SSブログ

一切経を読み破るとはどういうことか!? [蓮如上人]

Rennyo5_1
(蓮如上人・親鸞聖人の教えを一器の水を一器に移すかのごとく正確に、日本中に広められた高僧)


浄土真宗でもっとも大切なことは、
信の一念である。
「信の一念」とは、平生に阿弥陀仏の本願に救い摂られて、
現在ただ今が、光明の広海、絶対の幸福になった瞬間の体験をいう。
「一念」とは、「時剋の極促」きわめて短い時間である。

蓮如上人は『御文章』の五帖目二通に、
あながちにもろもろの聖教を読み、
物を知りたりというとも、一念の信心のいわれを知らざる人は
徒事(いたずらごと)なりと知るべし

と仰せられ、万巻の仏教書を読破した大学者といえども、
阿弥陀仏に救われた信の一念の体験がなければ、
いたずら事
だと、言い切っておられる。

それをまた、
それ八万の法蔵を知るというとも、
後世を知らざる人を愚者とす。
たとい一文不知の尼入道なりというとも、
後世を知るを智者とす
と、五帖目二通で仰せられ、
釈尊の遺された経典のすべてを読破しても、
信の一念の体験がなければ愚者であり、
無学文盲の人といえども、弥陀の本願に救われて
「いつ死んでも浄土往生間違いなし」
と後生未来のはっきりしている人こそが、
真の智者である
と仰った。

信の一念を体験した真の智者には、
体験のない学者は到底、太刀打ちできない。

続きを読む


nice!(42)  トラックバック(0) 
共通テーマ:資格・学び

仏教の生命観が子供を救う [釈迦]

 EPSON043.jpg-1.jpg

近年、子供たちの人命軽視の事件が後を絶ちません。
文部科学省では、
「これまでも『命を大切にする教育』の重要性が
言われてきたが、十分な成果を挙げていない」
との反省に立ち、
改めて家庭、学校、社会のすべての大人たちが、
次世代の子供たちに「命を大切にする教育」を、
実効あるものとしていく必要があると訴えています。


「人が死ぬとは、どんなことなのか」
「なぜ命は、かけがえがないのか」

正しい生命の実相を知らなければ、
大人も子供も救われません。
仏教を説かれたお釈迦さまから、
お聞きしましょう。


長崎で、12歳(中学生)の少年が、
4歳の男の子をビルの屋上から突き落とし、
殺害した事件は、昨年7月のこと。(平成16年の記事です)
子供たちによる、相次ぐ人命軽視の事件を受け、
全国の学校では「命の大切さ」を
繰り返し訴えてきたといいます。
ところが、そのさなか、またしても、長崎佐世保にて、
小学6年生の女子による同級生殺害事件が起きました。
命の大切さを、日頃から教えてきたことは無意味だった。
肩を落とす校長先生の姿が、
現代の闇を一層浮き彫りにしました。

“これまでの取り組みでは不十分”との反省に立ち、
文部科学省は8月末、新たな対策として、
「児童生徒の問題行動対策重点プログラム」を公表しています。
その中で文科省は、
「自他の生命のかけがえのなさ、誕生の喜び、死の重さ、
生きることの尊さなどを積極的に取り上げる場や機会を増やす」
とうたい、これまで子供たちに恐怖感を与えるとして、
意図的に避けてきた「死の問題」を、
積極的に授業で扱うことを提唱したのです。
NHKの人気番組「クローズアップ現代」は、全国に先駆け、
「死」の教育を始めた長崎県のある小学校を取り上げ、
反響を呼びました。

番組中、教師たちは、
“死をタブー視することが、かえって正しい「死」の認識を妨げ、
「生」を軽んずる結果にもつながっているかもしれない”
と、考え始めています。

●「死んでも、また戻ってこれる」
       ーーー子供たちの死生観

生死一如」という、有名な仏教の言葉があります。
生と死は、紙の裏表。
切り離すことはできない。
言い換えれば、
死を考えることを避けては、
本当の生を送ることはできない
、ということです。
命の大切さを知るのは、死の厳粛さに目を向け、
正しく知ることから始まります。

ところが先のNHKの番組では、
「死のイメージ」を尋ねられた子供たちは、
次のように答えています。
「死んだほうが、苦しみをずっと味わわないで楽になれる」
「魂が別の体に移って、一からもう一度やり直せると思う」

続いて、
「人間、死んだら生き返るか」の問いに、
33人中、実に28人の子供が手を挙げているのです。

「死んでも、また生き返り、やり直せる」
マンガやテレビの影響か、子供たちが、
こんな死生観を持っていることに、
驚かずにおれません。

しかし、それでは大人たちは、
死を正しく知っているといえるでしょうか。
子供たちの発言に危機感を抱いた教師たちも、
肝心の「死ねばどうなるか」については、全く触れていません。
正直、分からないからでしょう。

これでは、子供たちの誤った死生観を、
だれが正せましょうか。

子供たちが間違うのは私たち大人の責任なのです。

東大名誉教授の養老猛司氏が発刊した『死の壁』は、
いろいろな意味で話題になりました。
“タイトルに「死」と入れれば売れない”という、
出版界の常識を覆したのは、
多くの人が、死に関心を持っているからでしょう。
しかし、多くの読者が期待した同著の“最終解答”は、
「死について考えるといっても、
自分の死について延々と悩んでいても仕方が無いのです。
そんなのは考えても答えがあるものではない」
「死んだらどうなるのかは、
死んでいないから分かりません。
誰もがそうでしょう」

だったのです。
これでは肩すかしもいいとこ。

養老氏だけではありません。
死にゆくたくさんの患者と接し、
その臨床記録をまとめた『死ぬ瞬間』という
世界的ベストセラーを書いたキューブラー・ロス女史も、
自らの死に臨んで、
“あなたは長い間精神的分析を受けたので、
それが役立っているだろう”という、
インタビュアーの問いに、
精神分析は時間と金の無駄であった」と答えています。

他人の死をどれだけ研究しても、
いざ自分が死ぬとなると、
何の役にも立たなかったと告白しているのです。

有名な無神論者・ショーペンハウエルは、
臨終の苦悩に責められ、
「おお神よ、わが神よ」と幾度も叫んだ。
彼は平生、死後の世界を否定していたので、

あなたの哲学にも、神があるのですか」
と医者に問われて、
「死に向かっては、哲学も神がいなくては仕方がない。
もし病が治ったら、
今までとは余ほど違った研究ができるであろう」
と告白しています。


世界的文学者ゲーテも死ぬ数分前に、
ああ暗い。光がほしい。光がほしい」と言い、
平生「則天去私」を追求した文豪・夏目漱石が最後に、
ああ苦しい。今死んでは困る」と、
つぶやいたのは有名です。


臨終に際しては、どんな哲学者も文豪も、
平生の信念を覆され、
未知の後生に恐れ、泣いている。

「我未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや」
かの孔子でさえ、あきらめてサジを投げています。
これでは、子供の幼稚な死生観を
しかることはできません。

EPSON044.jpg-1.jpg

どこにも明答が聞けぬ中、2600年前に、
この生命の実相を明らかにされたのが、
仏教を説かれたお釈迦さまなのです。

お聞きしましょう。

今のジゴクは、
    未来の地獄を生み出す

お釈迦さまは(釈尊)は『大無量寿経』に、
「苦より苦に入り、冥より冥に入る」

と説かれています。
今苦しみ悩みの絶えない者は、
必ず死後も苦しみを受ける。
現在が闇の生活を送っている人は、
死後もまた、闇のジゴクへと堕ちていくと、
教えられているのが仏教です。

地獄とは中国の言葉。
インドではナカラといわれ、今
日の日本の言葉で「苦しみの世界」ということです。
ジゴクはこの世にも死後にもあるのです。

この世のジゴクといいますのは、
毎日が不安な、暗い心で、
生きがいのない生活をしている人をいい、
これをただいまがジゴクへ堕ちている人というのです。
自分の業(行い)が生み出す苦しみですから、
自業苦といわれます。

苦労して育てておけば、
老いても大事にしてくれるに違いない”
の思惑が外れて、生んだわが子に虐待され、
「こんなことなら生まなきゃよかった」
「子供の無いほうがましだった」
と愁嘆する老母の声は周囲に満ちています。

科学は進歩し、物は豊かになりましたが、
「生まれてきてよかった」と
人生を謳歌している人はどれだけあるでしょう。

満員電車に揺られている人々の顔は
決して明るいものではありません。
日々、同じことの繰り返しで、
「何のために生きているのだろう」
と空虚な心を抱えて暮らしている。


50も過ぎると、仕事の責任を負わされる。
親との死別、子供たちは去っていく。
糖尿、高血圧、神経痛などが持病となる。
更年期障害の妻はいつも不機嫌。
“なぜオレだけが、こんなメに”と
独りたたずむ男性も少なくないようです。
昨年の自殺者は、過去最悪の34400人。
(平成15年のことです)
日に換算すると、実に90人以上が、
この空の下、自ら命を絶っていることになる。
予備軍といわれる「自殺志願者」まで入れたら、
どれほどになるか。
幸せだから自殺する人は考えられません。

現在、闇(ジゴク)に生活を送っている人は、
未来も闇(ジゴク)の世界に
入っていかねばなりません。
死後の地獄について釈尊は、「必堕無間」と、
経典におっしゃっています。

「無間」とは無間地獄のこと。
「死後、必ず無間地獄に堕ちる」ことを、
後生の一大事というのです。

無間地獄とは、絶え間のない苦しみの世界をいいます。
死後の地獄と聞くと、おとぎ話か作り話のように思って、
あざけったり、疑ったりする人があるでしょう。
しかしそれは、本当の仏教を知らない人です。

●八万劫、覚めない悪夢

かつてある布教使が体験した、
こんな話があります。
50年ほど前、ある寺に招待され、
説法に行った時のことである。
寺の住職から相談を受けた。
「先生、うちの寺の世話を永年してくれていた門徒総代が、
新興宗教に迷ってしまった。何とかしてほしい」
そこで、その総代の家に行ってみた。
いろいろ話すうち、だんだん心を開き、
やがて仏教を聞かなくなった本心をこのように、
打ち明けてきた。

EPSON045.jpg-1.jpg

「私はね、仏教で、地獄がある、極楽がある、
というのが信じられない。
あなたは本当に地獄があると思っているのかね」
「地獄は厳然としてある」と答えると、
「それなら、地獄で罪人がまないたの上で切られたり、
鬼がいたり、
地獄の釜があったりするのが事実だと言うんだね」
と食ってかかる。
「ならば、地獄の釜を造った鍛冶屋もいるだろう。
あんた、その地獄の釜をこしらえた
鍛冶屋の住所と名前知っているか」
と畳みかけてきた。
「知っている。住所・氏名だけでなく、
生年月日も知っている」
総代は意外な顔をして、
「あんた面白いこと言うなぁ。
なら地獄の釜をこしらえた
鍛冶屋の住所・氏名を聞かせてくれ。
そうしたら仏教聞いてもよい」
そこで私は、静かにこう言った。
「鍛冶屋の名前は教えるが、
その前に聞いておきたいことがある。
あんた夢を見たことがあるだろう、
それも何か恐ろしいものに追いかけられて逃げている夢を」
「そりゃ見ることもある」
とキッパリ答えるので、
「その時あんたは何で逃げる」
「そりゃ、この足だ」
「その足でか、本当に?」
念を押すと、「足でなきゃ、手で逃げられるか」
と総代は憤慨する。
「しかし、その足は布団の中にあるのじゃないか。
それで逃げるのではないだろう」
「そりゃそうだ、逃げるのは夢の中の足で逃げるのだ」
「つまり、その時のあなたには、
横にしている足と夢の中の足とがあるわけだね」
うなずく総代に、
「逃げる時、振る手も、逃げる体も、
あんたの夢の中の手や体だね」
と確認した。
総代はやはり、黙ってうなずいている。

EPSON046.jpg-1.jpg

私はその様子を見て、
「実は、地獄というのは夢なんだ。
お釈迦さまは地獄というのは夢だと説いておられる」

と諭すように言った。
「何だ、地獄というのは夢かね」
総代は拍子抜けしたように言う。そこで、
「夢かね、と言っても、それは恐ろしい夢で、
八万劫の間、覚めることなく苦しみ続ける夢なんだ。

(八万劫とは、一劫が4億3千2百万年の八万倍の長い期間)
覚めた時は、何だ夢だったのかと思うが、
夢の中ではそうは思えない。
忽然と現れる山も川も、実在だ。
汗を流して苦しみ続ける恐ろしい夢の世界が
地獄ということなのだ」

総代は神妙な面持ちになった。

「しかも、地獄だけが夢じゃない。
この人生もまた夢なのだ。あの豊臣秀吉も臨終に、
“露とおち露と消えにしわが身かな、

難波のことも夢のまた夢”と言っている。
あんたも奥さんと結婚した時を思い出してみなさい。
その奥さんも亡くなった。
その間はあっという間に過ぎてしまったはずだ。

過ぎてしまえばそれも夢じゃないかね」
奥さんの話になると、しみじみ、
「夢ですね。本当に」と言う。

「人生は皆、夢で、“儲かった”“銀行に貯金した”、それも夢だ。
人間界は苦しみの少ない夢だが、
地獄という世界は大変恐ろしい夢が
八万劫中続くということなのです」

このように言うと、総代はハッと思い出したように、
尋ねてきた。
「夢のことは分かったが、あの鍛冶屋の話はどうなった」
「これだけ言えば分かると思うが、
地獄の釜を造った鍛冶屋は私だ」
と答えると、
「私?それはどうして?」
「あなたはこんな歌を知りませんか。
『火の車 造る大工はなけれども 己が造りて 己が乗りゆく』
地獄というのは夢のように一人一人が造って
一人一人が堕ちていく世界なのです」

このように話すと、総代は次第に理解し、
やがて自己の浅はかさに気づき、
再び仏法を聞くようになった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先の歌の中で、「火の車」とは、苦しい状態、
つまり地獄を表します。
自らが造った悪業が、生み出す世界が地獄なのです。
親鸞聖人は、この一大事を、
「呼吸の頃(あいだ)すなわちこれ来生なり。
一たび人身を失いぬれば万劫にも復らず(かえらず)。
この時悟らざれば、仏、衆生を如何したまわん。
願わくは深く無常を念じて、徒(いたずら)に
後悔を胎す(のこす)ことなかれ」

と、おっしゃっています。

“呼吸の頃(あいだ)すなわち来生なり”とは、
吐いた息が吸えない時から来生、
死後が始まるということです。
「一たび人身を失いぬれば万劫にも復らず」
一息切れたら、永遠に戻らぬ人生になるぞと、
後生の一大事を警鐘乱打しておられるのです。

●仏教に説かれる唯一のこと

釈尊は、この生死の一大事、後生の一大事の解決は、
大宇宙最高の仏、阿弥陀仏の本願によらなければ
絶対にできないのだとおっしゃっています。

よく、「釈迦も、阿弥陀仏も名前が違うだけで、同じ仏だろう」
と言う人がありますが、
弥陀と釈迦は全く違う仏なのです。

ここは大切なところなので、よく知ってください。
地球上で仏のさとりを開かれたのは釈迦だけですが、
大宇宙には地球のようなものは無数にあり、
その大宇宙には数え切れないほどの仏が現れていると
経典に説かれています。
これを十方諸仏といい、釈迦もその中の一仏です。

その十方諸仏の本師本仏が、
阿弥陀如来なのです。

蓮如上人は、『御文章』に、
「弥陀如来と申すは、
三世十方の諸仏の本師本仏なれば」

とハッキリ教えられています。
本師本仏とは、師匠、先生ということですから、
阿弥陀仏と釈迦仏の関係は、師匠と弟子、
先生と生徒に当たります。

弟子の務めは、先生の御心を正しく、
一人でも多くの人に
お伝えする以外にありませんから、
弟子である釈迦は、
先生である阿弥陀仏の本願一つを生涯、
教えていかれました。

それを親鸞聖人は『正信偈』に、
「如来所以興出世、唯説弥陀本願海」
(釈迦如来、この世に興出したもう目的は、
唯、弥陀の本願を説くためであった)
と、おおせになっているのです。

EPSON047.jpg-1.jpg

●かけがえのない命の意味

弥陀の本願とは、すべての人を、
“必ず浄土へ往けるに間違いない身に救う”
というお約束ですから、
弥陀に救われれば、
後生の一大事が解決し、いつ死んでも、
弥陀の極楽浄土へ往生できる身となります。

“必ず浄土へ往ける”大満足に生かされ、
生きてよし、死んでよし、
恨みとのろいの人生が、
感謝と懺悔の光明の人生と転じ変わり、
同時に、
「人身受け難し、今已に受く。仏法聞き難し、今已に聞く」
人間に生まれたのは、
この幸せを獲得するためであったのだと、
手の舞い、足の踏むところのない
生命の大歓喜がわき起こるのです。

では、この一大事は、いつ解決できるのでしょうか。
親鸞聖人は、
「この時悟らざれば、仏、衆生を如何したまわん」
とおっしゃり、死んでからではないぞ、
生きている今、解決できなかったら、
仏さまといえど、救うことはできないのだぞ

教えられています。
私たちは無常の身です。
いつ死がやってくるか分かりません。
吐いた息が吸えなかった時から、次の生です。
だから聖人は、
「呼吸の頃(あいだ)すなわちこれ来生なり」
とおっしゃっているのです。
吸う息吐く息が、
死と触れあっていることが知らされます。
されば、「生きている今」といっても、
「呼吸の頃(あいだ)」におさまり、
今の一息一息に、
未来永遠の浮沈がかかっていると、
知らされるではありませんか。
永遠のチャンスは今しかありません。
私たちはこの一瞬の人生で、
弥陀の本願を聞信し、
未来永劫の魂の解決をするために
生まれてきたのです。

なぜ自殺をしてはいけないのか。
なぜ、命はかけがえないのか。
この大目的があるからです。

●天上天下、唯我独尊

そのことを教えられた釈尊の有名なお言葉があります。
約2600年前、ルンビニー園で誕生された釈尊は、
天と地を指さされて、
「天上天下、唯我独尊」とおっしゃいました。
これを多くの人々は、
「この世でいちばん偉くて尊い者は、自分一人である」
と、釈尊が威張られたことのように誤解し、
大変うぬぼれた言葉のように扱っています。
しかし、これは、決してそのような心で
おっしゃったものではないのです。
この「我」は、釈尊だけのことではなく、
人間一人一人のことです。
だから、人間だれしも釈尊と同じように、
「天上天下、唯我独尊」
なのであり、またそう言えるのです。
「独尊」とは、たった一つの尊い使命ということです。
ですから、
「天上天下、唯我独尊」
の正しい意味は、我々人間は、天上天下広しといえども
たった一つしかない聖なる使命を果たすべく、
この世へ生まれて来たのだということなのです。

それは、弥陀の本願を聞信し、
未来永遠の幸福を獲得することにほかなりません。

この使命を知り、この使命に向かって全力を挙げ、
この使命を成就した時にこそ、
すべての人が、天と地に向かって、
「天上天下、唯我独尊」
と、絶叫せずにおれなくなるのです。

仏法に明らかな、
かけがえのない命の尊厳を知り、
自殺や殺人がなぜいけないのか、
生きる目的、幸せとは何か、
子供たちにも
ハッキリと伝えていきたいものです。

EPSON048.jpg-1.jpg

 





nice!(34)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ネットコミュニティ

仏教で一番大事なことが教えられていないのは何故? [蓮如上人]

10048767146_177b00cf39
(蓮如上人)


15年前、蓮如上人の500回忌で、
大変な蓮如上人ブームであった。
しかし、蓮如上人があれほど徹底して説かれた
「後生の一大事」について、
詳しく解説する人は皆無に近い。

それでは蓮如上人の御心に反することになる。
もし蓮如上人が現状を見られたら、
「なぜ、わしが教えたようにまず後生の一大事、
説かないのか」とお叱りになるだろう。


EPSON099.jpg-1

「後生の一大事を心にかけて」
     死んだらどうなるか?

すさまじいばかりの蓮如上人ブームでした。
映画館ではアニメ『蓮如上人物語』(五木寛之原作)が
上映され、
週刊誌『サンデー毎日』では
小説『蓮如上人ー夏の嵐』が連載された。
新聞では「京都新聞」「北国新聞」「富山新聞」が
蓮如上人の生涯を描いた小説
『此岸(しがん)の花』の連載を終了し、
単行本として出版した。
ところがこれらの中でも
「後生の一大事」という大事な仏語が
ほとんど出てこない。

残念なことである。

蓮如上人がいかに後生の一大事を力説されたか、
上人のみ教え凝縮された『御文章』で確認してみよう。
蓮如上人が親鸞聖人のみ教えを
お手紙で分かりやすく伝えられた「御文」は今日、
五帖に編集されている。
一帖から五帖まで五冊あるのだが、
真宗門徒のお仏壇には大抵、
「末代無智の章」から始まる五帖目が備えられている。
五帖目には二十二通が収められているが、
その中、十三通に「後生の一大事」
または「後生助けたまえ」と記されている。
具体的に引用してみよう。

五帖目二通「・・・弥陀如来、今度の後生助けたまえ、と深くたのみ・・」
三通「・・・後生助けたまえと申さん人をば・・・」
六通「・・・後生助けたまえ、と申さん者をば、必ず救いまします・・・」
七通「・・・後生助けたまえ、と思う心一つにて・・・」
八通「・・・後生助けたまえ、と申す意(こころ)なるべし・・・」
九通「・・・阿弥陀仏後生助けたまえ、
と一向にたのみたてまつる意なるべし・・・」
十二通「・・・後生助けたまえ、とたのみ申せば・・・」
十四通「・・・今度の一大事の後生助けたまえ、と申さん女人をば、
あやまたず助けたまうべし・・・」
十六通「・・・誰の人もはやく後生の一大事を心にかけて
阿弥陀仏をふかくたのみ・・・」
十七通「・・・一心に後生を御助け(おんたすけ)候えと、
ひしとたのまん女人は・・・」
十八通「・・・阿弥陀如来後生助けたまえと、一念にふかくたのみ・・・」
十九通「・・・その他には何れの(いずれの)法を信ずというとも、
後生の助かるという事、ゆめゆめあるべからず・・・」
二十通「・・・弥陀如来をひしとたのみ、後生助けたまえ、
と申さん女人をば、必ず御助けあるべし・・・」


このように「後生」「後生の一大事」と五帖目だけでも
これほど徹底して説かれた方が蓮如上人なのだ。

我々が阿弥陀仏に助けていただくのは
病気や経済苦ではない。
後生の一大事の苦なのである。
だから後生の一大事が分からなければ
蓮如上人のみ教えはまったく理解できない。


誤った一大事の解釈

何が「後生の一大事」なのかを明らかにする前に、
世間に横行する解釈を列記してみよう。
大阪大学名誉教授A・O氏はこう言っている。
「死後に三途の河があるとか地獄があるとかいうことを
現代人はもはや信じない。
この世しかないと思っているからである。
しかし、たったひとりで棺桶に入って無に落下することは、
まさしく地獄に落ちることではないのか。
『後生の一大事』は依然として、
現代の我々を放してはいないのである」
死後は無であり、そこへ落下することが
「後生の一大事」だという。

死後、未来世の実在を信じられない知識人が
よく陥る誤りである。


同様な考えのもとに「釈尊は死後を説かれなかった」などと
主張する人もいる。
無責任にもほどがある放言である。
過去世、現在世、未来世の三世の実在を説き、
その上に因果必然の理法を説くところに
仏教の特色があるのだ。
未来世を否定してしまったら仏教にならない。

当然、釈尊は経典中の至る所で
三世の実在をご教示なされている。
一例をあげよう。

「因果応報なるが故に来世なきに非ず(あらず)」
             (阿含経)

EPSON100.jpg-1


EPSON100.jpg-2


前述の教授や唯物論の共産主義のように
死後を無とする思想を
釈尊は「断見外道」として
徹底的にその誤りを正しておられるのだ。
もし、断見外道が正しく死後が無であるならば、
それは永遠の眠りと言い換えてもよい状態であり、
苦しい思いをして生きるよりも
死んだ方がよほどよいことになる。

「世の中に 寝るより楽はなかりけり
浮き世の馬鹿は 起きて働く」
という狂歌があるとおりである。
一大事でも何でもない。
断見外道がはびこると
安易に自殺する者が多くなってゆく。

後生の一大事の別な解釈に、
「後生の一大事とは今生の一大事、それは今の大事」
などと言う人もいる。
やはり死後を認めたくない気持ちからであろうが、
後生はあくまで「現世」「今生」に対しての言葉であるから、
「明日は今日である」「来月は今月である」「女は男である」
と言っているようなもので、
まるで意味不明になってしまうのだ。

●全人類は愚かな旅人
     足下に迫る一大事


EPSON101.jpg-1


では仏教で「後生の一大事」とはいかなることか。
後生とは我々の死後のことである。
一大事とは大事件、
取り返しのつかない大変なことをいうのだ。

全人類の死後に何があるのか。
釈尊にお聞きしよう。
釈尊は一つの有名な譬(たとえ)で教えられておられる。
ある旅人が野原で飢えた虎に遭遇して、
必死に逃げたところが、断崖絶壁に出てしまった。
崖には松の木が生えていたが、登っても無意味、
虎は木登りができる動物だ。
幸い松の根元から一本の藤蔓が垂れ下がっており、
旅人はそれにぶら下がって何とか虎の難から逃れられた。
下はどうなっているのだろう、と足下を見た旅人は、
思わず悲鳴をあげた。
足下には怒濤逆巻く深海、
しかも波間から三匹の毒龍が、
大きな口を開けて
旅人が落ちてくるのを待っているではないか。
上に虎、下に龍、絶体絶命である。


EPSON102.jpg-0


ところがさらに悪いことが起きた。
藤蔓の根元に白黒二匹のネズミが現れ、
旅人の命の綱の藤蔓をかじっているのだ。
そのネズミを追い払おうと藤蔓を揺さぶったが、
ネズミは依然としてガリガリかじり続ける。
藤蔓を揺すったとき、何かかが滴り落ちてきた。
手に取ってみればおいしそうな蜂蜜である。
上の蜜蜂の巣からこぼれてきたのだ。
密の甘さに旅人はたちまち、
虎や龍、ネズミのことなど忘れ、
蜂蜜のことばかり考えるようになってしまった。



この旅人こそ万人の姿と釈尊は言われる。
飢えた虎とは恐ろしい死、
我々はそれから逃げようと
必死に病院や薬を求めて逃げ回る。
崖の松の木は財産や地位だが、
億万長者も大統領も死の虎からは逃れられない。
細い藤蔓とは我々の寿命のことだ。
まだまだ死なんぞ、とぶらさがっている。
白黒のネズミは昼と夜。
交互に寿命を縮めている。
寿命の藤蔓が切れた先が後生の一大事である。
人間は死んだらどうなるのか。
釈尊は、全人類が怒濤の深海、
毒龍の餌食になると説かれている。
まさに一大事だ。
怒濤の深海に譬えられたのは
暗黒と大苦悩の無間地獄である。
なぜそのような世界に堕ちるのか。
三匹の毒龍がそれを生み出すと釈尊は仰せられる。
欲、怒り、愚痴という三毒の煩悩のことだ。

悪逆非道な人間

人間は生きるためには仕方ないと悪を造り続ける。
仏教では人間も他の動物、生き物もおなじく衆生である。
人間が健康で長生きしたいと思っているように、
牛も豚も鶏も殺されて食われたいと思っていない。
人間が無理やり暴力で彼らの命を奪っているのだ。
ちょうど我々が家族で平和に暮らしている所へ
独裁権力者が土足で上がり込み、
家族を皆殺しにして、
五体をバラバラにしてしまうようなものだ。
そのような仕打ちを受けたら、
我々はどれほど相手を恨むかしれない。
ヒットラーはユダヤ人を六百万人殺害したといわれるが、
そんな男は地獄に堕ちて当たり前だろう。
動物の側から見れば、
我々の一人一人が血も涙もない
悪逆非道な存在なのである。


EPSON102.jpg-1

殺生といっても自分で直接殺す場合と、
他人に依頼する場合がある。
肉屋で牛肉、豚肉を買うのは、消費者である我々が、
業者に殺して肉を分けてくれと頼んでいるのである。
自分が殺したと同じ殺生罪である。
毎日、三度の食事をとるたびに殺生罪を重ねている。
これまで、何万、何十万の生き物の命を奪ってきたことか。
それは何万、何十万の殺人をしたのと同じ罪なのだ。
毎日何回も殺人しながら
平然と生きているのと同様の極悪人が
我々の実態だ。


そのすさまじい罪悪が
未来の地獄を生み出すと
釈尊は教えられる。
後生の一大事は足下に迫っている。
今日死ねば、今日から恐るべき大苦悩を
受け続けなければならない。
しまった、
と後悔しても取り返しがつかないのだ。


ところが旅人はすべてを忘れて
蜂蜜ばかり求めていると釈尊は言われる。
蜂蜜とは食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲の五欲をいう。
全人類が朝から晩まで五欲の満足を求めて東奔西走である。
死ねば大変な後生の一大事の
起きることを知らないのだ。

後生の一大事の解決を
      一心に弥陀に帰命せよ

釈尊は全人類に後生の一大事の有ることと、
その解決は、
「一向専念無量寿仏」以外にないと教えられた。

最高無上の仏、阿弥陀仏の本願力に
極重悪人のまま救いとられて、
いつ死んでも弥陀の浄土に往生できる、
信心決定という身にならなければならないのだ。

これを蓮如上人は『御文章』に、
「後生ということはながき世まで地獄におつる事なれば、
いかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて、
弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし」

と教えられたのだ。


EPSON103.jpg-1

大意「後生の一大事とは、罪悪深重の我々が、
死後、必ず無間地獄に堕ち、
八万劫という長い間、
大苦悩を受け続けることなのだ。
ゆえに急いで後生の一大事の解決を求め、
弥陀の本願に救われ、浄土往生間違いない、
信心決定の身にならねばならない

死後、無になるのが一大事だとか、
今生の一大事だなどということが
いかに狂った解釈か分かるであろう。

また、こうも教えられる。
「此の一流のうちに於て(おいて)、確々(しかじか)と
その信心のすがたをも得たる人これなし。
かくの如くの輩は、いかでか報土の往生をば容易く(たやすく)
遂ぐべきや。一大事というは是れなり」
           (御文章一帖目五通)

大意「真宗の中には信心決定している人が少ない。
信心を獲得していない人はどうして弥陀の浄土に
往生できようか。
それどころか、死ねば直ちに無間地獄におつるのだ。
後生の一大事とは、このことである」

法然上人や親鸞聖人が比叡山で
徹底的に仏道修行をなされたのは
ひとえに後生の一大事の解決のためであった。


そして法然上人は四十三歳で、
親鸞聖人は二十九歳の御時、
阿弥陀如来の本願に救われ、
信心決定の身となられて以来、
後生の一大事、一心に弥陀に帰命せよと
勧めてゆかれたのだ。
蓮如上人もただひたすら
後生の一大事とその解決の道、
弥陀の本願の救いを説き続けてくだされた。

この信心を獲得せずば、極楽に往生せずして、
無間地獄に堕在すべきものなり

          (御文章二帖目二通)

大意
「信心獲得しなければ極楽に生まれられず、
無間地獄に堕ちる後生の一大事があるのである」


後生の一大事とその解決の道を、
蓮如上人にハッキリ教えていただこう。

「皆々信心決定あれかし」
    すでに助かっているのか?

全人類の後生に、
大苦悩の地獄へ堕ちねばならない
一大事がある。
阿弥陀如来の本願に救い摂られる以外に、
後生の一大事を解決する方法はない。

これは前章で述べた。

ところが、
阿弥陀さまはお慈悲な仏さまじゃから、
十劫の昔から我々は助かってしまっている。
それを感謝して、お念仏の日暮らしをいたしましょう」
と公言してはばからない人が、
浄土真宗門徒に見られるようだ。

一劫とは、四億三千二百万年なので、
その十倍の長年月が十劫である。
ずっと昔に助かってしまっているという誤りを、
「十劫安心(じゅっこうあんじん)の異安心(いあんじん)」
と言うのである。
「異安心」とは、親鸞聖人・覚如上人・蓮如上人といった
歴代善知識方の信心と違う信心をいう。
信心が異なっていては、
善知識方と同じ浄土に生まれることはなく、
地獄へ堕在せねばならない。


EPSON104.jpg-1


信心の有無で決する
       地獄行きと極楽往き

確かに阿弥陀仏は、
十劫の昔に、すべての人を本当の幸せに助ける、
「南無阿弥陀仏の六字のご名号」を完成された。
だが、それがそのまま、私たちが助かったことにはならない。
「六字のご名号」は譬えれば、
重病人を完治させる特効薬である。
いかにもよく効く薬ができあがり、
薬局に並んでいても病人が、
それを購入して服用せねば
病気は治らないのは当然だ。

このような誤解は、今日だけでなく、
蓮如上人時代にもあったようである。

「『十劫正覚の初より、
我らが往生を定めたまえる弥陀のご恩を、
忘れぬが信心ぞ』といえり。
これが大なる過(あやまり)なり」
             (御文章一帖目十三通)
「いかに十劫正覚の初より、
われらが往生を定めたまえることを
知りたりというとも、
われらが往生すべき他力の信心の謂(いわれ)を
よく知らずば、極楽には往生すべからざるなり」
            (御文章二帖目十一通)

「十劫正覚」とは、阿弥陀仏が、六字名号を完成なされて
仏のさとりを成就されたときを言われた。
そのときに助かっている(往生が定まっている)ならば、
生まれたときから救われているということになる。
もしそうなら、これほど結構なことはない。
それどころか、「苦しい人生、死んだ方がよい」となり、
自殺を肯定する危険思想である。

この世に現在生きている人の中に、助かっている人と、
いまだ助かっていない人があるのだ。
それは次のお言葉で明らかである。
「この御正忌(ごしょうき)のうちに参詣をいたし、
志を運び、報恩謝徳をなさんと思いて、
聖人の御前に参らん人の中に於て(おいて)
信心を獲得せしめたる人もあるべし、
また不信心の輩もあるべし。
以て(もって)の外(ほか)の大事なり」
         (御文章五帖目十一通)

「御正忌」とは、毎年秋に行われる、
浄土真宗最大の行事・報恩講のことだが、
仏法を聞かせていただこうと思って、
御法話会場(報恩講)へ集まっている人の中に、
信心を獲得して、後生の一大事を解決できた人と、
信心をまだいただけずに、死ねば地獄行きの人と、
二通りあるのだと仰ったのだ。

仏縁ある人々にすら、蓮如上人はこう仰っている。
まして、聞く気もなく、それどころか、
キリスト教やイスラム教、
雑多な新興宗教の信者を含め、
すべての人が生まれたときから救われていると言うに至っては、
蓮如上人の仰せを反故(ほご)にした暴言と言われねばならない。
「信心決定」「信心獲得」していなければ、
後生の一大事は助からないのである。


聞法の目的は信心獲得

「信心決定」とか「信心獲得」とは、
阿弥陀仏の本願に救い摂られ、
絶対の幸福にこの世から生かされた、
驚天動地の体験を言う。

親鸞聖人は二十九歳の御時、
生涯の師・法然上人から阿弥陀如来の本願を知らされ、
信心獲得の身になられた。


EPSON105.jpg-1


また蓮如上人は、
「毎月二回の法話の由来は、何のためぞというに、
更に他の事にあらず、
自身の往生極楽の信心獲得の為なるが故なり」
            (御文章四帖目十二通)
「あわれあわれ、存命の中に皆々信心決定あれかしと、
朝夕思いはんべり」
           (御文章四帖目十五通)

と、仏法を聞く目的である信心獲得を繰り返し示された。
さらには、前述の通り、
「信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、
無間地獄に堕在すべきものなり」
            (御文章二帖目二通)
と厳しい。

先ほどの薬の譬喩(ひゆ)にあてはめれば、
薬を飲んで病気の治った体験が信心獲得である。
薬はどれだけあっても、飲まねば治らない。


往き易くして人無し
       矛盾のような仏語の真意

次に、仏法を聞いている人のうち、
信心獲得した人はどのくらいあるのか、
蓮如上人から教えていただこう。

「蓮如上人の御時、志の衆も御前に多く候とき、
『このうちに信を獲たる者幾人あるべきぞ、
一人か二人か有るべきかな』と
御掟候(ごじょうそうろう)とき、
各『肝をつぶし候』と、申され候由に候」
            (御一代記聞書)

御前に参詣した、多くの人を前に蓮如上人が、
「この中で、信心決定しているのは、一人かな、二人かな・・・」
と仰ったので、救われたつもりでいた人々は、
驚いて二の句が継げなかったのである。
信心獲得していなければ、
後生は一大事だからだ。

誰でも簡単に浄土へ往けるならば、
『大無量寿経』に、「易往而無人」と仰るはずがない。
「阿弥陀如来の浄土へは、
往きやすいけれども、往っている人が少ない」
と一見、矛盾したようなことを釈尊は仰っている。

弥陀の浄土へ往くことが易しいならば、
多くの人が往っているはずだし、
浄土へ往っている人が少ないのが本当ならば、
往きにくい浄土だと仰るはずである。

これを蓮如上人は、『御文章』二帖目七通に、
「『安心を取りて弥陀を一向にたのめば、
浄土へは参り易けれども、信心をとる人稀なれば、
浄土へは往きやすくして人なし』と言えるは、この経文の意なり」
と解説された。
阿弥陀仏の浄土へ往き易いのは、
この世で信心獲得の身に救われた人である。
ところが、そんな人ははなはだ稀なので、
「人無し」と仰った。
信心獲得こそが、もっとも大事だと知らされる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

EPSON106.jpg-1


「世間のヒマを欠きて聞け」
   聞き歩かなくてもよいのか?

遠路を厭わず、間断なく聞法する人に、
「そんなに聞き歩かんでもよい」と言う人がいる。
蓮如上人は、しかし、こう教えられた。
「仏法には世間のヒマを欠きて聞くべし。
世間のヒマをあけて法を聞くべきように思うこと、
浅ましきことなり。
仏法には明日(みょうにち)ということはあるまじき」
             (御一代記聞書)

「世間のヒマ」とは、仕事を指す。
仕事よりも優先して聞かねばならぬのが仏法だと、
仰っているのだ。
「それでは、生きてゆけんじゃないか」
と思うかもしれないが、イヤな上司に叩かれ、
後輩からは突き上げられながらも、
あくせく生きているのは、何のためだろうか。

徳川三百年の礎を築いた家康は、
「人の一生は、重荷を背負うて遠き道をゆくがごとし」
と、苦しみの連続だった生涯を告白している。
はたして私たちに、家康ほどの事業ができるだろうか。
たとえできたところで、夢幻と化す、
苦渋に満ちた人生ならば、哀れである。
生まれがたい人間に生まれてきたのは、
仕事をするためでなければ、
家を建てるためでもない。
地位を得るためでも、財を築くためでもない。
仏法を聞いて、阿弥陀仏の本願に救い摂られ、
絶対の幸福になるためだと、
蓮如上人は、示しておられるのだ。

「今日は仕事をして、明日聞こう」
と思っても、明日は後生かもしれぬのが、私たちである。
無常の風に、頭叩かれて驚いては手遅れだから、
聞ける間に聞き抜かねばならぬのだ。

仏法に独断は禁物 
      阿弥陀仏の願いを聞く

絶対の幸福に救われるには、
阿弥陀仏の願いをよく知らねばならない。
他人を喜ばせたければ、相手が何を願っているのかを
知らなければならないのと同じである。

太郎君が、憂鬱そうな花子さんを喜ばせようと、
全財産の百万円を与えた。
ところが、花子さんは少しも喜ばない。
それもそのはず、花子さんは、大資産家の令嬢だったのだ。
大変辛い思いをしながら、
太郎君の苦労は水の泡となってしまったのである。


EPSON107.jpg-1

そんなときは、花子さんが何を望んでいるのか、聞けばよい。
「何かあったの」
花子さんは言った。
「かわいがっていた猫のミイちゃんが、行方不明なの」
さっそく友達と手分けして探すと、
その猫は隣家の猫と仲良く遊んでいた。
花子さんは大喜び。
百万円どころか、一銭も使わずに喜ばせることができたのだ。

結婚式の引き出物でも、最近は、もらう人がカタログを見て、
品物を自由に選択できる方式がはやっているそうである。
いくら高価なものでも、もらった本人にとって不要なら、
物置のスペースをとるだけのガラクタになってしまうからだろう。
苦労すればさえよいのではないのだ。

相手の願いをよく聞き、熟知することは、人間相手でさえ、
重要なことである。
まして、未来永劫の魂の浮沈がかかった
弥陀の救済にあずかるには、
独断は禁物。
阿弥陀仏の願いを
よくよく聞かせていただかねばならないのである。


火中突破の覚悟で

親鸞聖人は、
たとい大千世界に
みてらん火をもすぎゆきて
仏のみ名をきくひとは
ながく不退にかなうなり
     (浄土和讃)
と仰った。
火の海かき分けて、命がけで聞かずにおれなくなった人が、
永久に崩れぬ絶対の幸福になれるのだ
、との意である。

蓮如上人は、また、
火の中を分けても法は聞くべきに、雨・風・雪はものの数かは
と厳しい聞法を勧めておられる。
火中突破の覚悟で聞かねばならぬ仏法なのに、
「今日は雨が降っているから、やめておこう」
「今日は風が強いので、また次の機会に」
「雪が積もっているこんな日に、聞かんでもよかろう」
と、聞法をおろそかにしていないか。
雨・風・雪は、ものの数ではないのだ、と仰るのである。

浄土真宗の先哲は、聞法の心構えを分かりやすく、
四つに分けて教えられている。

①骨を折って聞け
②衣食忘れて聞け
③間断なく聞け
④聞けないときは思い出せ

苦労して真剣に聴聞せよ、とのご教導である。

暑ければ説法中でも扇子を使い、
足が痛めばいつでも投げ出す。
のみたくなればたばこをのみ、
眠たくなれば前後の不覚に船をこぐ。
近くに法座があれば参るが、
少し遠方だと参る気がなくなる。
こんな聞法では、真剣に聞いているとは言えない。

一座一座のご縁を大切に

蓮如上人は、また、『御一代記聞書』に、
こう教えられている。
「至りて堅きは石なり、至りて軟らかなるは水なり、
水よく石を穿つ。
『心源もし徹しなば、菩提の覚道何事か成ぜざらん』
といえる古き詞あり。
いかに不信なりとも、聴聞を心に入れて申さば、
御慈悲にて候間、信を獲べきなり。
只、仏法は聴聞に極まることなり」

昔、明詮という僧が、真剣に仏道修行に励んでいた。
三年経ってもいっこうに魂の解決がつかず、
「私のような者に、求め切れる道ではない。今はこれまで」
と、永遠のおいとまを願い出た。
師僧は思いとどまるよう説得したが、明詮の決意は堅く、
慰留をあきらめ、これを許した。
しかし、苦楽をともにした法友と別れるのは、さすがに辛い。
明詮は泣きながら寺を出た。

ところがそのとき、にわかに大雨が降ってきたので、
やむなく山門の下に腰をおろし、雨の晴れるのを待っていた。
何気なく、山門の屋根から落ちる雨滴を見ていた明詮は、
雨だれの下の石に大きな穴があいているのに気がついた。
「こんな堅い石に、どうして穴があいたのだろう」
まぎれもない、それは雨滴の仕業ではないか。
「この軟らかい水滴が、堅い石に穴をあけたのか。
何と言うことだ。
私は二年や三年の修行でへこたれて、断念したが、
この水にも恥ずべき横着者であった。
仏法の重さを知らなかった。
たとえ水のような力のない自分でも、根気よく求めていけば、
必ず魂の解決ができるに違いない」
奮然として、その場を立った明詮は、
水から受けた大説法を師匠に話し、
深く前非をわびて努力精進し、
後に「音羽の明詮」といわれる大徳になったのである。

EPSON108.jpg-1

事も、真剣に続けるほど大切なことはない。
マッチ一本で灰になる家屋でも、
一日や二日の努力で完成するものではない。
それ相当の長年月の粒々辛苦の結果である。
途中でその努力が断たれれば、完成した家屋は楽しめない。
後生の一大事の解決をめざす仏法においてをや、である。

「聞き歩かんでもよい」どころか、
一座一座のご縁を大切に、
真剣に聞き求める人にこそ、
弥陀の呼び声が徹底し、
足下に安養の浄土が
開かれると知らねばならない。


nice!(36)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ネットコミュニティ

全人類は、重病人だ! [阿弥陀仏]

あなたは自覚しているか
全人類は、重病人だ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「仏教は難しい」と一般の人は思っている。
本末を聞かないから、である。
昔から、
「物に本末あり、事に始終あり」
と言うように、何事も、最初から最後まで、
順序よく聞かねば、理解できない。

●旅人と三人の酒飲み

一部だけを聞いて、早合点して失敗するというケースもある。
江戸時代のこと。
名月の晩に酒飲み三人が集まって、庭先に床机(しょうぎ)を出し、
中秋の名月を眺めながら、チビリチビリやっていた。
この三人、俳句の趣味もあった。
満月を愛でながら、短冊を手に、句をひねってもいる。
しかし、なかなか、会心の作をいえるほどの俳句はできなかった。
その時、庭の低い生け垣の向こうを旅姿の老人が通りかかった。
三人、飲むほどに酔うほどに、
「おい、そこへ行く旅の衆、ちょっと待ってくだされ。
ワシら、あの月を眺めながら、酒を飲み、俳句を作っているのだが、
そう急ぐこともなかろう。
少し休んでワシらの仲間に入り、酒でも一緒に飲まんかな」
「それは結構でございますね。
では、仲間に入れていただきましょう」
旅の老人、仲間になって、酒をよばれることになった。



EPSON117.jpg-1

しばらくして、三人が、
「ワシら、俳句を作っているが、あんたも一句如何じゃな」
と勧める。
旅人は「そうですか。これも何かのご縁ですね。
それでは下手ですが、一句よませてもらいましょう。」
と、紙と筆を受け取った。
しばらく月を眺めた後、句が浮かんだたしく、
筆をとり紙にサラサラと書き始めた。

三人がのぞいてみると、そこには、
「三日月の」
とある。
三人、驚いて、
「オイオイ、旅の衆、しっかりしなさいよ。
もう酔ってしまわれたのかな。今は三日月ではありませんぞ。
欠け目のない満月ですよ、間違ったら駄目ですよ」
と、口々に嘲りはじめた。
老人は意を介さず、ニッコリ笑って「しばらくお待ちください」
と言い、次の句を書いた。
「頃より待ちし 今宵かな」
と、句を完成したのである。

三日月の
   頃より待ちし
      今宵かな  芭蕉

三人は、句のすばらしさに驚き、また、その老人が、
俳聖の松尾芭蕉と知ってド胆を抜かれた。
と同時に、俳句の元祖の芭蕉に「三日月の」という上の句を見ただけで、
さんざん、嘲った事を、平謝りに謝らざるを得なかった。
下の句まで、本から末まで知ってから感想を述べれば、
こんな恥をかく必要はなかった。
上の句だけで、全体を評価しようとしたのが誤りであった。
やはり、本末、始終を聞くことが大事なのだ。


●病人と医者

仏教も、本末を聞くならば必ず、理解できる。
そこで、我々を病人に例えて仏教の本末を語ろう。
ここに病人がいる。
すると病気を何とかして治してやろうという医者が現れる。
医者は、素手では病気を治せないので、薬を作る。
その薬を病人に与えると、病気が治る。
全快した病人は医者に、お礼を言わずにおれない。
こう、筋道立てて話せば、誰でも、理解のできることだが、
これは本から末に向かって説明しているからである。


もし、
「お礼を言ったから病気が治った。
病気が治ったから薬ができた。
薬ができたから医者が現れた。
医者が現れたから、病人がいた」
こう言ったとしたら、チンプンカンプン、誰も理解できないであろう。
本末顛倒(ほんまつてんどう)した話だからである。

元の分かりやすい話に仏教をあてはめてみよう。
我々という病人がいたから阿弥陀仏という医師が現れられた。
阿弥陀仏は素手では我々の病気を治せないので、
六字の名号という薬を作られた。
その薬を病人の我々が頂くと、病気が治る。
それを信心決定という。
信心決定したら阿弥陀仏にお礼を言わずにおれなくなり、
仏恩報謝の念仏を称える。
衆生、阿弥陀仏、六字の名号、信心決定、念仏、
これらは、今、述べたような関係にあるので、
これをよく理解することが、極めて大切である。


EPSON118.jpg-1

●難治の三病

仏教では、我々を病人と教える。
釈尊は、全人類が、難治の三病にかかっていると
『涅槃経』に説かれ
、親鸞聖人も、
『涅槃経』のお言葉そのままを『教行信証』に引用しておられる。

●無明業障の
     おそろしき病

次に蓮如上人は『御文章』に「無明業障のおそろしき病」
と教えておられる。
今回は、蓮如上人のお言葉に従い、
我々のかかっている「無明業障のおそろしき病」
とはいかなる病気なのか、解説していこう。

「恐ろしき病」と言っても、肉体上の病気ではない。
心の病気であるから、病院で精密検査しても一向に発見されない。
仏法のレントゲンでなければ、分からない病気だ。

●自覚症状なき重病人

この「無明業障」という病気のおそろしさは、
自覚症状のないところにある。

ちょうど、ガンのようなものだ。
ガンは、初期には自覚症状がほとんどない。
症状があらわれて、病院へ行く頃には手遅れになっている。
ガンでも、早期発見ができれば、対処の仕方があるのだが、
痛くも痒くもないからかかっているという自覚がないのである。



同じように我々も、無明業障という病気にかかっていながら、
そのような重病人だという自覚がまったくない。

だから、阿弥陀仏という医師に治してもらおうという心がない。
仏法を求めようという気持ちが起きてこない。
病人である証拠に、皆、苦しんでいる。


●人生は苦なり

家がない、金がない、子供がいない、と苦しんでいる人もあれば、
その逆の人もある。
無理して買った住宅のローンに追われている人や、
広大な宅地の相続税が払えずに苦しんでいる人もある。
結婚した相手に裏切られて泣いている人もあれば、
育てた子供が不良化して苦しんでいる人もある。
釈尊は二千六百年昔に、
「人生は苦なり」と喝破(かっぱ)された。
生きている人は、みな苦しみ悩んでいるということだ。
「有無同然」とも断言しておられる。
金、財産、名誉、地位、それらのものが、無い人も、
ある人も同じように、苦悩しているのだ。

●金の鎖、鉄の鎖

釈尊は、財物のある人は、金の鎖でしばられている、
無い人は、錆びた鉄の鎖でしばられている、と例えておられる。
有っても無くても、苦から離れられない。

越えなばと
 思いし峰に  
    来てみれば
なお行く先は
  山路なりけり

ちょうど、険しい山道を旅する人は、
あの峰さえ越えたら、あとは楽だろうと思って歩く。
ところが、一山越えれば、
すぐ次の山が待っているのだ。

人生もまた同じで、苦の連続ではないか。
独身時代は、結婚したら幸福になれると思う。
結婚してみれば、いよいよ本格的な人生の苦の始まり。
嫁、姑の争い。夫婦間の断絶。子育ての苦労と、苦は続く。
その間に戦争があったり夫に死別したり、誰もが、
苦の連続の人生は、語るも涙、聞くも涙、
小説にすればベストセラー間違いなしと思っている。
だから、繁栄を享受している現代日本においてすら、
自殺者は一向に減少しない。
それどころか、二、三十年前と比べれば、
増加の傾向にあるというのだ。
なぜ自分だけがこんなに辛いのか、苦しいのか、
と誰もが思っている。
まさに病気なのである。


肉体が健康なら、梅干しだけでご飯を食べてもおいしいが、
高熱にうなされている時は、山海の珍味といえども、
おいしく食べられないではないか。
太平洋戦争直後の物資欠乏した時代からは、
想像を絶する飽食の時代を、
なぜ、心から楽しく幸福に生きられないのか。
心が病気だからである。
その病気の名は「無明業障のおそろしき病」。


●無明とは煩悩
   代表が、欲、怒り、愚痴

「無明」とはここでは煩悩のことである。
(※この無明は、無明の闇の無明ではないです。)
我々には百八の煩悩があると釈尊は教えられ、
親鸞聖人は「煩悩具足の凡夫」と仰せられた。
「煩」とは「煩う」。「悩」は「悩む」。
我々を煩わせ、悩ませるものが百八つある。
その代表が三毒の煩悩といわれる、貪欲(とんよく)、
瞋恚(しんに)、愚痴である。
貪欲とは、食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲を貪る心である。
瞋恚とは、欲が妨げられた時、怒る心である。
愚痴とは、因果の道理が分からず、他人の幸福をネタミ、ソネミ、
自分の不幸を他人のせいにして、うらむ心である。
これらの煩悩で悪業を造り続け、その悪業が種々の障りとなっているから、
「無明業障」といわれるのだ。


どれほどの悪業を重ねているのだろうか。
釈尊は『大無量寿経』に、
心常念悪(心は常に悪を念じ)
口常言悪(口は常に悪を言い)
身常行悪(身は常に悪を行い)
曽無一善(曽って一善もなし)

と、人間の実相を道破された。
「常に」とは「常なることひまなかれ」一分、一秒の休みもなしに、
の意である。
微塵の悪も見逃さない仏眼にうつる我々の実相は、
まさに親鸞聖人が『正信偈』に書かれた通り「一生造悪」
「極重悪人」
なのである。

我々の掌、肉眼や虫眼鏡でみるなら、そう汚いとは思わない。
しかし、顕微鏡で見たら、どうだろう。
大腸菌、その他のバイ菌が、ミミズの如く、
無数に這っているに違いない。
冗談にも、きれいな手とは思えないだろう。
法律や道徳は、肉眼、虫眼鏡の類である。
仏教は顕微鏡なのだ。

「掌中(てのひらじゅう)、どこもきれいなところはない。」
と言うように、心、口、身は常に悪に汚れていると、言われるのだ。

●蛇か蠍(サソリ)のような心

我々の心は、どのような、悪業を重ねているのであろうか。
親鸞聖人は、
悪性さらに止めがたし、
心は蛇喝(じゃかつ)のごとくなり
と懺悔告白なされている。

とても他人に言えないような悪性が止まらず、
心は蠍(さそり)を見るようにゾーッとするほど恐ろしい。
美しい女性を見れば、愛欲の心が即座にうごめき、
心中でその女性を犯している。
気にくわない者は、死んでくれたらよいと、
願い続けているではないか。
鉄道事故でも病死でも、何でもよいから、死んでほしいと、
思い続けている心がある。
実の親でも、病気で長患いとなれば、
看病疲れから「いいかげんに死んでくれればよいのに」
と心で殺す五逆罪。
隣に倉が建つと、こちらは腹が立つ。
立派な家が建つとネタミ、ソネミの固まりとなってしまう。
挙げ句、隣の不幸を願う心が生じる。
「隣は、どこで金儲けしたのか。
相当、借金して、無理しているのでないか。
それにしても、腹が立つ、隣の主人、
交通事故か何かで死んでくれれば、面白いな。
借金を返せなくなり、売りに出したら、
叩いて叩いて叩きまくり、徹底した安値で買い取ってやろう。
そうしたら、どんなに気持ちのよいことか」
そんなことを思いつつも、隣の主人と顔を合わせれば、
「立派な家を建てられましたね。
毎日、見て楽しんでおりますよ」
と、平然とお上手を言っているではないか。
旅先の火事は大きいほど面白い、と言われる。
他人が突然出火にあわてふためいている姿を、
眺めて楽しむ心があるのだ。
恐ろしいことではないか。
欲、怒り、愚痴で、日々、どれだけの悪を造っているのであろう。


EPSON119.jpg-1


●身体で造る悪業

加えて、口や身でも、悪の連続である。
殺生罪とは、生き物の命を奪うことだ。
直接、殺さなくても、殺した魚や肉を買って食べていれば同罪だ。
生まれてから、今日まで、我々は、どれ程、生命を奪ってきたことか。

あののろい牛でも、屠殺場にひかれていく時は、
目に涙をためているといわれる。

これまで何百、何千、いや何万の生き物の命を奪ったに違いない。
まさに限りない悪業を積み重ねている。
すでにこれまで造り続けてきた悪業は確実に業の障りとなって
我が身の人生に悪果として、次々と生えているのだ。

まさに悪業のナワで、ギリギリに縛られているのである。
その無明業障の恐ろしき病を治して下さる名医が、
本師本仏の阿弥陀如来だ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


関連記事


人類はみな病人、阿弥陀仏は医師!?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


nice!(38)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ネットコミュニティ

死後も存続する、我々の本当の心は阿頼耶識である。(八識とは!?) [阿頼耶識(我々の本当の心)]

 (真実の仏教を説いておられる先生の書物「とどろき」から載せています。 ) 


いつからか人生に「旬」という言葉を使うようになり、
人気や実力が充実し、注目されている人物を「旬の人」と言っています。
この一語に美や強さ、瑞々しさや明るさなど、
陽性で前向きなメッセージが込められているからでしょう。
ただそれは一過性で、長く保つのは至難のこと。
人気ミュージシャンの椎名林檎さんは、
以前に発表した『旬』という曲で、
次のように歌っています。

「生きているうちはずっと旬だと
そう裏付けて
充たして いまを
感じて覚えて何時もより
生きて、生きて、活きて居よう」

いい時期はすぐに過ぎ去ってしまう。
その上で「生きているうちはずっと旬でいたい」
と歌っているのでしょう。


EPSON087

画面に映る女性はどうしても20代にしか見えないが、
実際の年齢は50歳近く。
近ごろテレビでよく目にする光景です。
年齢と外見にギャップのある、そんな人々を集めて紹介し、
人気を集めている番組があります。
年齢に抗(あらが)って若さを保とうとする
「アンチ・エイジング」の考えから、
健康や美容に懸命に努めているようです。

20歳も若く見せるのは難しいが“少しでも”と、
筋力トレーニングやウォーキング、肌や毛髪のケアに気を配る人も
多いはず。
肉体の若さは美しさ、強さに通じる。
それを「旬」と認識し、少しでも長引かせる努力をしているのでしょう。
華やかな世界で活躍するタレントや芸能人、スポーツ選手に限らず、
家庭では妻や夫、子や父母をいたわり、
大変だがやりがいのある仕事に精を出しながら、
少しでも明るく、笑って暮らせれば、と夢や希望を胸に抱いている姿を
「旬」だと思う人もあるでしょう。



●仏教で教えるいろいろの「心」

いずれの営みも、心の喜びを求めてのことですが、
一口に心といっても、いろいろあると、
仏教では「八識」が教えられています。

それは次の八つです。


EPSON088

このうち前の5つを前五識といい、私たちは毎日、
これらを気持ちよく満たそうとしています。

例えば、絶景や美しい絵画、かわいい子供や動物を見て
眼識」を楽しませ、
川のせせらぎや鳥の鳴き声、美しい調べを好んで「耳識」を養っています。
テレビや新聞などから耳目に飛び込んでくる日々のニュースは、
見たくも聞きたくもないことが多いので、
少しでもそれを和らげ、目や耳の保養に、と心地よいものを欲しています。
香をたいたり、香水を使って「鼻識」の快を求める。
そうして時々、おいしいものに舌鼓を打ち(舌識)、
肌触りのいい衣類や人肌のぬくもりを求めるのは「身識」でしょう。
このように五感を刺激し、日々、楽しませてくれるものを
私たちは追求しています。



続きを読む


タグ:八識
nice!(26)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ネットコミュニティ

弥陀の本願一つ真実であることを知らせるためには! [龍樹菩薩]

 

(真実の仏法を説いておられる先生の書かれた「とどろき」より載せています) 

仏法を正しく
  伝えられた龍樹菩薩

龍樹大士出於世(龍樹大士、世に出でて)
悉能摧破有無見(悉く能く有無の見を摧破し、)
宣説大乗無上法(大乗無上の法を宣説し、)
証歓喜地生安楽(歓喜地を証して安楽に生ぜん)

釈迦が亡くなって700年後(今から約1900年前)、
インドに現れられた龍樹菩薩は、
「有の見」と「無の見」をすべて打ち破られ、
真実の仏教(大乗無上の法)を明らかにされました。

無の見」とは「死後は何も無くなる
という考えで、「断見」ともいわれます。
唯物論などはこれに当たります。
有の見」は、「死後、肉体は滅びても、
固定不変の霊魂なるものが存続する

という思想で、「常見」ともいわれます。
キリスト教やイスラム教、日本神道などはこれです。

仏教を説かれたお釈迦さまは、
「有の見」「無の見」いずれも謬見(びゅうけん)であり
「外道」と断じられ、
「道理に外れた教えを信じていても、
幸福にはなれない」と、
徹底的に排斥されています。
(※謬見とは、誤った考えのこと)

その釈迦の教導どおり龍樹も、
迷える大衆に飛び込んで、
有無の二見を悉く打ち破り、
真実の仏教(大乗無上の法)を皆に伝えました。
その熱烈な布教は、外道の者たちの猛反感を買い、
遂には殺害されてしまったのです。

聖人は、殉教なされた龍樹菩薩を讃えられて、
“命懸けの布教のおかげで親鸞、
真実の仏教を知らされ、
この身に救われることができたのだ。
深いご恩に、とてもじっとしてはいられない。
龍樹菩薩のみ跡を慕い親鸞も、
身を粉に骨を砕きても、
真実の仏教を伝えずにおれないのだ”
と感泣なされているお言葉が、

龍樹大士出於世(龍樹大士、世に出でて)
悉能摧破有無見(悉く能く有無の見を摧破し、)
宣説大乗無上法(大乗無上の法を宣説し、)

EPSON054.jpg-1.jpg


●破邪顕正(はじゃけんしょう)とはどんなことか

今回はまず、仏教で「破邪顕正」といわれることについて、
お話しましょう。
「破邪顕正」とは「邪を破り、正を顕(あき)らかにする」
ことです。

「邪」とは、間違った考え方や思想・教えのことであり、
「正」とは真実の教えをいいます。
お釈迦さまは、ご遺言ともいわれる
『涅槃経』というお経に、
「破邪顕正せざる者は仏弟子に非ず、
仏法中の怨(あだ)なり」
“間違った思想や教えを信じている人を
見ながら黙視し、その誤りを破らず、
正しい教えを伝えない者は、仏法者ではない”
と厳しく教戒なされています。

世間では、「他人が何を信じていても、
本人が喜んでいるなら、それでいいじゃないか」
「思想信条や信仰のことは、他人がとやかく言う問題じゃない」
というのが常識でしょう。

特に寛容を美徳とする人は、
ほぼ100パーセントこれに賛同するに違いありません。
ところがお釈迦さまは、
そのようには教えられていない。
間違った教えを信じている人には、
「それは間違っていますよ」
と教えてやらねばならない、
と仰っているのです。

このように、相手の間違った考えを破ることを、
「破邪」といいます。

皆それぞれに、自分が信奉しているものは
「正しい」「間違いない」と思っているのですから、
それを「間違いだ」と指摘されれば、
当然、腹を立てるし人間関係もこじれて
面倒なことになる。
だが、それを恐れて破邪しない者は
この釈迦の弟子ではない、
「仏法中の怨なり」とまで言われているのです。

これは、お釈迦さまご自身が
徹底してなされたことであることは、
同じく『涅槃経』に、

世尊常に説きたまわく、
一切外学の九十五種(外道)は、皆悪道に趣く
釈迦は常にこう説かれていた。
仏教以外の教えは、人々を苦患へ沈ませるものである
と言われていることでも明らかでしょう。

では、なぜ釈迦は妥協なく外道を「破邪」され、
また私たちにも勧められているのでしょうか。

それは真実の仏教である「阿弥陀仏の本願」を
顕かにするためです。

大乗無上の法、弥陀の本願を、
一人でも多く伝えて、ともに無上の幸せに生きる。
その「顕正」のための、「破邪」なのです。

「破邪のための破邪」ではないし、
相手を論破して自己満足や
優越感に浸るためでもありません。

「阿弥陀仏の本願」を伝えるためにはどうしても、
「弥陀の本願」に反する教え(邪)を破らねばならない。
外道を信じていては、弥陀に救われることは
絶対にできないから、
「一切の外道を捨てて、弥陀の本願のみを信じよ」
と、お釈迦さまは80年の生涯をかけて徹底され、
私たちにも「破邪顕正」を勧めていかれたのです。

これでお分かりのように、
釈迦が「破りなさい」と言われる「邪」とは、
「弥陀の本願」を妨げる一切のことであって

決して、政治や経済、科学・医学・法律・倫理・道徳
の世界で「正しい」とか「間違っている」と
議論されている主義主張のことではありません。

つまり、どうすれば快適・安全に生活できるか、
という「生き方」についての「正邪」ではないことを、
確認しておかねばならないでしょう。
例えば「地球温暖化」や「デフレ」「円高」
などについて、
どんな見解を持つかなどは十人十色です。
「子供手当」や「消費税引き上げ」についての考え方は、
各人が受けた教育や性格、
生活環境などによって変わるでしょう。
「正義とは何か」も、国益を闘わせる外交の場では
まったく逆になることさえあります。
価値観は多様化しているから、
「みんなちがって、みんないい」
のフレーズが共感を呼ぶのでしょう。

EPSON055.jpg-1.jpg

 

お釈迦さまが「破邪顕正しなさい」
と勧めておられる「正」「邪」とは、
そんな次元の問題ではありません。

時代や国によって変わることのない唯一の真実、
「弥陀の本願」についてのことなのです。

「仏教は排他的で狭量な教えなのか」
という疑問も、ここが正しく理解されていないところに
起因するのでしょう。
誤解されやすいところですので、
念を押しておきたいと思います。

では「弥陀の本願」とは何か。
本師本仏の阿弥陀仏が、
「すべての人よ、後生の一大事を解決し、
必ず絶対の幸福に救う」
と誓われているお約束のことです。
「有の見」も「無の見」も、
この「後生の一大事」を否定する教えですから、
「有無の見」を破らなければ、
弥陀の救いを鮮明にすることは絶対にできない。

だからこそ龍樹菩薩は、
有無の見を徹底的に打ち破られた
のだと、
熱火の破邪顕正を親鸞聖人は、

悉能摧破有無見(悉く能く有無の見を摧破し、)
宣説大乗無上法(大乗無上の法を宣説し、)

と仰っているのです。
では、「後生の一大事」とはどんなことでしょうか。

後生という事は、
ながき世まで地獄におつることなれば、
いかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて、
弥陀の本願をたのみ、
他力の信心を決定すべし 

           (御文章)

後生の一大事とは、未来永く堕ちて苦しむことだから、
急いでこの一大事の解決を心にかけて、
阿弥陀仏の救いを求めねばならない

このように、すべての人に訪れる「後生の一大事」を、
「弥陀の本願」によって平生に解決して頂き、
“必ず浄土へ往ける大安心の身”
に救い摂られたことを、
「他力の信心を決定(けつじょう)」とも
「信心獲得」「信心決定」とも言われます。

この弥陀の救いを、次に、
「証歓喜地生安楽(歓喜地を証して、安楽に生ぜん)」
と明らかにしているのです。

EPSON056.jpg-0.jpg

●弥陀の救いは二回ある

「歓喜地」とは、さとりの位の一つです。
一口にさとりといっても、
低いさとりから高いさとりまで五十二の位があり、
これを「さとりの五十二位」といわれます。

あえて例えると、相撲取りにも下はフンドシ担ぎから
上は大関、横綱までいろいろあるようなもので、
さとりにもピンからキリまで全部で五十二の位があるのです。
その最高位を仏の覚りといい、
この仏覚を開かれた方のみを「仏」といわれます。

地球上ではお釈迦さまただお一人ですから、
「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」
とも言われます。
いかに仏覚を開くことが難しいか、知られましょう。
「歓喜地」とは、下から数えて五十一段目、
あと一段で仏覚という大変高いさとりのことで、
「正定聚」ともいわれます。
“間違いなく仏になれる身”のことですから、
現代の言葉では「絶対の幸福」といえるでしょう。
弥陀の誓い通り「後生の一大事」が解決された一念に、
五十一段高飛びさせられ、
絶対の幸福に救い摂られる
ことを親鸞聖人は、
「歓喜地を証する」
と言われ、
これを蓮如上人は有名な「聖人一流の章」には、
「その位を一念発起・入正定之聚(にゅうしょうじょうしじゅ)とも釈し」
と明示されているのです。
次に「安楽」とは、弥陀の浄土のことですから、
「歓喜地を証して、安楽に生まれる」
とは、
弥陀の救いに値えば、この世は絶対の幸福、
死ねば弥陀の浄土へ往って、
仏に生まれることができるのだ

と言われているお言葉です。
このように弥陀の救いは、
この世と未来の二度あることを
「現当二益(げんとうにやく)」といわれます。

「現益」と「当益」の二つです。
「現益」とは現在(この世)の救い、
「当益」とは死後(当来)の救い、ということです。
「歓喜地を証する」はこの世の救い(現益)、
「安楽に生ずる」は死後の救い(当益)。
弥陀の救いは「現当二益」あることを、
龍樹菩薩は明らかにされているのだよ

と、親鸞聖人は、
「証歓喜地生安楽」の一行で教えられ、続いて、
弥陀の本願によらねば誰も助からないのだから、
皆さん早く弥陀の救いに値(あ)ってもらいたい

と、真剣な聞法を勧めておられるお言葉が、
「顕示難行陸路苦
信楽易行水道楽」
の二行なのです。
(※値<あ>うは、一度きりのものに使われる)

EPSON056.jpg-1.jpg


 


タグ:龍樹菩薩
nice!(27)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ネットコミュニティ

後生の一大事を解決するには、真実の宗教を選びとらなければならない! [親鸞聖人]

 

●真の幸福はどこに

すべての人は幸福を求めて生きています。
これに異論を唱える人はないでしょう。
汗水流して働くのも、苦しみを辛抱して頑張るのも、
嫌な勉強に全力を傾ける学生も、果ては自殺をする者ですら、
幸福を望むからにほかなりません。

政治も経済も、科学も医学も、芸術も道徳も、
その他あらゆる人間の営みは、
この目的達成のために生まれたものです。

ところが文明の日進月歩に逆比例して、
人心はますます不満と不安・苦悩に襲われ、
おののいているのではないでしょうか。
この平和な日本で、年間三万人前後の人が自殺している事実が、
それを端的に物語っています。
親が子を虐待し、子が親を殺す。
強盗、殺人、詐欺、汚職など、
殺伐とした事件を耳にせぬ日はありません。
ストレス、心身症、アルコール依存症などの言葉が
広く知られるようになって久しくたちます。
これらは明らかに、金や物が豊かになれば、
科学や医学が発達すれば、人間は必ず幸福になれる、
という多くの人の抱いている深い迷信を、根底から覆すものです。

もちろん、政治や経済、科学や医学は必要です。
地位や名誉を得て、家庭を守り、
よりよい仕事をすることも大切なことでしょう。
ただ、それだけで人間が、不安、苦悩、不満を征服して
真の幸福になれるのではないのです。

●人類最大の悩み
    苦しくても生きねばならぬ理由は何か

室町時代の禅僧・一休が、
「人生は食てねて起きて糞たれて、
子は親となる子は親となる」
と歌ったように、私たちは毎日同じことを繰り返し、
世の中の娘が嫁と花咲いて、
嬶(かかあ)としぼんで婆(ばば)と散りゆく

と、後戻りできぬ道をどんどん進んでいきます。
古今東西、変わらぬ人生の裸形(らぎょう)ではないでしょうか。
やがて、どうすることもできぬ死の怪物が
目の前に立ちはだかります。


EPSON079


結局、
「人生は タライよりタライへうつる 五十年」
産湯につかったタライより、棺桶というタライへの旅路が、
人生にほかなりません。
この実相を凝視する時、深刻な悩みが頭をもたげます。
「悲惨な最期に向かって、なぜ生きねばならないのか」
「一体、私とは何者なのか。どこから来て、どこへ行くのか」
「自分が今一生懸命やっていることに、
どんな意味があるというのか」
「苦労して生きるより、サッサと死んだほうがマシなのではないだろうか」
これほどの大問題は、ほかにないでしょう。
“仕事や趣味など、社会とのつながりの中で生き甲斐を見いだしなさい”
“生きる意味は自分でつくるもの”
“生きていれば、いいことだってあるよ”
と気休めを聞かされても、
天下をわがものにした太閤秀吉でさえ、
「難波のことも夢のまた夢」
と、むなしく死んでいったではありませんか。
家康も、
「人の一生は、重荷を負うて、遠き道を行くがごとし」
と、死ぬまで重荷を下ろせぬ人生を告白しています。
「花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき」
と言い残したのは、自由奔放に生き、
作家として名を成した林芙美子でした。

続きを読む


nice!(38)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ネットコミュニティ

なぜ、我々を救えるのは阿弥陀仏だけなのか [源信僧都]

 EPSON036.jpg-1.jpg

 「源信」とは、約1000年前の日本の人で、
有名な『往生要集』を書かれた源信僧都のことです。
親鸞聖人は、この源信僧都を、
インド・中国・日本の七高僧の6番目に挙げて、
「源信僧都のお導きがあったなればこそ、
親鸞は、弥陀に救われることができたのだ」
と、正信偈に次の2行で褒めたたえておられます。

源信広開一代教(源信広く一代の教を開きて)
偏帰安養勧一切(偏えに安養に帰して一切を勧む)

EPSON037.jpg-1.jpg

「広く」とは、「徹底的に」ということ。
「一代の教」とは、今から2600年前、インドに現れたお釈迦さまが、
80歳でお亡くなりになられるまで教えていかれた、
釈迦一代の教え、今日の仏教のことです。
釈迦一代の教えは、すべて書き残され、その数は7000冊以上に上り、
一切経といわれています。
源信僧都は、その7000余冊の一切経を幾たびも読み破られ、
「後生の一大事の解決できる教えが、どこかに説かれていないか」
と、必死に探し求められたことを、
「源信、広く一代の教を開きて」
と、言われています。
その結果、
「極悪の源信の救われる道は、偏に安養に帰する以外に無かった」
と知らされたことを、
「偏に安養に帰して」
とおっしゃっているのです。
「安養」とは、阿弥陀仏のことですから、
「偏に安養に帰す」とは、
「私の後生の一大事を助けたもう仏は、ただ弥陀一仏しかなかった」
と言われています。

すでにお釈迦さまは、
「無量寿仏に一向専念せよ」
とおっしゃっています。
「無量寿仏」とは、阿弥陀仏のことですから、
「弥陀一仏に向き、弥陀のみを信じよ。
その他にすべての人の救われる道はないのだ」

と言われているのです。
次の、
「一切を勧む」
とは、それから源信僧都がこの真実の教えを、一切の人々に、
「皆さんも、偏に弥陀一仏を信じなさいよ」
と、終生、教え勧めていかれたことを、親鸞聖人は、
「偏に安養に帰して一切を勧む」
と言われているのです。

EPSON038.jpg-1.jpg

●阿弥陀仏は本師本仏

釈迦の「無量寿仏に一向専念せよ」の教えについて、
親鸞聖人から聞かせていただきましょう。
釈迦が35歳で成仏してから、
80歳で入滅するまでの45年間の教えが仏教ですが、
一体、釈迦は何を説くのが目的であったのでしょうか。

EPSON039.jpg-1.jpg


親鸞聖人は、『教行信証』に、

それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり

と喝破なされています。
釈迦一代の教えは、真実の経・『大無量寿経』唯一つを
説かんがための方便であったのだ

と断言なされているお言葉です。
では『大無量寿経』には、何が説かれているのでしょうか。
それは唯、すべての人々が本当に幸福に救われる
「阿弥陀仏の本願」のみが説かれています。

ゆえに親鸞聖人は、『正信偈』に、

如来所以興出世(にょらいしょいこうしゅつせ)
唯説弥陀本願海(ゆいせつみだほんがんかい)

「釈迦如来がこの世に生まれられた目的は、
唯、弥陀の本願のみを説かんがためなり」

と仰せになっております。
釈迦は、阿弥陀仏の使いの者として、
この世に出て阿弥陀仏の本願を説かれたのです。
これを聖人は、

久遠実成阿弥陀仏(くおんじつじょうあみだぶつ)
五濁の凡愚(ぼんぐ)をあわれみて
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)としめしてぞ
迦耶城(がやじょう)には応現する
  (和讃)

とおっしゃっています。

また、親鸞聖人の仰せのとおり、
釈迦は一切経に阿弥陀仏のことばかり褒めたたえていられます。
「阿弥陀仏の威神光明は最尊第一にして、
諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり」(大無量寿経)とか、
「十方無辺不可思議の諸仏如来、阿弥陀仏を称讃せざるはなし」(同)
とか、
「諸仏の中の王なり、光明の中の極尊なり」(大阿弥陀経)
とか、挙げれば切りがありません。
ゆえに、
「諸経に讃ずるところ、多く弥陀にあり」
と、天台宗の荊渓(けいけい)でさえ驚いているのです。

では、なぜ阿弥陀仏を一切の仏方が称賛し礼拝されるのか。
その理由は、『般舟経(はんじゅきょう)』に明らかに説かれています。

三世の諸仏は
弥陀三昧(みだざんまい)を念じて
等正覚(仏)に成る

これは、
「一切の諸仏は、最後は阿弥陀仏のお力によって、
仏になった」
ということです。
大日如来も薬師如来もそうであるように、
釈迦もその例に漏れません。

ですから、あらゆる仏は阿弥陀仏には頭が上がらないのです。
「本師本仏」と崇めたてまつる道理ではありませんか。
三世十方の諸仏たちでさえそうなのですから、
ましていわんや私たちは、「一向専念無量寿仏」で、
阿弥陀仏一仏を一向に信じたてまつるより、
後生の一大事助かる道は毛頭ないのだよと、
親鸞聖人は徹底していかれたのです。

EPSON041.jpg-1.jpg

●阿弥陀仏の、特に勝れたお徳ーーー光明無量

阿弥陀仏は、光明無量・寿命無量、
智慧と慈悲の如来であることは多くの経典に明らかですが、
中でも阿弥陀仏の勝れたお徳は、
光明(智慧)無量であることだと、
親鸞聖人は讃歎なされています。

EPSON042.jpg-1.jpg

光明といいますと、何か太陽か電灯の光線のように
誤解する人もありますが、
仏法では仏の念力、仏力をいつも光明と表現いたします。
私たちの目に見えない如来の大願業力、大念力、智慧をいうのです。
私たち人間でも、その方面の修練を積めば、
ある程度の念力を持つことができることは今日、
催眠術や超能力などによって周知のとおりです。
これらは一種の人間の精神力であり、
念力といわれるものの働きであることは、
科学的に説明されるようになりました。
念写などによれば、念力は目には見えませんが、
光線と同じような働きや性質があることが知らされています。
例えば、遠方の暗室に置いてある印画紙に向かって、
ある人が一心に何かを念ずると、その念じたものが瞬時にして、
遠方の印画紙に写るということは、念力は光のような速度を持ち、
光のような作用を持っていることが分かります。
それにしても2600年以前において、すでに釈迦は、
念力や精神力を光明という言葉で表現なされた智慧には、
今更ながら驚嘆せずにはおれません。
散乱放逸の私たち人間でさえ、
ある修練を積めば相当の念力を持つことができるのですから、
仏の念力、業力は私たちの想像を絶するものです。

仏は光明と寿命、智慧と慈悲の覚体だといわれるのは、
私たちを救わんとする大念力を体得していられることをいうのですが、
阿弥陀仏が本師本仏と崇められ、諸仏の王とされるのは、
すでに述べましたように、阿弥陀仏の光明智慧が、
諸仏に超過して、私たちを救済する力がズバ抜けているからです。

それは同時に、極悪最下の私たちを救済できる仏は、
阿弥陀仏以外には断じてないことを、
暗示なされた釈迦のご金言でもあります。

果たして釈迦は最後に“一向専念無量寿仏”と、
その真意を説破(せっぱ)なされているのです。

これは、
あらゆる諸仏、諸菩薩、諸神を捨てて、
一心一向に専ら(もっぱら)阿弥陀仏一仏を信ずる以外に、
一切の人々の助かる道は絶対に無い

と明言なされたものです。

●浄土真宗の肝要

一向専念の義は、往生の肝腑(かんぷ)、自宗の骨目なり

とまで断言なされています。
「阿弥陀仏一仏を一心一向に礼拝し念ずることが、
我々の救われる最も大事なことで、浄土真宗の肝要だ」

ということです。
釈迦の真意を酌み取られ(くみとられ)、忠実に実行なされ、
私たちにも教えられたのが、浄土真宗を開かれた親鸞聖人でした。
その親鸞聖人の教えを、一器の水を一器に移すがごとく
正確に伝えられた蓮如上人は、
「諸仏菩薩を捨てて、弥陀一仏を一心一向にたのむべし」
「更に余の方に心をふらず」
「その外には何れの法を信ずというとも、
後生の助かるということ、ゆめゆめあるべからず」
とまで断定なされているのも、
当然と言わなければなりません。

また、
「一心一向とは阿弥陀仏以外に二仏を並べないことで、
ちょうど、忠臣は二君に仕えず、
貞女は二夫を並べないのと同じだ」
とまでおっしゃっています。
あまりにも厳しいので、世間の人々は浄土真宗のことを
「一向宗」とまでいうようになったのです。
江戸中期の有名な儒者に
太宰春台(だざいしゅんだい)という人がありますが、
この人の著書には、
「一向宗の門徒は、弥陀一仏を信ずること専らにして、
他の仏神を信ぜず、如何なる事ありても、祈祷などすること無く、
病苦ありても呪術・符水(ふすい)を用いず、
愚かなる小民・婦女・奴婢(ぬび)の類まで、
皆然なり、是親鸞氏の教えの力なり」と驚嘆しています。
これによっても真宗の人たちは、
一切の迷信行為をしなかっただけではなく、
阿弥陀仏一仏以外は、絶対に礼拝したり信ずることがなかったことも、
お分かりになるでしょう。

「一向専念無量寿仏」は、時代によって変わることのない、
また絶対に変えてはならない釈迦のご金言であり、
三世十方を貫く真実の教えであることを、
親鸞・蓮如両聖人は、一生涯明らかになされたのです。


nice!(12)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ネットコミュニティ

裏切るものを信ずるから苦しむ、裏切らないものとは! [なぜ生きる]

 

平成十一年、日本最高の知性ともいわれた江藤淳氏が、
六十六年の生涯に自ら終止符を打ちました。
慶子夫人が病に倒れた三ヶ月後、
「家内の死と自分の危機とを描き切りたい」
と筆をとった『妻と私』が、事実上の遺書といわれます。

病床に伏す妻を最後まで支えたい。
決して家内を一人にしない。
それが江藤氏の「生きる目標」でした。

「一卵性夫妻」とよばれるほど、
それはいい仲だったのです。
最愛の妻の命が終われば、すべては終わってしまう。
やるせない哀感が描かれます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

誰にいうともなく、家内は
「もうなにもかも、みんな終わってしまった」
と呟いた。
その寂寥に充ちた深い響きに対して、
私は返す言葉がなかった。
実は私もまた、どうすることもできぬまま
「みんな終わってしまった」ことを、
そのとき心の底から
思い知らされていたからである。(中略)
薬のせいで気分がいいのか、
家内が穏やかな微笑を浮かべて、私を見つめ、
「ずいぶんいろいろな所に行ったわね」と言った。(中略)
「本当にそうだね、
みんなそれぞれに面白かったね」
と、私は答えたが、
「また行こうね」とはどうしてもいえなかった。
そのかわりに涙がほとばしり出てきたので、
私はキチネットに姿を隠した。

                        (江藤淳『妻と私』)

 

夫人が亡くなり、生きる目標がなくなって残ったのは、
死を待つだけの無意味な時間でした。


 家内の生命が尽きていない限りは、
生命の尽きるそのときまで一緒にいる、
決して家内を一人ぼっちにはしない、
という明瞭な目標があったのに、
家内が逝ってしまった今となっては、
そんな目標などどこにもありはしない。
ただ私だけの死の時間が、私の心身を捕らえ、
意味のない死に向かって刻一刻と
私を追い込んで行くのである。

                       (江藤淳『妻と私』)                              
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


江藤淳氏の自殺は、衝撃とともに報じられました。
「先立たれた愛妻の後を追ったのでしょう」
「耐え難い病苦だったのですね」
など、哀悼の辞とともに、
原因が取りざたされました。
氏の伴侶を失った苦悩、
心身の不自由による不安は、想像に余りあります。
それらの痛苦も、要因の一つでしょう。
しかし本質的には、
「苦しくても生きるのはなぜか」が、
その明晰な知性をもってしても、
分からなかったからではないでしょうか。

 


真実の仏法に遇えぬ悲劇

経典にはこう説かれています。
「学問をして善知識に遇わずんば、
いずくんぞ天下に大道(仏教)あるを知らんや。
船に乗りて池泉小流に遊んで、
いずくんぞ天下の江海あるを知らんや。
仏教は江海の如し、
一切世間の経書は皆仏経より出ず。」

才知すぐれ、勉学に励んだ人でも、
仏法を正しく教えてくださる
善知識に会えなければ、
経典のあることも分からず、
そこに明示されている
人生の目的を知ることはできません。
苦しみばかりの生涯を終えるしかないのです。

日本で年間三万人の自殺者も、やはり、
真実の仏法に遇えなかったための
悲劇といえましょう。

 

人生の目的は「無明の闇を破ること」

「人は何のために生まれ、生きているのか」
お釈迦さまの教法を、
自分の考えを一切入れずに
そのまま正しく伝えた親鸞聖人は、
こう喝破されました。

「已能雖破無明闇」(正信偈)
(すでによく無明の闇を破すといえども)

無明の闇を破ることこそ、
人生の究極の目的だ
と明示されたのです。

「無明の闇」とは「後生暗い心」を言います。
死後があるのかないのか、
あるとすればどんな世界か、
はっきりしない心です。
百パーセント確実な未来後生が
はっきりしないから、
現在も不安なのです。

平生に、この無明の闇を破って、
いつ死んでも浄土往生間違いない、
絶対の幸福になることが、
人間に生まれてきた目的です。

親鸞聖人は、二十九歳の御時に、この幸せになられ、
「無碍の一道に出たぞ」と仰いました。
聖人の主著『教行信証』には、
その慶びが随所に記されています。
一つあげてみましょう。


10066778674_5a43721211_o.jpg


弥陀の本願の大地に心を樹(た)てた喜び

「慶ばしき哉(かな)。心を弘誓の仏地に樹て」 

なんと喜ばしいことか、とまず、
心からわき上がる喜びを率直に表明されています。
何をそんなに喜ばれたのか。
「心を弘誓の仏地に樹て」たことです。
「心を弘誓の仏地に樹て」の「弘誓」とは
「阿弥陀仏の本願」です。

大宇宙には数え切れないほどの仏方がましますと、
お釈迦さまは説かれています。
その中で、「本師本仏」と仰がれる仏様が阿弥陀仏です。
「本師本仏」とは、すべての仏の師匠の意。
釈尊も仏様のお一人ですから、
お釈迦様の先生が、阿弥陀如来なのです。
「本願」とは、お約束です。
阿弥陀仏は、
「すべての人の無明の闇を破り、
絶対の幸福に救い摂ってみせる」と、
誓っておられます。

この阿弥陀仏の本願を大地にたとえられ、
「仏地」と仰ったのです。

阿弥陀仏に救い摂られ、
無明の闇が破られると、私たちの心は、
阿弥陀仏の本願の大地に樹ちます。
心が本願に樹つとは、阿弥陀仏のお約束通り、
絶対の幸福になることです。
親鸞は、阿弥陀仏の本願に心を樹てたぞ。
なんと慶ばしいことか

と、人生の目的を達成した喜びを仰っているのです。

無明の闇が破れ、生命の歓喜あふるる世界に、
平生、出させていただける時があるのです。

 

生きることは信ずること

人は何かを信じなければ生きてはいけません。
何かに心を樹(た)てているのです。
親は子供を信じ、子供は親をあて力にし、
あるいは、金や財産、名誉、地位、健康と、
いろいろなものを頼りにして生きています。

ところが、崩れるもの、滅んでいくものに
心を樹てていると、
必ず裏切られる時がきます。

建築物は基礎がしっかりしていないと、
どんな立派な御殿を建てても、
基盤が崩れると同時に建物も崩壊してしまいます。
同様に、私たちの心という建物をどこに建てるかによって、
幸・不幸が左右されるのです。

私たちはどんなものの上に心を樹てているでしょうか。
無常なものの上に心を樹てていると、
それらが崩れた時、裏切られ、苦しまなければなりません。

親を頼りにしていても、その力が持続する保証もなく、
いつまでも生きていてはくれません。
子供をあて力にしていても、
やがて自分から離れ、独立していきます。
老人ホームに入れられ、
「こんなことなら生まなければよかった」
と愚痴を言っている人もあります。
子供に樹てていた心が崩れてしまったのです。
健康に心を樹てていると、病気になったとき、
昨日までの喜びは吹き飛んでしまいます。
名誉とか地位に心が樹っている時は、
華やかに見えても、一度これらを失うや、
急坂を転げ落ちるような惨状になってしまいます。
江藤氏の自殺も、妻や健康に樹てていた心が
崩れた末の悲劇ではないでしょうか。

必ず崩れる無常のものに心を樹てていると、
その幸福も崩れてしまいます。

親鸞聖人は、四歳で父君と、八歳で母君と死別され、
「世の中にあてになるものは何もないなあ」
と身をもって知らされました。
その聖人が絶対に崩れない阿弥陀仏の本願に
心を樹てられた時の驚き、
喜びはどれほどだったでしょう。
「慶ばしき哉」の喜びは、永遠に変わらない、
なくてはならない喜びなのです。

 

自殺者は愚かの中の愚か者

苦しみの根源である、無明の闇の闇をぶち破り、
「心が弘誓の仏地に樹つ」、
絶対の幸福に生かされて、
いつ死んでも極楽往生間違いない身に
救い摂られることこそ、人生究極の目的です。

最も大切な、生きる目的を知らず、
無明の闇を抱えたまま死に急いでも、
幸せにはなれません。

釈尊はそれを、
「従苦入苦 従冥入冥」
(苦より苦に入り、やみよりやみに入る)

と『大無量寿経』に説かれています。

真っ暗な心のまま死ねば、
後生もまた暗黒なのです。

苦しみの世界へ自ら進んで飛び込んでゆくのは、
愚かの中の愚かな行為です。
まさに、飛んで火に入る夏の虫。
自ら火中に身を投じ、
さらに大きな苦しみを受けるのは、愚の骨頂です。
何のために生まれてきたのか、
深く知らなければなりません。

人生の目的は、「破無明闇」ただ一つ。
人間に生まれてよかった!と喜べる世界があることを
親鸞聖人は生涯叫んでいかれたのです。
 


タグ:江藤淳
nice!(30)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ネットコミュニティ

後生の一大事解決は、聖道門では不可能! [龍樹菩薩]

 

(真実の仏教を説いておられる先生の書物「とどろき」から載せています。)

証歓喜地生安楽(歓喜地を証して安楽に生ぜんと)
顕示難行陸路苦(難行の陸路の苦しきことを顕示し)
信楽易行水道楽 (易行の水道の楽しきことを信楽せしめたまう)

釈尊に次ぐ聖者、龍樹菩薩

「歓喜地」とは、さとりの名前です。
一口にさとりといいましても、
さとりの境地には五十二の段階があり、
これをさとりの五十二位といわれます。

ちょうど相撲取りでも、下は序の口、序二段から、
上は大関、横綱まで、いろいろあるようなものです。

さとりにはそれぞれ名前がつけられており、
一段目を初信、二段目を二信。三信、四信と続き、
十段目を十信といわれます。
二十段目を十住、三十段目を十行、
四十段目を十回向、五十段目を十地、
五十一段目を等覚といい、
五十二段目が妙覚、すなわち仏覚です。
さとりの最高位ですから無上覚ともいわれます。

ここまでさとった人は、
地球上では釈尊以外にはありませんから、
「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」
といわれます。

その釈尊に次ぐ高いさとりを開かれた方が、
龍樹菩薩です。


厳しい仏道修行に打ち込み、龍樹菩薩は、
四十一段目、初地のさとりに到達されました。
ここまでさとると、初めて躍り上がる歓喜が
わき起こりますから、歓喜地ともいわれます。

EPSON047.jpg-1.jpg

なぜ、さとりを求めるのか
   ~仏教の目的は、後生の一大事の解決にあり

さとりとは、大宇宙の真理をさとることです。
真理といいましても、1+1=2といった数学的真理、
水は高きより低きに流れる科学的真理がありますが、
仏教でいわれる真理は、苦しみ悩みを解決し、
本当の幸福になれる真理のことです。

人生は苦なり
と釈尊が喝破なされたように、
科学や医学は長足の進歩を遂げましたが、
人間の苦悩は少しも減ってはいません。
「有れば有ることで苦しみ、無ければ無いことに苦しむ」
の仏語のとおり、物や金の有無に関係なく、
人々は苦しんでいます。
しかも皆、その解決の糸口さえ見つからぬまま、
最も忌み嫌う(いみきらう)死へと向かっているのです。

死後や後生を聞くと、
30年も50年も先のことのように思ったり、
自分と関係ないことのよ
うに思う人がありますが、
とんでもない考え違いです。

吸った息が吐き出せない時、
吐いた息が吸えなかった時が、
取り返しのつかない価値を持ち、
吸う息、吐く息が後生と密着しているのです。
こんな切り詰めた現実問題はありません。

後の世と 聞けば遠きに 似たれども
知らずや今日も その日なるらん

の古歌のとおりです。

ところが迷いの深い私たちは、
この厳粛な事実を忘れて、
名誉を追って走り、財産を得ようとして争い、
愛欲におぼれて喜び、酒に飲まれて騒いでいます。
当てにならぬシャボン玉のような楽しみに希望をつなぎ、
執着して、罪悪を積み重ねています。
妻子や財産といった不安なものを信頼し切っています。
そして足下に迫る業火に気がつかないのです。
こんな危ないことがあるでしょうか。
しかもお釈迦さまは、
「苦より苦に入り、冥より冥に入る」(大無量寿経)
と説かれています。
この世の苦から未来の苦へ、
何のために生きているのか分からぬ暗い人生から、
真っ暗な後生へ飛び込んでいかねばならぬ一大事があると
警鐘乱打なされています。

これを仏教で後生の一大事といわれます。

古来、高僧たちが妻子や財宝一切を捨てて、
入山学道しているのも、この一大事に驚き、
その解決のためにさとりを求めてのことなのです。

達磨や智者でも

ダルマ人形のモデルとなった達磨大師は、
インドに生まれ晩年中国に渡り禅宗の祖となりました。
手足が腐り切断したといわれます。
ところが、その達磨のさとりも三十段程度といわれます。

EPSON048.jpg-1.jpg
また中国天台宗を開いた智顗(智者)は臨終、弟子に、
「師は、いずれの位までさとられたのか」
と問われ、
「ただ五品弟子位あるのみ」
と告白しています。
一宗一派を開いた彼でも十段に至らなかったのです。

さとりは一段違ってさえ、人間と犬猫以上に
境界(きょうがい)に差があるといわれます。

四十一段の歓喜地に到達された龍樹菩薩が、
いかに抜群の方であったか、お分かりでしょう。

歓喜地を証して安楽に生ぜん

ところが、歓喜地を証された龍樹菩薩でしたが、
いまだ魂の解決はなりませんでした。

どこかに真に救われる道はないのか。
必死に探し求めた龍樹菩薩はついに、
無上の法、阿弥陀如来の本願に巡り遇ったのです。
そして弥陀の本願力によって、
いつ死んでも安楽国(弥陀の浄土)へ生ずる、
絶対の幸福の身に救い摂られたのでした。

これはさとりの五十二位中、
五十一段めの等正覚に相当し、
必ず仏覚を開くことに定まった正定聚の位です。
ここに、絶対の弥陀の救済にあわれた龍樹菩薩の
大乗無上の法を宣説(せんぜつ)する
大活躍が始まったのです。

難行道と易行道~仏教に2つあり

EPSON049.jpg-1.jpg-1.jpg

龍樹菩薩は、仏教に2つあると教えられました。
「難行道」の仏教と「易行道」の仏教です。

難行道とは、自力修行でさとりを求める仏教のことで、
千里の遠き道を訪ねるのに、
陸路を歩むようなもの。

それに対して易行道は、阿弥陀如来の本願力によって
救われる教えです。
ちょうど水上を船に乗っていく旅のように
船頭まかせで快適です。

では二つの教えを、釈尊が説かれたのはなぜでしょうか。
龍樹菩薩は、難行道の仏教は
丈夫志幹(じょうぶしかん)の者に、
易行道の仏教は
儜弱怯劣(ねいじゃくこれつ)の者のために
説かれたのだとおっしゃっています。

丈夫志幹とは、知恵優れ、意志の強固な人のことです。
儜弱怯劣とは、悪くて弱くて卑怯で劣った者という意味です。

では龍樹さま、あなたはどちらですか、
とお尋ねすると、自分は儜弱怯劣の者だから、
易行道でなければ助からなかった、と告白されています。

初めは難行の道を求め、
歓喜地までさとられた龍樹菩薩でしたが、
本当の自己の姿を照らし出された時、
儜弱怯劣と懺悔され、弥陀の本願によらねば
救われなかったとおっしゃっているのです。

あらゆる宗派の人々から尊敬される、
八宗の祖師・龍樹菩薩にして然り。
どこに、煩悩と闘い戒律を守り、
自力修行でさとりを成就できる人がありましょう。

●14年間の修行を水泡にした、一滴の涙

刈萱道心と石童丸の話は有名です。

刈萱道心は、元は加藤左衛門繁氏といい、
筑前、筑後、肥後、肥前、大隅、
薩摩の六ヵ国の探題であった。
ある日、箱崎の桜見物に行き、
桜花爛漫と咲き誇っている下で
酒宴中、桜花の一片(ひとひら)が
杯の中に散り込んだのを見て
いたく無常を感じて帰宅した。

EPSON050.jpg-1.jpg
その夜彼は、妻の千里と二の妻須磨が、
表面は仲良さそうに一室で琴を合奏していたが、
ふと障子に映った彼女たちの頭髪が大蛇となって
かみ合っているすさまじさを見て、
このように人を大蛇にする原因は皆自分にあると
罪悪深重に驚いて、
その夜そっと家を出て、ついに高野山に入り、
真言宗の僧となり刈萱道心と名乗った。

彼が家を出た時、妻の千里に一子が宿っていた。
後の石童丸である。
大きくなった石童丸が、
「なぜ僕には父様がないの」
としきりに尋ねるので、
千里はついに一部始終を打ち明けた。
聞くより早く石童丸は父恋しい心が燃え上がり、
母とともに高野山に向かった。
しかし高野山は女人結界(にょにんけっかい)の地なので、
母は登れない。
ふもとで別れる時、
「おまえの父上は、人より背が高く、
左の眉毛にホクロのあるお方だよ」
と母は教えた。
それを頼りに石童丸は、高野山の峰や谷の寺々を
くまなく尋ね歩いたが、父らしい僧に出会うことはできなかった。
ある日、一つの橋を渡ろうとした時である。
前方から左手に花を持ち、右手に念珠を持って
南無遍照金剛を唱えながら刈萱道心が下ってきた。
何となく父上ではなかろうかと石童丸は駆け寄って、
その名を尋ねた。
道心は不審に思ってよくよく見れば、
その顔は妻と生き写しではないか。
そのうえ所持する短刀は、
まさしく自分がかつて持っていたものではないか。

EPSON051.jpg-1.jpg

 


「おお、お前は、わが子石童丸ではないか」
とあわや名乗らんとした時、
一切の恩愛を断ち切れと説く厳しい真言宗の教えを思い出し、
今、名乗れば今までの14年間の苦行は水の泡、
声なき声に戒められ、
「そなたの尋ねている刈萱道心は、去年の秋に亡くなられた」
と心を鬼にして言い切った。

一瞬泣き崩れた石童丸が、
「せめてお墓なりとも」
と頼むので道心は、
仕方なく一つの新しい墓前に連れて行った。
紅葉(もみじ)のような両手を合わせ、
ジーッと墓を見つめていた石童丸は、
やがてワッと泣き伏した。
道心は張り裂ける思いに耐えながらようやく下山させたが、
わが子の影が見えなくなると同時にその場に打ち倒れた。

石童丸が泣く泣く山を下りてみれば、
ふもとでしきりにカラスが鳴いている。
不審を抱きつつ宿に帰ってみれば、
哀れや母は病のために亡くなっていた。
やむなく一人の姉を頼りに筑前に帰ったが、
その姉もこの世を去って49日目であった。
何たることか。

そこで石童丸はいよいよ無常を痛感し、
ついに意を決し、自分も父のみ跡を慕って出家しようと、
再び高野の峰を訪ねた。
再び登山して来たわが子の姿に驚き、
一切を聞かされた刈萱道心は、
「なに、母が死に姉も死んだのか」
と思わず知らずホローッと一滴の涙を落とした。
この一滴の涙が、彼の14年間の難行を
元の木阿弥にしてしまったという。

まさに龍樹菩薩が「難行道」といわれる所以です。

●親鸞聖人のお喜び

“それなのに親鸞は、
難行道の『法華経』に20年間も迷っていた。

「難行の陸路の苦しきことを顕示し、
易行の水道の楽しきことを信楽せしめたまう」
自力でさとりを求める難行道では助からないぞ。
早く易行道の弥陀の本願を信じよ。

龍樹菩薩が、難易二道を開顕してくださっていたなればこそ、
親鸞救われたのだ。
このご恩、どうして忘れることができようか”
あふれる喜びとともに聖人は、
龍樹菩薩を褒めたたえておられるのです。


nice!(19)  トラックバック(0) 
共通テーマ:資格・学び

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。