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仏弟子・阿難のエコ感覚 [ブッダと仏弟子の物語]

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)

   一枚の布も無駄にせぬ心がけ

        仏弟子・阿難のエコ感覚

 

気を抜いて歩けばつまずきそうになる絨毯が、

廊下のはるか先まで続いている。

昼間だというのに、きらびやかな照明が明々(あかあか)と

灯り、

ぜいたくな調度が惜しげもなく置かれる城中。

かつて王族の一員であったから気後れするようなことはないが、

市中は経済が悪化して、今日の食をも事欠く人があふれている。

どうにも違和感を感じつつ阿難は

〝王さまも少し節約されては・・・〟。

心中、苦言をぶつけずにはいられなかった。

 

ともあれ今日は国王の催す法話会に招かれている。

挨拶の席では、後宮の侍女たちに説法してほしいと王から

直々に請われた。

そのせいか、いつもより緊張しているようだ。

阿難は、女性と接するのは得手でない。

だが、容貌が彼女たちの気に入るらしく、

これまで幾人もの女性に言い寄られたことがある。

常に親切を心がけ、だれにも分け隔てなく接しようとすることも、

時に好意と受け取られるようだ。

無道で熱烈な求愛に追い詰められたことがよくあったから、

つい警戒心が先に立つ。

お釈迦さまの御手を煩わせ、窮地を助けていただいたことも

一度や二度ではなかったのだ。

それでも中には、彼とのかかわりを縁に

仏道修行に目覚める者もあって、

それはそれで喜ばしいことだが・・・。

そんなことを考えながら、阿難は後宮に足を踏み入れた。

 

居並ぶ500人の女官たちを前に、阿難は説法を始めた。

〝善い行いは幸せを生み、放埒な振る舞いはやがて身を責める。

自身に現れる果報の一切は、

自身の行為によって生み出されたもの〟

と因果の道理を勧め、身を慎み、徳を求める素晴らしさを説くと、

静かに聞いていた宮廷の女性たちからは、

好もしい雰囲気が感じ取れた。

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話し終えると、すぐさま500枚もの豪奢な衣装が届けられた。

聞けば、つい先ほど王から与えられた着物で、

一枚が千金の値のする高価なもの。

阿難の説法に感銘を受けた侍女たちが、

我先にと善根を求めたのだ。

彼女らの尊志を、彼はありがたく受け取った。

 

次の日、食事の際に女たちが以前の服を

まとっているのを見た王は、

「昨日、皆に与えた新しい衣装はどうしたのじゃ?」

と尋ねると、すべて阿難に施したという。

仏弟子たちが決められた数しか着衣を持たぬのを知っていた王は、

500枚もの着物をどうするのか、

阿難を呼んで問いただした。

「確かに世尊は、私たちの衣服の数を決めておられますが、

衣類の施しを受けてはならない、ということではありません」

しかし、そんなにたくさんの衣装を布施されて、

どうするのだ?

王は重ねて問うた。

「法友の中には、破れたり古くなったりした衣しか

持たぬ者も多くありますので、彼らに分けたいと思います」

「で、彼らの古くなった服はどうする?」

「それぞれ、下着にいたします」

「今までの下着は?」

「寝る時の敷布に作り直します」

よどみなく阿難は答える。王はさらに尋ねた。

「ではそれまでの敷布はどうするのじゃ?」

「枕の布にいたします」

「その枕の布は何に?」

「足ふきに」

「使えなくなった足ふきは?」

「雑巾として使います」

「さすがに古びた雑巾は捨てるのじゃろうのう?」

「いいえ。細かく切って泥と合わせ、家を造る時、

壁や床に塗るのです。わが師・お釈迦さまは、

布1枚に至るまで仏法領のものだから、

決して粗末にしてはならぬと仰せです。

すべてはこの世に生まれ出た本懐を果たすに

大切なものだからです」

一枚の布も無駄にせぬ仏弟子たちの心がけと、

徹底した節約に、王は顔を紅潮させて感心し、

しきりに阿難を称賛したという

 

仏法領とは、私たちが生きる目的を果たすために

必要なもの一切をいう。

最も尊い目的に使うことで、そのものの真価が発揮される。

すべてを大切に、有効に生かす心がけを、

仏法は教えられているのである。


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