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なぜ死んではいけないの? [なぜ生きる]

動画を観られるとよく分かると思います。

(真実の仏法を説いてくださっています)

 また、真実の仏法は慈悲でいっぱいなので癒されますし、

 生活の指針にもなるので役立ちます。

 そういう意味でも見られるといいですよ。


 【なぜ自殺してはいけないのか】.世の中によくある3つの答えと仏教の答え


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日本の自殺者は毎年三万人前後います。
毎日、九十人もの人が、
自らの命を絶っていることになります。
「こんなに苦しいのなら、死んだ方がましだ」と
考えている自殺予備軍は、その何倍いるか分かりません。
「死なないで。頑張って生きよう」と言われます。
では、何故死んではならないのでしょう。
生きて、本当に幸せになれるのでしょうか。
親鸞聖人にお聞きしましょう。


●私の命が尊いと思えない
        なぜ、命は大切なの?

命は大切だ。命を大切に。
そんなこと何千回何万回言われるより
「あなたが大切だ」
誰かがそう言ってくれたら
それだけで生きていける。

          (公共広告機構のCM)

テレビで流れるこの言葉にドキッとした人も
多いのではないでしょうか。

「かけがえのない命を粗末にしてはいけない」
とよく言われます。
しかし、心から、「私の命は大切だ」
と実感している人は、
一体どれだけいるのでしょうか。


『朝日新聞』に、こんな投書が寄せられました。

着たくもない窮屈な制服着せられて、
受けたくもないつまらない授業を受けさせられて、
やりたくもない部活をやらされて、
家に帰っても宿題とか家事とかいっぱいあって、
だーれも生きた心地なんてしていないのに、
『命の大切さ』なんて口先だけで教えられたって
実感なんて持てない

              (高校生17歳 千葉県)

自殺や人命軽視の事件が起きるたび、
「命の尊さを伝えなければ」と繰り返されています。
ところが「命を大事にしよう」「自殺してはダメ」
と生徒に広言していた校長先生や、
大衆に訴えていた著名人までもが、
自身が耐えがたい困難に直面した時、死を選ぶ。

「あれは建前だったの?」
と子供でも思ってしまいます。


夫を自殺で亡くしたある女性は、
「夫は私に、『自殺は絶対にいけないことだ』
と言っていた人だったから、
絶対に立ち直ってくれると思っていました。」
と書いています。

他人の自殺を止めている人も、
「だから命は大切だ」という明確な解答を
持ち合わせてはいないようです。

自殺する人を止める人も、
命の重さが分からない。

地球より重い私の命だと納得できれば、
自ら捨てようとはしないはずです。


一億円の宝くじの当選券を大事にするのは、
一生働いても得られない価値があると思うからでしょう。
ハズレくじなら、ゴミ箱へ直行、
割れたコップや修理の利かないパソコンなどと同様に、
価値のないものは捨てられます。

自分の命が地球よりも重いと知れば、
「ハズレくじ」を捨てるようにビルから身を投げたり、
「一人じゃ寂しいから」と他人を誘ってまで自殺することも、
できるはずがありません。



なぜ命は尊いのか。
死を急ぐ人たちが最も知りたいのは、
尊厳なる生命の理由でしょう


●生まれてよかった、という喜びはどこに?

自分の命が大事だと思えないのは、
「生きてきてよかった」
という喜びがないからではないでしょうか。


親鸞聖人は、人生を海に例えて、
「難度海」とか、「苦海」と言われています。
苦しみの悩みが絶えない、渡り難い海だということです。
生きることは、確かにつらい。
私たちは生まれた時、人生の荒波に投げ込まれ、
その瞬間から絶えず泳ぐことを強いられます。


学生時代は必死に勉強、社会に出れば、死ぬ気で働く。
学歴競争、出世競争は激しく、出世どころか、
リストラの嵐で職場に生き残ることさえ難しい。
子どもの数が減って進学しやすくなったはずなのに、
大学入試までの教育費は増えているという。
晩婚化、少子化が進んだのは、
結婚、子育ての厳しい現実と
無縁ではないでしょう。
また、家庭や職場でのいざこざ、
成績不振、思わぬ病気や事故、
愛する人との突然の別離、金銭トラブルなど、
一つの苦しみを乗り越えても、
すぐに別の苦しみがやってくる。

時には、同時に幾つもの大波が襲ってきて、
「ああ、もう嫌だ」と投げ出したくなる。
「こんな人生なら、いっそ死んだほうが」
と一度も考えたことのない人はいるのでしょうか。

今、地獄のようなつらさを味わっている人にとって、
「死ぬな」「頑張って生きよ」の連呼は、
「もっと苦しめ」というのろいの言葉としか
聞こえないのではないでしょうか。


●教えて、生きる理由を
      ネット自殺者の叫び

平成十年十月、集団ネット自殺で女性の友人を亡くした
フリーライターの渋井哲也さんは、事前に自殺の計画を
打ち明けられながら、止めることができなかった。
と告白しています。
            (NHK教育テレビ『ネット自殺を追う』より)

彼が自殺を思いとどまらせようとした時、
その女性は、
「楽しいことがないのに、
どうして生きる理由があるの?」
と問います。
その疑問に満足の行く答えを返せなかったことを、
彼は悔やみました。


別の女性は、
「なぜ死にたいのか」
という質問に、
「なぜ死にたいか、ではなく、
なぜ生きなければならないのか、という気持ち」

と答えています。

苦しみに耐えて、なぜ生きねばならないか。
皆、その答えを切望しているのです。

どう自殺を止めるのか、
景気の回復、うつ病の早期発見・治療、
相談機関の増設などの手段は論じられていますが、
「なぜ死んではならないのか」という根本の確認は、
少しもなされていないようです。

肝心の「苦しくても生きねばならない理由」が抜け落ちた
議論が続くだけでは、
適切な防止策も立てようがないでしょう。


「もしあの時、死んでいたら、
この幸せにはなれなかった」
という身になってこそ、
「死ななくてよかった」と
心から喜べるのではないでしょうか。
「人生には、素晴らしい目的がある。
どんなに苦しくても生き抜かなければ」
と、人生の目的が鮮明になってこそ、
生命の尊厳が知らされるのです。
あらゆる困難を乗り越えて、
「よし、生きよう」
という心の力がわいてくるのです。





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(親鸞聖人)


●人生の目的
     親鸞聖人の宣言

たとえ、汗と涙で築いた全財産を失い、
最愛の人と別れ、重い病に倒れても、
`人間に生まれてよかった。
この身になるための人生だった。’
と知らされる生命の歓喜はあるのでしょうか。
生きる目的は何か。
親鸞聖人の解答は、
揺るがぬ確信と勇気に満ちています。


「難思の弘誓は難度海を度する大船、
無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」

           (教行信証)

阿弥陀仏の誓願(難思の弘誓)は、
私たちの苦悩の根源である無明の闇を破り、
苦しみの波の絶えない人生の海を、
明るく楽しくわたす大船である。
この船に乗ることこそが人生の目的だ。”


「苦海をわたす大船に乗ること」とは、
「苦悩の根源を破られ、`よくぞ人間に生まれたものぞ'
と生命の大歓喜を得ること」です。

これこそ、親鸞聖人九十年のご生涯を貫くメッセージであり、
今日、聖人が世界の光と讃仰(さんごう)される理由なのです。

●生命の大歓喜
      人身受け難し、今已受く

「人間に生まれたのは、これ一つのためだった」と
人生の目的を果たさせていただいた時こそ、
「死んだほうがましだ、と何度思ったことか。
でも生きてきてよかった」
という心からの喜び、満足が起きるのです。


二千六百年前、仏教を説かれたお釈迦さまは、
人身受け難し、今已受く。
仏法聞き難し、今已聞く

`生まれ難い人間に生まれてよかった。
聞き難い仏法を聞けてよかった
'
とおっしゃっています。

仏法を聞き求め、
人生の目的を達成させていただいた時にこそ、
生命の大歓喜がわき上がるのだと
教えられているのです。

親鸞聖人は、その感動を次のように叫び上げられています。


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(親鸞聖人)


「噫、弘誓の強縁は多生にも値(もうあ)いがたく、
真実の浄心は億劫にも獲がたし。
遇行信(たまたまぎょうしん)を獲ば、
遠く宿縁を慶べ。
もしまたこのたび疑網(ぎもう)に覆蔽(ふくへい)せられなば
更(かえ)りてまた昿劫(こうごう)を逕歴(きょうりゃく)せん。
誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、
聞思して遅慮することなかれ。」

                 (教行信証)

ああ・・・何という不思議、
親鸞は今、多生億劫の永い間、
求め続けてきた歓喜の生命を
得ることができた。
これは全く、阿弥陀仏の強いお力によってであった。
深く感謝せずにはおれない。
もし今生も、無明の闇の晴れぬままで
終わっていたら、
未来永遠、浮かぶことはなかったであろう。
何とか早くこの真実、みんなに伝えたい。
知らせねばならぬ。
こんな広大無辺な世界のあることを。


「ああ!」というのは、
かつて体験したことのない驚きと喜びの、
言葉にならぬ感嘆です。
「弘誓の強縁」とは、
何としても苦しみの根元を断ち切り、
人生の目的を果たさせたい。
という阿弥陀仏の誓願をいい、
その誓いどおりに、
苦しみの根元が断ち切られて、
人生の目的成就した歓喜の生命を、
「真実の浄心」と言われています。
それはもう、
百年や二百年で求められる
ちっぽけな幸せではなかった、
と知らされる
から、
「多生にもあえないことにあえた、
億劫にも獲がたいことをえた」
と言われているのです。

一生や二生どころではない、
限りない生死を繰り返し、
億劫という果てしのない遠い過去から、
求め続けてきたものが今、獲られた。

「ああ!」と驚嘆されたのも当然でしょう。
そして、しみじみ、どんな遠い過去からの阿弥陀仏の
ご配慮があったのやらと、
「遇(たまたま)行信を獲ば遠く宿縁を慶べ」
と感泣せずにはおれなかったのです。

「もしまたこのたび疑網(ぎもう)に
覆蔽(ふくへい)せられなば
更(かえ)りてまたこう劫を
きょう歴(きょうりゃく)せん」
「疑網」とは、苦悩の根元である無明の闇のことです。
“もしまた、無明の闇に晴れぬまま人生を終わっていたら、
未来永劫、苦しみ続けていたに違いない。
危ないところであったなぁ”

とおっしゃっています。

この世だけでない。
遠い過去から未来永遠にわたって、
私たちを苦しめる元凶が、無明の闇。
その無明の闇を破っていただければ、
人生の醍醐味を心行くまで味わうことができるのだから、
絶対に自殺してはいけない。
この目的を果たすまで、生き抜きなさいよ

と言われているのです。

「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、
聞思して遅慮することなかれ」
“まことだった。皆さん、聞いてもらいたい、
この親鸞が生き証人です。
早く、弥陀の誓願まことを知ってもらいたい。”

阿弥陀仏のお力によって、人生の目的を果たさせていただいた、
美しい感激に満ちた表明です。




●生きるって、なんと素晴らしいのか!

「人生には意味があるのか」
「苦しくとも生きる価値があるのか」
大人も子どもも、生きる喜びを感じられず、
現代は混迷の度を深めています。

そんな中、`何と生きることは素晴らしいことなのか・・・。'
八百年の時を超え、親鸞聖人の御声が聞こえてきます。

こんな生命の尊厳さを知れば、
なぜ自殺してはならないのか、
なぜ人命は地球よりも重いのか、
人間存在の真の意義が理解でき、
感謝と懺悔に生かされた、
明るくたくましい人生が開かれるのです。


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