知恵ある者に怒りなし [ブッダと仏弟子の物語]
(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)
知恵ある者に怒りなし
「そなたは祝日に、肉親や親類の人たちを招待し、
歓待することがあるか」
釈尊の静かな問いかけに、先刻から、辺り構わず
どなり散らしていた邪教徒の男は、
「そ、そりゃ、あるさ」
とかろうじて答えた。
〝やぶから棒に何を!?〟。若い彼は戸惑った。
問われた真意がつかめなかったのだ。
ここを訪れてから今まで、悪口雑言(あっこうぞうごん)を
浴びせ続けているが、釈迦は今までの相手とはまるで違う。
挑発に全く乗ってこないのだ。
〝これじゃ、のれんに腕押しじゃないか〟。彼は焦った。
釈尊は続けて尋ねる。
「親族がその時、そなたの出した食べ物を食べなかったらどうするか」
「食わなければ、残るだけさ」
ぶっきらぼうに、だが導かれるように、仏陀の問いに答えていく男。
釈迦の説法によって、仲間が次々と仏教徒になっていくのを見た彼は、
怒りに打ち震え、論破せんと一人、この精舎に乗り込んできた。
そんな男の素性を知ってか知らずか、釈尊は続けて問いを繰り出される。
「私の前で悪口雑言ののしっても、私がそれを受け取らなければ、
その罵詈雑言は、だれのものになるのか」
核心に触れたと思った男は、ムキになって反論した。
「いや、いくら受け取らなくとも、与えた以上与えたのだ」
「いや、そういうのは与えたといえない」
突っぱねられた男は、
訳が知りたくなる。
立場は逆転した。 婆羅門の男は、自ら釈尊に問うようになった。
「それなら、どういうのを受け取ったといい、
どういうのを受け取らないというのか」
「ののしられた時、ののしり返し、怒りには怒りで報い、
打てば打ち返す。 闘いを挑めば闘い返す。
それらは与えたものを受け取ったというのだ。
しかし、その反対に、何とも思わないものは、
与えたといっても受け取ったのではないのだ」
さっきから感じていたことを言い表された気がして、
男は重ねて尋ねた。
「それじゃあなたは、いくらののしられても、腹は立たないのか」
釈尊は厳かに、偈(げ)で答えられた。
「知恵ある者に怒りなし。
よし吹く風荒くとも、
心の中に波たたず。
怒りに怒りをもって報いるは、
げに愚か者のしわざなり」
百雷に打たれたような衝撃が心に走った。
外道の若者は、仲間がなぜ仏陀に帰依したかが、ようやく分かった。
「私は、ばか者でありました。どうぞ、お許しください」
落涙平伏し、仏に帰順したのである。