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お釈迦さまの説かれた仏教の結論とは! [一向専念無量寿仏]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)
 

如来大悲の恩徳は

身を粉にしても報ずべし

師主知識の恩徳も

骨を砕きても謝すべし

     (親鸞聖人・恩徳讃)

(大慈大悲の阿弥陀如来の高恩と、

その本願を伝えたもうた師主知識の深恩は、

身を粉にしても、骨を砕きても済みませぬ)

 

阿弥陀如来と師主知識(善知識)への感謝、賛嘆(さんだん)で

あふれる親鸞聖人の「恩徳讃」。この後半2行、

「師主知識の恩徳も

骨を砕きても謝すべし」

のお言葉を続けて学んでいます。

師主知識から骨を砕いても返し切れぬ大恩を受けている、

と仰る「師主知識」とはどのような方か、

私たちはどんなご恩を受けているのでしょう。

師主知識、善知識について『浄土真要鈔』というお聖教に、

こう教えられています。

 

総じていう時は真の善知識というは諸仏・菩薩なり。

別していう時は我らに法を与えたまえる人なり。

また正しく自ら法を説きて聞かする人ならねども、

法を聞かす縁となる人をも善知識と名(なづ)く。

されば善知識は諸仏菩薩なり。

然れば仏法を聞きて生死を離るべき源は、ただ善知識なり

 

「善知識」とは、本来は諸仏・菩薩であるが、

それらの方々の教えをそのまま私たちに説き聞かせる人や、

自ら説かずとも、聞かせる縁となる人も「善知識」だと

説かれています。

私たちの住む世界でいえば、善知識の元祖は、

地球上で最高無上のさとりを開かれた唯一の仏、

釈尊(お釈迦さま)です。

後に続く知識高僧方も、お釈迦さまが仏教を説かれねば、

無上の法を知り、伝えることはできませんでした。

釈尊が何を教えられたかを知らねば、

師主知識のご恩は分かりませんから、今回は、

のお釈迦さまのご教導を学びましょう。

 

●お釈迦さまの説かれたこと

 

お釈迦さまは、約2600年前、インドで活躍なされた方です。

35歳で大宇宙最高の仏のさとりを開かれ、

80歳で亡くなられるまでの45年間の釈迦の教説が仏教です。

仏教は今日、7千余巻の一切経に書き残されていますが、

その膨大な経典の中で

〝これ一つ説くために、この釈迦は世に出たのだ〟

といわれる「出世本懐経」があります。

〝それはこの『大無量寿経』である〟と釈尊は自ら仰っています。

他の7千余の経典は、この経を説くための準備に他ならないのです。

 

『大無量寿経』を説法される時の釈尊のお姿は

「諸根悦豫(しょこんえつよ) 姿色清浄(ししきしょうじょう)

光顔巍巍(こうげんぎぎ)」と説かれています。

これは、弥陀三昧(みだざんまい)に入られて、

お顔や全身が光り輝き、喜びに燃え立っていられるご様子で、

常に親しくお仕えしていた弟子の阿難尊者が、

「いまだかつて、このような尊いお姿を

拝したことがございません」と驚いているほどです。

あまりの尊さに、思わずその訳を尋ねた阿難に、

お釈迦さまはこう宣言なされています。

 

如来、世に出興(しゅっこう)する所以は

道教を光闡(こうせん)し、

群萌(ぐんもう)をすくい恵むに

真実の利を以てせんと欲してなり

          (大無量寿経

私がこの世に生まれ出た目的は、仏教を説き開き、

一切の人々を阿弥陀仏の真実の救いに導くためであったのだ

 

弥陀の本願を説くことが私の出世本懐だ、と明らかにされ、

巻末にはこうも述べられています。

 

当来の世に経道滅尽せんに、我慈悲を以て哀愍し、

特にこの経を留めて止住すること百歳せん

             (大無量寿経下巻

 

他の一切の経典が消滅しても、この『大無量寿経』だけは

永遠不滅である、と断言されているのです。

これについて『大集経』他、多くの経典に、

釈尊がご入滅になった後の時機を三つに分けて、

「三時」と教えられています。

 

①正法の時機・・釈尊死後500年

②像法の時機・・正法の時期終わってから1000年

③末法の時機・・像法の時期終わってから10000年

④法滅・・・・・末法10000年の後、無窮

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「正法」の時機には、仏の説かれた教えも、

その教えどおりに修行する者も、証(さと)る者もあるが、

「像法」の時機は、仏の教えと修行する者はあるが、

証る者はなくなる。

「末法」の時機には、仏の教えのみあって、修行する者も

証る者もなくなり、

「法滅」に至っては、仏の説いた教えも滅してしまう。

と説かれています。

ところが「法滅」になって、一切の経典が滅尽しても、

この弥陀の本願を説く『大無量寿経』だけは滅びることなく、

すべての人々を救うであろうと予言されているのが、

当来の世に経道滅尽せんに、我慈悲を以て哀愍し、

特にこの経を留めて止住すること百歳せん

のお言葉です。よって親鸞聖人は、

 

それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり

                 (教行信証教巻)

『大無量寿経』のみが真実の経である

 

と断定されています。

 

●大無量寿経には何が説かれているのか

 

では、お釈迦さま自ら唯一の真実経と仰る『大無量寿経』には

何が教えられているのでしょう。

それこそ本師本仏の阿弥陀仏という仏さまのましますこと、

その阿弥陀仏のご本願なのです。

阿弥陀仏とは、お釈迦さまが私たちに紹介された仏さまで、

大宇宙に数限りなくまします諸仏の師の仏。

その阿弥陀仏が無上殊勝の本願を建てていられる。

本願とは誓願ともいい、お約束のことです。

阿弥陀仏は私たちと、こう約束なさっています。

 

どんな人も

必ず絶対の幸福(往生一定)に救う

 

〝すべての人よ、必ず無量光明土(弥陀の浄土)に生まれて、

仏になれる身(絶対の幸福)に救う。

死んでからではない、生きている現在ただ今のことである〟

との想像を絶するお誓いです。

相手を選ばず、〝どんな人をも絶対の幸福にしてみせる〟

というのは、他の諸仏、菩薩には到底できないお約束ですから、

お釈迦さまはじめ弟子の諸仏も菩薩も、異口同音に、

「あなたをこの世も未来も救い切ってくださるのは、

本師本仏の阿弥陀仏しかましまさぬ。

だから弥陀一仏に助けていただきなさいよ」

と仰るのです。すなわち、

 

一向専念無量寿仏 (大無量寿経

阿弥陀仏(無量寿仏)一仏に向け、阿弥陀仏だけを信じよ

 

のご金言で、これが『大無量寿経』の結語であり、

膨大な一切経の結論なのです。

私たちが真に幸福になるために最も大事なことだから、

お釈迦さまが教えられているのです。

親鸞聖人が『正信偈』に、

「如来世に興出したまう所以は、

唯弥陀の本願海を説かんがためなり」

と断言されているのもよくうなずけるでしょう。

浄土往生できるか否かは、弥陀に一向専念になるか、

否かで決まるのだから、「一向専念無量寿仏」以上に

大事な教えはない、とこうも仰っています。

 

一向専念の義は、往生の肝腑、自宗の骨目なり (御伝鈔

 

この「一向専念無量寿仏」を徹底することが、

善知識の使命であることは前回もお話したとおりです。

 

●恐ろしい迷信、邪を捨てよ

 

この「一向専念無量寿仏」を徹底するに、

お釈迦さまはまず、仏教以外の教え(外道)を捨て、

真理を教えた仏教を信じよ、と『涅槃経』に

このように説かれています。

 

世尊常に説きたまわく、

一切外学の九十五種(外道)は、皆悪道に趣く」(涅槃経

 

九十五種とは仏教以外の全宗教のこと。

お釈迦さま在世中のインドには九十五種の外道が

存在していたからで、それらは皆、人々を悪道(苦しみの世界)へ

堕とす邪教である、と仰っているのです。

日本には現在、約二十二万もの宗教団体があります。

その中には、幼稚な教義を掲げ、

反社会的な事件を引き起こすものもあります。

例えば平成6~7年に、日本中を震撼させたオウム真理教事件は

今なお多くの人の記憶に残っているでしょう。

また、死亡した信者を〝復活させるために清めていた〟と

遺体を放置してミイラ化させた教団や、

〝有害な電磁波から身を守る〟

〝地球に落下してくる惑星から逃れる〟

と言って、白装束、白塗りの車で全国行脚していた団体、

「足裏判断」で幸不幸が分かるとうそぶいて詐欺罪に

問われた教祖もありました。

道理を無視し、社会生活を逸脱した、

こんな〝教え〟が多くの人を不幸に陥れることは明白でしょう。

かかる恐ろしい迷信、邪教を捨て、三世十方を貫く

因果の道理を根幹とする仏教を信じなさいと、

お釈迦さまは勧められたのです。

親鸞聖人もこのお釈迦さまのご教導を、

 

九十五種世をけがす

唯仏一道きよくます (親鸞聖人)

 

と和讃しておられます。

 

●弥陀の本願(浄土の一門)のみ助かる道

 

さらに仏教の中でも、阿弥陀如来の本願によらねば、

誰一人助からないと、お釈迦さまはこう説示されています。

 

我が末法の時の中の億億の衆生、行を起し道を修せんに、

未だ一人も得る者有らずと。当今は末法にしてこれ五濁悪世なり、

唯浄土の一門有りて通入すべき路なり

                  (大集経

 

今日はすでに末法の世であり、この時機には、

釈迦の教えはあれども、修行する人も証(さと)る人もないと、

釈尊自ら説かれたのは先述のとおりです。

弥陀のご本願(浄土の一門)こそ、未来永劫、

不滅の大法なのだから、すべての人よ、

一刻も早く弥陀の本願を信じ

「一向専念無量寿仏」の身になりなさいよと教導なされ、

その釈迦の御心を親鸞聖人も、和讃にこう述べられています。

 

釈迦の教法ましませど

修すべき有情のなきゆえに

さとりうるもの末法に

一人もあらじとときたまう

       (正像末和讃

聖道権仮(しょうどうごんけ)の方便に

衆生ひさしくとどまりて

諸有(しょう)に流転の身とぞなる

悲願の一乗帰命せよ 

       (浄土和讃

 

もしお釈迦さまが阿弥陀仏の本願を説いてくださらなかったら、

私たちは弥陀の本願を知ることも、

聞いて絶対の幸福に救われることもなかったでしょう。

いかに大きなご恩をお受けしているのか、

これでお分かりになると思います。

仏教の結論は「一向専念無量寿仏」であると、

まずよく知って、阿弥陀仏の本願を真剣に

聞かせていただくことが肝要です。

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