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仏教で一番大事なことは、「一向専念無量寿」! [一向専念無量寿仏]

生きるためとはいえ殺生ばかりして、
心では悪のし放題の、
我々の後生(死後)は一大事です。
大苦悩の世界で想像できない長年月、
苦しみ続けなくてはならないと教えられています。
そんな我々を哀れに思われて、
ガンジス河の砂の数ほどおられる諸仏方は、
何とか助けてあげたいと思われたのですが、
我々の罪があまりにも重く、
とても救うことができるものではないと
あきらめてしまいました。
その中、阿弥陀仏だけが我一人助けんと立ち上がってくださり、
何億年、何兆年、それよりももっと長い、想像もできない長期間、
全身全霊、常に我々を助けたい一心で、
ご修行なされて、「南無阿弥陀仏」を完成されました。
それを我々が生きているうちに受け取れば、
後生の一大事が解決できます。
この世は、絶対の幸福に、死ねば仏の世界に生まれさせて
いただけるのです。
我々を苦しめている無常の世界から出離できて、
未来永遠の大生命を賜ることができるのです。
そんな無上の幸福にできるのは、阿弥陀仏しかいません。
だから、お釈迦さまは、阿弥陀仏一仏に向け、
弥陀以外の仏に向くな、菩薩、諸神は捨てよと
言われているのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


(ここからは真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)


(正信偈のお言葉)

五濁悪時群生海 五濁悪時の群生海、

応信如来如実言 応に如来如実の言を信ずべし

 

如来所以興出世

 唯説弥陀本願海

(如来、世に興出したまう所以は、

 唯、弥陀の本願海を説かんとなり)

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これは七千余巻の一切経を余すところなく読み破られた

親鸞聖人が、〝釈迦如来が、地球上に現れられて仏教を

教えられたのは、唯、「弥陀の本願」一つを

説かれるためであったのだ

と断言されているお言葉です。

次に、

五濁悪時群生海

 応信如来如実言

(五濁悪時の群生海

 応に如来如実の言を信ずべし)

とは、どんなことをおっしゃっているか、

お話いたしましょう。

 

●五濁悪時は、いつのこと?

 

まず、「五濁悪時」と言われているのは、

「いろいろと汚れ、悪に染まっている世界」

のことです。これは、歴史上のある一時代のことでもなければ、

ハリー・ポッターなどファンタジーに出てくる

架空の世界でもありません。

私たちの生きている現実社会、この娑婆世界のことです。

古今東西、いつでもどこでも、「五濁悪時」なのです。

親が子を殺し、子供が親をあやめる。

遊ぶ金欲しさに、虫けらのようにタクシー運転手を刺し殺し、

高校生がホームレスを面白半分に殴り殺す。

「ムシャクシャするから」と、駅のホームで赤の他人を

線路に突き落とす。

恋愛関係のもつれから、女性を山中の屎尿(しにょう)

処理タンクで窒息させる。

〝クリーンな政治〟を掲げて当選した人が、贈収賄で捕まる。

警察官が万引きし、消防士が放火する。

教師が淫行で逮捕され、清純派アイドルだった女優が

覚醒剤に染まる。

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人命の尊重を訴えていた識者が、あっさり首を吊る。

ノーベル賞受賞者を筆頭に優秀な頭脳が生み出した金融工学が、

世界経済を破綻の恐怖に陥れる。

人道の正義を振りかざす一国の大統領が、他国に軍事介入して

民間人を平気で虐殺する。

法治国家で人治がまかり通り、冤罪事件ででっち上げられる。

「なぜオレだけがこんな目に」

「世の中いったいどうなってんだ」

「まさかこんなことになるとは・・・」

深い業をもった私たち人間の生み出す世界は、

かかる矛盾と不条理にあふれ、毎日報じられる悲喜劇は、

まさに『歎異抄』の、

 

煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もって

空事・たわごと・真実あること無し

 

の実証でしょう。形こそ違えど、これらは太古の昔から

現代まで連綿と、この地上で織り成されてきた人間ドラマです。

このように、罪悪にまみれ、悲哀と苦悩充満する人の世を

「五濁悪時」と言われ、そこに生きる私たちすべてを、

「五濁悪時の群生海」

と、親鸞聖人は言われているのです。

「群生海」とは、その数の多いことから「生きている群れ」

と言われた言葉で、この中に入らない人は一人もいません。

日本人もアメリカ人も中国人も、男も女も老いも若きもすべて。

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その全人類に向かって、

〝どうか皆人よ、「如来如実の言(ことば)」を信じなさいよ〟

と訴えておられる聖人のお言葉が、

五濁悪時の群生海、

 応に如来如実の言(みこと)を信ずべし

の2行なのです。

では、「如来如実の言」とは、何のことか。

これが分からなければ、聖人が朝晩、私たちに「信ずべし」

と勧めておられるのに、順(したが)うこともできず、

聖人の御心にかなうこともできません。

それどころか、悲しませる結果となってしまいます。

それではあまりにも申し訳なく、勿体ないではありませんか。

「如来如実の言」とはどんなことか、よく知っていただきたいと

思います。

 

●「如来如実の言」=「一向専念無量寿仏」

 

ここで「如来」と言われているのは、仏教を説かれた

「釈迦如来」のことであり、「如実」とは

「真実」ということですから、

「如来如実の言」とは、

「釈迦如来の、真実のお言葉」

ということです。

それは『大無量寿経』という唯一真実の経に説かれている、

「一向専念無量寿仏」

の八字のこと。

これは「無量寿仏に一向専念せよ」ということで、

無量寿仏とは本師本仏の「阿弥陀仏」のことですから、

「阿弥陀仏一仏に向け、阿弥陀仏だけを信じよ」

と言われている、釈迦のご金言です。

これが仏教の結論です。

一切経に使われている何百万字も、すべてこの八字に

おさまってしまいます。そのことを親鸞聖人は、

 

一向専念の義は往生の肝腑、自宗の骨目なり (御伝鈔)

 

『一向専念無量寿仏』の教えは、仏教で最も大事な教えである

と喝破され、この「一向専念無量寿仏」の釈迦の教えを

「如来如実の言」とおっしゃっているのですが、

もう少し詳しく申しましょう。

「弥陀一仏に向きなさい」

ということは、

「他の一切の諸仏・菩薩・諸神に向くな、礼拝するな、捨てよ」

ということです。

蓮如上人は、有名な『御文章』に、

「一心一向というは、阿弥陀仏に於て、二仏をならべざる意なり」

「心を一にして、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、

更に余の方へ心をふらず」など、繰り返されています。

「二仏をならべる」とか「余の方へ心をふる」とは、

「「阿弥陀仏以外の仏や菩薩や諸神を信ずる」ことですから、

いずれのご文も、釈迦の教えのとおり、

「阿弥陀仏以外の仏や菩薩や諸神にかかわるな、

手を合わせるな、礼拝するな、弥陀一仏を信じよ」

と訴えられているお言葉です。

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●なぜ、「弥陀一仏」なのか

 

では、どうしてお釈迦さまは、

「弥陀一仏だけを信じよ」

と言われるのでしょうか。

それは、大宇宙広しといえども、私たちの「後生の一大事」を

救う力のある仏は、阿弥陀仏一仏だけだからです。

親鸞聖人は90年の生涯、この釈迦の教えに順い、

 

一向専念の義は往生の肝腑、自宗の骨目なり (御伝鈔)

 

〝我々が未来永遠、救われるか、どうか、の一大事は、

「一向専念無量寿仏」になるか、否かで決するのである〟

と明言されて、

「一向専念無量寿仏」

を叫び続けていかれました。『正信偈』の

「五濁悪時群生海

 応信如来如実言」、

この二行も、

「すべての人よ、どうか早く『一向専念無量寿仏』の

釈迦の教えに順い、『後生の一大事』の解決を果たしてくれよ」

と、熱烈に勧められているお言葉です。

蓮如上人もまた、

誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、

阿弥陀仏を深くたのみまいらせよ」   (白骨の章)

とか、

阿弥陀如来を一筋にたのみたてまつらずば、末代の凡夫、

極楽に往生する道、二つも三つもあるべからざるものなり

                   (御文章)

その外には何れの法を信ずというとも、

後生の助かるということ、ゆめゆめあるべからず」(御文章)

 

と、「一向専念無量寿仏」の真実を開顕することに生涯、

徹し抜かれたのでした。

 

阿弥陀仏は、誓われています。

〝すべての人は極悪人である。

我を信じよ、必ず助ける〟

いかなる罪悪深重の者をも、極楽往生一定の身に

必ずしてみせる、と仰せです。

この弥陀の本願以外、釈迦も親鸞聖人も蓮如上人も、

教えられたことは何もありませんでした。

『一向専念無量寿仏』の他に、我々の助かる道は

絶対ないのだから、五濁悪時のすべての人よ、

弥陀一仏を信じなさい

朝晩の勤行で私たちは、その聖人のみ声を

聞かせていただいているのです。

直ちに随順いたしましょう。

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