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親鸞聖人が示された「真の仏法者」の道 [一向専念無量寿仏]

親鸞聖人が示された「真の仏法者」の道

 

如来大悲の恩徳は

身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も

骨を砕きても謝すべし 

        (親鸞聖人・恩徳讃)

 

大慈大悲の阿弥陀如来と、

その弥陀の本願を伝えたもうた師主知識のご恩は、

身を粉にしても、骨を砕いても、

とてもお返しすることはできぬのだ

 

阿弥陀如来と師主知識(善知識)の恩徳に

限りなき謝念のあふれる親鸞聖人の「恩徳讃」。

その後半の

「師主知識の恩徳も

骨を砕きても謝すべし」

を続けて学んでいます。

「師主知識」とは、仏教を正しく説かれる先生のことで、

善知識ともいいます。

先月は、この善知識の元祖であるお釈迦さまの教えを学びました。

 

●仏法の目的は何か

 

釈迦一代の教えは、七千余巻の一切経に全て書き残されており、

その一切経の中で「出世本懐経」と

釈尊自らが仰る『大無量寿経』には、

十方諸仏の本師本仏である阿弥陀仏の本願が説かれています。

本願とは誓願ともいい、阿弥陀仏のなされたお約束のこと。

 

どんな人も

必ず絶対の幸福(往生一定)に救う

 

と誓われています。

往生一定とは、阿弥陀仏の本願に救い摂られると、

来世は明るい極楽浄土に往って、

弥陀同体の仏に生まれる(往生)身とハッキリする(一定)。

未来が限りなく明るくなると、

現在から比べものにならない無上の幸せになれますから、

絶対の幸福ともいい、これを信心決定(しんじんけつじょう)

ともいいます。

人と生まれし本懐(人生の目的)は、

この身に救われることだと仏教では教えられますが、

信心決定せずに命尽きれば、

万劫(まんごう)にもかえらぬ一大事が待ち受けているから、

一時も片時も信心決定を急ぎなさいよ、

と親鸞聖人は警鐘乱打なされています。

 

呼吸の頃(あいだ)すなわちこれ来生なり。

一たび人身を失いぬれば万劫にも復(かえ)らず。

この時悟らざれば、仏、衆生を如何したまわん。

願わくば深く無常を念じて、

徒(いたずら)に後悔をのこすことなかれ

               (教行信証行巻)

吸った息が吐けなかったら、

吐いた息が吸えなかったら来世である。

後生は遠い話ではない。

死ねば、二度と同じ人身に戻ることは永遠にないのである。

今、この一大事を解決しなければ、

いつできるであろうか。

永遠のチャンスは、今しかないのだ。

されば、刻々と迫る無常を凝視して、

決して後悔を残すことがあってはならない。

 

信心決定(しんじんけつじょう)できるか否かは、

永劫の浮沈を分ける大事ですから「生死の一大事」とか

「後生の一大事」といわれるのです。

 

●目を向けたくない未来とは?

 

ところが、そんな一大事を知らず、

人生を過ぎるに任せている人ばかりではないでしょうか。

それにしても一生とは、何とはかないものか。

テレビで見た生命保険のコマーシャル。

若い夫婦と幼い娘の団欒(だんらん)が映され、

少女は瞬く間に成長して花嫁となり、母親となる。

子供を連れて里帰りすると、

かつて若々しかった両親が白髪の目立つ祖父母になっている。

わずか数十秒のCMに、人の一生が凝縮されています。

子の成長だけを願って、親は自身の老いを忘れていることを、

古来こう詠まれています。

「這えば立て

立てば歩めの 親心

わが身につもる 老いを忘れて」

古今を問わぬ親の姿でしょう。

こうして子は親となり、またその子供も親となる。

老いの先には終幕が待っているのですが、

皆、そこに目が向かないのです。

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トランプのババ抜きや七並べなど、

誰もが一度は遊んだことがあるでしょう。

カードに描かれている四種のマークはそれぞれ愛(ハート)、

お金(ダイヤ)、学問(クラブ)、死(スペード)という

意味があり、マークごとの13枚のカードの中には、

11(ジャック・若者)、12(クイーン・女性)、

13(キング・老人)の三種の絵札があります。

その絵札に描かれている人の顔の向きは、

実はマークによって違うことをご存じでしょうか。

例えば、若者は興味津々で愛(ハート)を見つめているとか、

女性は愛(ハート)、お金(ダイヤ)、知識(クラブ)に

同等の関心を示している。

また、老人は愛(ハート)に興味が薄いが、

お金(ダイヤ)には執着が強いなどです。

ところが三者がいずれも、直視できないマークがある。

それが、スペード(死)です。

老人(キング)だけは、迫り来る死を意識し、

他の二者よりも目を向けようとしていますが、

それでも直視できません。

誰もが見たくない、考えたくないのが、

死だからでしょう。

この生死の大問題に、解決の道を明示しているのが仏法です。

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●仏教の結論は「一向専念無量寿仏」

 

本師本仏の阿弥陀仏は、すべての人を浄土往生間違いない身に

救い摂る、と誓われていることは先述しました。

暗い後生が、弥陀の本願を信ずる一念に、

光明輝く来世に大転換いたします。

そんな救いは、他の仏や菩薩には到底できないことですから、

〝皆人よ、弥陀一仏を信じ、助けていただきなさい〟

と釈尊は仏教の結論として、

 

一向専念無量寿仏(阿弥陀仏一仏に向け、専ら信じよ)

 

と教えられているのです。

このお釈迦さまの教導を、私心なく伝えられた方が

親鸞聖人です。

アニメーション『世界の光・親鸞聖人』をごらんになれば、

全6巻のシリーズ中、最も多く出てくる仏語が、

この「一向専念無量寿仏」であることに気づかれるでしょう。

親鸞聖人は生涯、これ一つ叫ばれたことが分かります。

どのように聖人は、仏教の結論「一向専念無量寿仏」を

教えられたのでしょうか。

 

●ただ弥陀一仏に向かう

 

親鸞聖人が生涯、手元に置いて

修正を重ねられた主著『教行信証』の化身土巻末には、

経典を引用にしてこう教導されています。

 

出家の人の法は、国王に向かいて礼拝せず、

父母に向かいて礼拝せず、六親に務(つか)えず、

鬼神を礼(らい)せず   (菩薩戒経)

 

(真の仏法者は、たとえ相手が国王であれ、父母であれ、

六親であれ、鬼神であれ、一切、

これらのものに礼拝恭敬(らいはいくぎょう)しないのである)

 

真の仏法者とは、「一向専念無量寿仏」の人のことです。

「一向専念無量寿仏」の仏法者は、たとえ相手が国王であれ、

父母であれ、六親であれ、鬼神であれ、これらのものに

礼拝恭敬はしないのである。

ただ弥陀一仏を礼拝恭敬する者こそが、

真の仏法者であるというのが、親鸞聖人のこの「経文」の解釈です。

 

事実、聖人は、この『菩薩戒経』の教えを忠実に、

自ら実践されました。

まず「国王に向かいて礼拝せず」と仰っていることについて

『教行信証』後序には、

 

主上・臣下、法に背き義に違(い)し、忿(いかり)を成し、

怨(あだ)を結ぶ

            (教行信証後序)

(天皇も家臣も、仏法に反逆して、

正義を踏みにじり、怒りにまかせて大罪を犯した)

 

と仰り、『口伝鈔』には、

 

上一人(かみいちにん)よりはじめて偏執(へんじゅう)の

やから一天に満てり   

               (口伝鈔)

(天皇をはじめとして、法謗の輩が天下に満ちている)

 

とあります。

これは真実の仏法を弾圧した当時の権力者らを

痛烈に非難されたお言葉です。

戦時中、聖人のこのお言葉が、天皇不敬に当たると大問題になり、

削除されましたが、これこそ親鸞聖人の

「国王に向かいて礼拝せず」の明証でありましょう。

 

9歳から20年間、比叡山の天台僧として

後生の一大事の解決一つを求め、日夜、

苛烈(かれつ)な修行に身を投じられた親鸞聖人は、

忍び寄る無常の嵐に火急を感じ、天台宗、法華経の教えに絶望。

ついに下山を決意されました。

「こんな親鸞、救われる道はあるのだろうか。

導く高僧いまさぬか」

夢遊病者のごとくさまよう都の辻で、

叡山の旧友・聖覚法印と巡り会い、

その縁で生涯の師と仰ぐ法然上人に邂逅(かいこう)された。

雨の日も風の日も聞法に専心された聖人は、

たちどころに阿弥陀仏の本願に救い摂られる。

〝誠なるかなや弥陀の本願。

親鸞の後生の一大事、救いたもう仏は阿弥陀仏一仏であった〟

あふれる歓喜とともに、ただちに法然上人門下に連なり、

熱烈な「一向専念無量寿仏」の布教を開始。

聖人29歳の時でした。

時あたかも、庶民や武士に加え、

聖道諸宗の学者や公家・貴族まで、

弥陀一仏の救いを説く法然上人の信奉者が急増した。

ところが急速な法然一門の発展に恐れをなした仏教各派は、

強い危機感を抱く。

やがて聖道諸宗一丸となり、前代未聞の朝廷への直訴となった。

承元元年(1207)、ついに浄土宗は解散、

「一向専念無量寿仏」の布教は禁止され、

法然・親鸞両聖人以下八人が流刑となる。

さらに無法な裁きは住蓮・安楽ら4人の弟子を死刑に処した。

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聖道諸宗と権力者が結託しての日本仏教史上かつてない

大弾圧は「承元の法難」といわれています。

聖人35歳の時のことでした。

この時の、法然上人のご教導が、

アニメーション『世界の光・親鸞聖人』第3巻に、

こう表されています。

よいか、皆の者。我ら仏法者にとって、

命懸けて護らねばならぬのは、天下の掟でもなければ、

世間体でもない。

ましてや、名誉でも財産でもない。

それは唯一つ、釈尊出世の本懐である、一向専念無量寿仏と、

その布教だけなのだ

恩師のこの教導を親鸞聖人は、生涯護り通され、

「一向専念無量寿仏」を貫かれたのです。

 

次の「父母に向かいて礼拝せず」について、『歎異抄』に、

 

親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても

申したることいまだ候わず

               (歎異抄)

親鸞は、亡き父母の追善供養のために、一遍の念仏も

称えたことがない

 

と仰せられています。

「孝養」とは「追善供養」のことであり、

死んだ人を幸福にすると信じられている行為です。

4歳で父を、8歳で母を亡くされた聖人の、

両親を思う切なさは、いかばかりであったでしょう。

その聖人がこう仰るのは、

死後の報いはその人の生前の行為(業力)で定まり、

他人が死人に果報を変えることはできないからです。

これが聖人の「父母に向かいて礼拝せず」の宣言です。

 

また84歳の老聖人が、

「一向専念無量寿仏」を乱した長子・善鸞を

義絶されたのは、「六親に務(つか)えず」の

表明といえましょう。

建長8年5月29日、84歳の聖人が、

遠く関東で布教する50歳の善鸞に義絶状を送られたのは、

「私は父から真夜中に、一人秘法を伝授されたのだ」

と言い触らし、さらに神に仕えて祈祷し、

吉凶を占って仏法を蹂躙したからです。

聖人の度重なる諫(いさ)めにも、一向に改めぬ善鸞に、

 

あさましさ、申すかぎりなければ、今は親ということ、

あるべからず。子とおもうこと、おもいきりたり。

かなしきことなり      (義絶状)

 

と断腸の思いで勘当の手紙を書き送られたのです。

親子の恩愛に引かれて善鸞の言動を黙認されていたら、

幾億兆の人々の真実の救いはなかったでしょう。

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親鸞聖人が、一切の鬼神(人畜の死霊を神とするもの)を

排斥されたことは、あまりにも顕著なことです。

『教行信証』には、

 

余の諸天神に帰依せざれ  (涅槃経)

(天地の神々を信じ、礼拝してはならぬ)

 

天を拝することを得ざれ、鬼神を祀ることを得ざれ

              (般舟三昧経)

(天を拝んだり、鬼神を祀り仕えてはならない)

 

など諸経を引用して、「和讃」にもこう仰っています。

 

かなしきかなや道俗の

良時吉日をえらばしめ

天神地祇(てんじんちぎ)をあがめつつ

卜占祭祀つとめとす

            (悲歎述懐和讃)

(悲しいことよ。僧侶も在家の者も、日の善し悪しを論じ、

天地の神を崇め、占いや祭りごとをやっている)

 

かなしきかなやこのごろの

和国の道俗みなともに

仏教の威儀をもとにして

天地の鬼神を尊敬(そんきょう)す

             (悲歎述懐和讃)

(なんと悲しいことか、国中の僧侶も在家の者も、

外面は仏法者を装っているが、内心は天地の鬼神を敬っている)

 

親鸞聖人ほど鬼神信仰や卜占祭祀を打破なされた方はないのです。

 

先述のとおり、この「一向専念無量寿仏」の強調が、

承元の法難を呼び、聖人が流刑に遭われたのは

歴史上の事実です。

厳しい「一向専念無量寿仏」の徹底に、

世間の人々は浄土真宗のことを、

一向宗とまでいうようになったほど。

いかに「一向専念無量寿仏」が、私たちが絶対の幸福に

救われるに大事であるかがお分かりでしょう。


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