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「わしゃ知らんぞ」の無言の説法! [妙好人]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)


親鸞聖人はご和讃に、「真の知識にあうことは

かたきが中になおかたし」と教えられています。

阿弥陀仏の御心を正しく教えてくださる先生(善知識)に

会うことは大変難しいとおっしゃったお言葉です。

その会い難い善知識を探し求めて、

北陸から四国まで旅をした山本良介という妙好人がありました。

 (妙好人とは、阿弥陀如来に救われ、周囲に強い影響を与えた人をいいます)

江戸時代の末期、金沢に住んでいた山本良介は、

後生の一大事に驚き、熱心に仏法を求めるようになった。

金沢は、敗戦直後でも連日説法する寺が十数カ所もあったという。

良介の時代はなおさらであり、町には説法があふれていた。

ところが、正しく説く人はなく、

良介が聞法を重ねていくと、「この方こそ」と

話を聞いていた人が、自力他力の水際を明らかに

説き切られる方ではない、と分かってしまうのである。

「何とか善知識にお会いして、導きを受けたい」

金沢中を探し回り、北陸近辺を必死に求めたが、

善知識に会うことはできなかった。

「ああ、どこかにまことの方はおられないのか。

このまま一息切れれば、後生は一大事。

信仰の徹底した方に会いさえすれば・・・」

だが、月日だけが矢のように過ぎていく。

ある日の説教のあと、「今日の布教使もだめだった」と、

がっくりと肩を落としていた良介は、

思わず隣の法友に、こう尋ねた。

「なあおまえ、真実の仏法を説き切られる偉い先生を、

だれか知らないか」

すると友人は、

「風の便りに聞いた話しじゃが、

何でも讃岐国(香川県)に、

庄松同行といって真実信心の徹底した

妙好人がいるそうじゃが・・・」

「それは、まことか」

良介は小躍りして喜んだ。

讃岐までの道のりは遠く、途中、

瀬戸内海を渡っていかねばならない。

山賊に遭って命を落とす者もあった。

今生の別れかもしれぬと、家族と水杯を交わし、

良介は四国を目指して旅立った。

やがて長い旅を終えて、讃岐の庄松同行の家に着いたのは

暑い夏のころだった。

質素なたたずまいに戸惑いつつ、玄関から中をのぞくと、

奥に一人の男が横になっている。

「ここは庄松同行のお宅でしょうか」

良介が尋ねると、男は振り向いてジロリと見ながら、

「そうじゃ」と無愛想に答えた。

良介は早速、「私は金沢から来た山本良介という者ですが、

北陸に信心の徹底した善知識はおられず、

皆、悪知識ばかりでした。

どうか私に真実の教えを聞かせてください

と懇願した。

ところが庄松は再びジロッと見て、

わしゃ知らんぞ

と言ったきり、向こうを向いて寝てしまったのである。

 

「わしゃ知らんぞ」の無言の説法

 

良介は、庄松同行の意外な対応に当惑した。

〝頼み方が悪かったのだろうか・・・。

やはり、後生の一大事を聞かせていただくのに、

立ったままお願いしたのは失礼だった〟

と思い直し、玄関に座って、手を突いた。

私は、お同行にお会いしたい一心で、

家族と水杯を交わしてやってまいりました。

どうか、後生の一大事、解決の道をお聞かせください

ところが庄松同行は、「おら知らんぞ」と

繰り返すのみだった。

〝まだ頼み方が悪いのだろうか〟

と良介は思った。

どうか、どうか真実の仏法をお聞かせください。

私は北陸中を探し歩きましたが、

善知識にお会いできませんでした。

今、お同行から聞かせていただけなければ、

後生は一大事です。お願いします

良介は何度も手を突き頭を下げた。

夜を徹して真剣に頼んだが、庄松同行は、

無言のまま横になっているばかりだった。

ついに夜明けごろ、精も根も尽き果てた良介は、

〝庄松同行に会いさえすれば・・・〟

と思っていた最後の望みも断たれ、

「地獄よりほかに行き場のない極悪人であった!」

と知らされた一念、

「地獄一定のおまえを助ける弥陀じゃ!!」

という阿弥陀仏の大慈悲心が徹底したのである。

ああ、弥陀の本願まことだった、まことだった・・・

良介は躍り上がって喜んだ。

今まで横になっていた庄松同行も跳ね起きて、

玄関に跳び下り、

「よく聞き抜かれたなぁ」

と、良介と抱き合って喜んだという。

それまで、庄松は一睡もせずに、良介が信心決定するのを

念じ続けていたのである。

庄松同行は、玄関に立った良介を一目見て、

「善知識に会いさえすれば救われる」

という自力我慢の心を捨てない限り、

信心決定できないと見抜いた。

「わしゃ知らんぞ」という冷たく聞こえる言葉は、

〝その自力の心を捨てよ〟という厳しい説法だったのだ。

かつて同じ道を通った庄松だからこそ、

良介の求道のガンを見抜き、適切な教導を与えることが

できたのであろう。

     ・      ・

本懐を遂げた山本良介は金沢へ帰り、弥陀の本願まことを伝え、

大活躍したといわれます。

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こうまでしていただかねば、仏法を聞く私ではなかった [妙好人]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)

「こうまでしていただかねば、

     仏法を聞く私ではなかった」

          ~六連島のお軽

 

江戸時代末期、山口県六連島(むつれじま)にお軽という

妙好人がありました。

(妙好人とは、阿弥陀如来に救われ、周囲に強い影響を与えた人をいいます。)

勝ち気な性格で、なかなか仏法を聞こうとしなかったお軽が、

どのようにして弥陀の本願を喜ぶ身に

生まれ変わったのでしょうか。

 

    ・     ・     ・

男勝りの性格で、村の若者たちから煙たがられていたお軽も、

19歳の時、幸七(こうしち)という青年を婿養子に迎えると、

別人のようにかいがいしく夫に仕えた。

だが、幸せな時期は長くは続かない。

夫の孝七は、芋やごぼうを舟に積み、

たびたび九州筑前に行商に出掛けていたが、

いつしか家を出たっきり、なかなか戻らなくなったのだ。

「さては、ほかに女が・・・」。

事情を察したお軽の怒りはすさまじかった。

「一緒に作った野菜を売って、別の女に入れ揚げるなんて・・・

許せない、絶対に許せない」

ひょっこり帰ってきた夫を船着き場で激しく罵倒することも

たびたびだった。

だが、幸七の放蕩は止まらない。

あまりの苦しみからお軽は、ついぞ足を運んだことのない

手次の寺の門をたたいた。

思いのままに怒りをぶちまけるお軽を、

和尚はこんこんと諭す。

「お軽!おまえの怒るのも無理はない。

だがな、それが浮世というものなのじゃ。

しかし妻を捨て、わが子を顧みない幸七に、

本当の楽しみなどあると思うか。

今おまえの夫は、色欲でもだえ苦しみ、

行きながら地獄に堕ちているのじゃ」

「確かにそうかもしれませんが・・・」

落ち着きを見せ始めたお軽の様子を見た住職は、

ここだとばかりひざをたたき、

お軽。考えてみると今回のことは、

おまえを仏法に導くための仏さまの

ご方便だったのかもしれんぞ。

こんなことがなければ、あんたは仏法を

聞くような人ではないじゃろう」。

さらに和尚は、〝火宅無常の世界は、万のこと皆もって

空事・たわごと・真実(まこと)あること無し〟と

祖師聖人もおおせになっている。

苦しいだろうがなあ、お軽、今のおまえの苦しみを

一滴の水とすれば、後生の苦しみは、

大海のごとしと教えられるのじゃ。

大慈大悲の阿弥陀如来の救いにあずかって、

未来永劫の幸福を頂きたいとは思わぬか」。

しかし、和尚さん。私のような愚痴いっぱいの

悪い女が、助けてもらえる道理がないでしょう

いやいや、大宇宙の諸仏にも見捨てられたわれら凡夫を、

阿弥陀如来だけが、『かわいい』と言われ、

命を懸けて、『必ず助ける』と誓っておられるのじゃぞ。

欲や怒り、愚痴のかたまりの、助かる縁の尽きた者こそ、

もったいなくも阿弥陀如来のお目当てじゃ

お軽は、思わず和尚の前にすり寄ってきた。

和尚さん、よく分かりました。

もっと詳しく尊い阿弥陀如来のご本願をお聞かせください

かくて、お軽の聞法求道が始まったのである。

 

「聞いてみなんせまことの道を

  無理な教えじゃないわいな」

 

夫の放蕩が縁となり、お軽の聞法求道が始まった。

法話があれば、船に乗り北九州や下関にも足を運んでいる。

だが聞法はいばらの道。

聴聞を重ねれば重ねるほど、お軽は、

まことを聞く耳のない自己の姿にあきれるのだった。

その信前(阿弥陀如来に救われる前)の胸中を、

後にこのように歌っている。

こうにも聞こえにゃ聞かぬがましか

聞かにゃ苦労はせまいといえど

聞かにゃ堕ちるし、聞きゃ苦労

今の苦労が先での楽と

気休めいえども気が済まぬ

済まぬまんまとすましにかかりゃ

雑修自力とはねだされ

どうして他力になるのじゃろ

まこと聞くのがお前はいやか

何が望みであるぞいな

屍のような心をたたいて、お軽は泣いた。

そして、ある日、お軽の求道に拍車をかける事件が起きる。

夫の幸七が畑仕事の最中にバッタリ倒れ、

そのまま帰らぬ人となったのである。

出息入息不待命終(しゅっそくにゅうそくふたいみょうじゅう)」

仏説そのままの激しい無常を眼前にしたお軽は、

居ても立ってもおれない。

聞法心に火がついた。

夫の葬式をすべて親類に任せ、京の町を善知識を求めて

駆けずり回ったのである。

だが、どれだけ血眼になって訪ね歩いても、

ついに善知識に巡り会うことはできなかった。

よくよく仏縁のないわが身に絶望し、

その場に泣き崩れるのであった。

自力間に合わなかったと、助かる望みが断ち切られ、

無間のドン底へたたき堕とされたその時、

十劫以来、呼び続けてくだされていた阿弥陀仏の御声が、

お軽の五臓六腑を貫いた。

阿弥陀如来に救い摂られ、心も言葉も絶えた世界に

躍り上がったのである。

その驚天動地の世界をこのように表している。

自力さらばといとまをやって

ワシが心と手をたたきで

たった一声聞いたのが

その一声千人力

四の五の言うたは昔のことよ

何にも言わぬがこっちの儲け

そのまま来いの勅命に

いかなるお軽も頭が下がる

聞いてみなんせまことの道

無理な教えじゃないわいな

〝こうまでしてくだされなければ、

仏法を聞く私ではなかった〟

と、お軽はそれまでの一切の境遇を、

如来のご方便と感謝するようになった。

そして生涯、村人たちに真実信心を説き続けたのである。

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