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「お寺」って何? [お寺の役割とは]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)


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 かつて「お寺」は

        人々の中心だった

 

犬も歩けば棒に当たる。

町を歩けばコンビニエンスストア。

皆さんは、コンビニとお寺、どちらが多いと思われますか。

平成29年5月の調査では、全国のコンビニエンスストアは

5万5千店舗あるのに対して、仏教寺院はなんと、

7万7千ヵ寺余り(文化庁平成28年版『宗教年鑑』)。

食品・日用雑貨などの必需品がそろい、

銀行への入金・引き出し・公共料金の支払いまでできる

コンビニは、まさにその便利さから、現在も増え続けています。

ところが、そのコンビニよりお寺の方が約2万2千も多いのです。

昔は人口が少なかったにもかかわらず、

こんなにたくさんの寺院が建てられたのは、

それだけ必要とされていたからでしょう。

どんな役割がお寺にあったのでしょうか。

昔は寺子屋といわれ、僧侶が先生として子供たちに

読み書きそろばんなどを教えていたこともあります。

それだけ僧侶は町や村の人たちの信頼もあり、

学問、人徳を備えた人も多かった。

半世紀ほど前までは、村人が寺にやってきて、

悩み相談にのってもらう姿が多く見られました。

また、北海道や海外へ開拓移民として渡った人たちは、

苦しい日々に心の安らぎを求めて寺を建て、

布教使の派遣を本山に要請したことが記録に残っています。

仏の教えを聞き学び、それによって人々の心が安らぎ救われる、

それが本来の寺の役割でした。

 

●「読経」は何のため?

 

時は流れ、昭和40年代に寺に生まれたSさんは、

葬儀や法事ばかりを見て育ち、

お経を読むのが寺の仕事だと思っていた。

成長するにつれ、お経を読むのは何のためか、

どんな意味があるのだろうと思うようになった。

将来は寺院を継ぐ身だからと、

お経を学ぼうとしましたが、漢字ばかりで分からない、

説法や仏教の講義を聞いても理解できませんでした。

お釈迦さまが説かれたお経には、

何が教えられているのか。

祖父も父親も、時々来る布教使に尋ねても、

「お経は説明して簡単に分かるものではない、

若い時は分からなくて当然だ」

と言う。

説明して分からないなら、なぜ読経するのか。

モヤモヤは深まるばかりだったといいます。

「寺に生まれても、仏教が分からないのだから、

在家で育った人はなおさら分からないのではと思います。

寺の存在意義は、何かと思いました」

 

●「本堂の大柱にもたれ、

  夫と2人黙って

     座っていました」

 

また、本誌読者のNさんは、年を重ねるにつれ、

人生何をすべきなのかと夫と2人、大きな寺を訪ねました。

寺には、混沌とした人生に明かりをともす

教えがあるのではないか。

私たちが知らない仏の智恵を学びたいと、

出掛けたのです。

寺の門をくぐり、建物を見ただけでも慌ただしい日常から離れ、

心が落ち着きました。

しかし教えを説く人は1ヶ月後まで来ないから、

話は聞けないとのこと。

「がっかりしました。せめて本堂に入れてくださいと

お願いして仏壇に合掌したあと、

大きな柱にもたれ、伽藍をながめながら、

2人黙って座っていました。

 

●魚屋に魚がない?

 

魚屋という看板を掲げた店に魚が1匹もなかったら、

その店はどうなるでしょう。

お客さんは、落胆するばかりか、腹を立てて帰るでしょう。

結果、当然ながら店は倒産です。

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寺は、仏教という看板を掲げていますから、

仏教を知りたい人が来るところです。

その仏教には、荒波の絶えない人生の海を

明るく楽しく極楽浄土まで渡す大きな船の存在が

教えられています。

だから、仏教の看板を掲げながら、その大船の厳存が

ハッキリ教えられていなければ、人が来なくなるのは

当然すぎるほど当然。

(大船の意味は後ほど)

世の中が大変わりしたから、寺に来る人が少なくなったと

時代のせいにするのは間違っています。

戦後、雨後のタケノコのごとく次々現れた

新興宗教に集まったのは、多くの寺の門徒たちでした。

みんな生きることに苦しんでいるのです。

そのつらい人生を何とか明るく楽しく生きたいと

救いを求めているのです。

そのニーズに応じて教えを説き、

人々の心に生きる喜びを与えるのが、

寺の役割であったはず。

 

●「なぜ生きる」の答えを

     示された親鸞聖人

 

約800年前、親鸞聖人は、

更に親鸞珍らしき法をも弘めず、

釈迦の教法をわれも信じ、

人にも教え聞かしむるばかりなり

と仰り、

釈迦の教法(お釈迦さまの教え)で、

親鸞は本当の幸せになれた。だから、

皆さんにも同じ幸せになってもらいたい、

とお伝えしているだけなのですよ

と釈迦の説かれた仏教を90年の生涯、

教え続けられました。

その親鸞聖人の教えをそのまま伝えられた方が、

室町時代の蓮如上人です。

昨年から、全国で大ヒットしている

『なぜ生きるーー蓮如上人と吉崎炎上』の中で、

蓮如上人はこう仰っています。

 

親鸞聖人の教えは唯一つ。なぜ生きる、

『なぜ生きる』の答えでした。

私たちは、何のために生まれてきたのか、

何のために生きているのか。

苦しくても、なぜ生きねばならぬのでしょうか。

誰しもが、知りたいことでしょう。

それに答えられたのが親鸞聖人なのです

 

やがて必ず死なねばならないのに、

なぜ苦しくても生きねばならないのでしょうか。

おかしな話ではありませんか。

この私たちの、最も知りたい疑問に答えられたのが、

親鸞聖人なのですよ。

親鸞聖人はね、どんなに苦しくても、

生きねばならぬのは、私たちには、

とても大事な目的はあるからだと、

懇(ねんご)ろに教えられています

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「なぜ生きる」の答え・人生の目的とは、

どんなことがあっても、決して色あせたり、

崩れたりすることのない「絶対の幸福」になることだと

教えられました。

その絶対の幸福には、大宇宙の仏の師である

阿弥陀仏の本願(お約束)を聞く一つで、

「どんな人も、生きている今、なれるのだ」

と親鸞聖人は教示されています。

この阿弥陀仏の本願を、人生の海に苦しむ私たちを乗せて、

極楽浄土まで楽しく渡すために、

阿弥陀仏の造られた「大船」と仰ったのです。

どんなに時代が変わっても、変わらぬ仏教の救いがあるのです。

そのことを次回更新時に解説いたします。

 

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リポート

『とどろき』をテキストに法話会

  「なぜ生きる」求め 門徒が集う

 

消えていく寺が増える一方で、

寺の本来の姿を取り戻そうと、

『とどろき』などをテキストにした法話会を

開く寺が注目を集めています。

そこには、「なぜ生きる」の答えを求めて、

人々が仏法を聞きに集まるという

生き生きとした光景がありました。

 

「ありがたい仏教の

    お話が聞けてうれしい」

 

9月のお彼岸の日、関西地方のある寺院を訪ねると、

『とどろき』をテキストにした法話会が開かれ、

門徒さんら約50名が参詣されていました。

この日のテーマは、9月号の特集「彼岸 3つの謎を解く」

でした。

彼岸とは、阿弥陀仏の極楽浄土のこと、

その浄土に生まれるにはどうすればよいのかについて、

講師から理路整然とした話がありました。

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参詣者からは

「浄土に生まれるには、生きている時に

仏教を聞かなくてはならいことが分かりました」

                  (60代男性)

「『とどろき』の記事が参考になるので、

とても分かりやすくお聞きできました」

                  (70代女性)

「月刊誌がテキストなので、

毎月の法話が楽しみになりました」  (50代男性)

 

などの声が聞かれました。

また、寺の役割について

「最近は、お寺といえば、葬式や法事ばかりですが、

本当は、仏教の有り難いお話を聞く場所だったはずですよね。

昔のように、にぎやかなお寺になってほしいです」

                  (70代女性)

という感想もありました。

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この寺の住職は、寺の現状を次のように語っていました。

「親鸞聖人の教えを知らないと、

人間として生まれてきたことにならないのです。

あまりにもったいない。ところが今は、

寺でも仏教が聞けなくなっています。

これには僧侶の勉強不足があると思います。

それで寺から人々が離れていって、

慌てますが、自業自得なのです。

京都の寺も観光寺院になっています」

さらに、本来の寺の在り方について

「今日は、彼岸のお話でしたが、

人間として生まれた目的は『彼岸』にあります。

まず、そのことをよく知っている先生から

聞かなければなりません。 

その先生が、親鸞聖人です。

ですから、寺では、親鸞聖人の教えを聞くことが大事なのです。

それが聴聞です。

教えがきちんと相続されていれば、

どんな山奥の寺でも、廃れていくということはないのです

とも話しておられました。

 

「本当の幸せになるための

  寺参りなんですね」

 

関東地方でも、『とどろき』をテキストに

彼岸の法話がなされた寺の住職の声を聞きました。

「毎年、彼岸の法話をしますが、

先祖供養のためだと思って来られる方が多いです。

そうではない、自分が本当の幸せになるために、

教えを聞くのが寺参りなんですよ、

と『とどろき』を開いて話をしています。

人間は、自分の思いに合わないと、

仏教がなかなか心に入りません。

お釈迦さまや親鸞聖人の教えを、

正しく聞くことはまことに難しいものだと、

つくづく思います。

よくよく聞きなさいよ、『仏法は聴聞に極まる』と

教えられるお言葉が身にしみます」

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