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あなたの未来は明るいですか!? [親鸞聖人]

「親鸞聖人の教えに出遇う前は、
何に悩んでいましたか?」

全国から本誌に届く読者アンケートの回答には、
家庭や職場の人間関係、お金、病気などの悩みが、
聞法のきっかけになったという人が少なくないようです。

こんな声も寄せられています。
「仏法を聞いて、人間関係もよくなり、
人生が明るく変わってきました。
しかし、仏法の本当の目的はもっと深いところにある、
とも聞きますが・・・」

仏教を聞くのは何のためなのか?
親鸞聖人、蓮如上人にお聞きしましょう。

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読者の体験から

●夫婦の悩みをきっかけに
     もっと大事なことを知らされました。

「親鸞さまならきっと、
私に心のやすらぎを与えてくださるに違いない!」
福岡県の山田久子さん(73)が、
すがる思いでアニメの上映会場に足を踏み入れたのは
昨年夏のことでした。
夫との関係に永らく悩んでいたといいます。

「夫が嫌いなわけではないんです。
ただ、すぐ口論になっちゃって・・・・」
この日も、夫の一言に怒りが治まらず、
家事を放棄して外に飛び出してきたのでした。
とりあえず、と向かった図書館の入り口で、
聖人のアニメ上映会のポスターを見つけたのです。
迎えてくれた女性スタッフに、
山田さんは誰にも言えずにいた胸のうちを一気に吐露しました。

「分かります、分かりますよ。
私も家族のことで随分苦しみましたから・・・」
と自身の過去も屈託なく語るスタッフと、
「この人なら!」
とすっかり意気投合しました。
その日の上映会は第一巻。
浄土真宗の盛んな鹿児島で生まれ育ち、
幼い頃から聖人のお名前に親しんでいた山田さんも、
初めて知ることばかりでした。
「親鸞聖人にこんなご苦労があったなんて・・・。
それに比べたら、私なんてまだまだね。
今日は本当に来てよかった」
と満足し、帰宅したのです。


三回目の上映会でのことです。
昼休み、参加者数名と会食していると、
スタッフからこんな呼びかけが。
「皆さんは、自分を『善人』だと思われますか?
『悪人』だと思われますか?」
何のためらいもなく「善人」に手を挙げた田代さん。
するとスタッフが次のような話を始めました。


      *         *


ある所に、内輪ゲンカの絶えないA家と、
平和そのもののB家とが隣接していた。
ケンカの絶えないA家の主人は、
隣はどうして仲良くやっているのか不思議でたまらず、
ある日、B家を訪ね、一家和楽の秘訣を伝授してもらいたい、
と懇願した。

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B家の主人は言った。
「別にこれといった秘訣などございません。
ただお宅さまは、善人サマばかりのお集まりだからでありましょう。
私の家は悪人ばかりがそろっていますので、
ケンカにはならないのです。
ただそれだけのことです」
てっきり皮肉られているのだと、A家の主人は激怒して、
「そんなバカな!」と言おうとした時、
B家の奥で皿か茶碗でも割ったような大きな音がした。
「お母さん、申し訳ありませんでした。
私が足元を確かめずにおりましたので、
大事なお茶碗を壊してしまいました。
私が悪うございました。お許しください」
「いやいや、おまえが悪かったのではありません。
先程から始末しようと思いながら横着して、
そんなところに置いた私が悪かったのです。
すまんことをいたしました」
と、嫁と姑のやり取りが聞こえてきた。

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「なるほど、この家の人たちは、みんな悪人ばかりだ。
ケンカにならぬ理由が分かった」
A家の主人は感心して帰ったという。

「A家はわが家だ。いつも、正しいのは自分、
と思いながら夫と衝突するんだわ・・・」
この時、山田さんの目が初めて
自分の内側に向けられたのでしょう。
自分を変えたい。
仏教では心を重く見る。
私の心を変えねば、幸せになれないのかしら。

もっと親鸞聖人の教えが聞きたい・・・。
田代さんは遠方の会場にも足を運ぶようになりました。
気がつけば、夫との口論もすっかり減り、
電車で出かけた帰りには、
夫が駅まで車で迎えに来てくれるようになったといいます。
「主人も私の聞法を支えてくれているんです。
そうして続けて聞くうちに、人間関係の悩みより、
もっとずっと大事な問題が人生にあると知らされてきました」


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〇聖人が示された
    仏法聴聞の原点


お金や病気、人間関係の悩みなどよりも
もっと大事な人生の問題とは何でしょう。
なぜ私たちは仏教を聞かねばならないのでしょうか。
親鸞聖人はこのようにお示しくださっています。
聖人がまだ「松若丸」といわれていた幼少期のエピソードです。


            ◆
4歳でお父様と死別された松若丸は、
母君お一人の手で成長なされた。
だが8歳の時に、そのお母様も亡くなってしまう。
母君の野辺送りのあと、
松若丸はしばし伯父・範綱と西の空を見上げていた。

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飛んでいく雁の群れを眺めながら、
松若丸が問う。
「どこへ行くんでしょう」
「雁も、うちに帰るんだろう」
「いいえ伯父様、人は死ねばどこへ行くんでしょうか」
予期せぬ言葉に、範綱は戸惑いの表情を浮かべ、
「ん?うーん、どこか遠いところだろうなあ」
「どんな所でしょうか。遠い所、とは」
「どんな所かと言われてもなあ」
返答に窮する範綱卿。
松若丸は一人つぶやかれた。
「死ねばどうなるんだろう」


幼くして両親の後ろ盾をい失われた聖人には、
もちろんこの先の生活の不安もあったでしょう。
しかし、それよりも大きな問題は何か。
アニメのセリフからも明らかです。
「次は私が死んでいかなければならないと思うと、
不安なんです。
何としても、ここ一つ、明らかになりたいのです」

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死んだ後のことを、「来世」とも「後生」ともいいます。
一日生きれば一日、一夜明ければ一夜、
確実に近づいているのが来世であり、後世です。
これを否定できる人はありません。
その「後世」が明るいか、暗いか。
100パーセント逃れられない未来なのに、
その行く先が全くハッキリしていないことに、
親鸞聖人は驚かれたのです。


「来世は、どこへ行くのか?」
後に「世界の光」といわれる聖人の原点がここにあります。
そして、これは私たちの仏法聴聞の原点でもあるのです。


蓮如上人は次のように教えられています。


「それ、八万の法蔵を知るというとも
後世を知らざる人を愚者とす、
たとい一文不知の尼入道なりというとも
後世を知るを智者とすと言えり」
        (御文章五帖目二通)


地球上にどれだけ多くの人がいても
「智者」と「愚者」の2通りしかない、
と仏教では教えらます。
どんな人が智者で、愚者なのか。


「八万の法蔵」とは、
お釈迦さまのご説法を書き残された一切経のことです。
今日でいえば百科事典を丸暗記して、
どんな質問にもパッと答えられる頭脳明晰な人を、
「八万の法蔵を知る」と言われています。
そんな人でも、最も肝心なわが身の行く末、後世が暗く、
死ねばどうなるか分からぬ人は、本当の智慧ある人とは言われない。
物知りな智者と他人には言われても、
幸せの最重要ポイントが抜けたら、
仏教では後生暗い「愚者」なのです。

〇最重要ポイントを知る「智者」に


では仏教で「智者」といわれるのはどんな人なのでしょう。
蓮如上人は、
「たとい一文不知の尼入道なりというとも後世を知るを智者とす」
と仰っています。
「一文不知の尼入道」とは、文字のタテヨコも分からぬ人。
新聞を読んでもチンプンカンプン、というような人です。
しかしそんな人でも、
「死ねば必ず極楽浄土へ往って仏になれる」
と後生ハッキリしている人は、
後世を知る「智者」だと仰せです。

どれだけたくさんの人がいても、
この智者と愚者しかいない。
智者か愚者かを峻別する「ものさし」は、
才能の有無、知識の量、社会的な地位や名声などではなく、
「後世を知るか、否か」
これ一つだと仏教は教えられるのです。

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〇快適な空の旅、
   その大前提


「後世」(後生)について、こんな飛行機の例で考えてみましょう。
私たちの生まれた時が、飛行場を飛び立った時とします。
20歳の人は20年前に、50歳の人は50年前に、
飛び立った飛行機です。
飛行機には、必ず「○○空港へ」という目的地があります。
私たちが機内で映画を見たり、音楽を聴いたり、
食事や会話を楽しめるのは、
乗っている飛行機にハッキリした行き先があるという
安心感があるからでしょう。

ところが、もし機長が放送で、
「皆さん、この飛行機は、
どこへ向かって飛んでいるのか分かりません。
下は見渡す限り海原で、着陸地は見当たりません。
燃料はあと5時間ほどでございます。
その間どうぞ、空の旅をゆっくりとお楽しみください」
などと言ったら、どうでしょう。
とても快適な旅にはなりませんね。
「あと5時間あるから大丈夫」
と、安心できる人はないでしょう。

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アベノミクスで好調に見える日本経済も、
消費税増税で先行きはどうなるか、
景気の不安が漂っています。
停止している原発を稼働させるか。
廃炉にするにも、時間や経費がかかる。
使用済み核燃料をどうするのか。
放射線の影響を受けた地域の皆さんは、
帰るに帰れず苦しんでいる。
いずれもハッキリしない未来が不安なのです。
このように、現在と未来は密接不離な関係にあり、
未来の明暗が現在の明暗を分ける重要なカギなのです。

同様に、後世(後生)どうなるかハッキリしないまま、
残りの人生を楽しめと言われて、心から楽しめるでしょうか。

後世がハッキリしないことほどの大問題はありません。
しかも「一寸先は闇」、
いつ、燃料が切れるか分からないのがこの旅の実態ですから、
仏教では、これが人生の最優先問題だと教えられるのです。


私たちが重要だと考えている政治や経済、科学や医学、
倫理や道徳、芸術やスポーツなどは、
この例えでいえば、いかに長く安全に飛べるか、
どうすればフライトが快適になるかという問題でしょう。
それらも大事ですが、
あくまでもそれは着陸地がハッキリしていてのこと。
飛行機自体の着陸地がなければ、
どんなに快適であってもフライトそのものが悲劇です。

だから、
「多くのことを知るよりも、最も大事なことを知る人こそが智者」
とお釈迦さまは仰るのです。

後世がハッキリしない人は愚者、
と言われる蓮如上人の真意もうなずけるでしょう。

仏教では、私たちが人間に生まれた目的は、
本師本仏の阿弥陀仏の本願に救い摂られて、
いつ死んでも弥陀の浄土(無量光明土)へ往けると定まった
「智者」になることだ、と教えられます。

「日も月も 蛍の光 さながらに
   行く先に弥陀の 光輝く」
と詠んだ人があります。
確実な未来が太陽より明るい人は、
一息一息が浄土に向かう大満足。
仏教は、「後世を知らぬ愚者」を、
「後世を知る智者」に大転換させる教えなのです。

お釈迦さまは、阿弥陀仏の本願一つを生涯、教えていかれました。
阿弥陀仏とは、大宇宙で最尊第一の仏さまです。
後世を知る智者になれるのは、この阿弥陀仏が


「すべての人を
必ず正定聚(絶対の幸福)に救う」


と誓われているからです。
これを弥陀の本願といいます。
仏教で「正定聚」とは、
死ねば必ず弥陀の浄土へ往って仏になるに定まった人のことで、
「後世を知る人」のこと。
阿弥陀仏は、一秒よりずっと短い一念に、
正定聚(絶対の幸福)に救い摂ると約束なされているのです。


先月も学んだ蓮如上人の「聖人一流の章」にはこれを、
「一念発起・入正定之聚」
と仰っています。
私たちがこの世に生まれてきたのは、
弥陀の本願を聞いて、
必ず浄土に生まれられる絶対の幸福に救われるためです。

政治も経済も科学も医学も、
愚者が智者(後世を知る正定聚の人、絶対の幸福者)
になるために存在するのです。
また、蓮如上人は


「一念の信心定まらん輩は、
十人は十人ながら百人は百人ながら、
みな浄土に往生すべき事更に疑いなし」
             (御文章五帖目四通)


とも仰せです。この
「十人は十人ながら、百人は百人ながら」
というお言葉を聞いて多くの人は、
「誰でも彼でも、死んだら極楽へ往けるのだろう」
と思っていますが、それは間違いですよ、
「一念の信心定まらん輩」のことだよ、
と蓮如上人は釘をさしておられます。
「一念の信心定まらん輩」
とは
「一念の信心が定まった人」
ということです。
今、阿弥陀仏のお力によって正定聚に救い摂られ、
極楽往きが決まったことを、
「一念の信心が定まった」
と仰っています。

「現在、弥陀に救い摂られた正定聚の人は、
死ねば必ず浄土へ往ける。
だから、仏法を真剣に聞き求め、
早く正定聚の身になりなさいよ」
と教え勧められているのです。

私たちはこの正定聚に救う力を持たれた仏さまは、
大宇宙に阿弥陀仏一仏しかましまさぬ。
弥陀以外の一切の諸仏・菩薩等には助ける力はありませんから、
蓮如上人は『御文章』に、


「末代無智の在家止住の男女たらん輩は、
心を一つにして、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、
更に余の方へ心をふらず」
           (五帖目一通)
と仰っています。
阿弥陀仏以外の仏や菩薩、神々を「余の方」といい、
それら一切に心をふらず、本師本仏の弥陀一仏を信じよ、
それが智者になる唯一の道だ、
と明示されているのです。


これら前知識のご教導に従い、
一日も片時も急いで阿弥陀仏一仏に向かい救い摂られ、
後生明るい智者となれるよう、聞法精進いたしましょう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


(読者の声)
私はこう知らされました


今回テーマとなった蓮如上人のお言葉を聞いた
読者の声を紹介します。


■生きる目的が分かった
全人類は一日たてば一日、確実に「後世」に近づいています。
何十億の人がいても無関係な人はない。
しかも、この世は百年生きても過ぎ去れば夢のまた夢。
後世は永遠です。
確実な未来である永久の後世、
「死んだらどうなるか」の最大事が分からなければ、
多くのことを知っていても、
仏教では「愚者」といわれます。
阿弥陀仏の本願に救われ、いつ死んでも極楽往生間違いなしと
後生明るい「智者」になることが、
私の生きる目的であるとよくわかりました。
              (北海道・30代男性)


■私の確実な未来


多くの知識や教養、生活を豊かにし、
他者からも評価されます。
大切なことですが、どれだけ知識があっても、
「死んだらどうなるか」の疑問に答えることはできません。
必ず訪れる自分の未来なのに、
明るいのか暗いのかハッキリしていないのは、
何と愚かなことか。
阿弥陀仏の本願によらねば、
後世を知る智者にはなれないと知らされ、
人間に生まれた最も大事なことを教えていただき、
感謝せずにはいられません。
          (富山県・女性)


■仏教の断言に驚き


仏教では、ノーベル賞を取り、
世の称賛を浴びるような人も、
後世を知らねば“愚かな人、気の毒な人”
と言ってしまうのですから、驚きです。
考えてみれば、「後生を知らない」とは、
「一歩先の自分の未来が分からない」こと。
そんな者が智者といえるはずがない、と納得しました。
                (長野県・20代女性)


■「弥陀一仏」に心定まる


後世を知らざる愚者から、後世を知る智者になるには、
「阿弥陀仏一仏を信じよ、さらに余の方へ心をふるな」と
親鸞聖人も蓮如上人も徹底して教えておられることをお聞きし、
弥陀一仏と心が定まりました。
             (福井県・男性)


 


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