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『正信偈』講話② [正信偈]

真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『正信偈』講和から続きを載せたいと思います。

 

●すべて無上仏の独用(ひとりばたらき)

 

4歳で父君、8歳で母君と死別された親鸞聖人は、

無常を痛感され、9歳で仏門に入られた。

比叡山では、千日回峯行をしのぐ、大曼の行をも実践なされ、

ご修業は峻烈を極めた。

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29歳で親鸞聖人が救い摂られたのは、

20年間のご修行の結果である、と思っている人が多い。

だが、『正信偈』の冒頭に聖人は仰っている。

「帰命無量寿如来

 南無不可思議光」

無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる。

帰命と南無は同義語で、「信順無疑」、平易に言えば、

「救われた」ことである。

無量寿如来も不可思議光もともに阿弥陀仏のこと。

「阿弥陀仏に救われた、助けられた」と繰り返されている。

すべては阿弥陀仏のお力であった、

と告白なされているのである。

ひとえに無上仏の独用(ひとりばたらき)で救われる。

その訳を次のお言葉でご教示なされているのである。

「法蔵菩薩因位時

 在世自在王仏所」

(法蔵菩薩因位の時、世自在王仏の所に在して)

法蔵菩薩とは阿弥陀仏の成仏前の御名である。

仏の位を果位(かい)といい、菩薩の位を因位(いんに)という。

仏教では、凡夫が仏になるまでに

52のさとりの階程があると教えられている。

最高位の52段目を仏覚といい、

菩薩とは仏覚を目指す人のことである。

法蔵菩薩の師は、世自在王仏であった。

「世自在王仏の所(みもと)に在して(ましまして)」

と仰っているのはそのことである。

ある時、法蔵菩薩が師仏に手をついて頼まれた。

「お願いがございます。苦悩に喘ぐ十方衆生を

私に助けさせていただきたいのです」

「法蔵よ、十方衆生はいかなる者か、知ってのことか」

「はい」

「大宇宙のあらゆる仏が、一度は助けようとしてみたが、

『とても助けられぬ』と見捨てたほどの悪人なのだぞ」

「よく存じております」

 

●十方衆生の実相

 

十方衆生とは、大宇宙のすべての人のことであるが、

世自在王仏と法蔵菩薩は、十方衆生を

いかなるものと見ておられたのか。

『大無量寿経』に、釈尊は人間の実相を

次のように道破なされている。

 

心常念悪 心は常に悪を念い

口常言悪 口は常に悪を言い 

身常行悪 身は常に悪を行い

曽無一善 曽て一善も無し

 

我々の心と口と身でやる行為は悪ばかり。

一つの善も無い、十悪・五逆・謗法の者と説かれている。

だから、後生必ず無間地獄に堕在する、

と断言なされる。

世自在王仏や法蔵菩薩の見られる「私」と、

私の見る「私」とに、大きな隔たりがあるのだ。

法鏡に照らし出された真実の自己を親鸞聖人は、

次のように告白なされている。

「悲しき哉、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、

名利の大山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、

真証の証に近づくことを快(たの)しまず」

               (教行信証信巻)

「愚禿鸞」とは聖人ご自身のこと。

「何と情けない、愚かな親鸞か」

と懺悔なされている。

愛欲が大海の如く広がり、沈み切っている相を、

「愛欲の広海に沈没し」。

「名利の大山に迷惑して」

名利とは、人から褒められたい名誉欲と、

一円でも欲しい、という利益欲である。

それらが大きな山のようにあり、迷惑していると、

赤裸々に告白されている。

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「定聚の数に入ることを喜ばず」

阿弥陀仏に救われ、51段高とびさせていただくことが

「定聚の数に入る」ということ。

「親鸞そんな幸せ者になりながら少しもそれを喜ぶ心がない」

「真証の証(さとり)に近づくことを快(たのし)まず」

定聚の数に入った人が、死ぬと同時に浄土往生し、

弥陀同体のさとりを開くことが、「真証の証」である。

「日一日と、浄土へ近づいている親鸞なのにそれを喜ぶ心も、

楽しむ心もない。助かる縁手がかりのないのが、

この親鸞。

そんな親鸞を、『助けさせてください』と

手をついて頼まれた方が法蔵菩薩である」

 

●助くる弥陀が手を下げて

 

ところが自惚れて、我が身知らずの十方衆生は、

世自在王仏と法蔵菩薩との必死のやりとりを聞いても、

お伽噺としか思えない。

十方衆生を助けるとはいかに困難なことか、

世自在王仏は一つの譬えで示された。

「大海の水を升で汲み干し、海底の宝を獲る以上に

至難なことなのだ。

それでもそなたは為そうとするのか」

それでも法蔵菩薩は後に引かれなかった。

「私がやらねば、十方衆生は助かることはありません。

どうか、助けさせてください」

幾重にも伏して懇願される法蔵菩薩を、

ついに世自在王仏は許されたのだ。

躍り上がって喜ばれた法蔵菩薩。

かくて世自在王仏の前で誓われたのが、

阿弥陀仏の四十八願であり、中でも王本願と言われるのが

第十八願である。

「どんな人も

   必ず助ける

    絶対の幸福に」

無上殊勝の本願がここに成就せられたのである。

助けていただく我々が頭を下げて当然なのに、

助ける方が「助けさせてくれよ」と手を下げておられる。

「能く能くお慈悲を聞いてみりゃ、

助くる弥陀が手を下げて、まかせてくれよの仰せとは、

ほんに今まで知らなんだ」

信心数え歌にも歌われていることである。

こんなことが他にあるだろうか。

お願いする心もない。

そこまで人間の実相を洞察されて建てられた願いは

どこにもない。

 

●法蔵の願心あればこそ

 

真実のカケラもない我々が仏道を進ませていただけるのは、

まことに法蔵菩薩の願心による。

「もう聞くまい」

と断念しても、なぜか法話会場へ足を運んでいる。

不思議なことである。

偏に法蔵菩薩の願心あればこそ、である。

「帰命無量寿如来

 南無不可思議光」

「20年間の修行も間に合わなかった。

長年の学問も一切役に立たなかった。

すべて、阿弥陀仏の独用(ひとりばたらき)であった」

知らされた真実を、親鸞聖人は叫ばずにおれなかったのである。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

普放無量無辺光 あまねく無量・無辺光、

無礙無対光炎王 無礙・無対・光炎王、

清浄歓喜智慧光 清浄・歓喜・智慧光、

不断難思無称光 不断・難思・無称光、

超日月光照塵刹 超日月光を放ちて塵刹を照らす、

一切群生蒙光照 一切の群生、光照を蒙る。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

世に「親の七光(ななひかり)」と言う。

著名人の跡取りが選挙に勝てば、

名選手の息子が人気を博せば、

「あれは親の七光だ」

と囁かれる。

もちろん、頭から光を出すはずはないが、

親の力を、光で表しているのである。

仏教では、阿弥陀仏の偉大なお力を「光」で表す。

 

親鸞聖人は『正信偈』に、阿弥陀仏の十二のお力を、

前の文章で教えられている。

『大無量寿経』に説かれた釈尊の教説を、

無我に相承なされたものである。

無量光から聞かせていただこう。

 

①無量光

 

阿弥陀仏のお力には限りがないことが、

無量光ということである。

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「さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし」

と親鸞聖人も仰せのように、縁さえくれば、

どんなことをするか分からないのが我々である。

そんな者と見抜いて、

「どんな者でも、必ず助ける」

と阿弥陀仏が誓われているのは、無量光の仏でなければ

できない誓いである。

それを、

「悪いことをしたから助からん」

「こんなことを思うから駄目なのでは」

などと思うのは、無量光を疑っている心である。

「願力無窮にましませば

 罪業深重もおもからず

 仏智無辺にましませば

 散乱放逸もすてられず」

       (正像末和讃)

無窮の願力だ。どんな極悪人でも救われる。

阿弥陀仏の無量光を教えられた親鸞聖人のお言葉である。

 

②無辺光

 

十方微塵世界(大宇宙)で阿弥陀仏のお力の届かない所はないから、無辺光と言われる。

どんな所で、何をしていても、無碍の一道へ出させようと、

常に働いてくださっているのが無辺光である。

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③無礙光

 

太陽の光も、レントゲン線も、障害があれば、

通らないが、阿弥陀仏の光明は、何物も遮ることはできない。

「私のような悪人は助からんのでなかろうか」

本願を疑う自力の心をも破ってくださるのは、

無礙光なるが故に、である。

 

④無対光

 

阿弥陀仏のお力は、他の何者とも比べることはできない。

「諸仏の光明の、及ぶこと能わざる所なり」

とあるように、三世諸仏(大宇宙のあらゆる仏方)からも

見捨てられた我々を助けることができるのは阿弥陀仏だけである。

 

⑤光炎王光

 

「人身受け難し、今已に受く」

人間に生まれたことを喜ぶべし、と釈尊は仰っている。

なぜか。

仏教では迷いの世界が六つあると教えられている。

地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六界である。

中でも苦しい地獄・餓鬼・畜生界に生まれる者は

大地の土の如くであるのに、人間に生まれる者は

爪の上の土の如し、と言われる。

生まれ難い人間界に生まれた有り難き、目的は何か。

迷いの打ち止めをさせていただけるのは、

人間界でなければできないからである。

人間界に生まれるのは、五戒を持つ(たもつ)功力による、

と『御文章』に教えられている。

殺生してはならぬ、嘘をついてはならない、など。

我々がそんな五戒を持ってきたとは、

とうてい思えない。

光炎王光の働きで人間界に生を受けられたのである。

 

⑥清浄光

 

貪欲を照らす働きである。

照らされたらどうなるか。

清九郎と言えば、大和国(奈良県)の妙好人である。

阿弥陀仏の救いを喜んでいた人である。

「清九郎には欲がないのか、試してみよう」

と、友人が、清九郎が参詣する寺の本堂に、

銭の詰まった財布を置き、清九郎の行動を、蔭で見た。

お念仏を称えながら、清九郎、本堂に入ると

財布が落ちている。

周囲をうかがい、誰もいないのを確かめるや、

財布を懐に出て行った。

友人らは騒いだ。

ところが、間もなく清九郎が引き返してきた。

彼は本堂の阿弥陀さまに向かって泣いている。

「こんな幸せな身にさせていただきながら、

汚い心が出てきました。

申し訳ありません。申し訳ありません」

財布を仏前に供えて、懺悔している。

「あそこが違うのか」

と、友人たちは感心したという。

救われても欲は変わらないが、

清浄光に照らされて懺悔となり、歓喜になる。

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⑦歓喜光

 

瞋恚(しんに・怒り)を照らす光である。

怒りはすべてを焼き尽くす恐ろしい心である。

「恐ろしい心」が照らされて懺悔となり、歓喜となる。

 

⑧智慧光

 

因果の道理を知る力を智慧というが、

それの分からぬ心が愚痴である。

自らの不幸を他人のせいにして恨み、

他人の幸福を妬み、嫉む。

そんな大馬鹿者を照らして「馬鹿だなあ」と

知らせてくださるのが智慧光である。

 

⑨不断光

 

途切れることのない阿弥陀仏のお力をいう。

「憶念の心つねにして、仏恩報ずるおもいあり」

不断光に照らされるから、阿弥陀仏のご恩を忘れがちな身を

思い出しがちにさせるのだ。

 

⑩難思光

 

十二光の働きは、心も言葉も絶えたもの。

 

⑪無称光

 

とても言葉に表せない。

 

⑫超日月光

 

太陽や月の光も超えた光である。

 

「三世諸仏に見捨てられたこの親鸞が、

救われたのはひとえに阿弥陀仏の十二光のお力であった」

と、親鸞聖人が無上仏の偉大なお力を讃嘆なされているのである。

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『正信偈』講話① [正信偈]

帰命無量寿如来 無量寿如来に帰命し、
南無不可思議光 不可思議光に南無したてまつる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『正信偈』は一つの文章で、初めが分からなければ
最後まで分からなくなる。
『正信偈』の内容を表す非常に大切なところである。
●阿弥陀仏の独用(ひとりばたらき)
これは親鸞聖人自らのことを仰ったので、
「親鸞は無量寿如来に帰命しました。
親鸞は不可思議光に南無しました」
ということである。
まず、無量寿如来とは、阿弥陀如来の別名である。
これは、命に限りない無量寿の仏であるところからきている。
不可思議光は、不可思議光如来を略したもので、
阿弥陀如来のことである。
我々の頭では思議することのできないお力を
持たれた仏だからである。
次に、帰命と南無という言葉であるが、
帰命とは中国の昔の言葉で、南無はインドの言葉である。
意味はともに救われた、助けられたということである。
仏教学上では、信順無疑といい、阿弥陀如来を信じ、
その仰せに従って、ツユチリ程の疑いの心をなくなった状態をいう。これは、まったく阿弥陀如来の独用(ひとりばたらき)による。
親鸞聖人はここで、自分の力微塵ほども間に合わなかったと
自己の信心を告白しておられる。
なぜ、親鸞聖人は『正信偈』の冒頭に、
しかも2回繰り返し、阿弥陀如来に救われたことを書かれたのか。
●叫びつくせぬ喜び
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それは、親鸞聖人、非常に嬉しかったからで、
何回でも叫びたいことであり、
書き尽くせないことであったからである。
たとえば、腹が減って、今から夕飯を食べようとしている時に、
電気が消えてしまった。
真っ暗闇の中、懐中電灯もローソクもない。
動きがとれず、困り果てていた。
待てども待てども電気はなかなか来ない。
30分、1時間と時は流れ、2時間たっても電気が来る気配もない。
そうしているうちに、電気がパッとつき、
あたり一面明るくなった。
その家の人はどう言うだろうか。
台所にいた奥さんも、座敷にいた主人も、
勉強部屋から動けなかった子供も電気がつくと同時に上がる声は、
「ついた、ついた」
という喜びの叫びである。
みんな光を待っていた。
暗がりに困り果てていた時に光がきた。
一回、
「ついた」
と言えば分かることであるが、歓喜の余り思わず知らず、
繰り返し叫びのである。
親鸞聖人は、長い間、どうしたら阿弥陀如来に救われるのだろうか、どうしたら魂の解決ができるのだろうかと、
いわゆる光を求めておられた。
そこへ心の暗闇をぶち破る光がとどいた。
その時どうして、
「救われたぞ、助けられたぞ」
と叫ばないでおれるだろうか。
命がけに求めた者でなかったら救われたとき、
こういう気持ちにはならない。
日中に電気が切れ、修理され電気が来ても、誰も、
「ついたか」ともいわない。
なぜか。昼間は明るいから、暗がりに少しも困らない。
光を待っていないのだから、電気がついても、
少しも嬉しくないからである。
同じことが二回繰り返してあるのは、
阿弥陀如来の救いにあずかると、
無限にその喜びを叫ばずにおれないからである。
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●明らかな救い
そして、その救いは、あまりにもハッキリした明らかなものである。
これで助かったんだろうか、どうだろうかというような
ボケたものではない。
親鸞聖人は29歳の時に、ハッキリ阿弥陀如来に救われたと、
「建仁第一の暦、春の頃ーー乃至ーーたちどころに
他力摂生の旨趣を受得し、あくまで凡夫直入の真心を
決定(けつじょう)しましましけり」
と、『御伝鈔』に書かれている。
蓮如上人は、『御文章』に、
「今こそ明らかに知られたり」
とハッキリ言い切られた。
阿弥陀如来に救われたら、救われたことがハッキリするから、
ハッキリ言わずにおれない。書かずにおれない。
これを『正信偈』のこの2行で朝な夕な私たちに教えてある。
●ハッキリするまで求め抜け
またこれがハッキリしなかったら、
後生の一大事が安心できない。
阿弥陀如来に救われたら、大安心・大満足のハッキリした
自覚があるぞ、そこまで求め抜けと、
親鸞聖人が叫ばれたお言葉である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
帰命無量寿如来 無量寿仏に帰命し、
南無不可思議光 不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩因位時 法蔵菩薩因位の時、
在世自在王仏所 世自在王仏の所に在して
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世界最高の宗教、仏教は、無上道とも言われる。
朝晩の勤行で拝読する『正信偈』は、
仏教を開顕なされた親鸞聖人のお言葉である。
まず冒頭二行で親鸞聖人は、何を訴えておられるのだろうか。
「無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる」
と読む。
「帰命」も「南無」も、「救われた、助けられた」ということ。
「無量寿如来」と「不可思議光」はともに阿弥陀仏のことである。
「親鸞は阿弥陀仏に救われたぞ、助けられたぞ!」
と歓喜の叫びをあげておられる。
これほど明らかな阿弥陀仏の救いとは、いかなるものか。
阿弥陀仏は本師本仏、と釈尊はご教示されている。
大宇宙にガンジス河の砂のごとくまします十方諸仏の
師匠にあたる仏である。
地球上、最高の聖者であられる釈尊が、
「我が師」と拝まれる最高無上の仏である。
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●生命の歓喜
偉大な仏ほど、そのお徳に応じて、多くの名前を持っておられる。
阿弥陀仏ほど、多くの名称を持たれる仏はない。
限りない命を与えて下さる「無量寿如来」、
無上の幸福にする「不可思議光如来」、
いずれも阿弥陀仏のお徳を表す御名である。
親鸞聖人は阿弥陀仏に救われた喜びを、
「救われたぞ、助けられたぞ」
と繰り返しておられる。
「人間に生まれてよかった!」
生命の歓喜がなければ言えないことである。
ましてや、繰り返されるはずがない。
人生の目的が分からず、
「人間にさえ生まれねば・・・」
と親を恨んでいた者が、
「よくぞ人間に生まれたものぞ」
と躍り上がった体験を、
「救われた、助けられた」
と仰っているのだ。
●常識をこえた世界
そんな明らかな体験だから、必ず、ハッキリする世界がある。
親鸞聖人のみ教えには、卒業があるということだ。
世間の常識とは反対である。
「死ぬまで求道」と思っている人ばかりだ。かつて、
「卒業のある信心だ」
と説法した時、
「死ぬまで求道じゃ」
と怒鳴り込んだ、80過ぎの同行があった。
40年以上も親鸞聖人の教えを聞いてきた人である。
永年を聞法に投じてきた人でさえ、こう思っている。
ほとんどの人は、
「仏教に卒業がある」
とは、ユメにも思ってない。
これは、親鸞聖人のみ教えがまったく分かっていないのだ。
●理解できないお言葉
浄土真宗の一枚看板は、平生業成である。
「人間に生まれた目的を、平生に完成できる」
ということである。
「死ぬまで求道」では看板に偽りありとなる。
現生不退ーーこれも聖人のみのお言葉である。
現在ただ今、絶対の幸福になれる。
「永遠不滅の幸福になれる」
との仰せである。
●恩徳讃も歌えない
ただ今救われたからこそ、恩徳讃となる。
「如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし」
親鸞聖人の告白である。
ただ今、人生の目的を果たしてくだされた阿弥陀如来と、
伝えてくださった知識の大恩は、身を粉にしても足らないぞ、
骨を砕いても済まないぞ、の不惜身命の報謝行となる。
死んでから、のことではない。
にもかかわらず、聖人のみ教えが、なぜかくも誤解されるのか。
どうも生きがいや趣味を、人生の目的と勘違いしている
ことにあるようだ。
政治、経済、芸術、スポーツ・・・
人間の営みのすべては、趣味や生きがいである。
家康や秀吉の、天下統一の苦労や満足も、
すべて彼らの生きがいなのである。
生きがいや趣味には、完成も卒業もないから、キリがない。
「人の一生は重荷を背負うて遠き道を行くがごとし」
剣聖・宮本武蔵は、
「まだまだ自分は未熟」と述べている。
完成のない趣味や生きがいには、金輪際、満足ということはない。
だが人生の目的は違う。
完成がある。
「このために生まれたのか」
と歓喜する時がある。
これ一つ達成すれば、いつ死んでも満足といえるものである。
親鸞聖人はその体験を、冒頭の二行で告白なされているのだ。
その親鸞聖人のみ教えを、明らかにする人がいない。
だから、真の人生の目的を知らず、
趣味や生きがいを人生の目的、と誤解している人ばかりである。
親鸞聖人によってのみ、明らかにされた、仏教の真髄、
卒業のある信心。
人間に生まれた真の喜びは、まさにここにあるのだ。
「帰命無量寿如来
 南無不可思議光」
人生究極の目的が、平生に完成できることを、
繰り返して教え続けておられる。
祖師聖人を世界の光、と仰がずにおれない所以がここにある。

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釈迦はいかにして仏になられたか [釈迦]

動画を観られるとよく分かると思います。
(真実の仏法を説いてくださっています)
また、真実の仏法は慈悲でいっぱいなので癒されますし、
生活の指針にもなるので役立ちます。
そういう意味でも見られるといいですよ。
ブッダが家族を捨てた驚きの理由とは


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(真実の仏教を説かれている先生ご執筆の『とどろき』より載せています)


仏教とは仏の教えである。
仏教を理解するには、
最初に「仏」とは何かを知らねばならない。

世間の常識では「仏」と言えば
「死んだ人」のことのように思われている。
テレビの捕物帳、刑事物では、必ず殺人事件が発生し、
主人公が来て、「この仏の身元は分かったか」などと言う。
犯人が捕まらなければ、「これでは仏が浮かばれない」
逮捕されれば「これで仏も浮かばれる」という具合である。
「死んだら仏になる」というのは、大変な誤解である。
単純に考えても仏が死人ならば、
仏教は「死人の教え」となってしまう。
死者が仏教を説けるはずもなく、
何かがおかしいと気づいて当然だ。
死人が仏ではないのである。

無上の覚(さとり)・仏

では仏教でいう「仏」とはどのような方か。
「仏」とは、さとりの名称である。
仏教では「さとり」にも低位のものから最高位まで、
五十二の位があると説かれている。
これを「さとりの五十二位」という。

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それぞれの位に独特の名称がついており、
例えば、天台宗の開祖・天台は、
下から九段目の「五品弟子位」までさとっている。
中国の南嶽慧思(なんがくえし)は、
その上の「六根清浄位」に至っており、
『正信偈』に登場するインドの龍樹菩薩は、
最初、難行の末に四十一段目の「初歓喜地」まで到達している。
五十二段のいずれにも、このような名称があり、
この中の最高位を「仏のさとり」と言うのである。
究極のさとりであり、
全仏教徒は、最終的にここを目指すのだ。


故に仏のさとりには次のような数多くの異称がある。
仏覚・・・仏の覚(さとり)
妙覚・・・絶妙な覚
無上覚・・無上の覚、これ以上は無い。
大覚・・・大いなる覚
正覚・・・正しい覚
この仏の覚(さとり)まで到達された方のみを
仏教では「仏」と言うのである。



釈尊のご生誕

では人類史上にそのような方がおられるのか。
今日まで、この世で仏の覚に至った方は、
釈尊ただお一人である。

末法の時代ともなれば、少しばかりの修行で慢心し、
「我は仏の覚をえた」と大言して大衆を惑わす者が多く現れる、
と経典に説かれており、
好実例として「我は最終解脱者なり」と吹聴した
麻原彰晃などがいる。
これらは論外だが、
なにしろ「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし
と言われるように、釈尊のみである。

そこでまず、釈尊がいかにして仏のさとりに到達されたのか、
知る必要がある。
釈尊は、約二千六百年前、
インドに誕生された。
父を浄飯王、母はマーヤ夫人
といい、
住む城をカピラ城、その国名をカピラエ国と言った。
ヒマラヤ山麓に位置したカピラエ国は、ちょうど、
千葉県程度の広さの国であり、
決して大国ではなかった。
部族名を釈迦族と言い、
釈尊はそこに君臨する国王夫妻の王子として
生を受けられた。

久しく子供に恵まれなかった夫妻であるが、
白象が体内に入る夢とともに懐妊した。

出産が近づき、居住するカピラ城から、行列を連ねて、
夫人の実家であるくり城に向かわれる途中、
ルンビニー園という花園で休息し、そこに咲く、
純白で香りの良い無憂樹が、余りに綺麗であったので、
一枝、手折ろうとされたとき、急に産気を感じ、
王子を出産されたのである。

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ときに四月八日、百花繚乱の花園にちなんで、
釈尊の誕生を祝う行事を
「花まつり」と称するようになった。
そのままカピラ城に戻られたマーヤ夫人は、
難産だったため、
産後七日目にして逝去しておられる。

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文武に秀でた太子

待望の太子に恵まれた浄飯王は、
悉達多太子と命名した。
その喜びから、占い師のアシダ仙人を招いて
太子の将来を占わせた時、太子を一目見た仙人は、
思わずホロホロと落涙した。
王は「不吉な涙を見せるとはけしからん」
と激怒したが、仙人は言う。
この太子さまは、ただ人ではありません。
王位を継承されれば、
世界を治める転輪王(てんりんのう)となられましょう。
出家されれば、必ず、無上の覚を開かれるでしょう。
どうもそちらになられるように感じますが、
すでに余命のない私は、この方が、無上の覚を開かれ、
尊い教えを説かれるのを聞かずに
死んでゆかねばならないのです。
それが残念なのです。


やがて浄飯王は、太子を優れた後継者とすべく、
太子七歳の折、当時有名な学者バッダラニーと、
武芸の達人、センダイダイバーを文武の師として城に招き、
英才教育を開始した。

ところが、悉達多太子の聡明さは、
一を聞いて十を知り、十を聞いて百を知る。
武芸両面にも抜群の能力を示して、
たちまち、両師を越えてしまった。
ほどなく、両師が、辞職を願い出ていることからも、
いかに利発であったかがうかがえる。

弱肉強食の世界

悉達多太子十二歳の時、一つの事件が起こった。
春を迎えたある日、
城外で豊作の祈る耕転祭(田起こしの儀式)が行われた。
浄飯王が鍬を打ち込んだ後、掘り起こされた土の中から、
小さな虫が顔を出した。
すると、それを見つけた小鳥が飛んできて、
虫をくわえて飛びたった。
するとさらに、一羽の鷲が急降下して、
その小鳥を爪の間にしっかりとらえて、
いずこともなく飛び去ったのである。

一瞬の出来事に太子は呆然とする思いであった。
「地獄・・・」とつぶやいたかと思うと、
近くの大樹の下に座し、瞑想されるのであった。
「弱肉強食は自然の法則、生きるためには、
やむを得ないことなのか・・・」
すでにバッダラニーの指導により、
バラモンの根本経典である『ベーダ』を、
暗誦するほどに学んでおられた悉達多太子は、
これを契機として思索に耽ることが多くなっていった。

太子のご結婚

成長されるに従ってその傾向は強くなり、
浄飯王としては、アシダ仙人の予言が思い出されてならない。
結婚させれば、太子の憂いも晴れるだろう、
との思惑より、浄飯王は、当時、才色兼備と評判の高かった
麗人・ヤショダラ姫を太子の妃としてカピラ城に迎えようとした。
ヤショダラ姫を巡っては、
従兄弟の提婆達多(ダイバダッタ)との間に
恋い争いがあったと伝えられている。

浄飯王が、ヤショダラ姫の父親、
くり城の善覚王に婚儀を申し入れたとき、
善覚王は、
「当城の掟として娘を嫁に遣わすには、
相手が武芸の達人に限る、となっている。
もし娘をお望みならば、技能のほどを示してもらいたい」
と答えた。
提婆達多(ダイバダッタ)もヤショダラ姫への思いを
寄せていたので、
両者が武芸で競うことになったが、
所詮、提婆達多は悉達多太子の相手ではなかったという。

ヤショダラ姫との結婚により、
一時は、煩悶を忘れて、
快活に振る舞うようになった太子だが、
長続きはしなかった。
約一年後、ヤショダラ姫が男子を出産した。
使者からそれを聞かされた太子は、
「ああ、ラーゴーラが生まれたか」
と一言だけ言われた。

「ラーゴーラ」とは「支障」を意味する。
子は三界の首かせ、
自分が真理を求めるのを束縛する者が現れた、
との意味である。
太子の心が分からぬ使者は、生まれた子に
“ラゴラ”と名付けよとの思し召しと解釈して帰ったので、
王子は「ラゴラ」と名付けられてしまった。

四門出遊
    逃れられぬ老・病・死

太子の人生への疑問をさらに深めたのは、
有名な四門出遊の出来事である。

ある時、東の城門を出られた太子は、腰曲がり、
杖にたよって歩く老人の姿を見て、
人間、誰しもが、あのような老苦
あわねばならぬのだと痛感なされた。

また南の門を出て路傍に苦しむ病人をご覧になり、
病苦からも逃れ難い人間の姿を凝視なされた。

西門から出遊いた折には、葬式の行列に遇い、
万人にとって死苦の避けられないことを実感し、
愕然となされたのだ。
最後に北門を出られたとき、
法服修行の出家を見て、
自分の歩むべき道が、どこにあるのか、
さとられたのであった。

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煩悶を重ねる太子を心配した浄飯王は、
四季の御殿を建立し、
五百人の美女を侍らせ、
昼夜、歌に踊り、豪勢な食事と、
贅の限りを尽くして太子を慰めようとした。

しかし、世の無常の真実を知らされた太子にとって、
五百人の美女すら、
心からの喜びを与えるものではなかった。

二十九歳、出家

ある真夜中、ふと太子が目を覚まされると、
四辺に美女たちが、昼間の容姿は見る影もないありさまで
眠りこけていた。
いびき、歯ぎしり、よだれをたらしながら寝ている者、
昼に演じる天女の美しさはどこへやら、
生々しく無惨な醜態に、
太子は迷いの夢さめた思いであった。


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「自分はだまされていた。
これこそ彼女たちの真の姿だ。
これ以上、無駄に月日を送ることはできない」
知らずに眠りに伏すヤショダラ姫に心の中で別れを告げ、
白馬に乗って、王城を抜け出されたのである。
太子、二十九歳、二月八日のことであった。

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途中、自ら髪を剃り、太子の衣冠を脱ぎ捨て、
一僧侶となって、尼連禅河の東岸や、
苦行林などの修行の地で、無師独悟を決意し、ひたすら、
さとりを求めて精進されることになった。

太子の姿のないことを知った城内は大騒ぎとなり、
浄飯王は家来の橋陳如(きょうちんにょ)に、
太子を捜し出し、城に連れ戻すように命じた。
橋陳如は必死の探索の末、
カピラ城から実に四百キロ以上も
離れた苦行林に太子の姿を発見した。

「太子さま、捜しましたぞ。
どうか私と共に城にお戻りください。
国王も、お妃様も家来も国民も、みな案じております」
「いや、私は決して城にはもどらない。ここで修行を続ける」
「太子さま、なぜそのような苦しい修行を
なされなければならないのですか。
世に出家し、宗教に救いを求めるのは、
老人、病人、貧しい人と決まっています。
若くて健康で、衣食住何不自由のない、
太子さまが、なぜ・・・」

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橋陳如よ、そなたにはわからないのか。
この激しい無常が。
この世の一切は常が無いのだ。
若きを愛すれど、すぐに老いてしまう。
地位権力とて、いつまでも保ち続けることはできない。
城中での栄耀栄華も、
死に臨めば、何の喜びにもならないのだ。
いつくずれるか分からぬはかない幸福に
酔っているのは愚かなことだ。
私は何物にも揺らぐことのない
絶対の境地を求めねばならないのだ


悉達多太子の決心は盤石であった。
橋陳如を退け、六年間にわたる難行が始まった。
当時の苦行とは、いかなるものか。
食を断つ。極寒に身をさらす。熱火に身をあぶる。
いばらの上に身を横たえる。
木の枝を大地に敷き、その上で座禅する、などである。
悉達多太子は断食によって身体が極端に衰弱していった。

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後年、釈尊は当時を述懐し、
中部経典に次のように述べておられる。
私の体は少食のため、極めてやせ衰えた。
我が肢節は、カーラ草のようになった。
臀部はラクダの足のようになり、背骨は紡錘の連鎖のように
凹凸のあるものとなった。
わが肋骨は腐食し、破れてしまった。

わが瞳の光は深くくぼんで見えた。
わが腹皮は背骨に密着してしまった。
わが身毛は、腐食したその根とともに体から脱落した」
骨と皮にやせ衰えるまで、修行なされたのである。


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大悟徹底される

およそ過去の、激苦激烈な苦行を修した者で、
われは最高の苦行者であり、
われ以上の苦行者はなかった。
およそ未来においても、現在においても、
われ以上の苦行を修するものはないであろう。
かかる苦行を行っても特殊な最高の聖智見(せいちけん)に
到達することができなかった。
おそらく苦行は菩提に至る道ではなく、
最高の道はほかにあるであろうと思った

          (バーリ聖典・中部)

六年間の修行により、
苦行によって最終的な悟りは得られないと
知らされた悉達多太子は、
意を決して苦行主義を捨てられ、
単身、苦行林を脱出された。

そして苦行によって衰弱した心身の力を回復しなければ
正しい智恵が生じないと考え、
尼連禅河(にれぜんがわ)に入って水浴し、
垢を除き、身を清められた。
ところが、疲れきった太子は、沐浴のあと、
岸にはい上がる力もないほどであった。

折から通り合わせた乳買いの娘、
善生女(ぜんしょうにょ)に、
太子は一杯の乳糜(ちち)の布施を請われたが、
苦行にやつれ果てたとはいいながら、
たぐいまれな尊い太子の姿に、
善生女は喜んで乳糜を施したのである。

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それによって太子は何とか体力を回復し、
尼連禅河のほとり、
仏陀伽耶(ぶっだがや)の菩提樹の下に
金剛宝座を造り、これに結跏趺座(けっかふざ)して
「我、正覚を成ぜんずば、ついにこの座を起たず」と、
異常な覚悟とともに、
最後の修行に臨まれたのである。

以来、七日間、
悉達多太子の孤独な精神の闘いが続行された。
この間、心中に幾多の魔が起こり、
美女愛欲の誘惑、権力や財物に関する煩悩が生じ、
仏典はこれらを外的に描き、悪魔波旬(あくまはじゅん)が
襲来したと記している。

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静かなる山の如く、深遠なること海の如き、
太子の忍耐と剛毅は、ことごとくこれを征服。
遂に三十五歳の十二月八日未明、
一見明星して大悟徹底し、
三世十方の実相を諦観(たいかん)せられ、
三界の大導師たる仏陀となられたのである。

まさに成仏得道、無上覚を究め、
悉達多太子はこの一刹那、
仏陀釈迦牟尼世尊となられたのであった。

釈迦牟尼世尊とは「釈迦族の聖者」との意味であるから、
釈迦とは本来は、
浄飯王が統率していた部族の名称である。
仏となられた釈迦は、数週間、
自らが悟られた境地の余りの素晴らしさを楽しまれたが、
やがて、全人類救済の大道である
仏教の布教伝道を開始され、
八十歳二月十五日に入滅されるまで、
説き続けられた。
その教法が、世界最高の宗教、
仏教なのである。

タグ:釈迦 仏教
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