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仏教で一番大事なことは、「一向専念無量寿」! [一向専念無量寿仏]

生きるためとはいえ殺生ばかりして、
心では悪のし放題の、
我々の後生(死後)は一大事です。
大苦悩の世界で想像できない長年月、
苦しみ続けなくてはならないと教えられています。
そんな我々を哀れに思われて、
ガンジス河の砂の数ほどおられる諸仏方は、
何とか助けてあげたいと思われたのですが、
我々の罪があまりにも重く、
とても救うことができるものではないと
あきらめてしまいました。
その中、阿弥陀仏だけが我一人助けんと立ち上がってくださり、
何億年、何兆年、それよりももっと長い、想像もできない長期間、
全身全霊、常に我々を助けたい一心で、
ご修行なされて、「南無阿弥陀仏」を完成されました。
それを我々が生きているうちに受け取れば、
後生の一大事が解決できます。
この世は、絶対の幸福に、死ねば仏の世界に生まれさせて
いただけるのです。
我々を苦しめている無常の世界から出離できて、
未来永遠の大生命を賜ることができるのです。
そんな無上の幸福にできるのは、阿弥陀仏しかいません。
だから、お釈迦さまは、阿弥陀仏一仏に向け、
弥陀以外の仏に向くな、菩薩、諸神は捨てよと
言われているのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


(ここからは真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)


(正信偈のお言葉)

五濁悪時群生海 五濁悪時の群生海、

応信如来如実言 応に如来如実の言を信ずべし

 

如来所以興出世

 唯説弥陀本願海

(如来、世に興出したまう所以は、

 唯、弥陀の本願海を説かんとなり)

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これは七千余巻の一切経を余すところなく読み破られた

親鸞聖人が、〝釈迦如来が、地球上に現れられて仏教を

教えられたのは、唯、「弥陀の本願」一つを

説かれるためであったのだ

と断言されているお言葉です。

次に、

五濁悪時群生海

 応信如来如実言

(五濁悪時の群生海

 応に如来如実の言を信ずべし)

とは、どんなことをおっしゃっているか、

お話いたしましょう。

 

●五濁悪時は、いつのこと?

 

まず、「五濁悪時」と言われているのは、

「いろいろと汚れ、悪に染まっている世界」

のことです。これは、歴史上のある一時代のことでもなければ、

ハリー・ポッターなどファンタジーに出てくる

架空の世界でもありません。

私たちの生きている現実社会、この娑婆世界のことです。

古今東西、いつでもどこでも、「五濁悪時」なのです。

親が子を殺し、子供が親をあやめる。

遊ぶ金欲しさに、虫けらのようにタクシー運転手を刺し殺し、

高校生がホームレスを面白半分に殴り殺す。

「ムシャクシャするから」と、駅のホームで赤の他人を

線路に突き落とす。

恋愛関係のもつれから、女性を山中の屎尿(しにょう)

処理タンクで窒息させる。

〝クリーンな政治〟を掲げて当選した人が、贈収賄で捕まる。

警察官が万引きし、消防士が放火する。

教師が淫行で逮捕され、清純派アイドルだった女優が

覚醒剤に染まる。

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人命の尊重を訴えていた識者が、あっさり首を吊る。

ノーベル賞受賞者を筆頭に優秀な頭脳が生み出した金融工学が、

世界経済を破綻の恐怖に陥れる。

人道の正義を振りかざす一国の大統領が、他国に軍事介入して

民間人を平気で虐殺する。

法治国家で人治がまかり通り、冤罪事件ででっち上げられる。

「なぜオレだけがこんな目に」

「世の中いったいどうなってんだ」

「まさかこんなことになるとは・・・」

深い業をもった私たち人間の生み出す世界は、

かかる矛盾と不条理にあふれ、毎日報じられる悲喜劇は、

まさに『歎異抄』の、

 

煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もって

空事・たわごと・真実あること無し

 

の実証でしょう。形こそ違えど、これらは太古の昔から

現代まで連綿と、この地上で織り成されてきた人間ドラマです。

このように、罪悪にまみれ、悲哀と苦悩充満する人の世を

「五濁悪時」と言われ、そこに生きる私たちすべてを、

「五濁悪時の群生海」

と、親鸞聖人は言われているのです。

「群生海」とは、その数の多いことから「生きている群れ」

と言われた言葉で、この中に入らない人は一人もいません。

日本人もアメリカ人も中国人も、男も女も老いも若きもすべて。

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その全人類に向かって、

〝どうか皆人よ、「如来如実の言(ことば)」を信じなさいよ〟

と訴えておられる聖人のお言葉が、

五濁悪時の群生海、

 応に如来如実の言(みこと)を信ずべし

の2行なのです。

では、「如来如実の言」とは、何のことか。

これが分からなければ、聖人が朝晩、私たちに「信ずべし」

と勧めておられるのに、順(したが)うこともできず、

聖人の御心にかなうこともできません。

それどころか、悲しませる結果となってしまいます。

それではあまりにも申し訳なく、勿体ないではありませんか。

「如来如実の言」とはどんなことか、よく知っていただきたいと

思います。

 

●「如来如実の言」=「一向専念無量寿仏」

 

ここで「如来」と言われているのは、仏教を説かれた

「釈迦如来」のことであり、「如実」とは

「真実」ということですから、

「如来如実の言」とは、

「釈迦如来の、真実のお言葉」

ということです。

それは『大無量寿経』という唯一真実の経に説かれている、

「一向専念無量寿仏」

の八字のこと。

これは「無量寿仏に一向専念せよ」ということで、

無量寿仏とは本師本仏の「阿弥陀仏」のことですから、

「阿弥陀仏一仏に向け、阿弥陀仏だけを信じよ」

と言われている、釈迦のご金言です。

これが仏教の結論です。

一切経に使われている何百万字も、すべてこの八字に

おさまってしまいます。そのことを親鸞聖人は、

 

一向専念の義は往生の肝腑、自宗の骨目なり (御伝鈔)

 

『一向専念無量寿仏』の教えは、仏教で最も大事な教えである

と喝破され、この「一向専念無量寿仏」の釈迦の教えを

「如来如実の言」とおっしゃっているのですが、

もう少し詳しく申しましょう。

「弥陀一仏に向きなさい」

ということは、

「他の一切の諸仏・菩薩・諸神に向くな、礼拝するな、捨てよ」

ということです。

蓮如上人は、有名な『御文章』に、

「一心一向というは、阿弥陀仏に於て、二仏をならべざる意なり」

「心を一にして、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、

更に余の方へ心をふらず」など、繰り返されています。

「二仏をならべる」とか「余の方へ心をふる」とは、

「「阿弥陀仏以外の仏や菩薩や諸神を信ずる」ことですから、

いずれのご文も、釈迦の教えのとおり、

「阿弥陀仏以外の仏や菩薩や諸神にかかわるな、

手を合わせるな、礼拝するな、弥陀一仏を信じよ」

と訴えられているお言葉です。

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●なぜ、「弥陀一仏」なのか

 

では、どうしてお釈迦さまは、

「弥陀一仏だけを信じよ」

と言われるのでしょうか。

それは、大宇宙広しといえども、私たちの「後生の一大事」を

救う力のある仏は、阿弥陀仏一仏だけだからです。

親鸞聖人は90年の生涯、この釈迦の教えに順い、

 

一向専念の義は往生の肝腑、自宗の骨目なり (御伝鈔)

 

〝我々が未来永遠、救われるか、どうか、の一大事は、

「一向専念無量寿仏」になるか、否かで決するのである〟

と明言されて、

「一向専念無量寿仏」

を叫び続けていかれました。『正信偈』の

「五濁悪時群生海

 応信如来如実言」、

この二行も、

「すべての人よ、どうか早く『一向専念無量寿仏』の

釈迦の教えに順い、『後生の一大事』の解決を果たしてくれよ」

と、熱烈に勧められているお言葉です。

蓮如上人もまた、

誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、

阿弥陀仏を深くたのみまいらせよ」   (白骨の章)

とか、

阿弥陀如来を一筋にたのみたてまつらずば、末代の凡夫、

極楽に往生する道、二つも三つもあるべからざるものなり

                   (御文章)

その外には何れの法を信ずというとも、

後生の助かるということ、ゆめゆめあるべからず」(御文章)

 

と、「一向専念無量寿仏」の真実を開顕することに生涯、

徹し抜かれたのでした。

 

阿弥陀仏は、誓われています。

〝すべての人は極悪人である。

我を信じよ、必ず助ける〟

いかなる罪悪深重の者をも、極楽往生一定の身に

必ずしてみせる、と仰せです。

この弥陀の本願以外、釈迦も親鸞聖人も蓮如上人も、

教えられたことは何もありませんでした。

『一向専念無量寿仏』の他に、我々の助かる道は

絶対ないのだから、五濁悪時のすべての人よ、

弥陀一仏を信じなさい

朝晩の勤行で私たちは、その聖人のみ声を

聞かせていただいているのです。

直ちに随順いたしましょう。

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お釈迦さまの説かれた仏教の結論とは! [一向専念無量寿仏]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)
 

如来大悲の恩徳は

身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も

骨を砕きても謝すべし

     (親鸞聖人・恩徳讃)

(大慈大悲の阿弥陀如来の高恩と、

その本願を伝えたもうた師主知識の深恩は、

身を粉にしても、骨を砕きても済みませぬ)

 

阿弥陀如来と師主知識(善知識)への感謝、賛嘆(さんだん)で

あふれる親鸞聖人の「恩徳讃」。この後半2行、

「師主知識の恩徳も

骨を砕きても謝すべし」

のお言葉を続けて学んでいます。

師主知識から骨を砕いても返し切れぬ大恩を受けている、

と仰る「師主知識」とはどのような方か、

私たちはどんなご恩を受けているのでしょう。

師主知識、善知識について『浄土真要鈔』というお聖教に、

こう教えられています。

 

総じていう時は真の善知識というは諸仏・菩薩なり。

別していう時は我らに法を与えたまえる人なり。

また正しく自ら法を説きて聞かする人ならねども、

法を聞かす縁となる人をも善知識と名(なづ)く。

されば善知識は諸仏菩薩なり。

然れば仏法を聞きて生死を離るべき源は、ただ善知識なり

 

「善知識」とは、本来は諸仏・菩薩であるが、

それらの方々の教えをそのまま私たちに説き聞かせる人や、

自ら説かずとも、聞かせる縁となる人も「善知識」だと

説かれています。

私たちの住む世界でいえば、善知識の元祖は、

地球上で最高無上のさとりを開かれた唯一の仏、

釈尊(お釈迦さま)です。

後に続く知識高僧方も、お釈迦さまが仏教を説かれねば、

無上の法を知り、伝えることはできませんでした。

釈尊が何を教えられたかを知らねば、

師主知識のご恩は分かりませんから、今回は、

のお釈迦さまのご教導を学びましょう。

 

●お釈迦さまの説かれたこと

 

お釈迦さまは、約2600年前、インドで活躍なされた方です。

35歳で大宇宙最高の仏のさとりを開かれ、

80歳で亡くなられるまでの45年間の釈迦の教説が仏教です。

仏教は今日、7千余巻の一切経に書き残されていますが、

その膨大な経典の中で

〝これ一つ説くために、この釈迦は世に出たのだ〟

といわれる「出世本懐経」があります。

〝それはこの『大無量寿経』である〟と釈尊は自ら仰っています。

他の7千余の経典は、この経を説くための準備に他ならないのです。

 

『大無量寿経』を説法される時の釈尊のお姿は

「諸根悦豫(しょこんえつよ) 姿色清浄(ししきしょうじょう)

光顔巍巍(こうげんぎぎ)」と説かれています。

これは、弥陀三昧(みだざんまい)に入られて、

お顔や全身が光り輝き、喜びに燃え立っていられるご様子で、

常に親しくお仕えしていた弟子の阿難尊者が、

「いまだかつて、このような尊いお姿を

拝したことがございません」と驚いているほどです。

あまりの尊さに、思わずその訳を尋ねた阿難に、

お釈迦さまはこう宣言なされています。

 

如来、世に出興(しゅっこう)する所以は

道教を光闡(こうせん)し、

群萌(ぐんもう)をすくい恵むに

真実の利を以てせんと欲してなり

          (大無量寿経

私がこの世に生まれ出た目的は、仏教を説き開き、

一切の人々を阿弥陀仏の真実の救いに導くためであったのだ

 

弥陀の本願を説くことが私の出世本懐だ、と明らかにされ、

巻末にはこうも述べられています。

 

当来の世に経道滅尽せんに、我慈悲を以て哀愍し、

特にこの経を留めて止住すること百歳せん

             (大無量寿経下巻

 

他の一切の経典が消滅しても、この『大無量寿経』だけは

永遠不滅である、と断言されているのです。

これについて『大集経』他、多くの経典に、

釈尊がご入滅になった後の時機を三つに分けて、

「三時」と教えられています。

 

①正法の時機・・釈尊死後500年

②像法の時機・・正法の時期終わってから1000年

③末法の時機・・像法の時期終わってから10000年

④法滅・・・・・末法10000年の後、無窮

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「正法」の時機には、仏の説かれた教えも、

その教えどおりに修行する者も、証(さと)る者もあるが、

「像法」の時機は、仏の教えと修行する者はあるが、

証る者はなくなる。

「末法」の時機には、仏の教えのみあって、修行する者も

証る者もなくなり、

「法滅」に至っては、仏の説いた教えも滅してしまう。

と説かれています。

ところが「法滅」になって、一切の経典が滅尽しても、

この弥陀の本願を説く『大無量寿経』だけは滅びることなく、

すべての人々を救うであろうと予言されているのが、

当来の世に経道滅尽せんに、我慈悲を以て哀愍し、

特にこの経を留めて止住すること百歳せん

のお言葉です。よって親鸞聖人は、

 

それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり

                 (教行信証教巻)

『大無量寿経』のみが真実の経である

 

と断定されています。

 

●大無量寿経には何が説かれているのか

 

では、お釈迦さま自ら唯一の真実経と仰る『大無量寿経』には

何が教えられているのでしょう。

それこそ本師本仏の阿弥陀仏という仏さまのましますこと、

その阿弥陀仏のご本願なのです。

阿弥陀仏とは、お釈迦さまが私たちに紹介された仏さまで、

大宇宙に数限りなくまします諸仏の師の仏。

その阿弥陀仏が無上殊勝の本願を建てていられる。

本願とは誓願ともいい、お約束のことです。

阿弥陀仏は私たちと、こう約束なさっています。

 

どんな人も

必ず絶対の幸福(往生一定)に救う

 

〝すべての人よ、必ず無量光明土(弥陀の浄土)に生まれて、

仏になれる身(絶対の幸福)に救う。

死んでからではない、生きている現在ただ今のことである〟

との想像を絶するお誓いです。

相手を選ばず、〝どんな人をも絶対の幸福にしてみせる〟

というのは、他の諸仏、菩薩には到底できないお約束ですから、

お釈迦さまはじめ弟子の諸仏も菩薩も、異口同音に、

「あなたをこの世も未来も救い切ってくださるのは、

本師本仏の阿弥陀仏しかましまさぬ。

だから弥陀一仏に助けていただきなさいよ」

と仰るのです。すなわち、

 

一向専念無量寿仏 (大無量寿経

阿弥陀仏(無量寿仏)一仏に向け、阿弥陀仏だけを信じよ

 

のご金言で、これが『大無量寿経』の結語であり、

膨大な一切経の結論なのです。

私たちが真に幸福になるために最も大事なことだから、

お釈迦さまが教えられているのです。

親鸞聖人が『正信偈』に、

「如来世に興出したまう所以は、

唯弥陀の本願海を説かんがためなり」

と断言されているのもよくうなずけるでしょう。

浄土往生できるか否かは、弥陀に一向専念になるか、

否かで決まるのだから、「一向専念無量寿仏」以上に

大事な教えはない、とこうも仰っています。

 

一向専念の義は、往生の肝腑、自宗の骨目なり (御伝鈔

 

この「一向専念無量寿仏」を徹底することが、

善知識の使命であることは前回もお話したとおりです。

 

●恐ろしい迷信、邪を捨てよ

 

この「一向専念無量寿仏」を徹底するに、

お釈迦さまはまず、仏教以外の教え(外道)を捨て、

真理を教えた仏教を信じよ、と『涅槃経』に

このように説かれています。

 

世尊常に説きたまわく、

一切外学の九十五種(外道)は、皆悪道に趣く」(涅槃経

 

九十五種とは仏教以外の全宗教のこと。

お釈迦さま在世中のインドには九十五種の外道が

存在していたからで、それらは皆、人々を悪道(苦しみの世界)へ

堕とす邪教である、と仰っているのです。

日本には現在、約二十二万もの宗教団体があります。

その中には、幼稚な教義を掲げ、

反社会的な事件を引き起こすものもあります。

例えば平成6~7年に、日本中を震撼させたオウム真理教事件は

今なお多くの人の記憶に残っているでしょう。

また、死亡した信者を〝復活させるために清めていた〟と

遺体を放置してミイラ化させた教団や、

〝有害な電磁波から身を守る〟

〝地球に落下してくる惑星から逃れる〟

と言って、白装束、白塗りの車で全国行脚していた団体、

「足裏判断」で幸不幸が分かるとうそぶいて詐欺罪に

問われた教祖もありました。

道理を無視し、社会生活を逸脱した、

こんな〝教え〟が多くの人を不幸に陥れることは明白でしょう。

かかる恐ろしい迷信、邪教を捨て、三世十方を貫く

因果の道理を根幹とする仏教を信じなさいと、

お釈迦さまは勧められたのです。

親鸞聖人もこのお釈迦さまのご教導を、

 

九十五種世をけがす

唯仏一道きよくます (親鸞聖人)

 

と和讃しておられます。

 

●弥陀の本願(浄土の一門)のみ助かる道

 

さらに仏教の中でも、阿弥陀如来の本願によらねば、

誰一人助からないと、お釈迦さまはこう説示されています。

 

我が末法の時の中の億億の衆生、行を起し道を修せんに、

未だ一人も得る者有らずと。当今は末法にしてこれ五濁悪世なり、

唯浄土の一門有りて通入すべき路なり

                  (大集経

 

今日はすでに末法の世であり、この時機には、

釈迦の教えはあれども、修行する人も証(さと)る人もないと、

釈尊自ら説かれたのは先述のとおりです。

弥陀のご本願(浄土の一門)こそ、未来永劫、

不滅の大法なのだから、すべての人よ、

一刻も早く弥陀の本願を信じ

「一向専念無量寿仏」の身になりなさいよと教導なされ、

その釈迦の御心を親鸞聖人も、和讃にこう述べられています。

 

釈迦の教法ましませど

修すべき有情のなきゆえに

さとりうるもの末法に

一人もあらじとときたまう

       (正像末和讃

聖道権仮(しょうどうごんけ)の方便に

衆生ひさしくとどまりて

諸有(しょう)に流転の身とぞなる

悲願の一乗帰命せよ 

       (浄土和讃

 

もしお釈迦さまが阿弥陀仏の本願を説いてくださらなかったら、

私たちは弥陀の本願を知ることも、

聞いて絶対の幸福に救われることもなかったでしょう。

いかに大きなご恩をお受けしているのか、

これでお分かりになると思います。

仏教の結論は「一向専念無量寿仏」であると、

まずよく知って、阿弥陀仏の本願を真剣に

聞かせていただくことが肝要です。

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親鸞聖人が示された「真の仏法者」の道 [一向専念無量寿仏]

親鸞聖人が示された「真の仏法者」の道

 

如来大悲の恩徳は

身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も

骨を砕きても謝すべし 

        (親鸞聖人・恩徳讃)

 

大慈大悲の阿弥陀如来と、

その弥陀の本願を伝えたもうた師主知識のご恩は、

身を粉にしても、骨を砕いても、

とてもお返しすることはできぬのだ

 

阿弥陀如来と師主知識(善知識)の恩徳に

限りなき謝念のあふれる親鸞聖人の「恩徳讃」。

その後半の

「師主知識の恩徳も

骨を砕きても謝すべし」

を続けて学んでいます。

「師主知識」とは、仏教を正しく説かれる先生のことで、

善知識ともいいます。

先月は、この善知識の元祖であるお釈迦さまの教えを学びました。

 

●仏法の目的は何か

 

釈迦一代の教えは、七千余巻の一切経に全て書き残されており、

その一切経の中で「出世本懐経」と

釈尊自らが仰る『大無量寿経』には、

十方諸仏の本師本仏である阿弥陀仏の本願が説かれています。

本願とは誓願ともいい、阿弥陀仏のなされたお約束のこと。

 

どんな人も

必ず絶対の幸福(往生一定)に救う

 

と誓われています。

往生一定とは、阿弥陀仏の本願に救い摂られると、

来世は明るい極楽浄土に往って、

弥陀同体の仏に生まれる(往生)身とハッキリする(一定)。

未来が限りなく明るくなると、

現在から比べものにならない無上の幸せになれますから、

絶対の幸福ともいい、これを信心決定(しんじんけつじょう)

ともいいます。

人と生まれし本懐(人生の目的)は、

この身に救われることだと仏教では教えられますが、

信心決定せずに命尽きれば、

万劫(まんごう)にもかえらぬ一大事が待ち受けているから、

一時も片時も信心決定を急ぎなさいよ、

と親鸞聖人は警鐘乱打なされています。

 

呼吸の頃(あいだ)すなわちこれ来生なり。

一たび人身を失いぬれば万劫にも復(かえ)らず。

この時悟らざれば、仏、衆生を如何したまわん。

願わくば深く無常を念じて、

徒(いたずら)に後悔をのこすことなかれ

               (教行信証行巻)

吸った息が吐けなかったら、

吐いた息が吸えなかったら来世である。

後生は遠い話ではない。

死ねば、二度と同じ人身に戻ることは永遠にないのである。

今、この一大事を解決しなければ、

いつできるであろうか。

永遠のチャンスは、今しかないのだ。

されば、刻々と迫る無常を凝視して、

決して後悔を残すことがあってはならない。

 

信心決定(しんじんけつじょう)できるか否かは、

永劫の浮沈を分ける大事ですから「生死の一大事」とか

「後生の一大事」といわれるのです。

 

●目を向けたくない未来とは?

 

ところが、そんな一大事を知らず、

人生を過ぎるに任せている人ばかりではないでしょうか。

それにしても一生とは、何とはかないものか。

テレビで見た生命保険のコマーシャル。

若い夫婦と幼い娘の団欒(だんらん)が映され、

少女は瞬く間に成長して花嫁となり、母親となる。

子供を連れて里帰りすると、

かつて若々しかった両親が白髪の目立つ祖父母になっている。

わずか数十秒のCMに、人の一生が凝縮されています。

子の成長だけを願って、親は自身の老いを忘れていることを、

古来こう詠まれています。

「這えば立て

立てば歩めの 親心

わが身につもる 老いを忘れて」

古今を問わぬ親の姿でしょう。

こうして子は親となり、またその子供も親となる。

老いの先には終幕が待っているのですが、

皆、そこに目が向かないのです。

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トランプのババ抜きや七並べなど、

誰もが一度は遊んだことがあるでしょう。

カードに描かれている四種のマークはそれぞれ愛(ハート)、

お金(ダイヤ)、学問(クラブ)、死(スペード)という

意味があり、マークごとの13枚のカードの中には、

11(ジャック・若者)、12(クイーン・女性)、

13(キング・老人)の三種の絵札があります。

その絵札に描かれている人の顔の向きは、

実はマークによって違うことをご存じでしょうか。

例えば、若者は興味津々で愛(ハート)を見つめているとか、

女性は愛(ハート)、お金(ダイヤ)、知識(クラブ)に

同等の関心を示している。

また、老人は愛(ハート)に興味が薄いが、

お金(ダイヤ)には執着が強いなどです。

ところが三者がいずれも、直視できないマークがある。

それが、スペード(死)です。

老人(キング)だけは、迫り来る死を意識し、

他の二者よりも目を向けようとしていますが、

それでも直視できません。

誰もが見たくない、考えたくないのが、

死だからでしょう。

この生死の大問題に、解決の道を明示しているのが仏法です。

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●仏教の結論は「一向専念無量寿仏」

 

本師本仏の阿弥陀仏は、すべての人を浄土往生間違いない身に

救い摂る、と誓われていることは先述しました。

暗い後生が、弥陀の本願を信ずる一念に、

光明輝く来世に大転換いたします。

そんな救いは、他の仏や菩薩には到底できないことですから、

〝皆人よ、弥陀一仏を信じ、助けていただきなさい〟

と釈尊は仏教の結論として、

 

一向専念無量寿仏(阿弥陀仏一仏に向け、専ら信じよ)

 

と教えられているのです。

このお釈迦さまの教導を、私心なく伝えられた方が

親鸞聖人です。

アニメーション『世界の光・親鸞聖人』をごらんになれば、

全6巻のシリーズ中、最も多く出てくる仏語が、

この「一向専念無量寿仏」であることに気づかれるでしょう。

親鸞聖人は生涯、これ一つ叫ばれたことが分かります。

どのように聖人は、仏教の結論「一向専念無量寿仏」を

教えられたのでしょうか。

 

●ただ弥陀一仏に向かう

 

親鸞聖人が生涯、手元に置いて

修正を重ねられた主著『教行信証』の化身土巻末には、

経典を引用にしてこう教導されています。

 

出家の人の法は、国王に向かいて礼拝せず、

父母に向かいて礼拝せず、六親に務(つか)えず、

鬼神を礼(らい)せず   (菩薩戒経)

 

(真の仏法者は、たとえ相手が国王であれ、父母であれ、

六親であれ、鬼神であれ、一切、

これらのものに礼拝恭敬(らいはいくぎょう)しないのである)

 

真の仏法者とは、「一向専念無量寿仏」の人のことです。

「一向専念無量寿仏」の仏法者は、たとえ相手が国王であれ、

父母であれ、六親であれ、鬼神であれ、これらのものに

礼拝恭敬はしないのである。

ただ弥陀一仏を礼拝恭敬する者こそが、

真の仏法者であるというのが、親鸞聖人のこの「経文」の解釈です。

 

事実、聖人は、この『菩薩戒経』の教えを忠実に、

自ら実践されました。

まず「国王に向かいて礼拝せず」と仰っていることについて

『教行信証』後序には、

 

主上・臣下、法に背き義に違(い)し、忿(いかり)を成し、

怨(あだ)を結ぶ

            (教行信証後序)

(天皇も家臣も、仏法に反逆して、

正義を踏みにじり、怒りにまかせて大罪を犯した)

 

と仰り、『口伝鈔』には、

 

上一人(かみいちにん)よりはじめて偏執(へんじゅう)の

やから一天に満てり   

               (口伝鈔)

(天皇をはじめとして、法謗の輩が天下に満ちている)

 

とあります。

これは真実の仏法を弾圧した当時の権力者らを

痛烈に非難されたお言葉です。

戦時中、聖人のこのお言葉が、天皇不敬に当たると大問題になり、

削除されましたが、これこそ親鸞聖人の

「国王に向かいて礼拝せず」の明証でありましょう。

 

9歳から20年間、比叡山の天台僧として

後生の一大事の解決一つを求め、日夜、

苛烈(かれつ)な修行に身を投じられた親鸞聖人は、

忍び寄る無常の嵐に火急を感じ、天台宗、法華経の教えに絶望。

ついに下山を決意されました。

「こんな親鸞、救われる道はあるのだろうか。

導く高僧いまさぬか」

夢遊病者のごとくさまよう都の辻で、

叡山の旧友・聖覚法印と巡り会い、

その縁で生涯の師と仰ぐ法然上人に邂逅(かいこう)された。

雨の日も風の日も聞法に専心された聖人は、

たちどころに阿弥陀仏の本願に救い摂られる。

〝誠なるかなや弥陀の本願。

親鸞の後生の一大事、救いたもう仏は阿弥陀仏一仏であった〟

あふれる歓喜とともに、ただちに法然上人門下に連なり、

熱烈な「一向専念無量寿仏」の布教を開始。

聖人29歳の時でした。

時あたかも、庶民や武士に加え、

聖道諸宗の学者や公家・貴族まで、

弥陀一仏の救いを説く法然上人の信奉者が急増した。

ところが急速な法然一門の発展に恐れをなした仏教各派は、

強い危機感を抱く。

やがて聖道諸宗一丸となり、前代未聞の朝廷への直訴となった。

承元元年(1207)、ついに浄土宗は解散、

「一向専念無量寿仏」の布教は禁止され、

法然・親鸞両聖人以下八人が流刑となる。

さらに無法な裁きは住蓮・安楽ら4人の弟子を死刑に処した。

IMG_20220929_0003.jpg-5.jpg

聖道諸宗と権力者が結託しての日本仏教史上かつてない

大弾圧は「承元の法難」といわれています。

聖人35歳の時のことでした。

この時の、法然上人のご教導が、

アニメーション『世界の光・親鸞聖人』第3巻に、

こう表されています。

よいか、皆の者。我ら仏法者にとって、

命懸けて護らねばならぬのは、天下の掟でもなければ、

世間体でもない。

ましてや、名誉でも財産でもない。

それは唯一つ、釈尊出世の本懐である、一向専念無量寿仏と、

その布教だけなのだ

恩師のこの教導を親鸞聖人は、生涯護り通され、

「一向専念無量寿仏」を貫かれたのです。

 

次の「父母に向かいて礼拝せず」について、『歎異抄』に、

 

親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても

申したることいまだ候わず

               (歎異抄)

親鸞は、亡き父母の追善供養のために、一遍の念仏も

称えたことがない

 

と仰せられています。

「孝養」とは「追善供養」のことであり、

死んだ人を幸福にすると信じられている行為です。

4歳で父を、8歳で母を亡くされた聖人の、

両親を思う切なさは、いかばかりであったでしょう。

その聖人がこう仰るのは、

死後の報いはその人の生前の行為(業力)で定まり、

他人が死人に果報を変えることはできないからです。

これが聖人の「父母に向かいて礼拝せず」の宣言です。

 

また84歳の老聖人が、

「一向専念無量寿仏」を乱した長子・善鸞を

義絶されたのは、「六親に務(つか)えず」の

表明といえましょう。

建長8年5月29日、84歳の聖人が、

遠く関東で布教する50歳の善鸞に義絶状を送られたのは、

「私は父から真夜中に、一人秘法を伝授されたのだ」

と言い触らし、さらに神に仕えて祈祷し、

吉凶を占って仏法を蹂躙したからです。

聖人の度重なる諫(いさ)めにも、一向に改めぬ善鸞に、

 

あさましさ、申すかぎりなければ、今は親ということ、

あるべからず。子とおもうこと、おもいきりたり。

かなしきことなり      (義絶状)

 

と断腸の思いで勘当の手紙を書き送られたのです。

親子の恩愛に引かれて善鸞の言動を黙認されていたら、

幾億兆の人々の真実の救いはなかったでしょう。

IMG_20220929_0004.jpg-5.jpg

 

親鸞聖人が、一切の鬼神(人畜の死霊を神とするもの)を

排斥されたことは、あまりにも顕著なことです。

『教行信証』には、

 

余の諸天神に帰依せざれ  (涅槃経)

(天地の神々を信じ、礼拝してはならぬ)

 

天を拝することを得ざれ、鬼神を祀ることを得ざれ

              (般舟三昧経)

(天を拝んだり、鬼神を祀り仕えてはならない)

 

など諸経を引用して、「和讃」にもこう仰っています。

 

かなしきかなや道俗の

良時吉日をえらばしめ

天神地祇(てんじんちぎ)をあがめつつ

卜占祭祀つとめとす

            (悲歎述懐和讃)

(悲しいことよ。僧侶も在家の者も、日の善し悪しを論じ、

天地の神を崇め、占いや祭りごとをやっている)

 

かなしきかなやこのごろの

和国の道俗みなともに

仏教の威儀をもとにして

天地の鬼神を尊敬(そんきょう)す

             (悲歎述懐和讃)

(なんと悲しいことか、国中の僧侶も在家の者も、

外面は仏法者を装っているが、内心は天地の鬼神を敬っている)

 

親鸞聖人ほど鬼神信仰や卜占祭祀を打破なされた方はないのです。

 

先述のとおり、この「一向専念無量寿仏」の強調が、

承元の法難を呼び、聖人が流刑に遭われたのは

歴史上の事実です。

厳しい「一向専念無量寿仏」の徹底に、

世間の人々は浄土真宗のことを、

一向宗とまでいうようになったほど。

いかに「一向専念無量寿仏」が、私たちが絶対の幸福に

救われるに大事であるかがお分かりでしょう。


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どんな非難攻撃が起ころうとも、弥陀一仏に向けが仏教の結論! [一向専念無量寿仏]

五濁の時機いたりては
道俗ともにあらそいて
念仏信ずるひとをみて
疑謗破滅(ぎほうはめつ)さかりなり
       (正像末和讃)
これは親鸞聖人が書き記されたご和讃の一つです。
和讃とは、仮名交じりの4行詩で教えを説かれたものをいいます。

最初の「五濁」とは、「五濁悪世」のことで、
四方八方愁苦に満ちた世の中の、
古今東西変わらぬ実態をいわれたものです。
今日も、地震や津波、台風、洪水などの自然災害は絶えず、
テロや大事故、親殺し、子殺しが、日々報じられています。

今年の7月26日、神奈川県相模原市の障害者施設で、
19名が死亡、26名が重軽傷を負う戦後最悪の殺人事件が起きた。
寝静まった深夜に施設に入り込み、
障害者を刃物で次々と切りつけた元職員の男は
「障害者なんていなくなればいい」と語っていたという。

フランスのニースでは7月14日に、
花火大会の観光客を狙ったテロ事件が発生。
犯人は、大型トラックで花火見物の群衆に突っ込み、
約2キロにわたって次々とはね飛ばした。
未成年者10名を含む84名が亡くなり、
負傷者は200名を超えた。

アメリカのフロリダ州では6月12日、
アメリカ史上最悪となる銃乱射事件で49名が亡くなり、
53名が負傷する大惨事が起きた。

不安を除き、生活を豊かにするために、政治や経済、
科学や医学は努めてきましたが、人々の苦悩は絶えることがなく、
2600年前のお釈迦さまの時代も、親鸞聖人の800年前も、
今日も、「五濁悪世(ごじょくあくせ)」の現実は少しも変わりません。
「道俗ともにあらそいて」とは、「道(どう)」は僧侶、
「俗」は俗人(在家の人)のことですから、
「道俗」で世間中の人々という意味です。
世間中が一緒になって、「念仏信ずる人」を激しく「疑謗破滅」してくる、
と聖人は仰っているのですが、一体、どういうことなのでしょうか。

●「念仏信ずる人」とは

まず「念仏信ずる人」についてお話ししましょう。
ここで「念仏」といわれているのは、「南無阿弥陀仏」のことです。

「南無阿弥陀仏」とは何か。
蓮如上人は『御文章』に、次のように教えられています。

「南無阿弥陀仏」と申す文字は、その数わずかに六字なれば、
さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、
この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大なること、
更にその極まりなきものなり   
(御文章五帖目十三通)

南無阿弥陀仏といえば、字数はわずか六字であるから、
そんなすごい力があるとは誰も思えないだろう。
だがそれは猫に小判、豚に真珠といわれるように、
南無阿弥陀仏(六字の名号)の真価を知る知恵がないからである。
本当な南無阿弥陀仏の六字の中には、
どんな人をも無上の幸福にする、
釈迦も説き尽くせなかった計り知れないお力があるのである。

「南無阿弥陀仏」とは、五濁悪世で苦悩にあえぐ
私たちを絶対の幸福に救うために、
本師本仏の阿弥陀仏が完成された、
大宇宙の功徳(宝)の結晶なのです。

そして、私たちを助ける力があるのは、
大宇宙広しといえども、阿弥陀仏の創られた
南無阿弥陀仏(名号)以外にないことを、
蓮如上人は『御文章』に次のように仰っています。

それ十悪・五逆の罪人も、ー乃至ー空しく皆十方・三世の諸仏の
悲願に洩れて、捨て果てられたる我ら如きの凡夫なり。
然れば、ここに弥陀如来と申すは、
三世十方の諸仏の本師・本仏なれば、ー乃至ー弥陀にかぎりて、
「われひとり助けん」という超世の大願を発して、
われら一切衆生を平等に救わんと誓いたまいて、
無上の誓願を発して、已に阿弥陀仏と成りましましけり

                 (御文章二帖目八通)
すべての人は三世・十方の諸仏から、
「助ける縁なき者」と捨てられた極悪人である。
そんな私たちを本師本仏の阿弥陀如来のみが、
ただ一人「私が助けよう」と奮い立たれて崇高な大願を建てられた。
そして、自身の誓いを果たさんがため、
どんな極悪人も助ける力のある名号(南無阿弥陀仏)を完成し、
万人にその名号を与えて救う準備は、
すでに完了されているのである。

では、“念仏(南無阿弥陀仏)を信ずる”とは、
どういうことなのでしょうか。
それは、南無阿弥陀仏の大功徳を阿弥陀仏から受け取ったことで、
これを「信心獲得」といわれます。

蓮如上人はこのことを、

信心獲得すというは、第十八の願を心得るなり。
この願を心得るというは、南無阿弥陀仏のすがたを心得るなり

              (御文章五帖目五通)
と教示されています。

南無阿弥陀仏の偉大な働きを以前に詳説したように、
この六字の名号には、私たちを絶対の幸福に助ける無限のお力があります。
ですから、私たちが南無阿弥陀仏を弥陀より賜った一念に、
最高無上の幸せになれるのです。

もちろん、死んでからのことではありません。
現在ただ今の救いですから、弥陀の救いを「平生業成」といわれるのです。

念仏信ずる人」と親鸞聖人が仰っているのは、
弥陀より名号を賜って、絶対の幸福に救い摂られた人のことであり、
「弥陀より他に我々を助ける力のある仏はなかった」と信知させられ、
「一向専念無量寿仏」を伝える人のことです。
それは、聖人ご自身のことでもあります。

●仏教の結論「一向専念 無量寿仏」

一向専念無量寿仏」とは、お釈迦さまのお言葉です。
無量寿仏は阿弥陀仏のことですから、
阿弥陀仏以外に助けてくださるお方はないから
弥陀に一向専念せよ、必ず絶対の幸福に救われると釈迦は、
仏教の結論として教えられたのです。

ゆえに、親鸞聖人の「一向専念無量寿仏」のご布教は、
徹底したものでした。
なぜなら、死んで浄土に往生できるか否かは、
「生きている今、弥陀に一向専念するか、否か」で決するからです。

そのことを、
一向専念の義は、往生の肝腑(かんぷ)、自宗の骨目なり
とズバリ喝破されています。

また、次のようにも仰せです。

かなしきかなやこのごろの
和国の道俗みなともに
仏教の威儀をもととして
天地の鬼神を尊敬す
 (悲歎述懐和讃)

(なんと悲しいことか、国中の僧侶も在家の者も、
外面は仏法者を装っているが、内心は天地の鬼神を敬っている)

僧侶は、衣を着て寺に住まいをして、仏法者の格好だけはしている。
門徒も家には仏壇があり、葬式は寺で勤め、
仏教信者のようにふるまっている。
しかし実態はどうか。僧俗ともに、「一向専念無量寿仏」の教えに背いて
鬼神を信仰し、敬い頭を下げて、現世利益を祈っている者ばかり
であるこを嘆かれています。

浄土真宗が世間から「一向宗」とまでいわれるようになったのも、
親鸞聖人がこのように、一向専念の教えを徹底していかれたからなのです。
その「念仏信ずる人」を、世間中が激しく疑謗破滅してくる、と
言われているのが、
「念仏信ずるひとをみて、疑謗破滅さかりなり」
の聖人のお言葉です。

「疑謗破滅」とは、「疑」は疑う、「謗」は謗る、
「破滅」とは妨害・迫害すること。
今日は「世界の光」と仰がれる親鸞聖人ですが、当時、
どのような疑謗破滅を受けられたのでしょうか。

●親鸞さまの受けられた疑謗破滅

親鸞聖人は、29歳の御時、法然上人に巡り会われ、
本当の仏教、阿弥陀仏の本願を聞かれるようになりました。
そして、弥陀の本願によって絶対の幸福(往生一定)に救い摂られたのです。
すぐに法然上人のお弟子となられた親鸞聖人は、
「一向専念無量寿仏」の布教活動に挺身(ていしん)されています。

31歳の肉食妻帯は、すべての人を救い切る弥陀の大願の、
破天荒の布教でありましたが、それは「狂人」「悪魔」「堕落坊主」と、
世間中から集中攻撃の的となっていった。

また当時、弥陀一仏の救いを説かれる京都吉水の法然上人の元へは、
農民、町民、武士や貴族など、あらゆる人々が群参し、
法然上人の信奉者が急増。
ところが法然一門の急速な発展に恐れを成した南都(奈良・興福寺)や
北嶺(比叡山・延暦寺)などの仏教各派は、
強い危機感を抱き、やがて聖道諸宗が一丸となり、
前代未聞の朝廷への直訴となった。
その結果、承元元年(1207)2月、念仏は停止、
「一向専念無量寿仏」の布教は禁止、吉水の法然門下は解散。
法然上人は四国の土佐(高知県)へ流刑、
お弟子四人が死罪、親鸞聖人を含む7人が遠流となっています。

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親鸞聖人には、初め死刑の判決が下りましたが、
関白九条兼実公の計らいで、辛くも流刑となった。
聖道諸宗と権力者が結託しての日本仏教史上かつてない大弾圧は
「承元の法難」と今日いわれています。
聖人35歳の時のことでした。
流刑の地、越後(新潟県)で5年を過ごされた聖人は、
40歳を過ぎてから関東へ。その関東布教も、
吹きすさぶ逆風の中の20年でした。

還暦を過ぎてから生まれ故郷の京都に戻られた晩年の聖人にも、
疑謗破滅は止むことはなかった。
84歳の老聖人に、ご長男の善鸞を義絶せねばならぬという
悲しい事件が起きたのです。
信頼して関東に残してきた長子・善鸞が、事もあろうに
「一向専念無量寿仏」の教えを破壊していると知られた聖人は、
何度もいさめの手紙を出されました。
しかし、善鸞は一向に改めない。
今はこれまで。わが子のために大衆を地獄へ堕とすことはできぬと、
断腸の思いでついに義絶。
親子の縁を切ってまで聖人は、
弥陀の本願の真実を護り抜いてくださったのです。
悲憤の涙でつづられた義絶状にも、世人の嘲笑罵倒が湧き上がった。
「家庭を破壊して、何の仏法か」
「わが子さえ導けぬ親鸞に、人が導けるか」
仏法を家庭円満の道具のように誤解し、
弥陀の本願を知らぬ人たちには、
格好の攻撃材料だったに違いありません。
聖人90年の波乱万丈で、最もつらい非難だったでありましょう。

●蓮如上人への非難攻撃

激しい疑謗破滅は、親鸞聖人のみならず、
500年前の蓮如上人にも襲いかかりました。
「一向専念」について、蓮如上人は『御文章』に
次のように教えられています。

心を一にして、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、
更に余の方へ心をふらず、一心一向に、
「仏助けたまえ」と申さん衆生をば、
たとい罪業は深重なりとも、必ず弥陀如来は救いましますべし

              (御文章五帖目一通)

阿弥陀仏以外に私たちを助ける力のある仏はないのだから、
弥陀一仏に向き、信じなさいよ、と懇切にご教示くださっています。

蓮如上人が43歳で法主に就任された当時の本願寺は、
本堂はわずか三間四面、比叡山延暦寺の末寺として、
辛うじて存続を許されている状況だった。
親鸞聖人のみ教え徹底に立ち上がられた蓮如上人は、
本堂から天台色を一掃され、親鸞聖人のみ教えどおり、
阿弥陀仏以外の仏や菩薩、神の木像、絵像を撤廃し、
「南無阿弥陀仏」の名号のみを御本尊とされた。

その後、上人の卓越したご布教により、本願寺は急速に発展。
一方の天台宗・延暦寺は、支配地が次々に浄土真宗に変わって
収入が減り、不満が鬱積していった。

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寛正6年(1465)、ついに暴徒化した叡山の僧兵らが本願寺を襲い、
完全に破壊した(寛正の法難)。
辛うじて難を逃れられた蓮如上人は、その後、
畿内各地を転々と布教される。
僧兵たちは執拗に上人のお命を狙い続けた。
ご説法中の襲撃も数知れない。
橋の下や洞窟に身を隠されたり、
農家がもみ殻やぬかを捨てる穴に潜まれることもあった。
「蓮如の首を取った者には、賞金を与える」
比叡山は、こんな高札をほうぼうに立てて、
村人にまで上人を狙わせた。
滋賀県山間部の日野町に、次のような話が伝えられている。

蓮如上人が、日野町の正崇寺へご布教に赴かれた時、
賞金に目がくらんだ豪族が、
上人殺害を企てているとの知らせが入った。
上人は、お弟子の誘導で、6キロ山手の寺に避難されたが、
間もなく敵が追ってきたので、再び3キロ先の寺に行かれた。
そこにも敵が迫り、さらに5キロ先の険しい山奥へと入られた。
夜も更け、蓮如上人も大変お疲れになっている。
お休みいただく所はなかろうかとお弟子が山中を探すと、
炭焼き窯があった。
山肌に大きな穴が開いたような窯の中へ上人は入られ、
お弟子が炭焼き人に変装して、明け方まで窯の前で見張りをし、
お護りしたという。

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生命の危機が迫りながらも、蓮如上人は各地を布教に歩かれ、
熱烈に弥陀の本願を徹底していかれたことが、
アニメ映画『なぜ生きる━蓮如上人と吉崎炎上』に描かれています。

このように、「弥陀の本願以外に助かる道なし」と
一向専念無量寿仏を徹底して伝える人に、
激しい非難攻撃のあることを、釈迦は2600年前に既に教えられ、
親鸞聖人も、
「お釈迦さまの仰せのとおりであったなぁ」
と、ご和讃に、
五濁の時機いたりては
道俗ともにあらそいて
念仏信ずるひとをみて
疑謗破滅さかりなり

と仰っているのです。

しかし聖人は、どんな非難中傷も恥とせず、
弥陀の本願宣布を妨げる一切を、斬り捨てられ、
ひたすら一向専念の道を突き進まれました。

唯仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず(教行信証)
(ただただ深き阿弥陀仏のご恩が知らされ、世間の非難中傷など、
気にしておれない。)

いかなる苦難にも屈せず、ひとえに、限りなき阿弥陀如来のご恩に
感泣される親鸞聖人の聖容(せいよう)が彷彿とするではありませんか。


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