SSブログ

おとぎ話と真実の仏法(浦島太郎に秘められた意味) [なぜ生きる]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)

おとぎ話と真実の仏法

 

  浦島太郎に

    秘められた意味

 

読書の秋です。

活字離れが言われて久しい今日、

子供たちに本を読んで聞かせる

「読み聞かせ」の動きが広まっています。

古きよき日本の心を知らない子供たちに、

秋の夜長、語り継がれた「浦島太郎」の

おとぎ話を読み聞かせてみてはどうでしょう。

だれもが知っているようで、実はこの話には、

大きな、なぞが隠されています。

子供のおとぎ話と思っていたことが、

実は、人生の大事を教えた

真実の仏法そのものになるのです。

IMG_20221003_0001.jpg-5.jpg

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「昔昔、浦島は助けた亀に連れられて・・・」

の軽快なメロディーにのって歌われる浦島太郎の物語。

日本人なら知らない人はないでしょう。

大体のストーリーは、こうです。

 

漁師の浦島太郎が浜へ漁に出掛けると、

一匹の大きな亀が、大勢の子供たちにいじめられている。

かわいそうに思った浦島太郎は、再三再四、

逃がしてやるように説得したが、子供たちは一向に

聴き入れない。

そこで情け深い浦島太郎は、子供たちに銭を与えて

亀を買い取り、海へ放した。

幾度も礼を言って亀は海中に姿を消した。

数日後、舟を浮かべて漁をしていた浦島太郎のところへ、

先日助けた亀がポッカリ浮かぶ。

「この前のご恩返しに、

今日はよい所へご案内いたしましょう」と、

竜宮城へ連れて行かれた。

乙姫様に迎えられた浦島太郎は、

山海の珍味でもてなされ、限りない楽しみを味わった。

故郷に帰った浦島太郎は、乙姫様から贈られた玉手箱を開くと、

モクモクと白煙が立ち昇り、たちまち白髪の老翁になってしまった。

IMG_20221003_0002.jpg-5.jpg

 

親や教師は、この話をしたあとで、

「だから皆さんも、浦島太郎のような、

情け深い、生物をかわいがる心の優しい人になりなさいよ」

と教えてくれたものです。

知らず知らずのうちに、

〝善い因(たね)をまけば、善果が返り、

悪い因(たね)をまけば悪果があらわれ、

自分のまいたものは自分が刈り取らねばならぬ〟

という因果の大道理を教えられていたのです。

 

●幸せの法則・因果の道理

 

因果の道理とはどんな事でしょか。

仏教では、私たちの幸不幸の運命は、

因果の道理にしたがって決まると教えられ、

その法則は、次のように説かれています。

 

善因善果 

悪因悪果 

自因自果

 

「善因善果」とは、善い原因は善い結果をもたらす。

「悪因悪果」とは、悪い原因は悪い結果を引き起こす、

ということです。

善い種をまいて悪い結果が起きることも、

悪い種をまいて善い結果があらわれることもありません。

まいた種に応じた結果しか生えてこないのです。

「自因自果」とは、自分のまいた種は、

自分が刈り取らねばならない、ということです。

他人のまいた種の結果が私にあらわれる「他因自果」もなければ、

私のまいた種の結果が他の人に行く「自因他果」も絶対にないと、

教えられています。

お釈迦さまがここで、「因」と説かれているのは

「行為」のことであり、「結果」とは「運命」のことです。

幸福という善い運命は、善い行いが生み出したものであり、

不幸や災難という悪い運命は、悪い行いが引き起こしたもの。

善いのも悪いのも、自分の運命のすべては

自分の行為が生み出したものですよと、

教えられているのです。

 

亀を助けた浦島太郎は、竜宮城の乙姫様のもてなしを受け、

夢のような楽しみを味わうことができました。

因果の理法には、万に一つも狂いはありません。

 

●浦島太郎が、本当に善人ならば、

  まず、魚釣りざおを、

     たたき折るべきだった

 

しかし、ここで一つの疑問が起きてきます。

善因善果、悪因悪果、自因自果の因果の教訓は尊いですが、

果たして浦島太郎は、本当に生き物をかわいがる、

情け深い、心の優しい善人なのでしょうか。

多くの人は、浦島太郎の言動に、大きな矛盾のあることに、

気づいてはいないようです。

 

子供たちに銭まで与えて、亀を助けた浦島太郎の肩には、

何百何千の魚の命を奪った、また、今から奪うであろう

魚釣りざおが担(かつ)がれていたのです。

この場合、亀も魚も、同じ意味に扱われているのですから、

大変な矛盾といわなければなりません。

本当に浦島太郎が、一切の生命を愛する善人ならば、

まず、彼の魚釣りざおを、たたき折るべきでしょう。

一方で何百何千の殺生を平気でやりながら、

たまたま1匹の命を助けたといって、

いかにも情け深い善人に見せ掛けるのは、

あまりに見え透いた偽善といわなければなりません。

では浦島太郎は、彼の生活を支えている魚釣りざおを

折ることはできるでしょうか。

それは彼にとって到底、不可能なこと。

なぜならばそれは、彼の自殺を意味するからです。

 

ここに、善人たらんとする浦島太郎の限界があります。

一つの生物の命を助けることはできても、

その何十何百、何千倍の生物の生命を奪わずしては

生きていけない、人間、浦島太郎の

ギリギリいっぱいの姿があるのです。

同時に、それはそのまま、すべての人間の姿にほかなりません。

私たちは、自覚のないところで、どれだけ悪を造っているか、

三思三省(さんしさんせい)させられます。

 

●教師も悪人?

  ーーある布教師と校長の会話

 

大正時代の有名な布教使・西村法剣にこんな話があります。

 

ある寺で、説法していた時のこと。

大の仏法嫌いであった、村の小学校長が、参詣していた。

「仏教は、すべての人間は悪人であると説くから気に入らぬ。

有名な僧侶が来るなら、一度行って、懲らしめてやろう」

との腹である。

そうとは知らぬ法剣は、いつものように、

「仏さまの眼(まなこ)から、ごらんになれば、

善人は一人もありません。皆、悪人なのですよ」

と力説した。

 

説法後、控え室を訪ねた校長は、早速、

「あなたは今、人間は皆悪人と説法されましたが、

まことに困ります。

そんなことを認めたら、教師も皆悪人ということになり、

教育が成り立たんではありませんか。

今後、かようなことは言わないようにしてもらいたい」

と、カンカンになって抗議した。

すると法剣、即座に校長の下座に下がり、

土下座して謝った。

「いやー、これは、あなたのような方がお参りとはつゆ知らず、

とんでもないことを申し上げました。

何とぞご容赦ください」

あまりの意外な反応に、校長は薄気味悪くなってきた。

なにしろ大正の一休とまでいわれ、歯に、

きぬ着せぬ物言いをする法剣が、

一言も反論せずに謝り果てているのである。

「まあまあ、そんなにまでしてもらわなくても、

あのような説教さえ、してもらわねばよいのです」

そう言って校長は、早々に退散しようとした。

「じゃあ、私はこれで」

靴を履き、校長が玄関を去ろうとした時、

「先生、ちょっとお待ちください」。

法剣が声をかけた。

「何か?」

「先ほどあなたは、この世には善人もいれば

悪人もいると言われましたな」

「はい、そう申しました」

「では校長先生、一つお尋ねしますが、

あなた自身は、その善人でいらっしゃいますか。

それとも悪人でいらっしゃいますか」

答えにくい質問である。

今更、悪人とは言えない。

さりとて、善人と答えるのもはばかれる。

校長が返答に窮していると、

「他人のことを聞いているのではありません。

あなた自身のことです。なぜ答えられないのですか。

なら質問を変えましょう。

あなたは学校で、うそは善だと教えられていますか。

悪だと教えておられますか」。

「もちろん、うそは泥棒の始まり。

悪いことだと教えています」

「では校長先生は、これまでにうそをつかれたことは

ありませんか」

校長ならずとも、だれにも身に覚えのあることである。

「では、喧嘩はどうですか。善悪、いずれだと教えられますか」

「悪に決まっています」

「では、校長先生は今までに夫婦喧嘩をなされたことは

一度もないのでしょうか」

これまた日常茶飯事。

「生き物を殺すことは、いかがですか。

子供たちに善だと教えますか。悪だと教えますか」

「言うまでもない。悪だと教えます」

「それならば、あなたは、一切生き物を

殺しておられないのですか。

また、肉や魚は食べられないのですか」

「それは・・・」

力なく答える校長に法剣は、

それならばあなたは、うそも喧嘩も殺生も、

皆、悪だと知りつつ、

毎日それを繰り返しているのではありませんか」。

 

日常、何とも思わずに重ねている悪を一つ一つ

指摘されるうちに、さすがの校長も反省の心が起きてきた。

ついには玄関に座り込み、

「先ほどは座敷で失礼なことを申し上げてしまいました。

よくよく考えてみると、気づかぬところでどれだけ悪を

造っているかしれません。

ご無礼をお許しください」。

 

校長はそれ以来、熱心に仏法を聞くようになったという。

IMG_20221003_0003.jpg-5.jpg

 

●心は常に悪を念じ、口は常に悪を言い、

 身は常に悪を行い、かつて一善も無し

 

汝ら、心は常に悪を念じ、口は常に悪を言い、

身は常に悪を行い、未だ曽て一善も無し

お釈迦さまは、『大無量寿経』に喝破なされています。

心と口と体で、私たちは日々、

どのような悪を造っているでしょうか。

 

①貪欲

なければないで欲しい、あればあるで、もっと欲しいと

際限なく広がる欲の心。

欲を満たすために私たちは、数々の悪を造る。

 

②瞋恚(しんい)

怒りの心。欲が、邪魔されると出てくる。

心の中で他人を切り刻む恐ろしい心。

 

③愚痴

勝るをねたむ心。他人の不幸を見て喜ぶ心。

 

④綺語

心にもないおべっか。

 

⑤両舌

二枚舌。離間語(仲の良い友を離そうとする言葉)。

 

⑥悪口(あっこう)

人の悪口を言うこと。

 

⑦妄語

うそをつくこと。

 

⑧殺生

生き物を殺すこと。他人に命じて殺すのも、

他人が殺生しているのを見て一緒に楽しむのも、

殺生罪である。

 

⑨偸盗(ちゅうとう)

盗み。身分不相応なものを身につければ偸盗罪になる。

 

⑩邪淫

よこしまな男女関係。

 

これらをまとめて十悪といいます。

貪欲、瞋恚、愚痴の三つが心で造る悪。

綺語、両舌、悪口、妄語が口。

殺生、偸盗、邪淫の三つが体で造る悪です。

「生きるためにはしかたがない」「皆がやっていること」

の反論が聞こえてきそうですが、

それはあまりに自己中心的な考えと言わざるをえません。

人間の都合で、悪因悪果、自因自果の、

宇宙の真理を曲げることはできないのです。

静かに自己を振り返ってみれば、いずれもいずれも

思い当たる事ばかりではないでしょうか。

 

●玉手箱を開けた時、

  なぜ浦島太郎は、

 一瞬にして白髪の翁になったのか

 

亀を助けた一方で、何百何千という魚たちの命を

奪った浦島太郎は、果たして乙姫様の恩人だったのでしょうか。

故郷に帰った太郎は、竜宮城での饗宴を、

手放しに喜ぶことはできなくなりました。

「浦島太郎」の歌にはこう歌われています。

 

「帰ってみれば、こはいかに、元居た家も

村も無く 路に行きあう人々は 顔も知らない者ばかり」

「心細さに蓋とれば あけて悔しき玉手箱

中からばっと白煙 たちまち太郎はお爺さん」

 

この物語の最大の疑問、玉手箱を開けた時、

なぜ、一瞬にして浦島太郎は、

白髪の翁になってしまったのでしょう。

これは、悪しかなしえない我々が、その自覚もなく、

よいことをしているとうぬぼれて、

フワフワ浮いたかひょうたんで過ぎ去る一生の早さを

教えたものなのです。

IMG_20221003_0004.jpg-5.jpg

 

蓮如上人は有名な「白骨の御文章」に、

それ、人間の浮生なる相(すがた)をつらつら観ずるに、

凡そはかなきものは、この世の始中終、

幻の如くなる一期なり

と仰っています。

生きる目的も知らず、刹那の享楽を求めて生きる人々に、

「危ないぞ、危ないぞ」と警告しておられるのです。

 

●小さなコオロギのような

   はかない人生

 ーーー時代に翻弄されたラストエンペラー

 

人生は夢幻のごとし。

これは、どんな劇的な人生も、変わりません。

88年に公開された「ラストエンペラー」は、

約300年にわたって、中国を支配してきた

清王朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の、

激動の生涯を描き、アカデミー賞を受賞しました。

第二次世界大戦の中、時代に翻弄されながら彼は、

他に類の無い、数奇な運命をたどります。

映画のシーンから彼の一生を追ってみましょう。

IMG_20221003_0005.jpg-5.jpg

 

西太后の命により、わずか3歳で溥儀(ふぎ)は、

清王朝の皇帝になる。就任式で、側近からもらったコオロギの

入った小さな筒を、大切そうに玉座(ぎょくざ)の下に隠すような、

まだ無邪気な子供だった。

玉座に就いた幼帝に、何百人もの重臣たちがひれ伏した。

溥儀は王朝の象徴である、紫禁城(しきんじょう)の中で、

英国人の家庭教師に学びながら、物質的には何不自由ない

少年時代を送る。

しかし、彼が成長するにつれ、世界は互いに覇権を争う

激動の時代に突入した。

中国にも革命に波が押し寄せる。

1911年、辛亥革命により、ついに清王朝は崩壊。

紫禁城は革命軍に占拠され、溥儀は城を追放された。

 

しばらくは革命軍の手を逃れ、

天津の租界地で気ままに暮らしていた溥儀だが、

やがて日本軍の招きにより、中国北方に独立した

満州国の皇帝になる道を選ぶ。

再び満州族の国家を樹立し、皇帝に返り咲いたが、

その栄光もつかの間、実態は日本の傀儡(かいらい)で、

溥儀に実権はなかった。

 

1945年、日本の敗戦が決すると、溥儀は戦犯として

捕らえられた。護送中ハルビン駅で手首を切り、

自殺を図ったが失敗。

戦犯管理センターに送られ、人間改造を強いられる。

かつての家臣とも同等に扱われ、屈辱的な囚人生活を

送っていたが、9年後、53歳の時、模範囚として釈放される。

 

平民となり、庭師として生活していた溥儀は、

数年後、すでに観光地と化したかつての居城・紫禁城に赴く。

懐かしそうに広場を抜けて、立ち入り禁止のロープを越え、

玉座への階段を上り始めた。

すると一人の男の子が、駆け寄ってくる。

「僕は守衛の子供だ。この城に住んでいる」

すると、溥儀は、

「私もここに住んでいた。そしてその椅子に座っていたんだ」。

「証拠は?」

尋ねる少年に溥儀は、何かを思い出したように、

にっこりほほえみ、玉座の下から取り出した筒を、

少年に手渡した。

皇帝に即位した日に隠した、あの筒である。

少年が、けげんそうにふたを開けると、中から、

生きているはずのない、あの時のコオロギが

ぴょんと飛び出してきたのである。

少年が振り返ると、もうそこには溥儀の姿はなかった。

 

人生は、はかなく、一瞬に過ぎ行く。

どんなドラマチックな生涯も、悠久の歴史と比べれば、

わずか1,2ヶ月のコオロギの一生と、

何の違いがあるでしょう。

溥儀の60年の人生が、まるで一瞬であったかのように、

ぴょんと現れた小さな命には、

そんなメッセージが込められていたのかもしれません。

IMG_20221003_0006.jpg-5.jpg

 

●夢の世は罪を罪とも知らねども

 思い知る時がやってくる

 

豊臣秀吉の辞世の歌を出すまでもなく、

私たちが必死に集めた、金や財や名誉は、

臨終に夢幻と消えていきます。

しかし、たとえ手にした一切が夢と消えても、

それらを得るために造った罪は、夢ではありません。

例えていえば、居酒屋で飲んでいる時、私たちは、

酔い心地に任せて次々と注文します。

ところが支払いの段になって、手渡された勘定書きに、

一気に夢心地を破られてしまうことがあるでしょう。

同じように、人生の夢から覚め、すべてが幻と消えても、

造った罪だけは担っていかなければならないのです。

 

●夢の世は 罪を罪とも知らねども

    報わんときや 思い知られん

 

私たちは日々、数え切れないほどの悪を重ねながら、

その自覚もなく、パッと白煙が立ち昇る一瞬の人生に驚いた時は、

だれもが、人生の終着駅に着いているのです。

このように知らされると、子供のおとぎ話と思っていた

浦島太郎の物語も、実は、真実の人間の相(すがた)を教え、

早く信心決定(しんじんけつじょう)し、

絶対の幸福を獲得せよ、の真実の仏法そのものになるのです。

蓮如上人が、

「誰の人も早く後生の一大事を心にかけて、

阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり」

と、繰り返し警鐘を鳴らしておられるのも、

早く信心決定せよのお勧めにほかなりません。

 

●この一瞬の人生をいかに生くべきか、

     いかに死ぬべきか。

 これこそ一生参学の大事である

 

阿弥陀仏は、その本願(約束)に、

「われを信ずる者は、必ず絶対の幸福に助ける」

と誓っておられます。

もちろん、死後のことではありませんから、

これを平生業成(へいぜいごうじょう)というのです。

現在ただいま、苦悩渦巻く人生を

光明輝く生活のできるようにしてやろう、

というお約束です。

こんな素晴らしい誓願は、2つとありませんから、

親鸞聖人は『正信偈』に、

「無上殊勝の願を建立し、

希有の大弘誓を超発せり」

とも仰っています。

その約束どおりに、私たちが絶対の幸福に助かった時を、

他力信心を獲たとか、信心決定したとかいうのです。

人生50年、いや、寿命が延びて、男78歳、女85歳と

長寿世界一を喜んでいるといっても、

悠々たる大宇宙の生命と比べたら、

私たちの一生は、まことにはかない、ホンの一瞬にすぎません。

この一瞬の人生をいかに生くべきか、

いかに死ぬべきかは、

これこそ一生参学の大事でなければならないでしょう。

光陰矢のごとし。

夢幻のように過ぎ行く人生と知らされれば、

まことに永劫の迷いを断ち切り、絶対の幸福を

獲得するために生まれてきたことが、

ひしひしと身証されるではありませんか。


nice!(41) 
共通テーマ:資格・学び

nice! 41

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。