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多くの仏教宗派がある中で、なぜ「親鸞聖人の教え」なのでしょう? [親鸞聖人]

なぜ、親鸞聖人や法然上人、蓮如上人、『とどろき』を書かれている先生が、

「なぜ生きる」を説くことができるのか、

つまり「お釈迦さまのたった一つの教えたかったこと」をなぜ説き切れるのか、
それは、
阿弥陀仏に実際に救われているからです。

阿弥陀仏に実際に救われてから、

我々を導くために、もう間違いがないというほどに一切経を勉強されて

説かれているので、確信に満ち溢れて教えることができるのです。

それに対して、救われていない道元や最澄、空海、日蓮、
その他有名な僧や有名でもない僧たちは、
死んでから救われるのではないかとか、

阿弥陀仏について書かれている経典は
方便として存在しているとしか思えないので、

お釈迦さまの御心が分からないのです。
(お釈迦さまの御心は、阿弥陀仏の本願に値(あ)わせて、
未来永遠、無上の幸福にさせること、それ以外にはありません


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(ここからは、真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)


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●親鸞聖人ほど

 「なぜ生きる」を

 明らかにされた方はない

 

世界に宗教多しといえども、

なぜ私たちは「親鸞聖人」の教えを聞くのでしょう。

それは、親鸞聖人ほど「なぜ生きる」を

明らかにされた方はないからです。

「なぜ生きる」とはどういうことか。

まずは、こんな笑い話から。

 

先日、考え事をしながらエレベーターに乗り、

閉まる扉をぼんやり眺めていた。

しばらく待ってもエレベーターは動かない。

〝なぜ動かないんだろう〟と思った瞬間、

エレベーターがしゃべりだした。

「行き先のボタンを押してください」

ハッと我に返る。

「えっと、何階だっけ?そうだ、今から5階で会議があるんだ」

 

エレベーターに乗るのは、どこか行くため。

行く先を知らないと、行き先ボタンは押せません。

乗ってから「さて、どこへ行けばいい?」

と言う人はないでしょう。

行き先が分からねば動きようがないのは、

エレベーターも同じです。

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ところが、人生は、どうでしょう。

何のために生まれてきたのか?

生きて何をするのか?

「このため」と全人類はハッキリしているでしょうか。

ハッキリしていなければ、生きようがないはずです。

そう聞くと、

「生きることに意味なんてない」

「生きているだけで素晴らしい」

という声が聞こえてきそうです。

若くて健康な時は、生きがいや目標、

夢があれば生きられます。

人類に貢献するような発見をしてノーベル賞を。

金メダルを目指して毎日練習。

お金をためて夢のマイホームを建てよう・・・等々。

ところが、老いや病で体が不自由になり、

他人の世話を受けねばならなくなったらどうでしょう。

食べ物に気を遣い、適度に運動し、頭を使ってボケ防止・・・

など涙ぐましい努力をしていても、突然の事故で、

いつ介護が必要な体になるか分かりません。

ある男性は、20代で交通事故に遭い、

脳に大きな損傷を負ってしまいました。

自分で体も顔も動かせず、物も食べられず、声を失った。

24時間付きっきりで介護する母親はこう語っていました。

「あの事故の一瞬で、息子の就職も結婚も、

全てが吹き飛びました」

不自由な体になれば、夢や生きがいも失ってしまうのです。

 

●「人命は地球より重い」

       は建前か?

 

寝たきりになり、人工呼吸器をつながれ、

絶望的な状況でも、医者は懸命に治療します。

命は尊厳、人命は地球より重いといわれるからでしょう。

しかし、終末期医療の現場も悩んでいます。

「治療しても、延ばした命に意味を感じられない空虚感が、

医師にも看護師にも、家族にも漂っている」

とは、ある医師の証言です。

健康なうちは、忙しさを理由に生きる意味を真面目に

考えることもない。いざ考えずにおれなくなった時には、

自分の人生の決定権は家族や医療者に移っており、

生きる意味も分からぬまま、日常生活を送れても、

ただ生きるだけの毎日になってしまう。

生きる意味が分からないむなしさは放置され、

無気力な高齢者は、なおのこと体も弱り、

施設しか行き場がなくなってしまう。

そのような悲劇が、繰り返されているのが現実です

これからの日本は、ますますそういう人が増えてくるでしょう。

そんな身になっても、なぜ生きねばならないのか。

それでも人命は地球よりも重いのか。

それとも、これは単なる建前のフレーズなのでしょうか。

いいえ、違います。

「人はこれ一つのために生きている」

というものがあるのです。

これこそが最も大事な「生きる目的」です。

この「人生の目的」をハッキリ教えられたのが仏教であり、

そのお釈迦さまの教えを、

そのまま教えられた方が親鸞聖人なのです。

 

●人生が

 「苦海」になるのは・・・

 

仏教を説かれたお釈迦さまは、

「人生は苦なり」

と仰り、親鸞聖人は、そんな私たちの人生を海に例えて

「難度海(苦海)」と言われています。

苦難・困難・災難の波が絶えずやってくる、

苦しい海が人生だということです。

昨年の御嶽山に続き、各地で活発になっている火山活動。

(2015年のとどろきです)

中でも口永良部島や桜島、阿蘇山など九州地方で噴火が

相次ぎ、口永良部島は全島避難が続いています。

9月には「関東・東北豪雨」による大水害で、

多くの人が避難生活を余儀なくされました。

こうした苦難や災難が、私にもいつやってくるか

分かりません。

せめて無難に生きていたいと願うのは私だけではないでしょう。

 

なぜ人生は難度海になるのか?

それは、「煩悩具足」の私たちが「火宅無常の世界」に

生きているからだと仏教では教えられます。

たとえ災難に遭わなくても、どんな生き方をしても、

この人生の本質は変わりません。

「煩悩」とは、私たちを煩わせ悩ませ苦しませるものをいい、

「具足」とは、それでできている、ということ。

雪だるまの雪が解けたら何もなくなるように、

私から煩悩を取ったら何も残らない。

100パーセント煩悩の塊が私、人間というものです。

その煩悩の中で特に恐ろしいのが、

欲・怒り・愚痴(ウラミ、ネタミ)の3つです。

なければないで欲しい、あればあるでなお欲しいのが「欲の心」。

この欲が逆巻くと、仲の良かった兄弟姉妹でも

骨肉の争いを引き起こすのです。

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弁護士への相談で特に多いのは「遺産相続」と

「離婚問題」だといわれます。

遺産相続は財産家だけの話ではありません。

「あらおかし 喧嘩の種を かき集め」

というように、〝子供の幸せのために〟と

せっせとかき集めたお金や土地が、

子供たちの「喧嘩の種」になる。

たとえネコの額ほどの土地でも、手には入るか入らないかで

目の色が変わるのは、「欲」だからです。

血のつながった兄弟でも争うのですから、

もともと他人同士の夫婦関係はもっと難しい。

7月、幹部自衛官が「単身赴任先に戻る自分を、

妻が見送ってくれなかった」と腹を立て、自宅に放火。

わが子8人のうち4人が犠牲になった痛ましい事件は、

「怒り」の心の成せる業でしょう。

なんとバカなことを、と冷静な時は思いますが、

「オレは絶対あんなことはしない」

と言い切れる人があるでしょうか。

〝あの人と同じ墓に入りたくない〟

〝この姑さえいなければなぁ〟

こんなウラミツラミの「愚痴」の心も、

どうしようもありません。

 

煩悩具足の私たちが住む世界は「火宅無常」の不安な世界である、

親鸞聖人はこう仰います。

煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、

万(よろず)のこと皆もって空事・たわごと

・真実(まこと)あることなし

                 (歎異抄)

火宅のような不安な世界に住む、

煩悩にまみれた人間のすべては、そらごと、

たわごとばかりで、真実(まこと)は一つもない

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●生きるのは、暇つぶし?

 無駄な抵抗?

 

苦難、困難の波を何度も乗り越えて、

私たちは生きていくのですが、やがて行き着く先は

どこでしょうか。

必ず力尽きる死が待っています。

「人生は死ぬまでの暇つぶし」

と言った人がありますが、苦しい思いをしてまで、

暇つぶしをする必要はないでしょう。

それどころか、死ぬのは誰でも嫌ですから、

体によい食べ物、適度な運動を、と健康に気遣い、

少しでも死を遠ざけようと日々努力しています。

しかし、完全に死を回避することはできません。

 

コンビニに押し入り人質を取って立て籠もる強盗に、

説得を試みる警察官、

「おまえはもう包囲されている。無駄な抵抗はやめろ!」。

果たして無駄な抵抗をしているのは、

この強盗だけでしょうか。

相次ぐ災害に、「自分の命は自分で守ろう」と

声高に言われます。

災害への備えはもちろん大事ですが、

自分の命を完全に守り切れる人があるでしょうか。

誰もが「絶対に負ける戦い」をしているのです。

「死にたくない」と抵抗を続けて、あがき、もがいた挙げ句に

この世を去っていくのですから。

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人生は旅、すべての人は過去から未来へ行く「旅人」だと

歌われています。

旅人はジッとしておらず、この人生も通過点に過ぎない。

死は次の旅への出発だから、死ぬことを「旅立つ」という。

では死んでどこへ旅立つのか?

行く先はハッキリしているのでしょうか。

エレベーターも、いつまでも乗ってはおれません。

必ず降りねばならない時が来ます。

降りた先はどんな世界か。

知らずにエレベーターに乗ってはいないでしょうか。

親鸞聖人は、未来の「行く先」が、

現在ただ今ハッキリするぞ、と明らかに教えられているのです。

 

●絶対の幸福に向かって

 輝く日々に

 

親鸞聖人は、今死んでも浄土往生間違いなしの

「往生一定」になることがこの世に生まれた目的なのだよ、

と教示されています。

これこそ「なぜ生きる」の答えなのです。

「往生」とは、「往」はユク。

地獄や餓鬼界にゆくのではない。

本師本仏である阿弥陀仏の極楽浄土に往くことです。

「生(じょう)」はウマレル。

ですから、阿弥陀仏の極楽浄土へ往って、

弥陀同体の仏に生まれることを「往生」といいます。

世間で、困った時や死んだ時に「往生した」などと言うのは、

全く間違っています。

「一定」とは、ハッキリすること。

平生ただ今、いつ死んでも極楽参り間違いないと

ハッキリしたことを「往生一定」というのです。

そんな身に、どうしてこの世でなれるのか。

それはひとえに阿弥陀仏の本願力によってであると、

親鸞聖人は和讃で教えられています。

 

「生死の苦海ほとりなし

ひさしく沈めるわれらをば

弥陀弘誓のふねのみぞ

のせてかならずわたしける」(高僧和讃)

 

(苦しみの波の絶えない海に、永らく、

さまよい続けてきた私たちを、阿弥陀仏の本願の大船だけが、

乗せて必ず浄土まで渡してくだされるのである)

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阿弥陀仏の本願の「本願」は「誓願」ともいい、

大宇宙最高の仏である阿弥陀仏のなされているお約束のことです。

阿弥陀仏は、

「すべての人を必ず往生一定(絶対の幸福)に救う。

もしできなかったら仏のさとりを捨てる」

と誓われています。

煩悩具足の私たちを、そのまま弥陀の大船に乗せて助ける、

との命懸けてのお約束です。

この弥陀のお力によって「弥陀弘誓の船」に乗せられ、

絶対の幸福に生かされた乗船者は、

来世は往生即成仏(浄土に往くと同時に弥陀同体の仏になる)

の身となります。

仏教にはいろいろな宗派がありますが、

全ての仏教に共通の目的は仏に成ること。

しかし、極楽浄土に往って直ちに弥陀同体の仏になれる、

と平生、ただ今ハッキリする教えは、

親鸞聖人の教えだけなのです。

これを「現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)といわれます。

「正定聚(しょうじょうじゅ)」とは、

正(まさ)しく仏になると定まった人たち。

現在生きている時に、正定聚になれるのです。     

これを「平生業成(へいぜいごうじょう)」ともいいます。

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この親鸞聖人のみ教えを、蓮如上人は有名な

「聖人一流章(御文章五帖目十通)にこう仰っています。

 

「不可思議の願力として、仏の方より往生は治定(じじょう)

せしめたまう」

阿弥陀仏の不可思議の本願力によって、

弥陀弘誓の船にのせていただき、往生一定(往生は治定)の身に

ならせていただける。

人生の目的を達成したぞ。

たとえ体が動かなくなっても、

これ一つ果たすために生まれてきたのだ。   

平生の一念に絶対の幸福になれたぞ。

そんな生命の大歓喜を味わうことができるのです。

そして、蓮如上人は、その身に救われたならば、

お礼の念仏を称えずにはおれなくなる、

と同じ「聖人一流章」に、

「その上の称名念仏は、如来わが往生を定めたまいし

御恩報尽の念仏と、心得べきなり」

と仰っています。

往生一定、絶対の幸福に助けていただいて称える念仏は、

お礼(御恩報尽)である、との教えです。

 

生きては正定聚の絶対の幸福、

死しては往生即成仏で弥陀同体のさとり。

この世も未来も完全に救い切ってくださるのが、

本師本仏の阿弥陀仏の本願なのです。

それには、

仏法は聴聞に極まる」。

聞く一念になれるのですから、

真剣に弥陀の本願を聞き求め、 

光に向かって一日一日進みましょう。

無駄な抵抗どころではない。

必ずや、光明輝く人生が開かれるのです。

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