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弥陀に救われた者は、無碍の一道なり! [歎異抄]

        波乱の人生が

         光明に輝く

      『歎異抄』の大宣言

 

                  念仏者は

                     無碍の一道なり

 

親鸞聖人は、何が起きるか分からぬ火宅無常の世で、

決して崩れることのない絶対の幸福(無碍の一道)に、

誰もが必ず救われると仰せです。

それが『歎異抄』第7章の

 

念仏者は無碍の一道なり。

そのいわれ如何とならば、

信心の行者には天神地祇も敬伏し、

魔界外道も障碍することなし

 

です。今回は、このお言葉について学びます。

 

この『歎異抄』のお言葉を、平易にいえばこのようになります。

阿弥陀仏の本願に救い摂られた念仏者は、

一切の碍(さわ)りが碍りにならぬ、

素晴らしい世界に生かされる。

それはどうしてかといえば、

他力の信心を得た行者には、天地の神々も敬って

頭を下げ、魔界外道も恐れ入ってしまうからだ

 

まず驚くのは、

「念仏者は無碍の一道なり」

の、親鸞聖人の宣言でしょう。

念仏者と聞くと〝南無阿弥陀仏〟と称えている

すべての人と思うかもしれませんが、口で同じく

南無阿弥陀仏と称えていても、その称え心はまちまちです。

〝念仏は善の一つ〟ぐらいに思っている人もあれば、

〝極楽往生できるずばぬけた善だ〟と信じて

称えている人もあるでしょう。

しかし、阿弥陀仏の本願に救われ絶対の幸福になった

〝うれしさ〟から、称えずにおれない念仏もあるのです。

聖人が言われるのは、まさにその念仏者であって、

そんな人は一切の碍りが碍りとならない「無碍の一道」だと

仰るのです。

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ところで、

「一切の碍りが碍りにならない」

とは、どういうことなのでしょう。

 

●「無碍の一道」って腹が立たないこと?

 

大きな地震や台風が、今年も大変な被害をもたらしました。

対策を講じる専門家は、災害と無縁と言い切れる場所は

どこにもないと警告を発しています。

たとえそんな災害に遭わずとも、会社や家庭で、

ちょっとした人の言動に腹を立てたり、

物事が思うようにいかず不安になったり、

人生は、心乱されることばかり。

特に腹が立った時は、つい、言ってはならぬ事を言い、

やってはならない事をやって、さらなる苦しみに陥ってしまう。

振り返れば私たちの日常は、内も外もこんな碍り、

苦しみだらけではないでしょうか。

ああ、どんな時でも平静を保ち、安らかな心でいたいものだ。

不安なく、心が明るくなれば、表情も穏やかで、

落ち着いて行動できるのに。

そのような「不動心」「平常心」に誰もがなりたいと思い、

それを教える本は、よく売れているようです。

 

「一切が碍りにならない無碍の一道」と聞くと、

どんな状況でも、心乱れず、プレッシャーにも強い人に

なるのだろうと思われるかもしれません。

しかし、「無碍の一道」とは、どんな不幸や災難に遭っても

腹も立たなければ悲しみもない、ひょうひょうと

さとり澄ました人間になることではないのです。

 

●ああ、時節到来したか・・・

 

こんな話があります。

トンチで有名な一休さんが、小僧だった頃。

和尚さんの外出中、兄弟子が和尚の大事にしていた

由緒ある茶碗を割ってしまった。

うろたえる兄弟子に代わり、一思案した一休、

帰ってきた和尚に、

「今日はずっと本堂で座禅しておりましたが、

いまだに解けぬ難問がございます」

「ほう、何じゃ、その難問とは」

「はい、人間は皆死なねばならぬのか、

それとも死なずにおれるのか、人の生死是如何(これいかん)、

ということでございます」

「一休、おまえはなかなかの利口者じゃが、まだ幼いな。

この際、よく知っておくんだぞ。

『生あるものは必ず死す』。お釈迦さまも提婆も、

どんな英雄豪傑も死は免れぬのじゃ」

(提婆・・・お釈迦さまの命を狙った者)

「そうでございましたか。これで一つの難問が解けました。

ありがとうございます」

「まだ分からんことがあるのか」

「はい。もう一つは、この世の物は必ず壊れるのか、

中には永久に壊れぬ物があるのか。

物の消滅是如何、ということでございます」

「やはり子供じゃのー。この世の一切は必ずいつか滅する。

これを是生滅法(ぜしょうめっぽう)とお釈迦さまは

教えられている。よく知っておきなさい」

「でも和尚様。特別に大事にしていても、

壊れるものでしょうか」

「そうじゃ、いかに大切にしていても壊れる時が来る。

これを〝時節到来〟というのじゃ」

「そうですか。これで今日の難問が解けました。

生まれた者は必ず死ぬ。形ある物は必ず壊れる。

さようでございますね。

それにしても、〝時節到来〟とは

何と恐ろしいことでございますねえ」

「恐ろしいものじゃ。

仏さまのお力でもどうすることも

できんのじゃからのう」

「してみると大事な人が死んだからと

泣いたり悲しんだりせず、

大事な物が壊れたからといって

怒ったりわめいたりせず、

〝時節到来〟と心乱さぬのが、

さとりでございますね」

「さようじゃ」

「ありがとうございました。

さとられた和尚様の弟子である私たちは、

何と幸せ者でございましょう」

「これこれ、おだてても何も出んぞ」

「いえ、和尚様が出されなくても、

こちらからお出しする物がございます。

実はこれ、かくのごとく〝時節到来〟いたしました」

澄ました顔で一休、割れた茶碗をヌーと突き出した。

驚いた和尚、叱るに叱れず一言、

「もう、時節到来したか・・・」

と言ったという。

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「無碍の一道」とは、和尚が言う、大事なものを失ったり、

壊れたりしても時節到来とアキラメて、

悲しみもなければ、心も乱れない人間になることではありません。

そんな人は欲もなければ怒りもない、

ウラミ・ソネミなどの煩悩が一切なくなったということでしょう。

 

親鸞聖人は、人間とは煩悩の塊、「煩悩具足の凡夫」だと

仰っています。

煩悩以外何もない。煩悩100パーセントのものが

人間ということです。

ですから煩悩がなくなれば、私という存在自体がなくなります。

煩悩は、減らしたり、なくせるものではありませんから、

無碍の一道に出ても不幸や災難に遭えば、

それまでと変わらず、怒ったり、泣いたり、

動揺したりもするのです。

 

●変わらぬままで大変わり

 

ナーンダ、じゃあ、どこが変わるの?と思うかもしれませんが、

無碍の一道に出れば、碍りだらけの世界のままで、

碍りとならない、煩悩は変わらぬままで

大変わりするということです。

ここは相当の学者でも間違えるところですから、

注意しなければなりません。

『歎異抄』を解釈した本がいろいろありますが、

「無碍の一道」は「すべての束縛から解放された自由な道に立つ」

「どんなことが起こっても、喜んで引き受けている」

「身も心もやわらかになって、何事も喜んで負けていける

生き方に転じられる」などと解釈されています。

しかしそれでは、先の和尚のように、煩悩がないかのごとく

ふるまう〝痩せガマン〟でしかない。

無碍の一道とは、そんな世界ではないのです。

 

親鸞聖人が「碍りとならぬ(無碍)」と仰る碍りとは、

〝往生浄土の碍り〟のことです。

いかなる災難やトラブルに見舞われ、

欲や怒りや愚痴の煩悩が激しく燃え盛ろうと、

必ず浄土へ往ける金剛心には、全く影響しないから、

無碍の一道といわれるのです。

それが、阿弥陀仏の本願に救われ、本願の誓いどおり、

絶対の幸福(無碍の一道)の身になったということです。

 

●大悲の願船に乗ずれば

 

親鸞聖人は、この「無碍の一道」の世界を何とか

私たちに伝えようと、弥陀の本願を船に例えて

大悲の願船」と教えられています。

 

大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮びぬれば、

至徳の風静に、衆禍の波転ず    (教行信証行巻)

 

「大悲の願船に乗じて」とは、阿弥陀仏の本願に救われたこと。

本願のとおり絶対の幸福(無碍の一道)になったことを

「光明の広海に浮かんだ」

と言われています。

苦難・困難・災難の波が絶えない難度の海でもがいていた人生が、

大悲の願船に乗せていただくと、

光明輝く広い海に浮かぶのです。

 

大悲の願船は弥陀の浄土へ向かって進んでいる船。

だから乗船した一念に、来世、間違いなく弥陀の浄土へ

往けることが決定します。

親鸞聖人は、弥陀の浄土のことを、無量光明土とも仰っています。

死んだらどうなるか分からない、お先真っ暗だった人生が、

いつ死んでも、旅立つ先は無量光明土とハッキリいたします。

未来が無限に明るいから、現在が無限に輝く。

それを聖人は、「光明の広海に浮かんだ」

と仰るのです。

 

この大船は、阿弥陀仏の造られた船ですから、

どんな大波が来ようと転覆したり、

進路を変えられることはありません。

大波小波を蹴立て、浄土へ直行するのです。

この波に例えられたのは、私たちの欲や怒りの煩悩のこと。

船に乗る前も、乗った後も、煩悩の波は少しも変わりませんが、

船に乗ったら「往生一定」、弥陀の浄土へ必ず往ける身になる。

先ほど、欲や怒りや愚痴の煩悩がどんなに激しく燃え盛ろうと、

〝必ず浄土へ往ける金剛心〟には全く影響しないと書いたのは、

このことです。

 

しかし、こう思われる方もあるでしょう。

確かに船に乗れば、来世は極楽浄土と

ハッキリするかもしれないが、

浄土へ往くのは死んでから。

生きている間は、煩悩の波にもまれて、

相変わらず悩ましい日常のままではないのかと。

 

そうではありません。大悲の願船に乗じた人は、

至徳の風静に、衆禍の波転ず

親鸞聖人は仰っています。

至徳とは最高無上の幸せのこと。

衆禍とはもろもろの禍で、煩悩による苦しみ悩みのことです。

その大波は、船に乗じたあとも変わらずやってきますが、

それらが全て喜びに転じてしまうのです。

 

●苦悩がそのまま歓喜になる

 

そんなバカな?と思われるかもしれません。

誰にでも分かる説明は難しいですが、

親鸞聖人は、苦悩がそのまま歓喜となる不思議さを、

次のような例えで説かれています。

 

罪障功徳の体となる

氷と水のごとくにて

氷多きに水多し

さわり多きに徳多し

     (高僧和讃)

 

大悲の願船に乗ったなら、欲や怒りの煩悩(罪障)が、

幸せ喜ぶ菩提(功徳)となる。

大きな氷ほど解けた水が多いように、

煩悩の碍りあるままが、極善無上の幸せになるのだ。

シブ柿のシブがそのまま甘みになるように、

煩悩(苦しみ)一杯が功徳(幸せ)一杯になる。

それを「衆禍の波転ず」と仰っています。

泳げない人には恐ろしい海の波も、

泳ぎの上手な人には高い波ほど面白い。

苦しめるはずの波が、逆に喜びになってしまうのです。

 

●無碍の大道を進まれた親鸞聖人

 

『歎異抄』第7章のお言葉に戻りましょう。

次の「信心の行者には天神地祇も敬伏し」

とは、念仏者を天地の神々までもが敬伏すると言われています。

しかしだからといって、阿弥陀仏に救われた念仏者を

すべての人が尊敬する、ということではありません。

念仏者の聖人が、90年の生涯、非難中傷の的であったことを

知れば明らかでしょう。

 

ではなぜ、天地の神々も敬伏すると言われたのか。

欲や怒りの煩悩があるままで、碍りとならぬ無碍の一道に

救い摂ってくださる弥陀の本願の不思議さと、

その本願を明らかにする念仏者の信念に、

「天神地祇も敬伏する」

と言われているのです。

「魔界外道も障碍することなし」

というのは、〝人間に生まれてよかった〟という

大生命の歓喜を得れば、どんなに嘲り笑われ、

攻撃されようと、弥陀の本願不思議を伝え切る念仏者の前進を、

何ものも妨げることはできない、ということです。

 

親鸞聖人のご一生は、苦難の連続でした。

波乱万丈という言葉は、聖人のためにあるといってよいほど、

権力者から、仏教界から、また真実の仏法を知らぬ一般大衆からも

総攻撃を受けられた。

だが、その中を弥陀の本願力に動かされて、

90歳まで力強く、たくましく生き抜かれたのです。

今月から連載する漫画「親鸞聖人」に、そのご一生が描かれます。

 

●弥陀の本願は「聞く一つ」

 

ではどうしたら、煩悩の碍りあるがままで、

阿弥陀仏の本願に救い摂られ、

無碍の一道に生かされるのでしょうか。

それについては、お釈迦さま親鸞聖人も一貫しています。

仏法(阿弥陀仏の本願)は聴聞に極まる

阿弥陀仏は、「聞く一つ」で無碍の一道に出させてみせると

お約束です。

 

たとい大千世界に

満てらん火をも過ぎ行きて

仏の御名をきくひとは

ながく不退にかなうなり

      (浄土和讃)

 

大宇宙(大千世界)が火の海になっても、

その中をかき分けるようにして聞きなさい。

真剣に本願を聞けば、必ず絶対の幸福(無碍の一道)になれる、

と親鸞聖人は仰せです。

苦労をいとわず聞法し、無碍の一道にハッキリ救われるまで、

聞き抜きましょう。

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往生極楽の道 [歎異抄]

   明るい未来を願う

     すべての人への

        メッセージ

         往生極楽の道

 

親鸞聖人のご金言がしたためられている古典『歎異抄』には、

人生を苦しみに染める元凶

「死んだらどうなるか分からない心(後生暗い心)」が

どうしたら晴れるか、その方法が説かれています。

それが『歎異抄』第2章に出てくる「往生極楽の道」です。

今回は、この親鸞聖人のお言葉について、解説しましょう。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私たちの日常とは、例えるなら「滝つぼ」へ向かう

船の中の出来事だと、特集第1部でお話ししました。

船内だけ見れば、平穏に見えるかもしれませんが、

ヘリコプターから見下ろせば、船に一大事が迫っていることは

明らかでしょう。

船旅に興じる人たちは、その行き先を見ることはできませんから、

船内で飲めや歌えの大騒ぎをしています。

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同じように人は皆、勝った負けた、損した得したと

目の色を変え、互いに争って生きています。

こんな話しがあります。

「得」という字を分解すれば

「人々よ、日に一寸ずつ儲けてゆけ」

と書いてある。

欲深ばあさん、それ聞いて、

「これは面白い、よいこと知った。

一日一寸でも一年たてば、大したものが得られるぞ」。

それから隣の田んぼを、ちょっとずつ削り取ることを

日課とする。

だんだん広がるわが田を眺め、得意然(とくいぜん)と

喜ぶばあさんだった。

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ところが間もなく、交通事故で、息子が身体障害者となり、

ばあさんは脳卒中で寝たきりに。

一寸ずつ儲けた田んぼを売り払い、死んでいったという。

私たちは、どこへ向かっているのか、

よくよく考えてみなければならないでしょう。

 

今から30年前に上映された、

『TOMORROW 朝』という映画があります。

舞台は、原爆が投下された昭和20年8月9日の前日の長崎。

婚礼を挙げる男女をはじめ、出産を控えた女性、

恋人から赤紙が来たと告げられる少女、

出征する兵士と家族写真を撮影する人々、

写真館の主人らの、ありふれた日常風景が描かれています。

いつものように朝起きて、ご飯を食べ、学校や職場に行く。

悲劇の前日も、そんなフツウの1日でした。

写真館の現像室で、結婚式の集合写真が印画紙に浮き出る。

それから間もなく、原爆が炸裂し、

あるはずだったそれぞれの未来は霧のように消えた。

淡々と描かれる人々の日常の幸せが、悲しみに染まります。

 

しかし、こうした〝悲劇〟は、

原爆に遭った人たちだけのことでしょうか?

考えてみれば、未来に死という〝滝つぼ〟のあることを知らず、

遅かれ早かれ無防備のまま突っ込んでいく私たちの日常と、

少しも変わりません。

「皆死ぬんだから、死なんか怖くない」

と言う人もありますが、

健康長寿のためのテレビ番組や本が人気を集め、

環境問題に感心を示すのも、死を遠ざけたい心の表れでしょう。

しかし後生の不安は、強がりやごまかし、

考え方を変えたくらいで払拭できるものではありません。

 

このままでは恐れと後悔で終わってしまう。

ところが親鸞聖人は、そんな人生が、一念の瞬間に

ガラリと明るく大変わりすると説かれているのです。

「そんなバカな、ありえない」

と思われるかもしれませんが、親鸞聖人のお言葉は、

常に揺るぎのない力に満ちています。

それが記された『歎異抄』第2章の一節を確認してみましょう。

 

おのおの十余ヵ国の境を越えて、身命を顧みずして

訪ね来たらしめたまう御志、ひとえに往生極楽の道を

問い聞かんがためなり

あなた方が十余カ国の山河を越え、はるばる関東から

身命を顧みず、この親鸞を訪ねて来られたのは、

往生極楽の道、ただ一つを問いただすためであろう

 

親鸞聖人がこう仰った背景について、

簡単に説明しておきましょう。

関東で20年間、ご布教なされた親鸞聖人は、

還暦(60歳)を過ぎて、故郷の京都へ帰られました。

ところがその後、関東では聖人の教えを惑乱させる

種々の事件が続発しました。

信仰が大きく動揺した人たちは居ても立ってもいられず、

「聖人に、直にお聞きしたい」

と、京行きを決意したのです。

当時、数十日はかかったといわれる関東から京都への旅は、

箱根山や大井川などの難所も多く、また、盗賊・山賊も

うろついて、生きて帰る保証はありません。

まさに身命を顧みぬ旅路でした。

その同胞らと対面されるや、聖人はこう直言されています。

「そなたたちが、命を懸けて聞きに来られた目的は

往生極楽の道、ただ一つであろう」

このお言葉から、親鸞聖人の教えは

「往生極楽の道」であることが分かります。

では「往生極楽の道」とは何でしょうか。

それは、「必ず極楽浄土へ往ける身にしてみせる」と

誓われる阿弥陀仏の本願のことです。

 

●阿弥陀仏の本願とは

 

約2600年前、インドに現れられたお釈迦さまが、

80年の生涯懸けて説かれた教えが仏教です。

今日、一切経と呼ばれる7千余巻もの膨大なお経に

書き残されています。

親鸞聖人はこの一切経を何度も読み破られ、

こう仰っています。

 

如来、世に興出したまう所以は、

唯、弥陀の本願海を説かんとなり  (正信偈)

釈迦如来が一切経を説かれたのは、

「弥陀の本願海〈阿弥陀仏の本願〉ただ一つを教えるためだった」

 

ではお釈迦さまが、私たちに伝えようとされた

「阿弥陀仏の本願」とは何でしょうか。

地球上で仏のさとりを開かれたのはお釈迦さまだけですが、

大宇宙には数え切れない仏さまがまします。

それらの仏方の先生、最高の仏さまが阿弥陀仏です。

お経には、

最尊第一の阿弥陀如来

諸仏の中の王なり

と説かれています。

 

「本願」とは誓願ともいわれ、お約束のことです。

滝つぼに向かって流され、不安の中で生きている私たちを、

「必ず弥陀の浄土に生まれる往生一定の幸せにしてみせる」

と約束されているのが阿弥陀仏の本願です。

「往生」とは、阿弥陀仏の浄土へ往って仏に生まれること。

「一定」とは、ハッキリすることです。

ですから「往生一定」とは、死ねば弥陀の浄土へ往って

仏に生まれられるとハッキリする、ということです。

この阿弥陀仏の本願のとおりに救われ、

来世は浄土に間違いなしとハッキリすれば、

後生(死後)の心配は一切なくなりますから、

〝生きてよし、死んでよし〟の絶対の幸福になれるのです。

弥陀の浄土は「無量光明土」ともいわれる、

限りなく明るい世界。

不安な人生が、無量光明土に近づく人生にガラリと

大変わりしますから、現在が無限に

明るく楽しい毎日になるのです。

これを「平生業成」といいます。

「平生」とは、生きている今。

「業」とは絶対の幸福、「成」は完成する、達成する、

ということですから、平生ただ今、

絶対の幸福に生かされるのです。

 

●この世と来世の2度の救い

 

阿弥陀仏の救いは、「この世だけ救う」のでも、

「この世はどうにもならんが、死んだら助ける」のでもありません。

この世(現世)も死後(当来)も2回救われる「現当二益」と

親鸞聖人は仰っています。

阿弥陀仏の本願は、

「平生に絶対の幸福(正定聚)に救い摂り、

来世は必ず弥陀の浄土に往生させる」

お約束であることを明らかにされたのが、

聖人一代のご布教でした。

親鸞聖人の教えをそのまま伝えられた室町時代の蓮如上人も、

これを『御文章』に問答形式で分かりやすく教えられています。

「阿弥陀仏の救いは1度でしょうか、2度でしょうか」

の問いを出し、

「この世は、あの弥勒菩薩と同格の正定聚(絶対の幸福)に

救われる。仏のさとり(滅度)は、

死後、浄土で得られることである。

だから阿弥陀仏の救いは、2度あることを知るべきである」

と答えられています。

 

では、その阿弥陀仏の本願に、この世も死後も救われるには

どうしたらよいのでしょうか。

それについてお釈迦さまも親鸞聖人も、

仏法は聴聞に極まる」。

阿弥陀仏の本願に救われるには、「聞く一つ」と

明言されています。

 

●真剣な聞法

 

死んだらどうなるか?

後生の問題は、50年や100年どころではありません。

未来永劫、苦患に沈むか、往生極楽の楽果を受けるかの一大事だと、

仏教では教えられています。

それを親鸞聖人から、常々お聞きしていた関東の人々は、

「往生一定に救う」弥陀の本願(極楽往生の道)への疑いを

晴らしたいと、

命を懸けて聖人の御元にはせ参じました。

自分の乗った船が、真っすぐ滝つぼに向かっていると

知らされたなら、どうして放っておけるでしょう。

この一大事の解決を求め、真剣に仏法(弥陀の本願)を

聞く人が、必ず現れてきます。

時代や社会がどう変化しようと、眼前に迫る滝つぼは

変わりません。人は、やがてこの一大事に驚き、

「往生一定の大安心になりたい」と、

真剣に本願を聞き求めずにおれなくなるのです。

親鸞聖人は、その聞法の覚悟を、

 

たとい大千世界に

みてらん火をもすぎゆきて

仏の御名をきくひとは

ながく不退にかなうなり

 

大火をくぐり抜ける覚悟で聞法する人は、

必ず阿弥陀仏より現当二益(この世も未来も助かる)の

幸せを頂くのだよ、と仰せです。

来世は必ず「浄土に往生できる」と明らかになり、

心から安心して生き抜く人生を送りましょう。

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なぜ命がけで京都まで!? [歎異抄]

前々回で「明白な地獄の実在」を載せました。
まさか地獄なんてあるわけないよ、
死んだら何もなくなるだけさと思っていた人も
夢ならあってもおかしくないな、
夢ならどんなものでも生み出すし、
しかし人間界も夢なのか、
確かに死んでいくとなると、
札束も紙切れ同然になるし、
今まで頼りにしていたもの、すべてが意味がなくなるしな、
まてよ、人間界が夢ならば、
こんなに現実感があって、
どこか怪我をすれば本当に痛いし、
人間関係でトラブルでもあれば、落ち込むし、
毎日毎日汗水流していやな仕事して、
これが全て夢だとしたら、
夢といっても侮れんぞ、
しかも、地獄界の苦しみは、
あまりにも壮絶で、
説き切るものがいて、理解し切るものがいたら、
共に血を吐いて死ぬとまで言われるし、
それが八万劫中続くって・・・・
(※八万劫とは、一劫が四億三千二百万年であり、
その八万倍の期間)

こう思って、死後の世界に恐怖を感じた人もいると思います。
今回は、その後生の一大事に驚き、
その解決のために、親鸞聖人在す京都まで、
身命を賭して旅をした
関東の同行達についてご紹介したいと思います。



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(ここからは真実の仏教を説かれている先生の書物「とどろき」から載せています。

●決死の聞法と往生極楽の道

現代人に最も読まれている仏教書
歎異抄(たんにしょう』の特徴は、
有名な名文であり、親鸞聖人のお言葉を伝えていると
されている点である。
全十八章のうち、十章までは聖人の語録で、
十一章以降は、前十章を規範として、
当時の異端を歎き正す、という形式になっている。
第二章にも、親鸞聖人のお言葉そのものが書かれているが、
聖人は、どんな状況下で、この言葉を仰ったのか、
まず、背景を述べよう。


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●念仏誹謗(ひぼう)の日蓮

四十歳すぎ、関東に赴かれた聖人は、
約二十年間、弥陀の本願の徹底に力を尽くされ、
還暦を過ぎられて、懐かしい京都に帰られた。
さびしくなった関東ではあったが、
聖人の教えを守り、ひたすら真実に向かう仏法者が数多く現れた。
だが、一方で大変な難問が持ち上がってきたのである。

一つは、念仏誹謗の日蓮の出現である。
『法華経』こそ、真実の経だと言い切り、
激しく念仏を誹謗したのだ。
「いいか、皆の者、よーく聞け。
念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊じゃ!
念仏は地獄へ堕ちる業なのだ」
と日蓮は、うちわ太鼓を叩いて、各地を熱烈にふれ回った。
はじめは歯牙(しが)にもかけなかった関東の同行だったが、
次第に動揺が広がっていったのである。

●善鸞の邪義

もう一つは、親鸞聖人の長子・善鸞の唱えた邪義である。
日蓮一派の暴挙が増す一方で、
善鸞は権力者に近づくことを強くいましめられた親鸞聖人に背いて、
関東の地頭や権力者と結んで、
正しい念仏者を関東の地から一掃し、
教団を自分の支配下におさめようと画策した。
ために、善鸞は、鎌倉幕府へ念仏者を告訴までしたが失敗。
孤立した善鸞は、
「父、親鸞聖人より授かった秘密の法文がある。
これを聞かなければ、信心は獲られぬぞ」
と言い出したのである。
浄土真宗には秘密など一切ないが、
善鸞は、一人、また一人と迷わせていった。
関東は日蓮の大謗法の嵐と、善鸞の邪義という地震とが、
同時に襲った動乱状態に陥った。

「日蓮や善鸞さまの言うことが、もし事実なら、
二十年もの間、親鸞聖人にだまされてきたことになる。
聖人に限って、そんなことはない。
絶対に、間違いないお方だとは思うのだが・・・」
レンコンをポキッと折るとスーッと糸が残る。
ちょうどその糸のような疑いが、関東の同行の心から、
なくならなかったのである。

●関東の同行、命をかけて京へ

「後生の大問題、なんとかハッキリさせたい。
それには、親鸞聖人にお会いして、直にお聞きするしかない」
関東の同行を代表する数名が、
親鸞聖人のまします京都をめざしたのである。

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関東と京都。
今日なら、新幹線で約三時間、電話で尋ねることも可能である。
七百年前は、しかし、片道一ヶ月、往復二ヶ月を
踏破しなければならなかった。
長期間にわたる宿代、食費など、路銀捻出には、
大変な苦労があったであろう。
しかも、箱根の険路を越え、
大井川を渡り、山賊・盗賊・護摩の灰などの危険に晒されての道中、
無事に着いても帰れる保証のない、まさに命がけの旅であった。
ある者は田畑を売り払い、、またある者は家族と水杯をかわして、
京の聖人を尋ねたのである。


「おのおの十余箇国の境を越えて、
身命を顧みずして尋ね来らしめたまう御志、
ひとえに往生極楽の道を問い聞かんがためなり」

歎異抄』第二章の書き出しだが、
思わず襟を正さずにおれない。
はるばるやって来た関東の同行に、
そのお言葉は、意外にも冷たいものであった。
「遠路よくこられたなあ」でもない。
「久しぶりだな」「変わりはないか」でもない。
月並みな挨拶や、優しい雰囲気は微塵もない、
研ぎ澄まされた利刃(りじん)で対峙しているような緊迫である。
押さえかねる怒りを心中にたぎらせながら、
聖人は、仰った。

“おのおの方が、駿河、三河、近江など十余箇国を越え、
命の危険を顧みず、この親鸞を尋ねてきたのはなぜか、
聞かずともよく存じている。
往生極楽の道を尋ねるためであろう”

いきなり核心に触れるお言葉が投げかけられたのである。
仏法を聞くのは、世渡り、家庭の和楽程度に思っている人には、
彼らの決死の聞法は、狂気の沙汰と映るだろう。
命のかけたことのない者に、
歎異抄』第二章は、到底色読できるものではないのだ。


●地獄に堕つる一大事
     火中突破の聞法を

関東の同行を親鸞聖人のみ許(もと)へ駆り立てたのは、
往生極楽の道を聞く、ただ一つであった。

「往生極楽の道」とは、後生の一大事の解決の道。
すべての人は百パーセント死んでゆかなければならないが、
釈尊は、
「一切の衆生は、一息切れると無間地獄に墜ち、
八万劫の苦しみを受けねばならない」
と、説かれている。
これが、後生の一大事だ。

(※八万劫とは、一劫が四億三千二百万年だから、その八万倍の長さ)

親鸞聖人は、
「阿鼻地獄(無間地獄)に堕在して、
八万劫中大苦悩、ひまなく受くとぞ説きたまう」
と仰っている。
これほどの大事はないから、
釈尊は『大無量寿経』に、
「設(たと)い大火有りて三千大千世界に充満せんに、
要(かなら)ず当(まさ)に此を過ぎて是の経法を聞き、
歓喜信楽し、受持読誦し、如説に修行すべし」
と説かれたのである。

聖人はそのみ心を、分かりやすくご和讃で教えられた。
「たとい大千世界に
みてらん火をもすぎゆきて
仏の御名を聞く人は
永く不退にかなうなり」
        (浄土和讃)
“大宇宙が火の海原になってでも、
そこを突破して仏法を聞く人は、
永遠に変わらぬ幸せになれる”
と真剣な聞法を勧められている。

●人界受生の目的

蓮如上人は、
仏法には世間のヒマを欠きて聞くべし。
世間のヒマをあけて法を聞くべきように思うこと、
浅ましきことなり。
仏法には明日ということはあるまじき」
       (御一代記聞書)
と、これを教えられた。

「世間のヒマ」とは、仕事である。
仕事をしなければ、生きていけぬ。
仕事以上の大事はないと思っているが、
仏法は、その仕事をやめてでも聞かねばならぬものだ、
と仰ったものである。


人間に生まれてきたのは、仕事をするためではないからだ。
いくら仕事をしていても、年をとったら死ななければならぬ。
老少不定で、若くして後生に旅立たねばならぬかも知れぬ。
一生の間に、どれだけの仕事ができるだろう。
それは臨終に満足できるものなのか。
仕事をするのは苦しいが、
もし、仕事のために生まれてきたのなら、
死ぬまで苦悩の連続になってしまう。

生まれ難い人間に生を受けたのは、
後生の一大事を解決して、
「永く不退にかなう」、本当の幸福になるためだ。
それには、真実の仏法を聞き抜く以外にないから、
世間の仕事をやめてでも、
仏法は聞かねばならぬと言われたのである。


関東の同行は、まさに、この真剣さで京の聖人を訪ねた。
親鸞聖人から、人界受生の目的を常に教えられ、
「苦しくても生きているのは、仕事のためではない。
後生の一大事の解決のため」
とハッキリしていたからこそ、
「田畑を売っても、ここ一つ聞きたい」
と命がけで踏破したのである。

●聖人のやるかたなき憤懣(ふんまん)

「然るに『念仏よりほかに往生の道をも存知し、
また法文等をも知りたるらん』と、
こころにくく思し召してお在しましてはんべらば、
大なる誤りなり」

“そなたがたは、日蓮に惑わされ、
弥陀の本願以外に救われる法があるのではと思ってきたのだろう。
また、我が子・善鸞だけに秘密の法文を教え、
そなたたちには授けなかったと疑ってきたのなら、
とんでもないことである”

聖人は、関東の同行の疑心を見抜かれ、
「私一人を光として、命がけに慕ってきたとはいえ、
その心は真偽をハッキリさせたいという不信感ではないか。
そんな疑いをもってきたのなら、とんでもない誤りだ。
親鸞、悲しいぞ」
と恐ろしいまでの怒りをぶちまけている。

ここで、「念仏よりほかに」と言われている「念仏」は、
本願念仏、つまり、阿弥陀仏の本願のことである。

●無上殊勝の弥陀の本願

親鸞聖人は、常にこう教えられていた。
「釈迦如来、世に興出したまう所以は、
唯、弥陀の本願海を説かんがためなり」
         (正信偈)

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釈尊が三十五歳で仏の悟りを開かれ、
八十歳でお亡くなりになられるまでの四十五年間は、
ただ阿弥陀仏の本願一つを説かれるためであった、
と断言なされているのである。


この大宇宙には、地球のような星があまた存在する。
地球上に釈尊が出現された如く、
仏が在す(まします)星が無数にある。
経典にはガンジス川の砂の数ほどの仏が在すと説かれており、
これを十方諸仏という。
その十方諸仏の本師本仏、先生の仏が阿弥陀仏である。
最尊第一の阿弥陀如来
諸仏の中の王なり
と経典のいたるところで、阿弥陀仏を称賛なされている。
大宇宙最高の仏が阿弥陀仏なのである。


ではなぜ阿弥陀仏が本師本仏と仰がれるのか。
それは建てておられる本願が、無上殊勝であり、
諸仏の本願の遠く及ばない、素晴らしいものであるからだ。


本願とは、誓願ともいい、「お約束」の意である。
阿弥陀仏は、有名な四十八願を建てておられるが、
その中心が十八願であり、漢字三十六文字で誓われている。
平易に表現すれば、
すべての人を
    一念で救い摂る
        絶対の幸福に

となる。

一念という時間の極まりに、後生の一大事を解決して、
死を前にしても変わらぬ絶対の幸福に、
すべての人を救い摂ると誓っておられる
のだ。
二十九歳の御時、自らこの幸せの身に救われれた聖人は、
関東でも、二十年間、不惜身命で、
阿弥陀仏の本願に救い摂られる以外に、
後生の一大事、助かる道はない

と、叫び続けてこられたのだ。
そんな聖人にとって、彼らの不信は耐え難いものだったに違いない。


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●「奈良や比叡に行け!」

「もししからば、南都・北嶺にもゆゆしき学匠達多く在せられて
候なれば、彼の人々にも遇いたてまつりて、
往生の要よくよく聞かるべきなり」

“そんなに信じられぬ親鸞ならば、
なぜワシの所へきた。
奈良や比叡山にゴ立派な仏教学者がいっぱいいる。
そこへ行って、後生の助かる道、
よくよく聞いたらよかろう”

自分一人を慕って、遠路やってきた人たちだと、
十分、承知しておられた聖人が、
「奈良へ行け、比叡山へ行け」と仰っている。
そこには、こう言わずにはおれぬ、
深い悲しみと怒りがあったのだ。

当時、日本中の僧侶が集まっていた奈良や比叡にも、
真実の仏法はなく、腐敗堕落した聖道諸宗の坊主たちが、
大衆の救済を忘れて、名聞利養を求めて経典をひもとき、
観念の遊戯に明け暮れていた。

「諸寺の釈門、教に昏(くら)くして、
真仮の門戸を知らず」
        (教行信証後序)

“日本中の寺の坊主は、
仏教に真っ暗がりで、イロハさえも分からぬ者ばかりではないか”

親鸞聖人が『教行信証』に書かれた通りの惨状であった。
常に批判の対象だった坊主を、
「ゆゆしき学匠」とは、なんたる皮肉か。
聖人のやるかたなき憤激が伝わってくる。

●体験で一切教を読破した歓喜
      「ただ念仏して」の「ただ」

「親鸞におきては、『ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし』と、
よきひとの仰せ被りて信ずるほかに、別の子細なきなり」

“親鸞は、『ただ一心一向に弥陀に帰命せよ』
と勧められた善知識・法然上人の仰せに従い、
弥陀に摂取され、
ご恩報謝の念仏を称える以外に何もないのだ”

聖人は続いて、
「親鸞におきては」とお名前を出され、
ご自身の信仰を表明された。
ここで聖人が、「ただ念仏して」と仰っているのは、
「ただ南無阿弥陀仏と口で称えておればいい」
との意味ではない。


「ただ口にだにも南無阿弥陀仏と
称うれば助かる様に皆人の思えり。
それは覚束(おぼつか)なきことなり」
            (御文章三帖目二通)

「ただ声に出して念仏ばかりを、称うる人は、
おうようなり。
それは極楽には往生せず」
        (御文章三帖目三通)

「ただ声に出して南無阿弥陀仏とばかり称うれば、
極楽に往生すべきように思いはんべり。
それは大いに覚束なきことなり」
        (御文章三帖目四通)

蓮如上人が、『御文章』のいたるところで、
その誤りを正しておられる通りである。
浄土真宗の道俗は、「阿弥陀さまはお慈悲な仏さまだから、
無条件で、助けてくだされるのだ」
と、気楽なことを聞かされているが、
実は、この「ただ」ほど難しいものはないのである。
「ただ念仏して」と聞いて、
「ただじゃそうな」と喜んでいるのは、
信仰の幼稚園と言われる。


●「ただじゃそうな」の信仰

五百年ほど昔、京都に、午年生まれの馬好きな金満家がいた。
京都の画家に立派な馬の絵を描かせたが、
賛が欲しい。
当時、有名であった大徳寺の一休に依頼した。
「よし、いいだろう」
と一休は筆を執り、
「馬じゃげな」
と書いたのである。
「馬だそうな」の意味だ。
「これほど立派な馬が、豚やタヌキに見えますか。
それを『馬じゃげな』とは、どういう料簡(りょうけん)ですか。
立派な絵を台無しにして・・・」
金満家は地団太踏んで悔しがったが、後のまつり。
破り捨てるわけにもいかず、悩んだ末、蓮如上人を訪ねた。


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「蓮如さま。一休さんにとんでもないことを書かれてしまいました。
なんとかこの絵を活かす賛を加えてもらえないでしょうか」
「よし、よし」
と蓮如上人は筆を執られ、
「そうじゃげな」
と並べて書かれたという。

さすがは一休、
さすがは蓮如上人である。
どんなにまことらしく見えても、
絵は絵であって、本物の馬ではない。
だから、「馬じゃげな」「そうじゃげな」である。

「ただじゃそうな」と喜ぼうとしている「ただ」は、
親鸞聖人が、「ただ念仏して」と仰った「ただ」とは、
まったく違うのだ。
「ただ念仏を称えれば助かる」と思って聞き始めるが、
聞法を重ねてゆくと「ただ」とはどうなった「ただ」か、
「ただ」が分からなくなってくる。

ただで救われるなら、経典に「易往而無人」、
阿弥陀仏の浄土には、往き易いけれども、
往っている人が少ない

と言われるわけがない。

では、どんな「ただ」か、「ただ」が知りたい、
ハッキリしたいと真剣に聞き求めてゆくと、
信じたのも、知ったのも、学問も修養もすべて間に合わなかったと
知らされるときがある。
打っても叩いても金輪際聞かない出離の縁の断たれた己が照破され、
無間の火坑に叩き墜とされたとき、
墜ちるいっぱい、
「ただじゃぞ!」
の弥陀の一声で、
「ただのただもいらん、ただじゃった!」
と無碍の一道におどりあがり、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と噴き上がった念仏を、
「ただ念仏して」と、親鸞聖人は仰ったのである。

この「ただ」には、釈尊の一切経を体験で読破せられた
慶びがあらわされているのだ。


「ただじゃそうな」と聞いている「ただ」とは、
天地雲泥の差があると、分かるだろう。
『歎異抄』には、このような誤解されやすいところがたくさんあるから、
カミソリ聖教と言われるのである。

●不動の信念の発露


「念仏はまことの浄土に生るる因(たね)にてやはんべるらん、
また地獄に堕つべき業にてやはんべるらん、
惣じてもって存知せざるなり」

“念仏は極楽往きのタネか、
日蓮の言うように地獄行きの業か、親鸞、知らん”
とつっぱねておられる。

これを読んで、「知らぬとは、なんと無責任か」という者、
「親鸞さまさえ知らぬと仰っているんだから、
ワシらが分からぬのは仕方がない」
と説教する者さえあるが、
この「知らぬ」は、本当に分からないという意味ではない。
あまりにハッキリしたことを尋ねられると、
まともに答える気にもならないものだ。
「今さらこの親鸞に、そんな分かり切ったことを言わせる気か、
そなたたちは。
答える必要など、さらさらない」
との「知らん」なのだ。
弥陀の本願への、不動の信念を吐露されたお言葉だったのである。

聖人の肉声を直接耳にした関東の同行は、
「その一言が聞きたかった」
と満足し、感涙にむせんだだろう。
「まいった、まいった。
この親鸞さまに疑念を抱き、ここまで来たとは・・・。
なんと愚かなことだ」
言葉にならない言葉で懺悔し、
むせび泣いたに違いない。

●だまされようのない世界

「たとい法然上人に賺(すか)されまいらせて、
念仏して地獄に堕ちたりとも、
さらに後悔すべからず候」

“法然上人になら、この親鸞、
だまされて地獄に堕ちても後悔はしない”
と言い切られている。

普通、私たちは、「裏切らない人だ」と思うからこそ信じるのであり、
だまされれば「こんな人とは思わなかった」
と憎しみに変わるであろう。
ところが、聖人は、「法然上人にならだまされても、
後悔はしない」と言われている。
こんな信じ方は、阿弥陀仏に救い摂られ、
だまされようのない身になった人以外にはありえない。


●地獄一定すみか

「その故は、自余の行に励みても仏になるべかりける身が、
念仏を申して地獄へ堕ちて候わばこそ、
『賺(すか)されたてまつりて』という後悔も候わめ。
いづれの行も及び難き身なれば、
とても地獄は一定すみかぞかし」

“自分で励んだ善で助かる親鸞ならば、
だまされて地獄に堕ちたという後悔もあろう。
助かる縁、微塵もない親鸞は、地獄へしか行き場のない者であった”
親鸞聖人は、九歳から二十九歳まで、二十年間、
比叡山で法華経の難行苦行に全身全霊、打ち込まれた。
その修行は峻烈(しゅんれつ)を極め、
叡山の麒麟児(きりんじ)と賞賛を浴びられたが、
後生に明かりがつかなかったのである。
修行に打ち込めば打ち込むことほど、
知らされてきたのは、後生助からぬ自己の相(すがた)であった。
聖人の、煩悶される心中が、
『歎徳文(たんどくもん)』に伝えられている。

「定水を凝らすと雖も(いえども)識浪(しきろう)頻(しきり)に動き、心月を観ずと雖も妄雲猶覆う、
しかるに一息追がざれば千載に長う往く」

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比叡山で修行しておられる聖人の眼に、
琵琶湖の波一つない水面が月の光に反射して、
鏡のようにみえる。

「ああ、あの湖水のように、
なぜ私の心は静まらないのか。
静めようとすればするほど、散り乱れる」

親鸞聖人は、心を静めようとすればするほど、
欲、怒り、愚痴の煩悩の浪が逆巻く、
我が心に泣かれたのだ。
自分の心でありながら、その心をどうしようもない。

天を仰げば、月が皓々(こうこう)とさえわたっている。

「どうしてあの月のように、悟りの月が拝めないのか。
次々と煩悩のムラ雲で悟りの月を隠してしまう」

心に悟りの月を眺めようとしても、
思ってはならぬことが思えてきてどうにもならない。
今、死んだらと思っても、腹底はボーッとしている。
親鸞聖人は、驚かない心に驚かれ、
真剣にならない心を知らされて真剣になられた。


「このままでは地獄だ。
この一大事、どうしたら解決できるのか」

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驚く心もない、真剣にならない心のまま、
今、一息切れたら、どうなるのか。
求道に精も根も尽き果てられた聖人は、
天台・法華の教えに絶望され、
ついに下山を決意なされた。
どこかに助かる道はなかろうかと泣き泣き京の街を
さまよい歩いておられたとき、
かつての法友・聖覚法印より法然上人のみ許に導かれ、
聖人は、阿弥陀仏の本願を聞かれたのである。
そして、風雨厭わぬ真剣な聞法の末、
「世の中のすべての人が助かっても、
絶対に助からぬ親鸞であった」
と照らし出された。
ありとあらゆる行を親鸞聖人はやってみられて、
助かる縁、微塵もない姿が知らされたのである。

●聖人と等しい信仰

「いずれの行も及び難き身なれば、
とても地獄は一定すみかぞかし」
地獄より行き場のない者とハッキリなされた。
と同時に、
「ただじゃぞ!」
の弥陀の呼び声が届いたのである。


堕ちてもともと、助かって不思議、
地獄行きとハッキリしたのだから、
だまされようがない。
地獄一定すみかの者を極楽一定に助ける、
阿弥陀仏の本願に摂取されたのだ。


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この不思議な聞即信の体験を、
「ただ」と仰っているのである。
人間に生まれたのは、
この「ただ」の体験をし、何ものも障りにならぬ
無碍の一道に雄飛するためである。
聖人と等しく、阿弥陀仏の明らかな救いを明知させられるまで、
真剣な聞法に身を沈めねばならない。


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