や苦しみの根本原因は何なのか!? [苦しみの根源]

お釈迦さまが、生涯説かれた仏教の目的は、
漢字四字で、
抜苦与楽(苦を抜き、楽を与える)」
といわれています。
ここで「抜」くといわれる「苦」とはいかなる苦しみか。
「与」えられる「楽」とはどんな幸せなのでしょう。
仏教は、私たちの人生を苦しみに染める根本の原因を
抜き取り、本当の幸せを与える教えなのです。

今回はそれについてお聞きしましょう。



仏教は
    「魂の根本治癒」を説く


........................................


●「人はなぜ不安なのでしょう?」


以前、新聞の人生案内に、四十代女性のこんな相談が
掲載されたことがあります。


「数年前に離婚し、母と2人暮らし。
幸せな人生とは何なのか考えています。
母は高齢で、亡くなった父は、
いずれ一人になる私を心配していました。
年老いて、一人で生きる自分を想像すると不安に駆られます。
婚活もしていますが、好きでもない相手との結婚は考えられません。
それでも人生に後悔はしたくない。
こんな私に活を入れてください」


作家の回答はこうでした。


「将来の不安は誰にもあります。
不安のない人間がいたら珍しい。
不安を克服して生きていくことが、
幸せと考えればよろしいのです」


あらゆる不安を根本から克服できれば、
私たちは真の安心を得て幸せになれるでしょう。
問題は、その不安の根本はどこになるのか、
ということです。

そこで、まず私たちが何を苦しみの原因と見ているか
考えてみましょう。


親鸞聖人は私たちの人生を「難度海」とか「生死の苦海」と仰って、
苦しみの海に例えられています。
その苦海の波間からは、しきりにこんな嘆きが聞こえてきます。
「金さえあれば」「子供が欲しい」「有名になりたい」
「管理職になれればなあ」「家を持ちたい」「恋人が欲しい」
などなど。
悩みを克服するために、私たちは自分に無いもの、
不足しているものを手に入れようと「無から有へ」の努力を、
日々続けています。
無いのは不幸、あれば幸せと思っているからでしょう。
それが本当に正しい努力ならば、金や物、名誉や地位などに
恵まれた人生は、喜びに輝くに違いありません。


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ギリシャの有名な実業家アリストテレス・オナシス(1906~1975)は、
商才を生かして成功し、海運王とうたわれた。
彼は結婚さえもビジネスの手段とし、
一度目は資産家の娘・アシーナと、
後にケネディ大統領の未亡人・ジャクリーンと再婚している。
そんな結婚生活の一方で、オペラ歌手のマリア・カラスを長年、
愛人とするなど、財力で思いのままの人生を生きた。
彼の死後、三歳の孫が相続した遺産の総額は一兆円ともいわれている。
最期の言葉はこうである。
「私の生涯は、黄金のじゅうたんを敷き詰めた
トンネルの中を走ってきたようなものだ。
トンネルの向こうには幸せがあると思い、
出口を求めて走ったが、走れば走るほど、
トンネルもまた長く延びていった。
幸福とは遠くに見える出口の明かりなのだろう。
だが黄金のトンネルからそこには、たどり着けないのかもしれない」


金や財、名誉や地位の無いのが苦悩の元凶ならば、
オナシスの一生は大満足のはずですが、
彼の言葉からは、そうは感じられません。


●欲望の追求が幸せか?他に道があるのか?


江戸時代、京都の紀伊国亦右衛門(きのくにまたえもん)は、
商才に恵まれ、経済的成功に向かっていましたが、
欲望のまま生きるのは、本当の幸福ではないと、
人生半ばで気づきました。


亦右衛門(またえもん)は、大きな商家で働く若い頃から、
才気豊かで利口だったので、大変かわいがられた。
ある時、主人が亦右衛門を呼んで言った。
「おまえは商才を持っている。金百両を与えるから、
思う存分好きな商売をやって一千両にしたら帰ってこい」


喜んだ亦右衛門は、早速、商売に出掛けた。
初めから大商いをしては失敗するかもしれぬ、
確実に利益をあげていこうと、
まず紙くずを買ってちり紙にすき直して売った。
3年間で三百両、5年間で千両の財産を作った。
「先年、頂きました百両で、千両の資本を作りました」
帰って挨拶すると主人は感心し、激励した。
「才能があると見込んではいたが、驚いた奴だ。
今度はその千両で一万両、作ってみよ」
5、6年後で彼は、千両を一万両にした。
主人が“今度は十万両に”と言ったので、
3年後にそれも成し遂げた。
欲が深まってきた主人は、さらにそれで百万両を、
と命じると、
「十万両を百万両にするのは、
百両を一万両にするよりたやすいことですが、
命あっての金であります。
どれだけあっても金は、これで十分とは思えません。
人間の欲には限りがない。
限りなき欲の奴隷に、私はなりたくはありません」。
亦右衛門は、キッパリ断って仏門に入っている。


●有る者は“金の鎖”、
      無いものは“鉄の鎖”で苦しんでいる


「無い」不安や苦しみを克服し、「有る」ようになっても、
そのことでまた新たな悩みが生じる。

経典にはお釈迦さまのこんなご教導があります。


田なければ、また憂(うれ)いて、田あらんことを欲し、
宅なければ、また憂いて、宅あらんことを欲す。
田あれば田を憂(うれ)え、宅あれば宅を憂う。
牛馬(ごめ)・六畜・奴ぴ・銭財・衣食(えじき)・什物(じゅうもつ)、
また共にこれを憂う。有無同じく然(しか)り

          (大無量寿経)
田畑や家が無ければ、それらを求めて苦しみ、
有れば、管理や維持のためにまた苦しむ。
その他のものにしても、皆同じである


金、財産、名誉、地位、家族、これらが無ければないことを苦しみ、
有ればあることで苦しむ。
有る者は“金の鎖”、無い者は“鉄の鎖”
につながれているようなもので、材質がなんであれ、
縛られ、苦しんでいることに変わりはない。

「有無同然」と、これを言われるのは、
不安や苦悩の根本原因を見誤っているからなのだ、
とお釈迦さまは教示されているのです。

釈迦の説かれた『観無量寿経』をアニメーションにした
『王舎城の悲劇』でも、お釈迦さまは、
この有無同然の説法をされています。


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物語の主人公は、釈迦在世中のインドで最強を誇った
マガダ国のビンバシャラ王イダイケ夫人
この王様夫妻は、世継ぎの無いことに悩んでいたが、
後にようやく太子・アジャセが誕生すると、
今度は彼の暴力によって苦しむようになる。
この家庭悲劇を縁として、二人は初めてお釈迦さまの法話を
聴聞するのです。


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人々よ。
心の頭(こうべ)を垂れて、我が言葉を聞くがよい。
人は苦を厭い、幸せを求めている。
だが金を得ても、財を築いても、常に苦しみ、悩んでいる。
王や貴族とて、皆同じである

お釈迦さまの説法を大衆は静かに聞いている。
王夫妻もじっと聞き入る。
釈迦はこう続けられた。
それはなぜか。苦しみの原因を正しく知らないからである。
金や名誉で苦しみはなくならぬ。
無ければないで苦しみ、有ればあるで苦しむ。
有無同然である。
毎日を不安に過ごしている。例えば、子供のない時は、
ないことで苦しみ、子供を欲しがる。
しかし、子供があればあったで、その子のために苦しむ

家庭を振り返り、ハッとする王とイダイケ。
この苦しみの原因はどこにあるのか。
それは己の暗い心にある。
熱病の者はどんな山海の珍味も味わえないように、
心の暗い人はどんな幸福も味わえないのだ。
心の闇を解決し、苦しみから脱するには、
ただ仏法を聞くよりない。
この法を求めよ。心の闇が破れ、真の幸福が獲られるまで。
たとえ大宇宙が火の海原になろうとも・・・


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ここでお釈迦さまは、苦しみの原因を「己の暗い心」「心の闇」と
仰っています。
これは仏教で「無明の闇」といわれている心で、
これこそが苦しみの根元だと断定されています。

「無明の闇」とは、「死んだらどうなるか分からない、
死後に暗い心」のこと。

なぜこの心が苦悩の根元なのでしょう。


●人は死にゆく存在 
   その先は?


まず、死とは何か、見てみましょう。
新年が明けて今年の旅が始まり、はや一月。
(とどろき平成28年2月号より載せています)
年始とは一つ年を取って、死に近づいた一里塚のようなもの、
と有名な禅僧・一休は歌っています。


「門松は
冥土の旅の 一里塚
めでたくもあり めでたくもなし」
         (一休)


彼は人間を「冥土への旅人」だと言っています。
「冥土」とは「死後の世界」。
私たちは一日生きれば一日、死に近づきますから、
人生は冥土への旅に違いありません。
世界中の時計を止めてもそれは止まらず、
粛々と時は刻まれる。
万人共通の厳然たる事実です。


最も確実な行く先である「死」を、
私たちはどう捉えているでしょう。
「休息だ」「無だ」「恐ろしくない」と言う人もありますが
実際はどうか。
“いざ鎌倉”となると、誰もが“死に行く先はどうなるか”
だけが大問題となります。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
死を目前に「スピリチュアルペイン(魂の痛み)」が現れる


ガンなどの病気で終末期に至った患者には
「スピリチュアルペイン」という苦しみの起きることが、
最近の医学研究で解明されています。
多くの人を看取ってきた医師に聞いてみましょう。
本誌読者の内科医師、真野鋭志先生です。
例えば、ガンが進行した人には、
さまざまな苦痛に対応する緩和ケアが行われます。
終末期医療の進歩は著しく、
専門トレーニングを受けた医師や看護師が増えています。
ガンになっても痛みさえなくしてくれたら
死ぬのは何ともないよと言う人がありますが、
そんな簡単なものではありません。

ガンを告知された人には、身体的苦痛、精神的苦痛、
社会的苦痛があるといわれてきました。
しかしそれだけではなく、多くのガン終末期患者の観察研究により、
「スピリチュアルペイン」と呼ばれる苦痛があることが分かってきました。
スピリチュアルペインとは、魂の奥底から噴き上がってくる心の叫びです。
精神的苦痛には、抗うつ剤や抗不安剤が効果的ですが、
スピリチュアルペインは、生命の根本にかかわる深いレベルの痛みであり、
効果的な薬はありません。
次のような苦しみです。


私は何のために生まれてきたのだろうか(生きる意義に対する問い)
どうせ自分はもう長いことはないのに、
頑張っても仕方がない
(希望がないという訴え)
こんな私を誰も助けてはくれない(孤独感の訴え)
私は死んだらどうなるのか(死後の問題)


などの悲嘆として現れます。
身体的ケア、精神的ケア、社会的ケアだけでなく、
今日の医学では、このスピリチュアルペインの必要性が
強調されています。
治療者は患者に寄り添い、本人が、ガンとともに生きる意味を
見つけられるようギリギリいっぱいまでサポートしますが、
しかし、おのずと限界があり、根本的な解決にはなりません。
そして、この魂の叫びは、ガン患者だけではなく、
また死を目前にした人だけでもなく、自覚はしていませんが、
生きているすべての人が本来抱えている問題なのです。


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●現在と未来は切り離せない


誰にも等しく訪れる死が、いかに人の心をさいなむか。
この真野医師の話からも知られましょう。
未来が暗いと、現在が暗くなることを、
私たちは日常的に経験しています。


全国紙の人生相談には、こんな悩みも寄せられています。


「居住する団地の班長の役目が、3年後に回ってくるが、
自分は務まりそうにない。
自治会費を集めるくらいはできそうだが、
気の小さい自分には、団地の除草や清掃の手配などできそうにない」
                  (60代男性)
「間もなく姑を引き取って介護することになっている。
気性が荒く、暴言を吐く姑にはこれまでも苦しめられてきた。
夫は昼間は仕事だから、姑と2人きりで過ごさねばならないと
今から憂鬱」
                  (50代女性)


これらは、いずれも未来に対する不安です。
こんな悩みに“起きてもいないことをあれこれ悩んでも仕方がない”
と思う人もあるでしょう。
しかし、私たちが今を心から幸せに生きるには、
将来の安心が絶対に必要なのです。

「最近、体調が思わしくなくて、検査したら早期ガンだと言われた。
一週間後に手術なんだけど、完治できるのか今から不安で・・・」
未来に心配のタネがあると、今の心が暗い、
現在と未来は決して切り離せないものだと分かります。

自分を大切にする賢明な人ほど、
未来への準備を怠りなくしたいと考えます。
だから、
「一週間後に大事なテストがあるけど、とりあえず、
それまでは思い切り遊ぼう」
とはならないのです。
大事な未来があればあるほど、その準備に集中するでしょう。
すべての人の最も確実な未来が死です。
それに例外はありません。
「死ねばどうなるか」は、だから、すべての人の大問題。

無視できることではありません。
後生がハッキリせず、暗いままで、
明るい現在を築こうとしても、できる道理がないのです。


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●「後生暗い心」が“今”破られ
         無限に明るい未来へ


後生ハッキリしない不安を仏教で
「生死の一大事」とも「後生の一大事」ともいわれます。
仏教の目的である「抜苦与楽」の「苦」とは、
この「後生の一大事」の苦しみをいい、
「抜苦」とはこの一大事を解決することです。

「与楽」とは、大宇宙の仏方の本師本仏である
阿弥陀仏の本願力によって、
未来永遠に変わらぬ絶対の幸福にしていただくことです。

この抜苦与楽の身になることが私たちの人生の目的なのです。
先の真野医師もこう述べています。


私は、スピリチュアルペインは、仏教で教えられている
無明の闇(後生暗い心)の表出と理解しています。
スピリチュアルケアの重要性を説く人々は、
それがケアできるという前提に立っていますが、
仏教では、後生の不安は人間の力でどうにかなるものではなく、
平生に阿弥陀仏のお力によって解決していただく、
と教えていただいています。
ケア(一時的癒やし)ではなくキュア(治癒)。
弥陀は、「無明の闇」を生きている時に破り、
後生の苦しみを完治させてくださるのです。


大宇宙のすべての仏が師と仰ぐ阿弥陀仏は、
「全人類の無明の闇を破り、絶対の幸福に必ず救う」
という本願(お約束)を建立なさっています。

絶大なるこの本願力によって、平生の一念に無明の闇が破られ、
後生明るい心に救われますから、
“すべての人よ、早く阿弥陀仏に助けていただきなさいよ”
お釈迦さまは、一切教の結論として、
一向専念無量寿仏

弥陀一仏に向き、弥陀のみを信じよ
を説かれました。
これは地球のお釈迦さまだけのことではありません。
すべての諸仏や菩薩も皆、弥陀一仏を褒めたたえ、
早く無明の闇を破っていただき、必ず浄土へ往く身になりなさい
教え勧められているのだよ、親鸞聖人はこう和讃に仰っています。


無明の闇を破すゆえに
智慧光仏となづけたり
一切諸仏三乗衆
ともに嘆誉したまえり
」(浄土和讃)
阿弥陀仏を、一切の諸仏や菩薩たちが
「智慧光仏」と絶賛するのは、苦悩の根元である後生暗い心を破るお力が、
阿弥陀仏にのみあるからである。)


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苦しみの本当の原因は何か!? [苦しみの根源]

 

(真実の仏教を説かれている先生の書かれた「とどろき」より載せています。) 

我々はみな、幸福を求めて生きています。
しかし、「人生は苦なり
とお釈迦さまが言われたように、
みな苦しんでします。
本当の原因は何か、
それを知らないから
いつまでも苦しみ続けるのだと
お釈迦さまは教えています。

今回は、苦しみの本当の原因について、
仏教にどう説かれているのか、
皆さんにお話したいと思います。



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二千六百年前、仏教を説かれたお釈迦さまは、
人生の実相を、「有無同然」と喝破されました。
「有っても無くても同じ」ということです。
「ん?有るのと無いのとでは、反対じゃないか。
それが同じとは、お釈迦さまもおかしなことを言われる」
と思うでしょうが、
これは、「苦しみから離れられない」のは同じ、
ということです。


お金や財産、地位や名誉、権力、
恋人、妻子など、
無い人は無いことで苦しみ、
有る人は有ることが
不安や心配の種になる。
何を手に入れても、
本当の安心も満足も得られないのだ、
と言われているのです。


科学が進歩し、生活が便利になり、
物質が豊かになった今の日本でも、
自殺者が毎年三万人います。
「人間に生まれてきてよかった」と、
生命の大歓喜を叫び上げている人が
どこにいるでしょうか。


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(世界の光・親鸞聖人アニメより)

人生を苦に染める元凶は、いったい何か。
親鸞聖人は、
「決するに疑情を以て所止(しょし)と為す」

「疑情ひとつ」だと道破されています。
「決するに」「所止と為す」の断言には迷いがありません。

世界中の誰もが知りたい苦悩の根元を、
聖人はたった一言で説ききられているのです。

「疑情」とは、「無明の闇」ともいわれ、
「後生暗い心」のことです。

「後生」とは死んだ後のこと。
百パーセント確実な未来です。
早ければ今晩かもしれません。
いや、心臓発作や脳梗塞で、
今一息切れたら後生なのです。

「暗い」とは「分からない」「ハッキリしない」ことですから、
「後生暗い心」とは
「死後どうなるか分からない心」をいいます。

では、どうして「後生暗い心」が苦悩の根元なのか、
疑問に思う人が多いでしょう。


未来が暗いと現在が暗くなる

未来暗いと、どうなるか。
例えれば、こうもいえましょう。
三日後の大事な試験が、
学生の今の心を暗くします。
五日後に大手術を控えた患者に、
「今日だけでも、楽しくやろうじゃないか」
と言ってもムリでしょう。

未来が暗いと現在が暗くなる。

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墜落を知った飛行機の乗客を考えれば、
よく分かるでしょう。
どんな食事もおいしくないし、
コメディ映画もおもしろくなくなります。
快適な旅どころではありません。
不安におびえ、狼狽し、
泣き叫ぶ者も出てくるでしょう。
乗客の苦悩の元はこの場合、
やがて起きる墜落なのですが、
墜死だけが恐怖なのではありません。
悲劇に近づくフライトそのものが、
地獄なのです。



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未来が暗いと、現在が暗くなる。
現在が暗いのは、未来が暗いからです。

死後の不安と現在の不安は、
切り離せないものであることが分かります。
後生暗いままで明るい現在を築こうとしても、
できる道理がないのです。


五十歳近くになったトルストイが、
気づいたのもこのことでした。
今日や明日にも死がやってくるかもしれないのに、
どうして安楽に生きられるのか。
それに驚いた彼は、
仕事も手につかなくなっています。


「こんなことがよくも当初において
理解できずにいられたものだ、
とただそれに呆れるばかりだった。
こんなことはいずれもとうの昔から
誰にでも分かりきった話ではないか。
きょうあすにも病気か死が
愛する人たちや私の上に訪れれば
(すでにいままでもあったことだが)
死臭とウジ虫のほか何一つ残らなくなってしまうのだ。
私の仕事などは、たとえどんなものであろうと
すべては早晩忘れ去られてしまうだろうし、
私もいなくなってしまうのだ。
とすれば、なにをあくせくすることがあろう?
よくも人間はこれが眼に入らず生きられるものだ。
これこそまさに驚くべきことではないか!
生に酔いしれている間だけは生きても行けよう、
が、さめてみれば、これらの一切が、ごまかしであり、
それも愚かしいごまかしであることに
気づかないわけにはいかないはずだ!」


愛する家族もいつか、この暗い死にぶつかるのだ。
そう思うと、生きがいであった家族も芸術の蜜も、
もう甘くはありませんでした。
作家活動は順調でしたが、
確実な未来を凝視した彼の世界は、
無数の破片にひびわれ一切が光を失いました。


「われわれは断崖(危険)が見えないように、
何か目隠しして平気でその中へ飛び込む」
パスカルは危ぶみます。



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思えば私たちは、真っ暗がりの中を、
突っ走っているようなもの。
「死んだらどうなるか」
未知の世界に入っていく底知れぬ不安を、
何かでごまかさなくては生きてはいけないのです。

文明文化の進歩といっても、後生暗い心が晴れない限り、
このごまかし方の変化にすぎないでしょう。
しかしごまかしは続かないし、
何ら問題の解決にはなりません。
何を手に入れても束の間で、心からの安心も満足もない、
火宅のような人生にならざるをえないのです。


眼前に、人生の目的が、突きつけられる。

人は、生まれたときが
母艦を飛び立った飛行機とすれば、
悪戦苦闘の生きざまは、
乱気流や暴風雨との闘いであり、
敵機との交戦です。
激闘のすえ帰還すると、
母艦の影も形も見あたらない。
見渡す限りの大海原。
燃料系はゼロ、としたらどうでしょう。
長い死闘は何だったのか。
バカだった、バカだった・・・。

大命、将に終わらんとして
悔懼(けく)こもごも至る

                (大無量寿経)

臨終に、後悔と恐れが、
代わる代わるおこってくる

と説かれるのは、
海面に激突する心境に違いありません。
飛行機に墜落以上の大事はないように、
人生に死ぬ以上の大事はありません。
生死の一大事をも、
後生の一大事ともいわれるゆえんです。


ムダな日々を過ごしてきた。
求めるものが間違っていた。
才能、財産、権力があれば
他人はうらやむが、
我が身には喜びも満足もない。
なぜ心の底から満足できる
幸せを求めなかったのか。

後悔のため息ばかりであると
セネカ(二千年前のローマの思想家)は言っています。
「こんなはずじゃなかった」と、
真っ暗な後生(無明の闇)に驚く、
後悔に違いないでしょう。

終幕の人生にならないと
誰も気づかない落とし穴
ですから、
チェーホフ(ロシアの小説家)は、
代表作『六号病室』で
「人生はいまいましい罠」
と表現したのかもしれません。

世人薄俗にして、
共に不急の事を諍う(あらそう)

               (大無量寿経
世の中の人は、
目先のことばかりに心を奪われて、
無明の闇を破る人生の大事を知らない

釈尊の警鐘乱打です。

親鸞聖人が、無明の闇を苦悩の根元と断言し、
これを破って無尽の法悦を得ることこそが、
人生の目的であると明示された純正さが、
いよいよ鮮明に知られるでしょう。

この生死の一大事を知れば、
人生の目的の有無などの議論は、
吹き飛んでしまうに違いありません。
眼前に、人生の目的が、突きつけられるからです。


●生死の一大事の解決

還来生死輪転家 決以疑情為所止」(親鸞聖人・正信偈)
と、苦悩の根元を無明の闇ひとつと
聖人は断言され、
その無明の闇が破られたことを「信心」といい、
その信心ひとつで「生死の一大事」は解決できる
のだと
明言されています。

我々は死ぬことを忘れてしまっています。
大震災で亡くなられた方は、その日の朝、顔を洗うときに、
今日自分は死ぬんだと思った人は誰もいないのです。
死は突然にやってきます。
そのときにようやく自分の心が真っ暗がりで、
死後、苦悩の世界に突っ込むことが分かって泣いても
遅いのです。

早く皆さんが、真実の仏法を求められる日が来ることを
念じるばかりです。


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次から次へと苦しいのはどうしてなのか!? [苦しみの根源]

仏教を説かれた釈尊は、
三十五歳で仏のさとりを開かれた第一声に、
人生は苦なり」と仰いました。
この世は苦しみが充満しています。
こんなことはあえて説明しなくても、
そう感じている人は多いのではないでしょうか。

かの家康は、
人の一生は、重荷を背負うて遠き道が行くが如し
と晩年に言っています。
徳川三百年の基礎を築き、
金も権力も手にした家康にして、
この言葉は、人生の果てなき苦悩を示すものでしょう。
また、『放浪記』の林芙美子女史の言葉には、
花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき
とあります。
女性の命を花に例え、短くて、
しかも苦しみに満ちていると嘆いたのでした。


すべての人は幸福になりたいと願っています。
どうすれば、人生苦から逃れられるのか。
それにはまず、苦しみの原因を、
正確に突き止めねばなりません。
病気も、どこに原因があるかによって、

治療法が変わってきます。
腹痛といっても、ただの食べ過ぎなのか、
それとも潰瘍なのか。
潰瘍なら、胃なのか、腸なのか。
治療を間違えれば、むしろ悪化し、
命取りになることさえあります。
正しく病気の原因を探ることが大事です。
 
人生の苦しみの原因はどこにあるのか、
人々の声を聞いてみますと、
「オレが苦しんでいるのは、金がないからだ」
「借家住まいだから苦しんでいるのだ。
早くマイホームが欲しい」
「同期生はもう、課長や係長になっているのに、
オレはまだヒラだからだ」
「こんな男と結婚したからよ」
「親に暴力を振るうような子供を持ったからだ」
「ヒドイ病気になったせいで苦しんでいる」
などなど。
金がない、家がない、地位・名誉がない、
夫や妻や子供に恵まれない、健康を失った・・・。
これらを苦しみの根源のように
思っている人が大半です。

十人いれば、八、九人までは

そのように思っているのではないでしょうか。

しかしこれらは、一つ解決しても、
また次の難題が浮かび上がるものです。

「世の中は、一つかなえば二つ、
三つ四つ五つ、六つかしの世」
とも歌われますように、
苦しみが何もなくなることは考えられません。






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たとえるなら、一本の大木があったとします。
その枝の先に、
「お金がない」という苦しみの花が咲くのです。
すると人生相談の先生が、
「それはね、今の商売があんたに合わんのだ。
仕事をかえたらどうかね」
とアドバイスします。
花の咲いている枝を
切り落としたらどうかと言っているのです。
そこで今の店を畳み、
もっと好きな商売を始めてみました。
ところが、なんとか軌道に乗ったころ、
無理したために、病気にかかってしまうこともあります。
枝を切り落としただけ、養分が別の枝にめぐって、
他の苦しみの花を咲かせるのです。


「主人とうまくゆかなくて・・・」
と人生相談所を訪れた奥さんに、先生は、
「もう別れなさい。無理やり続けてもダメです。
もっとイイ人と連れ添ったらどうですか」
などと言うでしょう。
「夫婦生活がうまくいかない」
という苦しみの花を、枝を切ってなくせと言うのです。
その通りに実行して、気の合った人と再婚、
ようやく平穏な生活を手に入れたと思うころには、
今度は、子供が新しい父親の愛情を受け入れず、
非行に走るといった新たな苦しみの花が咲くのです。

根から吸い上げられた水分や養分は、
幹を経由し、枝葉にまでゆき渡ります。
細い枝を切っていても、
苦しみの養分が花を咲かせないようにはできません。
苦しみの花がいっぱい咲かないようにするには、
太い幹を切るしかないのです。
幹に相当するのが、苦しみの根源です。

苦しみの根源は何か?
     臨終にわかる「無明の闇」

苦しみの根源は、「無明の闇」という心だと、
釈尊は教えられました。
これは、すべての人が持っている、暗い心です。
私たちは、未来に苦しいことが待っていると、
心も沈んで暗くなります。
明日は学校で試験があるとなると、
浮かれた気持ちにはなれません。
大手術を明日受ける人は、
今日から暗澹たる気持ちを拭いきることはできないでしょう。
試験や手術が終われば、暗い心は晴れてしまいますが、
無明の闇は、
無始より私たちを苦しめてきた心であり、
また未来永遠に苦しめてゆく心なのです。
これを「後生暗い心」とも言います。


「後に生まれる」と書きますように、
死んだ後の世界が後生ですが、
一息切れたらどうなるのか、ハッキリしません。
大地震が発生して、今死ななければならないという
非常事態になったとき、
「死にたくない!」という気持ちが出てきます。
病院で健康診断を受け、
医者からもし、
「来週もう一度検査しましょう。
いえいえ、念のためです」
と言われたら、
「ひょっとして、ガンではなかろうか」
と、不安でたまらなくなります。

こんな心を抱えて、どんな世界に行くのでしょうか。

自然主義文学の田山花袋(たやまかたい)が
六十歳で死んでゆくとき、
親友で詩人の島崎藤村が、臨終の覚悟を尋ねました。
「独りで往くのかと思うと淋しい」
と弱い声で答えています。

夏目漱石は大正五年十二月九日、胃潰瘍のため、
五十歳で亡くなりましたが、最後に、
「ああ苦しい。今、死んでは困る」
とつぶやいたのは有名です。

『金色夜叉』の尾崎紅葉も、胃ガンを宣告されたとき、
『断腸の記』という悲痛な記録を残しています。
彼の華やかな文学も、死の淵に臨んでは、
少しの明るさもありませんでした。

六十六歳で亡くなった平林たい子さんは、
「一生懸命働きますから、何とか生かしてください」
と、主治医に頼んで死んでいます。

「お母さんへ。山の死を美しいとするのは一種の感傷でした。
生還すればもう山をやめて心配はかけません」
「再び母へ。ありきたりのことだが先に行くのを許してください。
お父さん、心配かけて申し訳ありません」
これは冬山で遭難した、ある大学生の遺書です。

死に直面すれば、演技する余裕も、
意地も我慢もなく本音を吐くものです。
一歩後生へと踏み出したときに、
私たちはどのような気持ちになるか、
自分の人生を真面目に考えてみましょう。


死と隣り合わせの死刑囚
     私たちも無常の身

死刑囚の生活もまた、
死と隣り合わせであることを
自覚した人間がどう感ずるのか、
教えてくれています。

裁判で死刑が確定した受刑者に、
刑を執行するかどうかは、
法務省の印鑑で決まります。
ハンコが押され、執行日が決まると、大抵の場合、
当日の朝になって、本人へ告知されるのです。
ですから毎朝、
『今日こそは、わが身か』
という恐怖とともに目覚めねばなりません。
懲役囚に比べれば、食べ物の購入や差し入れが自由で、
強制労働もない死刑確定囚は、
肉体的には健康であってもよいはずですが、
実際にはやせ細り、生彩がないといいます。
『今日が執行の日かもしれない』という精神的重圧に毎日、
苦しめられているからです。
再審で無罪が確定した元死刑囚は、 
何を食べてもまずく、
好物の焼き肉はゴムを噛んでいるように感じられ、
ラーメンは紙のようだったと言っています。



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しかも、午前九時から十時の、
朝食後から十時の、
朝食後から運動までの時間に言い渡されるのが
慣例になっているため、
通常の巡視や掃除が
いつになく急いで行われたりすると、
死刑囚の舎房はそれだけで、
一気に恐怖のるつぼになるのです。
全員が息をひそめ、
緊張した静寂に包まれると言います。

あるとき、任務について間もない新入りの刑務官が、
この時間の様子をうかがいに死刑囚の廊下を歩きました。
その足音に、確定囚全員が息をのんで耳をこらし、
何気なく立ち止まった部屋の死刑囚は、
中で腰を抜かして失禁したのです。
数日後、その若い看守がくだんの死刑囚に呼ばれ、
扉の視察孔から部屋を覗くと、
いきなり目を突かれ、重傷を負ったとも言います。

死んでゆくのは果たして、死刑囚だけでしょうか。
フランスの文学者、ピクトル・ユーゴは、
人間は不定の執行猶予期間のついた死刑囚だ
と言っています。
私たちの死刑とて、今日かも、明日かもしれません。
牢獄の死刑囚が味わう恐怖と、
臨終に私たちが襲われるそれとは、
どこが異なるでしょうか。

むしろ、死と隣り合わせの死刑囚の方が、
人生を真面目に考えていると言えるかもしれません。
私たちにも、死に臨んで真っ暗になる
無明の闇の心があるのです。

この心を抱えて生きている全人類に、
本当の安心・満足はありません。


ちょうど、島影一つ見えない大海原の上空を
飛んでいる飛行機の機内で、
酒や食事でもてなされ、
楽しい映画が上映されていても、
燃料は限りなくゼロに近く、
間もなく墜落しなければならない
運命にあるようなものです。
空の旅を十分、楽しめますか。

「歓楽尽きて、哀情多し」とも言います。
どれほど宴会で、どんちゃん騒ぎをしていても、
終わって独り帰るころには、
淋しい気持ちがこみあげてくるではないですか。

酒やカラオケではごまかしきれない、
哀愁に満ちたこの心が、無明のカゲです。
これが一歩、後生へと踏み出すと、
真っ暗な心となって、胸一面覆うのです。


●台所とトイレ

「そんな暗い話なら、しない方がいいじゃないか。
明るく楽しく、笑って生きる方法を、僕は選ぶよ」
と言われる人もあるでしょう。
それはまじめな人生観とは言えません。
生と死は、切り離しては考えられないからです。

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仏法では、「生死一如」と言われます。
たとえるなら、「生」は台所で、
「死」はトイレのような関係です。

台所は誰もが好きな場所。
おいしい食べ物が置いてあり、
子供が学校から帰ってきて、
「おかあさん、ただいま~、何か、ない?」
と言ってのぞくのは台所です。
一家団欒、楽しい食事も、台所があってこそです。
反対にトイレが好きな人は、あまりないでしょう。
トイレ掃除は汚くて、御免蒙りたいものです。

では、家を新築するとき、台所だけ造って、
トイレは造らないことがあるでしょうか。
台所で食べたり飲んだりできるのは、
トイレがあるからです。
トイレのない家に住むとき、さぞ不自由でしょう。

不慣れな海外旅行をして、
トイレに困ることがあります。
そんなときには、あまり食べたり飲んだりせぬよう、
口の方で控えるものです。
トイレが確保されて初めて、
台所で安心して飲食できるのですから、
台所を活かすか殺すかは、
トイレにかかっているとも言えます。


明るく楽しい人生を送りたいのは、
万人の願いに違いありませんが、
生を根底から脅かすのが死ではありませんか。
「三十までに結婚して、子供は二人にして、
マイホームは四十で・・・」
と人生設計していても、いつ死ぬかわからないことが、
計算されていません。

起きるか起きぬか分からぬ火事を心配して、
火災保険に加入はしていますが、
必ずやってくる死の不安を感じている人は、
どれほどあるでしょうか。
老後の心配から貯金に励んでいる人はいても、
死の準備をしている人がありません。

絶対逃れられず、
しかもいつやってくるかわからぬ
死の不安を解消してこそ、
真に明るく楽しい人生を、
満喫できるのです。



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我々の苦しみは、未来が暗いからである! [苦しみの根源]

アニメ『世界の光 親鸞聖人』

(真実の仏教を説かれている先生の書かれた「とどろき」から載せています。 )  

難思の弘誓は
  難度の海を度する大船、
無碍の光明は
  無明の闇を破する慧日なり

          (教行信証)


阿弥陀さまは苦しみ多い世間の海を、
明るく楽しく渡す大きな船を造られています。
阿弥陀さまにはその大船に、私たちを必ず乗せて
極楽浄土まで届けて下さるお力があります

親鸞聖人の主著『教行信証』の
冒頭のお言葉について学びましょう。

親鸞聖人が、生涯かけてお書きくだされた
『教行信証』のいちばん最初には、
どんなことが教えられているのでしょうか。
今回は、
「無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」
についてお話したいと思います。

●「無明の闇」とは?

ここに「無明の闇」というお言葉が出てきます。
「無明」とは「明かりが無い」と書くように、
「暗い」ことです。
暗いことを「闇」ともいわれますから、
意味を重ねて「無明の闇」といわれています。
ここで言われる「暗い」とは、
「分からない、ハッキリしない」ことです。

例えば、経済がよく分からなければ
「私は経済には暗くって」と言いますし、
女性の気持ちに鈍感な人は、
「あなたって、女心に暗い人ね」と言われます。
では、「無明の闇」は何が分からず、
ハッキリしないのでしょう。
それは、「死ねばどうなるか」が
ハッキリしないのです。
つまり、「無明の闇」とは
「死後(来世)に暗い心」
をいうのです。

●「現在」と「未来」の関係

親鸞聖人が『教行信証』の最初に「無明の闇」について
書いておられるのは、
私たちにとってとても大切なことだからです。
ですが、「死後に暗い心」と聞いても、
「あまりピンとこない」という方もあるかもしれません。
「そんなことより今が大事では」
と感じられる方もあるでしょう。
そこで、「生と死」という大きなテーマを、
ひとまず「現在と未来」に置き換えて考えてみましょう。
現在と未来は、密接不離な関係にあります。
未来が明るければ現在も明るくなりますし、
未来が暗ければ現在も暗くなります。
例えば、大好きな人とのデートを
明日に控えた恋人の心境は
言うまでもないでしょう。
まだ恋人が隣にいなくても、
明るい未来に今からときめき、
気がつくと一人で笑顔になっています。

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逆に、一週間後に内蔵を取り出す大手術を
控えていたらどうでしょう。
「まだ一週間あるから今を楽しもう!」
と思えるはずがありません。
また、トイレが故障して使用不能なのに、
「今さえよければいい!」
と、思いっきり食べたり飲んだりも
できないでしょう。

安心して思いっきり出せるところが
確保されていなければ、
今、安心して思う存分、飲食もできないのです。
このように、現在と未来は切り離せない
関係にあります。
未来を無視して、明るく楽しい現在は
築けないのです。

では、人生の未来はどうなっているのでしょう?

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●人生を船に例えると

ここで、人生を船旅に例えてみましょう。
“今、川を下る船に乗っている”
と想像してみてください。

あなたは、船の中で人生を送っています。
船の中で、好きな人ができたり、嫌いな人とケンカしたり、
損した得をした、勝った負けたと、
泣き笑いしつつ、あくせく日々を過ごしています。

時折、こんな思いが、ふと頭をよぎるでしょう。
「特に何というわけでもないけど、何だかむなしい」
「家庭や友人に恵まれているはずなのに、
私は独りぼっちと感じることがある。
この孤独感はどこからくるのかしら」
「成功したはずなのに達成感がない。なぜだろう?」
「肩書きをなくしたら、自分には何もないなあ」
「毎日、同じことの繰り返し。
こんな人生に一体どんな意味があるのだろう」

この心はどこからくるのかな?と、
しばし悩みますが、答えは見つからず、
結局は目の前のことを何とかせねばと、
その日その日を精一杯生きています。

しかし、そうこうしている間にも、
船はどんどん進んでいくのです。

では、自分の乗っている船の行き先(確実な未来)は
どうなっているのでしょうか。

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誰もよく考えていないようですが、滝壺です。
船の中でどれだけ稼いでも、
趣味にいそしんでも、
最後、船もろとも落ちていかねばなりません。
人生は、「死」という「滝壺」への
旅路にほかならないのです。

その間、何しにこの世へ生まれてきたのか。
何を求めて、あくせく働いてのでしょう。
この家を建てにに来たのだと胸を張る人。
子供を生みに来たのだと苦笑いする人。
金や財産をためるために来たのだとうそぶく人。
名誉や地位を誇る人。
中には酒飲みに来たのだとわめく人もいます。

果たして誰か、これ一つに誕生したと
いえるものがあるでしょうか。
これでは一生空奉公(からぼうこう)ではないのか。
命を懸けてわがものと思っていますが、
この世のものは皆離散する。
あるというのは今しばらくそばにある
ということなのです。

天下を取った太閤秀吉も
「難波のことは、夢のまた夢」
と言い遺してこの世を去りました。

その400年前に、日本の権力を掌中にした平清盛も、
一昨年の大河ドラマで、
こんなセリフを吐露しています。
「誰か、助けてくれ。
暗闇ばかりじゃ」
「手に入れても、手に入れても、
光は・・・光には届かぬ・・・」
未来が暗ければ、現在も暗い。
100パーセント確実な未来に
一大事を抱えていては、
何を、どんなに手に入れても、
心に明かりが灯らないのです。

ならば、船の中の栄華より、
船ごと落ちていく滝壺の一大事こそ、
急ぐべきではないでしょうか。

                                                                                  
●蓮如上人は仰せです。
まことに死せんときは、予て、
たのみおきつる妻子も財宝も、
わが身には一つも相添うことあるべからず
」 
                (御文章)
いよいよ死んでいかねばならないとなった時、
今まで頼りにしてきた妻も子供も財産も、
皆、わが身から離れていきます。
人間は最後、丸裸になって、
たった一人で暗黒の滝壺へと
落ちていくのです。
咲き誇った花も散る時が来るように、
死ぬ時には、必死にかき集めた財産も、
名誉も地位も、すべて私から離れて、
一人で地上を去らなければなりません。
これほどの大事があるでしょうか。

これを「後生の一大事」といいます。
この悲劇の滝壺を、
魂はウスウス予感しているので、
何をしても、何を手に入れても、
現在の心が晴れないのです。

人は皆、笑顔の裏に、悲しみを抱えています。
たとえ一時は楽しめても、スグに言いようのない
むなしさや寂しさに襲われるのは、
生きている根底が暗いからなのです。

滝壺に落ちたあとは、どうなるのか?
誰もハッキリしません。
このような「後生(来世)に暗い心」を
「無明の闇」といいます。

●無明の闇を破ってくださる仏さま

滝壺行きの船から、
極楽行きの船へと乗り換えねば、
私たちは本当の幸福になれません。

ですが、無明の闇を抱えたままでは、
極楽往きの船には乗れないのです。

では、どうすれば無明の闇を
晴らすことができるのでしょう?
大宇宙に多くの仏さまがおられても、
無明の闇を破る力を持っておられるお方は、
阿弥陀仏以外にましまさぬと、
お釈迦さまも親鸞聖人も教えられています。

親鸞聖人は阿弥陀仏に無明の闇を晴らしていただき、
『教行信証』の冒頭に、
無碍の光明は、無明の闇を破する慧日なり
“阿弥陀仏には、無明の闇を晴らし、
私たちを絶対の幸福に救うお力がある”
と明言なされ、
『正信偈』には、
「已能雖破無明闇」(すでによく無明の闇が破れた)
と書いておられます。
生きている現在ただ今、
阿弥陀仏のお力によって
無明の闇(後生暗い心)を
破っていただけば、
いつ死んでも極楽往生間違いなしの
後生明るい心に
生まれ変わります。
阿弥陀さまが、極楽浄土に向かう
大きな船に乗せて
必ず渡してくださるからです。

極楽のことを、無量光明土(無限に明るい世界)ともいい、
親鸞聖人は『正信偈』に、
「必至無量光明土(必ず無量光明土に至る)」
と教えられています。
未来、明るければ、今も明るい。
弥陀に救われれば、
最高に明るい未来となりますから、
輝く未来に向かって生きる現在の
一息一息が、光明輝く、
絶対の幸福になるのです。

阿弥陀仏は「聞く一つ」で助けると
誓っておられます。
無明の闇が晴れるところまで、
阿弥陀仏の御心を真剣に
聞かせていただきましょう。


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本当の仏教の先生に会うことはいかに難しいか [苦しみの根源]


(真実の仏教を説かれている先生の書かれた「とどろき」から載せています)

真の知識にあうことは
難きが中になおかたし
流転輪廻のきわなきは
疑情のさわりにしくぞなき
        (親鸞聖人)

「真の知識」とは、本当の仏教を説く先生のことです。
「本当の仏教」とは、
「流転輪廻のきわなきは、疑情のさわりにしくぞなき」
と教える仏教のこと
で、
このように説く真の知識には、めったにあえないものである
と聖人は仰っているのです。

では、
「流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき」

とはどんなことか、解説を続けましょう。

●「流転輪廻のきわなきは」とは

「流転輪廻」とは、安心・満足というゴールのない円周を、
いつまでもグルグル回って苦しんでいるさまをいいます。

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禅僧・一休は、
人生は 喰て寝て起きて糞たれて 
子は親となる 子は親となる

と歌いました。

人が生きるということは、食べたり出したり、
寝たり起きたりしている間に、
小学校から中学、高校、大学と進み、
就職し、色気づいて結婚し、
子が親となって子育てしながら、
あくせく働いているうちに、気がついたらはや中年。
あーあ、もう人生の折り返し地点か、
などと寂しがっていると、
あっと言う間に退職を迎え、
いつの間にか孫が生まれて、
「おじいちゃん」「おばあちゃん」になっている。

こうして「喰て寝て起きて」を
何万回と重ねている私たちですが、
その間に「生まれてきてよかった」と
言えるほどの何かいいことあったでしょうか。

「今までで、一番うれしかったことは?」
「どんなときが幸せ?」
と聞かれて、即答できる人はどれだけあるでしょう。
「いやぁ、何かいいことあったかなぁ・・・・」。
昨日見た夢と区別がつかない程の記憶しか残っていないのが、
多くの人の実態ではないでしょうか。

そんな人生を聖人は、
「流転輪廻のきわなきは」
と言われているのです。
この果てしない流転輪廻(苦しみ)から、
「必ず救う。絶対の幸福にしてみせる」
と誓われているのが、阿弥陀仏の本願です。

なぜ苦しむのか

「肛門に目薬」とは、的外れな対処をヤユした言葉ですが、
痔が痛くてつらいのに、
そこへ目薬を差してもどうにもなりません。
そんな例えなら笑って済まされましょうが、
何ごとも原因を知らなかったり、
間違えたりすると大変なことになります。
治る病気も助からない。

お腹が痛い時でも、胃潰瘍の痛みか、
ガンからきているのか、神経性のものなのか、
正しい診断がなければ、的確な治療は望めず、
当然、患者の苦しみは除かれません。

胃ガンを潰瘍と誤診していたらどうなるか。
間違った治療を続けているうちに、
取り返しのつかないことになってしまいます。
病気の原因を突き止めることが、
治療の先決問題でしょう。


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私たちはなぜ苦しみから離れられないのか。
「人間に生まれてよかった」という喜びがないのでしょうか。

流転輪廻のきわのない本当の原因を、
正しく見極めてこそ、それを取り除いて、
真に輝く人生が開かれるのです。

苦悩の真因を、親鸞聖人はこう説かれています。
「疑情のさわりにしくぞなき」

疑情とは「無明の闇」のこと、
「しくぞなき」とは、これ以外にない、
これ一つということですから、

「すべての人が、苦しみから離れ切れない元凶は、
無明の闇ひとつなのだ」
と断言されているお言葉です。

私たちが最も知りたい、知らねばならないことを、
聖人は一言で説破されているのです。

●「無明の闇」とは何か

「無明の闇」とは、何なのか。
「無明」とは「明かりが無い」と書くように、
「暗い」ことです。
暗いことを「闇」とも言われますから、
意味を重ねて「無明の闇」と言われています。
「暗い心」のことです。
「暗い」とは分からない、ハッキリしないことで、
例えば「経済に暗い」といえば、
経済のことを知らないこと、
「パソコンに暗い」とは、パソコンのことはよく分からない、
ということ。
「無明の闇」とは、「後生」に暗い心をいうのです。
「後生」とは、私たちの100パーセント確実な未来です。

一休は、「元旦や 冥土の 旅の 一里塚」
と歌った。
「冥土」とは、死んだ後の世界です。。
年が明けると、みんな「おめでとう」「おめでとう」と言いますが、
私たちは「一年経てば一年、一日生きれば一日、
死に近づいております。
死ぬのは嫌じゃ嫌じゃと言いながら、
毎日、墓場に向かって行進しているのです。

すべての人が、後生へと向かっての旅人なのです。
たとえ地震や津波から逃げることはできても、
死ぬことから免れることはできません。
早ければ今晩かも知れません。
何かのことで吸った息が吐き出せなければ、
吐いた息が吸えなければ、その時から後生です。

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先のゴールデンウイーク、
関越道で高速バス死亡事故が起きました。
(平成24年のことです)
金沢を4月28日の夜に出発、富山県を経由して、
ディズニーランドのある浦安へ向かっていた夜行バスが、
92キロのスピードで防音壁に激突、
19歳の女性を含む7人の尊い命が奪われました。
乗客45名は皆、明日、目が覚めたら東京だ、
ディズニーランドだとワクワクしながらバスに乗り込み、
眠りに就いたにちがいありません。
ところが翌朝4時40分の事故で、
一瞬にして後生へと旅立ってゆかれた。

今生から後生へと変わるのには、
一日もかからない。
あっという間です。
50年や60年先のことではなく、
一息一息と触れ合っているのです
から、
人類70億の中で、後生と関係のない人は、
一人もありません。

ところが、普段「死」と聞いても、
ほとんどの人が「死んだら死んだ時だ」
「考えたって、どうにかなるものじゃない」
と、問題にもしていません。
肉親や友人の死にあって否応なしに考えさせられる時は、
「もうあの人には永遠に会えないのか。
いや待てよ、オレもやがて死ぬんだな」
と真面目にもなりますが、一過性で、
しばらくするとケロッとしています。
「そりゃあ、いつかは死ぬだろうが、
まだ当分、先のこと」と、死を先送りする。
死ぬということが、どうしても問題にならないのが私です。
「死ぬのは恐ろしい」と言ったところで、
ながめている他人の死と、眼前に迫った自己の死は、
動物園で見ているトラと、
山中で出くわしたトラほどの違いがあるのです。


秋田県のクマ牧場で、女性従業員2名が、
飼育していたヒグマに襲われ亡くなる事故が起きました。
いつも餌を与えていたクマたちが、
檻から逃げて目の前に出現した時の恐怖は、
どれほどだったことか。

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元気な時は、「死は休息だ」「永眠だ」「別に怖くないよ」
と気楽に考えていますが、“いざ鎌倉”となると、
先はどうなっているかが大問題となります。

死後は有るか、無いか。
無いなら無いでハッキリしているなら安心もできようが、
どうなっているやら、さっぱり分からない。
後生は真っ暗がりなのです。

この「死んだらどうなるか分からない心」を、
「無明の闇」といわれるのです。


阿弥陀仏は、この「無明の闇」こそが
私たちの苦しみの根元と見抜かれ、
「すべての人の無明の闇を破り、
必ず浄土へ往ける大安心に救う」
と約束なされている。
これが「阿弥陀仏の本願」です。


「本願」とは「誓願」とも言われます。
この「弥陀の誓願」を正しく伝える方を「真の知識」と言い、
そういう方はめったにおられないから、
「真の知識にあうことは 難きが中になお難し」
と仰っているのです。


そんな中、幸いにも親鸞は、
弥陀の誓願不思議を説かれる法然上人に
お会いすることができたのだ。
ああ、なんと幸せな者なのかと、
喜んでおられるお言葉なのです。

ここで、「無明の闇を破る」お力のある方が、
大宇宙広しといえども、
それは本師本仏の阿弥陀仏だけなのだよ
と、
親鸞聖人は、

無明の闇を破するゆえ
智慧光仏となづけたり
一切諸仏三乗衆
ともに嘆誉(たんにょ)したまえり

と褒め称えておられるのです。


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生きる力が湧いてくる [苦しみの根源]

生きる力がわいてくる
   親鸞聖人の教えで
        人生が変わった

「もう生きていけない。サヨウナラ」
大人から子供まで、自殺が後を絶ちません。
人生の荒波に翻弄されていきるのは、みな同じ。
しかし、親鸞聖人の教えによって、
明るくたくましい人生に転じた人は幸せです。

どのような心で、悩み苦しんできたのか、
それが仏法によって、いかに大変貌を遂げたのでしょうか。
み教えに生かされた2人の読者に聞いてみましょう。

仕事を終え、伴侶を看取ったあとに
       心の飢え、満たす教えに遇えた
          中森 悦夫さん(鳥取県)

私、このまま終わっちゃうの?
       子育て後のむなしさが一転
          田中 加津子さん(神奈川県)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
仕事を終え、伴侶を看取ったあとに
       心の飢え、満たす教えに遇えた
          中森 悦夫さん(鳥取県)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
両親と妻の看護のため、
定年を待たず仕事を辞した鳥取県の中森悦夫さんは、
3人を看取った後、大きな心の飢えを感じていました。
仏法と出遇い、生きる希望に満ちている
中森さんの手記です。


私は昭和8年、広島県西条町(現・東広島市)の山手の
浄土真宗の家に生まれた。
寺の境内を遊び場とし、『正信偈』の勤行もしていた。
しかし、仏教はあくまで生活の一部であって、
教えを深く学んだことはなかった。

小学6年のある夏の朝のこと。
朝礼が終わり、担任の先生が教室に入ってこられた、
「キリツ、礼」と級長が声をかけた直後、
西の空に強烈な閃光が走って、
大きなきのこ雲がハッキリ見えた。
やがて激しい衝撃が校舎の窓を揺らす。
かつてない爆発だった。
“火薬工場の火災か”、先生たちは大慌てで
広島市内へ問い合わせるが、確かな情報が届かない。
その夕方から、広島に行って被爆した人たちが
馬車に乗せられ、運ばれてきた。
多くの人が亡くなった。
間もなく戦争は終わった。

     ■共産思想に傾倒

思春期になると、片っ端からいろんな本を読んだ。
戦後の貧しい時代。
腹はいつも減っていたが、
心がそれ以上に飢えていた。

「いかに自立して生きるか」がそのころの命題だった。
柳田国男や太宰治をはじめ、
島崎藤村の『破壊』や倉田百三の『出家とその弟子』
などを読みあさった。
高校生の時、共産思想を掲げる青年組織に
顔を出すようになった。
喫茶店でコーヒーの回数券を買い、
新聞記者の話を聞いたり、
講習を聞きに静岡の伊豆まで行ったりもした。
ところが次第に、「しっくり」こなくなる。
活動にも力が入らなくなった。
資本家と闘う階級闘争で、
世の中の問題が本当に解決するのか。
こんなことをしていても、幹部の連中が喜んでいるだけ。
ほかに道があるのでは、との思いが強くなったからだ。
共産思想から離れ、将来の進路に悩むようになった。
「これからは畜産が盛んになる。
大学で学んで、将来は北海道へでも行こう」
と思い立ち、獣医の資格を取ろうと、
獣医学科のある大学をいくつか受験し、
同じ中国地方の鳥取大学の門をくぐった。

    ■キリスト教にも満足できず

大学では、かつての「心の飢え」がまた芽を吹き返した。
しかし共産主義のように、
闘争だといって皆で騒いでいるだけではだめどと感じ、
今度は、友人に誘われるままキリスト教の話を聞いた。
ルターやカルヴィンの時代に始まったプロテスタントである。
「神は存在するのか」「宗教とは一体何か」
「お釈迦さまの仏教との違いは」など、
後から後から聞きたいことがわいてきた。
牧師の勧めで教会に泊まり込んで聞いた。
後に日本聖公会を率いる有名な牧師の話を聞いたこともある。
ところがまた、言葉では言い表せない、
「しっくり」こない思いが胸を占め始めた。
教会との縁は、就職後も続いたが、
次第に足が遠のいた。

大学卒業後は鳥取県の職員として、
畜産試験場で研究員を務めた。
乳牛の栄養学を専門としたが、
農家の経営分析でも知られるようになり、
鳥取県内を講師として、説いて回るようになった。
畜産農家の人たちの相談に乗り、技術指導も続けた。
昼夜を分かたぬ働きで、
多くの人たちから必要とされていた。

     ■両親と妻が相次いで

昭和が平成に変わるころ、
両親の衰弱が目に見えて著しくなった。
道で転倒したり、踏み台から落ちたりして、
たびたび骨折し、入退院を繰り返した。
長男であったため鳥取県倉吉の自宅から
広島県東広島市の実家まで、
ほぼ毎週赴いて看病した。
およそ200キロ。
車で片道3時間以上かかった。
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永年、やりがいをもって勤めた仕事も、
両親の看護のため、定年前に辞めた。
母が亡くなると、次は父が動けなくなった。
さらにつらい事態に襲われた。
平成12年、妻・千恵子が末期ガンに倒れたのだ。
心構えもないところに、
降ってわいたように訪れた、妻の最期。
「そばに付き添い、かゆいところにでも
手が届くようにしてやりたい」
永年連れ添い、仕事に熱中する自分を支えてくれた妻に、
何とか恩返ししたい。その一心で無理を重ねた。
父が入院する倉吉駅前の病院と、
妻のいる自宅近くの病院に毎日通って、
洗濯物をまとめたり、種々の世話をする。
夜は妻のベッドの下で寝る。
“看護は、地獄だ”と思った。
3ヶ月が過ぎたころ、体に変調を来す。
不整脈と診断され、入院を余儀なくされた。
結局、知らされたのは、何もしてやれない、
どうにもならない現実と無力な自分だった。
悲しむ間もなく、父も翌年他界。
8年にわたる看護生活が終わりを告げた。
「ああ、一人、残されてしまった。
これから、どうしたらいいんかいな」
という思いしかしなかった。
家族を失い、体調の都合で仕事にも戻れず、
何をしていいか分からない。
空虚な心がどうにもならなかった。
とりあえず人生終わるまでは、なるべく元気に、
子供や兄弟に迷惑をかけないようにと、
健康を考えて栄養士の指導を受けられる
料理教室に通うことにした。

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あるいは碁会所(ごかいしょ)で盤をにらみ、
近所の集まりに顔を出す。
これといった変化のないまま日々が過ぎていった。

      ■アニメとの出会い

そんな昨年の一月。
地元紙の『日本海新聞』を開き、
お悔やみ欄を確認していた。
仕事で多く縁のあった方が亡くなっていないか。
欠礼しては申し訳ないと日課にしていたのだ。
その時、同じページの案内広告が目に飛び込んできた。
アニメ『世界の光・親鸞聖人』上映会”。
懐かしい聖人のお名前に、
子供のころ寺で勤行した記憶がよみがえる。
上映会の日、『世界の光・親鸞聖人』を初めて見た。
驚きと衝撃の連続だった。
自分を深く深く見つめられる聖人のお姿、
身命を懸けた求道と、渾身の力を込めての布教の激しさに、
心が震えた。
心の中に地割れが生じた。
暗い闇をのぞいているような、
今まで気づいていなかった内面の新たな世界が
広がっていくような気がした。
同時に、『正信偈』はお経ではなく
親鸞聖人の書かれた文章であること、
阿弥陀仏とお釈迦さまは違う仏であることなど、
今まで何も知らなかったことが分かった。
浄土真宗の家に生まれた者として
許されないことではないのかと自分を責めた。

「如来世に興出したもう所以は、
唯、弥陀の本願海を説かんがためなり」
          (親鸞聖人)
「釈迦如来が、この世に生まれ出られ、
仏教を説かれた目的はただ一つ。
大宇宙の仏方の本師本仏である
阿弥陀仏の本願を説くためであったのだ」

     ■弥陀の呼び声を

すべての人の生きる目的を明らかに教えられたお言葉に、
月一回通っていた料理教室もやめ、
家事の時間も極力省いて、購読していた月刊誌三冊も
『とどろき』ひとつに絞った。
それまで毎年3回は、救急車で運び込まれていた不整脈の症状も、
昨年の4月以降はすっかりなくなってしまった。
体調がよくなり、かつては控えていた運転も解禁し、
今は米子や鳥取市へ、自ら聞法に出かけている。

10月の鳥取でのアニメ上映会で、うれしいことがあった。
講師が、
「今後、この会場で親鸞聖人の
アニメシリーズを続けて上映します」
と案内されると、自然と拍手がわき起こった。
同じように上映会でご縁を結ばせてもらった身として、
新しい法友の現れたことも喜ばずにおれなかった。

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今は何よりも、阿弥陀仏のじかの呼び声を
聞かせていただきたい。

体は枯れていくばかりだが、心はどんどん元気になって、
力がわいてくる。大きな幸せを感じている。

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「私、このまま
   終わっちゃうの?」
   子育て後のむなしさが一転
      田中 加津子さん(神奈川県)
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専業主婦として、永年、家族を支えてきた
田中加津子さん(仮名)は、
子供が2人とも大学生になって手を離れた時、
言いようのないむなしさを感じたといいます。
どのような心境だったのでしょうか。

その日、長男が都内の私立大学に現役大学に
現役合格した。
高2から予備校に通わせ、科目を絞って
勉強させたかいがあった。
上の娘はもともと地道に頑張る子で、
短大の家政科が志望だったから、
それほど根を詰めて受験勉強をしたということはなかったが、
弟は違う。
受験で将来が決まるという強迫観念から、
自然と口うるさくなった。
息子も、そんな親の危機感を察知してか、
予備校に通いたいと自ら志望してきた。
経済的な負担はあったが、子の将来には代えられない。
夫の了解を得て、少し早い受験戦争は始まった。

     ■息子が合格した夜に

あれから2年。
長いようで短かったが、その夜はなかなか寝付けなかった。
子供の受験さえ終われば、一段落して楽になれるはずだったのに、
子育てももう終わりかと思うと、
心なしか寂しい。
何より、これで母親としての役割が奪われるように感じたのだ。

実際はしかし、息子はこれからも息子だし、
娘だって卒業を控えている。
ホッとするのは早い。
子供達にはまだ、就職や結婚、
出産などが待っているはずなのに。
心のすき間には言いようのないむなしさが、
パックリ口を開いている。
次の朝も、そのむなしさは消えなかった。
昨晩よりむしろ、膨らんでいるように思えた。
この心の空洞の出どころを少しずつ探ってみようと思った。

      ■空っぽな心

20代半ばで結婚し、翌年には長女が生まれた。
続けて長男が誕生。
2人の子育てに追われて、生活は慌ただしくなった。
女が母親になる。
言葉で表す以上に、酷な現実が待っていた。
名前で呼んでくれていた夫は、
いつしか自分を「母さん」と呼ぶようになった。
一抹の寂しさを感じ、時折夫に向かって自嘲ぎみに、
「私、あなたの母親じゃないわ」と言ったりもした。
だが彼は、フフン、と鼻で笑うだけ。
悔しい思いが胸いっぱいに広がって、一日、
家事も手につかずに過ごした日もあった。
それでも、そんな思いを乗り切ってこられたのは、
この子たちは私が立派に育て上げてみせるという
母親としての意地だった。
やがて、家にはほとんどいないけれど、
比較的豊かな生活を約束してくれる夫の分まで、
子育てにどっぷりつかり始めた。
都心へ二時間以内のベッドタウンに居を構えてから、
子育ては一層、腰が据わった。
長女の着る服は皆、手作り。
おやつも自然な素材にこだわり、完璧を目指した。
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息子はさらに、友達づきあいにも気を配った。
幸い、心配していたいじめや不登校、
引きこもりなども経験せずに済んだが、
子供の日常に想定できる、あらゆる場面を考えて、
細心に育児にかかわったと自負している。
そして、息子の合格。
振り返れば、自分は恵まれすぎるほどに恵まれている。
不足を鳴らすのはおかしい。
だのに何だろう。
今となっては、もうすっかり色あせた日常に、
戸惑うしかないような心境だった。
まだ40半ば、でもこの先、
何事も衰えるばかりの人生の道程が
ありありと見えてしまっていることに気がついた。
それは眼前に道が続いているかのようにハッキリしていた。
まだ華やかさを残す娘や息子がたどるであろう道は、
そのまま自分の喜びには違いない。
しかし自分のとってみれば、それは確実な衰えへの道なのだ。
しかもその先に見えているのは、「死」だった。
死を迎える時を想像してみて、
背筋が寒くなるのを感じた。
私、このまま終わっちゃうの?
子育てだけが、私の人生の、最も大事なイベントだったの?

自分が家族を支えているように思っていたが、
実は、家族に依存していただけだったのではないか。
急速に心は冷え、言いようのない荒涼感が胸を覆う。
何のための人生なのか、分からなくなってしまったのだ。
悩みは、簡単には解決できなかった。

     ■趣味とは違う何かを

むなしい心をなくすために、趣味に時間を使うことにした。
幸い、もともといろいろなことに関心を示すたちだったこともあり、
何をするかには困らない。
手芸や英会話、テニス、楽器といくつかを掛け持ちして、
毎日を忙しくすることにした。
どれを取ってみても、そこそこは楽しいし、
新たな友達もできて新鮮ではある。
ところが数ヶ月もすれば、きっと自分にはこの道は合わないのだ、
どうせ極められるはずもないと思えてきてしまうのだ。
どれも中途半端。
われながら飽きっぽいものだと、苦笑するしかない。
しかも相変わらず心の空虚は埋まらない。
こんな日々が、死ぬまで続くのかと思うと、
漠然とした不安に、押しつぶされそうな気がした。

それからしばらくして、友人を通じて『とどろき』と出遇い、
仏法を学んでいる。
親鸞聖人の教えによって、人生の不安が根底から解消できることを知った。

「難思の弘誓は、難度海を度する大船、
無碍の光明は、無明の闇を破する慧日なり」
          (親鸞聖人)
「弥陀の誓願は、私たちの苦悩の根元である無明の闇を破り、
苦しみの波の絶えない人生の海を、
明るく楽しくわたす大船である。
この船に乗ることこそが人生の目的だ」

仏教を聞いてから、幼いころ、
強く「死」の問題を意識していたことに気づき、
自分の抱えていた不安は、死に起因していたことが分かった。
確実な未来がハッキリしない心。
後生暗い心、無明の闇が不安の正体だったのだ。

そして、弥陀の誓願、本師本仏の阿弥陀仏のお力によって、
その暗い心がぶち破られ、本願の船に乗せられれば、
いつ死が来ても崩れない絶対の幸福になれると聞いた時、
これが人生の目的なのだと感じた。

    ★       ★
「理解するのには、時間がかかりましたが、
私の求めているものはこれだ、と分かった時、
本当に親鸞聖人の教えに出遇えてよかった、
と思いました。
私のように感じている女性は多いのではないでしょうか。
縁のある人に、この『とどろき』を紹介したいですね」
田中さんはこう言い、光に向かって生き生きと毎日を過ごしています。


 


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