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釈迦が教えられた「はたらく」真の意味 [ブッダと仏弟子の物語]

「私は心田を耕す労働者」

    釈迦が教えられた「はたらく」真の意味

 

昨今は「働く」意味が広く世に問われています。

人生の大半を働いて過ごしますから、

重要な問いですね。

これを仏教ではどう教えているのか。

お釈迦さま在世中のエピソードから聞きましょう。

 

ある日、お釈迦さまがお弟子たちを連れて

湖畔を通りかかられると、大勢の農民が仕事を終えて、

食事に取りかかっていた。

お釈迦さまが彼らの前に立たれると、

その中の頭(かしら)らしい一人の男が、

「よく、あなたたちは来なさるね。

どうです、そんなに大勢の働き盛りの若者たちを連れて、

ブラブラ乞食(こつじき)したり、

訳の分からぬ説法などして歩かないで、

ひとつ自分で田畑を耕して、米や野菜を生産したら。

私らは難しいことは言わないが、自分で働いて、

自分でちゃんと食っていますよ」

と、からかうように言った。

その時、お釈迦さまは従容(しょうよう)として

答えられている。

私もまた、田畑を耕し種をまき、

実りを刈り取っている労働者です

「ではあなたは、どこに田畑を持ち、どこに牛を持ち、

どこに種をまいておられるのか」

反問してくる農民に、お釈迦さまは、

私は、忍辱という牛と、精進という鋤を持って、

人々の心田を耕して真の幸福になる種をまいている」。

毅然と仰っている。

(忍辱・・・忍耐のこと、精進・・・努力のこと)

 

「働く」とは「はたをらくにする」ということで、

多くの人々を幸福にすること。

苦しみ悩みを解決する道を教え、

真の幸福に導くのが「はたらく」ことなのです。

米や野菜、自動車、電化製品などの生産に従事し、

物質的に人々を幸福にすることも大切ですが、

それのみが働くことではないでしょう。

大きな体や豊かな力を持つ力士やスポーツ選手が、

米や野菜の生産に従事せずとも、

多くの愛好者を楽しませ、

明日の労働への活力を与えているとして、

一般労働者よりも多くの報酬を受けています。

彼らが多くの人々を楽しませ、

「はたをらくにしている」からでしょう。

しかし、多くの人に喜びや活力を与えていても、

それは一時的なもので、永続性のある喜びではありません。

仏教では、一切の人の苦しみの根元を断ち切り、

永遠の幸福を与える無二の教法、阿弥陀仏の本願を伝えることが、

真に「はたをらくにする」ことであると示されています。

「はたらく」意味を自覚し、人々に真の楽を与えることが、

本当に「はたらく」ことなのだと、

お釈迦さまはこのエピソードで教えられているのです。

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