SSブログ
前の3件 | -

「死んだら何もかもおしまい」じゃないよ [因果の道理]

「死んだら
何もかもおしまい」
    じゃないよ ーカルマ(業)の法則

「まいたタネは必ず生える」といわれますが、
今、私のまいているタネ(業・カルマ)が生きている間に
結果を現さなかったら、タネは消えてしまうのでしょうか。
その疑問にお答えします。

●「逃げ得」ということもある?

中国の顔回という人は孔子の門弟で最高の人格者でしたが、
極貧の生活で、しかも夭折した。
一方、盗跖(とうせき)という大泥棒は悪事の限りを尽くしましたが、
生涯、富貴栄華を極めて死んだ。
2人の人生を対照して孔子は「ああ、天われを亡ぼせり、
天われを亡ぼせり」(一体どうなってるんだ!)
と嘆いています。
実際、幾ら真面目に仕事をしているからといっても
必ず成功するものでもないし、
悪人だからといって、必ず不成功に終わるとも言い切れません。
善人の失敗者も多いですが、悪人の成功者も少なくありません。
罪を犯しても一生逃げ通せば「逃げ得」もあるのか、
仏教ではどう教えるのでしょう。

●三世を知れば、ナゾが解ける

お釈迦さまはこのような疑問に対して、
過去、現在、未来の「三世」の実在を説き、
それを貫く因果の法則を示されています。
私たちの生命は、とうとうと流れる大河のようなものだと
仏教では説かれています。
永遠の生命の流れから見れば、80年~100年の人生は、
大河にポッとできた泡がしばらく流れて
パッと消えていくのに例えられるでしょう。
その果てしない生命の流れの中で、
人間に生まれる前を「過去世」(前世)といい、
生まれてから死ぬまでを「現在世」(現世)、
死んだあとを「未来世」(来世・後生)といわれます。
この三世にわたって説かれているのが、
仏教の「因果の道理」です。

●未来の結果を知りたければ・・・

「過去世や未来世なんて、本当にあるの?」
と思われる方もあるでしょう。
しかし私たちが生まれたということは、紛れもない結果です。
しかも地球上、70億の人はあっても、生まれた時も所も、
容姿も才能も同じ人は一人もいません。
その運命の違いは何によって決まったのでしょうか。
これについてもお釈迦さまは、こう説かれています。
「汝ら、過去の因を知らんと欲すれば現在の果を見よ。
未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ」
(過去、どんなタネまきをしてきたかを知りたければ、
現在の結果をみなさい。
未来、どんな結果が現れるか知りたければ、
現在のタネまきを見なさい。分かるであろう)

●肉体が滅んでも続くものがある

このお釈迦さまの教えによれば、
一人一人の生まれた結果が異なるのは、
70億人それぞれに、生まれる前の人それぞれ
異なる原因があったからです。
私たちの過去世のタネまきが現在の私たちの結果を生み出したのです。
当然、過去世があるように、未来世もあります。
私たちのまいたタネ(業・カルマ)は、
永遠の生命の大河を流れ、肉体が生まれ変わっても、
業は相続されていくのです。
その不滅の業力(業因)が、死んだあとも残り、
縁に触れて結果を引き起こすのですから、
この世で悪事を造って、たとえ現世で悪果が現れなかったとしても、
その報いは死後に必ず受けなければならないのです。


nice!(0) 
共通テーマ:資格・学び

疑謗破滅、盛んな悪世 [一向専念無量寿仏]

五濁の時機いたりては
道俗ともにあらそいて
念仏信ずるひとをみて
疑謗破滅(ぎほうはめつ)さかりなり
       (正像末和讃)
これは親鸞聖人が書き記されたご和讃の一つです。
和讃とは、仮名交じりの4行詩で教えを説かれたものをいいます。

最初の「五濁」とは、「五濁悪世」のことで、
四方八方愁苦に満ちた世の中の、
古今東西変わらぬ実態をいわれたものです。
今日も、地震や津波、台風、洪水などの自然災害は絶えず、
テロや大事故、親殺し、子殺しが、日々報じられています。

今年の7月26日、神奈川県相模原市の障害者施設で、
19名が死亡、26名が重軽傷を負う戦後最悪の殺人事件が起きた。
寝静まった深夜に施設に入り込み、
障害者を刃物で次々と切りつけた元職員の男は
「障害者なんていなくなればいい」と語っていたという。

フランスのニースでは7月14日に、
花火大会の観光客を狙ったテロ事件が発生。
犯人は、大型トラックで花火見物の群衆に突っ込み、
約2キロにわたって次々とはね飛ばした。
未成年者10名を含む84名が亡くなり、
負傷者は200名を超えた。

アメリカのフロリダ州では6月12日、
アメリカ史上最悪となる銃乱射事件で49名が亡くなり、
53名が負傷する大惨事が起きた。

不安を除き、生活を豊かにするために、政治や経済、
科学や医学は努めてきましたが、人々の苦悩は絶えることがなく、
2600年前のお釈迦さまの時代も、親鸞聖人の800年前も、
今日も、「五濁悪世(ごじょくあくせ)」の現実は少しも変わりません。
「道俗ともにあらそいて」とは、「道(どう)」は僧侶、
「俗」は俗人(在家の人)のことですから、
「道俗」で世間中の人々という意味です。
世間中が一緒になって、「念仏信ずる人」を激しく「疑謗破滅」してくる、
と聖人は仰っているのですが、一体、どういうことなのでしょうか。

●「念仏信ずる人」とは

まず「念仏信ずる人」についてお話ししましょう。
ここで「念仏」といわれているのは、「南無阿弥陀仏」のことです。

「南無阿弥陀仏」とは何か。
蓮如上人は『御文章』に、次のように教えられています。

「南無阿弥陀仏」と申す文字は、その数わずかに六字なれば、
さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、
この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大なること、
更にその極まりなきものなり   
(御文章五帖目十三通)

(南無阿弥陀仏といえば、字数はわずか六字であるから、
そんなすごい力があるとは誰も思えないだろう。
だがそれは猫に小判、豚に真珠といわれるように、
南無阿弥陀仏(六字の名号)の真価を知る知恵がないからである。
本当な南無阿弥陀仏の六字の中には、
どんな人をも無上の幸福にする、
釈迦も説き尽くせなかった計り知れないお力があるのである。)

「南無阿弥陀仏」とは、五濁悪世で苦悩にあえぐ
私たちを絶対の幸福に救うために、
本師本仏の阿弥陀仏が完成された、
大宇宙の功徳(宝)の結晶なのです。

そして、私たちを助ける力があるのは、
大宇宙広しといえども、阿弥陀仏の創られた
南無阿弥陀仏(名号)以外にないことを、
蓮如上人は『御文章』に次のように仰っています。

それ十悪・五逆の罪人も、ー乃至ー空しく皆十方・三世の諸仏の
悲願に洩れて、捨て果てられたる我ら如きの凡夫なり。
然れば、ここに弥陀如来と申すは、
三世十方の諸仏の本師・本仏なれば、ー乃至ー弥陀にかぎりて、
「われひとり助けん」という超世の大願を発して、
われら一切衆生を平等に救わんと誓いたまいて、
無上の誓願を発して、已に阿弥陀仏と成りましましけり

                 (御文章二帖目八通)
(すべての人は三世・十方の諸仏から、
「助ける縁なき者」と捨てられた極悪人である。
そんな私たちを本師本仏の阿弥陀如来のみが、
ただ一人「私が助けよう」と奮い立たれて崇高な大願を建てられた。
そして、自身の誓いを果たさんがため、
どんな極悪人も助ける力のある名号(南無阿弥陀仏)を完成し、
万人にその名号を与えて救う準備は、
すでに完了されているのである。)

では、“念仏(南無阿弥陀仏)を信ずる”とは、
どういうことなのでしょうか。
それは、南無阿弥陀仏の大功徳を阿弥陀仏から受け取ったことで、
これを「信心獲得」といわれます。
蓮如上人はこのことを、

信心獲得すというは、第十八の願を心得るなり。
この願を心得るというは、南無阿弥陀仏のすがたを心得るなり

              (御文章五帖目五通)
と教示されています。

南無阿弥陀仏の偉大な働きを以前に詳説したように、
この六字の名号には、私たちを絶対の幸福に助ける無限のお力があります。
ですから、私たちが南無阿弥陀仏を弥陀より賜った一念に、
最高無上の幸せになれるのです。
もちろん、死んでからのことではありません。
現在ただ今の救いですから、弥陀の救いを「平生業成」といわれるのです。

「念仏信ずる人」と親鸞聖人が仰っているのは、
弥陀より名号を賜って、絶対の幸福に救い摂られた人のことであり、
「弥陀より他に我々を助ける力のある仏はなかった」と信知させられ、
「一向専念無量寿仏」を伝える人のことです。
それは、聖人ご自身のことでもあります。

●仏教の結論「一向専念 無量寿仏」

「一向専念無量寿仏」とは、お釈迦さまのお言葉です。
無量寿仏は阿弥陀仏のことですから、
阿弥陀仏以外に助けてくださるお方はないから
弥陀に一向専念せよ、必ず絶対の幸福に救われると釈迦は、
仏教の結論として教えられたのです。
ゆえに、親鸞聖人の「一向専念無量寿仏」のご布教は、
徹底したものでした。
なぜなら、死んで浄土に往生できるか否かは、
「生きている今、弥陀に一向専念するか、否か」で決するからです。

そのことを、
一向専念の義は、往生の肝腑(かんぷ)、自宗の骨目なり
とズバリ喝破されています。

また、次のようにも仰せです。

かなしきかなやこのごろの
和国の道俗みなともに
仏教の威儀をもととして
天地の鬼神を尊敬す
 (悲歎述懐和讃)

(なんと悲しいことか、国中の僧侶も在家の者も、
外面は仏法者を装っているが、内心は天地の鬼神を敬っている)

僧侶は、衣を着て寺に住まいをして、仏法者の格好だけはしている。
門徒も家には仏壇があり、葬式は寺で勤め、
仏教信者のようにふるまっている。
しかし実態はどうか。僧俗ともに、「一向専念無量寿仏」の教えに背いて
鬼神を信仰し、敬い頭を下げて、現世利益を祈っている者ばかり
であるこを嘆かれています。

浄土真宗が世間から「一向宗」とまでいわれるようになったのも、
親鸞聖人がこのように、一向専念の教えを徹底していかれたからなのです。
その「念仏信ずる人」を、世間中が激しく疑謗破滅してくる、と
言われているのが、
「念仏信ずるひとをみて、疑謗破滅さかりなり」
の聖人のお言葉です。

「疑謗破滅」とは、「疑」は疑う、「謗」は謗る、
「破滅」とは妨害・迫害すること。
今日は「世界の光」と仰がれる親鸞聖人ですが、当時、
どのような疑謗破滅を受けられたのでしょうか。

●親鸞さまの受けられた疑謗破滅

親鸞聖人は、29歳の御時、法然上人に巡り会われ、
本当の仏教、阿弥陀仏の本願を聞かれるようになりました。
そして、弥陀の本願によって絶対の幸福(往生一定)に救い摂られたのです。
すぐに法然上人のお弟子となられた親鸞聖人は、
「一向専念無量寿仏」の布教活動に挺身(ていしん)されています。

31歳の肉食妻帯は、すべての人を救い切る弥陀の大願の、
破天荒の布教でありましたが、それは「狂人」「悪魔」「堕落坊主」と、
世間中から集中攻撃の的となっていった。

また当時、弥陀一仏の救いを説かれる京都吉水の法然上人の元へは、
農民、町民、武士や貴族など、あらゆる人々が群参し、
法然上人の信奉者が急増。
ところが法然一門の急速な発展に恐れを成した南都(奈良・興福寺)や
北嶺(比叡山・延暦寺)などの仏教各派は、
強い危機感を抱き、やがて聖道諸宗が一丸となり、
前代未聞の朝廷への直訴となった。
その結果、承元元年(1207)2月、念仏は停止、
「一向専念無量寿仏」の布教は禁止、吉水の法然門下は解散。
法然上人は四国の土佐(高知県)へ流刑、
お弟子四人が死罪、親鸞聖人を含む7人が遠流となっています。

IMG_20161212_0007.jpg-1.jpg

親鸞聖人には、初め死刑の判決が下りましたが、
関白九条兼実公の計らいで、辛くも流刑となった。
聖道諸宗と権力者が結託しての日本仏教史上かつてない大弾圧は
「承元の法難」と今日いわれています。
聖人35歳の時のことでした。
流刑の地、越後(新潟県)で5年を過ごされた聖人は、
40歳を過ぎてから関東へ。その関東布教も、
吹きすさぶ逆風の中の20年でした。

還暦を過ぎてから生まれ故郷の京都に戻られた晩年の聖人にも、
疑謗破滅は止むことはなかった。
84歳の老聖人に、ご長男の善鸞を義絶せねばならぬという
悲しい事件が起きたのです。
信頼して関東に残してきた長子・善鸞が、事もあろうに
「一向専念無量寿仏」の教えを破壊していると知られた聖人は、
何度もいさめの手紙を出されました。
しかし、善鸞は一向に改めない。
今はこれまで。わが子のために大衆を地獄へ堕とすことはできぬと、
断腸の思いでついに義絶。
親子の縁を切ってまで聖人は、
弥陀の本願の真実を護り抜いてくださったのです。
悲憤の涙でつづられた義絶状にも、世人の嘲笑罵倒が湧き上がった。
「家庭を破壊して、何の仏法か」
「わが子さえ導けぬ親鸞に、人が導けるか」
仏法を家庭円満の道具のように誤解し、
弥陀の本願を知らぬ人たちには、
格好の攻撃材料だったに違いありません。
聖人90年の波乱万丈で、最もつらい非難だったでありましょう。

●蓮如上人への非難攻撃

激しい疑謗破滅は、親鸞聖人のみならず、
500年前の蓮如上人にも襲いかかりました。
「一向専念」について、蓮如上人は『御文章』に
次のように教えられています。

心を一にして、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、
更に余の方へ心をふらず、一心一向に、
「仏助けたまえ」と申さん衆生をば、
たとい罪業は深重なりとも、必ず弥陀如来は救いましますべし

              (御文章五帖目一通)

阿弥陀仏以外に私たちを助ける力のある仏はないのだから、
弥陀一仏に向き、信じなさいよ、と懇切にご教示くださっています。

蓮如上人が43歳で法主に就任された当時の本願寺は、
本堂はわずか三間四面、比叡山延暦寺の末寺として、
辛うじて存続を許されている状況だった。
親鸞聖人のみ教え徹底に立ち上がられた蓮如上人は、
本堂から天台色を一掃され、親鸞聖人のみ教えどおり、
阿弥陀仏以外の仏や菩薩、神の木像、絵像を撤廃し、
「南無阿弥陀仏」の名号のみを御本尊とされた。

その後、上人の卓越したご布教により、本願寺は急速に発展。
一方の天台宗・延暦寺は、支配地が次々に浄土真宗に変わって
収入が減り、不満が鬱積していった。

IMG_20161212_0009.jpg-1.jpg

寛正6年(1465)、ついに暴徒化した叡山の僧兵らが本願寺を襲い、
完全に破壊した(寛正の法難)。
辛うじて難を逃れられた蓮如上人は、その後、
畿内各地を転々と布教される。
僧兵たちは執拗に上人のお命を狙い続けた。
ご説法中の襲撃も数知れない。
橋の下や洞窟に身を隠されたり、
農家がもみ殻やぬかを捨てる穴に潜まれることもあった。
「蓮如の首を取った者には、賞金を与える」
比叡山は、こんな高札をほうぼうに立てて、
村人にまで上人を狙わせた。
滋賀県山間部の日野町に、次のような話が伝えられている。

蓮如上人が、日野町の正崇寺へご布教に赴かれた時、
賞金に目がくらんだ豪族が、
上人殺害を企てているとの知らせが入った。
上人は、お弟子の誘導で、6キロ山手の寺に避難されたが、
間もなく敵が追ってきたので、再び3キロ先の寺に行かれた。
そこにも敵が迫り、さらに5キロ先の険しい山奥へと入られた。
夜も更け、蓮如上人も大変お疲れになっている。
お休みいただく所はなかろうかとお弟子が山中を探すと、
炭焼き窯があった。
山肌に大きな穴が開いたような窯の中へ上人は入られ、
お弟子が炭焼き人に変装して、明け方まで窯の前で見張りをし、
お護りしたという。

IMG_20161212_0010.jpg-1.jpg

生命の危機が迫りながらも、蓮如上人は各地を布教に歩かれ、
熱烈に弥陀の本願を徹底していかれたことが、
アニメ映画『なぜ生きる━蓮如上人と吉崎炎上』に描かれています。

このように、「弥陀の本願以外に助かる道なし」と
一向専念無量寿仏を徹底して伝える人に、
激しい非難攻撃のあることを、釈迦は2600年前に既に教えられ、
親鸞聖人も、
「お釈迦さまの仰せのとおりであったなぁ」
と、ご和讃に、
五濁の時機いたりては
道俗ともにあらそいて
念仏信ずるひとをみて
疑謗破滅さかりなり

と仰っているのです。

しかし聖人は、どんな非難中傷も恥とせず、
弥陀の本願宣布を妨げる一切を、斬り捨てられ、
ひたすら一向専念の道を突き進まれました。

唯仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず(教行信証)
(ただただ深き阿弥陀仏のご恩が知らされ、世間の非難中傷など、
気にしておれない。)

いかなる苦難にも屈せず、ひとえに、限りなき阿弥陀如来のご恩に
感泣される親鸞聖人の聖容(せいよう)が彷彿とするではありませんか。


nice!(18)  コメント(12)  トラックバック(0) 
共通テーマ:資格・学び

だまされて地獄に堕ちても後悔しない [親鸞聖人]

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし(
親鸞聖人・恩徳讃)

(阿弥陀如来の洪恩は身を粉にしても報い切れない。
その弥陀の大悲を伝えてくだされた師主知識のご恩も、
骨を砕いても済みませぬ)

法然上人からお受けした大恩は、
命懸けても返し切れませぬとまで仰った聖人の御心を、
今回は、有名な『歎異抄』第二章の次のお言葉に学びたいと思います。

たとい法然聖人にすかされまいらせて、
念仏して地獄に堕ちたりとも、
さらに後悔すべからず候

(法然上人になら、だまされて地獄に堕ちても、
親鸞、さらに後悔はしない)

「あの人にならだまされても後悔しない」
と言い切れる人は果たしてあるでしょうか。
いくら借金を頼まれても、不正直な者には、
とても貸せません。
「この人は、だますような人ではない」
と信ずればこそ、私たちはお金を貸すのですが、
深く信用して貸した相手に大金をだまし取られたら、
後悔どころでは済まないでしょう。
「だまされても後悔しない」
という信じ方は、この世にありえないことなのです。
法然上人への信頼と尊敬の念は、
かくも強く、深いものであったのか、
と驚かずにはおれません。

●暗い後生に驚き、出家なされた聖人

では、親鸞聖人のこの確言は、どこからなされたものなのでしょうか。

聖人は、幼くして両親を亡くされ、
真っ暗なわが身の後生の解決一つを求めて、
わずか9歳で比叡山・天台宗の僧侶となられました。
それから20年間、血みどろのご修行は、
ひとえに後生の一大事解決のためでした。
アニメ『世界の光・親鸞聖人』第一巻には、
「人間は煩悩に汚れ、悪しか造れない。
だから後生は地獄と釈尊は仰る。
私の心の中にも、欲望が渦巻き、怒りの炎が燃え盛り、
ネタミ・ソネミの心がとぐろを巻いている。
どうすれば、この煩悩の火を消し、
後生の一大事を解決することができるのか」
とひたすら修行に打ち込まれる場面が描かれています。

IMG_20161127_0001.jpg-1.jpg

人間は、欲や怒り、ネタミ・ソネミなどの煩悩で日々、
悪の造り通しだから、自業自得で一息切れた後生、
苦患に沈む一大事が引き起こるとお釈迦さまは仰せです。
この地獄の解決のために聖人は、
比叡山で煩悩と格闘する修行を20年間も続けられたのです。

しかし、いかに難行苦行に身を投じられても、
全く明かりの見えぬ後生に、ついに下山を決意。
京の町を当てもなく徘徊され、絶望の淵に沈んでおられた聖人が、
阿弥陀仏の本願一つを説かれる法然上人にお会いして、
ついに後生明るい心に救い摂られたのです。
聖人、29歳の御時のことでした。

「地獄に堕ちたくない」と、青春の全てをかけて
後生の一大事の解決を求められた親鸞聖人が、
「法然上人にだまされて、地獄に堕ちても後悔はない」と、
何のためらいもなく言い放たれたのは、なぜか。

例えば、知人が「必ず返すから、一千万円お借りしたい」
と言ってきた。
信頼の置ける知人なので貸しはしたが、
「本当に返してくれるだろうか」の疑念は一千万円が返済されるまで
晴れることがない。
そのまま持ち逃げされれば“だまされた”と後悔する。
しかし、約束の期日までに利子をそろえて返済されたら、
「約束は本当だろうか」の疑いは一切なくなる。
約束は果たされたのだから、もう“だまされようがない”でしょう。

IMG_20161127_0002.jpg-1.jpg

●「弥陀の本願まこと」の大宣言

親鸞聖人は、法然上人から
「どんな人も、煩悩あるがままで、必ず往生一定の絶対の幸福に救う」
という阿弥陀仏の本願を開かれました。
本願とは、誓願ともいい、お約束のことです。
比叡山で20年間、煩悩と格闘され続けた聖人にとって、
煩悩あるがままの弥陀の救いは
青天の霹靂ともいうべき衝撃であったに違いありません。

「阿弥陀仏のお約束は、本当だろうか」
この弥陀の本願を疑う本願疑惑心は、
約束どおり絶対の幸福に救われた一念で金輪際無くなります。
二十九歳で弥陀の本願に救い摂られた親鸞聖人は
「本願まことだった」と、次のように宣言なさっています。

誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法
               (教行信証総序)
(まことだった、まことだった!
弥陀の本願、本当だった!)

それは、煩悩あるがままの弥陀の救いであることを、
聖人は次のようにご和讃に仰っています。

超世の悲願聞きしより
われらは生死の凡夫かは
有漏の穢身はかわらねど
心は浄土にあそぶなり
(帖外和讃)
(弥陀の本願に救われてからは、もう迷い人ではないのである。
欲や怒り、ネタミ・ソネミの煩悩は少しも変わらないけれども、
心は極楽で遊んでいるように、明るく愉快だ)

有名な『歎異抄』第九章では、
煩悩の他に何もない私たちを助けんがための弥陀の本願であった、
と疑いなくハッキリ知らされ、

仏かねて知ろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、
他力の悲願は、かくのごときの我らがためなりけりと知られて、
いよいよ頼もしく覚ゆるなり

(阿弥陀仏は、とっくの昔から私たちを
“煩悩の塊”とお見抜きになっている。
弥陀の本願は、このような煩悩以外に
何もない私たちのためだったと知られて、
いよいよ頼もしく思えるのだ)

と、弥陀の救いにあわれた慶喜を仰っています。

このように、“弥陀の本願まこと”とツユチリも疑いもなく
ハッキリ知らされた心こそ、親鸞聖人が一生涯、
明らかにしていかれた「真実の信心」なのです。

親鸞聖人の教えを最も正確に、
最も多くの人に伝えられた蓮如上人は『御文章』に、

聖人一流の御勧化の趣は、信心をもって本とせられ候
                 (聖人一流章)
(親鸞聖人が一生涯、教えられたことは、ただ信心一つであった)

と仰っています。
ここで「信心」といわれているのは、
仏や神にゴリヤクを祈念することや、
神仏を深く信じて疑わないように努める
世間一般の信心とは根本的に異質のものであることを
知らねばなりません。
一般に「信じる」とは、疑わないことだと思われていますが、
疑いがあるから私たちは信じなければならないのです。
疑いようのない明らかなことならば「知っている」と言います。
「信じている」とは言いません。
「夫は男だと信じている」と言う妻はないでしょう。
疑いようがないからです。
「助ける」という約束に対する疑いは、
「助かった時」に晴れます。
「必ず絶対の幸福に救う」という約束の疑いは、
「絶対の幸福になった時」に晴れるのです。

IMG_20161127_0003.jpg-1.jpg

●露チリの疑いもなくなった真実の信心

聖人が「信心」と仰るのは、
この「弥陀の本願(約束)に露チリほどの疑いもなくなった心」です。
私たちが、裏切られたらどうしようと、
不安な心で疑うまいと努める「信心」とは全く違いますから、
聖人は「真実の信心」と仰るのです。

真実の信心についてお約束には、

信心という二字をばまことの心と読めるなり、
まことの心と読む上は凡夫自力の迷心に非ず全く仏心なり

と説かれています。
弥陀の本願に疑い晴れた信心とは、
「まことのこころ」だから、まことなき私たちの
持ち合わせていない心です(凡夫自力の迷心に非ず)。
それは、阿弥陀仏から賜った仏心(南無阿弥陀仏)なのです。
阿弥陀仏から、この真実の信心(仏心)を頂いた一念に
“本願まこと”と疑い晴れ、
絶対に裏切られることのない絶対の幸福になるのです。

IMG_20161127_0004.jpg-1.jpg

「弥陀の本願まことだった」と真知させられた親鸞聖人にとって、
その本願を伝えてくだされた恩師・法然上人の仰せも
また疑いようのない“まこと”でありました。
阿弥陀仏と法然上人とが一直線上にあった親鸞聖人ゆえに、
「法然上人になら、だまされて地獄に堕ちてもさらに後悔はない」
と言い切られたのです。

●一貫して変わらぬ「恩徳讃」の御心

終わりに、聖人のご生涯を一貫して変わらぬ「恩徳讃」の御心について、
主著『教行信証』の最後のお言葉に学びましょう。

慶ばしきかな。心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。
深く如来の矜哀を知りて、良に(まことに)師教の恩厚を仰ぐ。
慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。(乃至)
唯仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず
  (教行信証後序)

「心を弘誓の仏地に樹て」とは、弥陀の本願どおり絶対の幸福に救い摂られ、
“本願まこと”が明らかに知らされたこと。
「念を難思の法海に流す」は、苦悩渦巻く煩悩一杯が、
大満足の不思議な世界に生かされたことを言われています。
「如来の矜哀」とは、阿弥陀如来の大悲、
「師教の恩厚」「至孝」とは、弥陀の大悲を正しく
伝えてくだされた釈迦・七高僧方のご恩のことです。
「悲しきかな」「慶喜いよいよ至り」と仰っているのは、
色あせることなき無上の幸福に救われた大歓喜の表明です。
そして、「唯仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず」
のお言葉は、「この阿弥陀如来の大恩を念う時、世の人々の嘲笑、
罵倒、非難攻撃など物の数ではない。
命懸けてもこの親鸞、本願のまことを伝え抜くぞ」と仰っているのです。

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし
(親鸞聖人)

親鸞聖人が、この「恩徳讃」そのままに全身全霊
伝えてくだされた阿弥陀仏の本願を
“誠なるかなや、弥陀の本願”と明らかに知らされる一念まで、
真剣に聞かせていただきましょう。


nice!(9)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:資格・学び
前の3件 | -